2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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(113)
猫 草
近所で大規模なプロジェクトが進行中である。高速道路を川の地下に作るらしい。確かに川の地下ならある程度まっすぐなラインが確保できる。
でも、川の生態系はどうなるの?そんなときに登場するのが「環境アセスメント」である。大規模開発によって環境がどのような影響を受けるのか事前に評価するというもので、一定規模以上の開発には義務付けられている。当然、今回の道路建設にも適用される。というか、もう調査結果は出ている。「環境への大きな影響はなし」と。だから建設が許可されているのだ。
で、影響は本当にないのかな・・?と毎朝次男の送迎で川沿いを通るたびに工事を眺めている。川の水は完全に干上がっている。巨大なポンプで上流の流れを遮断し、バイパスして下流に流しているからだ。その上で草木を完全に撤去し、コンクリとテトラポットで護岸工事をしている。かつて数ヶ月前までそこに居たさまざまな生物、ひなたぼっこの亀、真っ赤なザリガニ、巨大なコイ、その他諸々の昆虫、多種多様な水鳥、あの宝石のようなカワセミも、優雅に足を運ぶ白鷺もいない。河口から飛来したユリカモメ達もうろうろした挙句、編隊を翻してどこかに飛び去った。それらは現在、すべて根絶している。
これが「生態系の維持には最大限に配慮し、環境を守りつつ工事を進める」と謳ったことの現実の姿。このあと、もう一度コンクリの河床の上に土を入れ、草が生え、生き物が戻るのにいかほどの時間を要するのか?
・・それでもいつか従前の姿に戻るのでしょう。なぜそう言えるのか?それは一度昭和40年代に同様の工事をしているからだ。当時の工事写真は現在とまったく同じ状況。つまり従前に「自然」と呼んでいたものは既に「人工的な開発の結果」であったわけである。
「開発は自然からの収奪ですから、どうしたって環境に少なからず影響はあります。人間の活動とは本来そういうものなので、それでも利益を享受したいなら、多少の犠牲は覚悟してください。」影響は無いなどというよりも、いっそそう言ったほうが清清しい。
絶滅危惧種が居たわけでなし、人間で例えたら引っかき傷程度の影響なのだろう。しかし、この季節の川原には、いちめんの菜の花の黄色とハナダイコンの紫が鮮やかなコントラストで彩っていた・・、という記憶の引っかき傷は、ちっとも癒えない。
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(112)
猫 草
ようやく長男の高校受験が終了した。第一志望に合格し、ほっとするのも束の間、春休みには新しい教科書と共にどっさり宿題が渡される。そして入学後最初のイベントは新入生テストである。そう、高校入学は大学受験へのスタートラインに立ったよ、という意味だから。
厳しくて結構と思う。追い込まれてやっと本気が出るというもの。明治生まれの祖母は「人間は一生勉強だよ」と言っていたが、平成二桁生まれの子供たちは諸々お膳立てしないと動かない。予定調和と便利に慣れた、非常に合理的なこの人達は「ゆとり世代」の次で「さとり世代」といわれるそうだ。自分たちの将来にも、世の中にも過度な期待を持たない。といって絶望するわけでもなく「所詮こんなもんでしょ」と悟りきっているそうな。
本当に「こんなもん」なのか、甚だ疑わしい。と、かつて「新人類」と呼ばれた世代の私は思うのである。社会も経済も不確実性と脆弱性に満ちている。ひとつバランスが崩れたらドミノ倒しが起きる、けどぎりぎり起きない、そんなバランス。インターネットや金融、交通、インフラ、物流すべての巨大システムが複雑な相関を持ち、とりあえず「こんなもん」的な楽観主義のもとに成立しているだけだ。
テロや戦争が起き、大災害が起き、新型ウィルスが発生し、ひとたび「想定外」が起きるたび、私たちは思うのである。「意外と駄目じゃん」「何んにもわかってないじゃん」と。そして誰か責任あるように見える人達の「事態を重く受け止め」「再発防止」「不測の事態に備え」との一連の言葉と陳謝が続き、本質的な部分は置き去りに、せっせと修復が進むのだ。
大体、地表自体がミカンの皮より薄い土壌であり、その下はてんでばらばらな方向へと動く大小のプレート。その上にびっしりくっついた人間。果敢に天然ガスだ、石油だと地下を採掘している、その下には太陽の表面温度と同じ6千度のマグマ。上空をみればわずか100km程度の大気圏。その薄いベールのような空気の層の中で、大気汚染だ、二酸化炭素だ、オゾン層だと騒いでいる。その外は真空にして無限の宇宙。
「こんなもんだ」と明日の平和を信じられるのも、「こんなもんか?」と明日に漠然とした不安を抱くのも、巨大なミカンの皮に乗った蟻の思いだ。そして世界のバランスを保つのは正体不明で少数精鋭の地球防衛軍ではなく、圧倒的多数の善意の集合体であると信じたい。
(111)
猫 草
人間はびっくりするほど毎日同じ行動を繰り返している・・。こんな文章を目にした。本当に。と思う。たぶん私の大半はルーティンワークだ。そして1週間、1ヶ月、1年間という単位でもそう。去年と同じ時期に髪を切りに行ったり、病院へ行ったりを繰り返していると思う。10年日記をつけていれば一目瞭然だろうが、よし今年こそ日記をつけましょう!と思うのが毎年だいたい1月で終わりだ。文具店で綺麗な日記帳が半額になるのがこの時期で、安さに惹かれつい買って、1,2週間でもう忘れ、後半11か月分が電話メモになるのも恒例。
たぶん、こういうことだから進歩も進化もないのだろう、よーし今年こそ資格に挑戦だ、と本屋さんで「漢検」だ「ペン字」だ「英会話」だ「中国語」だ、とテキストを買うのが毎年3月ごろ。新講座が始まるから、やってみたくなるのだ。そして自分の本棚の各種NHK講座4月号(だけ)をみて、いい加減にしようとしみじみする。
というわけで、いつもとちょっと違うことをしてみる。ハンドクリームの桜の香りが気に入ったので顔にも塗ってみた・・(ただの面倒くさがり?)そうしたらなんだか肌の調子がよいのである。そりゃ手と顔、どっちも同じ皮膚なのだし、むしろ手のほうが水仕事で酷使されている。それがしっとりするのだから顔に効かないわけがない・・とは後から思うこと。そんなことさえ「顔には美容液を塗らねば」の思い込みがいけないわけだ。もう今後はハンドクリーム一本で行こうと思う!ああ、なんて、ささやかな変化でしょう・・。
そうはいっても、有無を言わせず変わっていく部分もある。毎年真っ白なハンカチのようなコブシの花を満開に咲かせていたご近所の家は更地になり、地面はアスファルトに覆われ、「予定地」の掲示とフェンスで囲われている。道路の建設とかで用地買収が本格的に始まったのだ。年末からあちらこちらの家が引っ越し、取り壊され、みるみるうちに空き地が増えた。毎日ひなたぼっこしていた白黒猫も、通りかかるときゃんきゃん吼えた小型犬ももういない。やたらと工事車両ばかりが目立つ。
どうなっていくのだろう。便利に暮らしよくなる変化と素敵な明日が待っているのだろうか?それとも・・?自分は年年歳歳たいして代わり映えのしない日々を送っていても周囲はどんどん流れていく。毎年変わらず繰り返されてきた風景がひどく懐かしく思われるのである。
(110)
猫 草
寒くなり、木々の葉も落ち、なんだか無彩色な風景になると、せめて花壇に鮮やかな色彩が欲しくなる。寒さに強い植物もいろいろ店頭に並んでいるので、そろそろ植え替えだな・・とプランは頭を駆け巡る。しかしその前にやるべきこと。枯れかけたコスモスや伸び放題の千日紅、くすんだ色合いのケイトウの処分である。この作業はいつも気が重い。
ガーデニングというのは自分の好きなように植物を配置し育て、いわば小宇宙を形成できる。これをこっちに、あれをあっちに、生殺与奪の権利はこちらにある。仮に失敗してもだれが文句を言うわけではない。丁寧に世話をすればそれだけ理想に近づく。
とはいえ、どんなにプロセスを頑張ったとしても、最終的には植え替えとなる。そのたびに「あーあ、また葉っぱも病気、つぼみのまま枯れて、ひょろひょろ茎だけ伸びてバランス悪い・・」と思いつつ、まだ生きている植物を引っこ抜く。根っこは必要以上に元気なのに滅入る。そのまま捨てるのは辛いので駐車場脇の10cmほどの細長い地面に穴を掘って植える、いや埋める。日当たりは悪いし、そこに植えたら基本的に手入れしないので、単なる責任の先送りである。とはいえ地力を得て奇跡的な復活を遂げることも稀にあるので一縷の期待はかけている。
そして空いたプランターのために、性懲りもなく新しい植物群の夢想を始めるのだ。本来は古い土は全部ふるいにかけて入れ替えるべきだが、面倒なので半分ぐらいかき混ぜて良しとする。もしこんなオーナーに向かって植物が話しはじめたら?何を言われるか想像するだけでぞっとする。例えば、紫と黄色のビオラ。あのパタパタした花、小さい声で一斉にきゃらきゃら話しそうな気がしませんか?「ねえ、こんな場所で無理なんですけどー、前の根っこが残ってるしー、肥料足りないしー、日当たり悪いしー、水忘れるしー、で、時々やりすぎるしー、枯れた葉っぱとかも気が向いた時しか手入れしないしー、基本ずぼらっていうかー、何様ーって感じ~?」みたいな。いや、植物の声が聴こえなくて本当に良かった。
次はもう少し長く咲かせよう、多年草で丈夫な品種なら春まで持つかも。学習しないまま次の季節の美しい姿を思い描けるのは、素人ガーデナーの甘え。誰にもとがめられない気楽さである。儚いのは承知だが、スクラップ&ビルドは世の常と割り切ろう。だって次の構想を練る時が一番楽しいもの。さあ寒空を明るくするような紅白ピンクのガーデンシクラメンをたくさんと紫のグラデーションが華やかなハボタン、小さなコニファーやアイビーで緑も添えよう。一緒に小さなウサギとリスの置物も飾ろう。箱庭のような世界を構築する瞬間はささやか。でもままならぬことの多い日常の中での確かな現実である。「幸せ」や「夢」と呼んで差支えないと思う。
世田谷通信
(109)
猫 草
少し寒くなると合唱がよく似合うシーズンという気がする。学校での合唱祭も秋に開催されるようだ。まあ、あまり暑くても寒すぎても声が出しにくいだろうし、妥当な判断と思うが、その時期には校舎のあちこちからコーラスの歌声が響いてくるので、近所を通りかかるだけでなんだかうれしくなる季節でもある。子供の澄んだ声で「呼びかけよう名前を 素晴らしい名前を ビューティフルネーム」なんてフレーズが聞こえると思わず微笑んでしまう。
最近のNHK合唱コンクールの課題曲は有名なミュージシャンが作曲したり、人気の作家、詩人が作詞することもあり、話題性十分、例年名曲揃いである。
今年の中学校の部「FIGHT」をご存じだろうか、「頑張れ 頑張れ 命燃やして 続く現実生きてゆく。頑張れ 頑張れ 限りある日々に・・花を咲かせる。」こうして歌詞を文字だけで追うと、いたってシンプルな言葉だが、メロディがついて、しかも中学生が真剣な表情で歌っているのを聴くと、もう鼻の奥はツーン、目の奥はジーン。慌ててティッシュを探しつつ、ちょっとその攻撃は反則でしょう?というぐらいツボにはまる。まさに歌の力だと思う。
古今和歌集の仮名序に「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」とあるように、人の心から発する言葉は他人の心を共振させ、影響と感化の作用を伴いながら伝播する。たくさんの歌、たくさんの言葉、たくさんの映像、たくさんの経験、たくさんの本、それらを浴びるように通過させ続けていくと、やがて人の内面には海のようなものができる。その海には知識の断片や体系化されない様々な情報が、かつ消えかつ結びて、心にうつりゆくままにたゆたっている。その情報はその人が生まれてから死ぬまでに獲得した海であり、後天的獲得形質は引き継がれないゆえに、その人独自の財産としてその人と共に朽ちる運命にある。業績や発見や成果として後世に何か残ったとしても、それはその人の海から生まれた真珠の一粒が目に見える形として現れたにすぎない。
行き交う人々はそれぞれ内面に深い海を抱えて歩いている。毎日十分に頑張っている人にさらに「がんばれ」というのはその人を追い詰めることにもなる、とカウンセリングの世界では言われたりする。それは「がんばれ」という他者の概念を伝えようとするからだ。しかし「頑張れ 頑張れ」と歌が聴こえるとき、聴覚から入ったイメージは、その人の海を刺激し、表面をきらめかせる働きをし、心をゆり動かす。やまと歌の醍醐味である。
(109)
猫 草
少し寒くなると合唱がよく似合うシーズンという気がする。学校での合唱祭も秋に開催されるようだ。まあ、あまり暑くても寒すぎても声が出しにくいだろうし、妥当な判断と思うが、その時期には校舎のあちこちからコーラスの歌声が響いてくるので、近所を通りかかるだけでなんだかうれしくなる季節でもある。子供の澄んだ声で「呼びかけよう名前を 素晴らしい名前を ビューティフルネーム」なんてフレーズが聞こえると思わず微笑んでしまう。
最近のNHK合唱コンクールの課題曲は有名なミュージシャンが作曲したり、人気の作家、詩人が作詞することもあり、話題性十分、例年名曲揃いである。
今年の中学校の部「FIGHT」をご存じだろうか、「頑張れ 頑張れ 命燃やして 続く現実生きてゆく。頑張れ 頑張れ 限りある日々に・・花を咲かせる。」こうして歌詞を文字だけで追うと、いたってシンプルな言葉だが、メロディがついて、しかも中学生が真剣な表情で歌っているのを聴くと、もう鼻の奥はツーン、目の奥はジーン。慌ててティッシュを探しつつ、ちょっとその攻撃は反則でしょう?というぐらいツボにはまる。まさに歌の力だと思う。
古今和歌集の仮名序に「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」とあるように、人の心から発する言葉は他人の心を共振させ、影響と感化の作用を伴いながら伝播する。たくさんの歌、たくさんの言葉、たくさんの映像、たくさんの経験、たくさんの本、それらを浴びるように通過させ続けていくと、やがて人の内面には海のようなものができる。その海には知識の断片や体系化されない様々な情報が、かつ消えかつ結びて、心にうつりゆくままにたゆたっている。その情報はその人が生まれてから死ぬまでに獲得した海であり、後天的獲得形質は引き継がれないゆえに、その人独自の財産としてその人と共に朽ちる運命にある。業績や発見や成果として後世に何か残ったとしても、それはその人の海から生まれた真珠の一粒が目に見える形として現れたにすぎない。
行き交う人々はそれぞれ内面に深い海を抱えて歩いている。毎日十分に頑張っている人にさらに「がんばれ」というのはその人を追い詰めることにもなる、とカウンセリングの世界では言われたりする。それは「がんばれ」という他者の概念を伝えようとするからだ。しかし「頑張れ 頑張れ」と歌が聴こえるとき、聴覚から入ったイメージは、その人の海を刺激し、表面をきらめかせる働きをし、心をゆり動かす。やまと歌の醍醐味である。
世田谷通信
(108)
猫 草
先日、友人と一緒に東京駅方面行く用事があり、「ついでだから、新しくなった東京駅見ていこうよ!」と丸の内側の駅舎に向かった。一歩、足を踏み入れてびっくり!ものすごくたくさんの人々が全員上を見上げて、手をかざしていたのだ。手に手にケータイ、スマホ、デジカメが握られている。つまり、みんな腕を伸ばしてドームの写真を撮っているわけだ。
復元された東京駅丸の内側の駅舎ドームは広々とした吹き抜けで、白い丸天井から延びる柱が流麗なラインを描き、美しいレリーフに縁どられている。まるでヨーロッパのお城の建築のような、でも干支のレリーフがちょっと和風の味付けで親しみを感じる。
そのまま、日本橋方面に歩くと日本銀行本店が見えてくる。この石造りの荘厳な建物も、東京駅と同じく辰野金吾設計になるものだそうだ。緑の屋根に丸いドームがあり、周囲にはレリーフ。確か日銀大阪支店も同じようなデザインだったはず・・さてはこの人、かなりのドーム好き?
そもそも明治期にこんな洋風の建築物が東京の中心部に設計されたのは、ひとえに明治政府の大胆な人事あってのことだろう。お雇い外国人教師ジョサイア・コンドル氏が工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)の教授に招聘されたのはなんと24歳の時というのだから、驚きである。学生とほとんど大差ない若さではないか。そして彼と、辰野金吾をはじめとする弟子達が日本各地に美しいゴシック様式の建築物を設計していく。
すごいなあ、と感嘆する。丸の内、日本橋界隈の高層ビル群に埋もれるようになってはいてもその明治期の建築物の重厚さと存在感は圧倒的なのだ。世界に対して胸を張るような強い意志が感じられるような気がする。翻って自分はどうなんだろう?何か胸を張れるような気持ちがあるんだろうか。常に周りを気にして、方々に気を使って、取りこぼしのないように先回りして・・。それは協調性や順応性という大事なことだと承知はしているし、日本的な美徳ではある。けれど、ちゃんと自分の意見を言わないことの上手な言い訳にも使えることをちゃっかり知ってもいるのである。突き抜けて明るく高い東京駅のドームになんだか気後れする。
(108)
猫 草
先日、友人と一緒に東京駅方面行く用事があり、「ついでだから、新しくなった東京駅見ていこうよ!」と丸の内側の駅舎に向かった。一歩、足を踏み入れてびっくり!ものすごくたくさんの人々が全員上を見上げて、手をかざしていたのだ。手に手にケータイ、スマホ、デジカメが握られている。つまり、みんな腕を伸ばしてドームの写真を撮っているわけだ。
復元された東京駅丸の内側の駅舎ドームは広々とした吹き抜けで、白い丸天井から延びる柱が流麗なラインを描き、美しいレリーフに縁どられている。まるでヨーロッパのお城の建築のような、でも干支のレリーフがちょっと和風の味付けで親しみを感じる。
そのまま、日本橋方面に歩くと日本銀行本店が見えてくる。この石造りの荘厳な建物も、東京駅と同じく辰野金吾設計になるものだそうだ。緑の屋根に丸いドームがあり、周囲にはレリーフ。確か日銀大阪支店も同じようなデザインだったはず・・さてはこの人、かなりのドーム好き?
そもそも明治期にこんな洋風の建築物が東京の中心部に設計されたのは、ひとえに明治政府の大胆な人事あってのことだろう。お雇い外国人教師ジョサイア・コンドル氏が工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)の教授に招聘されたのはなんと24歳の時というのだから、驚きである。学生とほとんど大差ない若さではないか。そして彼と、辰野金吾をはじめとする弟子達が日本各地に美しいゴシック様式の建築物を設計していく。
すごいなあ、と感嘆する。丸の内、日本橋界隈の高層ビル群に埋もれるようになってはいてもその明治期の建築物の重厚さと存在感は圧倒的なのだ。世界に対して胸を張るような強い意志が感じられるような気がする。翻って自分はどうなんだろう?何か胸を張れるような気持ちがあるんだろうか。常に周りを気にして、方々に気を使って、取りこぼしのないように先回りして・・。それは協調性や順応性という大事なことだと承知はしているし、日本的な美徳ではある。けれど、ちゃんと自分の意見を言わないことの上手な言い訳にも使えることをちゃっかり知ってもいるのである。突き抜けて明るく高い東京駅のドームになんだか気後れする。
世田谷通信
(107)
猫 草
小学校で一人の先生がビニール袋の端を持って職員室に戻ってきた。ちょうど居合わせたので覗いてみると、大きなタマムシが入っている。キラキラと緑に輝く背中はまさに碧玉の美しさ。「わあ、すごいですね、どうしたんですか?」と聞くと「そこの昇降口に居たって、生徒が持ってきたんだよね・・」と先生はちょっと困った顔。どうやら虫関係は苦手の様子。
ついおせっかいが顔をだし、「この子、何を食べるんでしょうね、たぶん木の葉っぱだと思うけど。樹種がわからないな・・よろしければ図書室で調べてきましょうか?」というと「はあ、よろしくお願いします」との返事。顔には「『この子』ってなんだよ?虫は草でいいんじゃないの?」と書いてある。
(いえいえ、先生。大抵のものは消化できちゃう人間と違って、昆虫は結構デリケートなのです。昆虫には草食、雑食、肉食と居ますけど、草食でも木か草か、葉か汁か蜜か樹液かに分かれますし、とにかく限定的、特定のものしか食べない場合が多いのですよ・・。)と変人扱い間違いなしのトリビアは心の中に呑み込んで図書室に戻り、さっそく昆虫図鑑を調べる。タマムシの成虫はケヤキやニレなどの広葉樹の葉を食すと書いてある。そういえば昇降口の近くには大きなケヤキが。きっと、あれでしょう!図鑑を手に職員室へ、途中ケヤキの枝を少し折り取って持参した。
先ほどの先生に図鑑のコピーを渡しつつ説明する。同時にビニール袋に葉っぱと枝を入れてやる。縮こまっていたタマムシは枝につかまるとしばらく考えてから葉っぱをかじりだした。ビンゴ!やっぱりこの木で正解だったんだ。というわけで最近ではめっきり見かけなくなったタマムシは葉っぱとともに高学年の教室で回覧されることになったとか。
翻って考えるに、人間って本当になんでも食べちゃうんだなあと思う。そのバリエーションと貪欲さ、適当さはすべての生き物を凌駕する。世界中から輸入したものでも、農薬がかかっていても、添加物の化学物質でも、遺伝子組み換えでも、わざわざ未知のリスクのあるものを作り出し、よっぽど速攻の毒性がなければとりあえず食べてしまうなんて、人間だけでしょう。しかし食べた結果、本当に健康被害が出ないのかとか将来的に次の世代に引き継がれた場合はどうなるのか、は誰にもわからない。地球全体で壮大な人体実験を日々行っている状態だ。
昇降口のケヤキに居たであろうタマムシはあのケヤキが伐られたら、たぶんもう生きてはいけない。融通のきかなさは命の儚さと同義だ。とはいえどんな手段を講じても生き延びる人間の融通の効きすぎも、同じく命の危うさにつながっている気がする。
(107)
猫 草
小学校で一人の先生がビニール袋の端を持って職員室に戻ってきた。ちょうど居合わせたので覗いてみると、大きなタマムシが入っている。キラキラと緑に輝く背中はまさに碧玉の美しさ。「わあ、すごいですね、どうしたんですか?」と聞くと「そこの昇降口に居たって、生徒が持ってきたんだよね・・」と先生はちょっと困った顔。どうやら虫関係は苦手の様子。
ついおせっかいが顔をだし、「この子、何を食べるんでしょうね、たぶん木の葉っぱだと思うけど。樹種がわからないな・・よろしければ図書室で調べてきましょうか?」というと「はあ、よろしくお願いします」との返事。顔には「『この子』ってなんだよ?虫は草でいいんじゃないの?」と書いてある。
(いえいえ、先生。大抵のものは消化できちゃう人間と違って、昆虫は結構デリケートなのです。昆虫には草食、雑食、肉食と居ますけど、草食でも木か草か、葉か汁か蜜か樹液かに分かれますし、とにかく限定的、特定のものしか食べない場合が多いのですよ・・。)と変人扱い間違いなしのトリビアは心の中に呑み込んで図書室に戻り、さっそく昆虫図鑑を調べる。タマムシの成虫はケヤキやニレなどの広葉樹の葉を食すと書いてある。そういえば昇降口の近くには大きなケヤキが。きっと、あれでしょう!図鑑を手に職員室へ、途中ケヤキの枝を少し折り取って持参した。
先ほどの先生に図鑑のコピーを渡しつつ説明する。同時にビニール袋に葉っぱと枝を入れてやる。縮こまっていたタマムシは枝につかまるとしばらく考えてから葉っぱをかじりだした。ビンゴ!やっぱりこの木で正解だったんだ。というわけで最近ではめっきり見かけなくなったタマムシは葉っぱとともに高学年の教室で回覧されることになったとか。
翻って考えるに、人間って本当になんでも食べちゃうんだなあと思う。そのバリエーションと貪欲さ、適当さはすべての生き物を凌駕する。世界中から輸入したものでも、農薬がかかっていても、添加物の化学物質でも、遺伝子組み換えでも、わざわざ未知のリスクのあるものを作り出し、よっぽど速攻の毒性がなければとりあえず食べてしまうなんて、人間だけでしょう。しかし食べた結果、本当に健康被害が出ないのかとか将来的に次の世代に引き継がれた場合はどうなるのか、は誰にもわからない。地球全体で壮大な人体実験を日々行っている状態だ。
昇降口のケヤキに居たであろうタマムシはあのケヤキが伐られたら、たぶんもう生きてはいけない。融通のきかなさは命の儚さと同義だ。とはいえどんな手段を講じても生き延びる人間の融通の効きすぎも、同じく命の危うさにつながっている気がする。
世田谷通信
(106)
猫 草
どうにも合わない人間というのがいる。考え方の違いというのか、「普通こうするだろう」というポイントがずれているのだ。例えば待ち合わせ。私は遅れてどきどきしたり約束に間に合わないのが嫌いなので、早く行く。しかし必ずギリギリ、或いは遅れてくる人がいるものだ。そういう人とは現地ではぐれてもとても困る。相手がどう行動するかお互いに読めないからだ。もちろんケータイがあるのでその都度連絡をとればいいのだが、電車内や美術館内だったりして通話がはばかられる事態もある。なので「こういう時はこうしようね」「もしこうだったら集合はここね」などと事前に取り決めておくしかない。
仕事でもそう。きっとこの人はこうするだろう、こう考えるだろう、と思ってやったり、或いはやらなかったりすることが裏目に出ることは多い。そうするとお互いに「ごめんね、最初にきちんと確認すればよかったね」と言いつつ、内心はどっちも(普通こうするでしょう?)と思うことになる。
「普通」ってなんだろう。自分の中での価値基準や行動原理だ。それはその人の経験則の中で培われているのだから、その背景が違えば、異なるアウトプットが出てくるのだ。頭でわかってはいても、自分にとって当たり前のことを「私はこうしているんだけど、あなたは?」といちいち確認はしないし、お互いに暗黙のルールがあるという前提がなければ生活も社会も成立しない。顔見知りの日本人コミュニティの中でもそう思うので、外資系の会社で働く方や外国暮らしの方はさぞかし日々大変だろうなあと思う。
それでも努力と改善の余地はある。私は数年前、他者との付き合いがとても上手な人に出会い、その人のコミュニケーション能力の高さに衝撃を受けた。この人から学べ!私にないものがある!と思った。以来、彼女との付き合いは続いている。話を始めるときに前提がすごく長いのだ。結論から話し始める私とは真逆。「あのね、これにはこういう背景があってね、こういう考えもあるし、でも逆にこう思う人もいるでしょう?もちろんあなたは違う考えを持つかもしれないの、それでもいいんだけど、私はこうじゃないかと思うわけなのよ」と。最初はどんだけ回りくどいんだ!と辟易したが、これが意外に合意形成、問題解決の最短ルートだったりする。何度も彼女がこうやって複雑な人間関係をうまくこなしているのに感嘆した。自分と違う考えは無限にあるという包容力。他者への配慮。人間関係や社会をうまく回していくのは忍耐と想像力が必要だ。
(106)
猫 草
どうにも合わない人間というのがいる。考え方の違いというのか、「普通こうするだろう」というポイントがずれているのだ。例えば待ち合わせ。私は遅れてどきどきしたり約束に間に合わないのが嫌いなので、早く行く。しかし必ずギリギリ、或いは遅れてくる人がいるものだ。そういう人とは現地ではぐれてもとても困る。相手がどう行動するかお互いに読めないからだ。もちろんケータイがあるのでその都度連絡をとればいいのだが、電車内や美術館内だったりして通話がはばかられる事態もある。なので「こういう時はこうしようね」「もしこうだったら集合はここね」などと事前に取り決めておくしかない。
仕事でもそう。きっとこの人はこうするだろう、こう考えるだろう、と思ってやったり、或いはやらなかったりすることが裏目に出ることは多い。そうするとお互いに「ごめんね、最初にきちんと確認すればよかったね」と言いつつ、内心はどっちも(普通こうするでしょう?)と思うことになる。
「普通」ってなんだろう。自分の中での価値基準や行動原理だ。それはその人の経験則の中で培われているのだから、その背景が違えば、異なるアウトプットが出てくるのだ。頭でわかってはいても、自分にとって当たり前のことを「私はこうしているんだけど、あなたは?」といちいち確認はしないし、お互いに暗黙のルールがあるという前提がなければ生活も社会も成立しない。顔見知りの日本人コミュニティの中でもそう思うので、外資系の会社で働く方や外国暮らしの方はさぞかし日々大変だろうなあと思う。
それでも努力と改善の余地はある。私は数年前、他者との付き合いがとても上手な人に出会い、その人のコミュニケーション能力の高さに衝撃を受けた。この人から学べ!私にないものがある!と思った。以来、彼女との付き合いは続いている。話を始めるときに前提がすごく長いのだ。結論から話し始める私とは真逆。「あのね、これにはこういう背景があってね、こういう考えもあるし、でも逆にこう思う人もいるでしょう?もちろんあなたは違う考えを持つかもしれないの、それでもいいんだけど、私はこうじゃないかと思うわけなのよ」と。最初はどんだけ回りくどいんだ!と辟易したが、これが意外に合意形成、問題解決の最短ルートだったりする。何度も彼女がこうやって複雑な人間関係をうまくこなしているのに感嘆した。自分と違う考えは無限にあるという包容力。他者への配慮。人間関係や社会をうまく回していくのは忍耐と想像力が必要だ。
(105)
猫 草
中学生の長男の教科書を見ると、ずいぶん私たちの頃と違うなあ、と実感する。教科書は今年から25%増だそうで分厚い。各種ワークブックや資料集で充実している。「脱ゆとり」は結構なことだ。若いうちに勉強せずにいつやるのだ?
「公民」という科目ではメディア・リテラシー、国際協力、地球温暖化など現在ニュースで流れているような内容がいっぱいだ。さて「歴史」は、とみると、こちらも戦時中の日本軍の状況などが詳細に取り上げられており、私たち子供の頃には曖昧にされていた戦争責任についても明確になっているなあと感じる。
「国語」や「音楽」に至っては古典的な作品に交じって、ちょっと前にベストセラーだった本や、最近のヒット曲もたくさん載っていてびっくりする。教科書は毎年更新されているので、時代に対応しやすいのだろうな、と思う。
翻って図書室はどうか、とみると、私の勤務する小学校図書室では最新!という状況からは程遠い。地理の資料では、古い本ではまだ地図が「ソ連」だったりして、慌てて新しいものを購入する。まだまだ東欧や中東周辺など国境も国名も含めてどうなることやら流動的ではあるが、とりあえず「ソ連」はまずいでしょう。
ほかにもあるんじゃないか?こういう時代錯誤な資料!と探したら、やっぱりありました。40年前の社会科資料「私たちの新しい生活」という本。ここでいう「私たちの家」には「和室」と「応接間」がある。応接間には「応接セット」と「ピアノ」。その上には「レースのカバー」、さらに「日本人形」と「フランス人形」も飾ってある。うーんこれでは「あー、おばあちゃんちで見たことある」って言われそう。さらにページをめくると、お母さんが籐のかごを下げて、エプロン付けて商店街で夕飯のお買い物をする写真が載っている。ほとんど「サザエさん」か「3丁目の夕日」の世界だ。平成2ケタ生まれの小学生にとっては、昭和は完全に「歴史」なので、こちらも「昔のくらし」コーナーへ移動する。
どの分野でも同じことが言える。子供たちが調べたいのは万能細胞やスカイツリー、リーマンショックと多様で最新。数年前のちょっと古い本だともう対応できない。時代も知識もどんどん変化して刊行物が間に合わない。でも後追いで仕方ないと割り切って現時点での「最新」をそろえていくしかない。
そして気が付く。日本も教科書で戦争責任や軍部の判断ミスを冷静に認められるほどに時間がたったのだと。「渦中」から「歴史」になってやっと振り返ることができる。流れていく状況と結果の産物が明らかになって初めて、その事象の本当の「意味」がわかるのだ。後追いの醍醐味はそこにある。
(104)
猫 草
虫たちの盛んに活動する季節となった。しかし、こんなに目にする以前から、ひそかにその命は活動している。彼らが「見える」前には「増殖して」いるのだ。
五月雨の晴れ間に玄関ドアを開けたらそこは羽アリの大群だった。ドアと地面の隙間から湧いてくる。その光景に一瞬固まったが、しょせんは蟻。まずデジカメで状況を撮影し、殺虫剤で駆除。そこまでは余裕の対応。そして・・じわじわと不安になる。えーと、なんだろうあれは。ただのアリではないぞ。もしかして、もしかしてシロアリ・・・?いや、まさか・・!やめてよ、まだ新しい家なのに?!
ネットで調べたら、見たくもない情報までワンクリックで山ほど出てくるのが常である。検索したら、あれはシロアリの一種と即座に判明、壁の穴からぞろぞろ這い出してくる画像はうちとそっくり。そして「駆除薬散布費用のお見積り」、さらには「残念なことにもし建物も被害にあっていたら」と、ぼろぼろになった柱の画像と修理費用の概算まで。なんともご丁寧なことである。ともかく現状把握が一番と、あわてて害虫駆除業者に電話する。あちらは「ああ、飛ぶシーズンなんですよねえ」とのんびり声。すぐに見に来て!と悲鳴をあげるが、「まあまあ。そんな今日明日で家が潰れるわけじゃなし」と一向に緊迫感がない。あちこち電話をかけたら、すぐに行きますというところがあった。それでも2日後。
その不安な2日間で調べているうちにすっかりシロアリについて詳しくなった。そして開き直りも生まれる。所詮、家は「モノ」。形あるものはいずれ壊れる。家族は無事だし、別に平気だもん。まあそうはいっても強がりである。笑顔がひきつっていることは自覚している。でも最初のショックはずいぶん薄らいだ。時間と情報って大事だ。
2日後、業者さんが床下にもぐって検査をしてくれる。幸い建物の躯体は大丈夫。ただ防腐剤効果は約5年で切れるので再度、薬を撒く必要があると。さっそくお願いする。散布費用だって安くはないが、もし建物がやられていたらそんな額では済まない。今は諸々の処理を終えて、ほっと一安心したところである。しかし油断はできない。まだ地中に巣はあるのだ。そして大量の卵だって。
いつだって人間が気が付くのは後手である。地中で力を蓄えて、満ちて、地表にあふれてやっと私たちが目にするのだ。私たちは豊かで未知なる世界の薄皮一枚にのって生活している。それは奇跡のような危ういバランスの上に成立している仮初めの姿だ、と実感する。健康も、今の生活も、宇宙全体も。
世田谷通信
(103)
猫 草
かつて自分は情報通信分野で「こっち側」「だいたいわかっている」方だろうと思ってきた。それがあっという間に「あっち側」に居る。ともかく最近の情報機器やその関連ニュースが何のことやら、理解できないのだ。まずFacebookをはじめとするソーシャルネットワークというもの。世界中の何億人と友達になれるんだよ!すごいんだよ~!と言われても。自分のプロフィールを世界上に公開する恐怖の方が先に立つ。いいよ、友達少なくて。
さらにあのスマホなど、タッチパネルで操作するタイプの機器。どうにも上手く扱えない・・という間に周囲の半数以上はあのタイプに切り替わって、楽器を爪弾くように軽やかに操作している。ボタンでカチカチ携帯を操作している姿は時代遅れらしい。
長男から「今はまっているゲーム・・」の説明を聞いてもしかり。なにしろ自分はゲームスタートするだけなのだ。ボタン操作はスタートのみ。そのあとは敵を倒しも、謎を解くことも、何もしない。勝手にゲームが進行し、敵をやっつけてくれて、ポイントがたまり、アイテムがゲットできるんだよ!と言われても・・・だから、それのどこが面白いの?えっ、違法性が指摘?そんなに流行ってるんだ・・。使い方がわからないとか、そういう次元ではない。そのサービスの意味がわからない。わあ便利!とか、おっいいね!と共感できない。これはかなり置いて行かれた状態だなあと実感する。
そんなわけで、もういまの携帯が壊れたらどうしましょう。お店のメインにはあのツルっとした画面のしか並んでいない。ボタン操作のなんてキッズ用とシニア用ぐらいかも。
そこで開き直りが生じる。いいもん、別にわからなくても。生きて行けるもん。だいたいね、携帯依存症みたいになって常に画面みてないと不安って状況がおかしいんだよ!
・・そうはいってもメールと電話ぐらいないとやっぱり不便・・。というわけで。世界中と常につながっているフルオープンな人種と、どことも接続していないガラパゴスな人種の2種類に分類されるとしたら、自分はどちら?という崖っぷちにいるような気がする。
宇宙の9割以上は暗黒物質でできていて、私たちが見て認識できる宇宙はごくわずかだという。そんなことを急に言われても、これまた理解の範疇をはるかに超えたスケールの話。こうなったら「理解」をあきらめて、ブラックホールにも似た無限のネットワークの中に呑み込まれてみるか。それとも先細り確実の狭く閉じた世界に安住するか。
その選択はきっともう眼前にある。
猫 草
かつて自分は情報通信分野で「こっち側」「だいたいわかっている」方だろうと思ってきた。それがあっという間に「あっち側」に居る。ともかく最近の情報機器やその関連ニュースが何のことやら、理解できないのだ。まずFacebookをはじめとするソーシャルネットワークというもの。世界中の何億人と友達になれるんだよ!すごいんだよ~!と言われても。自分のプロフィールを世界上に公開する恐怖の方が先に立つ。いいよ、友達少なくて。
さらにあのスマホなど、タッチパネルで操作するタイプの機器。どうにも上手く扱えない・・という間に周囲の半数以上はあのタイプに切り替わって、楽器を爪弾くように軽やかに操作している。ボタンでカチカチ携帯を操作している姿は時代遅れらしい。
長男から「今はまっているゲーム・・」の説明を聞いてもしかり。なにしろ自分はゲームスタートするだけなのだ。ボタン操作はスタートのみ。そのあとは敵を倒しも、謎を解くことも、何もしない。勝手にゲームが進行し、敵をやっつけてくれて、ポイントがたまり、アイテムがゲットできるんだよ!と言われても・・・だから、それのどこが面白いの?えっ、違法性が指摘?そんなに流行ってるんだ・・。使い方がわからないとか、そういう次元ではない。そのサービスの意味がわからない。わあ便利!とか、おっいいね!と共感できない。これはかなり置いて行かれた状態だなあと実感する。
そんなわけで、もういまの携帯が壊れたらどうしましょう。お店のメインにはあのツルっとした画面のしか並んでいない。ボタン操作のなんてキッズ用とシニア用ぐらいかも。
そこで開き直りが生じる。いいもん、別にわからなくても。生きて行けるもん。だいたいね、携帯依存症みたいになって常に画面みてないと不安って状況がおかしいんだよ!
・・そうはいってもメールと電話ぐらいないとやっぱり不便・・。というわけで。世界中と常につながっているフルオープンな人種と、どことも接続していないガラパゴスな人種の2種類に分類されるとしたら、自分はどちら?という崖っぷちにいるような気がする。
宇宙の9割以上は暗黒物質でできていて、私たちが見て認識できる宇宙はごくわずかだという。そんなことを急に言われても、これまた理解の範疇をはるかに超えたスケールの話。こうなったら「理解」をあきらめて、ブラックホールにも似た無限のネットワークの中に呑み込まれてみるか。それとも先細り確実の狭く閉じた世界に安住するか。
その選択はきっともう眼前にある。
(102)
猫 草
夕食の買い物に行くときはだいたい疲れているか急いでいる。或いはその両方であることが多い。そういう状態ではいつにもまして判断力も思考力もない。「本日のお買い得品」の文字につられ、豆腐・・もやし・・とレジかごに入れる。あ、しまった、夕食メニューは!?と思ったとき、タイミングよく置いてあるのが「半分調理されたお惣菜」である。パッケージには「豆腐を加えるだけ!」「もやしだけで!」。あら不思議、すでにカゴには豆腐ともやしがはいってる!毎日こんな調子なのである。
思いかえすと、よし、このメニューを作ろう!と買い物に行くことなんて、誰かの誕生日か来客のときぐらいという有様だったりする。毎日料理をするのは楽しく、面倒で、誤魔化しも含まれる。さらに賞味期限と財布事情など諸般の複雑な要素からできあがっている。家族の食卓に料理を乗せていくのは長期戦なので、段々と言い訳部分が肥大していく傾向にある。反省しきりである。
しかし考えてみると私たちの体は脳以外のすべての細胞が日々新陳代謝している。記憶と学習、思考以外はこれまでに食べたもので構成されているのだ。そう思うと毎日の食事の蓄積って本当に大切だと思う。
だいたい自分が自分であり続けることってすごいなあと改めて思う。どうしてちゃんと皮膚は皮膚に、内臓や髪の毛や歯やそういう精密で的確なものに再構成されるんだろう。しかも本人の状態を引き継ぎつつ。さらには単なるコピー、再生産ではなく緩やかに老化というトッピングも混ぜながら。
ES細胞というのをたくさん集めて培養液に入れていたら「眼」ができたというニュースを読んだ。かなりホラーな話の部類に入る。だれがこの細胞は網膜にこの細胞は水晶体になれという指示をしたのか。そもそも、なぜ「眼」なのか。
日々知識と技術は進歩していく。それでも未知の領域は一向に減ったようにはみえない。
そう、八宝菜も、白菜さえあれば後の7種類はパッケージ化されている手軽さである。そうはいっても材料のキクラゲ一つにもまだ謎は多い。便利と不便、解明と未知、進化と未開、それらは常に自らの中にもある。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円