忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  自閉症者のひとりごと(10
 
12月12日
 寒くなって、雨が降るなんて嫌です。背中は痛いし、膝は痛むし。デイケアに行っても暗い感じがして仕方ないです。今、眼鏡をかけて生活していますが、外すと遠くは見えません。小学生の頃から強度の近視です。5年生のとき、席替えがありました。わたしのような眼鏡している人は後ろの席にまわされました。ところがわたしはその席では、黒板が見えませんでした。豆テストなど隣りの人に問題を見せてもらっていました。ところがそれが睨んでいるとみられ、悪口を言われました。それがエスカレートして、学校に行けなくなりました。この時は早く親が対処してくれました。もし席替えの時、わたしが見えませんと言えていたら、こんな事にはならなかったでしょう。6年生の時、アスペルガー特有の人の話がわからない、厳しい担任など様々な要因で、1年間学校に行けなくなりました。中学でも度々行けませんでした。思い出すのも辛いです。
子どもの頃から集団が嫌でした。話がわからない、遊びのルールがわからない。相手に合わせなくてはならない。周りの空気が読めません。自分を出すと杭を打たれ、知らないうちに、集団が怖くて仕方ないです。何かがあってというのではなく、生きていることが非常に辛いのです。78130d81.GIF
 
12月17日
日々の生活で何かをする時、続けてではなく細切れ作業はいいです。ところが、悲しきかなアスペルガーは「続けて…」が出来ないのです。試みてみるのですが…。日々の実感を自分の中で考えるのです。今、孤独? それとも孤立? それとも、ひとりが好き? 何かを探しているタイプ?…。 そうなんです。ひとりが好きで、何かを探しているタイプだと思っています。
 
1月8日
優しさについて思うこと。
 相手の意志を五感をフルに使って、根気よく聞くこと。それを共感すること。そして、その姿勢が常時であること。いろいろ言い方はあると思うが、わたしはそれが優しさだと思う。それらは通ずるのである。特に身体の不自由さゆえ意志を伝えることが難しいほど。
 わたしが主人に惹かれるのは、障害者(個人的に障碍者とは言いたくない、表面だけの言葉に聞こえるからだ)であるからだと思う。数年前付き合っていた頃は、彼はなまっちょろい「優しさ」だと思っていた。けれど、長く付き合い、結婚して生活するうちに、初めて、彼の姿勢は芯の強い優しさだと思うようになった。別にのろけではない。彼も鍛えられてきたのであろう。でなければ、わたしとは一緒に暮らすことはできないだろう。
                  加納さおり
 
PR
  自閉症者のひとりごと(9)
 
 11月15日
読んで下さる方に心より感謝いたします。その気持ちに偽りはないのですが、「生かされている」ということは、今まではありがたいことだと思っていたのに、今は拷問のような気がしています。神様にすべてを託すのは、アル中回復へのステップと同じです。ハイデルベルク信仰問答1の唯一の慰めを思い浮かべております。そして産まれてから現在までの導きを思い浮かべております。イザヤ55章なども。どう足掻いても神様のみ手の中にあることは否定できない。78130d81.GIF
 
11月27日
 ある日のデイケアでのミーティングで、人の話を聞いているうち、思ったことがある。生き方が不器用で、一生懸命生きてきた人たちの多いこと。自分もそうなんだな。前より「いい人」なんだなと思えてきた。断酒したら、無性に食べたくなっている。有る物は何でも食べる。酒が食に代わっただけだ。おかげで着る物に困っている。
 
12月4日
「疲れ」は誰しもが経験することである。わたしはどうやら頭が疲れるらしい。それから体に来る。依存症専門医院の移転に伴って、デイケアもそこで行われる。今までと比べると、自宅から通院時間が倍になった。そして最寄りの地下鉄から繁華街の駅で乗り換えねばならない。芋を洗うような人混みの中、雑多な音、これだけでもうわたしはボロボロだ。
そしてデイケアでのミーティングが1時間30分あるが、これ以上(午後からのプログラム)はダメだ。デイケアではお弁当が出るのだが、それを食べずに、疲労困憊でふらふらしながら帰る。帰り着くと、眠る。頭が限界にきているのだ。アル中ダメ主婦だ。高機能自閉症(アスペルガー症候群)には、感覚過敏を持ち合わせていることが多い。周囲の刺激がまともに、自分が知らないうちに入ってくるのだ。これを健常者に分かれといったって無理な話だ。
教会に行ってもそうである。説教の終盤、大事な要点のところを聞き逃してしまう。午後からの集会など参加した日には、クタクタである。本当に主の日は安息日なのかと、疑問にさえ思う。
                     加納さおり
 
  自閉症者のひとりごと(8)

10月11日
 疲れる。頭が疲れるのだ。だからデイケアも午前中のミーティングだけ出て帰ってくる。気候の変化で風邪気味だとも思うが、体がしんどい。
 気になっていることがある。05年の新受刑者3万3千人のうち、知的障害者とされる人は22.5%だ。レッサーパンダ男も中程度の知的障害と、わたしと同じ軽度発達障害である。それらの人がいわゆる健常者と同じ矯正、更生メニューでは本当の意味での反省、更生にはならないのではないか。現に再犯で刑務所に収容される。もっと病気に対応する社会福祉の役割が必要になってくると思う。
 なぜこのようなことに興味を持ったのか。それは、もしわたしが何らかの事件を起こしたり巻き込まれたとき、どうなるか(コミュニケーションが上手く取れない)と怖さを覚えたからだ。78130d81.GIF

10月13日
 わたしの住んでいる街の地下鉄では、電車がホームに入る直前に音楽が流れる。これですらうるさいと思うのに、上りと下りが一緒に入ってくると、頭が割れるほどの音となる。
 わたしの通っている依存症専門医院が移転となり、その間デイケアも休みとなる。その間とても非常に危険である。呑まないためには、自助グループのミーティングには努めて出るようにしょう。夜は家を空けにくいな…、主人にも承諾をもらわなきゃ、でも行かねば…。断酒2ヶ月が無駄にならぬためだ。まだ飲酒欲求が残っているので大変だ。孤独な自分との戦いだ。依存症と戦っている人の辛さ分かるよ!
 主人とわたしは手を繋いだり、腕を組んだりして歩いたことがない。わたしは主人の三歩下がって歩く。古風なのではない。コンパスの長さと速さが違うだけである。わたしは自然と主人の背中をみてせっせと歩く。
 暑いときは嫌だが、陽気の良いときは手を繋いだらどうなのかなあと想像してみる。こっぱずかしくてだめだ~。どこか散策に行くと、恋人たちは手を繋いで歩いている。よくやるよ、と思う。けれど、たまにはそれも悪くないなと思う。羨ましいの半分、恥ずかしいの半分というところか。散策しているときは、わたしのペースになっている。今度どこかでそっと主人の手に触れてみようと思う。どんな顔をするだろう。

10月20日
移転した新築のデイケアに来ています。何故生きなければならないのか、わかりません。呼吸するのも嫌になっています。神様に早く寿命を短くして欲しいと祈ります。早く召して下さいと祈りながらも、AAに通うわたしがいる。しらふのほうが辛いことが多い。神様は酒ではなく、人生の見方、乗り切り方を教えてくれる。けれどやはり余命を短くして下さいと祈ります。

11月3日 
 しらふで生きるということは、飲んだくれていたころよりも辛いことだ。目の前にあることをどう解決したらよいか考え、立ち回まわらねばならないからだ。飲酒欲求を抑えるのも厄介である。ただいま断酒4ヶ月目突入。何時切れるか分からない腐ったような吊り橋をわたって1日を過ごしている。半年経ったら自助グループではメダルをくれるといっているらしい(又聞き)。励みになる。飲酒が収まってくるのは3年かかるという。ひやーそこまで頑張れるかなあ・・・
 さて、最近何を読んだかというと、まだ途中であるが、田川健三「新約聖書」作品社
である。本文は5分の1、あとはみ-んな解説。これはちゃんと古代ギリシャ語のお勉強をした人でないと難しいよ。だから本文だけを読むことにしよう。
 まだ死に場所探しはしている。

            加納さおり
 自閉症者のひとりごと(7)
9月2日
 猛暑のためか体調がよくない。アトピーにも悩まされている毎日。何もかもが投げやりになったしまうが、どうにもならない。こんな私が、こんな日々で神様の栄光なんか現すことが出来ない。昨日も今日もデイケアをサボってしまった。気分が乗らない時でも、やらなければならないことがあるのに、わたしの気分や感情で動いてしまう。情けないがこれも病気の特性と言い聞かせている。
 
9月16日
 光通信の工事が済んだので、さあパソコンを…と思った途端、ワイヤレスマウスを本棚の隙間に落としてしまった。取れず、場所も分からない。主人にも言っていない。は~。
 連休疲れで寝ている。頭は働かない。先日、ふと原点はみ言葉に養われることかなあ…、祈りかなあ…、と思った。しかし、私は全然ダメだ。困った時の神頼みだから。田川健三の本が読みたくなった。78130d81.GIF
 
9月27日
頭がいっぱいになるということが他者に分かるだろうか。知らない間にどんどん情報が頭に入ってくるのだ。ちょうど食堂にある割り箸入れにびっしり詰まった割り箸のようだ。
だからわたしは、昼寝をすることにしている。寝ると少し楽になるのだ。これは「怠け」とは違う(とわたしは思う)。自分の体を守る上で大切な行為(日課)だと思っている。
 外出するとそれが妨げられることがある。そういうときは体がドキドキしたりこわばったり、不必要なものを買ってしまったりする。田川健三の本は読んでいる。
 
10月1日
 断酒して1ヶ月と少しになるが、落ち着く目安は3ヶ月位だという。神様はわたしに断酒を望んでおられるのか、自助グループに連れて行ってくれた人、デイケアを紹介してくれた医師と三すくみで飲まないようにして下さったのかもしれない。少なくともわたしだけはそう思っている。抗鬱剤が効いてきたのですね、元気そうに見えたということは。ゆっくりだよ、と医者に言われました。そうなると、もっと良くなりたいと焦ってしまうの繰り返し…。忍耐して待つは私の祈りの課題。
 痛みは辛いものです。痛みのある方、少しでも和らぎますようにお祈り申し上げます。わたしは久しぶりにブロックしました。アルコールの方は、断酒2ヶ月目になりました。ここのところ、デイケアをさぼっているし、AAにも顔を出していないので、不安です。
 
10月6日
 抱きしめて 抱きしめて 突き上げる怒り 愛しい気持ち
お願いだから抱きしめて 抱きとめて
でなければ 手すりを乗り越えて落ちるよ もう涙も出ない 
どうして 抱きしめてくれないの 助けてよ
 
 どうしてこのような気持ちに襲われるのか、自分でも分からない。孤独ではなく、ひとりぽっちという恐怖感…。薬を飲んでも、治療を受けても、祈っても解決しないという気持ちから抜け出したい。神様、助けて!
 
                加納さおり
78130d81.GIF  自閉症者のひとりごと(6)
 
7月10日
 最近でこそ気にならなくなってきたが、用事を思い出し、ふと立ち上がってみると、わたしは何のために立ち上がったのか、何のためにこの部屋に来たのか、忘れてしまうことが多い。以前はこのことでパニックを起こしたりしていたが、それがわたしの特徴なのだと理解出来るようになって、気にならなくなった。それは、どのことについても同じで、料理など作っていると、メモをしていても何で冷蔵庫に来たのか、ティーポットを取りに行くその場所を通り過ぎたり、細かいことを言い出したらきりがない。
 最近困ったことがある。デイケアに通っている人の顔と名前が一致しないのである。また、人の輪の中に入れない。これもアスペルガー症候群の特徴だ。社会生活を送るって、わたしみたいな特徴を持った人には大変だ。窓を開けるだけでいろいろな情報が入って来て頭が疲れ切ってしまうのだ。
 
7月30日
 デイケアのある日は、午前中のミーティングと昼食を食べた後帰ってくる。帰ってとにかく眠る。午前中の脳の疲れを取らなければならない。そうすると、夕食の準備をするのにちょうどいい時間になる。それがリズムに乗ってくれればよしとする。しかし、簡単に夕食の用意というが、これがわたしにとって簡単ではない。献立を考えて、その順番や材料を揃える。それからが大変、おたまは何処、ああ鍋が噴いている、お味噌を入れなきゃ・・・。一度に1つのことが出来ないのである。話もそうである。一度にいろいろいわれても分からないのである。
 それは外見からは分からない。わたしは何となく喋るから、自閉症(アスペルガー症候群)とは思われないのである。しかし、分からない、分かってもらえないということほど辛いことはない。デイケアのない日(休診日)は、自助グループのミーティングに出ることを教わった。曜日に合わせて行ける時に行く。確かに抗酒剤の副作用の影響はあるが、飲酒しなくなった。1日1日が今は大切だ。
 
8月29日
 ここ数日、泣いている自分がいる。今も先程から泣いています。落ち着かないで部屋の中をうろうろしながら。主人に伝えることがあるのに、お喋りが出来なくて、それが一杯あっても、どうしょうもないのです。ダメ主婦だし、もう生きたくない。死にたいとは違う。もう生きるのが辛くなって…。ここは6階だ…。
 
9月1日
 昨日の感情の高ぶりは何だか分かりません。明日、精神科に行きます。アスペルガー症候群でアル中、掃除も出来ない。餌のような食事。主人には本当に申し訳けない気持ちと、わたしが伝えたい気持ちが抑えられてしまう気持ちのなかにある自分が寂しい。禁酒は一ヶ月続いているが、夫婦の聖書輪読は消えてしまった。
 
                   加納さおり
 自閉症者のひとりごと (5)
 
6月2日
 わたしは10代の頃より、腰痛に悩まされている。それでペインクリニックに通っている。暫らくの間、我慢が出来たので、通っていなかったが、限界が来たので行ってきた。硬膜外麻酔を行うので、安静時間が必要になる。痛みも一時的とはいえ取れたし、眠ってもよいのであるが、今日はそういうわけにはいかなかった。出掛ける前に、またしても呑んでいたのだ。自転車で行くことでもあり、自分では控えめにしたつもりだが、わたしは呑んで寝ると起きられなくなってしまう。ベットの上で眠らないように、眠らないようにと思いながら横になっていた。何とか時間をやり過ごすことが出来、無事に帰ることが出来た。我ながら愚かしいことだと思う。本当に何とかしたい!
 
6月3日
 今日も洗濯をしながら、アルコールを呑んでいた。辛かったけど、この間、修理に出した家電を受け取りに行かねばならなかったのと、お世話になったお店に菓子折りを買って来ることになっていたので、仕方なく外出することになる。それらの用事を済ませた帰り道、またもやアルコールを買ってしまった。主人が腹痛で横になっているのを尻目にまた呑んでしまった。
 最低限の家事をして、昼間から後は呑んで寝るという日が続いている。こんなことで好いわけがない。いろいろ思い煩うことはあるが、そんなことは忘れようとは思わない(思い煩って呑んでいるわけではない)。
 78130d81.GIF一体、何が原因なのかが分からない。そういったことが分からないのも、アスペルガー症候群の症状の一つでもあるらしい。
 障害者職業センターも、ひきこもりのNPOにも見学に行ったが、自分の条件に合う所は無かった。今は、何をしたら良いのかが分からない。一日中、酒びたりの生活、頭も体もコントロールが出来なくなってしまった。助けて、助けて、助けて!
 
6月7日
 今日は主人の休みの日だ。わたしも何もしないでゆっくりしている。そして休肝日だ。辛いなあ。
 受難週の時、特別に何をするあけではないが、バッハの「ヨハネ受難曲」をかけてみた。イエスとその弟子、群衆と支配者階級と福音史家、そして聴衆(つまりわたし)との絡みが醍醐味だ。大作「マタイ受難曲」も同様だ。わたしに問い掛けてくるのだ。お前は本当に悔い改めているのか、口先だけでわたしは罪人ですと言っているだけではないかと。
 アルコールが呑みたい。呑みたい。でも主人がいる。一緒に呑むという気持ちにはならない。
 
6月12日
 情けない! 悲しい! 礼拝に行く前に、アルコールを呑んでしまったのである。こんなわたしに、礼拝に与かる資格があるのだろうか。空きっ腹に呑んだせいか、体の変調を覚えつつ、教会へ出掛けた。わたしは一体どうしたらいいのか。恥ずかしいやら、情けないやら、心がはち切れそうだ……。こんなこともあった。うれしくてたまらない! 今週の日曜日、主人から「聖書を読まない」と。わたしは酔っ払っていたがうれしかった。そこで主人が聖書を朗読した。
 昨日も聖書を読んだ。うれしくて、うれしくて、御言葉の中身まで理解できなかったが、神様、ありがとうございます。
 にも拘らず、ビールを飲みながら、これを書いている。 食前礼拝は、黙祷になりかけると、あわててわたしが短くお祈りする。。
 
6月25日
 アル中専門病院に来ている。レクチャーでアル中は体質であり、意志の力とは関係ないとのこと。少しだがほっとした。完治しないから、一生酒との戦いだ。待合室には結構な人だ。それだけ依存症の人が多く存在しており、苦しんでいることを知った。デイケアに通うようにしているので、抗酒剤を飲んでいる。デイケアのプログラムの中に、いろいろ書き出す設問があった。例えば、「あなたは自助グループに参加したことがありますか」など。つくずくアスペルガー症候群だなあと思った。想像力の欠如に加えて設問に対して辞書のような答え方である。話す時には少しだけ話を膨らませようとするがふにゃふにゃ。通う理由は少なくとも通っている間はアルコールに手が伸びずに済むからである。
こんなことがあった。主人が「俺だって休みたいほどしんどいのに、ビール飲みたいのに、我慢しているのに一人で飲まないで…」と言われた。グサッときてしまった。
                                 加納さおり
自閉症者のひとりごと (4)
 
3月30日
 今日は精神科の受診信日だ。想像以上に待ち時間が短くて、速く済んだので、以前に書いた映画「モーツアルトとクジラ」を観に行くことにした。観想としては、爽やかなラブ・ストーリー。ノンフィクションで、主人公の男女二人ともアスペルガー症候群である。 関係が近くなればなるほどアスペルガー症候群の特徴が邪魔をしてしまう。けれど、普遍的に言えること、それはお互いの違いを受け入れ、愛し合うこと。確かに、二人ともアスペルガー症候群の特徴をデフォルメされているから、特別な映画に見えるけど、誰にでも当てはまることなのだと思う。
 アスペルガー症候群のサイトを覗いて見ると、「恋愛」が分からないという人がとても多い。実は、わたしも分からない一人だ。では、何故結婚しているのかといえば、事情はいろいろあるが、主人が私を受け止めてくれたことと、繋がりたいと思ったらだ。
 最近の映画館はきれいだ。しかし、やはり音が大きくて、わたしにはかなり辛く、肩が凝ってしまった。まあ、久し振りの映画鑑賞が出来て好しとしよう。
 
3月31日
 汚れ物が溜まってきたので、洗濯機に突っ込む。その間に、朝食の皿を洗い、四角い部屋を丸く掃除機をかけながら、お酒を飲んでいる。午前11時頃から午後4時まで眠る。好いご身分だこと! メールの着信音で起き出して、お米をといで、炊飯器の中にドボン。今晩のおかずは何にしようと考えるとまいる。
 わたしの場合は、水に触れることが嫌い。よほどのことがない限り(例えば食事作り)、手を洗うこともしないし、お風呂には入らない。シャワーで済ませてしまう。それも、毎日ではない。しかも、烏の行水。不潔だとは思うが、そういう感覚過敏さを変えることが難しい。どうしてこうなったのだろう。分からない。勉強がしたいのか。静かに本でも読んで……。しかし、何故か、何時もの好奇心が湧いてこない。主人に甘えたいのかもしれない。とにかく、酒好きなのと酔いたいの両方。自閉症者は不安がいっぱい。だから回りの人には理解できない行動に出る。
      
加納さおり
 
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]