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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 その愛のゆえに

   =時々の記=

    (134)

54

こちらは日一日と緑が濃くなってまいりました。この頃になると思い出す讃美歌は122番“緑も深き若葉の里”です。散歩の途中でもいつも口ずさんでいます。

庭の梅の木は黄緑色の葉っぱをたくさんつけて、梅の実が熟していくのを待っているかのようです。台所ではもう蟻が甘いものを狙って歩き始めました。外の八朔の木の下では、大きなカラスが木の根っこに座り込んでいるのです。どうして、こんなところにいるんだろうと思って遠いところからじっと眺めていると、取り残した八朔をおいしそうについばんでいるのです。カラスは頭がよいとは聞いていますが、このような光景を見たのは初めてです。よく見かけるのはゴミをあさっている様子ばかりでしたから・・・。

5月9日

三重大病院で10年間お世話になった先生がおられなくなっているかと思うととても寂しいでした。新しい先生ってどんな先生なんだろう。できたら気さくな先生であってほしいな、何でも言えるような先生であってほしいなと思いつつ、j1306番の番号を言われるまでじっと待ちつづけました。一時間半ほどでその番号を言われて診察室へ入ると、なんとわが息子よりも若い先生が“画像診断から見ると異常はありませんね”といってくださいました。十年前にさかのぼって詳しく経過を確認してくださいました。先生がカルテをしっかり読み直してくださると、そうだ骨折して在宅治療に専念した三か月があったのだったな。よくぞ大きな山を何度も乗り越えて今日まで支えられてきたなと感謝の思いで胸がいっぱいになりました。昨年の様に電話で呼び出されないように何度も若い先生に肝臓は大丈夫でしょうか?としつこくたずねてしまいました。

一度に肝臓、肺、骨盤、右大腿部と四か所も造影剤を使っての精密検査でしたがすべてに異常が見られずに感謝でした。三重大の先生も“毎日リハビリをやっていますか?”とたずねておられました。リハビリに励むことによって筋肉がついてくるだけでなく精神的にも前向きになるのだそうです。改めてリハビリの大切さを教えられました。

510

今日5月10日は61年前に伊賀上野へ家族でやってきた日です。朝、長野の上田を出て伊賀上野へ着いたのは夜暗くなっていました。あわただしく数名の方たちに迎えられての開拓伝道の始まりでした。とにかく礼拝をする場所がない。それを快く受け入れてくださったのが今は宝塚にお住いの鶴原さんご一家でした。

そして私たち牧師一家とともに路傍伝道にも一緒になって讃美歌239番を歌い続けてくださり、街中を通り行く人々に礼拝へのお誘いをしてくださったのでした。なかなか、実は結ばれませんでしたが、お一人の姉妹が礼拝に来てくださり、皆が心から喜んでお迎えしたのを、今でもはっきり覚えています。その後、あけぼの保育所という所で日曜礼拝をすることが許されてとても感謝したのでした。

5月になるといつもそのことを思い出すのですが今年は何だか特別な思いでこの日を過ごしました。61年間上野での伝道が続けられていますことに神様に心から感謝するのです。

藪椿入日に一層赤々と。

犬おれば蛇現れずツバメの巣。

古巣より飛翔する日の近からむ。

老いぬれど気丈なれかしイースター。

塗畦や里山晴れて鳩の声。      馬場路哉

5月13日

 一昨日はとても蒸し暑くてどうも変だなと思っていましたら、今朝から激しい雨に見舞われました。その雨に打たれながらも、ツバメは元気に空を舞っています。さすがに年老いた犬たちは雨の空を眺めながら、散歩に行くのは無理だと考えたようです。今まで元気だったころは雨など平気だったのですが、体の調子の衰えをよくわかっているようです。それがまたいとおしくて、胸がきゅんと痛みます。夕方になってから雨が上がったのでいつものように散歩に出かけることができました。この一日も欠かすことができない日課をこなすことができるとホッとするのです。野山は、雨に洗われて、一層緑が濃くなってきました。

地面を這う蛇が庭先に出てきました。ツバメを狙っているのです。犬たちが元気なときにはこのようなことはなかったのですが、蛇の賢さには驚かされます。

犬たちの弱り方を察知しているからです。

5月14日

 母の日礼拝を金城学院の学生時代にスマイス寮で捧げたのを思い出した一日でした。ポーリン・マカルピン先生のご奨励でした。アメリカではこの母の日を特別に大切にしているといわれていました。母の日には家族が集って感謝の気持ちを表す日なのだと、ある牧師さんがその夫人のために特に記念して行っていたというのでした。皆で、510番“母は涙流す間なく祈ると知らずや。”と賛美し終わるとみなそれぞれの母を思い出して涙していました。子供のために精一杯の犠牲を払って育ててくれた母のことはいつまでたっても尊い存在ですね。

マーガレットの花が咲き誇っています。

藪椿入日に一層赤々と。

犬おれば蛇現れずツバメの巣。

古巣より飛翔する日の近からむ。

塗畦や里山晴れて鳩の声。

木の上の両手に乗りし古巣かな。   馬場路哉

    馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

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 その愛のゆえに

   =時々の記=

    (133)

3月22日

昨日とは打って変わってお日様が照りだして嬉しい一日でした。アジサイが青い青と目吹いていました。家に戻って狭い庭を見渡すと、去年植えた“雪柳”もけなげに一ミリほどの芽を吹いていました。何だかとても気持ちが明るくなりました。今朝のEテレで、“秘密の花園”のお話を聞くことができました。印象に残った言葉は、その人の心の中に小さな庭があり、そこに自然と向き合う心があるならば、希望と、生きる力が湧いてくる、というのです。はっとさせられた言葉でした。

3月27日

 また遠い国から燕の家族たちがやってきました。去年まで来ていた燕かどうかはわかりませんが、土地勘があるとか・・・。またすっと空高く飛んでいきました。去年の日記を見直していないので、はっきりしたことがわからないのですが、同じように三月の末にやってきているはずです。生き物たちの季節感に驚かされます。

先日、お隣の家まで行くと、なんと一度も見たことがない“アライグマ”が私をちらっと見て、すぐに逃げて行きました。見た目はとても可愛くて愛くるしいのですが、農業をされている方たちに言わせると、このアライグマが一番たちが悪いのだそうです。頭がよいので“スイカ”でも瓜でも形はそのまま残して中身だけをすっかり食べてあるというのです。生き抜くための動物たちの生活の知恵に人間も負けまいと対策を練っています。

3月29日

主人は今日3月29日に73歳の誕生日を迎えました。すっかり誕生日のことは忘れていました。子供たちも誰も何も言ってきません。はっと思ってカレンダーを眺めるとひょっとして主人の誕生日かも・・・。主人に念を押して、“今日は誕生日やね。おめでとうございます”と改めて言うと、嬉しそうにしていました。

物覚えはよいはずでしたのに・・・・、ああ~~。

4月3日

 4月になりました。テレビのニュースではあちこちの新入社員の入社式が映し出されていました。みなさん希望に胸ふくらませて、新生活のスタートを切っている姿に、若かりし頃の自分の姿と重ね合わせていました。そんな中、本日、四日市教会のまきば幼稚園で長い間、ご奉仕されていた藤沢元長老さんから、“体調がすぐれないために、この3月を最後に、理事長を辞任いたします”というとても美しい絵葉書で退任のご挨拶を頂きました。四日市教会に私がお世話になっていたころから長老として毎週の週報作成のご奉仕をされ、牧師の父を助けてくださったお姿には若い私には心打たれるものがありました。そして、まきば幼稚園の理事長兼園長として本当に長い間ご奉仕をしてくださって、私たちは励まされ続けました。四日市教会を離れてからも、伊賀上野までお訪ねくださり、心温まるお交わりをしていただきました。

文学者でいらして、主人の俳句には添削をしてくださって力つけていただきました。またご自身も、四日市の文芸の会に属しておられ、よく冊子を送ってくださったり、ご兄弟(三人)で出版された本を送ってくださったり、まきば幼稚園誌を最後に作成されて、その長い歩みを学ぶことができました。

まだまだ、現役続行をされたかったことでしょうが、神様がこれからはご自分のための時間をゆっくりされなさい、と言われたのでしょう。これからは、ゆっくりなさって奥様とご自分のための時間を有意義にお過ごしくださいますようにと心から感謝してお祈りしているものです。

4月5日

 こちらは、桜がまだ開花していませんが、もう雨が降り出しそうなのです。明日、明後日と雨の予報ですから、待ちに待っていた桜見物に出かけようとされている方たちは残念なことでしょう。こちらも入学式が小学校で、明日は中学校です。やはりみなさんにこにこ顔での登校でした。4月は入社式の皆さんも皆、笑顔ですね。難関を突破しての入社でしょうから心弾むことでしょう。

永遠の望み心すイースター。

風の中、リハビリに耐ゆ受難週。

狭き門より入れてふ入学式。

青山を超え伊勢近く春の風。

薄絹をまとふ鈴鹿嶺(すずかね)朝霞。    馬場路哉。

腰の痛み、足の痛みに耐えられながら、尊いご奉仕に心から感謝いたします。

私の方は以前と変化していないということで、また経過観察です。三か月後には瞳孔の検査をするということです。伊賀までの道ですが、名阪を通るのが怖くなりました。主人に送ってもらい、国道沿いにまだ咲きはじめの桜を眺めて行きました。 

日本の四季がしかも最も気候の良い春、秋が短くなってしまったように感じられます。

    馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (132)

2月15日

まだ、家の周りにはところどころに雪が残っていますし、屋根の陽の当たらないところには沢山の雪があります。たった三日間の雪でこの大変さです。雪国の方、鳥取の皆様や、日本海側の地方に住んでおられる方たちのために、お祈りします。こちらは野菜も雪にうずまってどこの直売所を訪ねても野菜がありません。雪が解けて暖かくなるまで野菜は一時お預けとなりそうです。
 主を崇め祈る教会寒の雨。
 短くも眠れて嬉し寒の明け。
 堅忍の日と思ひけり冴え返る。
 初雪や伊賀の田畑の眩しかる。
 残雪に透き通る空映りけり。     馬場路哉
雪の坂道で滑って転んで三日目になります。ようやく痛みが取れつつありますが、まだ元のようにテキパキ動けません。歳を考えて行動しなければと深く反省しています。

2月17日

「世田谷通信」で娘と毎月話題になります。娘はとても共感するところがあるようで、すべてにおいて勉強になるといっています。転んでから十日経過してようやく和らいできました。今朝からはほぼ元通りに動くことができるようになりました。家族から、雪の日に犬を二匹つれて、しかも坂道を下るなんて、よくそれだけですんだものだ、と言われています。

3月1日

こちらは朝は氷点下の寒さでしたが、午後からはずいぶん温かくなりました。

三月は春を告げてくれる月ですね。長い間待っていた春を・・・。厳しい寒さを乗り切ってたどり着いた三月。歳を重ねたせいでしょうか。何だか感慨深いものがあります。雪道で滑って転んだ痛みはまだ続いていますが、だんだん、我慢ができる範囲が増えてきたのは感謝です。最近は、朝の元気があるうちに夕方の準備をしています。すると今度はその疲れが出てしまい、今まで楽しみにしていたEテレでの放送に目を開けて見ているつもりなのですが、はっと思うと、違う番組にかわってしまっていることがしばしば・・・。すっかり、おばあさんになってしまいました。負けん気だけは強く、オルガンに向かって讃美歌を弾いて、一人で悦に入っている私です。

3月2日

雨の予報でしたが、朝だけで午後からは日差しもほんの少し出てきました。

この雨で温かさが増していくのでしょう。鶯がしきりに透き通った声を奏でています。もうあちこちから聞こえてきます。梅の花も八分咲きまでとなりました。今朝の散歩でお隣の花壇に植えられているチューリップの葉っぱがもう10センチほどになっていました。春はあちこちに命の躍動を届けてくれますね。待ちに待った春がやってきました。

 かしこまり福音を聞く老いの春。

良き色をちらばむるなり犬ふぐり。

丸顔の平安な雛目の細く。

翠緑のなみのうねりの春の川。

舞ふ雪のつきてをるかの梅の花。  馬場路哉

3月9日

 3月になって、着ぶくれを防ぐために一枚羽織るのを少なくしたのですが、やはりまた元の冬用の着ぶくれに戻っています。それほどに、朝、夕の冷え込みはまだ厳しいものがあります。それでも、自然界はこの寒さにめげずに、春の訪れを知らせてくれるのです。鶯はもう、あちこちできれいな透き通った声を響かせていますし、沈丁花は薫り高くピンク、白が競い合うように咲き出しました。

庭からは、ほのかな梅の香りが漂い、沈丁花の甘酸っぱいきつい香りが勢いを増しています。こうして家に居ながらにして梅を眺めて季節を感じることができるささやかな幸せに感謝しながら、毎日、単純な家事に励んでいます。

寒空や時違ざる梅の花。

この青や神の御手なる春の空。

田舎なる礼拝堂に春日濃し。

山の気の胸に漲る弥生かな。

安かれと主は言われをりイースター。  馬場路哉

3月。新しいスタートを切る準備の時でもあり、一緒に過ごした友との別れの時でもあり、喜びあり、寂しさありの複雑な月ですね。

    馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (131)

1月26日

大阪の「美しい朝」さんは「ジャーナル」を読んでいるみなさんを信頼して、ご自分のすべてを出し切っておられるのですね。苦しい中にも、包み隠さずにその思いを出すことができる場所が「ジャーナル」であったならば、とても尊いことです。今、多くの方が精神的に追い込まれていると聞いていますから、そのような方たちが心から信頼して「ジャーナル」にご自分の苦しさ訴えてくださる事は何物にも代えがたい月刊誌としてお役に立つことができるのですら、感謝ですね。こちらは今朝は氷点下4度まで下がりましたが、日中は寒さが久しぶりに和らいで、お日様が土手を照らし、その土手からは黄色いタンポポが花を咲かせていました。春が隣りまで来ているのがうれしい限りです。
 そこ冷えや主の十字架を聞きにける。
 さ緑に川増水す春隣。
 冬耕や田の美しき灰色に。
 朝より声張り上ぐる寒カラス。
 紫と化す雑木山春隣。       馬場路哉
遠くに見える山並みはいつの間にか芽吹き始めて紫色になっています。春って嬉しい季節ですね。でも、我が家の土手にも小さな春がやってきました。フキノトウが土を盛り上げているのです。思わず声を上げてしまいました。今年は念願の沈丁花の苗木を(あか、しろ)を植えました。あのとても良い香りを放ってくれるかなあと楽しみにして春の訪れを待っています。

1月31日

プロパンガスを配給してもらっていますが、雨の中でしたので。雨の中大変ですね。有難うございますとお礼を言いました。すると、雪でなくて本当に良かったですと言われました。そうですよね。普通ならば、この時期に雨ではなく雪になるのでしょう。でも雪にならなくて良かったと、雨でも大変な作業ですのにそのようにプラスに考えることができる人はとても幸いですね。
ガス屋さんのそのひとことがうれしい一日でした。

2月2日

この頃、野生の鳥が少なくなっているというのです。百舌鳥(もず)、雀さえも珍しくなっているというのです。気象の影響なのか、大敵のカラスにやられているのか、よくわかりませんが、鳥の鳴き声が聞こえなくなった山を散歩するのはとても寂しいものです。例年なら、すっかりなくなっている渋柿がまだたくさん木の枝に残っています。南天も赤い実を残しています。
 大根の土より覗く白さかな。
 群雀田に降りもする春隣。
 池浅く眠りをるかや寒の鯉。
 花八手大きく掲ぐ古刹かな。
 教会の雪掻く信徒あから顔。      馬場路哉
2月3日

メールに仕事場まで3000歩、教会まで5000歩歩いて行かれているとのことが記されてありましたね。毎日の犬たちとの散歩で、長村さんが3000歩歩いて仕事場まで行かれることを思い出して、私たちも一度に千歩ほどですが、励まされて歩いています。歩いていると、季節の変化、風の冷たさやぬくもりなど身近に感じられて何よりの運動だと考えています。一歩歩くと一ミリの筋肉がつくといわれています。耳の聞こえなくなった、目の見えなくなった犬たちはただ匂いだけを頼りに散歩をしています。よろよろしながらも散歩に行く時はとてもうれしそうにしっぽを振ります。精一杯生き抜くためにしっかり散歩している姿にです。
 青空に整ひ初むる冬芽かな。
 天地に光るものあり日向ぼこ。
 連山の藍染めとなる初景色。
 西空に頼む明るさ日脚伸ぶ。
 細やかな枝は欅(けやき)の冬木なる。    馬場路哉
教会の心病める友から私が送った手紙に対してのお礼の電話が入りました。とても落ち込んだ様子でした。筋力が弱ってしまい歩くことができないというのです。2月7日

こちらは今朝から雪が冷たい風とともに舞っています。そんな中、庭の梅の木のてっぺんに花が咲いているのです。ぶるぶる震えての開花です。まだ咲き始めたばかりですからこの寒さに驚いていることでしょう。春がすぐそこまで来ているのが感謝な思いになります。お隣の月ヶ瀬では奈良市内から梅をめでに来る方たちと出会いました。この時期はバスも奈良市内から一時間に一度出ているようです。さすがに梅の月ヶ瀬です。
 サクラは吉野の千本桜がとても素晴らしいです。最近は海外から観光にやってくる方がたくさんおられるらしいです。奈良市内ではどこでも観光ガイドとして英語、中国語、韓国語が話せる方がいると聞いています。

日曜日の礼拝ではインフルエンザで休んでいた方があり、私も気を付けないと思っていたら、昨日から喉が焼け付くように痛く、これは風邪だなと今朝早くに診療所へ走りこみました。診療所もとても混んでいるので、しばらく家で待機してください、とのこと。一時間半ほど家で休んでから再度行きました。それからでも待つこと一時間あまり。こんな田舎の小さな診療所でもこの混雑ぶり。先生に診てもらうと、インフルエンザではなく、風邪ですねといっていただきほっといたしました。すぐに変化に対処できるようにお薬は全部飲み干すのではなく、一日分は手元に残しておきます。
 おきつもの名張の山に雪舞へり。
 伊賀盆地囲める山の冬霞。
 谷戸(やど)の灯のちらちらすなり冬の風。
 笠間川透き通るをる淑気かな。      馬場路哉
主人は血液検査を診療所でしていただきましたが、甘いもののとりすぎといわれ、自粛しています。疲れるとつい甘いものに手を出してしまうのです。

    馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (130)

12月17日

明日はクリスマス礼拝です。何だかあまり気が進まないのですが。救い主イエス様のご誕生を心からお祝いできることができますように信仰が強められますようにと祈っています。
 桐一葉またも空き家の殖えにけり。
 過疎の村枯野となりてさっぱりす。
 黄落やざわざわとして降りにける。
 ボブディラン切に歌ヘリ秋の風。
 地震(なる)人慰め給へクリスマス。    馬場路哉
人は神経が細くて、苦しむときがありますね。それはまたとても良いところでもあるのですが、今のこの荒々しい世の中ではなかなか通用いたしません。このような弱さを持っている者でも、弱さがあるのは誰が悪いのでもない、と神様はおっしゃって私たちを慰めてくださいます。イエス様を仰いで、来る年も祈り深く歩んでまいりたいと願うものです。

1月1日

2017年がスタートいたしました。息子にとって、年賀状は日曜日だというのに一日に配らなければならず、大変な元旦の朝でした。“決して誤配がないこと。“決して、事故を起こさないこと。 “午前中に配り終えること。と言う指示に従って、真っ暗闇から出勤して行きました。何よりも良いお天気に恵まれて、配りやすかったことでしょう。無事に配り終えて帰ってきた時にはこちらの方がほっといたしました。家族の協力があってのことですね。
 私に届いた年賀状で最高齢の方は90歳の方でした。それも筆でしたためてくださってありました。月ヶ瀬小学校でご一緒させていただいた方です。何だかんだと言いながら、やはり年賀状を何度も読み返しては、楽しんだ元旦の一日でした。

15

園訪へば柊の花匂ひけり。
挑戦す勇気美しスケーター。
飛び去れる日々の速さや古日記。
暁の清々しさよ冬銀河。
飾りたる冬着や古稀の同窓会。       馬場路哉
昨日、五十年前の教え子から電話が入りました。60歳になって元気に働いているとのこと。私の新任の時の姿がとても印象的で、教師を志すきっかけとなったと伝えてくれました。ちょっぴりうるうるとなりましたが、嬉しい電話でした。

1月13日

今夜は最強の寒さとか・・・。庭の梅の木をじっと眺めていましたらもう、小さな蕾をしっかりつけていました。南天の赤い実はいつの間にか、小鳥たちがついばんで数少なになっています。春の訪れが待ち遠しい寒中ですね。
 「美しい朝」さんが眠ることができますようにお祈りしています。睡眠がとれないと、とても苦しいことですから・・・。わたしには睡眠がとれない方の気持ちがよくわかります。わたし自身とても神経質でよく眠れなくなることがあるからです。今夜もよくお休みできますようにと祈っています。

1月14日

一番の寒さが日本列島を包み込んでいます。東海、近畿、四国などあまり雪が降らない地域も大雪になるとの予報です。雪道の怖さを知らない私たちですから、できるだけ外出は控えるように心がけています。
 見舞ひたる竹馬の友や年の暮れ。
 クリスマス白寿の媼召されける。
 天の声聞けてふ人や初御空。
 空へ伸ぶ枝なり模様冬木立。
 雲近く鳶昇りをる春隣。        馬場路哉
早くこの厳しい寒さが抜け出てほしい思いでいっぱいです。
    馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (129)

11月14日

昨夜からスーパームーンのお出ましを期待しながら空を眺めるのですが、一向に月が出てきません。それもそのはず、雨が降り出そうとしていたのですから。明日から三日間はよく晴れるという予報ですから、きっとスーパームーンを眺めることができるでしょう。期待しながら月夜を眺めています。
 一叢の萩の枝垂るる山家かな。
 弦の音の澄むに聞き入る暮れの秋。
 公園にリハビリ散歩薄紅葉。
 棕櫚(しゅろ)の葉丸く整ひ冬に入る。
 林泉や色変えぬ松眺めける。     馬場路哉
夕の散歩の帰りに大きなイチョウの葉がとてもきれいに黄色に色づいているのに気が付きました。最も美しく紅葉しているのは、何と‟うるしの葉っぱです。これからの厳しい冬に備えて自然界は着々と準備をしているのですね。
 11月22日

木の実落つ果たして大地土の上。
 藪の端いくつか懸るカラス瓜。
 一群の野菊明るし山の窪。
 柊の花ほんのりと園歩く。
 父の里億伊賀を恋ふ翁の忌。     馬場路哉
主人の三重大へ検査に行く折に父親の生まれた家の前を通ります。今はもう誰も住んでいないのですが、懐かしく思うようです。

11月28日

夕の散歩に出かけようとしましたら、郵便受けに「ジャーナル」が届けられてありました。「今月のことば」を読ませていただくと、救い主イエス様がお生まれになった良き日をお祝いすることの大切さを改めて思い返しました。心の扉を開いて、悔い改めて、イエス様の招きを受け入れる人生は、どのような境遇に出くわしても強い力となって私たちを支え導いてくださるのですね。明日は主人の三重大での定期検査です。家で待っていても、時間が経つのが長いので、一緒に行くことにしました。「ジャーナル」をバッグに入れて、検査の待っている間、神様に祈りつつ、穏やかな思いで過ごすことができたらと願っています。
 大阪の「美しい朝に」さんは、いくつもの病と闘っておられるのですね。いつも前向きに神様を仰いで歩んでおられるお姿にとても励まされます。
 今月号でも多くの方たちは励まされることでしょう。私も、狭い考え方から少しは幅のある思いに変えられることができました。クリスマス、おめでとうと心からのお祝いの言葉が発せられますようにと、祈るものです。

11月30日

ちょうど、11年前の12月を思い出しています。悪性筋肉腫と診断され、私たちにとってはクリスマスをお祝いする気持ちにはなれませんでした。それでも三重大学病院のホールには、あちこちにクリスマスツリーが飾られ、落ち込んでいる患者さんを励ますかのようにきらきら輝いていたのを思い出していました。今日も早々ともう病院の中はクリスマス一色です。小さなお子さんが入院されるのでしょうか。たくさんの荷物を持って泣いている子供をあやしながら急ぎ足で病棟へと行かれました。主人の 診察の番まで昨日お届けいただいた「ジャーナル」を読んでいますと、お隣りに座っておられる患者さんが私に話しかけてきます。“何を読んでいるのかとたずねられるので、“キリスト教の冊子です”と答えました。すると、“奥さんそんな悪い病気には見えんが、どうしたんや”と言われるので、“主人なのです”と答えました。一般の方にとっては宗教に頼るのは、“溺れる者藁をもつかむの時なのでしょうか。
 キリスト者にとっては悪いときもよいときも神様にお祈りしながら、詩編にもあるように「たとえ死の陰の谷を歩くことがあっても私は恐れません。あなたが私とともにおられますから。」と神様に対して、真に絶対的な信頼と、祈りとを持って試練を乗り越えてきています。
 診察室に入りますと11年、お世話になった先生が突然、私は12月1日付で、福井大学病院へ転勤です。馬場さんはここまで本当に体調が良かったのすからもう大丈夫ですよ、との励ましを言っていただくと、主人も私も、苦しいときのも、辛いときにも、先生の大丈夫、何とかなります、のお言葉に支えられてきたことに、もう胸がいっぱいになりました。主人は先生と固く握手をして、先生もどうぞ気を付けて頑張ってください、と申しますと、さすがに先生は、馬場さんこそ!これからもこの調子で気を付けてくださいね、私は度々は三重大に戻りませんが、後輩の医師にあなたのことは頼んでありますから、と最後に、リハビリは大切ですよ、といってお別れをしてきました。
 医師と患者という関係を超えて、良い先生に巡り合ったことに心から感謝して帰路につきました。

12月4日

一日、温かく過ごしやすい日和でした。明日からまた平年並みの寒さになるといわれています。入院されていた93歳の方が亡くなられ、家族だけで見送ったことが礼拝後に伝えられました。今は、家族だけでの葬儀がとても多くなっているとのことです。イエス様の御許へ引き上げられるのですから、家族で静かにみ守られての最期は本人にとっても家族にとってもとても大事なひと時になると感じます。
 棕櫚の葉の整ひにけり冬初め。
 芭蕉忌や峠越えなば伊賀近し。
 母と子の園に木の実を拾ひをり。
 初時雨庭を濡らして上りけり。
 奈良の秋リュック背負へる旅の人。   馬場路哉
 12月14日

やはり、十二月も半ばを迎えますと、寒さが一段と厳しくなっていきました。
昨日は、氷がバケツの水に薄く張っていました。明日は雪が降るというのです。
日ごとに、着ぶくれが激しくなり、動作が思うようにいきません。寒さ対策として、薄いものを重ね着するとよいと言われていますが、私はとても寒がり屋なので、びっくりするほどの重ね着です。着脱に時間がかかりますので、朝はとても焦ります。朝起きて、身支度を整えるのにも10分はかかってしまうのです。
犬たちが“いつまで待たせるんだよとせがんできます。5時30分。ようやく犬たちとの朝の散歩に出かけます。あたりは、まだ真っ暗です。犬も年を取ってきているので、私よりも先に進もうとはいたしません。
 猪がガサガサ物音を立てると、じっとして待っているのです。最近は狸の親子連れ、鹿の親子連れにも出会います。こちらが何もしないでいると、山に向かって行きます。お互いに礼を尽くすことが大切なようです。動物の世界でもこのようにとても命を大切にしているのですから。人間も見習う必要がありますね。
   馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (128)

10月20日

夕方に散歩の帰りにお隣の方に出合いました。きれいに草を刈りとっておられました。こんにちはと声を掛けると、暑い日が続くなとお返事が返ってきました。夕べの散歩を終えるころには汗がにじんできました。なんという異常な秋なのでしょう。イチョウもまだ青い葉っぱのままです。この調子では秋の紅葉がずいぶん遅れるのでしょう。

この土手にツユクサ色をちりばむる。

翻訳を試みもする夜長かな。

キリシタン迫害の秘史秋深む。

笛の音の過疎に聞こゆる村祭り。馬場路哉
毎晩遅くまで笛の練習が始まっています。高齢化が進んで笛を吹く人がもう二人だけになってしまったと聞いています。この村祭りもあと五年続けられるかどうかということです。見渡せば、だれも住んでいない家が毎年一軒、二軒と増えていくのです。寂しい限りです。

10月31日

今日で、10月が終わりますが、昨日の朝、今朝と、冬のような寒さです。朝だけはエアコンをつけて、ストーブを使い始めました。一気に冬へと移り変わりです。教会では高齢の方たちが三名も入院されたと伺いました。昨日はそのおひとりのところへお見舞いに行ってきました。礼拝の後で少ししかお話しできませんでした。そして短いお祈りをして帰ってきました。この11月で99歳になられるというのに、とてもしっかりと受け答えされていました。もう一度自宅へ戻りたいとおっしゃっていました。誰でも病院には入りたくないものなのですね。

萩垂るる石垣低き山家かな。

くもり空芥子粒(けしつぶ)程の小鳥来る。

鰯雲おぼろ昆布となり消ゆる。

このチャペル襄説かれけり天高し。

木犀や鴇色(とき)の星こぼしける。 馬場路哉
11月5日

昨日、ようやく、ゴダート先生へのクリスマスカードを何とか書き上げることができました。先生もご高齢になっておられますから、今年が最後かななんて思いながらペンを走らせていると、熱いものがこみ上げてきました。去年のお手紙を読み返しますと、83歳になられたとのこと。でも週に二回はお花屋さんでお仕事をされていると。もう何十年も前になりますが、南長老派のミッションの先生方が日本伝道に尽くされた日々があっての今があるのだと、感謝に耐えません。お若い先生を送り出すときにお母様は、あなたとはもう会えないかもしれないけれど、天国で会いましょうと言って送り出してくださったことが一番うれしかったとありました。東海地方を中心に日本の伝道のために、命がけでご奉仕してくださったことは心から感謝いたしています。

11月7日

クヌギの木が散歩道に沢山あるからでしょうか。帰りの坂道にどんぐりがいっぱい落ちていて、それを踏んでしまうともう大変です。坂道を下ってしまうほどに足元が滑って、「どんぐり坂」と呼んでいます。今朝もとても冷え込みが厳しく、新聞配達の方と朝の散歩でのご挨拶は、今朝はとても冷えますねでした。それもそのはず、暦の上では「立冬」ですもの。冬が駆け足でやってきそうです。
家が隙間だらけなので、冬になるとガムテープを使って、主人が目張りをしてくれます。 今年はもう昨夜、部屋中をガムテープで隙間を覆いました。やはり、隙間風を止めるだけでずいぶん温かく感じました。これから半年この
さとの戦いが始まります。

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (127)

9月19日

朝から大きな雷が鳴ったり、急に大雨が降ったりと激しい天候です。秋晴れはこれからなのでしょうか?毎日、湿度の高いムシムシした秋を迎えています。リオでのパラリンピックが終わってしまいました。選手の方たちの限りない努力、不屈の精神力に励まされました。今は、夕方になると秋場所を楽しんでいます。
 葛の花零るる道や缶拾ふ。
 絵葉書きの美し残暑見舞いかな。(藤沢さんと鶴原さんから頂いたものです。)
 チボー家の苦闘を読みぬ夜長かな。
 桐一葉芝生近くへ落ちにけり。
 ルオーの絵さまざま灯下親しみぬ。     馬場路哉
 昨日の礼拝で、信友が体調を崩し、10月に入院手術をされるとのこと。心を合わせて祈りました。

9月23日

秋らしくないこの頃ですが、土手に群がって咲き誇っている彼岸花に何だか力いっぱい生きている、そのような勢いを感じさせられています。あのどぎつい朱色は自然の中で咲いているから調和がとれているのだと思うほどにどぎつい色です。でも、秋の始まりに精一杯咲いている姿にはこちらも力を与えられるのです。何とも不思議な花です。葉っぱが一枚もなく、茎から直接花が咲いているのですから。それに必ず一本ではなく4、5本、あるいはそれ以上群がって咲いているのです。昨夜、NHK BS3で“昭和の歌と題して、“山田耕筰の作曲された歌を聴きました。中学の教科書で習った、“荒城の月“カラタチの花。また子供のころよくうたった“赤とんぼ“土手のすかんぽなどなど、およそ一時間にわたって秋の夜長を楽しみました。今まで知らなかったのですが、山田耕筰はクリスチャンだったというのですね。
 10月1日

10月もスタートです。ジャーナル10月号を今朝から読ませていただいています。私たちにとって最も大切なこと、それは神様のご栄光を表すことにあると導かれ、深く反省しているものです。神様から与えられた賜物を最大限にご栄光を表すために用いることができますようにと祈りましたす。
 大阪の「美しい朝に」さんのことも祈ってますが、人生には試練がもうだめだと思われる厳しい試練が重なるときがあるけれども、祈りによって支えられていると知らされました。“どうして、私だけがこのように苦しい人生を歩まねばならないのだろうと不平不満の私ですから、とても申し訳ない気持ちになります。
 賛美歌を歌ひて灯火親しかり。
 野分後木々の倒伏おびただし。
 気高くも棕櫚咲きにけり右近の碑。
 歌ふかに玉を転がす虫の声。
 リハビリの帰り道なる鰯雲。     馬場路哉
 10月10日

昨日、教会の礼拝から急いで帰ってきました。犬のサクラが二日ほど前から体調を崩してとても苦しんでいたからです。直ぐにサクラの部屋に入っていくとやはり痰が肺からあがって来るようで、呼吸が荒く苦しそうです。見ているとこちらがとてもつらくなってきます。神様に“サクラのこの苦しみを取り除いてあげてください。と祈ることしかできません。“サクラ、そんなに頑張らなくてもいいよ。十五年間本当にありがとうね目立つのが嫌いなサクラは私の後ろに回ってチョンと両手で、挨拶してくれるのです。その礼儀正しさを見ていて村中の人たちから“忠犬ハチ公のようだといわれてきました。そのサクラが午後五時三十分、天国へ旅立ちました。家の中が急に暗くなりました。たった一匹の犬のサクラの死がほかの二匹にも伝わったようです。一匹は首をかしげて、どうなったの?と私をじっと見つめます。あと一匹は“キューンと泣いて悲しみを表しいました。
今朝、早くからサクラのお墓を主人と掘りました。サクラが一番好んでいた八朔の木の下です。その横にはサクラのお母さんのお墓があるのです。散歩に行く途中必ずサクラはその八朔のところまで行って出かけていましたから。そして温かいタオルでサクラの体をきれいに拭いてあげるとふと今にも口をあけるかのように感じました。“サクラ、お前が一番最後まで残ると思っていたのに。一番先に死んじゃったね。でも本当に忠実に仕えてくれたお前の姿に感謝しているよ。有難う。さようならサクラ。もう胸がいっぱいです。
 主に在りて爽やかな朝迎
ける。
 どことなく優しく揺れる千草かな。
 秋草の真っただ中に憩ひけり。
 夕霧に山峡の村出で湯とも。
 遠景を遮り青し今年竹。       馬場路哉

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (126)

8月22日

夏の高校野球は北海道が最後まで残っていたので応援していましたが、栃木に負けてしまいましたが、よくあそこまで勝ち進んだなと思い切り拍手をして応援していました。リオでのオリンピックは、9月から始まるパラリンピックを残して閉会いたしました。毎日、朝からテレビをつけての応援でしたので、急に夏の終わりが来たように感じます。
 炎天や逃げたる犬を探しける。(翌日無事に見つかりました。)
 蜂の巣に刈込み出会いはかどらず。(今年は非常に鉢が多いのです。)
 一群の吹かれてをりぬ走り萩。
 石組を重宝にして井戸替えす。
 朝顔や赤色と紺基調なる。       馬場路哉
主人も支えられてこの夏を何とか乗り切ろうとしています。高齢者には厳しい今年の夏ですね。

9月2日

朝からはミ~ンミ~ンとセミが夏の終わりを告げるかのようにしきりに鳴いています。子供たちも二学期がスタートして少ない子供たちの山添村ですが、何だか、静かになったように思います。二学期は盛り沢山の行事に追われて教師も子供たちも大変です。特にこの頃は9月の早い時期に運動会がありますから、暑い中、練習に明け暮れて大変なことでしょう。
 週二回通ふリハビリ爽やかに。
 山峡や今も変わらぬ星月夜。
 秋海どう夕さる庭に灯りけり。
 黙示録めきて炎天続きけり。
 一瞬の光大きく星飛びぬ。       馬場路哉

9月6日

今朝の散歩では、柿の実が熟さないまま、あちこちに落ちていました。上を見上げると小さな柿が鈴なりになっています。しばらくすると今度は青いままの栗が3つ4つと落ちていました。そうなんだ。このような暑さの中にあっても自然の恵みが豊かに実る秋を迎えているのだと実感いたしました。
 こちらは台風の影響で蒸し暑い日が続いています。夕散歩ではいきなり黒い雲が現れたかと思うと、雨が勢いよく降ってきて、犬たちと一緒にずぶ濡れになって帰ってきました。
 北海道では農家さんたちがジャガイモ、玉葱の収穫の前に大雨に見舞われて、本当に無念なことでしょう。ここまで大きくするのにどれだけの労力が必要だったかと思うと、いてもたってもいられません。今年はなぜか、東北、北海道へ台風が上陸して大変です。異常気象がそうさせているのでしょうが。一日も早く、元の生活に戻ることができますようにとお祈りするものです。
9月7日

秋の七草のひとつ、萩が土手の上から見下ろすように咲き始めました。夕方散歩で見つけました。やっぱり秋がやってきてくれるのかなという思いになりました。日中は真夏日です。いつになったら気温は秋らしくなっていくのでしょう。きょう七日は白露で、もうそろそろ涼やかな風が吹き出してもよいのにという思いです。
 昨日の夕方、七色の虹が二本も家の庭の空に見えました。ほんのひと時でしたがとても心が和やかになりました。わたしには、四色にしか見えませんでしたが、主人には七色に見えたというのです。感性の違いでしょうかね。
9月12日

四季の変化がある日本は感性を高めてくれるようでとてもうれしいです。これからが秋の夜長の時期ですね。こちらは朝が早いので、夜はできるだけ早く休むようにしています。犬たちが4時30分には起こしてくれるからです。おかげで、早寝早起きの習慣がいつの間にかついてしまいました。これも健康維持には大切なことかなと良いように考えています。
 夏草を刈らねば家を守られぬ。
 手のひらに入る新種のさつまいも。
 山里の白くぼやける星月夜。
 爽やかや心開けという校歌。
 夜の庭独占したる虫時雨。      馬場路哉
虫たちの大合唱にも耳が慣れてきたのでしょうか。今鳴いているのは何だろうと考えながら、聞いています。とにかくあちこちで鳴き始めますから、もう今鳴いているのはキリギリスなのか、クツワムシなのか、コオロギなのか聞き取りにくいほど一斉に鳴き始めています。
おかげで、涼しくなってきたので、夜はよく眠ることができています。私にとっては睡眠不足が最も翌日の活動に応えるのです。

9月13日

 今年は、夏の異常な暑さのせいでしょうか。橋の下や池の近くなど涼しいところを選んで蜂が巣を作っているようです。各地で被害が出ていると伝えられ、怖くなりました。役場に連絡すると、山添村にも専門的に蜂の巣を退治してくださる方がいるとのこと。 さっそく電話を入れると雨が止んですぐに来てくださいました。30分程で、大きな蜂の巣を駆除してくださいました。
蜂にはもうしわけないのですが、人間に対して攻撃してくる生き物はちょっと放っておくわけにはいきません。蜂に刺されたところが頭に近い部分だったら亡くなった方もおられますから。 やれやれです。
 土手のススキが雨に濡れて湿っていました。
   馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」

 

 その愛のゆえに

   =時々の記=

    (125)

7月16日

殺風景な我が家の庭に毎年決まって花を咲かせてくれるのが朝顔です。せめて、この夏の暑さにめげずに朝起きた時に朝顔の花から元気をもらうために、毎年五月に種をまきます。小さな種が二か月余りで、花を咲かせてくれるのですからその成長の速さに感謝するものです。今は、青紫、白、濃いピンクの三種類が入れ替わり、立ち代り花をつけています。残念なことに開いた花は午前中で萎れてしまいます。それでも花たちから清々しさと元気をもらうのが楽しみで朝一番に花を見に行きます。支柱は家の裏山の細いアマゴ竹を使っています。一本一本が太さが違いますし、曲がっているものもありますが、すべてが自然のものですからぴったりと似合っているように思います。鉢も昔ながらの土から作ったものです。プラスチックと違って暑さに強いといわれていますが、この暑さでは、朝、夕二回の水やりを欠かすことはできません。
 庭の小さな野菜畑ではピーマン、ミニトマトが毎日、たくさん収穫できるようになり、楽しみです。ミニトマトは彩りを添えるのにとても便利な野菜です。
ピーマンは調理するのに手間がかかりますが、自分の家で採れたと思うと、いとおしく、毎日ピーマン、ミニトマトが食卓に出てきます。夏野菜の力強い恵みを頂いて、これから一層厳しくなってくる暑さを乗り切りたいものです。
7月23日

毎日、暑い日が続いています。こちらは、八月が近づいてくると、高齢者たちが競い合うように、家の周りの木の剪定をしたり、草刈り機で生い茂った草をきれいに刈り込んでいきます。みなさん、すでに70歳ははるかに超えておられますが、頑張っているのです。昔からの習慣で八月が来る前にそこいらをきれいに片づけておかなければという思いが強いのでしょう。主人もみなさんに刺激されて、今朝からは草刈りに励んでいました。これで蛇が近づきにくくなったかなとほっとしています。
 曲終わるかに亡くなりぬ戻り梅雨。(高知教会からの信友が6月に急に召されました)。
 薔薇散りて得も言われぬ香遺しけり。(同じ信友が召されたことをしのんで)
梅雨明けの青空永遠(とわ)の神秘とも。
 朝散歩かさかさふめる竹落ち葉。
 玉虫や望み確かに信じける。  馬場路哉
こうして、台所で座っていると、確かにコオロギが初めて鳴きました。裏山ではカナカナと寂しげに蝉が鳴き続けています。
8月2日

連日、猛暑が続いています。夕立もなく、農家さんたちは声をそろえて、一と雨ほしいな、と言っています。ちょっと油断していると農作物はあっという間に枯れてしまいますから。
 過疎の村一隅灯る蓮の花。
 老梅の枝天に伸ぶ茂りかな。
 計画を主は成させけり送り梅雨。
 梅雨明けや青空天の神秘とも。
 月下美人全てに時の有りといふ。    馬場路哉
8月6日

昨夜は一晩モモのことを考えると居ても立っても居られません。藪の中に入ってしまったら足の弱いモモですから出てくることができません。野生のイノシシが必ず出てきますから、モモはきっと噛みちぎられて死んでしまっているに違いないと思うと、とても辛くなりました。息子が慰めてくれたのは、犬も苦しんで死んでいく姿を見せるのもつらいもんだから、きっとモモはその姿を見せまいとして隠れてしまったんだと思う、と。
 役場からも何も連絡がありません。あきらめるしかないと思っていましたら、午前九時過ぎに電話が入りました。犬を探していませんか?と。黄色の首輪、青色のリード。モモに違いありません。親切な方でモモが田んぼに落ちて出てこられなくなっているのを発見してくれたようです。朝ご飯までしっかりいただいて無事に連れて帰ってきてくれました。首だけは水につかっていませんでしたが全身水につかっていたようです。左足が骨折しているのかパンパンに腫れて歩くことが思うようにいきません。獣医さんに電話して尋ねると、痛み止めと化のう止めで処理するしかありませんねと言われたのでモモは連れて行かないでお薬だけを頂きに行きました。少し痛みが和らいだのか落ち着いています。モモが帰ってきてくれてとても感謝でした。最後まで一緒だよと言い聞かせています。

8月11日

 このような猛暑の中、空を見上げると、赤とんぼが群がって飛び交っていました。暦の上ではもう秋ですから。オリンピック、残念なのは山に囲まれた我が家のテレビはNHKがうつりにくいのです。アンテナが電波をうまく受け止められなくなっているようです。ラジオに耳を傾けている毎日です。
 やや強き風に揺れもすラベンダー。
 土用波もたらす風の山を越ゆ。
 暑き日や神の忍耐説かれける。
 師の詠みし野菊の蕾刈らでおく。
 子ツバメの鳴き交わしをる気迫かな。  馬場路哉
ツバメたちは五羽だけを残して遠いフィリピンへ帰ってしまいました。
毎朝、電線に止まって挨拶を交わしていたので、さびしく感じます。
 馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

      (112)

619

 今日も一日雨の降ったりやんだりのややこしい梅雨空でした。そのような中、元気をくれるのはやはりアジサイの花です。この頃はアジサイにもたくさんの種類があるようで、ご近所のアジサイの新しい品種には、はっとさせられます。お花も次々と改良されて珍しいものが人気を呼んでいるようです。我が家の庭には従来通りのものばかりです。なんら変わり映えのしない庭です。
 蕗の皮むくや古(いにしえ)人思ふ。
 ポプラの葉奏づる音や風薫る。
 西行も夕焼けを斯く(かく)眺めけむ。
 多羅尾超ゆ京への道の青嶺(あおね)かな。
 梅雨寒しラジオのジャズにくつろぎぬ。     馬場路哉
ぎっくり腰で痛んでいる主人の腰は太い腰を支えるベルトで何とか支えられているようです。明日から毎週のように土曜、日曜と草刈、路作りの「出会い」があります。それに耐えられるか心配です。できるだけのことをして、許してもらいたいものです。毎年何人かは無理をしてけが人が出るのです。とても急な斜面はスパイクのついた地下足袋を履いていかなければ滑ってしまいます。このような危険な草刈りは加齢に伴って皆しんどがっています。
7月2日

 アジサイや大海原の色となる。
 谷間(たにあひ)に笹百合見えず過疎の村。
 朝まだき懸命に鳴く燕(つばくらめ)
 故郷に帰って摘みぬ花あざみ。
 ぬた場とはなってしまひぬ草を刈る。(家の周りのすぐそこまで猪がやってきて、大きな穴を掘りすみかにしています。その猪の掘った穴のことをここら辺ではぬた場というそうです。)            馬場路哉
 今朝も大雨の中高齢者の男性たちは、路の草刈に出かけました。二時間ほどで帰ってきましたが合羽を着ていても、隙間から雨が入り込んで大変だったといって帰ってきました。70歳以上の男性たちですが皆休むことなく草刈りに精を出していたというのです。田舎の高齢者にも大変なところがありますね。
7月7日

 おはようございます。こちらは今朝も雨が降っています。台風がもうやってきているとのこと、それが前線を刺激しているようです。
 橋たもとしばし留まるカジカ笛。(かえるのこと)
峰の木々殊に揉まれぬ青嵐。
子ツバメのぶつからず飛ぶ狭庭かな。
荒梅雨や合羽を着たる道つくり。
早朝の楽器練習音涼し。
生垣に見ゆ走り萩小紫。     馬場路哉
ようやく歯科医院の治療が終わってほっとしています。でも、これからは,歯の矯正を行う必要があるとのこと。大切なものですから主治医の先生に従って矯正をしてもらうことにいたしました。
 私は少し疲れ気味です。ぼちぼち、焦らずにできることからやっていこうと思います。
 馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会」

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (123)

5月16日

我が家の裏庭の八朔が真っ白い小さな花を咲かせだしました。みかんの花は5月に咲くのだったのかと、そのあまりにも可憐な美しさに見とれ、初夏の香りを思い切り吸い込みました。お茶農家さんではこれからはとても忙しくなって夜もお茶の機械を動かしているというのです。そのお茶が今売れ行きが減って、ペットボトル用のお茶に切り替えなければやっていけないということです。時代の移り変わりをもろに受けているそうです。
 弱りたる老犬の愛く若葉風。
 瑞々し山を映せる代田かな。
 渓流に風走るなりかかり藤。
 ルオーの絵修道女あり聖五月。
 代掻きす同級生の白髪かな。       馬場路哉
主人の三重大病院での精密検査まで二週間となりました。神様に導かれて元気で生かされている今に感謝しています。
検査日は31日火曜日です。主人は今度は入院するように言われても自宅で過ごすと考えているようです。村の大役が回ってきて、入院をしていられないというのですから困ったものです。それほどにまで人が減ってきている村になっています。

5月30日

明日は三重大学病院ですが、主人はひとりで行くというのです。そして主治医の先生が手術をするように言ったら、もうここまで生かされてきましたので手術はいたしません。このままで最後まで頑張ります、と言ってくるというのです。
すべてを神様に委ねて、最善を尽くしたいと祈っています。
 白き鈴揺るるときあり甘野老。(あまところというはなのなまえです。)
 馬鈴薯の花に翁の入院す。
 白鷺の畔より田へと移りけり。
 天地に光新たな五月来る。
 万緑や稜線に雲飛び来る。     馬場路哉

5月31日

心配で、私も一緒に三重大まで付き添っていきました。検査の間、診察時間までの間、ずーっとジャーナル6月号を読みながら、祈りながら待ち続けました。診察の時刻は予定より大幅に遅れて一時を過ぎていました。いつもとは違って心配をしつつ、どこかに神様に支えられている確かさを感じて待っていました。先生に呼ばれて“だいじょうぶですよ„と一言言っていただき診察室が明るく感じました。毎日、山添村を一時間余り歩いているんですよと先生に伝えますと、それはすごい!と褒めてくださいました。肺、腹部、骨盤、大腿部とたくさんのCTを取っての結果が異状なしでしたので、何だかとても感謝な思いで名阪国道から見える山並を落ち着いて見つめることができました。
 健康であることが当たり前ではないことをとても強く思わされた一日でした。
6月1日

 昨日の診察室を出る際、主治医が一言、もし何かあれば連絡いたします。放射線の結果がまだ出ていないので・・・。たぶん大丈夫だと思いますが・・・。そして今日午後に三重大学病院から電話が主治医から入りました。肝臓に一センチほどのものができているので、66日に内科で病理検査を受けるように、とのことでした。もうこちらはお腹がきゅんと痛くなり、昨日の気持ちからがくんと突き落とされた思いでした。でも仕方がありませんから、また6日に行きです。 十年という節目でがんが転移したり再発する場合があるとよく言われています。主人と同じように俳句をされている方で右足膝にがんが十年前にできてお元気になられていたのですが、今年の三月ごろに再発されたと聞いたところでしたので、同病相哀れむというのでしょうか、この事実を受け入れて今度は内科の先生の言うとおりに従うしかありません。
 山里の媼ぞ強し夏アザミ。
 つらなりの美しきかなあまところ。
 笹百合は幻の花山荒るる。
 子ツバメの自由に飛ぶや鮎の如。
 刈込し皐月ぞ今し花多く。    馬場路哉

6月11日

主人がMRIの造影剤を入れての検査に三重大学病院まで行きましたので、今日は一人で犬たちとの散歩、庭の花たちや野菜の水やり、夕食つくりを全部一人でしなければなりません。主人が台所へ立つようになってからは二人で食事の準備をするのがあたりまえのように思ってすごしてきました。一人で以前のようにしようと考えるだけでうんざりです。この暑さですから、ガスで調理をすると考えるだけで気力がダウンしてきます。手抜き料理を考えて何とか夕食の準備ができました。野菜はレタスがとても便利です。それにお豆腐の冷奴も冷たくておいしいですね。毎週山添村のおとうふの作り立てを届けてくれるのです。
 部屋の中の空気は四方の窓を開け放ちますと、やはり裏の山側の窓を開けると風の涼しさが違います。裏の井戸水もとても冷たくて流しっぱなしにしながら手を少し冷やすと体感温度が下がります。何とかクーラーなしで過ごすことができる幸いを感謝です。五時を過ぎてようやく気温が下がりほんの少し涼しくなりました。夏の良いところは夕方にかけて涼むことができるところですね。

6月15日

  不安な気持ちを抱えながら主人と検査結果を聞きに行きました。本当に感謝でした。神様は、今回もお支えください下さり、「異常はありません」というお言葉をいただけました。

 先日の夜、裏山を見ると蛍が飛び交っているのに気が付きました。最近は見たことがなかったので、思わず歓声を上げてその美しい幻想的な光に見入っていました。結構たくさんいたように思われます。まだまだ自然が残っている山添村です。
数年前までは香りのよいササユリが花を咲かせていましたが、今は見ることができなくなってしまいました。

6月16日

 昨日の検査結果が異常なしと言われたのにもかかわらず、なかなか寝付くことができずに、感謝の祈りをささげていました。入院、手術を覚悟していましたので本当にほっとしています。
 献体碑新樹明かりが包みけり。
 山歩き甘く匂ふはスイカズラ。
 竹落ち葉かすかに音す朝散歩。
 あかときを告げて飛ぶなりホトトギス。
 羽広げつっと入りぬ親ツバメ。      馬場路哉
この雨のおかげで稲は大きくなり、作物は実らすとても大切な恵みの雨ですね。今年は家の古木の梅が沢山実を付けています。梅干を作ればよいのですが、まだその気力が出ません。大きな梅が黄色くなって庭に落ちています。何とかしなければと少し焦っています

 馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」

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お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
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 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
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東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

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 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
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発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
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本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
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「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「あとがき」より
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「十戒と主の祈り」
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…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
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われらの教会と伝道
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キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
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