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その愛のゆえに
=時々の記=
(98)
4月17日
母との思い出はやはりとても懐かしく、事が起きるたびに、母に相談したい思いに駆られたり、お祈りしてもらいたい気持ちになります。納骨日の20日は雨模様です。それもまたよい思い出になることでしょう。
‘母は涙乾く間無く祈ると知らずや’と賛美しながら天国で祈り続けてくださいね。と話しかけています。
4月20日
今日、イースターに母の納骨を執り行っていただきました。愛する母との懐かしい思い出が次々とよみがえってきて、あふれ出る涙を止めることはできませんでした。姉は、教会の皆さんにご挨拶を述べました。58年前、伊賀上野に一家5人でやってきたのが、ちょうど4月の末でした。その時は5人が泊まる家もなく、信徒のお家を日替わりで泊めていただき、やっとのことで市営住宅に移り住み、ほっとする間もなく出ていくように言われ、途方に暮れていた時に諏訪武臣先生、マカルピン先生のご支援を頂いて、今は壊された、旧牧師館と礼拝堂が建設された時の喜びは今も鮮明によみがえってきます。今、このような大きな礼拝堂で礼拝を捧げることが出来ることは神様のお恵みとしか言いようがありません。
父と母の生き様はまさに讃美歌146番です。皆さんでご一緒に賛美してください、と言うと、小野田先生がそれでは歌いましょうと言ってくださり、皆で賛美いたしました。長い間教会の礼拝に出られていなかった方たちも来てくださり姉と私はもう涙で胸がいっぱいになりました。気を遣っていたのでしょう、今はがくんと疲れが出てきています。
4月24日
こちらは朝は霜が降りるほどの寒さでしたが、日中はとても気持ちの良い一日でした。昨日とは別の道を一人で散歩いたしました。日差しがきついので、日傘を差しての散歩です。日中ですのに誰にも会わずに、会話もなしに帰ってきました。なんてさびしい村になってしまったのでしょう。でも車はカーブでもスピードを落とすことなく飛ばしていくのに何台も出会いました。路を歩くのが怖くなってきました。やはり犬たちと一緒のコースで山道が安全かなと思いながら景色に目をやるゆとりがなく急ぎ足で帰ってきました。
犬いると喜びあげぬ初ツバメ。
遠霞次の一歩を踏み出さん。
図書館の桜の枝の躍動す。
飛花落花永久の命を願わばや。 馬場路哉
4月28日
5月号の「今月のことば」にありましたが、皆、人にはそれぞれに歌がありますね。その歌は時には喜びの歌であり、また時には悲しみの歌でもあります。でもその時々にあって、その歌は神様に訴えるのであるのでしょう。神様はいつもその時々にあって正しい歌で導いてくださると確信して今も歌い続けている私です。
若草をサラダとしたる犬の食(は)む。
仰ぎては仰ぎて食ぶる花見かな。
車椅子ゆるゆる押され花吹雪。
読書して覚ゆる自由春の空。
囀りに妙なる調べ散歩道。
花匂ふ里山村の中ほどに。 馬場路哉
5月4日
パソコンが故障してメールが出来ません。その淋しさ、不便さを痛感しています。如何にパソコンが生活の中に入っているかを知らされました。暫くかかると言われてしまいましたので、手紙にして送ります。
草創の夫人納骨イースー。
夢に見る御国の姿イースター。
公園の青柳吹かれ啄木忌。 馬場路哉
5月5日
朝からうっとうしい雨模様です。昨日はオルガンで賛美しました。NHKTVで『花子とアン』を見ました。村岡花子さんの生きざまに触れ、子供の頃よく読んだ『少女パレアナ』を一気に読み返しました。パレアナがどんな悲しみに出会っても、どんな苦しみにあっても、その中で‘喜び探し’をし続けた姿にクリスチャンとして大いに学ぶところがありました。そんな生き方を祈り求めたいと思いました。
病癒え門(かど)掃く嫗(おうな)春夕べ。
弟子たちは復活の主にまみえかり。
滔々と瑠璃は変わらず春の川。
真善美求めるために入学す。 馬場路哉
5月6日
寒い朝です。ストーブをつけました。犬たちも冷え込んだのか、早く連れてって、と催促しています。東北ではクマが人を襲ったというニュースに驚きました。山添は猪や鹿、狸や猿などの動物が餌を探しに山里まで下りてきます。犬たちが吠えてくれるので近寄りませんが、筍はすっかり食べられていて無残な姿だけが残っています。1本だけ見落としたのか残っていましたので早速持ち帰り、自然の恵みを味わいました。山の奥に入るとわらび、ぜんまいがあります。上野や奈良から山菜採りに来る姿が見られ暫くは賑やかな田舎の様子です。
車椅子蒲公英(たんぽぽ)近く止まりをり
高原に降り立ち薫る春の風。 馬場路哉
5月8日
昨日、伊賀上野に出掛けて、お花屋さんを覗いてみました。5月の第二日曜日は、母の日ですから所せましと言わんばかりにカーネイションが置かれてありました。今はカーネイションの色も黄色や、オレンジなど色が豊富、びっくりです。この母の日の由来は学生時代にポーリン・マカルピン先生のお話を聞きました。これはアメリカのある牧師さんがいつも信徒のために牧師を支えている夫人に感謝の意味を込めて、特別に五月の第二日曜日を母の日と名づけ、大きくなって家を離れた子供たちも、その日だけはみな家に帰って母に感謝をささげる日ということでした。ですから皆さんもぜひこの母の日のことを覚えて、感謝を伝えていきましょう、とご奨励くださり、その話を聞いていた学生たちは、故郷の母のことを思い出して、祈りをささげました。今また今年は特に思い出しています。最後に皆で、讃美歌510番を賛美いたしました。
‘汝がために祈る母の、いつまで世にあらん、永久に悔ゆる日の来ぬ間に、とく神に帰れ。春は軒の雨秋は庭の露、母は涙乾くまなく祈ると知らずや’。
母は本当によく最後まで私たちのために祈り続けてくれたことに母の日を前に‘お母さん有難う’とお礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
今年の母の日は、今まで一度もプレゼントなどしてくれなかった息子がサプライズのプレゼントをしてくれる、ということです。さてどのようなものが郵便局から届くのでしょう。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(97)
3月12日
寒さの峠も越えたので、やっと庭の梅が膨らみ始めました。いつもの年より二週間は遅いように思われます。先日初鳴きをしていた鶯は今朝も聞かせてくれました。先日よりもずいぶんなめらかな鳴き声です。春がそこまで来ているのでうれしいのでしょう。
3月15日
梅がまだ咲き掛けなのに、もう桜です。季節の早い移り変わりについていけません。でもやはり春はとても華やかですね。私たちも年のせいでしょうか。一日がとても速く過ぎていくのです。ウロウロ・オロオロしている内に時間だけが早く過ぎていきます。これといった仕事もしていないのですが、家事をこなすだけで精一杯になってきています。私にとってその家事の合間に楽しみが二つあります。一つはジャーナルに目を通すこと。あと一つは「キリストへの時間60周年」に送っていただいてCDを聞いて、一緒に大きな声で賛美することです。
小さな楽しみですが、この二つの時間がとても大切な時なのです。
3月20日
大池を抱ける雑木山笑ふ。
長年を鍛へしスキー大ジャンプ。
里山に松柏(しょうはく)多く風光る。
トユ掃除沈丁の香の立ち登る。
耕され、なお残りたる棚田かな。
明星と並ぶ時あり春の月。
古寺や珍しき種の花椿。 馬場路哉
主人の日課は早朝の聖書通読に始まり、俳句をひねること、散歩に出かけることの3つです。散歩をしながらも俳句を考えているようです。その俳句をジャーナルにいつもたくさん載せていただいて感謝しています。
3月24日
昨日、燕
今年の冬は特に長く厳しかったので、このような春が訪れてくれるのがとても待ち遠しかったのです。春は選抜からと言われていますが、高校生たちのはつらつとした姿にも心打たれています。
3月31日
本日、4月号のジャーナルが届きました。「今月のことば」にありますように、私たちは心の中をかざろうとせず、外観ばかりを気にしていることに気が付くのがとても鈍くなっています。私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス様のことをしっかりと覚えて、新年度のスタートを切りたいと祈るものです。特に今月はイースターを迎えますから、そのことを真剣に覚え感謝して復活されたイエス様を信じて歩んでまいりたいです。
ポーリンマカルピン先生の「さんびか物語」のまえがきにも心打たれ、感激しています。昨日、昔の写真を整理していたら、マカルピン夫人が奏楽しながら礼拝をする人たちとともに賛美する姿が目に留まりはっとさせられました。礼拝を捧げる者が奏楽者と一体になっているのです。その姿に伝道の熱い思いが込められているように思いました。
4月2日
4月、春の訪れとともに、一斉に教職員の異動、郵便局員の異動が発令され、慣れ親しんだ方から新しい方へと移り変わっています。転勤された方は緊張した面持ちでこの一か月を過ごされることになるのでしょう。先ほども郵便局の方が転勤になったのでとご挨拶にきました。お話の中で、伊賀市から来られているとのこと。そしてクリスチャンであることも教えてくださいました。
松坂まで礼拝に通っているとのこと。
広大な畑玉葱の苗青む。
野遊びの心堤防歩きけり。
散歩道、よきさえずりを聞きにけり。
シラサギの塒(ねぐら)を見つけ野遊びす。 馬場路哉
3羽だったツバメがあっという間に12羽に増えています。とてもにぎやかになってきました。電気屋さんが工事に来てくださって、こんなにツバメがいるお家はめずらしいですよとと言って帰られました。きっと犬たちが守ってくれているのが本能的にツバメに伝わるからでしょう。電線にずらりと並んでいる姿はとてもかわいらしく、また勇気付けられるものです・
4月3日
4月20日はイースターですね。イエス様が死に打ち勝って三日目によみがえられた記念すべき日に母の納骨を執り行っていただきます。母は、よく生前に言っていましたが、イースターがもっとも大切にしたい日だと。そのイースターに納骨できることは残された私たちにとってもとても感謝です。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(96)
2月14日
こちらは今朝から、大雪に見舞われています。名阪国道も上下線とも通行止めになっています。大雪警報が奈良県全体に出ていました。JRも関西線は不通です。明日もまだ晴れ間が出ないとか。困り果てています。でも、このような大雪に見舞われて初めて、申し訳ないことに雪国の方たちの冬のご苦労がわかる者です。深く反省することしきりです。冬きたりなば春遠からじという言葉がありますが、春がなかなか来てくれない
2月17日
困難に耐えし、日数や春めきぬ。
早々と畑点々と草青む。
竹藪をいくつか過ぎて、梅探る。(月ヶ瀬にて。)
山の上残照白く日脚伸ぶ。
如月や、首と足には物を巻き。
海の色なせる若布を買い求む。 馬場路哉
このような雪の中でも主人は
2月28日
暖かい春の日差しの中、本日、ジャーナル3月号をお届け頂きました。
亡き母の誕生日(2月28日)でしたので、母からのプレゼントのようで一層嬉しく受け取りました。もう亡くなって二ケ月が過ぎますのに、夜空を見上げては、母に話しかけている毎日です。
ジャーナルでは多くの皆さんに励まされています。
新潟県の読者の方、雪おろしのために親孝行されているのですね。ご苦労なことと心からお察しいたします。母の実兄が新潟の診療所で雪深い日に一人で亡くなっていたと聞いています。地元の多くの方が大雪の中、お見送りに来てもらったとのこと。人情深い雪国の方との生活だったことが偲ばれます。
関西には「お水取り」の行事が終わらないと春はやってこないといわれています。昔の方たちは何かしら、そうした行事に結び付けて季節を感じ取っていたようですね。
パラリンピックでの選手のみなさんの活躍ぶりに、目を潤ませてばかりになりそうです。
川幅の広き堤防野火(のび)上がる。
春暁や新聞配る灯の見ゆる。
通学路老ひて歩けば草育む。
蝋梅や日当たりの良き崖に住む。
主を称ふメゾソプラノやイースター。 馬場路哉
3月7日
また寒さが冬に戻って、雪がちらついています。梅もまだつぼみのままです。
早く温かい春が来てほしいものと、梅の枝をじっと見つめていると、鶯がやってきて初鳴きを聞かせてくれました。細い鳴き声ですが、”もうすぐはるですよ。”と教えてくれたようでした。感激したひと時でした。
杉ヒノキ雑木入り組み山笑ふ。
石丸く砂輝ける春の川。
頼山陽詩碑に佇み梅探る。
門前の盆梅太くなりにけり。
会ふ人と冴えかえること話しけり。 馬場路哉
とてもうれしいお知らせを頂き感謝です。「旧新約婦人物語」の後どうなるのかと思っていましたら、4月号から「讃美歌物語」になるとのこと感謝です。私にとっては「讃美歌物語」は聖書に次ぐ大切な本です。教会で奏楽のご奉仕をさせていただいていた折には、何時も讃美歌物語に目を通して、その作られた由来や作詞者の思いを読んでいますと、とても力つけられたのです。時には礼拝のあと、その日の礼拝で賛美した讃美歌についてマカルピン先生の書かれた文章を皆さんに聞いていただいたことがあります。それはとても好評でしたが、時間的な問題もありいつの間にか消滅してしまいました。讃美歌を歌えることの素晴らしさ、その歌詞はまた祈りの言葉であるのです。
若い日に青年会の方たちは毎晩教会に集って来るのです。いったい何が目的なのかを尋ねたら、思い切り讃美歌をうたいたいので・・・。勉強ばかりしているとどこかでこのように清らかな讃美歌をうたっていないとやっていられないんです、と本音を言ってくれました。
そして、母に混成4部合唱を指導してもらい、見事にその年には信徒の前で500番、494番、122番を賛美し、大きな拍手を頂いたことが思い出されて懐かしいです。私は今も、朝と夕には賛美(大きな声)しています。今好きな讃美歌は533番と280番、294番が私を励ます賛美歌となっています。
4月号からが大きな楽しみになりました。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(95)
1月21日
お祈りに支えられて、主人が今三重大学病院から帰ってきました。7年目ということでかなり厳しく考えていましたが、神様はもう少し生かしてくださるようです。結果は異状なしでした。本当に心から感謝いたします。今朝からはこの結果が出るまでは何か重たい気持ちでした。
日当たりのよろしき雑木山眠る。
過疎の村、花苗植えて春を待つ。
公園の池の氷の眩しかり。
音もなく一日を恵む冬の雨。
山下る寒の水音澄み亘る。 馬場路哉
こちらは今朝も氷点下。とても寒い一日でした。早く春が来てほしいなと毎年この頃になると春の訪れが待ち遠しいです。
2月8日
昨日の夜から雪が降り続いています。
今は雨ですがまだやみそうにありません。家の外には一歩も出ることが出来ません。犬たちとの散歩も今朝は取りやめにしました。犬たちには裏の山に放してやると嬉しそうに走って行きました。そして10分もたたないうちにちゃんと家に戻ってきました。賢いですね。
この状態では明日は礼拝出席は無理なようです。明日まで待ってみますが、一面10センチ以上の雪が降り積もっていますから。早くやんでほしいものです。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
祖母と最期にゆっくり話し合えてとても嬉しかったです。介護は今やどの人にも避けて通れない事となっていますが、その時には力を頂いて協力しつつ歩んでいけたらいいのですが、大変だとは想像します。
近所には八百屋さんや大型スーパーに何とか負けずに頑張っている小売店がまだ残っています。高齢のお客さんも多いからか、店員さんがお客さんとよく会話しています。「もうすぐ降りそうですね」など、スーパーではあまりなかった事です。美容院のおばさんも昨年ご主人を看取られました。都会的なカラーで建っている美容院にはない、ちょっとおせっかいだけれど温かみのある交流がそこにあります。沢山のお客さんと話される機会があるので、周りや親の世代からいい教えを教わっているのは有難いことです。信仰の道を与えられずにいたら、世俗的な思いに縛られていたかもしれません。
お互いの健康など気遣いながら生活できる温もりがまだ残っている事は有難いなと思います。
奈良県 中谷リツ子さん
その愛のゆえに
=時々の記=
(94)
12月21日
母のこと「つのぶえジャーナル」に載せてくださり、感謝いたします。母は施設で一度このようなことを言ったことがあります。「私は今はもう何も文章は書けないけれど、もし書ける状態だったら自分史を書きたい」と。その時私はこう答えました。「大丈夫だよ。私が今のお母さんの様子を「つのぶえジャーナル」に送信し、それを載せていただいているんだよ。」すると母はとてもうれしそうに「まあ~嬉しい!有難うね。よろしくね。」と言ってくれました。
ただ一つ、母のもっとも望んでいた献体のことは、主治医は献体できる状態で亡くなられました、と診断書を出してくれたのですが、大学病院の方から、葬儀が終わるのが4時でしたら、お迎えに行くことはできませんと言われ、母の願いが叶わなかったのが唯一悔やまれますが、仕方のないことでした。火葬場の方に急遽お願いして火葬していただきましたが、本当に丁重に扱ってくれました。母の遺体の上にあるのはただ一束の花束だけでした。でもこれが最も母の望んでいた葬儀、最高ではなかったのではないかと思っています。
12月22日
母の生き様が心の中で湧いてきます。何をするにも決して見返りを考えずに、ただイエス様の十字架上でのお苦しみを覚えて、その方に取って最善と思われる励ましをしていました。徹底した牧師夫人として、貧に処する生活を貫き通しました。自分のことはすべてを犠牲にしてでも、信徒の弱っておられる時には、何を差し置いてでも訪問を優先いたしました。訪問伝道の大切さは青山学院神学部でとても厳しく指導されたようです。
なぜ母がお金もないのに青山学院神学部へ行ったのかを施設での会話の折に聞く事ができました。
当時、上田にはメソジスト派の大きな教会があり、その外国人婦人宣教師に熱心に路傍伝道で誘いを受けて、教会の門をくぐったのだそうです。あまり母が熱心に教会の礼拝を捧げ続けているので、その婦人宣教師が「もし、あなたがこの日本で、キリスト教を広める意思があるならば、私はあなたのために生活費、および学費一切を支援いたしましょう」と言っていただいて、勉強をしたかった母は喜んでそのお言葉に甘えて、電電公社での仕事を23歳で辞めて、青山学院神学部へ進んだとのことでした。
入学したのが23歳。それから3年間とてもきびしい神学の先生、渡辺善太先生、音楽では中田羽後先生に指導され、泣きながらの学生時代だったとのことでした。途中で退学する女性も多くある中、母は婦人伝道師としての資格を得て、浜松教会へと派遣されたのでした。
その頃、父も浜松で牧師の卵として奉仕していたようです。母は父との結婚には多くの方から猛反対をされたようです。でも母は父と結婚するのではなく一牧師を支えていくことが必要であるならばと思って、猛反対を押し切って結婚したとのことでした。母28歳、父31歳でした。植村正久先生に司式をしていただいて、先生と父と母3人だけの結婚式だったといっていました。そのようなことを聞いていると母は結婚もしめやかにし、また葬儀も家族だけに見守られてと、母の人生はこのように清楚なものだったことが証されたように思えてなりません。
一方的に送らせていただくメール文を掲載して下さりを感謝しています。ジャーナルが母の自分史になっています。きっと今は天国で、「あら、恥ずかしい。でも私のことを伝えてくれてありがとう」と言ってくれているに違いありません。
12月24日
主人が母のために弔句を作ってくれました。
(斉藤幸子のための弔句)
白寿とて歌ひて待ちしクリスマス。
信仰は宝と言ひし年の暮れ
冬紅葉散りて昇天されにけり。
安らかに昇天されて雪舞ひぬ。
良く似合ふ和服の遺影冬薔薇(そうび)。
天つ国コバルトブルーの冬の空。 馬場路哉
今日、信仰の師のゴダート先生からクリスマスカードを頂きました。母のことをとても心配してくださっておりましたが、先生のお手紙には、「天国で再びお会いできることを確信しています」と書かれていました。
キリスト者の人生は死が最後でなく、天国でお会いできるという希望と慰めがあります。ゴダート先生のお母様は先生がアメリカから日本伝道へ旅立つときに、やはりあなたとはこの世ではもうお会いできないかもしれないけれど、天国で会いましょう、といって励まして見送ってくださったと書かれてありました。本当に強められ、慰められたクリスマスカードでした。
先生は今年84歳になられるそうですが、週に2回お花屋さんで働いておられるとのこと。そして礼拝を守っておられるとのこと。
私もこれから残された人生を悔い改めて、礼拝生活を続け、信仰を持って歩んでいきたいと祈っています。
12月28日
こちらは雪の予報でしたが、辺り一面氷が張っていましたが雪ではなくほっとしています。雪が降るとどこにも出かけられない所に住んでいるものですから、雪には恐怖心を抱いてします。昨夕、四日市教会の藤沢さんから電話が入りました。ジャーナル1月号が届き、母のことを共に悲しんでくださり、母も四日市教会時代をとても懐かしく、楽しかったよねと言っていたことをお伝えいたしました。母に代わって心からの親しいお交わりを感謝するとお伝えできました。でも胸がいっぱいになってしまいました。本当に嬉しい電話でのひとときでした。
麗しき明星望むクリスマス。
信仰の宝遺すとクリスマス。
クリスマス主の隣在を喜べる。
冬紅葉散るや朝日を弾きつつ。
新たなる本借り受けぬ年初め。
見えぬ手にひかれ新たな年迎ふ。 馬場路哉
1月1日
明けましておめでとうございます。
こちらは穏やかな新年を迎えました。息子が郵便局で仕事をているので、一日の朝はいつもより一時間早く出かけました。雪が降っている東北や雪国の方たちはどのような思いで郵便の配達をされているのだろうと重ね合わせて考えてしまいます。
兄や姉には、これからは私が軸になって兄弟のつながりを続けていきたいと思っていますので、その一つとして、ジャーナルに載せていただいている母とのコラムなどをコピーして郵送したり、手渡しに行きます。そのようなことがなければ、母が蒔いてくれた信仰の種が実を結ばないように思えてきます。
兄は葬儀に歌った讃美歌やそのほかにも讃美歌の英語版を聞いてから散歩に出かけているといってくれていましたから、嬉しかったです。姉もやはり讃美歌は大好きで、母の召される前の夜、声が嗄れるぐらい、母の枕辺で讃美歌を一番から300番までうたい続けることができて神様にこのような時間を与えてくださったことに感謝しているといっていました。
特に姉は東京に住んでいたので、召される前の一晩施設の方たちがベッドを横に置いてくださり、母と久しぶりにゆっくり共に過ごすことができて、もう悔いはないと言っていました。でも母がいなくなってしまった伊賀には帰る気持ちになれないと言っていましたから、そんなこと言わないで、節目節目に3人で母のこと父のことなどを話す機会を持とうよ、といって電話を切りました。
1月5日
寒い寒の入りです。今日は今年になって初めての主の日の礼拝でした。母の遺影と一緒に礼拝を捧げました。約3か月ぶりの礼拝でした。母の写真をしっかり抱いてともに賛美し祈りを捧げました。やはり、母との思い出が次々とよみがえってきまして、涙が溢れてきて賛美の声もまったく賛美になりませんでした。
礼拝後に教会の皆さんに、長い間のお祈りと、お交わりをしていただいたことに感謝の言葉を述べました。そして母が召される前に私たちに残した言葉「私はあなたたちに信仰という宝を残しましたよ。」と言い終えると胸がいっぱいになってしまいました。
そして母の愛唱賛美歌は300番でしたが葬儀には405番をうたって見送りました、といい終えますと、牧師夫人がそれでは今から300番を皆さんで賛美いたしましょう、といってくださり、共に賛美してくださり、最後に先生が祈ってくださりました。とても感謝いたしました。
山峡の峯に冬木の並びをり。
瑞々し、女の一生読み初めす。
空へ伸ぶ枝に妙味の冬樹かな。
新年の目標確と定めをり。
新年や紫煙る雑木山。 馬場路哉
寒さがこれからいっそう厳しくなってきます。こちらは犬たちが寒さで弱ってきました。電気毛布を敷いてやっても寒がります。犬たちももう13年目になりますからずいぶん弱ってきました。この子たちとも別れが近づいているかと思うといたたまれなくなってきました。でも仕方のないことですから、受け入れて行かねばと思っています。
1月7日
今朝はこちらは氷点下4度でした。
昨夜もまた高知教会時代の方から、母の死を共に悲しんでくださるお電話が入りました。17歳の時に受洗し、教会に通い続けられたそうです。それから67年、母と信仰の友としてのお交わりをして下さった方です。当時は、3人の子供を抱え、そのうちの一人をおんぶし、一人は母の横に座らせての奏楽の奉仕だったようです。見かねたその方がきっと私を抱っこしてくださり、礼拝が静かにささげられるようにしてくださったというのです。礼拝後母は、とても助かったそうです。
ある時は、どなたかが教会の玄関先に沢山のおもちが置かれてあったそうです。戦後間もないころで皆食することには飢えていた時代にです。それを見た母が、あら・・・、このようにたくさんのお恵みがありますよ。さあ、皆さんご一緒にいただきましょうよ、と言って皆で分け合っておもちを頂いたことが、今も懐かしく思い出されるといっておられました。67年の長きにわたって、導かれ、最後に11月4日にお見舞いに来てくださり、母はその時も神様に心から感謝してお祈りいたしました。私も母が召されてからもこのように多くの方と信仰の分かち合いができますことに感謝しています。
「常に喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい」。これが母の信仰の生き方でした。昨日は盛岡のいとこから電話が入りました。
1月13日
主人も寒さ故なのか疲れなのか、昨日から寝込んでいます。教会の礼拝も捧げることができず、二人で、寝込んでいました。
母の納骨では役員会で協議していただいた結果、全員一致で長年の牧師夫人としての労苦に対して、無料で納骨させていただけることになったと連絡を受けました。心から皆さんの母への思いに感謝いたしました。兄や姉にも連絡してともに感謝いたしました。母もきっととても喜んでいることでしょう。
父の横に納骨してあげたいです。イースターにと願っています。
主は命わが喜びと歌ひ初め。
読み始めや言葉に命あるといふ。
過疎の地の静かさにあり年新た。
干し柿を並ぶる奈良の直売所。
息白くラヂオ体操楽しめり。 馬場路哉
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
=時々の記=
(93)
11月12日
今日は、母が私が知っている範囲では初めて美容師さんに髪の毛を切っていただきました。いつも長い髪を束ねて一度も美容院という所へは行ったことがありませんでしたから、母がカットしてもらった顔を見て、もうびっくりしました。とてもかわいいお年寄りになっていました。靴も介護に必要ということで、ヘルパーさんにどうしたらこの母に会う靴を購入できるのですかとお尋ねいたしますと、いま履いている靴をお店へ持っていきなさい、と教えてくれたのです。ところが母は靴がありません。アメリカからララ物資(戦後間もない時に外国から支援として送られてきた医療・生活物資)で頂いた靴に何時も中身を詰めて一足だけ持っていました。ヘルパーさんもえー靴がないんですか?と皆さんびっくりされました。
主人が母の足の大きさを測ってくれて、靴を購入いたしました。履かせてみたらピッタリでした。介護用の靴はとても高いのでびっくりいたしました。
初めて自分の足にぴったりの靴が介護用の靴とは、あまりにもかわいそうな気がいたしましたが、本人は何も気にしていませんし、靴が履けてうれしいといって喜んでくれてこちらもほっといたしました。母のように自分に関しては一切無駄使いをせずに生きてきた姿に、娘として誇りに思います。私はとても母のようにはできませんから。
恐るべき十月台風再度来る。
介助して弾む会話や秋深し。
神の愛触るる小説夜流長し。
茶の花に鎮もる峡の日和かな。
冬近し犬を日向につなぎけり。 馬場路哉
11月27日
久しぶりに気持ちのよい、小春日和でした。母の食事の介助にも少し慣れてきました。施設の中で働いておられる方たちの姿が良くうかがえるようにもなってきて、感謝すると同時に、どのような仕事についてもやはり”愛”がなければむなしいものになってしまいますね。信仰が与えられ、神様の大いなる愛を知った者として、残りの人生を自己愛でなく、隣人や貧しい方たちへ愛を抱きつつ歩んで行きたいものと感じるのです。施設ではもうクリスマスの準備で忙しそうにされています。
ヘルパーさんが母に「斉藤さんにクリスマスには独唱してもらいたいわ。」と言われましたら、母は「もうとてもそんなことはできないわ、と言いながらその場で、「諸人こぞりて」を歌いだしました。皆さんびっくりするやら、笑いの渦が広がりました。クリスマスまで頑張って生きてくださいねと言うと、そのようなことは神様の御手の中にあることですから、神様がすべてをお与えになっているのですから、人間がいうことではありません、と言い返されました。
クラシック曲にくつろぐ夜長かな。
別荘の主の植えしピラカンサ。
水車小屋なお残されて山紅葉。
秋草の中に憩える翁かな。
紅葉かつ散る施設にて朗らかに。 馬場路哉
12月4日
12月に入りやはり気忙しくなってきました。その上寒さが例年より厳しいです。毎日の母の食事介助が励みになってはいるのですが、疲れが出てきました。
でも施設の方たちや母が待っていると思うと、少し風邪気味なときもマスクをして出かけています。自分では何も食することができないものですから、施設の方は一回でも家の者が来て食べさせるととても喜んでくださいますし、また、母もやはりとても喜んでくれます。その時間がちょうど11時から12時過ぎまでかかりますので、礼拝にはいくことができないことを牧師や役員の方には伝えてあります。そう長くはない母とともにする大切な時間でもあります。神様がこの時をお与えくださったことと思います。最善を尽くして母のところへは通い続けさせてくださいと祈りつつです。
弓張月(ゆみはりつき)近景並べて(なべて)墨絵とも。
リズム良き、軽音楽に紅葉散る。
草紅葉、うす紫のもの混じる。
禽の声峡に鋭く冬に入る。
椿の実朱色をなせり垣の外。 馬場路哉。
施設の中へ入ってとても感激いたしました。一人一人のお部屋の名前が記されているところへ、手作りのクリスマスリースが飾られているのです。思わず、「わあー素敵なクリスマスプレゼントがとどいていますよ」と母に持って行って見せせてあげると母もとても喜んでいました。クリスマスというお祝いがもうすっかり日本中に溶け込んでいるようでとても驚いています。我が家にはまだ何もクリスマスらしきものが整っていません。
殺風景そのものですが、一鉢ぐらいは明るいお花でも準備してお祝いの気持ちをあらわしたいものです。
母のところへ電気こたつを持って行ってあげました。余りにも冷たい足ですし、その上はれ上がっていますので施設の方が特別にこたつの使用を許してくださいました。母に伝えると、「まあ嬉しい。でもあなたの暖かい手で冷たい足を触ってもらうともっと嬉しいわ」という元気な言葉が返ってきました。
神様を信じ切っている母の人生の最後はとても豪快です。
主人にそのことを伝えると”そうありたいものだ。”としみじみ言っていました。
12月9日
昨日から、母は調子を崩しています。施設の暖房で乾燥しすぎて喉をやられ声がガラガラです。その上今朝は鼻水が出ていました。食事はすべて頂いたのですがそのあと少し痰がからんでいるようでした。施設の方たちにすべてをお任せしてありますので、これが引き金で衰弱していったとしてももう神様のご計画の中にあると信じています。そのように声が出にくい状態でも母は今日は聖書を引用して、悲しみともとに喜ぶものになりなさいと、私に伝えてきました。
食事のあとも母の冷たい手を思い切りこすってあげて私のぬくもりを母に挙げたい思いでいっぱいになりました。すると母はそんなに頑張らなくてもよい、と言うのです。
12月11日
母は少し風邪気味ですが食事が食べられるので、まだ大丈夫かななどと思ったりしながら、でもやはり気になっていつも訪問する時刻より早めに出かけています。介護してくださる方たちのご苦労で日を追って良くなってきます。重労働に携わっておられるのですから、私も感謝の心を絶えず抱いて接しています。
軽そうな母でも自分で起き上がろうとしないのでとても移動させるときには重いのです。そのような大変なお仕事をしてくださっておられる施設の方に感謝しています。
上弦の月朝白く冬に入る。
峡の峯強くかぎろひ冬晴るる。
冬麗や遠くの山に風車見ゆ。
樫のみの良く転がるを掃きにけり。
紅葉す高原に合ふそばえかな。 馬場路哉
12月12日
母の様態が一昨日から急変いたしました。酸素が不足し、栄養分が摂取できない状態が続き、脚がパンパンに張れるほど心臓が弱っているとのこと。最後まで信仰の話ができた3か月の施設での生活に心から感謝いたします。
昨日は何も話すことができませんでしたが、今朝は私たちが行くと目を開けて、”私はあなたたちに信仰という宝物を残しましたよ”私のことは心配しないでよろしい。私はただ神様のことだけをしっかりと考えていますから”といって強めてくれました。
思わず涙がドッとあふれてきました。でも母の言う通りに信仰を与えられたことに私たちは心から感謝しています。
主治医はあと一週間持てばよいのですが、とのことでした。
最後まで、イエス様の愛を伝えてくれ続けている母です。
12月20日
本日、雪がちらつく寒い中、母の葬儀を無事に執り行うことができました。家族葬で、心から母に一人一人が感謝と想い出を述べてお別れすることができ、とても神様に守られてのお別れでした。老衰でしたので、何も苦しんだ様子もなく、語りかけたら何か返答が返ってくるかのようでした。皆がそれぞれに好きな花束を母に捧げ見送ることができました。13人で、最後に405番の「かみともにまして ゆくみちをまもり あめの御糧もて ちからをあたえませ。 また会う日まで また会う日まで かみのまもり 汝が身を離れざれ」を賛美し、その後、母の大好きだったバッハの「主よ人の望みの喜びよ」をCDで流して天へ見送ることができました。
すべてに時があることを知らされた母の最期でした。皆それぞれに感極まって涙しました。今まで本当に母のためにお祈りくださったこと、心から感謝いたします。
牧師先生にもすべてが終わってから電話にてお伝えいたしました。
クリスマスにはまだ礼拝に行く気力が出ませんが、また新しい年から、母の熱い信仰を受け継いで行きたい旨をお伝えいたしました。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(92)
10月13日
また、大型の台風がやって来ています。こちらは雨が激しいです。母への見舞いは、私の運転では名阪が危険なので、主人が送迎してくれるとのことで、感謝です。母にそのことを伝えると、無口だけれど信頼を置ける人ですねと、そのような言葉が返ってきました。それに加えてどのようなときも真心を持って接しなければいけません、と言われました。きっと神様の愛を謙虚に受け止めなさいということだと感じました。母から信仰の尊さを知らされます。
10月17日
昨日から急に冷え込んできました。さっそくストーブを出したり、こたつ布団を出したりと冬支度の始まりです。
秋晴れに讃美歌、歌ふ施設かな。
青空にコスモス映ゆる日を迎ふ。
バイオリン切々として秋深む。
樫落ち葉掃きし路傍を眺めけり。
木斛(もっこく)の鈴なりの実の日を受くる。 馬場路哉
最近主人はとても協力して台所で食事の準備の手伝いをしてくれます。今になって主婦の大変さを知ったようです。
10月26日
台風が去り、こちらも急に寒くなってきました。
秋嶺や砥がれる嶺と丸き嶺。
峡の家石垣の上シオン揺れ。
先駆けて漆紅葉の鮮やかに。
樫の枝払われ路の爽やかに。
秋澄むや室内楽を楽しめる。 馬場路哉
11月5日
秋の深まりを感じます。家の庭のさざんかが花をつけています。南天の実も赤く色づいてきました。
爽やかや三つ星仰ぐ朝散歩。
高々と大きなアケビ掛かりをり。
鈴の音に似て澄みにけり虫の声。
曼珠沙華炎の消ゆるかに果つる。
小鳥来て妙なる調べ聞かせをり。 馬場路哉
昨日は母のお見舞いに、父が牧師として働いていた高知教会時代の方が来てくださいました。今は
紅葉が陽光を浴びて輝いて見えるのは、人生の終焉を迎えている祖母がとても充実した笑顔で迎えてくれるからかもしれません。なかなか会いに行けず申し訳ない気持ちで、先日も行きました。食事を摂れているせいか、顔色も良くて「倹約ばかりしてないで会いに来て沢山話ししよう」と夏には話していたのに、「近くに住んでるんだね」「会いに来てくれるの嬉しいよ」と、話すので胸が一杯になり元気な祖母に会えたことを嬉しく思います。
母はこの2か月ちょっとの間、献身的に食事の介助に通い詰めています。65歳になるのに体力も時間も繰り合わせて通う姿は勤めていた頃を思い出します。タフだとは思いますが、何事にも懸命に取り組む姿には見習わなければならない所が多く反省しきりです。
ジャーナルに投稿されていらっしゃる方々も介護や看病等に携わったり、また
闘病や思い通りにいかない子育てに手をやいていらっしゃる方も多いですね。
皆さんを力づけたり、励ます労力は大変なものと思われますが、その一言によって生かされ勇気を貰われる方は幸いですね。東北楽天が優勝しました。田中将大選手の活躍が東北に笑顔をもたらしたように思います。震災後 家族が離れて暮らす方々も心温まる年末を過ごして頂きたいと願っています。
奈良県 N・Rさん
その愛のゆえに
=時々の記=
(91)
9月12日
母の献体は、長兄が医学部に入るときに、とても金銭面で苦労したといっていました。母が働いて兄の学費を工面したこと。父親は養蚕業を営んでいたが、破たんして塩尻から上田まで、家族7人で出てきたのです。母親は父に代わって仕事に出て働き続け、弟が小児まひでなくなるその日にも勤めに出かけて行き、子供の死に目に会えなかったと私たちに漏らしていました。そのような幼青年期を質素倹約で貫き通した母は、我慢することを知ったといいます。そして、母の姉が神経の病になってからはキリスト教に救いを求め続けたといっていました。父親もお前の信じているキリスト教が病を治してくれるなら耶蘇教に反対はしないといって、教会へ行くのを許してくれて、とてもうれしかったと言っていました。その姉は母のあとを追ってキリスト教へ入信いたしました。でも兄は信者になりませんでした。
母が学費を兄に仕送りするたびに、兄からお礼のはがきが届き、その中に、献体をしてくれる人のおかげで、勉強がはかどるといっていたとのこと。その兄の遺志を継ごうとしているようです。
そして自分が死ぬときに、もし医学のお役にたてるなら、献体をしたいと言い続けてきました。ですから母の意思を尊重して私たちは献体をしようと考えています。貧しさに耐え続けた母ですが、天に召されようとしている今、とても明るいのです。イエス様が共にいて下さるんだから、何もこわくないのよ、とお世話してくれるヘルパーさんに話しかけていました。
母は、10年ほど教会の礼拝には出られませんが、いつも心の中で祈り、賛美し続けていたことがよく理解できます。そのような母の姿をジャーナルに載せてやってください。一人の信仰者の証になると思います。
9月13日
母と讃美歌515番を賛美していると、私たちの後ろで一緒に賛美されている声が聞こえるではありませんか。ふと見上げると、施設のケアマネージャーさんです。この讃美歌ご存じなのですか?とお尋ねすると、私は東京のミッションスクールの短大を出ています。讃美歌は折にふれ、思い出しては口ずさむのです、と答えられました。誰も知らない施設の中に小さな賛美の輪ができたことは神様のお恵みと感謝いたしました。
このことを兄に知らせると兄もとても喜んでいました。
9月14日
こちらは台風の影響で、雨風が激しいので、今日は名阪を通るのを休みました。教会の三人の長老さんたちの門安を受けたとのことでした。
教会では70歳以上の方たちに敬老の日のお祝いを下さるということです。主人もあと一年で70歳ですからその群れになります。
葛の花、零るる雨のあとの道。
秋雨にノアの方舟ふと思ふ。
朝顔のあまた咲きたる、日数かな。
風の萩小形の蝶を通ひをり。
一病で得し息災や百日紅。 馬場路哉
9月19日
施設から兄が呼び出されて私も一緒に行きました。母はどこも内蔵が悪くないのだけれど、高齢で、まさに老衰そのものです。いつお亡くなりになられてもこちらで最後までみとらせていただきますとのこと。ほっといたしました。具合が悪くなったり何も食べられなくなったりすると違う病院へ転院させられることがあるそうですから。
私たちは、神様がともにいてくださって召されるその日まで、平安でありますようにと祈っています。
昨日姉とも電話で話しましたが、信仰を与えられたことに感謝するねと。兄も口にはしませんが心の中で信仰を持って生きることができたことに感謝していることと思います。
今朝散歩で昨日までは気が付かなかったのですが、彼岸花が土手に真っ赤に咲いていました。
自然は季節の移り変わりを私たちに教えてくれています。コスモスも咲いて、もうすっかり秋の気配の山添です。
9月20日
上野緑ヶ丘教会から、H牧師のお母様と母に(同じ施設に入所)敬老の日のお祝いとして、お花が届けられました。母はやはりとても喜んで、牧師先生が来てくださったと伝えますと、まあうれしい・・・と喜び、実はまったく食欲がなく、主治医が案じていたのですが、今日は少し食べられるようになっていました。
教会って聞いただけで頬がポッと赤くなり喜びを表現いたします。教会からのお見舞いがよほどうれしかったのでしょうね。私はそのお礼を言うために、礼拝に駆けつけ、みなさんに感謝の気持ちを述べました。
母は、この10年余り礼拝に出ることはできませんでしたが、神様にいつも祈りを捧げ賛美をしていました。そして牧師夫人として子供の私が言うにはおこがましいのですが神様と教会に仕えた人生でした。教会での葬儀は本人と私たち子供たちの意思でいたしませんが、神様がいつも私たちをおそばにいてくださるから、形式にこだわらなくてよいといっていますと、これだけのことを言うだけですのに、なぜか、母の労苦が私の頭をよぎって言葉になりませんでした。
9月27日
施設の入り口にコスモスが花瓶いっぱいに飾られていました。そのコスモスに目をやるだけでも、優しい気持ちになることができました。お花にこのような力があるのだとはっとさせられたひと時でした。
草の葉の露から露へ蝶移る。
萩ススキ眺めし後の月見かな。
椿の実照りて天気の定まりぬ。
伊賀よりの道八方に草紅葉。
アべリヤの花取り囲む施設かな。 馬場路哉。
10月9日
台風の影響は大丈夫でしたでしょうか。こちらは非常に激しい雨が午前中降り続けました。
母のところへ行くのをやめようかと躊躇いたしましたが待っているだろうと安全運転で行ってきました。やはり、いつも他人の中でいるので、身内が行くととてもリラックスできるのか嬉しそうです。今朝は、大雨が降りだし、あわてて洗濯物を取り入れようとして転んで顔面を打撲してしまいました。年のせいでしょうか、この頃足がまったく思うように上がらずに転ぶことが多いです。施設へそのままの顔で行きますと、親切な看護師さんが痛々しいからといって、消毒をして、リバテープを張って処置をしてくださいました。このような親切を受けて感激いたしました。
帰りの高速の名阪で前の車が急に横転し左側にひっくりかえってしまいました。運転されていた方は少しのけがでしたが、やはり雨はスリップするのでよほど気を付けないといけないと思わされた一日でした。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(90)
8月14日
母を見舞いに来ていた姉も今日東京へ帰りますので娘と三人で母のところへお見舞いに行きました。昨日は昏々と眠り続けていたので、今朝は元気が出ていました。讃美歌515番「十字架の血にきよめぬれば,来よとの御声をわれはきけり。主よ、われは今ぞいく、十字架の血にてきよめたまえ」と最後まで、メロディーも正確にしっかりとした口調で賛美いたしました。その場にいた三人は胸がいっぱいになり、母として、牧師の妻として神様の御手に守られて、天国へ行くのだと確信いたしました。
きょうまでの祝福思ふ夕端居。
教会に扇子使へる翁かな。
夕暮れの雨山峡を冷房す。
一途なる思ひは今もねじれ花。
三匹の鹿緑陰へ逃げ込みぬ。 馬場路哉
8月15日
今から母を見舞ってきます。身体全体が栄養不足状態であること。手術のために貧血していること。食欲がないこと。これらが合併していますので大変ですが、母の言うとおりに神様が守ってくださっていますから、召されるまで平安でいることができますようにと、心から感謝して祈っています。
8月19日
いつもお心のこもれるお祈り、お励ましに感謝しています。昨日は主人が私に代わって礼拝に行きました。私は疲れが出てしまいお休みいたしました。
母は今日もそうでしたが、私の顔を見るなり、オルガンのご奉仕をしているんでしょ、としつこく言ってきます。もうしていないの、と答えるとちょっぴりさびしそうにしますが、何も言いません。礼拝後、信友が母のところに駆けつけてくれたと連絡が入りました。
感謝でした。病院の方からは早く次に施設を探すようにと急がせます。今日も、私は伊賀上野の施設申込みに出かけました。とても大変なことです。施設に入るには簡単にいかないことも思い知りました。多くの方が待機している状態だとのことです。21日には、伊賀市の方が介護認定のために母の様子を調べに来てくれます。せっかく入院して手術が終わってまだ1週間だというのに、もう次に行くところを決めなければならないのです。
高齢者で、あふれかえっている状態なのです。母にそのことを伝えると、小さな声で、家に帰りたいと言うのです。
苦しい決断ですが施設が空くのを待つしか方法はないようです。
8月26日
昨日、娘たちが夏休みが終わりだということで、母のお見舞いに上野まで来てくれました。
母はとても喜んでくれました。皆で讃美歌515番を賛美し、お祈りをして帰りました。
午後から伊賀市の方から電話が入り、退院後の居場所が見つかりそうだとの連絡でした。
8月30日にその方たちと面談をして入所が決まるそうです。
面談のためにいったん外出をせねばなりません。
介護タクシーを予約し、母は車のまま、病院から車で5分のところへ出かけます。
体力、気力がとても弱っているのでそれができるか心配していますが、すべてを神様の良いようになさってくださると信じて、無事にその一日が予定通りに終わりますようにと祈っています。いつもお祈り有難うございます。
9月号のジャーナルが昨日更新されたと娘から電話連絡が入りました。
お届けいただくのを楽しみにしています。残暑が厳しい中での発行、お疲れ様です。
<お嬢さんのお便り>
日曜には警報が出て、祖母のお見舞いに使う電車も不通になりましたが、月曜には病院へお見舞いに行けました。手術の時は覚悟しましたが、ニコニコ笑って話が出来たのです。記憶を辿って私を思い出してくれました。身内だから思うのでしょうけれど、嬉しい気持ちになりました。 寝ている日もあれば、話せる日もあり、その繰り返しの様です。祖母の孫で幸いだと、ずっと思っていますが、その思いは強くなるばかりです。
オリンピック開催都市に東京が選ばれるといいなあ、と7日を待っています。震災を乗り越え、力強く前へ一歩踏み出している日本を世界の方にも見て頂きたいと思います。
戦後から今へ繋がれてきた命のバトンに注目して欲しい。若い人や子供達にも日本でのオリンピックを見せてあげたいと願う夏です。
まだまだ暑い日が続くでしょうけれども、御身体御自愛下さい。
主の御守りがあります様にと祈ります。
8月31日
母は、ベッドで休んでいました。小さな母が一層小さくなっていまして、ああ~もうそう長くはないと直感いたしました。人の死ぬのも生きるのもすべて神様の御手の中にあり、ご計画の中にあると信じるものです。
散歩をしていると、秋の気配が感じられえるようになってきました。あちこちで、稲刈りの準備です。また、ススキの穂がちらほら見え始めました。今になって暑い夏の疲れが出てきました。
母は施設の方との面談を無事にすませ、いよいよ9月2日から、伊賀市ゆめが丘にある老人保健施設に入所です。これからも神様のお守りがありますようにと祈るものです。
9月2日
今日、雨が降りしきる中でしたが無事にゆめが丘へ転院できました。兄も私もバタバタとしたひと月でしたので、ほっといたしました。母は落ち着かない様子でしたが、兄に励ましてもらい、このように早くに施設に入所させていただき感謝です、と言っていました。びっくりするほど素晴らしい施設で、兄も私も母が最期に神様の御手に導かれ、このような良い場所で過ごすことができることに感謝の気持ちでいっぱいです。
皆様のお祈りに支えられていますことを感じた一日でした。
ジャーナルをこれからは母に読み聞かせようと考えています。(個室ですので。)
病室の冷房のよき白寿かな。
この園の広場は少し花野めく。
今日一日声を絞れる蝉ならむ。
逃げし犬探して歩く残暑かな。
秋立つや目標確と掲げたる。 馬場路哉
今日、母の入所した施設は、7年前に主人の母も入所したところです。
その時のことが重なって複雑な思いになりました。
9月9日
上野までは高速道路の名阪を利用して、私が安全運転で行っています。名阪を使うと大よそ20分ぐらいで行くことができます。でも私は運転が下手なのでちょっと疲れます。
これからは母には悪いのですが、一日おきに行こうと考えています。
洗濯物がたまらないように気を付けながら行きます。
今日は母と葬儀のこと、献体のことなど話し合うことができました。
葬儀は子供たちだけでします、と言いますと、もちろんそれでよいですと言ってくれました。また献体についてはこのように歳を取っているので医学的に研究材料にならないかも知れないといいますので、それは三重大の方が決めるのです、と言いますと献体したい旨を伝えくれました。20年ほど前から三重大学病院に申し込んであるのです。母の気持ちを聞くことができて感謝でした。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
=時々の記=
(89)
7月16日
今、主人が三重大学病院から無事に帰ってきました。今回も検査の結果異常なしといっていただき喜んで帰ってきました。感謝です。
7月26日
この暑さです。クーラーは必須です。朝顔たちから元気を少しだけ貰っています。最近は、讃美歌第二編でよく賛美するようになりました。その中でも、「キリストには変えられません」(讃美歌第二編195番)に目が止まりました。この讃美歌は40年前、私が教会音楽研究会で、東京の明治学院のチャペルで講習を受けに行った際、大きなチャペルでうたったものです。「キリストには変えられません。世の宝もまた富もこのお方が私に代わって死んだゆえです」。これを賛美しているとはらはらと涙が零れ落ちてきました。周りで賛美している方たちの声も震えていました。
若いころに触れた讃美歌。今だに同じ思いで新鮮です。どうしてもこの世の目に見えるものにとらわれてしまうことの多いものですが、しばし讃美歌に触れ、そのことを忘れることのない様にと願っています。信仰の弱さを祈る毎日です。
8月3日
明日は日曜日ですが山添村の全体の墓掃除、午後からは草刈り、火曜日には井戸掃除、金曜日には村の道の草刈と忙しい日が続きます。どうしてもこのような田舎では仏教行事のかかわりが強く、盆が来るのに、草を刈っていないととても非難されます。田舎で暮らしていく厳しさをいつもこの時期になると感じさせられるのです。主人と、地域社会との絆を保つことは信仰の戦いの中で、キリスト者として証しの場として、出来ることと出来ないことをきちんとしつつ、出来ることには一生懸命、社会奉仕としてやりたいね、と話し合っています。背を向け孤立するのは簡単ですが、無責任はいけませんから・・・。
8月5日
真夏の到来を予感させる大気の状態が非常に不安定で、午後からつい先ほどまでおよそ4時間にわたって激しい雷、雨がバケツをひっくり返すほどに降りまして、停電もしてしまいました。家の中は真昼だというのに真っ暗。ご飯もうまく炊けませんでした。
当たり前に思っている生活。電気が切れるだけでこのように不便な生活になってしまいます。蝉たちが、雨が上がってうれしいというように鳴き始めました。今年のセミたちの鳴き声は少し悲しげです。あまりにも暑くて異常な天気で苦しいのかもしれませんね。
悲しい原爆投下のニュースが私たちに平和の尊さを教えてくれます。私たちの力は弱く小さいですが、訴え続ける責任があります。
早々と、わが背丈なるミニトマト。
丈をなす、草の深きに夏アザミ。
森の精現るるかの合歓(ねむ)の花。
一団地包み、万緑広ごれる。 馬場路哉
8月14日
10日、兄の介護を受けて生活していた母が、倒れて骨折、救急車で搬送されました、手術を受けなければならない状態でしたが、様子を見るために入院を申し出たのですが、ここは治療を前提に受け入れる病院で、様子を見るなら、いったん帰宅してくださいとわれ、手術を前提に入院手続きをしましたが、主治医から非常に危険な状態であると言われました。正直、ショックでした。主にある方々のお祈りに支えられております。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
=時々の記=
(88)
6月27日
梅雨寒し、背広を着もし、教会へ。
信仰の薄きを祈る夕端居。(ゆうはしい)
青芦野波達洋に吹かれをり。
水平に蜘蛛糸光る梅雨時間。
美しき鳥の声聞き明けやすし。
身の丈を超すイタドリを刈りにけり。 馬場路哉
7月9日
主人の今度の三重大学病院での検査は7月16日です。神様に支えられここまで来れましたことに感謝いたします。まるで夢のようです。本当に今生かされていることが不思議で、感謝そのものです。
この季節、こちらはとても忙しい時期を迎えています。主人はほぼ毎日草刈りの作業です。私は子供とWサッカーに夢中で、今もその影響で寝不足です。
7月13日
私にとって、教会の礼拝で讃美歌奏楽のご奉仕をさせていただくことは感謝なことでした。そのことが、いろいろの事情でここ3年あまりまったく出来なくなってしまいました。また、息子が突然考えもしなかった病いに襲われ、研究者としての道を閉ざされてしまいました。そのような試練に見舞われた我が家でしたが、ようやく息子は、今まで学んできたこととは全く違う道へ進むことを決断して、今は主人が40年間勤めていた同じ郵便局へ行っています。ほっとすると同時に、ちょっぴりかわいそうな気もいたします。それでも、仕事に出かけることができるようになって感謝です。
私もようやくオルガンを弾き始め、オルガンと一緒に賛美できるようになりました。「キリストへの時間60年記念誌」の合唱隊の方たちとご一緒に自分で弾いて讃美歌を大きな声で賛美し神様をほめたたえています。
改めて、”忍耐は練達を生み出し、練達は練られた品性を生み出し、練られた品性は希望を生み出す。そしてこの希望は失望に終わることはない”の御言葉を信じて、これからも多くの試練に見舞われることと思いますが、神様を見上げて歩んでいきたいものです。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
=時々の記=
(87)
5月27日
信友のTさんが神様によって今の苦しみが緩和されますようにと小さな者の祈りですがお祈りいたします。
つつじ咲きふっと匂える朝(明日)かな。
高々と枝を張りたる、桐の花。
(今山添では桐の花が気品よく咲いていて、見る者は はっとさせられるのです。)
特別に出かける日なり明易し。
高原の日光眩し、青葉かな。
親ツバメ勤め果たして鳴きをりぬ。
伊賀盆地、五月の空の果てに山。 馬場路也。
今日送ってくださった聖句は、私たちに最も大切なみ言葉です。いつも明日のことを思い煩い悩み苦しみ、悲しむものですがそのような中にあっても、神様の御言葉に触れ少しでも平安が与えられることは幸いなことですね。
6月11日
先日4日のワールドカップ出場をかけての試合は、息子と緊張しながら別の部屋で観戦していました。終了間際に得点され、あーもうだめかと思っていましたがPKで本田選手がゴールを揺らしてくれた時は我が家はもうやったあーの歓声で渦巻きました。嬉しい結果でした。サッカーで味わうのとは格段に違う大きな信仰とみ言葉の喜びに、日々感謝にあふれていたいものと祈っています。
6月13日
もう7月号の準備に入っておられるのでしょう。お働きに心から感謝いたします。
今、ご恵送いただいた「キリストへの時間」放送開始60週年記念誌を読んでおります。その中にあるCDでメッセージや讃美歌を毎日2回(午前と午後)聞いて悦に入っています。CDから流れるアナウンスのお声、メッセージ、賛美される高岡美千代さんのお声、合唱隊の賛美、515番を賛美されているお声、また金城学院高校生、大学生の若々しい、澄んだ賛美。どれをとっても最高の贈り物を頂いて、信仰生活に励みと慰めと喜びを頂いている日々です。母校の先輩として誇らしく、うれしく思いました。
外は台風の影響で、雨風が激しくなってきそうですが、今の私の心境は、とても強められています。
このような尊いご奉仕をなさってくださった多くの方々に心より感謝いたします。
そして、この尊い信仰を自分の中で満足しているのでなく、よき訪れを述べ伝えなければという思いに駆られています。メールで一生懸命上野の信友や親しい方々にキリスト教の信仰について伝えています。神様のお取り計らいを祈るばかりです。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」