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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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猫 草
 
言葉も出ない、何を書き綴ってよいかわからない日々。なんとか平静を保っていた、その気持ちが、時折寄せる余震とともに、どんどん加速度的に悪化する事態に、足元からふわっと崩れていくような不安をはじめて感じた。
いま私が暮らしている世田谷に大きな変化はない、ガソリン不足から車が減っていつもより静か、行き交う人々がみんな一様に買い物の荷物を抱えていることぐらいだろうか。TVをつけると様々な情報が飛び込んでくる、今は事態の鎮静化と収拾のためにすべての組織の枠、指揮系統にかかわらず一つのミッションに向かって取り組んでいる。警視庁や東京消防庁といった保守的で堅牢な組織までもがその枠を越えている。どれほどの事態か。
そして仮に現在の原発危機が沈静化したとして、これからどれぐらいの制限と復旧までの長い道のりがあることか。おそらく何年もかかるだろう。そして、そのプロセスに対して自分は何ができるだろうか。これから「何を、どこから、どうすれば?」の知識やアイディアやシナリオが頭の中にある。でも伝えるすべがない。誰にも。どこにも。社会的には何の発言権も実行力もない存在。無力さに吐きそうになる。私などが動かなくても、黙っていても、きっと同じようなことを誰かが考えて、速やかに実行してくれるだろうと、これまでは思っていた。これからも?本当に?本当に?
だれも耳を傾けないかもしれない、でも情報を発信しよう。まずは電源の長期的広域的な安定供給のために何ができるのか。何をしなければならないのか。
1 静  岡に3か所ある変電所の増強、現在ここの処理能力の上限がボトルネックになって中部圏から関東へのスムーズな電力融通が出来がない。
2 北海道から東北への送電ラインの増強、ここも電力融通上のボトルネックになっている。
3 現在大口顧客で自家発電設備を持っている設備の増強と優先的な燃料の配分、余剰電力のエリア供給。スマートグリッドへの系統の見直しが必須。
4 現在の発電所の稼働率各10%づつ上げること、それによりCO2排出量が増加するが震災復興のためやむを得ないと国際社会に周知すること。
5 家庭用・業務用蓄電池の普及促進。比較的需要の少ない夜間電力を各家庭や業務ビルに貯めることでピークカット効果がある。
これらの対策を今年の夏、需要のピークまでに可能なところから迅速に実行する必要があると思う。・・このメッセージがどこかにつながることを願いつつ。
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猫 草
 
家の水槽にはイモリとタニシたちが仲良く(というかお互いに無関係に?)暮らしている。夕方1回餌をあげるのが日課だ。イモリは最近目が悪いのか、餌をあげても見当違いのところをぱくっと食べて、あれっ?という顔をしている。タニシは20匹ほどいるのだが、水面すれすれにくっついて並んでいることが多く、そこにぱらぱらっと乾燥赤虫や乾燥糸ミミズを撒いてやる。すると彼らは最初「敵?攻撃?」という感じでびくっと身をすくませる。そして「餌だ!」とわかると「わーい、ごはーん!」とばかりに口と触角をびよーんと広げてもぐもぐ食べ始める。さらに満腹になると「おなかいっぱーい!」と脱力し、水槽にくっついている力もなく、ふわーんと水面下に落ちてゆくのだ。なんとも単純素朴で愛らしい。
そんな愛すべきタニシにも脅威が迫っているらしい。その生物の名はスクミリンゴガイ、通称ジャンボタニシである。通常のタニシが1~2cmのところ、ジャンボタニシは8cmにもなる。ものすごい勢いで水田の稲をバリバリ食べる。そして繁殖しショッキングピンクのプチプチした卵を大量に田んぼ周辺に産み付ける。日本の風景にはあり得ない鮮やかなピンクの卵はまるで子供のお菓子のようだ。もともと外国から九州に食用で輸入されたが、食用に向かず寄生虫もいて断念、逃げて野生化し繁殖し、九州全体に広がり今や静岡や千葉でも・・・というどこかで聞いたようなよくある話である。ウシガエルやアメリカザリガニと経緯は一緒。どうして何度も同じ過ちを繰り返して人は学習しないのかとため息が出る。
もちろんジャンボタニシにもウシガエルにもアメリカザリガニにも悪気はない。単に今日も元気だご飯がうまい、と暮らしているだけだ。故郷と景色が違うとすら思っていまい。ここ世田谷の里山にも、見たこともない珍しいカブトムシや色鮮やかな蝶が生息しているらしい。ペットの外来種と在来種の雑種だそうだ。
生物の多様性、というのはどういう意味なのか、環境に適応するとはどういうことなのか・・お前たちはここで幸せか?と、小さな水槽で暮らしているタニシたちを眺めつつ思うのである。
s-IMG_0035.jpg世田谷通信
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猫 草
 
便利な時代になったと思う。「ミョウガとショウガは同じ?違うもの?」と気になった時にも、インターネットはすぐに回答をくれる。答え:同じショウガ科の植物ですが、全く別物です。「ラミパスラミパスルルルルル・・・」がなんの呪文だったか思い出せないときもしかり。答え:ひみつのアッコちゃんが変身からもとに戻るときの呪文。
こんなふうに、インターネットで検索すれば世の中わからないことはない!という気になってくるのだが、実は違う。一定レベルの回答は得られるが、それ以上深く追求しようとすると途端に大きな壁が立ちふさがる。あちこちのサイトを探しても結局最初の回答の周辺をぐるぐる回っているだけ。特に行政関係の調べものでは「情報操作」という言葉が浮かぶほどに情報が限定・誘導されている。ちょっと古い情報は削除されており、アクセスできなくなっている。広いようで狭い、つかみどころのなさを感じる。
さてこちらはもっと原始的な状態。学校の図書室である。この世でインターネットが最も普及していない場所の一つが公立の小学校だと思う。そのかわり図書室には大量の本がある、さあこの中から該当する資料を探せ!というわけだ。ネット慣れした子供たちにはつらい作業なのだろう、図書司書にその360度自由自在な質問を向けてくる。まるでパソコンで検索するように。たとえばこんな感じだ。「五右衛門風呂の写真ありますか?」「ままかりってどんな魚ですか?」「クツワムシは何を食べますか?」「えっと・・カライモ・・なんだっけ・・?」などと意味不明なことも多い。こちらはあいにく検索エンジンではないので「ちょっと待ってね、まずこのあたりの分野の本を探してみようか・・」と一緒に調べ始める。すぐには見つからないことも多い。それでも「ここかな?違う?こっちはどう?」と本をめくっていくだけで、それなりに発見はある。そのものズバリの答えは出なくても、こういう考え方をするのか、本はこういう分類で並んでいるんだ、こんな見方もあるんだ、とわかってもらえたらいいと思う。
この先電子書籍がどんどん発達していって、図書館にも「紙」「本」という媒体自体がなくなっていくのかもしれない。しかし、物事の考え方自体は古代に人がパピルスや竹や石に記した時代から超進化したとは思えない。質問すればパッケージされた答えが出てくる自動販売機のような世界は味気ないものだろうに・・と本とパソコンの間で揺れ動くのである。
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猫 草
 
家の近所で犬の散歩をさせている方々によく出会う。飼い主どうしも親しくなるのだろう、足元に犬をつれたまま話をしている姿をあちこちでみかける。犬どうしが退屈して吠えたりじゃれたりすると、すぐに「吠えちゃだめ!」「お友達にやさしくしなさい!」噛んだりしたら「なんてことするの!謝りなさい!」と大変な剣幕で叱っている。子供にではない。犬に対してである。叱られた犬の方もしゅんとして「俺ってだめなやつ」という顔をしているから、見ているこちらもなんだか不思議な気持ちになる。
ペットや植物、インテリアや子どもでも、とにかく自分の身近にあるものを、自分の好むように作り変えたい、自分の思う方向に向かせたいという自分勝手な欲求は尽きないものなのだろうか。そして高齢や病気、あるいは引っ越しをする、しつけができない、飽きたなど、飼い主にとって都合が悪くなると捨てたり、殺すことに躊躇しない飼い主が多いという。壊れたものや不用品を処分するのと同じ、たとえ生き物であっても例外ではないということなのだろう。
動物病院を経営している友人が言っていた。コーヒー店の紙袋を捨てるふりをして目もあかない子猫を入れて置いていく人がいる、よぼよぼになった犬を病院の門柱につないで捨てる人がいる。だから病院前に監視カメラを設置したと。そして改築の際に「カウンセリングルーム」を作ったと。動物のためではない、責任を放棄して簡単に処分を願い出る飼い主とじっくり時間をかけて話し合うためだと。治療の時間と相談や説明の時間を比べると後者の方が長いかもしれないと。
「もし、わたしが、あなただったら」というのはどこかの会社のモットーなのだそうだ。自分の利益や理屈ではなく、相手の立場でものを考えて行動せよということなのだろう。他者や他の生き物と共存することは、基本的に困難で摩擦の多いやっかいなことなのである。トラブルやとまどいがあって当然なのだ。「私にとって正しい選択」「自分にとって最善の判断」ではなく、「相手の気持ちになる」ためのほんの少しの想像力があれば、世の中もずいぶん変わるだろうに・・と思う。
世田谷通信
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 秋の夕方、いつも通り水槽をのぞいて、息を呑んだ。ウーパールーパーは腹を上にして水面に浮かび、体が風船のように膨らんでいた。「死んでいる。」そう思ったら、わずかに手足を動かした。まだ息がある。仰向けの姿勢でもがいて、クフっと喉が鳴った。
 一体どうしてこんなことに?数日前からなんとなく食欲がなかった。この夏が暑かったから?水が汚かった?病気?20cmを超える、堂々たる体格に育っていたのに。いつも小さな丸い目で水槽からこっちを見ていたのに。
 2階の水槽を1階の洗面所に運んだ。どうしていいかわからず水を減らす。そうすれば腹這いになるかと。でも横倒しになるだけ。水を足す。浮かんでくる。体を支える。でも手の中でまた仰向く。PCで「ウーパールーパー 病気」と検索する。浮遊病?ウィルス?カビ?体が溶ける病気?治療法は?・・ガスの溜まった体を押すとよいという説もありますが素人には無理・・。塩水浴?塩水を水槽に混ぜてみる。もっと早くにやるべきだったのか?どうしていいかわからない。ときどき手足や頭が動く。
・・もうそっとしておこう・・。どうしようもなくただその場を離れる。
夜になり塾から長男が帰ってきた。「ウーパーが」と水槽を指差すと「なんで?なんで急にこんな?」という。「急にじゃない!ちょっと前、数日前から食欲なかった。」そう。おかしいとわかっていたのに何もしなかった。でも声は誰かを責める口調になっていた。長男は黙って硬い表情で水槽をみていた。なんの世話もしなかった自分に何か言う資格はないというように。
 翌朝、動かないウーパーを長男と二人で玄関わきのつゆ草の下に埋めた。「猫やカラスに荒らされないように深く掘ってね」というと長男はうなずいてスコップを動かした。
 今、2つの水槽は1つに減り、残された8年目の長寿イモリが元気に泳いでいる。イモリの横の空間が、空虚なことがつらい。生き物を亡くすたび、そこにあった存在の不在に耐えかねる。そしてまた新しい生き物でその場所を埋めようとする。イモリの水槽にタニシをたくさんいれてみた。せめてタニシが水を浄化してくれるかと、おまえは長生きしてくれるかと願いつつ。
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猫 草
 
家の甘夏の木には4月に白い花が咲き、5月に緑の葉を濃くし、夏になってキンカンぐらいの実がいくつかできる。そこにアゲハの幼虫が数匹くっついている。幼虫は最初2mmぐらいの白黒まだら。そのまま大きくなって鳥のフンそっくり、と思っていると、ある日こんどは枝葉とそっくりの4cmぐらいの緑色の幼虫になっている。あの白黒から緑色にどうやって変わるのか?と思っていたら、脱皮の瞬間をみることができた。白黒緑の3色ミックス状態の幼虫がじーっとまっすぐになっている。やおら頭から脱皮を始めた。中から出てきたのはあの緑色のやつで、30秒ぐらいで一気に体の半分ぐらいまで脱皮した。そこからちょっと疲れたのかゆっくりゆっくりお腹を動かし、全体で2分ぐらいかけて終了。脱皮というのはずいぶん体力を消耗するものらしく、すぐには動けないようだ。体もしっとりして柔らかそうで、ここで外敵に狙われたらひとたまりもないだろうなあ。
別の枝を見ると、こちらは次の段階、もうすぐ蛹になるべく枝にくっついて動かない終齢幼虫がいる。ここに至るまでさんざん葉っぱを食べ、フンをまきちらしてきたのだが、蛹一歩手前の状態をみると「がんばれー」と応援したくなる。
幼虫から蛹というのもものすごい変化だ。蛹の中で一度体はドロドロに溶け再構成されチョウになる。仮死状態?いや・・まるっきり作り変えられるわけだが、チョウに幼虫時代の記憶って残っているのだろうか?同じレモンの木に卵を産みにくるのだろうか?どんなアゲハが出てくるのか?ハチに寄生されていないか?ずいぶん楽しみにしていたのだが、蛹になるのは甘夏の木ではないどこか別の場所。チョウになったかどうかは定かではない。
小さな甘夏の木には、様々な生き物たちの世界を垣間見ることができる。アリとアリマキの幸せな共生とそれを邪魔するハナグモの戦いとか、待ちぼうけしつつ睨みつけるカマキリとか、ひなたぼっこでうっとりしたトカゲとか。世界は想像もつかないほどに多様な生物で濃密に構成されている。決して人間だけのものではない。そして秋になり甘夏の木には再びアゲハの幼虫がいる。あの春の幼虫の子どもかどうかは誰にもわからない。
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  猫 草
 
 中学校の広報委員になり、教職員紹介の広報誌を作った。どこの学校でもとりあえずこれを作成するのは「お約束」である。先生方の写真、名前、担任、教科の他に、ちょっとした原稿をいただく。これをページに割りつけて、印刷屋さんに回して、できあがり。こう書くと簡単だが、なかなか仕事はスムーズには進まない。まず広報委員がクラスでなかなか決まらず、嫌々仕方なく手を挙げた人の集まり。そして初対面で素人の集団。1年生のママだと校長先生と担任の顔ぐらいしか覚えていない。それが教職員全員の写真を撮影し、コメントを回収し、という作業はなかなか骨が折れる。しかもできるだけ迅速に発行したい気持ちがある。先生方の顔と名前は誰だって早く一致させたいではないか。
 先生方の思い出をお聞きし、間違いがないか何度も確認して、ようやく広報誌ができあがった。早速クラスと教職員に配布し、やったー!と達成感に浸る間もなく、ある事件が起きた。誰かが先生方の顔写真を切り抜いて、廊下のポスターにコラージュしたのだ。体は制服、顔は先生、というわけである。配布した当日のことなので、その子は家に持ち帰って読むことも、親に見せることもせず、いきなり切り刻んだことになる。
 ちょっとした面白半分の行為なのだろう、でも冷水を浴びたような不快感を覚えた。PTAは完全にボランティアで、広報誌も義務ではない。好意を差し出され、それを感謝して受け取るどころか、即座に破り捨て、悪用する無神経さにぞっとした。次号の検討を始めている。行事・部活紹介号なので生徒の写真を多数掲載予定だ。今回のようなことが繰り返される心配があるなら、内容を考え直す必要がある。
 何気なく蹴った石にたいした意味はないかもしれない。何故蹴ったかと問われても言葉はないかもしれない。しかしそれが人にあたって傷つけることもある。誰かが蹴った石が自分にあたったら理不尽な怒りを感じないだろうか?自分の行動に責任を・・と身長だけはすらりと伸びた、中身は気ままで生意気なイマドキの中学生に言っても通じないのだろうか・・。どうしたら伝わるのか。
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猫 草
イメージの力が弱くなっている。何かを見たり、聞いたりしたときの感覚が鈍くなっているというか、単調になっている気がする。子どもがげらげら笑って観ている芸人のコントは微笑みにも至らない。テレビ番組がなんだか嘘っぽく感じる。ニュースだけは、という感じである。映画にも行く気がしない。駅まで行って電車に乗ってチケットを買って、混んでるかも・・と想像するだけで疲れる。あきらめて「来年TVでやるまで待とうっと・・」。
夏休みや連休はこういう自分にとって実はとてもつらい。いつもは会社や学校に出かけている家族がいる。お昼御飯を作らなくてはならない。朝ごはんを食べた直後に、「お昼何食べたい?ついでに夕飯のリクエストあったら言って!」と問うて家族に面倒がられる。かつては「夏休み?何をしよう?どこへいこう!」とわくわくし、連休ともなれば前日の金曜日の夜から旅行に出かけていたというのに。
服もそう。色違いのTシャツを交互に着ては洗って、ワンシーズン2枚のローテーションですごしそうになる。選ぶ色も紺や黒やベージュの無難な色なので代り映えしないことこの上ない。
唯一新鮮さを保っているのは読書の世界である。最近近所の図書館がWEB予約システムを導入したので、人気の本をどんどん予約して楽しみに待っている。予約本が確保できるとEメールが届くので最寄りの図書館に受け取りに行く。村上春樹1Q84など世田谷区の図書館では1800人待ちだが狛江だと130人なので、まだ待つ気にもなるというものである。いや、いままでも図書予約システムぐらいあったのだが申し込み用紙に書いて電話連絡、が面倒だったのだ。その点インターネット上で読みたい本を検索して予約カートに入れておき、メールが来るのを待つ、というのはすこぶる気楽でよい。ベストセラー本も1~2ケ月待てばだいたい読める。おかげで人気作家の本や話題の本にも詳しくなった。
表面上の生活は同じものを食べて同じものを着て同じように過ごしても、本だけは最新のものを手にしている・・どうやら自分にとって新鮮さが大切なのはこれだけらしい。
世田谷通信
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何か嫌なこと、不愉快なこと、気分の悪い、いらいらするとき、そういうネガティブな気持ちをどうやって解消するだろうか。おしゃべり、買い物、食べ物、運動などなど、気分転換の方法はいくらでもあるのだが、その一時を過ぎるとまたその嫌な気分に支配されることがある。最近、自分で有効なのかもしれない、と思うのが自分と対話することだ。たとえば、こんな風に、延々と自問自答を繰り返す。
何かいやな気分でいるね、うん、呼吸が苦しくて胸がドキドキする。何がそんなに気になるの?うーん、一言ではうまく言えないけど、たぶんすごく傷ついたんだと思う。何が?心が。どうして?えーと、ひどくバカにされた気持ち、いや、見下されたというか、違うな、そうじゃなくて、それは自分の僻みかな?そうなの?相手に悪意はないの?いや。少しはあると思う、だけどこんなに嫌な気持ちになるほどひどいことをされたわけではない・・かも。じゃあどうして苦しいの?たぶん自分では自信があって、当然ほめられると期待していたのに、そういう反応じゃなくてむしろ批判的だったことにショックを受けたんだと思う。そうなんだ、褒められたかったの?そう、頑張った、自分なりには。でも限界もあった、それは感じていた、そこを指摘された。ふうん、それって正しい評価なんじゃないの?そうだけど、でも認めたくなかった。どうして?自分でもわかってたんじゃない?だってこれ以上は時間も能力もなかったし。本当に?いや、やれたかもしれない、でも途中でまあいいやって逃げた。そこを突かれたわけだ。そういうこと。図星ってやつだね。まあそうとも言う。でもわざわざ言わなくてもいいじゃない。じゃあこの程度でいいだろうって甘えてたわけだ。そうだけど・・うん、そうだね。甘えがあった。自分にも他人にも。
と、そのあたりまでグズグズぐるぐる自分と対話していると、ずいぶん気持ちが落ち着くことを発見した。手探りで心の中を触診していく感じ。勝手に「自分コーチング」とか「自分カウンセリング」と呼んでいるが。もやもやした「気持ち」にぴったりの「言葉」がはまると、ああそういうことね、と納得できる。自己分析して自己完結するので、周囲にあまり八つ当たりしないですむようになった、と、自分では思っている。この方法は「何がそんなに悲しいの?」「何がそんなに不安なの?」「どうしてそんなに腹立つの?」などネガティブモード全般に応用できる。と、くどいようだが「自分では」思っている。だれか試してみてください。効果があることを祈ります。
 
  真理の御霊よ
 
真理の御霊なる神よ
かたくなな心を砕いて
救い主なる御子イエスを
信じさせてください
 
真理の御霊なる神よ
罪に曇った目を清めて
救い主なる御子イエスをs-IMG_0030.jpg
見上げさせてください
 
真理の御霊なる神よ
勇気のない口を強めて
救い主なる御子イエスを
求めさせてください
 
真理の御霊なる神よ
救いの喜びを満たして
救い主なる御子イエスを
証しさせてください           水野源三第四詩集「み国をめざして」
                            写真:夕焼けとクモの夫婦 
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猫 草
 
 中1ギャップという言葉をご存じだろうか?小学校から中学校の環境の差になじめず、友達がつくれない、勉強についていけない、果ては不登校になったりすることだそうだ。長男が通う中学校では、すでに不登校の子、毎日机に伏して寝ている子、中間テストでオール0点の子、授業中歩き回り、教室から出ていく子が何人かいるそうだ。入学してたった2ヶ月でもうその状態。小学校の授業に比べ中学校の授業進度は速い。特に算数から数学への差が激しい。小学校までは自然数、つまり生活に密着した数の世界だったのが、中1でマイナスの概念、1次方程式、指数、数列、幾何学、関数、確率・・と飛躍的に扱う内容と理解量が増える。英語もそう。小学校の外国人教師による授業は1学期に1回、たった年3回である。教科書もなく、挨拶と単語ゲーム程度。授業を見学したが、外国人教師もほぼ初対面の子どもたちと「とにかく楽しく英語に親しむ」ノリのいい時間を過ごすだけ。それが中学では一気に英文法、単語を覚え、英文を読み書きし、リスニングも入ってくる。小学校の楽しいだけの英語授業とは何の接点も引き継ぎもない。
それらの溝を埋めるのは?結局塾しかない!というのが私を含め周囲の親の結論だ。長男の通う塾は6年生の2月、中学受験が終わった翌週から中学準備クラスがはじまり、小学校卒業までに中学1学期分の授業を先取りする。入学してからは新しいクラスだ、部活動選びだ、運動会だとイベントも多い。近隣の3、4小学校を寄せ集めたのが中学校なので、クラス数も多く、環境になじむのに時間もかかる。勉強面では塾で常に貯金を作っておいて、学校の授業は復習というわけだ。中学になって塾に通う子がグンと増えた。では塾に通わない子はどうなるのか?通信講座の自宅学習は小学校までに自学自習スタイルが確立していることが絶対的な必要条件だ。親に聞くには自意識が強くなった年頃で抵抗がある。先生に聞くにもどこから質問すればいいのか?というわけだ。先日家で長男と一緒に宿題をやっていた友だちが数式を勘違いして解いているのでつい私が教えたら「やめてよ、先生じゃないんだから!」と後で長男に文句を言われた。難しい年頃である。
中学で勉強や人間関係の壁にぶつかったらどうやって乗り越えるのか?落ち込んだらすくいあげる手段はあるのか?「中1ギャップ」と名前だけつけて、その答えが学校の中にみつからない、というのが一番の問題なのだろうと思う。      (写真・ヤマボウシ)    
世田谷通信
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s-IMG_0047.jpg 猫 草
 
 6月には長男の小学校の卒業アルバムが届く。卒業式の集合写真を眺めな 
  がら、自分の子どもや自分自身を探すのに手間取った。特に学校から指定 
  が あったわけではないのに、判で押したようにみんな同じ格好だからだ。忍
  者の「木の葉がくれの術」みたいだね、と笑った。
ドレスコードというが、要するにみんなと同じような恰好だと安心するだけのこと。違和感がなく浮きも目立ちもしない。長男に言わせると学校でもどこでも「悪目立ち」するのはもっとも避けるべき事態らしい。集団の中で違和感がある、存在が浮いている、そういうのは即イジメの対象に直結するのだそうな。異物はすぐに排除にかかる。免疫などと一緒の反応である。それが教室での日常なら、怖い話である。
そんないまどきの卒業式ファッションは「なんちゃって制服」に尽きる。「制服っぽいスーツ」とでもいいましょうか。具体的には女子は紺のブレザーにチェックのミニスカート、白ハイソックス。白ブレザーなら紺か赤のギンガムチェックスカート。男子は全員が紺か黒のブレザースーツにワイシャツ&ネクタイだった。昨年は袴姿の男子もいたそうだが、今年はゼロ。ブレザーは進学する中学の制服?というとそうでもない。長男の学校は詰襟の学生服で、それを卒業式に着てくる子はいない。
何を着るか?それは自分を表現する手段でもあり、自分の存在を消す手段でもある。私はこういう場で、みんなと同じような服装が出来ます。あなたがたと同じような価値観を共有し、社会に適応するものですよ、という恭順の意を表明しているわけだ。どこの学校の制服でもないのに、どこよりも制服らしいスーツを着て並んでいる子どもたち、そしてマニュアル通りのフォーマルスーツの親たちの卒業写真を見ながら、流れにまかされているの気が楽だけど、もうちょっと「自然な個性」が表現できたらいいのにな・・と苦笑した。
                                                                     (写真:カスミザクラ)
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 (77)
猫 草
 
 携帯電話を買い替えた。電車の中で携帯を出すと、周囲がぎょっとするほどの古い型で、電話とメールとカメラ機能しかついてない、本当にシンプルなものを数年間使い続けていた。しかし後ろの電池パックは外れ、本体にひびが入り、もう限界・・。周囲に言わせると「そんなになるまで使ってる人みたことない!」「いまどきキッズケータイだってもっと進化してる」だったのだが。替えない理由は2つあった。とにかく新しいものは価格が高い。(ちなみに現在のは本体価格ゼロ円時代の最後の機種である)もうひとつは、あまりにもどんどん新しいものが追加され高機能になりすぎて何がいいのかさっぱりわからないからである。
 というわけで、恐る恐る携帯電話のサイトをのぞき、とにかく一番安くてシンプルなもの・・・を探してみた。それでも電話とメールの他に、テレビとパソコンとオーディオとお財布とカメラの機能の複合体だ。怖くて気軽に持ち歩けないぐらいの豪華さである。あーあ、余計な機能はいらないんだけどなあと憂鬱に思いつつ、できるだけ安くてシンプルなのを一つ購入する。それでも、これはどうしますかこちらは使いますかとあれこれ言われる。もういいからあなた適当にやってください!と途中で逃げ出したくなるのをこらえデータの移動も終了して、ようやく新しいケータイを手にして帰宅。そもそも携帯電話、などというのは時代錯誤、カタカナで「ケータイ」なんだそうな。
 電源を入れるといきなりアニメーションが画面上をぴょこぴょこ動き回っている。マチキャラというらしい。えーい、うるさい!と初期設定をどんどんOFFにして、着信音も全部音が出ないようにして、辞書のようなマニュアルをあちこちめくって、やっとただの道具として安心して持ち歩けるようになった。搭載機能の1/10も使っていないと思うのだが・・携帯電話としてはそれで十分だと思う。モノひとつ買い替えるにも気苦労がいるようになった・・挑戦する気持ちがなくなっている・・古い型のものをずっと作り続けていくのも企業の使命のように思うが、「携帯電話」と同じように古いのだろう・・。
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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