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その愛のゆえに
=時々の記=
(110)
4月23日
春宵(しゅんしょう)や青畝風土記を一寸読む。
子に続く母の自転車春の風。
死の床に望みこそあれイースター。
十字墓新たに建つる桜かな。
気高さで装ふ信徒イースター、
奥伊賀の山点々と山桜。 馬場路哉。
主人は俳句を作るのをとても楽しみにしています。このようにたくさんジャーナルに載せていただくと余計励みになるらしいのです。不思議なものです。ジャーナルに載せていただいてから
5月2日
春の空青く映せるよどみかな。
車いす花下(かか)へと進む介護かな。
大振りの白れん無垢を呈すなり。
歴史ある学び舎の桜老いにけり。
西行も夕焼を斯く(かく)眺めけむ。 馬場路哉
庭の老木、松、紅葉、ひばの木々が枯れてしまいました。かなり長い間私たちを楽しませてくれた木々です。とても寂しくもあり残念です。松やもみじの代わりにさて何を植えたら良いか主人と二人で考えました。今日からゴールデンウィークの始まりです。息子の仕事はお正月もゴールデンウィークもありません。日本郵便は日夜動き続け、働き続けています。お隣の家では田んぼに水を張りいよいよ田植えの準備です。それぞれの過ごし方があるようです。
5月4日
こちらは今、田植えの真っ最中。田植えは今はすべて機械がしてくれるようです。その機械がとても便利なのですが故障も多くて大変だと農家さんは言っておられました。
白く精米されたお米を当たり前に口にしている日々。田植えをする前の田おこし、水張りを整備されてから苗を植え付けるようです。その後、何度も田んぼの中に入って害虫駆除、雑草がはびこるのを防ぎ、毎日の犬散歩で田んぼ路を通るたびにその風景が刻々と変化していきます。脇目も振らずにお仕事をされている老夫婦のお姿には頭が下がりっぱなしです。幼い頃、祖母に一粒のお米を大切にしないと目がつぶれる、と厳しく言われたことが思い出されるのです。農作物はどれをとっても自然との闘いです。
そのことを考えると農家さんのご苦労がひしひしと伝わってきます。
5月7日
昨日、夕方台所に立っていつものように夕ご飯の準備をしていましたら、一瞬のことでしたので何が何だかわからないまま、私は台所の床に思い切りたたきつけられて横倒しになっていました。主人は少し離れたところにいたので振り向くと私の姿が見えない。見ると台所の流しの上に備え付けてあった30キロから40キロの戸棚が落ちているのでした。老朽化した重い戸棚が突然私の頭の上に向かって落ちてきたのです。幸いにも、思い切り頭を打ったのですが意識はありました。どこからか血が出ているような痛みが走ります。主人が起きられるか?とたずねるのですが、起きられそうにない、と答えました。頭が痛いのではなく顔のどこかが激しく痛みます。首も痛い。でも、そのような中で何分か経ったでしょうか。体をこわごわ動かしてみると起き上がれそうなのです。思い切って起き上がってみると、大丈夫でした。足は痛みますが歩くことができました。そして顔面は大きなこぶが額にできていただけでした。どこからも血は流れていませんし、何とか寝室まで歩いて行き、頭を氷で冷やしていると、震えが出てきましたが、救急車を呼ばなくてもよいと判断できました。今朝まで我慢してその痛みが一層激しくなってきていたら外来外科へ連れて行ってもらおうと考えました。
起き上がったり、服を着替えたりの動作をするときに痛みが走りますが何とか一晩が過ぎました。家の中にいて、このような事故にあうなんて考えてもいませんでした。
夕べの祈りで主人と二人で神様の憐みによって助けていただいたことに深く感謝いたしました。今朝はいつも通りに起きて、朝食やお弁当を作ることができるまで痛みは和らいできました。今までと違うことは今まで以上に記憶装置が鈍くなってしまったことです。悲しいですが思い切り頭を打ったのですから、それで脳のどこかにダメージがいかないはずがありませんよね。それでもこうしてパソコンに向かっていつものようにメールを打てていることにとても感謝しています。
5月11日
先ほどまでの青空とは変わって、急に激しい風と黒い雲が覆ってきました。天気予報によりますともう大きな台風が発生し、沖縄に近づいているとか。まだ五月。本来なら風薫る五月ですのに、もう台風がやってくるとは・・・。異常気象ですね。
私の方は、おかげさまで、普通の生活にもどりつつあります。今日はいつものように犬たちと散歩ができましたし、施設に入所している親戚のお年寄りをお見舞いに行ってくることができました。でもまだ、車で名阪国道を走るのはとても怖いのです。身体がうまくとっさの反応ができにくくなっているように思うからです。主人もぎっくり腰になり、二人そろってスローモーションの生活です。時間はかかりますがこれもまたのどかなものです。 母の日、ちょっぴり食事つくりを休ませてもらうことができました。
馬場暁美
上野緑ヶ丘教会
その愛のゆえに
=時々の記=
(109)
3月16日
こちらは霞空ですが、気温は13度まで上がりました。犬の一匹が昨夜から調子が悪くて、もうだめかと何度も夜中に起きました。私の顔を見ると力の限りに立ち上がろうとするのです。朝は食事も何も食べませんでした。でもお昼になってご飯を三口ほど食べました。犬も命ある限り、与えられた力を精一杯出し切ろうとする思いに心打たれています。何度も”最後まで頑張ろうね。さくらちゃん。温かい春がもうやってきてるんだよ。” と励ましています。
文旦の瑞々しさよ刃を入れぬ。
春の星匂やかに消ゆ夜明けかな。
ボールけり靴飛びにけり春の園。
いつまでも望み持つべし老いの春。
山峡や星の如なる蕗のとう。 馬場路哉
3月18日
昨日は天理まで主人に運転してもらって、心病める信友のご主人が癌の手術を受けるために入院されているので、お見舞いに行ってきました。主人はつくづく、こうしてお見舞に来る立場になっていることにとても感慨深げでした。お見舞から帰ってきて郵便受けを見ると、何とゴダート先生から小包が届いているではありませんか。中を開けてみますと、先生が日本におられたころ青年たちや子供たちに教えてくださった英語と日本語共通の讃美歌が二冊入っているのです。もう、食事をするのも忘れて、先生のお手紙とともに教えていただいた数々の英語の讃美歌を楽譜がついているので、嬉しくて、一人口ずさんでいました。先生はもうこの讃美歌は決して使うことがないだろうから私にプレゼントすると言ってくださっています。
3月28日
一心に習ふものあり春椿。
春の雨坂之上より溝走る。
草創の校庭の梅咲きにけり。
夕映えやまだ新しき落ち椿。 馬場路哉
今年一年間我が家で中峰山の方たちの納税を集めて、それを役場の事務所へ届ける役割が回ってきました。毎月末に集金表をまず各家に届けます。そして決められた日に我が家へそれぞれの税金を持ってきてくれます。その時にはおおよそ一時間30分ほど、何やかやと雑談や行事の相談などをして帰ります。そのおかげ?で毎月家に掃除機をかけ丁寧に雑巾で窓から畳から廊下までを拭きます。座布団はお日様に干してふっくらさせて気持ちよく座ってもらえるようにおもてなしをします。お茶を出したり茶菓子を出したりは主人の役目です。集まってくるのが男性ばかりだからです。
このような古いしきたりを今も続けているのです。
4月7日
昨日までとはうって変ってこちらはまた冬の寒さのようです。もう使わないかと思ってしまいこんだ冬用の防寒着を出して着用しています。お体の調子はその後いかがですか?季節の変わり目ということと、日々の多くの方へのメールでのお心こもる返信などで、とても体が疲れ切って悲鳴を上げておられることと心配しています。くれぐれもお大切になさってください。お祈りしています。
岩山や芽吹ける僅かの木々を乗せ。
新たなる朝復活し給ひぬ。
そよ風の中の赤松山笑ふ。
悠久の流れを前に青き踏む。
山峡の鄙には梅の似合ひける。 馬場路哉
昨日のNHKのニュースで奈良県の知事選挙のことが報道されていたのでびっくりしました。面積は小さいのですが、北部は三重と京都に近く南部は和歌山と隣り合っています。そのような環境のせいか奈良に住む若者たちが減ってきているとのことです。それを何としてでも食い止めたいと各候補者は必死です。
馬場暁美
上野緑ヶ丘教会
その愛のゆえに
=時々の記=
(108)
2月13日
主人の俳句が出てきましたのでお送りいたします。
永久の生こそ望みなれ老いの春。
幹揺れず枝葉の揺るる冬木かな。
しっかりと歩けば寒風心地よく。
庭木苗育ちつつある町冬日濃し。
信楽の山かすかなり冬霞。 馬場路哉
今朝も寒さの中、一時間余り主人は
2月16日
今日は久しぶりに隣村の月ヶ瀬まで一人で車で走ってきました。17年間同じ学校で勤めさせてもらったのは私だけです。10年が転勤の条件となっていますから、無理を聞いてくださった村の教育長さんのお家を通って梅がつぼみを付け始めている梅林で懐かしい景色に見入っていました。当時一緒に勤めていた給食の調理師さんが声をかけてくれてびっくりしました。30分程寒い中、立ち話しをしながら当時を懐かしく思い出していました。
2月20日
こちらは朝から暖かい日差しがありましたが、急に時雨れてきてあられが降ったり雨が降ったりと洗濯物を入れたり出したり忙しい一日でした。灯油の補給を毎日しなければならず大変です。20リットル入りのポリ容器に大きなタンクからまず給油しに行きます。
結構重くて膝が痛みます。最近
2月28日
寒いけれど、もう春ですよ、とでも言うように裏山から鶯の鳴き声が聞こえてきました。朝から風が冷たく、午後にはあられが降り出したりと、まだまだ春は遠い感がいたしますが、鳥たちはもうすぐですよと言わんばかりに元気づけてくれます。ようやく、待ちに待った春の訪れですね。
早春やふと讃美歌を口ずさむ。
寒緩み雨となりたる峡の村。
川浪のうねりぞ高く春立ちぬ。
春立つやリハビリウオークする人に。
石垣の長き棚田を耕しぬ。 馬場路哉。
3月7日
朝からくもり空でしたが、午後から雨がしとしと降りだしました。ちょうど犬たちとの散歩に出掛けようとしたとき雨が激しく降り出してきました。傘を差して、レインコートを着て出掛けました。犬たちには何も着せることはできませんから、とても早足になりました。昨日の新聞の声の欄に”愛犬との17年”というコラムに目が留まりました。愛犬がいなくなってもう5年が過ぎたけれどその思い出は尽きず、一緒に散歩した道を一人で歩いて癒してくれた犬の優しさに感服している、との事でした。梅の花が雨に濡れてもしっかり咲き続けています。華やかではない梅の花ですが、とても愛らしく気品を感じるのです。
教会の帰り上がりぬ春の雨。
柵近く崖の上より梅探る。
石庭(せきてい)の一本の梅蕾(つぼみ)ける。
早春の艶艶(つやつや)とした蘇鉄かな。(そてつ)
早春や乙女より矢の放たるる。 馬場路哉
奈良ではこのような歌があります。「吉野は春の桜がり、龍田は秋のもみじがり 梅は月ヶ瀬つきゆきぬ」と。これほどまでに月ヶ瀬の梅は奈良では有名になっています。主人は月ヶ瀬は平家の落人が住み着いたのではと教えてくれました。
馬場暁美
上野緑ヶ丘教会
その愛のゆえに
=時々の記=
(107)
1月16日
風邪が流行っています。この厳しい寒さですから乗り越えるにはとても大変です。
明日は阪神淡路大震災から20年となります。ゴオ~という地響きと大きな揺れにびっくりして飛び起き、テレビから流れる神戸の映像を見て絶句したのを覚えています。多くの方が犠牲になられた大地震。今まで一緒にいた家族を突然に失ってしまう寂しさ。言葉にならない悲しい現実を突きつけられつつも、乗り越えられてきた方たちの言葉が毎日の新聞に連載されています。決して風化させてはいけないと。私にはとてもそのような悲しみを乗り越えられる自信はありません。信仰とは名ばかりのものとなっていくような気がいたします。それでも、神様に目を向けることによって祈ることができますから。また苦しみ、悲しみを分かち合う信仰の友がいたなら、そこで萎えた心がもう一度生きて行かなければと願って祈っているものです。
クリスマスピアノ奏者の手の速さ。
山の上東雲兆す(きざす)初明かり。
初雪にメルヘン思ふ棚田かな。
群雀パッと飛び散る初景色。
この寒さ二人の恩師奪ひけり。 馬場路哉
2月4日
今日は、立春らしい穏やかな日和でした。お隣の方とのご挨拶も”暖かくてうれしいですね”でした。でも、明日は寒気がやってくるというのです。春はまだまだ先ですね。
俳句が出てきましたので送ります。教会のTさんに褒めていただいて、主人はとても喜んでいます。四日市のFさんは俳句の先生ですから、添削をしてくださいます。読んでいてくださる、それだけでとても生きがいを感じるようです。
奥伊賀の山美しく小雪舞ふ。
賛美歌の高まる教会冬日濃し。
寒茜一番星の光り出す。
女医の声優しく聞きぬ寒の内。
小学校裏にさざんか林なす。 馬場路哉
今朝も
雨でやむを得ず歩けない時には図書館へ行きます。決めたことは必ずやり切りたいという生真面目さは良いのですが、もう少し融通が利かないと周りの者はちょっぴりしんどいですね。40年連れ添ってきたので私はだいぶ慣れました。
2月7日
今朝の冷え込みは放射冷却の影響で厳しい寒さでしたが、日中は太陽が顔をのぞかせてくれました。犬たちにも久し振りに日光欲をさせることができました。洗濯物もいつも部屋の中でストーブに頼っての乾燥でしたが、今日は外干しですっきり乾きました。嬉しい一日でした。例年なら梅の花が咲き終わる頃に犬フグリが咲き始めるのですが、
何だかひと足早く春を感じさせてもらってとても嬉しいです。でも明日からは下り坂。明後日は非常に厳しい寒さに、ということですから、体調管理には十分気を付けなければと自重しています。二月になると思い出す歌があります。母が”早春賦”をうたっては春を待ち望んでいたことです。上野での晩年でもこの歌を歌っていました。”春は名のみの風の寒さや、谷の鶯こえもたてず”と。
馬場暁美
上野緑ヶ丘教会
その愛のゆえに
=時々の記=
(106)
12月13日
本日一週間ぶりにパソコンをあける気持ちになりました。すると、お心こもれるお祈りのメールが毎日長村さんから私のところへ届いていました。苦しい肺炎との戦いでしたが、また神様はこの経験を通して多くの方の暖かい祈りによって私が支えられていることに気づかせてくださいました。来週月曜日(15日)にもう一度レントゲンを撮ります。先生は肺炎になるとそう簡単に影が消えないのですよ。ですからまだ影が残っていたとしても。余りがっかりされないようにとのことでした。診療所は残念なことに田舎ですから常駐の医師は義母がやめて以来誰も来てくれません。しかも診療してくださる曜日は週に三日だけです。月曜日、水曜日、金曜日だけです。とても不便ですがやはり近いので高齢者は利用しています。私の場合は毎日点滴治療が必要でしたので、特別この三日以外にも先生は見てくださいました。有難かったです。診療所までは歩いて5分で行けます。私はもう少し、健康に十分配慮してこれからは生活していきます。深く反省しています。
12月17日
寒さが一段と厳しくなってきました。今年のクリスマスも神様の祝福が豊かにありますようにとお祈りいたします。こちらは少し元に戻ってきました。でも無理をすると咳が出たり、頭が痛くなったりするので、怠けに徹しています。今朝の気温はマイナス一度。雪は降りませんでしたが、あたり一面氷が張っていました。油断していると滑って転びそうです。
霜光り犬喜びて歩きけり。
過疎の空青く澄みたり烏瓜。
優しげに微風に答ふかれススキ。
病窓や郷愁募る冬茜。
山のもの和むクリスマスリースかな。 馬場路哉
12月23日
今日の山添は幾分寒さが和らいでいました。クリスマス礼拝を捧げることができるか不安がありましたが、何とか礼拝だけを捧げることができました。数年ぶりにご一緒に礼拝を捧げることができた方とは、懐かしいお話は山のようにありますが、あまり無理をするとぶり返しては大変と思い、失礼とは感じつつ、ご挨拶だけにとどめておきました。クリスマス礼拝はいつもとは違って励まされるものがありました。田舎の教会に27年ぶりに出席された方もおられました。その方は中学時代に母と一緒に勉強をして、礼拝にというのではなくお母さん代わりに母と進路や学校での悩みを話し合って学校帰りには毎日のように尋ねてこられていました。教師を志し、もう教頭になっておられるということでした。
母が生きていたら喜んでいただろうにと思いながら、帰路につきました。
初めての外出でしたので(肺炎を患って以来)やはりとても疲れました。今年はゴタート先生からクリスマスカードの返信はありませんでした。ふっと一抹の不安がよぎります。
12月29日
礼拝に張り切ってい行きましたが、やはりその後どうも疲れやすくなっています。年齢のこと、体調のこと、これからは気を付けて、弱さを知りつつ行動したいと思っています。
娘はいつもジャーナルから刺激を頂いて励んでいるとのこと。特に「世田谷通信」はとても楽しみにしているようです。
心配していましたゴダート先生からのクリスマスカードが27日に届けられました。とても感謝でした。体調が悪いところがあり、心臓にペースメーカーをいれられたとのことです。85歳になられて、今も日本でのことを懐かしく思い出してくださっているようです。
先生はイエス様の福音を述べ伝えるために日本へいらしてくださったのですから。とても強められました。私はようやく犬たちと散歩ができるようになりました。あまり無茶をしないで年相応に生活しなければと深く反省しています。
豆電球ちりばむるかの吾亦紅。(われもこう)
過疎の地にとどまる山家冬紅葉。
はんなりと夕べ迎ふる障子かな。
オリオンと正三角の冬の空。
雪雲の去りてコバルトブルーなる。
1月8日
今年も早8日が過ぎようとしています。一日一日があっという間に過ぎていきます。日々の家事に追われて静かにできる時間は少しですが、ぎっしり詰まった信仰の糧。弱りつつあるものを神様に立ち返らせてくださいますから、感謝です。外は朝から雪が舞っていましたが少しだけでほっとしています。いつも寒に入ると、早く春が来てほしいなと待ちます。厳しい寒さに耐えて初めて温かくなった春の到来が嬉しいのでしょうね。人生も、そうですね。試練に耐え忍ぶことによって信仰が強められるので、感謝です。
第九聞き引き締まりたる年の暮れ。
烈風に葉のざわつきぬ枇杷の花。
師の名乗確と覚ゆる青畝の忌。 馬場路哉
1月9日
大阪の方お薬を減らすことができて、体はしんどいのでしょうがそのけだるさに耐えて行かれますようにと祈っています。今日の夕方の散歩の折、犬たちに急に速度を速め思い切り引っ張られ、道端の草が生えているところに転んでしまいました。肩から落ちたように感じました。主人がもう一匹の犬と後ろから散歩していましたので、”だいじょうぶか”と声をかけてもらい、何とか起き上がることができました。主人が転んだのでなくてよかったと思いました。主人は主治医から”転んだら絶対ダメ”と厳しく言われています。それは足の肉腫を切除する際に、骨まで削らなければならなかったこと。その骨を補強するために50センチほどのパイプのようなものが埋め込まれていますから転ぶとパイプが突き出てくるということなのです。
馬場暁美
上野緑ヶ丘教会
その愛のゆえに
=時々の記=
(105)
11月11日
昨日、今日と二日続きで気持ちの良い秋晴れが続いています。蔦や楓、南天の葉が色鮮やかに紅葉してきました。昨日は信仰の友と、およそ1時間30分教会生活のこと、子供たちのこと、若き日に教会に集っていた友の様子などを語り合いました。いつも祈り、励ましてくれている友です。教会の礼拝ではあまりゆっくり話すことができなかったので私が思い切って友のお家へ訪問いたしました。まだケアマネージャーとしての仕事をしておられるので、お忙しいのですが快く、ゆっくり話し合うことができてとても感謝でした。
最後に友と祈りあいました。友の祈りの中で、‘二人がきたる天国であいまみえることができますように’と祈ったときに私は感謝と申しわけなさで胸がいっぱいになりました。今までの信仰生活を深く顧みることができたひと時でした。
秋嶺(しゅうれい)や三川(さんせん)名張にて会ひぬ。
図書館の満天星紅葉(どうだんもみじ)燃え初むる。
素速くも鹿山中へ隠れけり。
教会の講壇の脇桔梗活く。
ピアノ曲吾を静める秋の末。 馬場路哉。
主人は痛風の痛みから解放されてやっと散歩に出かけられるようになりました。カルヴァンの「キリスト教綱要」を家庭礼拝で学び始めています。とても難しく老化した二人の頭にはついていけない部分が多々あります。カメの様にゆっくりと少しずつ進めています。
11月21日
こちらは今朝もとても寒く、犬たちとの散歩の時あたり一面真っ白い霜に覆われていました。犬たちが歳を取ってきまして、寒さには特に弱く、食欲がないので心配しています。今年の厳しい冬の寒さを乗り越えられるか、とても心配です。やはり13年も一緒にいると、犬たちは私の素振り、声色で何もかも察知いたします。それがいとおしくて、可愛くて、犬たち一匹一匹と夜にはお祈りをいたします。神様、どうぞ、いつまでも仲良くいられますように、今夜の寒さにもたえられますようにと。その時の覚悟はしています。動物のかわいそうなのはやはり、自分の思いを口に出せないことです。飼い主として、最後まで大切に犬たちからもらった癒しに感謝して飼ってやりたいです。
今年も何かと気忙しい冬になりそうです。
渓流に赤き橋見え秋高し。
大学のピアノ練習ハゼ紅葉。
教会の建ち上げられて天高し。
川底の石の色見え水澄みぬ。
鄙のダム幽(くら)きを秘めて冬に入る。 馬場路哉
11月29日
本日、12月号をお届けいただきました。読み進めていると、多くの皆さんがメールを発信され、それを読ませていただいていると、私一人じゃない、と励まされます。大阪の方、闘病記を綴られている中で、神様にお委ねしつつ、祈りつつお過ごしの様子、とても強められます。「ジャーナル」を読んでくださっているお一人お一人の声がとても共感でき、沢山のお友達が増えたように力つけられています。クリスマス。イエス様のお生まれになった良き日ですが、悲しみの中。苦しみの中で迎えなければならない方たちのためにこそ、イエス様はお生まれになってくださったのですから、そのことをしっかり覚えて、心して過ごしたいものです。
12月4日
朝からしとしとと冷たい雨が一日中降り続けていました。冷たい雨でしたが雪でなくてほっとしています。風邪は、後頭部がピリピリと痛む程度にまで回復してきました。12月になると、やはり昨年のことを思い出します。母の施設での姿をです。いつも私が行く時刻には一人ぽつんと車いすに座って、食堂のテーブルで待っていました。おはよう、と呼びかけると‘おはよう、よく来てくれたね’と嬉しそうに微笑んでいました。そして、みなさんに聞こえないように小さな小さな声で二人で讃美歌515番「十字架の血に清めぬれば、こよとの御声を我はきけり」を歌うと、一番をうたい終えると、すぐに母は5番を歌いだします。「ほむべきかな、わが主の愛,ああ~ほむべきかなわが主の愛」と。ある日、食事を終えてしばらくしていると、看護師さんが血圧測定にやってこられました。母の腕が細くなりすぎて血圧計が腕に収まらず困っていました。するとその看護師さんのすぐ横で、突然母が先ほどの515番を一人で歌い出したのです。看護師さんはもうびっくりされて、そうか!斉藤さんは血圧など測らなくても、このように平安な気持ちでいられるんだね。すばらしい!と言って行かれたのを・・・。 今日はなぜか台所に立っていても、布団の中で休んでいるときも、その母の横顔が思い出されて仕方ありませんでした。私たちの信仰は日々不安定になりがちですが、イエス様の御許へ行くことができることを信じてこの年も主を仰いで一日一日を大切に歩んでいきたいと願っています。
秋山の中押し並びて黄の世界。
高きまで枝打ちされて山眠る。
蜘蛛の糸煌めく峡の小春かな。
杣の家復元されて冬日濃し。
えも言わず並ぶ吉野の柿の色。
初冬や布引の山かぎろひぬ。 馬場路哉
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(104)
10月9日
昨夜は皆既月食を見ることができました。満月から少しずつ欠けて行き、暗闇になると、星が一層輝いて見えました。月の灯がなくなるととても神秘的でもあり、さびしくもありました。一時間ほど経過するとまた大きなまあるい月が東の空高くに出てきて、月の灯りに有難さを感じました。ノーベル物理学賞受賞が決まり、新聞やテレビの報道を賑わせています。日本人が3人。すごい快挙ですね。
優秀な方たちの研究の成果によって私たちの暮らしが、医療が進んできているのだと実感いたしました。
昨日、教え子が美術大を出たのだが仕事がないので、一枚千円で似顔絵を描かせてほしいといってきました。快く描いてもらいました。15分足らずで描きあげたのにはびっくりいたしました。私の特徴をよくとらえて描きあげてくれました。絵の具代だよと言ってプラス500円差し上げました。今の時代にこれだけでは生活が成り立たないでしょうが、何とか気持ちだけでも支援していきたいと後姿を眺めながらエールを送り続けました。
10月14日
ノーベル平和賞に17歳の少女が選ばれましたので、とてもびっくりしています。
マララさんの演説された‘一人のこどもと一人の先生、一冊の本、一本のペンが世界を変えることができる’との名言が多くの人々を感動させたと今日の新聞に載っていました。身の危険が及ぶことを心配しつつ、これからのマララさんの世界平和への貢献が期待されます。
三つ栗の輝く頭出しにけり。
渓流に紅葉の見えて平家住む。
そこここに大木殖えぬ鄙の秋。
猪荒らしでこぼこなれど草を刈る。
乳牛の仔達の食める草紅葉。 馬場路哉
10月25日
主人は痛風が改善されないので、昨日は診療所で痛み止めと予防薬をもらって帰りました。痛みが発症してしまったら、予防薬は痛みが治まるまで服用してはいけないとのことです。杖を支えによろよろ歩きですが歩くことができるということはとっても感謝なことです。
10月29日
昨夜から準備し、灯油をストーブに補給し、今朝はストーブのぬくもりなしには朝の準備はできませんでした。一気に初冬の寒さです。日中は気温が上がりお日様の当たるところで犬たちと日向ぼこをして高い空を見入っていました。もう喪中はがきが届きました。それも、月ヶ瀬小学校で初めての担任をした教え子が亡くなったという知らせです。44歳の若さです。びっくりいたしました。私よりも早く亡くなるなんて・・・。とても悲しく、何をするにもその子たちと過ごした時のことが思い出されて、手につきません。私の家にも遊びに来てくれたことが印象に残っているクラスです。月ヶ瀬小学校はその頃文部省指定の体力つくり指定研究校でした。朝から全校生でリズム運動、棒体操に励み元気いっぱいの学級でした。お昼休みには縄跳びで遊びました。机に向かっているより外で飛び回っている時間の方が多いようにさえ感じられる日々でした。
そんな元気な子供たちの一人がもう亡くなったなんて信じられません。悲しい一日でした。
10月30日
二上(ふたかみ)の山の間を鳥渡る。
秋草の穂波の丘となりにけり。
紫苑晴雲一つ無く微風あり。
芦原の穂の柔らかく日を弾く。
小鳥来て美しきかな朝の声。 馬場路哉
主人の痛風の痛みがようやく治まってきて、杖なしで歩けるようになりました。でも予防のための薬を飲み続けなければなりません。改善策として食事療法、投薬療法の二本立てで進めて行かなければなりません。
11月3日
毎年のことですが、今年も心を込めて、昨日、アメリカに居られるゴダート先生にクリスマスカードをお送りいたしました。84歳になられる先生が今もお花屋さんでお仕事をされながら、礼拝生活を続けておられること。お若いときに日本伝道に尽くされた先生の熱い信仰に心打たれるのです。岐阜、名古屋の青年たちだけでなく上野まで来てくださって伝道をしてくださった遠い日の思い出は私の脳裏にしっかり焼き付いています。先生のお美しい賛美の歌声。神様をほめたたえるお声でした。南長老教会から日本伝道に携わってくださった先生方に心から感謝するものです。「ジャーナル」にはその先生方の熱い信仰の思いが反映されていますから。感謝しています。
11月6日
11月6日は私の誕生日でもあり、父の亡くなった日でもあります。66歳になります。これからの一日、一日を大切に過ごしたいと願っています。あっという間に高齢者と呼ばれ、その名の通り何をするにもテンポが遅くなり、記憶が途切れます。それをありのまま受け入れて行くことが大切なのかもしれません。
それにしても日が暮れるのが早くなってきました。まだ5時過ぎといいますのにあたりは暗くなってきています。ちょうどこの時刻になると裏山からぴーよー、ぴーよーという鳴き声が聞こえてきます。何の鳴き声だろうと主人にたずねましたら、鹿の鳴き声だというのです。かなり大きな声ですからきっと家のすぐそばまで来ているのでしょう。お腹がすいているのかもしれません。寂しげな悲しげな声です。あたり一面野生の動物たちが近づいてきて食べ物を探しているようです。生き延びるために、危険を冒してまでも人家に近づいてくるのです。来年のカレンダーがもう郵便局から頂きました。早いですね。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(103)
9月26日
テレビで
今の時代もっとも求められていることは、この苦しみや困難さを理解して、生きる力が欲しいと思っていることです。それを支えてくださっているのがこの「ジャーナル」なのでしょう。大変なお働きですが、多くの方が励まされていることでしょう。
見はるかす伊賀の盆地を霧隠す。
布引の山の高きに望(もち)の月。
爽やかや朝のフルート伸びやかに。
千人草山を開きし農場に。
今日一日懸命ならむ法師蝉。 馬場路哉
庭の金木犀がとても良い甘い香りを放って咲き始めました。金木犀の香りに癒されています。
10月4日
10月に入り、今年も秋祭りの笛の練習する音が夜遅くまで聞こえてきます。宗教に関係なく、農耕を中心としていた村では収穫を終えての祭りの行事はほっと一息つくものだったのでしょう。神輿を担ぐ若者がいなくなり、今年からは新しく去年までの500キロから30キロのものへと大変身するとのことです。時代の移り変わりをこのようなところにも感じるのです。
日の影や丘にて聞きぬ秋の声。
ヘレンケラー胸に輝く星月夜。
鄙楽し風に答ふる草の花。
玉虫の道に果たる日照雨(そばえ)かな。
巡らなる木々伐り払ひ(きりはらい)爽やかに。 馬場路哉
家の周りの大きな木を伐採してもらいました。木を切ってくださる方たちは60過ぎ、70過ぎの方たちです。今の若者たちはこのような危険な仕事をする人は誰もいないとのことでした。十メートルをこす高さに命綱をかけてチェーンソーで、バリバリ音を立てて切っていかれます。木がどちらの方向へ倒れるかを計算しておかないととても怖いものだと言っておられました。思いもよらないところへ倒れるときがあるので、一日が無事に終わるとホッとすると言っておられました。我が家での仕事も怪我されることなく無事に終えられ、疲れた様子でしたが、笑顔で帰って行かれました。こちらもやれやれという所です。
自然との共存、戦いがこのような山奥では大変に感じるときがたびたびです。
10月6日
18号台風も何とか過ぎ去りましたが、19号がまた来るとのこと。御嶽山での亡くなられた方の一人に奈良県の32歳の男性がおられました。息子と同じ年齢です。ご両親ご家族はどんなにかつらく悲しいことでしょう。戦後最大の被害と言われています。自然の厳しさを強く感じさせられているこの頃です。何もないときには、あのように美しい山が一気に何十人もの命を奪うものへと変わるのですね。
ところで、一人住まいの彼女への対応についての助言、ありがとう御座いました。本当に一人でどうにもならなく不安になり、電話してくるのでしょう。電話代は携帯からですと高くなりますので、これからはメールにしてもらうようにすると値段的にも、またいつでもお互いに好きなときにメールを開くことができますから、より良いお交わりができるのですね。彼女にさっそく伝えたいと思います。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(102)
8月14日
都会へ出て行った
出迎える家族は高齢でとても大変な状態ですが、やはり家族の絆とでもいうのでしょう。腰が曲がり、歩くのもやっとの夫婦がいそいそと嬉しそうに子供たちの帰りを楽しみにしているのです。緑多い山の澄みきった空気はひと時でも癒されることでしょう。この日曜日には懐かしい姉妹と何年振りかで礼拝を共に捧げることができます。神様がこのようなひと時をお与えくださったことに心から感謝するのです。信仰を共にする者たちが集い、賛美できる幸いを覚えるものです。
8月18日
昨日、Tさんが前日より上野で泊まって礼拝、墓前の礼拝を二人で捧げることができました。宝塚にお住まいですから上野までおおよそ4時間半余りかかると言っておられました。前にお会いした時と少しも変わらずイキイキとされ励まされました。信仰の友とのお交わりは、それが久しぶりであっても主にあって共にいますから、とても親しく懐かしくお交わりができました。午後からの会にもご出席されたとのこと。私は礼拝だけでもう精一杯ですのに、本当に熱心な方です。Tさんがおっしゃるには上野は平均年齢が若いということです。
今朝、隣の方が熱中症になり、救急車で運ばれて行きました。怖いですね。水分の補給がとても大切なようです。
名にし負ふ多羅(たらお)崖道野菊かな。
献体碑医の礎に緑さす。(三重大にて)。
井戸替えや老杉の許(もと)集ひ来て。
急峻な道を下りて井戸替えす。
朝涼や体操すれば犬寄りぬ。(ラジオ体操を二人ではじめています。)馬場路哉
秋の花野菊が薄紫の花を咲かせ始めて楽しませてくれています。
8月27日
高校野球が終わってしまいました。夏が終わったという感が強いです。こちらは散歩に出かけると季節の変わり目を感じさせられるのですが、今はまだ、ススキも見られません。萩もまだです。ただ、野菊だけが可憐に風に吹かれて揺れています。
9月1日
蒸し暑かった8月も終わりです。各地に大きな被害をもたらした8月豪雨。とても悲しい出来事でした。今まで元気に一緒に暮らしていた友。家族が一気に土砂で流されてしまう。なんて不条理なことでしょう。遺され方々はなかなか現実をとらえられないことでしょう。苦しい、厳しい豪雨でした。
米処伊賀の端なる初穂かな。
ひまわりの大きな頭垂れてをり。
奔流の瀬波弾きぬ晩夏光。
子ツバメの出発前か鳴き交わす。
励ましの言葉を読むや涼新た。 馬場路哉
主人は毎日、自然を見つめながらの俳句つくりに励んでいます。今こうして俳句を作ることができる気持ちになっていることに感謝すると言っています。癌を告知された苦しい時期はとても俳句は作れなかったといいます。今を感謝して、ジャーナルにも下手な俳句をたくさん載せていただいて、とても喜んでいます。
9月3日
朝、夕は随分凌ぎやすくなっています。秋の空を眺めているのですが秋らしくないのです。犬たちとの散歩で、コスモス畑を見つけました。まだまだちらほらとですがピンクのコスモスが蒸し暑い風に揺られていました。しばらくじっと見つめて‘小さい秋’に見入っていました。来週は教会では敬老の日の愛餐会があります。70歳以上ということですから信徒のほとんどがそうです。主人も今年から敬老の日の仲間入りです。大きな手術を乗り越えてもう7年が過ぎます。70歳まで生かされたことは、主治医の先生や執刀してくださった先生方は奇跡的と思っておられることでしょう。苦しい、厳しい人生ですが、神様にいつも目を向けて歩んで生きたいものです。
山裾にミソハギ少し鄙(ひな)古りぬ。
葦原(よしはら)に材石残る秋出水。
ブルーベリー摘むや熟すを指で知り。
袋無きブドウの房の瑞々し。
山峡の家のあお桐吹かれをり。 馬場路哉
8日の夜は
9月8日
昨日まで気が付かなかったのですが、今日の犬との散歩の途中で、彼岸花を一本見つけました。ススキが大きな穂を揺らせ、薄ピンクの萩の花はあちこちに咲き始めました。今夜は中秋の名月という事で、辺り一面この時期らしく模様替えです。ようやく秋がやってきたのを感じるこの頃です。昨日は教会で敬老の日のお祝いがありました。いつもの出席者よりもかなり増えていました。中には礼拝が終わってからの愛餐会だけに出席されるという方もおられました。高齢化社会を目の当たりにいたしました。
10年間、四国で牧会をされていた小出先生ご夫妻がその任務を終えられて、ともに上野での礼拝を捧げました。お二人共とてもお元気そうでした。神様と教会に仕えた喜びにあふれていました。
9月11日
白鷺や盆地の川に数羽立つ。
山峡や登りし月の直ぐ照りぬ
秋出水元の色へと引かんとす。
鮮やかに咲き初むるなり百日草。
刈り草を燃やせば立ちぬよき香り。 馬場路哉。
今日は日中も涼しい一日でした。日暮れが早くなってきてちょっぴりセンチメンタルになります。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(101)
7月14日
これからいよいよ夏本番ですね。この熱帯地方のような蒸し暑さはやはり異常な気がいたします。あちこちで夏祭りが催されています。京都で通信教育を受けていた夏の4週間を思い出しています。
昼間はスクーリングで暑い運動場で陸上競技のテストです。午後からは室内で音楽の授業です。仕事に就きながらのスクーリングはきつかったけれど、若さで乗り切ることができたのだと懐かしく思い出しているこの頃です。その時に京都、「五山の送り火」を見ることができ、同じ通信教育生たちと暗い夜空に広がる大きな文字を見入りながら、京都での夏の生活を無事に終えることができたことに感謝した40年前の出来事です。
7月15日
今日、私宛に見慣れない文字のはがきが届きました。誰からだろうと思って表を見ると、ブドウ屋さんからでした。亡き母が果物の中でブドウを最も好んでいましたので、いつも一番乗りにブドウを買い求めて届けていたのです。母はブドウを持っていくととても喜んで、いつも聖書の7”私はブドウの木、あなた方はその枝である”を引用して、ほおばっていた姿を思い出しています。
7月17日
汗がじっとしていても噴き出てきます。いよいよ梅雨明け間近かですね。じっと座っているだけでも汗が流れてきます。風がなく暑さがこもっているのです。
草刈り機止めれば鳥の声ありぬ。
過疎進み原生林の茂りをり。
畔刈られ黒き程なる青田かな。
下草の刈られ笹百合そこここに。
道作り里へ帰りて草を刈る。 馬場路哉。
昨日から朝6時30分から主人がラジオ体操をしているので、私も何十年ぶりかでしてみました。第一と第二を続けて凡そ十分。結構きつく感じました。若いときには平気だったちょっとした運動が堪えました。今日は足が痛みます。三日坊主になりそうな気がいたします。あまり無理をしないでおこうと考えています。
7月22日
主人は6ケ月の定期診察からつい先ほど、三重大学病院から無事に帰ってきました。皆様のお祈りに支えられ、今回も異常なしと言っていただいて帰ることができました。神様はこの様な私たちを憐れんでくださり、またしばらくの間御用をさせていただけますことに心から感謝いたします。何事もなければ、次回の診察は来年の1月20日まで神様のご用ができますことは、本当に嬉しいことです。
7月30日
こちらは蒸し暑い一日でしたが、先ほどからとても激しい夕立でした。おかげで、ちょっと涼しくなり恵みの雨で草花が喜んでいます。
奥まるる吹奏楽部緑さす。
ねじ花のねじり具合に個性あり。
山の上の萩一株の走り咲く。
田の面波打てるなりハスの花。
しもつけの咲くや礎石の廃寺跡。 馬場路哉。
今週は佐世保の事件でとても考えさせられました。神様の愛をいつも覚えて生きて行かなければと。私たちは無力なものです。そして想像もしていなかったことに出くわしては戸惑い、慌てます。イエス様を信じる者はそのような不条理な試練に出くわしたとしても、神様にもう一度目を向けて、祈ることができますから幸いです。そのことに感謝したいものです。
8月6日
宝塚におられるTさんご一家とはもう58年も前にさかのぼります。Tさんのお母様Sさんは、私たち家族を快くご自宅を開放してくださり、日曜日の夕拝を始めることができたのでした。その前の路傍伝道もTさんご一家6名と牧師一家5名だけのものでしたが、次第にその輪が広がり、15名ほどで
こちら山添では、夏の行事が目白押しにやってきています。そんな中、今日、信友のお母様が倒れられ、老健施設に入所されたとの連絡がはいりましたので、合間を縫って駆け足でお見舞いに行ってきました。96歳になられていても認知がなく、しっかりとされていました。でも腰が圧迫骨折されているとのこと。
安静を余儀なくされているので、足腰の筋力が弱ってしまうと信友は心配していました。お別れするときに、私に‘あなたの御恩は一生忘れませんよ’といってくださり、何だか尊い遺言のようにさえ感じとることができた一瞬でした。
明日はまた年に一度の井戸替えの行事です。皆年齢を重ねて次第に井戸の水をくみ出す力がなくなってきました。できる範囲のことにしておこうと話し合っています。次は
8月11日
山添は台風が大きな被害をもたらすことなく過ぎ去ってくれました。ほっとしています。大雨が降っている最中ですのに、遠くで鳩が鳴き出しました。それを聞いて主人はもうすぐこの雨が小雨になり、止むはずだというのです。昔から田舎ではそう言い伝えられているらしいのです。それを聞いて、私はノアの方舟のことを思い出しました。ノアも雨が止んでいるかどうかを確かめるために鳩を外へ放し、オリーブの木の葉っぱを鳩が持って帰ったのを見て雨が止んでいることに感謝したあのお話をです。これ以上降り続けられると家の裏山が土砂崩れに会うのではと案じていましたが。無事で神様に感謝いたしました。名古屋はどうでしたでしょうか。テレビの映像ではとても激しく雨が降っていました。
ゴロゴロと岩従へり夏の川。
白鷺の雨の浮き洲を動かざる。
草刈りやぬた場に足を取られつつ。
荒梅雨やカラスぴょんぴょん歩きけり。 馬場路哉。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(100)
6月17日
日本のサッカーのワールドカップブラジル大会初戦は残念でしたね。毎朝早くから息子がテレビ観戦しているのでこちらも影響され、4時には目を覚まして散歩に出かけています。息子は高校生の時、選手でしたからサッカーに関しては解説者級の力を持っています。部屋には、サッカー日本代表の着るユニホームが3枚(自分のひいきの選手)もかかっているのです。私から見ると無駄使いをして、と思うのですが、本人にとってはそれを眺めているだけで、モチベイションが上がってくるというのですから、ファンっていうのはこのようなものなのでしょう。
クラッシックバイクで集ふ老いの夏。
幻の如く吹かれてつばなの穂。
麦の穂のしなやかにして吹かれをり。
薔薇園を想はす庭の香りけり。
会堂に満つる光や聖五月。
母一人家を守りぬユキノシタ。(我が家の近くの家のこと) 馬場路哉。
主人は今年から
6月23日
こちらは梅雨の晴れ間でしたが、やはり蒸し暑さがありました。空ではホトトギスがとても美しい響きで声を出しています。姿はどうしても見られません。きっと人間にみられると危険なので木の枝の影から響かせているのでしょう。もう、6月も最後の週になりました。早いものですね。一年の半分が過ぎようとしています。昨日は退職された先生が88歳になられたお祝いの会に出席いたしました。とてもポジティブで毎日、趣味の書道、水墨画、パッチワークに励んでおられ、その作品を皆で鑑賞させてもらいました。生涯現役を貫かれているお姿に敬服いたしました。それぞれの生き方に哲学を持っているのでしょうが、でもやはりすべてご自分のためにされていることで、私としてはやはり、信仰を持っておられる方との違いを感じました。信仰を持っていると何時でもさほど変わりはないのですが、自分のためだけでなくやはり苦しんでいる人、困っている人に何らかの愛の手を差し伸べたい。そのような者でありたいと考えながら帰路につきました。
6月25日
万緑や一線走るハイウェイ。
干ばつの後の雨音響きけり。
伸びるだけ首を伸ばしぬカタツムリ。
鳥取の砂丘のらっきょ漬けにけり。
語るかに一つの蛍近づきぬ。 馬場路哉。
6月30日
今日で6月も終わりです。一年の半分が過ぎてしまいました。いったい何をしていたんだろうと時の過ぎゆく速さに焦りさえ感じるこの頃です。
文にあり今も夜明けのホトトギス。
軽快なピアノの音に緑さす。
黒々と強さを秘める樫落ち葉。
壁登りふわりと落つる毛虫かな。
アゲハチョウよぎれば直に失せにけり。
薄明や蛍袋の灯りをる。 馬場路哉
7月1日
毎日、サッカー漬けになっています。息子が隣の部屋でビデオに撮っておいて仕事から帰ると見続けます。時々、わあ~とか、よっシャ~とか叫び声が聞こえるので覗きに行くのです。私たちはBSで静かに見ています。この蒸し暑い中、90分走り続け、ゴールを決める。若さと訓練と精神力によってあのような技能が高められていくのですね。あとしばらくサッカー熱の勢いが我が家を占領しそうです。季節はいよいよ夏本番へと移り変わっていきます。お体が支えられますようにお祈りしています。
ひたすらに頭を垂るる梅雨の竹。
広場にてツバメの飛翔確かむる。
水無月や白を掲げる花多し。
この盆地囲める山に雲の峰。
玉の汗狙い定めてボール蹴る。
長き竿鮎を釣りをる広瀬かな。 馬場路哉
7月8日
6日の礼拝では信仰の友と語り合うことができ、ともに賛美し祈ることができて感謝でした。神様は私たちに多くの試練を通して、一層謙遜にさせ、神様にすべての思いを委ねきる信仰をお与えくださっているのだと感じるこの頃です。でも人間は弱いもので、試練に会うと、心揺れ動き、悲しみに暮れるものですが、悲しみ苦しみを通して、神様がともにいて励ましてくださることを確信しています。上野の友は同級生です。中学生の時に教会にお誘いして以来の友です。彼女はいつも冷静に事を処理できる方です。私は感情的な面ばかり持っていて彼女からは学ぶところ大きいです。幼馴染でもある友と祈り会えることはとても力づけられます。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
その愛のゆえに
=時々の記=
(99)
5月24日
主人の俳句が出てきましたので送らせていただきます。良いお天気なので、さっそく主人は
あたふたと逃れる様に蝶去りぬ。
代掻きの機舟の如進む。
川沿ひの道は若葉をかぶりをり。
峠道新樹明かりの葛(つづら)折。
崇高な夢へ歩める端午かな。
アカシヤの丘にあるなり農学部。 馬場路哉
5月27日
我が家のツバメたちは無事に雛5羽が巣箱から落ちることなく飛び立つことができました。嬉しいよ~嬉しいよ~と言いながら、我が家の庭の電線に並んで挨拶してくれます。このように一つ一つの生き物が精一杯生き抜こうと努力をしている姿に感動しています。
5月29日
こちらは、今日はくもり空でした。今にも雨が降り出しそうです。いよいよ梅雨のようです。今朝散歩の途中で一番賢いモモがマムシにかまれてしまいました。あっという間に顔がボールのように腫れ上がり、とても痛そうです。直ぐに犬猫病院に連れて行ってあげたかったのですが、まだ朝の5時。先生を起こすのも失礼だと思い、3時間、モモは我慢してくれました。8時になって先生に血清注射と痛みどめ、化膿止めの薬を頂いて、今は少し落ち着いてきました。急に熱帯のような暑さになったためマムシがあちこちで発生しているとのこと。毎日のように猫や犬たちが連れられてくると言っておられました。
先生が人間でなくて、良かったですねと言ってくれました。モモは痛くてもしんどくても何も言わずにじっと耐えています。その様子を見るとよけに可愛そうに思えるのです。早く元気になってくれることを願っています。
万緑の山に囲まれ一団地。
末生りの小粒の苺甘かりし。
大木となりて孤高の桐の花。
畑中の麦わら帽子手の動く。
万緑の山を越え来て津の海へ。 馬場路哉
6月3日
やはり6月ですね。これからじとじとした季節になっていきますが、気持ちだけでも清々しく過ごしたいものです。犬たちとの散歩から帰ると汗が噴き出てきます。散歩の途中で草花が目に留まります。今はアザミの花が暑さの中、緑の隙間からきれいな薄紫の花をのぞかせています。アザミの美しさにはっとさせられるこの頃です。
6月11日
今朝は霧雨が降っています。やはり梅雨を迎えたなと感じるのは、庭の花が皐月からもう、アジサイへと移り変わろうとしています。サッカーワールドカップブラジル大会まであと5日となりましたね。強豪コートジボワールとの第一戦ですから今からハラハラドキドキです。空を見上げるとツバメたちが二度目の産卵のためにあちこちから巣作りのための泥やストローなどを集めて忙しそうです。ツバメがなぜこのように人間に好かれるのかを主人に初めて聞きました。ツバメの背中は黒いのですがお腹は真っ白です。“腹黒くない”ことからツバメがやってくるのを好むのだそうです。なるほど。そういわれれば一層ツバメを見ると気持ちが穏やかになってきます。
メタ セコイア若葉の脇のレストラン。
貸農園老い度地励む夏野菜。
トユつまり夜中に直す緑雨かな。
子ツバメの飛び交へりをり門の前。(さき)
この池と引き立て合へるカキツバタ。
小石原眩し早瀬の夏の川。 馬場路哉
19日の連合婦人会の奏楽のために、必死になってオルガンに向かっています。若いころはそれほど気にならなかったことが年を取るにつれて臆病になってきたように感じられる心境です。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」