2023年7月号
№193
号
通巻877号
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世田谷通信
(64)
猫 草
最近の小学5・6年生がどんな会話を交わしているか、耳にしたことがあるだろうか。彼らの言葉は基本的に「2音」ですべてが表現される。おもな例をあげると、「ツヨッ」「スゲッ」「キモッ」「ウザッ」「ザコッ」「ヒデッ」「サムッ」「ハヤッ」などである。なんのことだか?という方のために解説しよう。「ツヨッ」=強い(主として驚愕、驚嘆など褒め言葉として使われる)。「スゲッ」=すごい(その通り凄い、という場合とちょっとばかにした意味もある)。「キモッ」=気持ち悪いの短縮形、「ウザッ」=うざったい、うんざりするの短縮形。「ザコッ」=「雑魚」が「雑魚い」と動詞化し短縮化されたもの。「ヒデッ」=ひどいの短縮形、自分が不当に扱われた時などに非難の意味を込めて発する。「サムッ」=ギャグや冗談がつまらなくて場の空気が冷え冷えして「寒い」の短縮形。「ハヤッ」=早い、速いの短縮形。「ヤバッ」=やばいの短縮形、これは否定的なニュアンスだけでなく、おいしいとか、すごい、感動したなどに幅広く使われる。他には「アリエナイ」「ウケル」「マジデ?」なども頻出する。これらの反射神経だけで使われるような単語の応酬がコミュニケーションの基本だと、こちらが何か言っても「ツヨッ」とか「ウザッ」で会話が終わってしまう。いやあえて会話を終わらせるための言葉といってもよい。
自分の心を探って、いちばんぴったりくる言葉をつなぐ、相手に思いを伝えるために言葉を紡ぐ、という作業自体がもうすでに「うざい」ことなのかもしれない。「言霊」というように、言葉にはそれ自体に力があるのだが。それとも言葉で中傷されるのを恐れてあえて他人と深く関わらないようにしているのか。
人は言葉を持ち、言葉でつながり、自らその言葉を捨てることで孤独を深めていくような気がする。とてもさみしいことですが。
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世田谷通信
(63)
猫 草
長男が少年野球チームに入って約1年になる。土日祝日は朝から夕方まで練習だ試合だと楽しそうにしているが、母にも役目はある。月に1~2回「お当番」が回ってくるのだ。監督やコーチたちの飲み物を用意したり、怪我をした選手(子どもたちのことだ)の手当をしたり。まあ要するに練習のお手伝いである。
夏場は熱中症対策でひたすら水分補給とクールダウンだが、冬場は自分自身の防寒対策が最重要である。どんなにカイロと着ぶくれで行っても、吹きさらしの多摩川グランドは寒い!ので、球拾いなどで体を動かした方がマシ。というわけで、先日お当番の折には、私もせっせと球拾いをしていた。あ、ここにもボールが~、と手を伸ばしたとき、ビシッと鋭い衝撃があった。子どもの返球が逸れて私の手にあたったのだ。所詮軟球、小学生の球だ、などとバカにしてはいけない。痛い。みるみる腫れてくる。いつもは「血が出ました」「突き指しました」「ボールが当たりました」とか言ってくる子どもたちに、救急バッグから絆創膏や湿布を出して貼りながら「そんなの野球なんだからあたり前じゃない!ほら、治った!」と冷たくあしらっているのをちょっと反省する。
6年生が年末に野球チームを卒団する「納会・送別会」というのがある。そこで6年生は一人ずつ「野球部の思い出」の作文を読むのが慣例だ。最初はルールもわからず、キャッチボールもできなかったこと、毎週の練習が辛かったこと、合宿で自分の限界まで挑戦したこと、初ヒットが打てたこと、試合に負けてみんなで号泣したこと、仲間と励ましあって頑張って勝ったこと、そんな一つ一つを語るうちにみんな涙でくしゃくしゃの顔になる。先輩たちのそんな姿に、いつもふざけて、生意気な下級生たちもこの時ばかりは神妙である。
バーチャルなゲームの世界ではどんなに殴っても蹴っても、実際に痛みは感じない。野球ゲームの勝敗では、悔しさに泣き崩れたり、抱き合って喜んだりできないだろう。勝っても負けても、上手でも下手でも、怪我したり転がったりしながら、リアルな世界で大切なものを学んでいるんだな、と腫れた手に自分で湿布を貼りながら思った。 (62)
猫 草
ここのところ、子どもが毎週レンタルしてくるDVDがある。「鉄腕アトム」である。懐かしのテーマソング「空をこえて~ラララ星のかなた~」で始まるアニメではなく、数年前にリメイクされた新しいバージョンのアニメである。最初は子どもが見ているだけだったのだが、映像の美しさ、ストーリーの面白さについつい引き込まれて一緒にみている。はじめの方はアトムが様々な事件をそのスーパーパワーで解決する、まあ単純なヒーローものなのだが、回が進むにつれて、複雑で深いテーマを内包していることに気が付く。ロボットが記憶や感情を持ち、経験によって進化し、自らの意思で行動するとき、ロボットと人間の境目は次第にあいまいなものになり、そこに対立や葛藤が生まれる。ロボットが「心を持つ」とはどういうことか、そして「心」とはそもそも一体何か。
現在この不況でもヒットしている商品にWiiというゲーム機がある。うちにもある。フィットネスができるWii Fitというものだ。これがまたよくできたプログラムなのである。メンバー登録をすると、「こんにちは○○さん!いっしょにがんばりましょう!」と話しかけてくる。朝運動すると「おはよう!よく眠れましたか?毎日がんばってますね!その調子です!」とほめてくれ、ちょっとさぼると「昨日は何かありました?こつこつ続けることが大事ですよ。」と諭される。しょせんは機械!と思いつつ、そのタイミングの良さに、つい「ちょっと忙しくて、時間がなかったの、ごめんね」とか言い訳してしまうのだ。決して厭味にならない程度に、当たり障りのない世間話までしてくれる。ちょっとしたゲーム機でもこれだけの親和性があるのだ。まだ高価で市販段階ではないが、すでにこの世に存在する人工知能をもったロボットはある程度は「自分で判断して」「自律的に行動」できる。そしてそのロボットやプログラムが人間の思惑を超えて、自分の意見や夢やあこがれ、権利や自由を主張しはじめたら?そもそも人間の都合で、人間に似せて作りだされたロボットが、本当に人間に近づいたとき、人間は「人間に似ているから」という理由で、限りない嫌悪感を抱くのである。50年前には夢物語だったはずの、手塚治虫が示唆した未来社会は、日々現実のものとなりつつある。
(61)
猫 草
イモリを飼っている。そういうと、「ああ、あの時々壁にはりついてるトカゲみたいなの?」と言われることがある。いいえ、それは爬虫類のヤモリです。イモリは両生類。
以前、同じ水槽のカメに、足を1本食べてられてしまったイモリだが、約半年後新しい足が生えてきた。最初は他の3本に比べると明らかに小さかった足が、今ではほぼ同じ大きさ。動きも特に問題ない。人間の再生医療に、この驚くべき能力を活用する研究がすすめられているのもわかる気がする。
ところでこのアカハライモリ、長男が幼稚園の時にホームセンターでねだられて買ってきたのだ。彼が小学5年生なのだから、少なくとも6年は生きている。いったいどのくらいの寿命なのか、ネットで調べると20~30年、最高50年と書いてある。ええっ?冗談でしょう?という感じだ。亀は万年、などというが、うちで飼育しているカメは逃亡、病死、カラスによる誘拐などいろいろな状況はあっても、だいたい1~2年程度の命だった。それぞれに一生懸命に世話をするのだが、それでも死なせてしまう。失ってしまう。そのたびに悲しく辛い。生き物を育てるのは本当に難しい・・と思う。
あのイモリは運が強いよ、と長男は言う。冬に水槽のちょっとした隙間から脱走し、そのまま寒さに動けなくなって部屋の隅で仮死状態になって(本当にカチカチになる)、死んじゃったのかな・・と思いつつ、少し温かい水に入れると、しばらくしてモゾモゾ動き始めたのだ。びっくりするやら、おまえはインスタントラーメンか!とあきれるやら。
時々脱皮もする。体の周りにぶよぶよのゼリー状のものがくっついて皮膚病?!とぎょっとしたら、古い皮で、そのうちもぐもぐ自分で食べてしまった。
好物は沼エビや小魚、最近は乾燥エビを好んで食べている。目が悪いので、ピンセットで餌を支えて、目の前で少し揺らすとぱくっと食べる。餌がちょっと大きいと飲み込めなくて口いっぱいに頬張ったまま固まっている。
背中は黒だが、お腹と口の中は真赤である。いつもキョトンとした黒い眼でこっちを見ている。何の芸をするでもないが、毎日みていても飽きない顔をしている。50年も長生きされたら私も面倒みきれないが・・この冬も無事に越してほしい。
世田谷通信
(60)
猫 草
本屋や図書館に行くと、つい立ち止まるのが手芸の本コーナーである。とはいえ器用さには大いに欠けることは自覚しているので、「誰でも出来る・・」「はじめての・・」「ぶきっちょさんのための・・」という枕詞がタイトルについているのを選んで手に取る。うわあ~綺麗ねえ→ちょっとやってみようかな→うーん、やっぱりいいや・・のコースをたどるのが常である。初心者向けの本なので、最初の作品からコツコツ作ればいいのだろうが、いちばん簡単なのはあまりきれいじゃなくて、作る気がしない。最後のページにあるのは美しいが複雑すぎて手が出ない。単なるモノぐさの言い訳なのだが。
こういう本を書いているのは手芸作家と言われる、基本的に手先の器用な、デザインセンスに優れた人たちである。さらっと何気なく、それができるのは一度その世界を極めているから、あえて手を抜くことができるのだ。たとえば、「ありあわせのレースとボタンをさりげなくあしらったコサージュ」なんて、プロがやれば素敵な商品だが、素人がやったらただのゴミの塊である。作っている途中で無性に悲しくなってやめてしまった。
ドライフラワーの講習会に行ったことがある。バザーの準備の会なので、そこで作ったものは自分で買うか、バザーに出品する、という選択ができる。先生はたくさんの教室を経営するその道のプロである。目の前には、見本と材料が並んでいる。土台に造花を順番に差し込んでいく、たったそれだけの作業なのに、みんな出来上がりが違うのである。結局半分ぐらいの参加者が(私も含めて)、悪戦苦闘の末に「・・これじゃ売りものにならないから自分で買います」と出品せず、責任をとって(?)買いとった。面白いのは、同じ材料を使いながら、派手な人は目立つ感じに、おとなしい人は地味な感じに、と可笑しいぐらい作者そっくりに仕上がっていたことだ。
私たちは知らず知らずのうちに、自分自身を表現しながら生きているのだろう。服装や髪形、家の中のインテリア、読む本や雑誌、日々食べるもの、なんとなく好きなもの、買い物でつい選ぶもの、ちょっとした一言や、しぐさででも。たとえそれがゴミにしか見えないコサージュだったとしても、である。
世田谷通信
(59)
猫草
縁あって、小学校の図書室で働くことになった。平日の3時間、図書室の整理などをして過ごす。エプロンをつけてネームカードをつけると、憧れの司書スタイルである。図書館は本屋以上に、私にとってはこの世で一番好きな場所なのである。ファーストフードの店員より時給の安いバイトだが、働きに出るのは実に10年ぶりなので、最初は勤務簿に印鑑を押すのさえ結構ドキドキし、社会に参加している気分になれて嬉しかった。
始めてみると、なかなか大変な作業が待っていた。前の司書さんは隔月勤務だったため、いない間の図書室は子どもたちの無法地帯と化している。本棚にはめちゃくちゃに本が積み重なっている。あるべき場所に本を戻す、たったそれだけのことだが、どこから手をつければいいのか見当がつかない。「怪傑ゾロリ」などのよく読まれる本は破損がひどい。ページがとれて本自体がボロボロになっている。でも新規購入予算はあまりないから修理しなくてはならない。私の夢としては、美しく、明るい図書室。楽しい企画展示とか、最近人気の本ランキングとか、やりたいことはたくさんあるが、とてもそんな余裕はない。
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〈つのぶえ社・出版物案内〉
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旧約婦人物語
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ポーリン・マカルピン著
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550円
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新約婦人物語
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ポーリン・マカルピン著
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350円
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さんびか物語
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ポーリン・マカルピン著
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3000円
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ジャパニズ・ヒムス・
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イン・イングリッシュ
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ポーリン・マカルピン著
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1500円
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日本伝道百年史
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バラ・マカルピン宣教記念誌
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発刊編集委員会
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1500円
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田舎牧師の記
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諏訪武臣著
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3500円
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初歩教理問答書
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(日曜学校用)
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250円
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解説ウェストミンスター信仰告白
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岡田 稔著
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500円
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緑のまきば
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=絶対者なる神を求めて=
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吉岡 繁著
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2000円
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聖霊とその働き
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E・H・パーマー著
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鈴木英昭訳
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1500円
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初めて学ぶキリスト教
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ヘリクマ・テュック共著
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鈴木英昭訳
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700円
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死後と終末
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W・ヘンドリクセン著
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鈴木英昭訳
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1900円
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われらの教会と伝道
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C・ジョン・ミラー著
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鈴木英昭訳
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1000円
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ウェストミンスター小教理案内
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鈴木英昭著
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1500円
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ウェストミンスター信仰基準
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鈴木英昭訳
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1100円
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小教理問答
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大教理問答
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信仰告白
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ウェストミンスター小教理問答書
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信仰規準翻訳委員会
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650円
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十戒と主の祈り
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鈴木英昭著
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1800円
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カルヴィニズムの五特質
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E・H・パーマー著
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鈴木英昭訳
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1500円
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男女の役割の関係
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ジョージ・W・ナイトⅢ著
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鈴木英昭訳
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1000円
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世田谷通信
猫 草
(58)
夏祭りで子供が捕まえた金魚が、小さなひょうたん池で暮らしている。昨年の夏は最初の10数匹から、あっという間に4匹になった。夜店の金魚はほんとうに弱い。しかし生き延びたものはそれなりの強さがあったようで、そこからは四天王としてザリガニと共存して半年を過ごしていた。私が洗濯物を干しに外に出ると4匹で口をパクパクさせて餌をねだり、秋祭りの新入り金魚が食べにくると4匹で追い回していじめていた。でも四天王の1匹が死ぬと、新入りが昇格していたりして、金魚社会もいろいろあるねえ・・と眺めていたのだ。今年の夏の初めにはとうとう2匹になり、なんとなく寂しそうだったのだが、また夏祭りの季節がやってきて新入りが投入された。その数10匹。
こんな状態がいつまで続くのか?と思ったら、3日目の朝、大半は隠れたが1匹がぱくっと水面で口を開くのが見えた。先住の1匹だ。おっ、お前は付和雷同をやめたのか、偉いぞ!と餌をあげると、他のもあわてて食べに来る。4日目からは半分が餌を待って水面にいた。5日目以降はすっかり隠れるのをやめて全員でパクパク餌を食べている。
魚はとても社会的な生き物である。過酷なイジメもあるし、熾烈な縄張り争いも、無意味な集団行動もある。人間のやっていることとそっくりだね、記憶力がよくないぶん長続きしないのがせめてもの救いだね、と苦笑しつつ小さな池を眺めている。
世田谷通信
猫 草
(57)
40代になって、「おばさん言葉」を照れずに使えるようになった。「すみません」はもはや日常で最もよく使う言葉だろう。外に出て万歩計ならぬ「すみません」カウンターがあれば、びっくりするぐらい連発しているはずである。
「いつもお世話になっております」だの「お言葉に甘えまして」だの「それじゃご遠慮なく」なんて、20代の頃には歯が浮いて使えなかったのだ。きっと心のどこかで「世話してるのはこっちだ」とか「誰が甘えるか」「そっちが遠慮しろ」と突っ張っていたのだろう。今となってはそんな尖った気持にはならない、いやなれないのだ。すぐ疲れるし、休みたいし、人の好意にはすがるしかない。頑張れなくなったのだから、「ありがとう、お陰様で助かりました」「恐れ入ります」「お先にどうぞ」なんて躊躇なく言える。
たぶん、これは子供が生まれる前と後で、心境が劇的に変化しているはずである。妊婦は立っても歩いても、息をしているだけでつらい、しんどい。席や道を譲ってもらうのが心底ありがたい。小さな子供と一緒にいると、常に周囲に謝りっぱなしである。そんな中で、知らない方からちょっと優しい言葉をかけられたり、親切にしてもらうと涙がでるほど嬉しい。もうこのあたりから「頼られる自分」から「頼る自分」に依存度のメーターはぐぐっとシフトしている。そしておばさん化すると恥もなくなって、楽な自分をキープすることが最上位にランクされる。
先日、遠出したところで自転車がパンクして、火曜日なのでどこも自転車屋がお休みで、暑い中、汗だくであちこち自転車をひきずって歩いて、やっとみつけた修理屋さんに「修理の間、上に喫茶店があるから冷たいコーヒーでも飲んで待っていなさい、知り合いの店だから、お金はいいから」なんて言われて、不覚にも泣きそうになった。汗かいてべとべとでさぞかし情けない顔してたんだろうな。とは思ったが、ありがたく「お言葉に甘えて」休ませていただいた。もうこうなると世間様のお世話になることを前提に、「どれだけ心をこめてお礼が言えるか」を追求するしかない、と思う今日このごろである。
世田谷通信
猫 草
(56)
これまでの人生、苦手なことはあっても上手くそれを避けて楽に過ごしてきた気がする。煙草のケムリが大の苦手だが、会社を辞めて以来身近に吸う人はいない。満員電車は吐きそうになるほどダメだが、乗らなければいいのだ。頑固な人間も嫌いだが、付き合わなければよい。逆上がりができないが、この年になって鉄棒をしろとは言われない。要するに岐路に立つたび、自分にとって楽な道、平穏な道ばかりを選んできたのだ。
ところが、今、困っている。何がって、次男の学校のPTAに馴染めないのだ。アメリカの議会制民主主義に慣れていたのが、いきなりロシアの院制に放り込まれたようなショックだ。たかがPTA組織で、大げさなと思われるだろうか。密室で非公式の打ち合わせ、ちょっと目立つとすぐに噂話、悪口がささやかれ、前役員がプーチンのように君臨。厳然としてあるんだ、こういう組織が。そりゃあそうだ。ロシアも中国もミャンマーも北朝鮮も、同じ現実なのだもの。以前に読んだ、祖国を亡命したチェリストの話が想起される。彼とじゃ問題のスケールが全然違うよ!というご指摘はもっともですが、今まで培ってきた価値観が崩壊する辛さ、怖さ。初めて、「胃が痛い」ってこういうことなんだと実感し、微熱が出た。体温計に出ないほどのかすかな微熱。体の奥に不信と疑問の核があり、そこが熱を発しているのだ。どうすればこの不快な熱が下がるのか。
世田谷通信
猫 草
(55)
嫌な事件が世間を騒がしている。ニュースを聞くたびうんざりして、ますます人の集まる場所への外出が億劫になる。その「切りたい」とは関係ないのだが、私には「切りたくなる衝動」がある。こちらは別に物騒な話ではない。伸びすぎた植物、伸びすぎた爪、伸びすぎた髪の毛。これは自分の周囲にあると、「切りたい!」気持ちを刺激する。きっと美容師さんや植木屋さん、外科医?などもこの衝動を持っているに違いなかろうと思うのだが・・。どうなのだろう。自分の場合、この気持ちは遡ると「枝毛切りハサミ」に行きあたる。授業中、傷んだ毛先の枝毛を見つけてはプチンプチンと切る。私だけではなく、ほとんどの女子は授業中にうつむいてノートを広げ、自分の毛先と向き合っていた。
これらに共通する気持ちは言ってみれば「管理欲」である。自分にとってきれいな、あるべき状態に保ちたい、という支配欲にも似た感情である。髪や爪ならまだいいが、周囲の言動や態度にも干渉と管理が行き過ぎぬよう、この衝動はコントロールすべきものである。他人に向けず、自分に向けろ、それでも足りぬなら物言わぬ植物やペットに向けろ。それが平和的な解決策である。枯れた花ひとつない手入れの行き届いた庭、美しく毛並みの整ったペットを見かけると、ああ、ここにも強烈な管理欲を持った人がいる・・と思うのである。
世田谷通信
猫 草
(54)
親として小学校に行くたびに、「私って変な子供だったんだなあ」と実感する。そして「変な子供でもあんまりみんな気にしてなかったような気がするなあ」とも。いや、自分で気が付いていなかっただけで、周りはいろいろ心配していたのかもしれません。でももし「昔の私」がクラスにいたら、きっと親と先生が深刻な顔で相談したり、スクールカウンセラーのところとかに相談に行けとか言われたり、みんな放っておいてはくれなかっただろうな、と思う。
どんな風に変だったかというと、「なんでも自分で理屈をつけて納得してしまう」のである。その傾向は今も変わっていないが、子供心は世の中の常識からするとかなり偏っているのだ。小学校1年の時、私の学校の机にはたくさんのプリント類が詰まっていた。別にテストの成績が悪いから隠していたのではない。「これは親にみせる必要なし」と勝手に判断し、配布される大半のプリントを持ち帰らず、机に突っ込んでいたのだ。その理由は「学校に通っているのは私。だから学校の細かいあれこれを親に伝える必要はない」ときっぱり思っていたからだ。当然、配ったプリントが届いていないことはすぐに発覚し、先生と親の双方から叱られることになるのだが、「だってお母さんに学校のことは関係ない」と内心では思っていた。
こんなこともあった。「明日、写生大会のため画板を持ってくるように」と言われた。たぶんもっと前から言われていたのだろうが、認識したのは前日。そして帰宅して考えた。「今更お店は開いてないし、言ってもなぜ今頃?と叱られるだけ。そもそも画板とは板にヒモがついただけのもの、作れば済む」と。そして段ボールとビニールひもで自作し、首にかけて鏡に映し「なかなかいい出来」と満足していた。ところが翌日登校中にみんなちゃんとした画板を持っているのを見ると、手作りのが急に恥ずかしくなり、丸めて捨ててしまった。そのあとは・・覚えていないがたぶん学校のを借りたのだろう。小学校時代の思い出といえば、こんなことだらけである。それでも相談しない、頼らない性質が改善しなかったのは、小学生のころから「広辞苑」を「我が師」のように思っており、わからない言葉や物事は聞くより調べる習慣が定着したのかもしれない。
自分で考えて行動する。たとえ間違った理屈で間違った結果が出ても、それは自分のせいなので納得がいく。「これが正解」とすぐに回答を見せられるのではなく、試行錯誤する。そんな風に時間をかけて大人になることを許してくれたおおらかな周囲の環境に、今となっては感謝するばかりである。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円