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世田谷通信(188)
猫草
ビブリオバトルなるものが各地で開催されている。バトルと言っても武器で戦うわけではない、簡単に言えば本の紹介合戦である。
一人1冊ずつおすすめの本を持ち寄って、一人5分の持ち時間で紹介をする。その後質問タイムを経て、全員の紹介が終わったら、どの本を一番読みたくなったか投票する。一番になった本を紹介した人が優勝というわけだ。
これを小学校でもやっていたので、参加させて貰うことになった。子ども相手では大人げないので、戦う相手は先生。投票は子ども達だ。
私が紹介しようかなと思う本は「子ぎつねヘレンがのこしたもの」(竹田津実、森の獣医さんの動物日記:偕成社)である。この子ぎつねは北海道の道ばたにじっとしている所を保護され、獣医である著者の所に持ち込まれた。目が見えない、耳も聞こえていないのはすぐに分かった。さらに嗅覚も、どうやら味覚もないことが分かる。味覚がないので、どんなにおなかが空いていても、口に入れられたものが美味しい食べ物だという判断ができない。砂を口に入れられたようなものだ。だから食べ物を受け付けない。ヘレンケラーから名前をもらってヘレンと名付けられた子ぎつねだが、三重苦どころではない状況である。
野生動物の飼育は禁止されている。なので、治療しても野生に戻せない場合、獣医の判断は安楽死である。生きる価値のない命ということだ。しかしこの獣医師と奥さんはこの重い障害を抱えたキツネに向き合い、介護を続ける。常に安楽死との葛藤を抱えながら。
この命を生かすことに意味があるかわからない、それでも最善を尽くす。よい結果が出るかわからない、うまくいかず落胆することの方が多い。一歩の前進より大きな後退を味わう。諦めそうになる、それでも試行錯誤を繰り返す。そこに命があるから。ほんの一握りでも希望があるから。そして、小さいけれど確かな奇跡がいくつも起きる。
子ぎつねヘレンが残したもの、とは何だろう。それはあなたが読んでみてほしい。そんな風にビブリオバトルで紹介してみようかな、と思う。
世田谷通信(187)
猫草
4月スタート悪くない。と最近思うようになった。年度の切り替えの話だ。以前は世界的に9月スタートが当たり前なので、そちらにいつ合わせるんだろう、早くやれば良いのにと内心思っていた。
なぜ気持ちが変わったかというと、準備期間のことを考えるから。新学期の準備を年度末に慌ててやりたくないので、図書室の場合12月ぐらいから動き始める。2学期の蔵書点検や新着本受け入れなど大きな作業のめどがついたあたり。気候的にも寒いぐらいが本の移動などの作業には活動しやすい。
そう、9月なんてまだまだ暑いじゃないですか。仮にその時期に年度切り替えだと7,8月という猛暑の中、大型台風やゲリラ豪雨にひやひやしながら準備をすることになる。図書に雨は大敵、暑い盛りに本の移動だけでもうんざりなのに、梱包の手間が増える・・想像するだけで気持ちが萎える。
さて学校自体は3月後半まで現スタッフで在校生にきっちり向き合う必要がある。卒業、進級も大切なイベント。4月1日に発令、着任、始業式までの数日に1年間の方向性を決める業務がぎゅっと凝縮される。膨大な作業をこなして新年度を迎えなくてはならない。担任が決まり、役割分担、諸々の会議が5分、10分刻みで行われる。新任の先生方も初めましての挨拶もそこそこに、大量の文書、引き継ぎ、教科書を受取り、教室を整え、時間割を決め、職員室はさながら戦場のような慌ただしさ。
大規模校だからというのもあるのだろうが、新人もベテランも、男性も女性も、力仕事も含め、よく働くものだと感心する。物の移動ももちろん、印刷室もコピー機もフル稼働、山積みのコピー用紙がどんどん消費され、画用紙や文房具のストックも尽き、まあ1台ぐらい印刷機が故障する。
こんな殺気だった時に図書関係のことなどできたものではない。だから早めに印刷物は完了、来年度の準備をしておく必要があるわけだ。
そして子ども達を迎える。もちろん男性はネクタイ、女性はスーツ着用での始業式。和装の保護者もちらほら。温暖化で桜はとっくに終わっていて期待できそうにないが、まあ過ごしやすい季節ではある。
世田谷通信(186)
猫草
昨年、約20年ぶりに名刺を作った。ボランティア活動をしているときに、名刺を頂く機会は意外とある。シンポジウムや会議に出れば尚更。名刺をもらっても返せないと何だか収まりが悪く、名刺持ってないんです、すみませんと謝ったりしていた。
これまでずっと名前のない生活で、たいして困らなかったのだ。子どもが小さい頃はお母さん同士も先生からも「○○くんママ」「おかあさん」と呼ばれていた。子どもが成長するとそれもなくなり、名前を呼ばれるのは病院や役所ぐらい。普段は何者でも無い暮らしをしていた。別段不自由も感じないし、でも社会の役に立っているわけでもない、だれでもない、半透明な存在として自分を認識していた。図書室で働いてはいたものの、名刺を作ろうとは思わなかった。
でも今どきは学生さんでも名刺を持っている。ちょっと作ってみようかなと思って、デザイナーの友人にレイアウトをお願いした。名前とメアド、ボラ名とイラスト。フォントはペン字風のやさしい雰囲気。ネットプリントで100枚500円。ワンコインでできるんだ。なんて手軽なのでしょう。
さてめでたく名刺を手に入れても、しばらくの間は使う機会が無かった。持っていること自体を忘れていたり、名刺入れを探したり、出すタイミングを逃したり。名無し生活が長いと、こうなるのかと苦笑する。会社に勤めているときには、まず会議の前でも何でも、人に会ったら、長々と名刺交換の時間があって、役職の偉い人から順に「あ、私こういう者です」という、奇妙な挨拶をお互いにしていた。「○○と申します」って名乗ればいいのに、と思っていたが、当時は組織への帰属意識が今よりずっと高くて、個人名よりも、部署や肩書きを示す意味合いが強かったのだろう。
最近は、名刺入れを使うのを諦め、財布に数枚入れておくようにした。もごもごせずに「○○です」と名前を言えるようになってきた。どこに所属しているかではなく、自分が誰なのかを伝えるツールとして便利なものだ、名刺は。
世田谷通信(185)
猫草
外壁の塗り替え。家も10年ほど経過すると直面する問題だ。とは言え、外壁なんて何の知識もない。というわけで、2社から見積もりをとってみた。項目も単価も違うのに、なぜか金額はほぼ一緒。こんなものなのかな、何を基準にすればいいんだろう・・説明で悪い印象はなかったのだが、決め手に欠けた。
3社目に話を聞いてみた。そうしたら「どういう風にしたいですか?」と「だいたい思い通りにはいかないものです」という言葉から始まった。
「どういう風にしたいのか?」と言われても、そもそも何色の壁か覚えていない。でもあちこち薄汚れてきた。小さなクラックがあちこち入っている。それらを綺麗にして、新築当時のような状態になればいいなあ・・とぼんやり思っている事に気がついた。
新築当時?いやちょっと待って。今の自分の顔をどんなに化粧品で塗っても、10代20代の肌には戻れないのだ。だって土台が違う。時間は巻き戻せない。そんなことは分かっている。なのに外壁に関しては漠然とその「できないこと」を求めていないか。まず、乾燥してシミもシワもある壁に、何を塗ったところでそれなりの結果だと認めること。ここがスタートなのだ。
「だいたい思い通りにはいかないものです」という言葉。色の印象というのも面積が大きいほど誤差が大きくなることに由来する。手の甲にちょっと付けてこんなもんでしょ、と選んだファンデーションを顔に塗ったら「あれ?」と思うのと一緒だ。それが家サイズになれば尚更だろう。
なるほどね、と「壁を塗り直すこと」の意味について少し納得したところで、昔読んだ本を思い出した。「赤毛のアン」シリーズ、第2巻「アンの青春」だ。公会堂の塗り替えをすることになり、アン達、村の改善委員は品の良い外観にしようと、屋根はこれ、壁はこの色と落ち着いた色を指定する。しかし、ペンキ番号の伝達ミスで、思わぬ派手な青い色に塗られてしまう。こんなはずじゃなかったと落ち込むアンに、「気にしなさんな、アン。たいがいペンキというものは、1年ごとに、いやな色になっていくものだが、あの青は最初からいやな色なんだから、さめていけば、かえって、きれいになるかもしれないよ。」と慰めるシーンがある。うちの外壁もそれぐらい、おおらかな気持ちで考えたいものだと思う。
世田谷通信(184)
猫草
何かの話の流れで「ATP」という言葉を使った。自分で言ってから何のことだっけ?と思った木曜日のことである。土曜日の朝、目が覚めたときに「アデノシン3リン酸」という言葉が浮かんだ。何のことだっけ?あ、ATPね。「何?」と思ってから脳内では無意識にずっと検索を続けていて3日かけて答えを出したのだ。どれだけぐるぐると行き止まりだらけのシナプスを行きつ戻りつしながら、答えにたどり着いたのやら。1ワードの検索に3日って、パソコンならもう絶対捨てているレベルの遅さ。
さらに1週間して、さてATP、まだ覚えているかなと自問自答すると一拍おいて「アルギン酸」という言葉が浮かんだ。いやいやそんなわけないでしょう。アと酸しか合ってない。何を自信満々に間違った答えを出しているのか。パソコンだったら修理を断られ、買い換えを勧められるやつである。
日常レベルでのうっかりはもう書き始めると嫌になるほどだし、仕方ないのだと思う。すぐにその場でメモすることが一番大事だし、メモしたことを覚えているうちに他の人やカレンダー、スマホのスケジュール帳に転記するのも大事。
記憶を外部化することなんて昔からやっていたわけで、たぶんそういう物から抜けていくのだと思う。人の名前や電話番号のように、そもそも覚えていないことは当然。逆に何が残るのだろう。歌は有力候補だと思う、聴けばよみがえってくる確率が高そう。暗記物はほぼ全滅として、百人一首は反射で覚えているように思う。
料理研究家の城戸崎愛さんが晩年出したレシピ本に驚いた事がある。若い頃はフランス料理をコルドンブルーで習得し、凝った料理を作っていた方が、最終的には
「フリーズドライのお味噌汁も最近とても美味しい。お湯を入れるだけで良いです。」と書いていた。仰るとおり、自分で出汁をとるなんて面倒なことせずとも、お店に行けば顆粒でも液体でも、キューブでもずらりと多彩に取りそろえられている。
将来仕事の大半は人工知能に取って代わられるというのは、若い人には警鐘だろうが、老年にとっては福音である。細かい手続きも段取りも、やってくれるならどんどんお任せしたい。ただし人工知能にはできないこともあるのでそれをのんびりやるとしよう。庭の草むしりとかウサギを撫でるとか。
世田谷通信(183)
猫草
多摩川上流、奥多摩湖にある小河内ダムに出かけた。なんでそんなところに?と言うと、最近、河川や用水に興味があり、古多摩川と国分寺崖線のボランティアガイドをする準備として知識を深めたかったのである。
さて電車で2時間。青梅を過ぎた辺りから周囲は完全に森林である。傾斜の急な針葉樹林、河川周辺の広葉樹林、混合林。街道添いの民家、谷間にのぞく集落。急峻な山道と渓流をながめつつ、ここ東京だよね?と思う。実は東京都の森林面積は6割。大半が奥多摩周辺にあり、水源涵養林として都心への水供給を支えている。青梅を扇の起点とする広大な扇状地、と地図上では理解していたものの、実際の地形を目にすると納得がいく。
小河内ダムは立派な観光地で、ダムカードも貰えるし、ダムカレーもある。カレーが「湖面」、ご飯が「堤体」を再現し、パスタにニンジンとコーンが刺さったのが「浮き」、サラダは周辺の「森林」を表している一品だった。
普段何気なく蛇口をひねれば出てくる「水道水」も、こんなに苦労してダムを造り、日々管理されて、はるばるとうちまで運ばれてくるのだ。森林保全も水源を守るために大切な仕事なんだとしみじみ思う。
帰路車内で「奥多摩―青梅区間はシカと衝突したため運転を見合わせています」の案内表示が。さっきまで乗っていた折り返し電車である。その後、ぶつかったのはニホンカモシカで、驚いたのか電車の下に潜り込んだので撤去に手間取り、復旧まで1時間以上かかったことが分かった。奥多摩あるあるなんだろうか。
立川から電車で多摩川を越える。もうここは広い川幅、ゆったり流れる、いつも目にする多摩川だ。対岸の南多摩に大きな崖があり露出した地層が車窓から見えた。何万年も前の歴史に少しだけ触れたような気がした。
世田谷通信(182)
猫草
この7月、福井まで出かけた。帰省以外で遠出をするのは10年ぶり。「学校の森子どもサミット」という全国大会があり、そこで里山と小学校の総合学習の様子を発表する。先生と児童に同行することになった。
長距離移動は緊張するのだが、児童と一緒だと仕事モードで乗り切れるのが不思議だ。福井駅前ホールでリハーサル、全国から集まった児童や先生方、北海道から鹿児島まで10校だ。それぞれの取組みはその地域ならではの特色を活かした活動で、地方の学校は児童数が少なく、サポートする大人の方が多い。周辺の森林資源が豊か。世田谷でできる取組みとのスケール感の違いが一番印象的だった。北海道の3m積雪の積雪でかまくら体験とか、岡山の木材一本を伐採から製材加工するとか、屋久島の世界遺産で希少種の蝶が食べる草を栽培するとか。すごいなあと思うけれど、なかなか真似できるものではない。
それでも子ども達に森林のことを伝えたいと思って、時間も労力も割いて実践する人たちの存在があってこそ成立している、というのはどの地域にも共通すること。豪雨等の被害を被った地域からも参加があり、たとえ被災地であっても子ども達には楽しい活動をさせたいという大人達の強い願いも感じられた。多くの人の手で支えられている。学校だけではできない取組みが子ども達を守り、育てていることに深く共感できた。
発表後はバス移動で三方湖近くに宿泊し、翌日は湖の水生調査やシジミ採り体験。ここでも地元の大学院生や研究機関、ボランティア団体のサポートあっての活動である。汽水湖のシジミは環境悪化により激減したので、山から土砂を運び、土留めのヨシを育成し、砂地を人工的に造成して、養殖物を育てて数年になるとのこと。子ども達は無邪気に歓声をあげながら「シジミあったー!」と嬉しそうに活動しているが、それを支える多数の大人達の知恵と汗がある。自分もボランティア側なので、見えない苦労はよく分かる。「あって当たり前」を続けていくためには、環境や生きものを維持する努力が不可欠なのだ。時々の変化を受け入れる力。常に環境は変化するから、それに合わせて柔軟に対応することが、「いつも変わらない」を保つのだ。
福井の山も湖も空も美しかった。変わらず、そこにあって欲しい。
(福井・シジミ採りをした久々子湖(くぐしこ)の写真)
世田谷通信(180)
猫草
次男は特別支援学校高等部3年生になり、卒業後の進路を考える時期である。障害がある故に大学や専門学校は選択肢にほぼなく企業就労か、作業所、或いは生活介護と言われる福祉施設へと進路を考えていく。企業はさておき、作業所と福祉施設ってほぼ一緒かと最初思っていた。でも違う。自治体によって呼び方は異なるが、いわゆる作業所は自力通所が基本、軽作業が中心で多少なりとも給料が貰える。福祉施設は送迎バスがあり、落ち着いた生活を支援することが目的。じゃあ全然違うかというと、そうでもない。要するに個々の施設によって雰囲気も内容も全然違う。運営する組織のカラーもあるし、集まった利用者どうしの個性に寄るところも大きい。ではどう判断すればいいのか。それは実際に行ってみるしかない。これに尽きる。
それは高校3年生が進路を考えるときと同じである。大学や企業と言っても千差万別なので、パンフレットを取り寄せ、ホームページをチェックし、オープンキャンパスに参加する。企業なら先輩に話を聞いてみたり、インターンシップで職場体験をするなど、色々な手段で情報を集めるだろう。そして最後は結局自分の目で見て判断するしかない。
高等部2、3年生は実習という形で1週間程度色々な施設に行って、体験学習を行う。3年生になると実習は進路に直結するので、受け入れ側も「来年4月からこの人が来たらどんな感じか」という目でみるし、こちらも「うちの子がここに入ったらどんな感じか」を探ることになる。
方針が決まったら利用希望というのを区に出す。入試や面接があるわけではないので、最終的な行き先は区の会議で決まる。こちらとしてできることは第3希望まで実習した中から施設を絞り込んでおく必要がある。もちろん定員はあるし、既存施設はどこも定員ぎりぎりという状況。新規施設は情報が少ない。どうなることやら、高校3年生。受験生のいる家庭の大変さも2年前に経験したので痛いほどわかるが、今回も先行きの不安と情報不足、不確定要素が多い。どちらも子どものよりよい将来のために最善を尽くすのは一緒だなあと思う。
世田谷通信(179)
猫草
スポーツ観戦などほぼしないのだが、10数年ぶりに野球の試合を観に行った。大きな音も沢山の人も苦手なので、大丈夫かなあパニックにならないかなあと不安だった。駅から球場に向かってどんどん人が増えていく時にはひるんで帰りたくなったけれど、逆走もできず流れのまま緩やかな坂を歩いてたどりついた。
座ってしまえば意外と平気で、音は反響せず空へと消えていく。暮れ方の空の色が刻々と変化するのを綺麗だとか思っているうちに試合が始まる。普段はテレビの野球中継すらあまり見ないので、試合を注視するなんて長男の少年野球以来だ。
そして、当たり前のことをいまさら思う。スポーツって人間がやっていることなんだね。何万人もの観客に注目されながら。テレビ中継だとピッチャーとバッターの攻防の映像が流れるけど、野手もネクストバッターも応援もみんな含めての試合。
緊張感のある好ゲーム。強打者にはピッチャーのギアも確実に上がる。大事な局面では球場の雰囲気が変わる。地鳴りに似た、念に近い波動で席が揺れるように感じる。熱気とはこういうものか。その渦の中心であるマウンドやバッターボックスならその「思い」をどんな風に感じるのだろう。
ユニフォームやグッズをまとって一心に応援している人たちは何を選手やチームに託しているのだろう。高校野球のヒーローがプロになり、結果を残せる者が何人いるのか。華やかで調子の良いときばかりではない。歳を重ねて衰え、長い不調やケガに泣き、移籍や戦力外通告という厳しい現実も突きつけられる。選手の名を連呼し、打てば飛び上がって喜び、チームの戦績に一喜一憂するのは、そうか、浮き沈みのある自分の人生を重ねて共に歩んでいるからなんだね。と、再度当たり前のことに気がつく。
結論としては疲れたけど面白かった。試合後の混雑を避け、早々に帰ったのも正解。たまには良いものだ。こんどは応援グッズも買ってみようか。
『世田谷通信』(178)
猫草
買い換えや補修が続く。それはこれまでの生活を見直すきっかけでもある。背より高い両開きで大型冷蔵庫は、目線の高さぐらいの中型に。子どもの成長期を過ぎれば、もうそんなに食べない。買い置きも作り置きもしないのだ。最初はたくさん買ってしまい「入らない・・」と不安に思ったが、今は中身が一度に見渡せる量だけ買うようになった。
古くなったガスレンジは安全性重視のクッキングヒーターに。最初はほんとに加熱されてる?と違和感があったが、消し忘れの心配が無いのがありがたい。料理は炒める煮る揚げる焼く・・とガス同様にできる。焦げつかないし、汚れない。焼き魚の仕上がりなどふっくらしてガスより良い。
10年を過ぎた家も補修の時期なのだろう、最近やたらと外壁業者がピンポーンと売り込みにくる。プロには「そろそろ塗り替え」と見えるらしい。家の周りを点検すると外壁に小さなクラック、モルタルが欠けているのに気がつく。早速ホームセンターで補修モルタルを買ってきて、コーキングガンとヘラで穴を埋める。応急処置だが1kgのモルタルがすぐになくなった。確かにそろそろなんだろうね。
服も2パターンぐらいを着回しているだけなので、着ない服を処分する。ちょっとしたディテールでも、着ない理由があるのだ。小さく切って雑巾にする。
また数年したらさらに見直しが必要なんだろうな、身に余るものを整理して、身の丈にあったスペックへと。最終的に自分のものはトランク1個ぐらいに収まればいいなあと思ったりする。
ふと裏庭をみるとキンモクセイがお隣の壁まで枝を伸ばしている。これはいかんと剪定し、ついでにエゴノキやハナミズキも伐る。調子にのって伐っていたら地面は枝と葉っぱで覆われ歩くスペースすらない。しばらく途方に暮れるが、どうにか運んで30㎝に切りそろえて束ねる。1回3束までは燃えるゴミに出せる。全部ゴミ出しできるまで相当かかりそうだ。植物の生長はまだまだ旺盛。10年20年で衰えを感じる人間や人工物に比べると、植物は生きるスパンが長いんだなあと感心しきり。
世田谷通信(177)
猫草
NIMBY(ニンビー)という言葉がある。No in my Backyardの頭文字をとった造語で、直訳すれば「うちの裏庭以外で」、と言った感じか。廃棄物処理場や火葬場、発電所や飛行場、最近では幼稚園や福祉施設もそれにあたるらしいが、要するに社会生活を送る上で必要不可欠とみんなが思うもの。大切さは重々承知していて、その恩恵にはあずかりたいけど、自分の近所には欲しくない物。総論賛成各論反対というやつだ。
そして今、自分がまさにそういう事態に直面している。5年前にシロアリ駆除、薬の効力が消えて再度散布というタイミング。業者さんに床下にもぐって頂き、点検をお願いした。そして、シロアリはいないが、ただ・・ゴキブリがたくさん・・と言われて鳥肌がたった。だめなのだ、あれだけは。
特にあちらの床下と指さした場所に、あっと思い当たった。裏庭には雨水タンクがあって、わざわざ落葉を集めて作った腐葉土、伐採した雑木が積み上げてある。水と土と木、生きものにはさぞかし快適だろうと思われる環境を作って、これが生物多様性よね、なんて悦に入っていた場所である。
それこそ害虫発生の温床です、自ら呼び寄せていますよと言われて、即白旗。撤去である。雑木を小さく切り、燃えるゴミに出す。腐葉土を片付けて防犯砂利を撒く。生物多様性大いに結構、ただしうちの裏庭以外でね、というわけだ。これこそニンビー。苦笑するしかない。
猪熊弦一郎という香川県丸亀の画家がいて、無類の猫好きとして知られている。作品も猫だらけ。家の中も猫まみれだったようで、調度品はぼろぼろ、動物園のような異臭がしたらしい。戦時中は疎開先に猫同伴で顰蹙をかい、その猫が戦時中たいへん貴重だった雌鶏を殺してしまって大問題になったそうだ。それでも猫たちを手放さなかった。それどころかニワトリを狙う猫のデッサンを描いている始末。寛容、いや無頓着。ご近所のため息が聞こえるようだ。
何かを受け入れるためには何かを諦めるしかない。我慢できないなら欲しがってはいけない。それでも人は何度も言う。大いに結構、全面賛成、どんどん推進して。ただし家の裏庭以外でと。
成城緑地内の栗の木にシジュウカラが巣を作り、6匹の雛が口を開けています。
写真を送ります。可愛いね。
世田谷通信(176)
猫草
先日「トヨタの森」というトヨタ自動車の社有林を訪問した。里山環境教育の場として様々なプログラムを実施していることに興味を持ったからだ。豊田市の一角45haという広大な敷地内には色々なエリアがある。ムササビやイノシシ、シカ、フクロウ、稀少な昆虫や植物、多様な生きものが暮らしている。
インタープリターの方は野鳥に詳しい方。丁寧に、広い森を案内してくださった。里山の管理手法を比較実験しているのが興味深かった。下草刈りで整備したエリアと、放置したエリアを道の左右に設ける。来訪者は左右を眺めてその環境の差を比較できる。正解はなく、一長一短、試行錯誤していくプロセスが見られるのだ。
朽ち木を根元で伐らず高さ1mぐらい残すと樹皮が自然に剥がれ、木の洞が沢山できて、色んなキノコが生える。そういう場所を好む昆虫の住み処になる。
フクロウの止まり木にするために1本横枝を残し、他の枝を払って広場を作る。伐った枝は一カ所に集め地面に伏せる。そこにフクロウの餌となるネズミや昆虫が集まる。フクロウの狩り場をつくってやるわけだ。
水辺も全部刈らず、まだらに残す。それによって、水草の根元に集まる生きものが住み、それを狙う上位の生きものも来る。
業者さんは仕事なので請けたエリアは全部草を刈るし、雑草は抜き、落葉を集め、丸坊主に枝を伐る。それも都会で車や人の多い場所では必要な管理である。トヨタの森はそういう人間優先の感覚ではなく、色んな生きものがちょっとずつ住めるような仕掛けがたくさんあった。「あえて残す」というのがキーワードになっているように思った。希少種や目立つ生きものだけではなく、目立たず地味で、ありふれた、名すら無い生きものにも、隅っこで生きられる隙間を作ってあげること。
生物多様性ってこういうことかな。ちょっと腑に落ちた。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」