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世田谷通信(151)
猫 草
ただいまいろんなものの真っ最中である。入学、転職、オフィスの引っ越し。まあそれらは事務処理のようなもので淡々とこなすしかないのだが、最も気がかりなのは、ウサギである。2匹のうち片方の食欲がない。小動物はちょっとした体調変化が命に関わるので、気が抜けない。数日間、なんだか掃除が楽だと思ったら、片方はほとんどウンチをしていないのだ。この季節はウサギ大好物の葛の葉は霜と同時に枯れて初夏まで手に入らない。他の草を色々試してみる。タビラコ、ハコベ、タンポポ、オオバコ、オヒシバ、ハルノノゲシ、ビワの葉までも。都会の冬に草は少なくロゼッタで冬越し状態なのをしゃがみ込んで探す。さぞかし傍目には変人だろう。なのに、どれも臭いをかいでプイッと横を向く。牧草もペレットも減っていない。もう片方が普段以上の食欲なので差は歴然としてくる。ウサギのおやつ「乾燥葛の葉」なるものをネットでわざわざ買い与えても食べない。
考えてみればこいつは夏に食べ過ぎだった。明らかに新鮮な葛の葉中毒。どんどん肥えて、ネザーランドドワーフの適正体重を大きくはみ出し、片手じゃ支えきれないほどに重くなった。さらに新聞やプラスチック、電気コードなど異物を齧るのが大好き。ケージの近くに物を置くと確実に引っ張り込んで齧っている。もしや何か変な物を飲み込んだ?と獣医でレントゲン撮影。画像には何かが胃の中に充満している。でも盲腸は空っぽ。つまり栄養が満足に行ってない状態である。放っておくと胃腸が動かなくなり危険な状態に。そうは言っても小動物には人間のような胃カメラもないし開腹手術のリスクも高すぎる。
という訳で強制給餌。粉状の餌を離乳食ぐらいドロドロにしてシリンジへ。ウサギをタオルで巻いて保定し、無理矢理のどの奥に流し込むこと1日数回。暴れるし、汚れるし、毎回一苦労。
奮闘努力の甲斐あって、少しは食欲回復したが、まだ春は遠いなあ、とすっかり小さくなったウサギをみて思う。たった1kgでも「命」ある生き物。どうか長生きしてほしい。
*この添付のイラストは小学生のころ絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
世田谷通信(150)
猫 草
久しぶりに新幹線に乗ると色々な発見がある。「のぞみ」にはN700系と700系があって、前者には座席にコンセントがあり、後者にはないそうだ。それ大事?と私は思うのだが、確かに名古屋駅でN700系に乗り込むのはパソコン片手に東京まで仕事オーラ全開のビジネス客。皆さん発車数分前にさっと現れて、一瞬でKIOSKの手土産を買い、タッチパネルでピッと会計、手慣れた感じで颯爽と乗っていく。車内もスーツ姿とモニターがぎっしり並んでいる。数分後にきた700系には私のようにモタモタ、きょろきょろしている客が多く、あ、間違えた、すみませんね、いえいえ、と車内の雰囲気はほのぼの。全体的にかなり空いている。パソコンを開いている人はさほどおらず、お弁当か新聞か或いは寝ている。こんな風に昼間の新幹線がNのありなしで客層の棲み分けがなされているとは知らなかった。
そして背もたれを倒す前に後ろを振り向き「ちょっと椅子を倒してよろしいですか?」と一声かける素敵な習慣が。少なくとも私の前席の乗客は往復ともそうで、私も「どうぞ~」と笑顔で応じていた。しかもそんなに倒さないし。なんとも奥ゆかしく美しいやりとりではないか。かつて国際線エコノミーの狭い座席で機内食を食べていたら、突然前の座席が急激に倒れてきて慌てふためいたのが思い出される。いまどきの日本人はなんてジェントルなのだ。
ところが月に何度か新幹線やら飛行機に乗って出張する主人に聞くと、倒す前に後ろをちらっと確認しアイコンタクトはとるが、口に出して言ったことも言われたこともないとのこと。ビジネス客同士の暗黙ルールか。代わりに車内アナウンスで「大型のノートパソコンをご使用の方は座席が倒れた際モニターが破損することがございますのでご注意ください」と流れるそうだ。きっとトラブルがあったのでしょうね。でもNなし700系にはそんなアナウンスはなかった。ふうむ。興味深い。
次に新幹線に乗るときにはNなしで、倒す時には後席にひと声かけよう、と思った次第である。
*この添付のイラストは小学生のころ絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
世田谷通信(149)
猫 草
明治から大正の建築物が好きなので時々見学する。あえて伝統建築ではなく目新しい洋風建築を依頼する施主にも財力と進取の気性があるし、挑戦する設計施工側にもこの際、斬新で素晴らしい作品を作ってやろうという気概がある。随所に凝った「余裕」が見られるのだが、典型的なのがステンドグラスである。ちょっとしたドアの隙間、サンルームの仕切り、広々としたリビングに。複雑な色と光を取り入れたデザインはとても効果的だと思う。
ヨーロッパの教会建築にあるステンドグラスは天井から降り注ぐ光のシャワーといった豪華さ。確かに素晴らしいが、圧倒的で威圧的、要は権力の象徴。パイプオルガンは似合うが、暮らすには荘厳過ぎる。
明治、大正、昭和初期あたりの私邸のステンドグラスは、生活のちょっとしたお洒落という感じ。名古屋の川上貞奴邸は深い青と紫の艶やかな色合い、風景や人物のデザインも秀逸、その近所にある井元為三郎邸は落ち着いた配色とトランプの幾何学模様がシック。桑名にあるジョサイアコンドル設計の私邸にも美しいステンドグラスが残っているという。ガラス素材があると、部屋が軽やかになり、瑞々しい趣がでる。
東京都庭園美術館のルネ・ラリック作、入口にあるガラスレリーフ扉の神秘的なこと。翼を広げた女性の優雅さ、乳白色のガラスの色合い。他の素材は考えられないでしょう、というぐらいピッタリである。
和風建築で光を通すのは障子や格子だったが、ちょっと色が加わるとこんなにあか抜けるのか、とハッとする。こんな家に住みたいものだ。
と、これだけ礼賛してきたが、自分でステンドグラスに挑戦することは無理。まずガラスを切る・・と想像しただけであのキリキリ音で鳥肌になるからだ。そんなわけで家の窓にはお手軽ステンドグラス風シートが貼ってある。結構きれいですよ。なんとも安い結論ですが。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
世田谷通信(148)
猫 草
久しぶりに水族館へ行く機会があった。次男が水族館や動物館好きだった数年前は毎週のように通っていたのだが、しばらくぶりである。
入るとまず巨大水槽は定番。いったい何トンの水だろう。もしガラスが割れたら(もちろん滅多なことでは割れませんが)そりゃもう凄い水圧だろうなあとか、余計なことを考える。
フロアは基本的に暗くて水槽は明るい。水槽の奥から正面のガラスに向かって光を当てている。これは人間が魚を見やすいのと同時に、魚からは人間が見えにくくストレスを減らす効果がある。と、とても臆病なチンアナゴの水槽でエサをあげている飼育員さんに教えてもらった。展示の手前にいるのは前からいる個体、奥が新顔。確かに古株は時間と気配で砂からニューっと体を伸ばしてエサを待っているが、新入りはびくびく様子をうかがっている。でも少ししたらみんな穴から体を伸ばしてエサのプランクトンを食べていた。
もう一つ、この際ぜひ見たかったのがカイロウドウケツである。これは長男が片利共生の例だと教えてくれたのだが、深海にすむサンゴに似た生き物で、見た目はガラス繊維でできた20センチほどの細長い籠形をしている。その中に住んでいるのがドウケツエビ。必ず雌雄ペアでいる。籠の口は閉じているので、エビは外敵から守られるが、外にも出られない。夫婦で一生をその中で過ごすことから「偕老同穴」という名前がついているのだ。珍しい深海生物なので展示している水族館はめったにない。飼育員さんに聞いたらここでも飼育は極めて困難で、中のエビは生きているが、籠のほうは死んでいるのだそうだ。理由はカイロウドウケツ自体、何を食べどう暮らしているのか生態がよく分かっていないから。せっかくなので色々聞いてみる。必ず夫婦1組だけ?余計な1匹が同居することはない?その質問自体が余計なお世話という気もするが、成体では夫婦だけだそうだ。でも深海にドウケツエビの家となるカイロウドウケツが沢山あるわけではないので、ペアになれなかった個体は住処がなく、他の魚のエサに・・という悲しい現実が待っている。キラキラと宝石箱のような魚の世界だが、ここでも生きるために縄張りとエサを巡って覇権を競っている。外から見れば夢のように美しくても内側は甘くない。シビアな一面でもある。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
世田谷通信(147)
猫 草
健康食品やサプリメント、ダイエットや健康法にうまく乗れた試しがない。画期的な新発見というので「ほお~」と興味は持つのだが、いかんせん回転が速すぎる。試す前に次の商品に目移りして実行できない。
風邪薬すら、効いた実感がない。喉が渇いたり、頭痛がしたり、副作用はあっても、症状が改善されていると思えない。だから病院で1週間分の薬を出されても、2,3回で勝手にやめてしまう。まあ、正しく飲まず、信用していないので効果もないのだろう。医者に行って薬をもらった事実で安心して、あとは自然に回復するのを待つばかり。
では食生活がきちんとしているかというと、自信もない。家族の食事には野菜多め、塩分控えめ、油少な目、旬の食材を・・と気を使うのだが、自分は残り物と冷ご飯のお茶漬けで満足。三食お茶漬けでも問題ない。炭水化物を一切とらないダイエットも流行中だが、私にとっては炭水化物、特におコメが命綱。
ずっと疑問なのだが、どうして炭水化物が太る原因と言うのだろう。だって、炭素、Cですよ。あんなに燃えやすくて、いろんな物質ともくっつきやすく、エネルギー効率の良い物質はないでしょう。
カロリーを摂取しすぎて、体内に貯めこむから太る。摂取したカロリーは消費すればよく、燃焼効率の良さは炭素、とても優秀。炭火ってずっと燃え続けるじゃないですか。もちろん空気中と違い、体内での燃焼はゆっくりと低い温度で起きているけど原理は一緒。断じて炭水化物は悪者ではないと思いたい。お米好きからのひいき目の擁護である。
ヒトの体に必要なものって新発見とか新開発の凄い成分ではなくて、ずっとそこにある物で足りる。代謝や酵素が発見されたのは最近でも、仕組み自体は何万年もたいして変わってないと思う。昨日、今日の新発見より、ずっとヒトが選んできた実績を信じて、弥生時代からの日本人の宝、お米を今日もいただくのだ。それで不健康になるなら人類はとっくに滅亡している。
世田谷通信(146)
猫 草
季節感がなくなり、地域の祭りなどの担い手がいないので、町ぐるみで行う行事が減りつつあるという。しかしそんな流れと逆行してしっかり定着してきたのがハロウィンだろうと思う。10年以上前、社宅に居て、長男がまだ幼稚園だった頃は、単なる子供たちのためのお楽しみだった。親が仮装を用意し、クッキーやチョコなどのお菓子を家の前に並べて、子供たちが社宅を走り回ってお菓子を集めていた。今ほどコスチュームもなく、専ら親の創意工夫によるところが大きかった。手芸上手なら凝った衣装に、不器用ならお面とマント。ハロウィン用のお菓子もそれほどなく、普通の菓子をオレンジと黒の紙にでも包むので十分。海外居住経験があるお宅だと本場のグロテスクな蜘蛛や大きな蝙蝠で玄関をデコレーションして子供たちを怯えさせていたけど。なんにしてもエリア限定の子供の遊びの延長にすぎなかった。
ところが、ここ最近様子が変わってきた。子供から若者に拡大し、さらにいい年の大人もハロウィンのコスプレにはまっていると聞く。それ楽しいのか?と思ったらふと記憶がよみがえった。遡ること四半世紀前の学生寮での自然発生的な民族衣装パーティ。きっかけは一人がインド土産のサリーを着てみせたこと。「そういえば・・」と一旦自室に戻った寮生が世界各国の民族衣装を着て再登場したのだ。断っておくが留学生ではなく全員日本人である。どういう事情で皆のタンスにそれらがあったのかは謎。タイ、ベトナム、中国、台湾、インドネシア、スイスなどの民族衣装にアフリカのお面までずいぶんバリエーションは豊富だった。なし崩し的にフロアは仮装パーティ状態になり、知らぬ間に別棟の人まで民族衣装で参加していて、随分な人数になっていた。単にそれ1度だけだが。皆が同じ方向を向いていれば連帯感が湧くのだ。そういう意味では10月末に渋谷やテーマパークに仮装して出かけていって初対面で意気投合する気持ちもあながちわからなくはない。
同じコンテクストを共有することでその場だけのつながりが出来る。地域社会や組織でのつながりは薄れても、自分で決めた「価値」を共有する人とはつながりたい。ネット社会の「いいね!」を具現化したのが全く宗教的な背景をもたない日本独自のハロウィンかもしれない。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
世田谷通信(145)
猫 草
我が家の周辺の見通しが非常によくなっている。大規模な道路の建設予定地なので、立ち退きが進んでいるのだ。家から100m先はすべて対象地である。建設計画は10年以上前からあり、引っ越し当初からわかっていた。しかし数年前はびっしりと住宅が立ち並んでおり、ほんとにやるのかしら程度の気持ちでいたのだ。
しかし昨年からどんどん話が進み、1軒また1軒と更地になり、ふと気が付くと家からの景色が一変しているのに愕然とする。
家の解体は1,2日であっという間に終わる。あったものが失われ、つるりとした更地になると、数日で草が生える。すぐにアスファルトで覆われ、フェンスと鍵が取り付けられた建設予定地になるのだ。そんな無機質さが大半を占め、残っている家が、まるで荒野に剥き出しで建っているような印象になる。
そんな中、まだ残っている1棟の2階建て木造アパートがある。前庭には1匹の猫がいつもいる。住人からご飯をもらうのだろう、ベランダ横の洗濯機に座っていることが多い。雨でも雪でも外にいるので、半ノラだろう。みんなから「ミー」と呼ばれている白黒ブチの高齢猫は、タプタプした体格と愛らしい声をしている。ビニール袋を持った通行人には「ミャーン」と話しかけてくる。あのアパートも取り壊し対象だが、ミーはどうなるだろう。住み慣れた場所を追われ、住人が一緒に連れていくだろうか。
立ち退き後は、近所に新しく家を建てる場合もあるが、全く別の場所に移ることもあり、その判断はさまざまである。人間は自分の住む場所を自分で考えて決めるだろう。でもほかの生き物は?
先日、家の玄関前に1mぐらいのアオダイショウが細長く伸びていた。目が合うと音もなく木の陰にするすると入っていった。こいつも住処を追われたのかもしれない。人間の「壮大な計画」によって完成するもの、失われるもの。何が正解なのか成功なのか、よくわからない。
世田谷通信 (144)
猫 草
長男は受験勉強中。夏休みに入ったある日、猛然と部屋の片づけを始めた。小学校、中学校時代からの大量の雑貨や漫画を2日かけて分類し、大半を捨てていた。勉強に専念するために部屋のレイアウトも変えて、大改装するようである。確かにあんなに乱雑な部屋ではとても集中できないと常々思っていたので、喜ばしい限り。ずいぶん思い切ったものだと感心している。
「これ捨てる」と幾つかの段ボールに入れて、階下に運んできた物の中にはランドセルやらピアニカ、ゲーム盤、おもちゃのロボットなど結構大きな物もある。それらを燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ごみ、と分別して、場合によっては素材別に分解して捨てられる状態にするのに随分と労力がかかってしまった。結局、大きなビニール袋に10袋ぐらいになり、一度にはゴミに出せないので少しずつ処分している。「捨てる」ルールは以前より格段に厳しくなっているのだ。
近所のワンルームマンションにあるゴミ集積所は、曜日も出し方も滅茶苦茶なので回収してもらえないゴミがそのまま放置されている。カラスやネコが荒らす、どんどん汚れる、さらにゴミを出す、ポイ捨ても増えるという悪循環に陥っている。環境を悪化させるのはいとも簡単にできる。でも環境をきれいに復元し、それを維持させるには様々な大人の思いやりや配慮が必要なのだ。
人が快適に暮らしていくためには、様々な生活物資を供給することと同じぐらい、廃棄することが大事だなあと思う。特に夏の暑い時期に生ごみ回収が滞ったらと、想像するだけで恐ろしい。こんなにこまめにゴミ回収がなかった時代は畑に還元していた?物を増やさない生活を徹底していた?うまく回していたものだなあと感心する。
長男に触発されて、いろいろな場所の整理を始めたので、うちのゴミは当分の間、やや増量中。あれもこれも、いつか使うかも、もったいない、誰か必要とするかも、そんな言い訳で抱え込んだ物たちのいかに多いことか。時代遅れになり劣化し、意味不明になっている大量のものたち。大事そうにしまい込まれた段ボールを開ければ、いったいなぜこれを取っておいたんだろう?と自分の判断に首をかしげるものばかりだ。そして冬には部屋だけではなく、気持ちも少しすっきりと身軽になっていることを目指そう。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
世田谷通信
(143)
猫 草
ブックフェア、というものがある。学校や自治体の図書館に今年度何を購入するかの参考にする、新作・売れ筋本の見本市・展示会である。広いホールや体育館の中にたくさんの机が並んでおり、その上に数千冊のジャンル別学校図書館向け新刊、おすすめ本が置いてある。箱には注文用のスリーブの束がくっついている。スリーブというのは本に挟まっている書名のしおりみたいなものである。お目当ての本の中身をチェックして「これはなかなかいいね!」と思ったらスリーブを1枚引き抜く。たくさんの図書館関係者がぐるぐる展示会場を歩き回って、何冊も何冊も本を見て、手にはスリーブがたまっていく。それをパソコンスペースにもっていくと、即座に注文書を作ってくれる。そのまま注文もできるし、検討するもよし。また別のコーナーは商談もできるように出版社の人が笑顔で待機している。本屋さんとも図書館とも違う、一種独特の雰囲気だ。あえて言うなら一番近いのは魚河岸かもしれない。
似ているがちょっと違うのは自治体図書館主催の「リサイクル本払下げ」の場だ。年1回、ここにも図書館関係者が集うのだが、すべて廃棄直前の本なので、やや古いものばかり。会議室に可動式のブックカートが並び、本がぎっしり詰めてある。選書は基本的に早い者勝ち。1時間の制限時間内にカートから自分のテーブルに運んで、図書館名の入った段ボールに箱詰めしたらその図書館のものというルールだ。たまに自分の図書館蔵書で足りない巻があったりするので、掘り出し物を求めてみんな物凄いスピードで本の背表紙をチェックしていく。静かなバーゲンセールという雰囲気だ。
本に関わるのが仕事の人たちの、不思議な共有空間がそこにある。自分が読むためではない、たくさん購入して、古いものを捨てて、大量の本に囲まれて過ごす。そんな作業を繰り返している。ネット社会、電子書籍の趨勢で本が売れないとはいうものの、まだまだ本の世界は厚くて深い。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
世田谷通信
(142)
猫 草
今年も1学期が終わろうとしているが、すっかり子供たちも図書室の利用に慣れた様子である。4月には1年生から6年生まで、特別支援級を含めた25クラスを対象に図書室オリエンテーション実施している。
そうは言っても、入学したての1年生は椅子に座っているのがやっとで、お話を聞くのも数分が限界。なにせ先月まで園バスや親の送迎の元で幼稚園や保育園にいたのだ。ランドセルをしょって学校に歩いて来るだけで体力の半分を使っている。
だから説明は必要最低限、「本を借りたら、次の週に返そう」「走らず、静かに過ごそう」ぐらい。後は先生と協力しながら①本を選ぶ、②貸出カードに書く、③先生に見せる、④絵本袋にしまう、という4ステップ。
とにかく自分で読みたい本を探す。まだ習ってない字が大半なのは承知の上、貸出カードに一文字でもいいから書いてみる。書けたら先生に直してもらい、各自が持参した絵本を入れる袋に入れる。これだけの作業は4月当初の1年生にはとてもハードルが高い。「お母さんに会いたいの・・」としくしく泣いている子、上履き袋を持ってきて「本がはいらない・・」と困っている子。果敢に「魔法」という漢字に挑戦し、行を大きくはみ出して書いている子。「大型本を誰か間違って借りちゃたらどうしよう?」と心配になる子。大型本とは読み聞かせ用の本でかなり巨大、もちろん貸し出し禁止。というか間違えないよ、絶対気がつくって!
例年、最初は危なっかしい感じだが繰り返すうちに数か月でちゃんと行動できるようになる。説明よりも実践あるのみ。幼い子ほどその成長の速さに驚かされる。歳をとると1年も1か月もたいした変化はないし、むしろ日々衰えを感じるだけだが、6歳の1か月は砂地に水が無限に浸み込むような可能性を持っている。知識や経験を重ねると、顔つきも態度も見違えるように変わるのだ。
小学校の入学年齢引き下げという議論もあるそうだ。6歳でこんな感じだったら、5歳児ならどんなカオスになってしまうことか?それとも無理やり学校に詰め込んだらなんとかなる?いや、6歳だからこその吸収力なのではないだろうか。官僚や政治家の皆様は会議室で話し合うよりも一度現場に来てから決めてほしいものだ。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
世田谷通信
(141)
猫 草
「二兎を追うものは一兎をも得ず」このことわざを考えた人に、私は深く同意する。実際に2匹のウサギを追いかけた経験があるからこその実感があるのだ。
毎日、朝晩2回、うちの裏庭にウサギたちを放してやる。理由はいくつかある。まず運動不足解消のため。ウサギ小屋と言っても、寝る場所と運動場をセットにした1匹けっこう広いスペースはあるのだが、うちのウサギたちは「狭い!」「出せ!」アピールが激しい。そうはいっても家の中に放すと、お互いにオシッコをかけあって、床も壁もベタベタ。取っ組み合い噛みあって毛も飛び散って大騒ぎになる。掃除が大変で、とても出す気にならない。仕方がない、裏庭で存分にはしゃぎたまえ。という感じである。
以前、先代のウサギを裏庭に放していて、ちょっと目を離したら猫に襲われたことがあるので、私も一緒に付き添っている。新聞とコーヒーとケータイも持っていく。時々ランチも持参する。暇つぶしにナンバープレースのパズルでもあれば頭の体操にもなる。こちらは基本的に退屈なのだ。
そして2匹のウサギの本気の追いかけっこがどれだけ速いか。その敏捷さ、軽やかさ、時々高く跳ねて、急激にターン、横跳びしてフェイント、腰を落として加速、距離を詰める為のロングジャンプ。普段ののんびりした姿からは想像もつかない。しばらくすると、疲れるのか木陰で休んでいる。こちらも長時間外にいると蚊に刺されるので、「そろそろ帰るよ!」と捕まえようとする。すると今度はさらにスピードアップして逃げまわる。まさに脱兎。昔の人は上手いことを言う、なんて感心している場合ではない、本当にウサギは捕まらないのだ。口元に指を出すと、噛みつかれることすらある。こちらは「窮鼠・・」でウサギではないが、噛まれるとすごく痛い。ガリッと削ってくる感じ。「飼い兎に手を噛まれる」なんてことわざはないが、ショックな気分はよくわかる。
と言うわけで「二兎を追うものは・・・」とつぶやきつつ朝晩裏庭をうろうろするのである。ご近所には変な人だと思われていないかな。少し心配ではある。
世田谷通信
(140)
猫 草
動画サイトというものがあり、玉石混交、多種多様、ものすごくカオスな様相を呈している。なんだか深そうな世界で怖いので、入り口付近を覗くだけ。でも可愛い動物の動画は楽しい。調子外れのハトポッポを熱唱するオカメインコや「おかえりー」と主人をお迎えする黒猫はフォロワーも多く人気者だ。皆さん本当に上手にビデオを撮影するものだなあと感心する。
ウチでは「ああ、今のシーン、動画撮影してアップしたら人気出るのに」とか言うのだが、マメな人がいないのでさっぱり実現しない。例えばうちのウサギたち。家に来た当初は体重が250g、ほわほわの毛玉のような状態。ケージに入れたら、あれ?2匹ともいつの間にか外に出ている。何度入れても、やっぱり出ている。ドアも屋根もきちんと閉まっている。意味が分からない。ケージに戻してじっと様子をみていると、外の様子を眺めていた2匹は次々と、わずか3.5センチのフェンスの隙間をするんと通り抜けるではないか。毛がふわふわでも、骨格が華奢だからできた生後1ヶ月限定の技で、今は大きくなったのでもうできない。撮っておけばよかったねえ、と言うばかりである。
そうかと思えば、長男が「どこかの小学生が物まね動画をアップして、下手だという感想に対してまた動画で反論し、その反響すごくて荒れているんだよ」と言っていた。顔、学校、実名まで自らネットに晒していては、早晩実生活に支障が出るかもしれないのに、この深刻な状況に親や学校は気がついていないのだろうなあ。一度情報が拡散した後に削除するのは困難を極めるのに・・と恐ろしくも気の毒にもなる。
今も家の中ではウサギさんたちがダッシュしては高くジャンプ、時々まるでエアリアルの技のようなひねりを効かせて走りまわっている。一瞬のダイナミックな美技だが、残念ながら観客は私だけ。まあ、それもある意味、一期一会。刹那的ゆえの贅沢な話かもしれない。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」