忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

   自閉症者のひとりごと8d6a5443.jpg
(45)
12月19日
母教会でクリスマス礼拝を守り、愛餐会にも参加しました。洗礼を授けてくださった先生を彷彿とさせる伝統とでも言いましょうか、聖日厳守ぶりに思わず涙がこぼれました。主人にこのことを知らせるにはどうしたらいいのでしょうか。愛餐会で青年会が司会をしていた。あんなに小さかった子達が立派になって…なんだか親のような気になってしまった。
帰宅途中、庭木の山茶花が目にとまった。そういえば、母教会にも垣根にずっと山茶花が植わっていたっけ。掃除が大変だったけど、この季節の風物詩だったな。大きなセコイアもなくなってしまった。

 
12月20日
朝っぱらから病院に来ています。風邪気味ですが、それで来たわけではありません。周りが病人ばかりなので、こちらが病気になりそう。いっそインフルエンザにでもならないかな、現実逃避を妄想している現在です。
 
12月23日
綾屋・熊谷著「つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく」(NHK出版生活人新書)の言葉を借りるなら、次のようでありたい。個人の差異はそのままに、差異を超えた共感と合意を立ち上げるには、自生してくるイメージを、他者と交わし合うところに生み出される。ひとりで傷を抱えこまないこと。差異を超えた共通感覚も同時に育むこと。差異の偶然性に気付くこと。それがつながりの基礎になる。
まぁ言いっぱなしの聞きっぱなしでもいいってこともありかな、という感じです。ゆるゆるでもいい。何もかも言葉にして、それに反応していたら、わたしは死んでしまうでしょうよ。何でも話し合う夫婦というのを、幻想していたわたしは、疲れて爆発しそう。それにしても腰、膝、股関節が痛みます。
 
1月5日
12/30~1/3まで互いの実家に行ったり来たり。主人の実家では、姪や甥がまだ小さいので、もううるさいうるさい動物園状態でした。わたしは耐えられず、寝室に避難をしたり、メールをしたりしていました。やっとのことで帰って、今日になって疲れが一気に出てきました。今から、また夏休みも同じ状態だろうし、今度こそ前もって病気になってやる!と真剣に思っています。
 
1月6日
今年に入って、飲酒欲求に悩まされています。昨日は思い切ってミーティングに行ってきました。精神的に辛かったので・・・・。その代わりに、夕食は弁当です。わたしの場合、怒りが飲酒欲求を招くようで、自転車のベルを鳴らされただけでかっとなって、呑んでやる!と思ってしまうのです。わたしの怒りって何でしょうね。わたしはそれに振り回されている感じです。
飲酒やむちゃ食いなどは、自分の思いを相手(とくに主人)に伝えられないから。恐れの感情があるからだろうなぁ。今まで人とのやりとりをした経験がないというのもある。否定されたらどうしようって思ってしまうのです。身近な人とのコミュニケーションって、わたしにはかなり難しい。
 加納さおり 
 
 
                   
 
 
 
 
 
 
 
PR
   14cefaee.jpg自閉症者のひとりごと
(44)
 
11月22日
わたしの中には優しさはありません。何に対しても気弱、人に対しては、理由のない後ろめたいものがあります。それだけです。それが全ての行いの基盤にあります。だから、どこまでもこれでよしとするところがないのです。疲れます。
 
11月26日
主人は休みです。紅茶を入れてくれた後、2台のパソコンに向かっています(主人のパソコンは働き過ぎて悪くなってしまい、最近新しいのを購入)。そういう時は助かります。わたしは隣の部屋で寝転んでいます。音楽でも聴いていようかな。優しさが欲しい。優しく見守る眼差しが・・・。わたしの仕事は、見守ることだと思うから。
 
12月3日
精神科の帰りに、ようやく毎年使っている2011年用の手帳を買いました。お年玉の袋もクリスマスカードも買わなきゃならないし、クリスマスのご飯は何にするか考えなきゃいけないし、そもそも現金を下ろしてもらわないと何もできないし、帰省土産も準備しなければならない(この辺は主人は疎いんだ、嫁は手ぶらというわけにはいかないの!)し、大掃除はあるし。
たかだか夜が来て朝が来るだけのことじゃない。何で何時もと同じじゃダメなの?。変わったことは嫌いなの!わたしは、いつものように独り休む時間が欲しいの。何で皆集まらないといけないの?クリスマスや正月ほど静まりたいの、わたしは。
 
12月15日
最近、興味をそそる本を見つけました。
綾屋・熊谷/つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく/NHK出版生活人新書
アスペの当事者と脳性麻痺の当事者の当事者研究についての本です。社会とどのように関わっていくか、AAの12の伝統やべてるの家のことなども述べています。それにしても腰、膝、股関節が痛みます。それと同じくらい帰省のことが気になっています。あ~あ、年末年始くらい独りでゆっくり過ごしたい。
 
 加納さおり 
 
 
   自閉症者のひとりごと5a7fb143.jpg
(43)
 
10月18日
母とのわだかまりは溶けたわけではありません。辛い育ちをしてきた母が、わたしの育ち方が歪んでいるのは当然なわけで、それをズバッと母に言うのはせんない気がして言えなかったのです。本当は気付いて欲しかった。けれど、それによって母が深く傷付いてしまったら・・・それを引き受けるだけの強さが、わたしにはないのです。でも、これから、母とは少しでも近い関係を築いていきたいのです。
 
10月20日
昨日からの神経痛が、今日はひどくなって朝から寝ています。耐えるしかありません。 こんな日もあるさ・・・。 依存症だ。何が満たされないのか。何を甘ったれているのだ。昨日の過食で具合が悪い。アルコールはAA で、タバコは薬で何とか止まっている。止まっているだけだ。根本的には何も解決になっていない。依存症者の会にも通わなければならないのか? 認めて、信じて、おまかせ出来ないのだ。自分ではどうにもならないのにどうにかしようともがくくせに、神様の御手に委ねることを拒んでいる。 霊的に成長したい。
 
10月23日
自我を手放すことを、自覚していることが、解決の道だと思っています。自我が無くなるわけではありませんが、きっと自我が少なくなると恵みが増え、天秤ばかりの上下の繰り返しをしでも、自然に恵みが多くなっているのだと思います。信仰書を書いている人や学者さんは、我が強そうですね。それをきっと、個性とか言うのでしょうね。むかし流行った「ノンポリ」だって、「ノンポリ」と言う自我・スタイルですものね。
ところで、「つのぶえジャーナル」の中身が濃いですね。楽しみに待っている人たちの多いのは、よくわかります。
 
11月5日
今年のクリスマスはどのように過ごすのか、はっきりしていません。我が家にはドアの上を見上げると、年中かかっているリースがあります。今年もまたちっちゃい電飾を壁にかけ、人形をテレビの回りいっぱい飾るのだろうなぁ。今はスピーカーの上にハロウィーンのペーパークラフトがのっかっています。全て主人の仕業。わたしはそういう演出は嫌い。最近の教会の門のクリスマスの飾り(力作なんだけど)は、なんか変です。教会なんだから、サンタは関係ないじゃん。まだ降誕劇の人形のほうがまだましでないかえ、って感じです。

 
11月8日
依存状態に陥っているときの感覚、それは無。それが至福なのだ。自分がなくなってしまうこと、自己否定(宗教・哲学ではなく)の極み。しかし、わたしは現実に生きているわけだから、もう自己否定は許されない。楽しいこともやりきれないことも、いろいろなことを引き受けていかなければならない。イエスは重荷を下ろせと言ってくださる。また、わたしの軛は軽いからそれに繋がれとも。わたしにはまだその声に従えていないけれど、いつかそれが分かる日が来ると思う。わたしは生きていかねばならないのだ。生かされている限り。
 
 加納さおり 
 
s-IMG_0083.jpg「Tさん通信」
 
T きょうは、元気?
O うん元気 あんたは?
T あかん、死んでる(落ち込んでいる
O だから、最近静かなんやね
T うん
   O 人にはいろんな時が必要なんやて、その時に学ぶことも多いし、その時にしかできないこと
             も あるし
T そうかなぁ
O だからこそ、こうして話せるようになったやん
T そうやなぁ、そやなかったら、こもってるもんなぁ
        アル中になっているかもねぇ
O だったら、私ら畑依存症やなぁ 畑が、あるから出ることがあり、話すことがあるもんね
T そうやなぁ、よかったなぁ、出るところがあって
         O  そんじゃあね、はようご飯食べて畑に行かんと、たまねぎ500本植えな あかんねん 
T そう、私は今日内視鏡したし、ゆっくりするわ
O 私、歯医者行って来た
T じゃあね

 ご近所のお姉さん(農婦)と話すことができました。お姉さんは、お母さんの介護を15年くらいされていたらしく、勤めもし、50歳からいとこの畑を借りて(400坪位)、ブルーベリーやイチジクなどを作られています。猿といのししとの知恵比べをしながら 作っておられるとか・・・。私が、畑を借りて野菜を作るまで、話をすることはなかった人です。畑を始めて関係が広がり、鬱のしんどさをわかりあえる人が、できたことは、私には良かったことです。
 
 
 
   自閉症者のひとりごとs-IMG_0156.jpg
(42)
 
9月18日
痴呆症の進行している母を受け止めるって難しいなぁと感じるのは、わたしがわたしがという気持ちがあるからだと思います。母を頑固にするのは、わたしが頑なだからだと思うのです。
神様、わたしにお与え下さい。自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えていく勇気を、そして二つのものを見分ける賢さを、というお祈りを、AA のミーティングの最後にチェーンハンドリングでします。この祈りは言葉の深い意味とともに、静かになることを教えてくれます。
 
9月26日
異常に暑かった時のことを思えば、随分楽になりました。昨日から咳が出るので、風邪薬を飲んでおきました。漠然と時間が流れていく、そんな感じがします。昨日、今日と実家に来ています。疲れだかなんだか分からないけれど、礼拝に行く気にならず、横になっています。両親は元気そうです。母は何に関しても、わからんばかりで、考える気力が落ちているようです。
 
10月1日
へビースモーカーではないが、タバコはわたしの楽しみである。今まで何度かタバコを止めようとしたが、意志と根性ではやめられないことがわかり、値上がり前に禁煙外来に通うようになった。これまでも一大決心して挑戦したが2回挫折した。2度あることは3度あるともいうが、3度目の正直ということもある。どちらに転ぶのやら・・・・。
午後からは長い待ち時間の精神科である。ああ面倒くさい。薬で保たれている健康なので、行かなければ仕方がない。買い物をして帰りたいが、開店までにまだ時間がある。いつもの喫茶店で時間をつぶしている。
 
10月4日
今日のAAも神様のご臨在のうちに終えることができました。疲れてぐったりしています。腰が痛みます。タバコは薬物療法を受けているので、身体は欲しがっていないと思いますが、精神的に依存していると感じます。ミーティング会場では飴ばかり舐めていました。医師の「あなたはやめられると思います」の言葉が励みになっていると思います。何事を問わず、何気ない一言が意外な展開をみせるものですね。
実家に行って、母の行動がおかしいとは思っても、それでおたおたはしなくなりました。けれども元気に振る舞うのはなかなかパワーのいることです。
 
10月8日
爽やかな日和ですね。諦めと受け止めるとは違うんですよね。理想の母に何かを望んでも、それは依存だし。理想の母親像を押しつけるのは何もならないことだし、諦めるしか仕方がない。必要なのは母の現実を受け止めることだ。
母への様々な思いを手放さないといけない。神様に委ねる。自分育てを人間に依存しては、いずれ崩れていく。神様のご意志に従って歩むことこそ、満たされ、「生きる」ことができる。・・・これが今日のミーティングとアフターで感じたことです。
明日はわたし達の10回目の結婚記念日だ。特別に何かすることは考えていない。明日は天気もよさそうではないし・・・。ただ一本ユリを買ってきた。願わくばディナーを食べに行きたいなあ・・・。
 
10月9日
わたしのアルコール依存、ニコチン依存、過食、どれにせよ何かを埋めようとする思いからきていると思う。もう埋めるのはやめようと思う。人間的には絶対に埋まらないものだから。アスペという障害から生まれた数々の傷、過去における母との関係、絶対に変わらないこと。アルコール依存症と言われて、はじめて神様に従おうという意識が芽生えた。弱さのうちに完全に現われたのだ。いつか自我が収縮して、愛をもって人のために働けるようになりたい。これは至難の業だが、行動のない信仰は死だと思うから。
(前メールからして)わたしって極端だなあ。おまけに思いと言葉と行いがてんでバラバラ。それが今のわたしかぁ。興奮しています。これを書きながら、クールダウン×2…眠れるといいなあ。
 
10月11日
結婚記念日で、ファッションビルの中にあるフレンチレストランで、ディナーしました。とても美味しくて、ああ何て幸せ。その後、レコード屋(今どき)へ寄って何枚かジャズのレコードを買って帰りました。主人は歩くのが速いので、ついていくのが大変でした。とはいえ、たまには街中のデートも悪くないなと思いました。もっと一緒に出掛ける機会があったらいいのにな。帰ってから早速レコードをかけてみました。アナログ盤もなかなか良いものですね。
 
 加納さおり 
 
『Tさんの叫び』s-IMG_0155.jpg
 
自分の中で、死にたいと思う気持ちと何で死ななあかんねんと言う気持ちが葛藤しています。愛されない者の辛さは、他の人には理解されないんだとつくづく思います。愛で包んでもらったことのない者が、何で神様の愛が判るかと思う。何時も一人で決断し、行動してきた私にとって、愛で包んでもらいたいと望まなかったのかもしれませんが、誰かに支えられていると感じたことがなかった。でも、何時もそばに誰かがいた。でも、今は、いない。
私かて支えられたいし、支えたい。しかし、支える方ばかりでは、倒れてしまう。今は、支える方ばかりで、倒れかかっている。
何で? 何時まで私が? もう嫌だ。全てを放りだしたい。正直に言って、教会に行くのも疲れる。 生きるってどういうこと? 生かされているのかもしれないが、何で生きなあかんのん。使命ってなに?  
主人も、こんな状態になった時に、信仰を捨てたっと言っていた。主人にも支えがなかったからか、自分勝手なことばかりしていた。私には、全てが、理解できなかった。今も主人は理解できないし、支えにならない。安堵感がない。説明しても理解してもらえない。主人に理解してもらえるように表現ができない。
 愛された経験の無い者、アスペの愛の欠落者にどう説明しろというんだ。 今日、私が死んでも誰も困らない。母と兄は、困るかもしれないが、もういい。
このメールだって読まれても消されて、それで終しまい。私の、はけ口程度だろう・・・。聖書にあるでしょう・・・・。私の心に届かなかったら意味がないのだから、もっと判る言葉で説明してよ!
 
 
 
 
   自閉症者のひとりごと5b081e8c.jpg
(41)
 
8月17日
毎日本当に暑いですね。何もしたくない。出来ない。時々、「自閉症者のひとりごと」をPCで読んでいると、自分のことなのに、似ている人もいるんだと変な安心感と親近感を覚える。だから、読むのが楽しい。昨日、実家から帰ってきてくたくたで、寝ています。
母と話をするのは、大変です。いろいろ聞いて想像しないと駄目だし。ワガママだし。母の話を聞いていると、述語がポンと出てきたり、あれだのこれだのそれだので、こちらが聞き返さないとわからないのです。前よりまた少し進んでいるようです。受け止めるって本当に難しいなぁ。父も毎日のことで、だんだんとワガママになっていく母に疲れているようです。兎に角しんどいよう・・・・です。
 
8月19日
今日のミーティングはわたしの3年目のバースデー・ミーティングだった。むろん誕生日を祝うものではない。飲まなくなってから満3年という意味だ。1年を節目に行う。ケーキを持っていき、仲間のおかげであるという意味で、仲間とケーキを分かち合う。それで当人も話をして、仲間の話を聴く。ノンアルコホーリクなら、だから何だということになるが、アルコホーリクが飲まないことは奇跡なのだ。だからみんなで祝う。
3年という年は危険な年とも言われる。気を付けてねという警告でもある。
わたしは相変わらずひねくれ根性だし、謙遜さが全く身に付いていないし、何しにミーティングに出ていたのかと思うが、飲まないで生活が送れるのは何らかの効果があるのであろう。神様に感謝している。
 
8月22日
インクルージョン、日本語ではなかなかピタッとくる概念がないので、非排他的とでもいっておこうか。特別支援学校にしようか、普通校にしようか迷っておられる親御さんも多かろうと思う。個人的には障害特性に配慮した教育が行われることを切に望む。わたしの場合、障害特性などお構い無しだったので、一番充実すべき若い頃、大事な人生をパーにしてしまった。子どもの発達の可能性は無限である。子どもは集団のなかで育つ。だからこそひとりひとりのオーダーメイドの教育が欲しい。社会にインクルージョンの発想が欲しい。たまには真面目なことも考えるんだよ。
 
d13923dc.jpg8月23日
体調が万全でないなか、主人に誘われるままに、駒ヶ根まで行きました。千畳敷カールは別天地。空気がよく、涼し~い。主人はひとりで山まで登って行きました。とても充実した山歩きだったようです。わたしはわたしでぼんやり景色を眺めていましたが、不思議と飽きることはなかったです。さすがに身体にはこたえます。明日からが思いやられます。ここは自然治癒力に任せるしかないのかしら。あ゛~づ~い゛~。クーラーを入れても30℃を超える。わたしの風邪は治るのだろうか、しんどくて心配になってくる。わたしの場合、行楽に出かけても気分転換より疲労の蓄積のほうが大きい。
 
8月27日
‘願い’が発達につながると、全障研の学習会で学びました。わたしの願いとは何か。素直になること、勉強すること、自然に話すこと。とくにアスペは自分の言葉で語るのが苦手な特性を持っています。アスペという特性を持った宇宙人は、どのように発達するのでしょう。
 
8月30日
アルコホリズムは治らない。ただ回復はする。神様によってわたしの意志と生き方の方向を変えていただくことで、愛と奉仕に生きることによって、一日執行猶予されているのである。すっかり本の一文のような口調になってしまったが、アルコホリズムについて話をするときは、ついこうなってしまう。染み付いている。逃げるわけではなく、単純にアルコールが飲みたい時がある。そんな時、わたしはアルコホーリクなのだから、一度飲み始めると底無しに飲み続けてしまう。だから返り着くのはこれなのである。教会の礼拝に出席し、実家にも寄ってきました。相変わらず母の話はあまりわかりませんが、それでも顔が見れただけで、義務を果たした気がしました。どういうわけか母には反発とそれを何とかしなければという思いが両方あります。

 
9月8日
台風もこちらの地方からは離れていったようですね。今日は体に埋め込んだ機械の点検日でした。こんな天気だから患者は少ないだろうと踏んでいったのが大間違いでした。痛みを抱えている人は実に多いのです。変に同情してしまいました。機械の電気刺激だけではどうにもならない人が多いのです。
 
9月9日
AAの新しいメンバーが大鬱になっています。主治医には入院を勧められているようですが、本人はそれを拒んでいます。AA に馴染んできたので、ミーティングに出たいという気持ちがあるのでしょう。わたしは自殺防止の意味で、主治医のいうことがわかります。少なくとも3食付いて日課があるので。わたしも鬱の辛さが分かる。去年はわたしもそうでした。久しぶりにBさんのために祈りました。お任せするのが一番だと思います。
 
 加納さおり 

(うとろ港・タンチョウ)
s-IMG_0097.jpg
   自閉症者のひとりごと
(40)
 
7月16日
一昨日頃から、朝セミの鳴き声がします。虫は季節をよく知っています。大雨の被害が報じられていますが、全国的には空梅雨でした。これも摂理といえばそれまでですが・・・。
明日はスポンサーと会って話をすることになっています。先方は忙しい人なので、要領よく話さねばというか、わたしが意志を固めておかねば・・・。アスペの本と診断された用紙と、日常生活の棚卸しの表とAA の本をたくさん持って行きます。どういう話になるかはわかりませんが、時間をとってもらえてよかったです。
その続きでミーティングに行こうと思っています。今日は何もしたくなかったけど、洗濯物だけは干しました。
 
7月18日
今朝も早くに目が覚めて、落ち着かない時間を過ごしていました。礼拝に行きましたが、やはり落ち着かないので、途中で抜け出して、帰ってきました。助けて!という叫びに似た祈りをしました。今は家でぼんやりしています。明日はミーティング会場の窓口のサービスがあるので、午前中に家事を済ませて行かねばなりません。水曜日は先生の都合がよければ、AA グループのミーティング会場として、以前から使わせていただいている教会を貸してもらえるよう、お願いに行きます。牧師先生が変わると、また一からのお願いになるので、話下手の私には大きな課題です。
 
7月26日
アルコールを口にしなくなってからもう少しで3年になる。今も飲酒欲求はあるが、どうにかこうにか飲酒せずに過ごせている。アルコール依存症者は自分ではどうにもならないので、自分の意志と生き方の方向を神様に変えていただくしか、回復の手だてはない。神様から力を頂いて、怒りや恐れの原因を見つけ、埋め合わせをする必要のある人が出てきたら、それをきちんと行う。それを日々行う。祈りと黙想を通して、神様との触れ合いを深めていく。そして苦しんでいるアルコール依存症者にこのメッセージを伝えていく。信仰の道程に似ているのには、実に興味深い。
だがわたしはまだまだ神様に信じて従おうとしていない。早く従う者となりたい。
 
8月6日
明日から全障研です。明日の全体会は県の体育館で行われます。いちばん暑い時間帯に始まります。勘弁してよって感じ。明後日はいよいよ我が母校で分科会です。冷房設備がないので(わたしの在籍中はなかった)、どこまでもつかわかりません。思えば在籍中は、毎日が酒と運動と落ち込みと孤独の日々でした。今から思えばあの頃からアルコール依存症でした。随分無茶苦茶してきました。ろくに勉強してなくて、親には申し訳ないことをしました。
母校は何もない半農半漁の小さな町です。冬には強風吹きすさぶ地域で、心が寒々しくなり、雨が降れば駅が冠水、崖崩れで陸の孤島になる、そんなところにあります。
講義棟の渡り廊下からみえるあの海は、美しくもあったし、虚しくもありました。下宿から徒歩5分のその海は、海無し県で生まれ育ったわたしには、憧れでもあったし、恐ろしくもありました。
そんな日々の支えとなったのは、教会でした。まぁ、思い出が詰まった地ということですね。キャンパスラプソディーになってますね。卒業して20年も経つと随分感傷的になるものだわ。
                        
8月9日
全障研大会第一日目。しかしよく飲んだ、ペットボトル4本に缶コーヒー3本。学生の頃の講義を聞いているみたいでした。情勢と到達点と少し元気になる話でした。大会には10年くらい前に出たけれど、あらためて運動体だなって思いました。そこが大事なんだけど、ついて行けないところなんだな。丸一日学習漬けに、満員電車。今晩は眠れますように。
全障研2日目、分科会・学習会に行ってきました。我が母校は、こぎれいになったけど、相変わらずのローカルさは変わりません。わたしは学習会に参加したので、一日みっちり講義漬けでした。主に発達の基礎です。学生のころ、こういう講義が聞きたかったなと思いました。でも、それはその頃の基礎と、その後の実践があったからこそ、今、分かるようになったのだから、まぁいいかって感じでした。さすがに疲れました。今日のミーティング会場は代わりの人にお願いして、ゆっくり過ごします。
 
 加納さおり 
 
 
 大 漁
朝やけ小やけだs-IMG_0096.jpg
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。
 
はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。       金子みすゞ 
 
                                                          s-IMG_0049.jpg自閉症者のひとりごと
(39)
 
6月22日
21日、午後から受付窓口をしているミーティング会場に行きました。某クリニックより数名ミーティングに来るという連絡を受けていたので、落ち着かなくて、早めに家を出たので、早く会場に着いてしまいました。某クリニックはわたしの母校です。ミーティングは恙無く終えることが出来ました。感謝。
昨日、点訳講座をキャンセルしました。払い戻しはありません。
今朝は早く目覚めたので、昨夜の洗い物をし、夕食(夜のミーティングに行くので主人の分)を作って、シャワーを浴びました。そして1㍑もスポーツ飲料を自販機で買ってきて飲みました。わたしはスポーツ飲料を飲むと元気になります。普段ならそれだけ飲むと、食事が入らなくなりますが、汗をかくせいか平気なのです。また水飲み病にならねばよいのですが。

 
6月24日
女は助け手とありますが、助け手って何でしょう。わたしのほうがよっぽど助け手が欲しいくらいです。わたしのイメージは有能な秘書、それは間違いなのでしょうか。よくわからないのです。男性には求められていることが多いのですが、女性に求められることは、教会では黙っていなさいとか、主人に従いなさいとかそんな感じです。神様が造られたものだから、不要とは思いませんが、なぜ不可欠なものかは?です。
わたしは生物学的には女性ですが、中身はおっさんなので、何かこう!と決めてもらわないとしかるべき方向に向かわないのです。
 
7月2日
わたしには、普通女性が興味を示すことにそれがないのです。女性ばかりが集まるところ(専用車両、教会の姉妹会・婦人会、女性ミーティングなど)など気持ち悪い。ファッションでも可愛いものがダメ。おじさん達のほうが話が合う…などなど。
 
7月7日
たったひとつのファイルを読むために、何分間か待つことさえ、イライラするわたしです。朝方リアルな熱さと圧迫感と痛みを伴う夢をみて、その恐ろしさで目が醒めました。なんだったのだろう。それに疲れたのか、午前中は寝ていました。
ミーティングで、わたしが思うに、強迫観念に捕らわれているのではないかというメンバーの気持ちが、なんとなくわかるような気がします。見捨てられ恐怖というか。そのままでいいのに、見捨てられてしまうのではないかという思い。恐れは怖い。感情を支配し、行動を変えてしまうから。
午前中はしんどくて寝ていました。ようやく起きて食事を取ったところです。またゴロリとしています。
体形をみても、疲れかたにしても、衰えを感じです。それが怖くてしかたありません。主人にはからかわれるし。すっかりオバサン化してしまったわたしの姿が嫌なようです。
 
7月12日
金曜日から実家に行き、母教会の礼拝に出てそのまま帰宅しました。昨夜は、母がわたしが日曜日帰ることを知って、この家が嫌いなのとわたしに言いました。わたしは困ってしまい、嫌いじゃないけど帰らないとねと、言いました。その時、母が祖母の死を覚えていないことがわかりました。この先どれくらいの速さで進行していくのかわかりません。母がわたしの顔を覚えてもらえなくてもいいや。
わたしも感じていた、母の話はわからないことが多いというのを父も感じていて、それだけでなく、母が話が通じなくて怒ると言っていました。母は父が怒ると言っています。これが今の二人の生活のようです。帰り着いたことを知らせる電話をしたら、母が、寂しくて仕方ないから来てと言われました。また顔を出した方がよさそうに思いました。何もしていないけれど、帰ってきたら、疲れていたらしく、眠っていました。
 
 写真:ソバの花                        加納さおり 
    自閉症者のひとりごと76a973fd.jpg
(38
 
5月15日
わたしは冠婚葬祭以外素っぴんである。地下鉄に乗るときも、繁華街へ行くときも、礼拝に行くときもである。ドレッサーの引き出しには山のように化粧品がある。肌がとても弱いということもあるが、面倒なのと、化粧していると息苦しく感じるのだ。女のたしなみとしてファンデーションくらいは付けなければいけないのだが。
それと、わたしは男顔で素っぴんなので、ブラウスを着てスカートを履くと女装になってしまう。教会へは女装していくことがある。儀礼的なものである。なんか宙ぶらりんで身の置き所がないというか、女性的でも男性的でもないというか、それを求められても困るというか。ただ、わたしは地球人で、生物学的には女で、日本人だというだけだ。

 
5月16日
楽しかったことは何かな…と思うとやはり「二の会」と言う学び会を思い出します。何か好奇心がくすぐられる機会はないものかなぁ。今は毎日穏やかに暮らしたいです。何も思わずに。
 
5月19日
昨日自転車で派手に転んでしまいました。幸いなことに、打ち身と擦り傷程度で脊髄刺激装置には影響はなさそうです。ただ体中が痛いです。主人に話をしたら、それで?と素っ気ない風でした。ところが、今日電話で母に転んだことを話したら、えらい勢いで怒られて、乗ってはダメ!と言われてしまいました。でも環境からして徒歩で生活するには何かと不便ですので、乗っちゃいますけど。今日も雨の中カッパを着て医者まで行ってきました。
 自動車に乗る練習をしたいと主人に言ったら、拒否されてしまいました。確かに私の運転はとてつもなくへたくそであることは、以前、実家の事故で証明済みです。生涯学習センターであるミーティングの窓口をつとめることになったので、今まで地下鉄で通っていましたが、雨の日など行くのが億劫になってしまうので、せめてそこぐらいは車で移動できるようになりたいなあと思っているのです。あと、地下鉄を何度も乗り継ぐ精神科や駅から遠い眼科など、移動するだけで大変なので、なんとかしたいなあと思っています。ペーパードライバー講習という手もありますが、その費用を工面できない。せっかく新しいことにchallengeしようとしているのに。保険の費用や安全面からダメだと言われるのはわかるけど・・・。
 
5月21日
今朝3時半頃、主人が床に付きました。と同時にわたしが起きて、茶碗を洗おうとしました。そうしたら、主人がうるさいから後にしてと言いました。わたしはムッとしました。そして6時頃寝息を確認して、洗いました。考えてみれば、ガチャガチャしたら眠れないですよね。でもわたしは今でも不機嫌。なぜなら、予定したことが変更されるのが一番苦手だからです。
昨夜もわたしが昼間のミーティングに出て、少し帰りが遅くなって、新聞受けを見るのを忘れていました。主人が帰ってきて、見てみると不在通知が入っていました。そうしたら、受け付け時刻が済んでしまっていました。そうしたら主人が、通知の時刻が2時になっているよと言ったので、わたしはミーティングに行っていたと言いました。そうしたら主人が、ポスト見といてと言いました。わたしはムッとしてしまいました。わたしだっていつもいるわけではないし、たまには寄り道もするし、忘れることだってあるわ。けれどとりあえず、はい、と言いました。そんな些細なことが重なって、ずっと嫌な気持ちを引きずっているのです。よくないなぁと思います。
思っていることがあれば、ちゃんと言えばいいのに。それに当たり前のことを言われているだけなのに・・・。悶々として、ゴロゴロしています。
 
5月28日
実家に来ている。今朝というか昨夜というべきか、2:30に目覚めてしまいました。テレビを見ながら、夜が明けるのを待っていました。就寝が早めなので、寝不足ではないと思いますが、半日病院にいるとさすがに疲れます。今朝も母がコンタクトレンズがないといって探し始めました。コンタクトレンズなんて10余年も使っていないのに。しかも最初はメガネがないといって探し始めたのに、いつの間にか変わっていたのです。
ご飯を食べ終えたすぐに、何か食べるものはないかと探し始めたり。母は父が怒ると言っていますが、父の物言いがきつくなっても仕方がないかなぁ。この事実を受け入れながら、わたしも二人を見守っていかねば。母は週2回老人向けの体操教室に行っています。デイサービスも検討しているそうですが、本人の気持ち次第のようです。要介護1だそうです。
わたしに出来ることは顔を見せにくることくらいかなぁ。
 
6月1日
わたしって一体何者なんだろう。クリスチャンと言うアイデンティティはあります。生物学的には女で、結婚はしていますが、中身はおっさんですから、女性の働きといっても、感覚的にわかりません。若い頃から女だという自覚が今一でした。
主人と結婚したのも、彼を男性として愛したのではなく、異性だったから一緒に暮らすのには好都合だと思ったのです。そのうち愛せるようになれるのではないかと。肩で風を切って生きることに憧れ続けていたら、女性的な感じが抜けていったのかもしれません。自分は風を切って歩くタイプではないと知った(アスペだとわかった)とき、じゃあどうすりゃいいんだということに行き着いて、もがき苦しんでいるわけです。
 
6月11日
精神科の診察が終わったところです。掲示板に全障研全国大会が我が母校であることに動揺してしまいました。若い頃の思い出がいっぱい詰まったところです。自閉症の分科会がある。発達障害の学習会がある。それだけでウズウズしてきます。悪い癖が出てきました。
                         加納さおり   (写真・春の雑木林)
 
s-2010051515210000.jpg   自閉症者のひとりごと
(37
 
4月16日
私はもともと仲良し姉妹ではないので、実家で暮らしていた時も、ほとんど話などしません。だから何かの用事でもない限り、行き来することが出来ずにいます。何かよい口実があればよいのにと思っていますが、なかなかそれが見つかりません。信仰者としてそれが出来ないのがとても苦痛で重荷です。愛する、受け入れるなんてことは、言葉の上でのこととつい思ってしまいます。
 
4月26日
また変な時刻に眼が覚めてしまいました。体調不良だというのにどうしてなのだろう。礼拝は欠席。身体の弱さより気力のなさの方が心配です。GWは主人の出勤日が決まるのが遅く、旅行は行けなくなってしまいました。まあのんびり家で過ごす形になるでしょう。
それも困りもので、ずっと二人で顔をつき合わせているのも息が詰まります。憂鬱です。
昨日は発熱で1日寝ていました。主人に薬を買ってきてもらって飲んだので、効いてくれるといいなあ。健康の有り難みがわかりました。閉じこもったり心を病んでいる方は、自分も鬱病だけど、病気がもっと重くなるだろうな、この季節は・・・。とにかく動けないのですから。
 
4月28日
優先順位を付けられないのは、アスペの特徴でもあります。また、ただ付けた優先順位ごとに何とかこなしていけるかは、個人の問題です。わたしの場合、ここをと思ったらそのことで頭がいっぱいに陥ってしまいます。今は体を治すことに専念するために、休んでいる時間が多いので余計でしょうね。変ですが、我が家には3本体温計がありますが、どれもまちまちの数値を表示すので熱があるのかどうかもわかりません。ただ辛いだけなので内科の医師にはかかりづらいのです。
 
5月2日
せっかくの連休だというのに、家に籠りっぱなしの一日でした。
結婚する前はあんなに会うのが楽しかったのに、今は一緒にいてもちっとも楽しくないし、どこかへ出かけようという誘いもないどころか、行こうと誘うと生返事。腹が立ってきて、一人で近所のスーパーへガス抜きに行きました。
体はゆっくりできたかもしれないけど、気持ちの上では落ち着かない一日。早く日が沈んで、夜の帳が降りて、寝てしまいたいなあ。
 
5月3日
一日主人と一緒にいると、細かいことをぐちゃぐちゃ言われ、思わずむかついてしまいました。怒りや恨みは洗い流さねば、と今は思いますが、その時はものすごく不愉快。いかん、いかん、穏やかに受け止めねば。それと同時に、怒ったりするのではなく、自分の感情を表す言葉って難しいなぁと思います。
 
5月10日
皮膚科から帰ったところです。さっきから同じ音楽が頭の中を駆け巡っています。意図して変えないとダメ。しかし変えるのだけれど、また戻ってしまいます。あぁ辛い(-_-;)
音楽は日替りでやってきます。今のところ、昨日ほどひどくありませんが。思ってみると疲れたときにひどくなりますね。
またBGMや何気ない音にも反応してしまうため、外音を遮断するためにiPod を使うことにしたのです。バッハからロックまで様々な曲を主人にインポートしてもらいました。
店の照明なども疲れる要因にもなります。生きづらいなあ。
 
5月13日
わたしには美しいものがない。
この間は桜が満開の薄紅色の道を通った。近くの庭園では牡丹が見事に咲いていた。今日は公園では欅の若葉がキラキラ揺らめいていた。町のお店で好みの帽子屋を見つけた。ある歌手はいい感性していると思った。白檀の香は上品だ。詩編は筋の通った讃歌だ。
けれどどれも美しいとまでは思えないのだ。その状態は把握するけれど、それがどうこうとは思わないのだ。言葉では、綺麗だねとは言ってみるけれど・・・。そうしないと、わたしにアクションしても何の効果もないと思われたら、それで次に続かないから困るし・・・。
このような自分に素直になると生活できない。面倒なものです。
 
                 加納さおり
 自閉症者のひとりごと
 
(36
 
3月19日
最近疲れています。朝早く目が覚めてしまうので、昼間寝るようにしてます。今日は精神科に来ています。長い待ち時間なので、大きなコーヒーを二本買ってきましたが、1本飲んでしまいました。これも依存ですね。
 
3月27日
今日は麻酔科グループ治療のメンバーと、昼食兼お花見で、病院近くにある庭園公園まで来ています。家から現地集合にしたのですが、早く着き過ぎてしまいました。本当に今日なのかな・・・・ちょっと不安。ところで、自閉症は単体だけでは障害認定されません。わたしみたいに2次障害としてうつ病がある場合に、うつ病にのみ障害認定されます。だから精神障害者の施設が利用可能だし、自立支援証や障害年金が受けられるのです。
だから、自閉症の人は行き場がないし、話を聞いてくれる人もいないのです。アドバイスなしで話しを聞いてくれる人がいるかいないかで大きな違いが出てきます。dcbec623.jpg
 
4月5日
昨日は花見に行ってきました。いろいろな植物が花を咲かせていました。美しいとは感じませんでしたが、季節の移ろいを肌で感じました。今日は復活祭ですが、主人に洗濯物を頼まれて、そのままズルズルと礼拝を休んでしまいました。洗濯や家事仕事は苦手です。マタイの復活のところを読みました。宣教命令を読みながら、こうやってわたしのところにも福音がきたのだと感心しました。無償で与えられたのだから、無償で伝えねばなりませんね。福音を知らない両親より、教会に行きたがらない福音を知っている主人の方が気がかりです。
 
4月13日
自分の信仰・教会生活は、どうなっているのでしょう。たとえば教会内でも通り一遍のことが多いですから、それを感じます。人と正面を向いて語り合うというのは、どうも苦手です。自分をさらさなければ出来ませんので、緊張します。相手の方は真剣だと思いますから、なおのこと。わたしは自閉症ですから、自分を表現することが出来ません。飾り立てることが出来ず、いざとなったら自分をさらけだすより仕方がありませんが、それができません。人間嫌いではないのですが、そうなってしまう傾向がわたしの病気の特徴です。辛いですね。
        
               加納さおり
  自閉症者のひとりごと
(36)
 
2月19日
精神科に来ています。待ち時間が長いので、早めに来ました。時間的には同じなのですけど。家にいるとイライラするので。週末から週の頭にかけて、祖父の通夜やら告別式などで、今頃疲れが出てきました。往復や知らない人に囲まれて、疲れたのだと思います。
 
2月22日s-IMG_0031.jpg
薬を1種類減らしているからでしょうか、落ち着かないです。久しぶりに夜のAAのミーティングに行くつもりでいます。今、食事をしています。毎日家の中をうろうろしています。散歩でもすれば運動にもなるのに。
 
3月4日
疲れてくると、変にいろいろ考えたり、同じ音楽の同じ旋律がぐるぐる頭を回ったりする。
最近、障害者の障害ではなく、障がいとか障碍という文字が当てられるようになった。また、片仮名ではディサビリティドやハンディキャッパーではなく、チャレンジドが使われるようになってきた。しかし、差別用語と一緒で要は意識の問題だ。わたしは障害は取り去られるものでもないし、乗り越えるものでもないと思っているので、どういう表現でもよいと思っている。ただチャレンジドはいただけない。なんで頑張らなあかんねん?生きていくためだったら、健常者だって頑張ってるやん。障がい者だけ人一倍がんばらないかんみたいな印象を、わたしは持ってしまう。

 
3月9日
12~14日AA(アルコール依存症者の自助グループ)35周年大会in名古屋があります。全国、また世界から900人近くが集まります。わたしも部分参加しようと思っていますが、前日ミーティングで、家事もしなきゃならないし、礼拝はあるは、15日は朝早く病院まで行かなければならないし、大丈夫なわけないよなあ。は~あ。
 
3月12日
興奮したのか、また変な時刻に目が覚めてしまいました。
昨日はAA日本35周年記念集会オープニングセレモニーの途中まで参加しました。各地域のスピーカーが自分のことを話してくれました。回復している先き行くメンバーは元気ですね。たくさんの人の話を聞く中に、わたしは座っているだけで精一杯だったけど、いろいろなものをもらったと思います。具体的に分かるようになるのは、もっと時間が経ってからだと思います。
今日は女性ミーティングに行かせてもらうつもりです。
 
                       加納さおり
  自閉症者のひとりごと
(35)
 
 
2442c490.jpg1月23日
大人の発達障害というのは、自分探しの一つと捉える医師もいます。発達障害だとは気が付かれないで、過剰反応のところへ、鬱だということで薬を処方されて、それでもしっくりこないので、また薬を処方される。西洋薬はキレがいいので、余計おかしくなる。大人になってからの自分探しは大変です。わたしは生活の上で困ったことが多過ぎて、今の児童精神科へ罹ったのだけど、診断が付いて楽になったところがあります。
 
1月29日
アスペの大人たちは診断が受けられないので、困っています。適切なアドバイスを得られないのです。どこのクリニックへ行っても爪弾、結局、病院の梯子・・・。世界の偉人といわれる人には、アスペの人がいますが、ほとんどの人は凡人なのです。わたしも身を持て余しているのです。今日の喜びが欲しい。
 
2月2日
今まで何度も自分の生まれてきたことを恨めしく思ったことか。どうしてこんな病気になったのか。伝えたくても伝わらない。思いはあっても言葉にならない。焦れば焦るほどパニックに陥ることが、月に何度も起こる。孤独感、虚しさ、言いようのない不安感、怒り、恨み、そして絶望感。人はお祈りしなさい、信仰を確り持っていれば・・・という。背の低い人がお祈りして大きくなるだろうか。手や足の失った人がお祈りして元に治るだろうか。受け入れるなんて簡単に言われたくない。諦めの毎日。今日も、明日も、これからも生きている限り。ああもう嫌だ。
 
2月5日
Dr.に薬の整理をしてもらいました。本来なら入院3ヶ月で必要な薬なのかを見極めた方が安全らしいのですが、それは家庭の事情で無理なので、通院でできる範囲で行います。
ただ曲者なのが、どこまで高揚と低迷を耐えられるかを見極めるかがです。どんな状態でも最低限のことができることをわたしの条件にしています。
とりあえず1種類だけ減らして様子をみてみます。
 諦めの中にあっても光が欲しい。
                       加納さおり
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]