忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


世田谷通信(236

 

猫草

 

 近所で高さ10mほどの崖が崩れた。雨上がりの夕方の工事現場、幹線道路沿いで交通量も人通りも多い場所だが、幸いにも人的被害はなかった。

 そこは次男の通所バスが停まるところの近くで、平日朝夕2回、工事の様子を眺めていた場所だ。崩れたのは古い集合住宅の壁面。建物は何年も前に取り壊されていて、背面の壁が国分寺崖線の段丘面に残されていた。そこに新たな建設工事が始まり、残った壁の撤去作業中の事故である。

 工事では、重機で壁面下部を掘って、鉄筋を抜いていた。大量の土砂を運搬するトラックも往復していた。急斜面だし、事故にならないといいなと思っていた。

国分寺崖線段丘面の高低差は10m以上。斜面物質は重力によって下方へ移動する。誘因としての雨も続いた。降雨は地中水となって重量を増し、さらに下方への運動を加速する。崩れた面には縦方向の亀裂もあった。いったいどれほどの質量が動いただろう。

 

関東平野は火山灰が堆積してできている。どこから来た火山灰かというと富士山や箱根の山々が噴火したときのものだそうだ。ずいぶん離れた場所まで飛来するのだなあと思う。いわゆる黒ボク土と呼称される。地層で言うなら武蔵野ローム層。長い年月をかけて堆積し、押し固められた地層。この露頭は、表面が乾燥と湿潤を繰り返すことでもろく崩れやすくなる。

崖の上は富士山を望める立地で眺めが良い。台地の上なので水を得にくく、米や畑に適さない。かつては武蔵野の雑木林が延々と拡がっていた荒地で、まとまった宅地開発がしやすかったという理由もあるだろう。住宅が立ち並び、中層のマンションも多い。昭和の初め頃の国分寺崖線沿いは、都心からちょっと離れた郊外の別荘地としても人気があったようだ。

さて、崖の崩れた場所には、現在たくさんの土嚢が積み重ねられている。毎日粛々と補強・修復の工事が進む。その様子を眺めながら、「とにかく、ご安全に」と思っている。

 

<いきいき里山・山里ものがたり>

テレビには、全国各地にある観光花園ニュースが多くなりました。広い畑には季節の花が咲き、多くの方が楽しまれている姿は、好いものですが、気になることは、ご自分の楽しみとしての花壇はお持ちなのでしょうか。

桜から新緑の季節になりますと、道端には新しい草が伸び始めても来ました。それを「雑草」と呼び、嫌われもの、迷惑がられていますが、この一つ、一つにも神様の創造の御業を見る時、「いのち」を思わされます。創世記の「・・・・はなはだよかった」には、草木に雑草、雑木の「雑」の文字はないように思えるのです。人間の基準で「雑草」と呼んでしまう恐ろしさは、人間社会の格差や差別や偏見を生み出しているかのようで、恐ろしい感じを禁じえません。

鳥インフルエンザの殺処分に係っていた友人からのメールに、駆除しなければならないことは分かっていても、最初は心痛んでいたが、それが当たり前に「殺処分」している自分が怖いと書かれていました。「頂きます感覚」は日常生活から薄れています。戦争、人権侵害、いじめ、などなどは、心の痛みがあれば・・・と「観光花園」のニュースを見ていて感じました。私の庭は除草剤は使いませんので、飛んできたのが地に落ちた「自然生えガーデン?」です。虫たちはよく遊びに来ます。因みに私は蚊が大の苦手で、蚊取り線香派です。  神奈川県 TYさんより

PR

世田谷通信(235

猫草

 

 生き物の名前には、不思議なものがある。トゲアリトゲナシトゲトゲという羽虫がいるそうだ。体全体に棘のあるトゲハムシの仲間。ところがこの個体は本来の特徴であるはずの棘が一部分にしかない。なので、上記のような名前になったという。

スベスベケブカガニという蟹もいて、体に毛の生えているケブカガニの仲間だが、毛が無いのでスベスベ。要するに、最初に名前を付けたとき、見た目重視で、棘があるから「トゲ」、毛があるから「ケブカ」、しばらくはそれで順当に分類できていたのが、生き物のバリエーションが名前を凌駕した例である。

 途中で分類が変わったり、名前が変わるのもしばしば。ええと、この草は、この虫はなんだっけとフィールドで迷うことも多い。

 そんな個別の話どころか、生物の分類自体が大きく変わっていて、昔は動物界、植物界、菌界・・と言っていたのが、遺伝情報に基づいた分類、3ドメイン説になってから30年以上も経過するそうで。学生時代を過ぎたら生物の教科書なんて開く機会がないし、と言い訳しても不勉強の一言に尽きる。

 それもまた、やがて新しい知識体系に整備され、こちらの分類が妥当、とアップデートされていくのだろう。浦島太郎はこんな気持ちか。

 里山農園で葉物の種まきをした時に、レタスといっても「グリーンカール」「ロメインレタス」「チシャ」など何種類かあって、「覚えられないわ」と種のそばに細く竹を削った10cmほどの名札を立てた。育った時「これは何?」と混乱しないようにとの配慮だったが、収穫時期になって思わぬ事態になった。名札を差した場所のレタスだけ明らかに育ちが悪いのだ。名札のない場所の葉っぱは大きく、背丈も葉の拡がりも全然違う。名札の陰が日照時間の差を生み、その積み重ねが結果として成長に大きな差をつけてしまった。「ごめんね、この野菜には名前なんてどうでもよかったのに。北側に札を差せば日が遮られなかったのに。」そんな後悔とお詫びを言いながら収穫した。名前や分類は役に立つし大事だが、それはヒトにとって、という条件がつく。

 

<いきいき里山・山里ものがたり>

 

 裏山からは若い鶯が独唱(ひとりなき)を始めていましたので、当分、辛抱して聞いてあげることにしています。上手になったね・・・までは、まだまだの程度で下手ですが、これも若さですね。健気に啼いています。春の芽吹きを裏山の木々の枝えだに見ることができますので、朝の目覚めが楽しみになりました。さあ~、今日も一日頑張ります!と言い聞かせています。高山の今です。   岐阜県  KOさんからのお便りです。


世田谷通信(234

猫草

 

  うっかりガスコンロの火を消し忘れることがあって、IHクッキングヒーターに換えて数年経ち、火事の危険は減った半面、全面的に電気に頼っていては停電時どうしよう?と不安にもなる。

昨今のアウトドアブームで、「山でコーヒーを飲む」にちょっと憧れる。まず庭でお湯を沸かしてみようと思った。カセットコンロ用ガスボンベの使用期限が迫っている。いざという時の防災訓練になるかも、と自分にさんざん言い訳して、買ってみたのが小型の折りたためるガスコンロ。畳んだ状態で手のひらサイズ。軽い。地面に設置する脚と鍋を固定する五徳部分を拡げても10㎝程度。キャンプ道具は機能的に作られている。

庭に出る。コンロにガスボンベを接続し、小さな鍋に水を入れて点火。青白い炎が出て、ちょっとびっくりする。当たり前だが、なにせ直火を見るのが久しぶり。そんなことにも緊張する。鍋の水が少なかったので、すぐボコボコとお湯が沸く、だが、屋外なのですぐ冷める。あわてて火を止めて、コーヒーを淹れる準備をする。庭のテーブルが小さくて、ちょっと斜めで危なっかしい。モノの置き場所が圧倒的に足りない。ドリッパーとカップを支え、お湯を入れるも不安定。傾いたカップの中にコーヒーの粉が流れ込む。たまたま風が強めの日だったのも良くなかった。これを山やキャンプ場でやる?とんでもない。ああもう部屋に戻りたい、キッチンでいつも通りにコーヒーを淹れたい。自分で「やりたい」と道具を買ったくせに心の中は後悔しきり。一番簡単に食べられるものをと思ってカップ麺も用意していたので残ったお湯を入れるが、すっかり温度が下がっている上に、量も足りない。とはいえもう一度鍋に水を入れてコンロをセットして沸かす場所も気力もない。しょーがない、と我慢する。コーヒーは粉でザラザラ、カップ麺は硬くて塩辛かった。なんじゃこりゃ。外でお湯を沸かしてコーヒーを飲み、ご飯を食べる(カップ麺だけど)という当初の目的は果たせた。しかし、満足度は低い。点数をつけるなら・・10点。やけどしなかっただけ本当によかった。室内は風が防げて安全で水平だ。きれいな水が出て、スイッチ一つで電気がついて、ゴミを捨てられ、モノが置ける。本当にすごい。しみじみインドア生活に感謝した次第。

庭先のコーヒーとカップ麺を甘く見てはいけない。次は大きめのテーブルとゴミ袋を用意しよう。風で飛ばないようにガムテープで貼るといいらしい。なるほど。

 

<いきいき里山・山里ものがたり>

 

佐賀に住む「ジャーナルファン」です。陽当たりのよい庭先に、何と、ツクシ(土筆)が芽を出していました。陽当たりが良いと言っても、まだ2月の下旬前なのに・・・。早春になると田んぼや土手などに、土から筆のように顔を出し、すくすくと伸びて、筆のような形の頭から胞子を散らした後は、枯れてほかの草の中に消えていきますが、きっと土筆は私が最初に春を告げるのよ!とでも言いたげで誇らしく、頼もしいですね。暖かい日は好いですね。


世田谷通信(233

猫草

 

 学校司書ゆえ、児童書を読む機会は多い。自分のための読書のほか、選書も多い。絵本や物語、子供向けの社会科学、自然科学の本も手に取るようにしている。しているというと仕方なくという印象だが、つい読んでしまうという方が近い。日本語で書いてあればなんでもいい。本が手元にない時は調味料の成分表までじっくり読んでしまう。そんな訳で読書のジャンルは問わないが、最近読んで興味深かったのは『妖怪は海にいる!?アラマタ式海の博物教室(みんなの研究)』 2022年10月出版、荒俣宏氏の著作である。「海の」と標題にはあるが、内容は海にはとどまらない。なぜ地球に海があるのか、宇宙から、地球の成り立ちから説明している。さらに爆発的な奇跡のような生命の拡がりへ、今まさに分かりかけている深海の不思議なメカニズムとそこに暮らす生き物へと話は展開してゆく。そしてまた最新の宇宙へのアプローチへと論は進み、実に壮大なスケールでしかもわかりやすくとらえている。

それが荒俣氏の語り口調、平易な文章で書かれている。難しい話を隣でやさしく聞かせてもらっている気分になる。人類の文明や発明なんて宇宙では本当に一瞬のきらめき。愚にもつかない戦争やら、つまらない諍いで自らの生きる土台である環境を危うくしている場合ではない。もっと目指すべき場所や探求すべきことはいくらでもあるだろう。

深海に何があるのか、宇宙に何があるのか、未知の領域は無限にある。小さな自分の周りのことに心をとらわれるより、尽きぬ謎に目を向けてみてはどうだろう、そちらの方が断然わくわくするではないか。そんなメッセージを感じる。だから(みんなの研究)と題名に入っているのだと思う。小さなことでも自分で疑問に思うことを「見つけて、考えて、調べて」みる。もしその疑問に答えがなくても、自分の知らなかったことを明らかにできたら、それはあなたの「研究」だよと。私もそんな風に子どもたちに伝えられたらと思う。

 

  <いきいき里山・山里ものがたり>

 

「ジャーナル友」の皆さん、2023年も始まりました。私は野菜造りの傍ら、花の栽培を生業としてきました。今は、ビニールテントの中で植物園のように温度管理や肥料にいたるまで、AIの機械がやってくれます。祖父母の時はそうではありませんでした。今は人の手間も簡素化されました。販路の心配もすることはありません。心配は、電気、燃料費、肥料の高騰です。

私も家内も自分のビニールテントでない、小さな花畑で、鍬で土を掘り、種や球根を植え、朝晩、水をやり、成長を楽しんでいますが、土に触れ、小石に当たり、虫に出会い時、不思議ですが何とも言えない安堵感があるのです。咲いた花にきれいに咲いたね!と言葉をかけている時が何とも言えない生き甲斐です。それがあるから、今日もテントの中で花を生育を観察できるのだと、汗して働いて、神様に感謝しています。  愛知県 T・Mさん


世田谷通信(232

猫草

 

 近所の東宝撮影所の建屋の壁面に巨大な2つの絵が描かれている。1枚は「七人の侍」、もう一つは「ゴジラ」だ。このゴジラは道路から見えるので、よく写真を撮っている人がいる。撮影所の入口にも2mぐらいのゴジラが立っており、こちらも撮影スポットになっている。

 さて、ゴジラ関連の映画は多々あるが、私がちゃんと観たのは「シン・ゴジラ」である。最初から最後まで観て、感嘆してもう一度。さらに「巨災対」ロゴ入りカップまで買ってしまった。

 「巨災対」とは「巨大不明生物特設災害対策本部」という、映画の中でゴジラに対抗すべく設置された組織名である。どれほど敵が圧倒的で未曽有の事態でも、漢字三文字に納めてしまうのは略すのと語呂合わせ好きな日本の感覚だと思う。

巨大不明生物というのがゴジラのこと。突然東京湾から現れて、気ままに上陸して街を破壊し、放射能を撒きつつ歩く。その大きさは120mの設定。地球上の生物でその高さはありえないと思うが、災害と言うのは常に想定をはるかに超えるから、それにどう対処するかというテーマなのかなとも思う。そう、これは危機管理の話。この映画にウルトラマンは出てこない。人間の扱える範囲の武器と組織の力でなんとかするしかない。

 まず政府がやることは会議。首相、大臣、官僚が集まって対策の方向性を決める。適応される法律は何で、どの役所がどう動くのか、それが巨大不明生物の襲来であっても、自然災害でも初動は同じ。国内の武器使用がどこまで許されるのか、実行するのは自衛隊か米軍かはたまた国連か。政治的な駆け引きが展開する中、ゴジラは海岸から東京の中心部に向かって住宅地をゆっくりと歩む。

エンターテイメントの怪獣ものだが、政府の混乱と官民一体の知恵、政治の清濁、立場の表裏も見応えがある。自分のお気に入りは東京駅にたどり着いたゴジラを足止めすべく繰り出される「無人新幹線爆弾」と「無人在来線爆弾」攻撃。東京駅の地上ホームは山手線、京浜東北線、中央線、東海道線、東海道新幹線などが乗り入れているから可能ではあるけれど、発想が小学生男子・・。きっと子ども時代、プラレールの線路に怪獣を置いた電車遊びに興じていた人が製作側にいたのだろうなと想像してしまう。

 

 <いきいき里山・山里ものがたり>

 

毎月、この「世田谷通信」を楽しみに読んでいます。地球の7割は海です。でも私たちは陸上で暮らし、野菜やお米など食べ物はほとんどが畑の物と思われていますが、実がそうではなく、海や川の物がとても多いのです。いろいろの魚や貝、ワカメなどその種類の多さに驚くのではないでしょうか。人は心疲れた時、海を眺めて、ひと時を過ごします。遠くに見える大きな船、穏やかな白波に心奪われます。しかしそうでしょうか。私は漁師として働いています。海の底は、自然の豊かさの宝庫です。海藻や小魚、いろいろ棲息している生き物豊かな「海の里山」です。

私は海藻の養殖を生業にしている3代目です。みなさんが口に入る物を届けていきました。今の冬の海の風は冷たく、寒いですが、山から運ばれてきた豊かな栄養物をいただいて生きてきました。漁師になって感じるのは、海の汚れは人間の海の対する無関心さにあるのではないでしょうか、ということです。

里山も大切です。同時に海も大切な神様が御造りになり、それを管理する任を人間に与えられているということを、お覚えくだされば幸いと思い、投稿させていただきました。 

 神奈川県 GSさん


世田谷通信(231

猫草

 

  対面で集まることが制限された代わりに増えたのが「オンライン」。当初はそこまでしなくてもいいのでは?と思っていたが、やってみるとなかなか便利。

 イベントのオンライン配信は必須。病院もオンライン診断。混雑する待合室が苦手な自分にはありがたい。いつもの薬をもらうだけならそれで充分。

 オンライン茶会というのもある。毎週決まった曜日の朝に数人がオンライン上で集い、それぞれお茶を立てて、一緒にいただく。先生から所作のアドバイスや季節のお話なども聞ける。10分程度の簡単な茶会なので気軽に参加できる。

これに参加するときは前日に近所の和菓子屋さんで上生菓子を一つ選ぶ。細やかな季節の移ろいを小さな和菓子に凝縮させる感性にはいつも感嘆する。老舗の和菓子屋さんの相次ぐ閉店というニュースも耳にするが、色合い、形、ネーミングセンス、どれもスーパーやコンビニに並ぶ大量生産のお菓子にはない繊細さで成立している世界が消えていくのは寂しい限り。

 大学のゼミもオンラインが基本で、例えば出張先でもネットにつながれば参加できるメリットがある。

 世田谷の小学校でも全員がタブレット端末を持っていて、自宅でも授業に参加することができる。そう。つまり学級閉鎖になっても授業はあるのだ。誰もいない教室で、先生が明るい声で「みなさん、おはようございまーす!聞こえますかー?」とカメラに向かって笑顔を向けている時がある。直接会えない分、テンション高めでやっていかないと自宅で周囲に誘惑物の多い子どもたちは集中が切れて、飽きてしまうというのだ。国語、算数などの座学はもちろん、体操までオンラインでやっている。通常授業に加え、ライブ配信までこなすとは、ほんとうに先生方、お疲れ様です。

 あきらめるよりオンラインで実現できるのはありがたい。軽々と距離や空間の制約を超えられる。でも、それゆえに一緒の空間を共有することの「確かさ」もまた、しみじみと感じる。

 

   <いきいき里山・山里ものがたり>

  「ジャーナル友」の皆様へ。刈り取られた畑には白鷺や沢山の渡り鳥が餌をついばんでいます。冬の風物詩です。白山山々も雪です。お正月の支度も始めなければ・・・と思っています。主人も健康で畑仕事に励みながら、一年を振り返っています。今年も手作りのクリスマスツリーを作りました。飾り物は子供たちの手作りです。今は子供たちのいない食卓の上に飾ってあります。穏やかな日々に感謝しています。  福井県 IKさん

 


世田谷通信(230

猫草

  東京、文京区に茗荷谷という場所がある。その名の通り、かつてミョウガ畑が広がっていたそうだ。周辺地形は起伏に富み、谷ではきっと湧水で適度に湿っていたのだろう。茗荷坂の一角ではいまも僅かにミョウガを育てている場所がある。

さて、地下鉄茗荷谷駅前の駐輪場奥に丸い柱が見える。「同潤会大塚女子アパートメントハウス」入口ポーチの円柱と中庭の草植鉢だという。建物自体は解体されて残っていないが、建築遺構というわけだ。

同潤会アパートと言えば、青山や代官山のレトロなアパート群としてかつて注目され、老朽化により解体されたという大まかな記憶がある程度だ。「大塚女子アパートメントハウス」は初耳だったので、いくつか本を読んでみた。

まず開設当初の入居条件が「単身、女子、月給50円以上、保証人二人」というハードルの高さ。昭和5年当時にその条件をクリアできる職業婦人はそれほど多くなかっただろう。鉄筋コンクリート5階建て、居室は洋室と和室合わせて150室、鍵付きの個室。男子禁制、家族と言えど男性は内部に入れず面会は応接室を使ったそうだ。地下に80席の食堂が早朝から深夜まで営業し、部屋まで温かい食事を運んでくれるサービスも利用できた。そのため部屋には台所はなく簡易ガスコンロのみ、風呂は地下大浴場、トイレは共同、洗濯は屋上で行う。防音仕様の音楽室には当時非常に高価だったピアノと蓄音機完備、日光浴室にはピンポン台とラジオ、屋上テラスではガーデニングも楽しめた。現在でもこれだけの規模と設備の女性専用マンションなどそうそうお目にかかれない。当時の職業婦人憧れの物件、周囲の注目も高く、雑誌の取材も多かったようだ。目の前が都電の停車場で、交通至便。仕事で遅くなっても暗い夜道を歩かなくて済むという安心感。そして、今では当たり前だが鍵のかかる個室は、独身女性にとって代えがたい居場所だったろう。たとえその部屋が四畳半でも、家賃が相場の倍でも、大人気だったのは頷ける。

とはいえ時代は戦争に突入し、戦況悪化と時代の趨勢の中で当初エリート女性向け高級物件だった大塚女子アパートは、戦後、都営住宅となり低所得単身女性向けへと大きく方向転換する。老朽化の末、2003年、他の同潤会アパート同様に解体となる。今は駅前に丸柱と草植鉢を残すだけだが。街にその場所の記憶は残る。

 

<いきいき里山・山里ものがたり>

岡山県にお住まいの「ジャーナル友さん」がメールを下さいました。

・・・。もう初冬ですね。駅前や繁華街には色とりどりに飾られたショーウインドーの灯かりで華やかです。この時期になりますと各地で市役所の方に苦情が来ている問題がムクドリの被害のようです。夕暮れと共におびただしい数のムクドリが電線や街路樹に群がるための鳴き声や糞の苦情だそうです。ムクドリはひと昔前は「益鳥」として私たちの食生活を支えてきました。農薬を使わない田や畑は虫の害に悩まされ、昔から虫退治(虫追い)の行事やお祭りは各地にあるほどでしたが、その虫を食べてくれたのがムクドリで、歓迎された鳥でしたが、都市化が進み農薬が使われるようになったので、森に住むムクドリは住み家が奪われて、食べ物を求めて街中に来るようになったそうです。ムクドリの住み家の森は狭まり、都会化し、安心して寝入る暗い場所を失い、虫もいなくなると共に、町中に有る食べ物を求めて集まりました。ムクドリは暗い森や安心して寝入ることのできる公園の森も明るい街灯りと車の灯かりで、眠る場所を失ったのが、あの哀れなムクドリなのです。益鳥を「厄介鳥・迷惑鳥」にしたのは私たちなのですね。・・・。

 


世田谷通信(229

猫草

  崖があればその下からは湧水が出るものだ。台地に溜まった水は低い方に排水される。雨水は地面に浸透する。染みこんだ雨水が地下でどう流れるかはよくわからない。よくわからないけれど、自然の排水システムはおおむね理にかなっている。しかし何らかの余分な力が加わってうまく排水されないとき、水を吸い込んで膨張した地面はその形を維持できない。つまり崩れる。子どもの頃の砂遊びはそんな当たり前のことを感覚的に教えてくれる。昨今の公園からは砂場が減っている。猫の糞に媒介されるトキソプラズマ症が心配とか、泥で手や服が汚れるからなど撤去の理由はあるのだろうが、子どもたちから砂と水が教えてくれる貴重な体験を取り上げてしまうのはいかにも残念だ。

 この世田谷、成城で近所の人たちが里山と呼んでいる場所は、国分寺崖線の一角にある。崖下からは何か所か湧水が出る。その場所は一様ではない。谷は少しずつ開析されて奥に移動しているし、大雨が続けば新しい水の道ができる。

 人が通る場所だと雨のたびに足元がぬかるんで歩きにくいので何とかしようという話になる。とは言え、緑地内の遊歩道なので舗装はできない。じゃあ簡略な水の道、排水路を作ろう。穴を掘って、竹を半割にして並べ、竹の枝を伐ったのを被せて、雨のあともあんまり泥んこにならない程度に補修する。木杭を何本か打ってみたこともあるがさほど長持ちしなかった。今回もやがて溝や竹に土砂が詰まる。要は応急処置、でも里山保全のベテランさんたちは「そんなもんだ」と言うのだ。

完全にその湧水の流れをコントロールしようとするなら崖をがっちりコンクリートの擁壁で覆い、排水パイプを打ち込むことになる。かくして人間に都合の良いインフラができあがるが、植物やそこに暮らす生き物にとって水の流れは生命線。自然と共存し、人間はあまり不便のない程度に補修するなら、里山的にはその場しのぎがよいということだ。

自然の中にいると、物事は流動的だし、圧倒的な時間と質量でごくゆっくりと動いていることを感じることができる。真っ白なスニーカーや華奢なサンダルで緑地内を散策して足元が泥まみれになっても自己責任。自然の恵みを享受したいならそのルールに従うべきで、お洒落で快適なアウトドアなんて矛盾と幻想だと思う。いささかの不便と不快をおおらかに楽しめばよい。

<いきいき里山・山里ものがたり>

⊛ コロナ禍の制限から解放されて6年振りに帰国しました。飛行機から見る日本 

の風景に改めて感動しました。主人の仕事はインドネシアで政府機関で農業技術指導などを専門にしおりまして、資料として山深い農家の写真を見たり、時には車に便乗して直接皆さんとの会話の中に入れていただくことがありました。険しい田畑で、山全体が棚田でした。狭い水田ですから機械より人手の方が能率的ですねと、家族全員、村全員での農作業で、昭和の日本の農家の様子を祖母から聞いていましたので感慨深いものがありました。農薬を使わないので水田には生き物が沢山いて、虫たちも空に舞っています。どの家も開放的で戸締りなどありません。網戸など一つもありません。鶏は放し飼いで動き回って虫を食べるためにあちこち動き回っています。今、東京のマンションで冷房の部屋で過ごしていますが、息が詰まりそうです。私たち夫婦は、母譲りの「つのぶえ・つのぶえジャーナルファン」ですよ。  東京都  TTさん

⁑この投稿文はTTさんが仕上げてくださいました。感謝です。編集子


世田谷通信(228

猫草

  晴れの日はもちろん、雨でも風でもほぼ毎日、電動自転車に乗っている。大雪や路面が凍っているときぐらいは控えるけれど、歩くより膝に負担もかからず、買い物荷物が増えても前後のカゴでたくさん運べる。国分寺崖線の坂道も上手にルートをとればよい。良く知っている道をゆっくり移動する。駐輪場の場所や空き具合もわかっているので停める苦労も少ない。駅前で婦人警官の方々が自転車の人にティッシュとチラシを配っていた。「自転車による事故が増えています、どうぞ安全運転で」と私も声をかけられた。言われずともサドルは一番低くて、スピードは出ない。ジョギングしている人ぐらいかなと思う。何よりすぐに止まれて、安定していることが優先。電動自転車は車体が重い上に、前後に荷物も載っているので、もし転倒したら大変なのだ。今転んだら間違いなく捻挫、いや骨折する自信がある。

免許は更新していても、もう30年ほど車は運転していない、何度か「ペーパードライバー講習」に行こうかなと思っては、必ず交通事故の夢で飛び起きて「やっぱりやめよう」と思う。たぶん自分のコントロールを超えた速度が怖いのだ。バスや電車は大丈夫なので、自分を信用していないとも言える。

 私ののろのろ自転車と比べると同じ乗り物と思えないほどに速いのがロードバイク。世田谷通りの長い下り坂を車ぐらいのスピードで疾走していく。赤信号の交差点で止まるときにも足先がペダルに固定されているので、少しタイヤを斜めにして体幹で立っている。タイヤはびっくりするほど細くてフレームも軽そう。乗っている人もレーシングスーツを着て空気抵抗を減らし、軽量化の工夫に満ちている。インターハイなどの自転車競技結果を見ると3kmのコースで優勝タイムは約3分となっている。1km1分、時速60㎞、ええ、ちょっと速すぎませんかそれは。一口にロードバイクと言っても平地が得意なスピードタイプや坂道、登りが得意な人など、役割分担があるらしい。斜度30度以上を激坂と言うそうだが、そんなところもスイスイ登っていく。降りて押してもキツいのに。一体どうなっているんだか。

 私の自転車は荷物運搬、ロードバイクはより遠く早く行くため、同じ交通法規で括ってあるのが不思議なほど差がある。自転車競技の部活かサークルか、数人でぴったり一列に並んで駆け抜けていく後ろ姿をみると、自分の力であんなに速く走れたらさぞ気持ちがいいだろうな、あのペースで何キロ走るのだろう、と思ってしまう。いや絶対真似しないけれど。どうぞ安全に・・。

 

<いきいき里山・山里ものがたり>

先日、もう20年近くなるでしょうか、大学院の有志が近況報告・同窓会を企画してくれて、新幹線で東京まで行ってきました。先輩、後輩合わせて27名が参加していました。お腹の出た人、頭の薄くなった人たちです。それぞれ、第一線で活躍されている人や学生時代の夢の実現を追い求めておられていて頼もしく、誇らしげでした。それぞれが卒業後の報告を兼ねた自己紹介でしたが、苦労はあっても今があることをお話しされ、エネルギーを貰いました。

私の番になり、院を卒業と同時に、父の建築設計事務所で働いてきましたが、卒業祝いにと2年間の留学を許してくれて、学生時代からお世話になっていたフィンランドのルーテル教会の宣教師を頼りにフィンランドの大学で聴講生として在籍しながら北欧の信者さん宅でホームステイーとして受け入れてもらい、家事を手伝いながら学生時代から興味を持っていた好きな木造建築の教会巡りをしていました。驚いたことに北欧の皆さんは本当に音楽好きで、家では幼い子供たち一人ひとりが自分の楽器を持ち、ホームコンサートをされたり、音楽仲間の家族と演奏会をすることでした。そのような日々の中で、主人と出会い、結婚しました。主人も建築家志望で意気投合、私の故郷に来てくれまして今も一緒にそれぞれの仕事をしています。特に、日本の木造建築に興味を持ち、今は、放置された建物の再生活用を仕事の傍ら考えていて、安く手にいれて、手を加え、それを北欧の友人が日本旅行の宿泊の場に無料で提供して、もう10年以上になります。

また、地域の方々には、ミニコンサートや朗読の会、ママさんコーラスの練習会場や発表の場に活用していただいております。教会の行事や地域の教会員の集まり会にも利用していただいております。

「世田谷通信の猫草さん」の活動も何時も素晴らしいと思いながら読ませていただいております。同じ世代かな???なんて思っています。

そのようなことを、お話ししたら、相変わらずの乙女さん?だねと言われて、内心にやにやしていました。  大分県 TTさん

長いお便りでしたが、このような形で、了解を得て紹介させていただきました。(編集子)


世田谷通信(227

猫草

 しばらく歯医者に通っていた。なんとなく奥歯が痛く顎の下が腫れておたふく風邪と診断されたこともあった。そこで歯医者で診察を受けると、歯を噛みしめている時間が人より長いと言われる。人間は通常、上の歯と下の歯は接しておらず、少し開いているもので、何かを噛むときだけ力がかかるそうだ。ところが私は口の開きが狭いのでずっと上下の歯がくっついており、それが感染リスクを拡大している。できるだけ口を大きく開けても4.5㎝。そこで1310秒間大きく口を開ける練習をしてくださいと言われる。それから日常生活の中で口を大きく開ける練習を続けて2か月、5.8㎝まで開くようになり、顎関節の痛みもなくなって、めでたく経過観察となった。

 ところが同僚は「逆です」と言うのだ。その方はずっと口が開いたままで顎が外れやすく、歯医者からは口が開きっぱなしだと乾燥や感染リスクが高いと言われると。なるほど、口も関節も骨格もみんな違う、悩みも違うのか。

 別の方から、最近足を骨折した話を聞いた。若いころと違って高齢になるとなかなか骨がくっつかず、回復に時間がかかるが、医者から処方されたビタミンD錠剤で改善したと。牛乳やヨーグルトを食べる習慣があっても、それだけでは新しく骨を作るための要素が不足していたようだ。

 小学校で子どもたちのツヤツヤな肌と髪をみていると、自分とだいぶ成分が違っているなと思うが、年齢を重ねたら仕方ないと思っていた。人は食べたもので構成される、そして同じものを食べていても吸収、分解、再構成する力は衰える。何が不足し、どこが衰えているかは、単に年齢ではできなくて、人によってさまざまなのだと思う。機械と違って部品交換はできないが、自分を構成する栄養素に偏りがないように、自身の状態に気をつけなくてはと思った。

<いきいき里山・山里ものがたり>

   「世田谷通信」7月号を読んで、反省している私。何もかも値上げ・・・と悲鳴が聞こえてきますし、叫んでいる一人が私でもあります。しかしスーパーには安いのに不ぞろいな野菜物があってもそれを嫌い、多くの人の手といろいろな経費をかけているのに、不ぞろい品を嫌い高いと言いながらそれを求めてしまう私。整った野菜も、下手な私の包丁さばきや味付けで、見事に変身するのです。でも台無しにしている私、そういえば、思い出すのは、母は、ここは一番おいしく栄養があるのよねと言って、野菜の根をきれいに洗い、刻んで料理していた姿、今は、野菜に根がなく、きれいに包装されている。ここにも人の手がと思わされた私。そのようなことを気づかせてくれた「猫草」、ありがとうございます。  埼玉県 KKさん

   太鼓の音に子供たちのはしゃぎ声は、昔も今も変わりがありませんが、最近若い女性の浴衣姿が多くなりました。踊りの輪にも参加者が多くなりました。団地にお住まいの方がふるさとのお祭りを思い出し、お子さん連れで参加するようになりましたし、外国の方も目につくようになりました。金魚すくいやお面のお店も見ることができます。そんな下町の姿が懐かしいです。

 ⁂ 皆さんの投稿を歓迎いたします。


世田谷通信(226

猫草

里山農園というのが近所にできて、月に一度お手伝いにいっている。園芸の先生が色々な野菜、花の苗を用意して、植え方のコツや品種の特徴なども教えてくれるので、動きやすい服装だけで参加できるのが魅力だ。

 先生の指示通りに雑草を抜き、野菜を収穫し、肥料を入れて畝を作り直し、また苗を植える・・と受け身だったのが、最近は参加メンバー間の顔見知りも増えてきて、うちの苗ですが植えていいですか・・と持ち寄ることや、採れた野菜がたくさんあるのでおすそ分け、という機会も増えた。

 そうなのだ、私は単純に労働力の提供と野菜づくりのノウハウを知りたいと思って参加しているが、自宅の庭で野菜や花を育てて何十年のベテランたちも少なからず混ざっているのだ。自分でできるなら、わざわざ来なくていいじゃないかと思うのだが、自分だと毎年同じことの繰り返しになってしまう、自己流なので先生に教えてほしい、珍しい品種や新しい有機肥料、最新の自然農法での害虫対策が学べるから、というのだ。なんて志の高いことか。そして自前の道具類を持参している方も多いことに気が付く。

私がスギナの根っこに苦戦しながら移植ごてで除草していると、隣にいた高齢の男性が、「これ使ってみな」と道具を貸してくれた。10cmほどの木の柄の先に先の曲がった金属のフォークのような物がついている。スコップで深く土を掘り返してから、その道具を使うと面白いようにすいすい根っこだけがとれる。「これすごいですね、何ですか?」と聞くと、潮干狩り用の熊手だという。アサリやハマグリを採る、あれだ。

 そう思ったら、向こうで竹を組み合わせて器用にトマトの支柱となるパーゴラを作っている。ミニトマトの苗はちょっとだけ寝かせて植え、根のない方に支柱で誘引するとしっかり育つという豆知識も教えてもらった。

 そんなベテランガーデナーたち、「毎年、土も雨も気温も違う。同じようには収穫できない」と口をそろえる。当たり前のようにスーパーマーケットで野菜を買う、その裏で生き物を育てる工夫と苦労を感じなくてはと思う。

  <いきいき里山・山里ものがたり>

   東京の世田谷にも、里山活動なんて・・・・と不思議に思いながら、毎月「世田谷通信」を楽しみにしている奈良でパートしながら子育てしています。仕事に疲れ、何もかも放り出したくなる私ですが、不思議とパソコンで「世田谷通信」をアップして読んでいます。家の周りは水田とビニールハウスの風景ですが、裏山を「里山・山里」なんて、見たことはありません。自然がまぢかにあるのに、何の興味もなく過ごしてきましたが、園で子供たちに、花に水やりをする係になり、苦手な虫にも触れるようになりました。少し成長しているよね、」とニヤリとする時もあります。頑張ります。これからもよろしくお願いします。  奈良県 2児の不器用ママ

 

    

 


世田谷通信(225

猫草

顔を合わせての活動というのが制限されるようになって久しい。もはやそれが当たり前のような生活になっている。子どもたちの給食も「黙食」で教室は静かだ。でも一緒に食べるのは楽しいことだし、毎日のメニューも気になる。その日のメニューは子どもたちが食べる少し前に各階のプラスチックケースに配膳見本が置かれるのでわかる。手洗い場の横に来てはかわるがわる、たくさんの子どもたちが時に歓声を、苦手なものだとがっかり、新しいメニューだと好奇心いっぱいの表情で眺めていく。

自分の子どもの頃を思い出すと、主食はほとんど食パン、たまにコッペパンや揚げパン。袋に入ったソフト麺というのがあった。クジラの竜田揚げもうっすら食べた記憶がある。そういえば、「スラッピージョー」というのがメニュー表に載って、何だ?と教室中がざわめいたことがあった。当時そんな名前の食べ物は誰も知らなかった。わくわくしながら当日を迎えると、ひき肉とトマトと玉ねぎを炒めたもので、パンに挟んで食べるおかずだった。誰かが「ミートソース・・」と呟いて、全員が「だよね」と思った。

それに比べると、今どきの給食の美味しいこと、多彩なこと。横文字メニューも多い。主食だけでも麦飯、パスタ、ラーメン、焼きそばに赤飯もでる。パンも揚げパン、ハンバーガー、ココアビスキュイパンなんてお洒落なのもある。

食物アレルギーのある児童には毎回アレルギー除去食が出される。職員室には毎日各教室から電話があって、その度に副校長先生がアレルギー一覧表を確認している。

自分が子どもだった時代にも食物アレルギーの子はいただろうに、そんな丁寧な配慮はあっただろうか。出されたものはとりあえず残さず、好き嫌いなく全部食べろ!という感じだった気がする。牛乳が苦手でどうしても飲めなくて、それでも許されず、毎日掃除の時間まで俯いて教室の隅で牛乳瓶を前に固まっていた子がいたのは覚えている。さぞ苦痛だったことだろう。自分も牛乳瓶のぬるっとした感触が嫌いで、仕方なく飲んでいた。牛乳大好きは少数派で、苦手な気持ちはみんな多少なりともわかる。だけど、我慢が美徳で、多数が正義で、先生は絶対だったから、どうすることもできなかった。

数年前まで世田谷区も牛乳瓶だったが、今は四角い紙パック&ストローだ。職員室では「私これ苦手。いらない。」と言って牛乳を飲まない先生もいる。それを咎める人は誰もいない。それだけでも時代は変わったのかなと、少しほっとする。

 <いきいき里山・山里ものがたり>

  「世田谷通信」さんのお花の写真の紹介と感想で、それまで花などには殆ど興味を示さなかった主人が、お花の図鑑を買って来たり、狭い庭に鉢植えの花を買って来て朝晩水やりをしています。テレビの「XX園芸」を録画して何度も繰り返し見ています。今は12鉢ですが、これから多くなるでしょう。無趣味?から少し成長した主人が素敵ですよ。少し褒め過ぎかも?!      

愛媛県 OBさん

    

6月号の写真の紹介をさせていただきます。…猫草…  

 ⁑ 近くの河川敷でヤマグワが実をつけていました。塾せば野鳥のご馳走になりますよ。

 ⁑ カタバミの中でも派手な色で群生しとても華やかなのに、名前がイモカタバミで可哀想?です。

 ⁑ シロダモの若い葉は白っぽいので、この時期は林の中でもよく目立ちます。それにしても「ダモ」って何でしょう?

 ⁑ アズマネザサを放置するとあっという間に成長しますが、毎年丁寧に刈って斜面に光が入ると春に綺麗な野草が咲きます。頑張ったご褒美みたいな気がします。

HOMENext ≫
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]