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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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契約の継承」(51)
 
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
神学的な一貫性と組み立ての調和(1)
 
 もし私たちが誠実な心をもって、神の意志の全体を教えようとするのであれば、
神学的一貫性が不可欠です。神学の基礎と展望がないとき、奉仕の働きはあっという間にイベントや駆り立てられたプロジェクトとなってしまいます。イベントやプロジェクトでは人々のエネルギーを長期間維持しません。キリストの勝利と契約は神学的な誠実さを与え、神の民から永続的な献身の思いを引き出します。
 もし私たちが英知に満ちた手で神の意志の全体を教えようとしているのであれば、神学の基礎と展望の構造的な調和が不可欠です。キリストの勝利と契約はすべての私たちの計画とその実行において、最も優れた価値あるものです。キリストの勝利と契約は神の超越性を気づかせるので、畏敬と驚異の感覚を引き起こさせます。
 わたしはこの章を飛行機の中で書いていました。隣にいた若い男の人がわたしの腕をトントンと叩いて、「美しいですね」と言われて、はじめて眼下の景色に気がつきました。彼はその眺めを指差しました。彼の声に、子どものような驚きぶりを感じて、わたしは彼に飛行機に乗ったのはじめてかどうかを聞きました。空高く飛んでいるときに、私たちは神の世界観について話し始めたのです。彼は専門教育課程で卒業準備している大学四年生であることがわかりました。また、クリスチャンであることも解りました。わたしは仕事に熱中していたため、もう少しで見過ごすところだった美しい光景に気づかせてくれた彼に感謝しました。この驚きと畏れの感覚を持ち続けるためには、心が高揚しなければならないのです。
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 祈りの人々は心を高く揚げ…神のみ前に生き…神の輝きに浴し…神のご存在を映し出します。英知に満ちた手とまったき心が祈りの場所に相応しいのです。ヨシャファトは高揚しました。彼が学んだことは、奉仕の働きを補強するという教えです。
 
 
讃美せよ。畏れるな。(1)
 
 歴代誌下18章で、ヨシャファトは人の目線による作戦に頼りました。彼は預言者の警告を拒んで、独自に行動し、アハブと同盟関係を結び、かろうじて死を免れました。明らかに、彼は、私たちみなが知っていなければならない教えを学びました。
「これが主の言葉である…『武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって』と
万軍の主は言われる」(ゼカリヤ4・6)。歴代誌下20章ではヨシャファトは新しい高さに登りました。神に信頼をおいて契約の共同体の一部として行動しました。
 ヨシャファトは大軍が攻めて来ていることを告げられた時、恐れてはいましたが、今回は軍事力による恐れを、人の目線による見方で見ませんでした。また単独で行動することもしませんでした。
 
    ヨシャパテは恐れて、ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告した。
   ユダの人々は集まって来て、主の助けを求めた。すなわち、ユダのすべての
   町々から人々が出て来て、主を求めた。          
                                                     歴代誌下20・3~4
  
 これは、契約に基づいた集会でした。
 
  ユダの人々は全員主の前に立っていた。彼らの幼子たち、妻たち、子どもたち
  も共にいた。                                   
                                                      歴代誌下20・13
 
 ヨシャファトは契約に忠実な神に祈りました。これは聖書のなかでも最も偉大な祈りの一つです。
 
  ヨシャパテは、主の宮にある新しい庭の前で、ユダとエルサレムの集団
の中に立って、言った。
 「私たちの父祖の神、主よ。あなたは天におられる神であり、また、あな
たはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手に
は力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者
はありません。 私たちの神よ。あなたはこの地の住民をあなたの民イスラ
エルの前から追い払い、これをとこしえにあなたの友アブラハムのすえに
賜わったのではありませんか。 彼らはそこに住み、あなたのため、御名の
ために、そこに聖所を建てて言いました。 『もし、剣、さばき、疫病、き
きんなどのわざわいが私たちに襲うようなことがあれば、私たちはこの宮の
前、すなわち、あなたの御前に立って――あなたの御名はこの宮にあるから
です。――私たちの苦難の中から、あなたに呼ばわります。そのときには、
あなたは聞いてお救いくださいます。』
  ところが今、アモン人とモアブ人、およびセイル山の人々をご覧ください。
この者たちは、イスラエルがエジプトの地を出て来たとき、イスラエルがそ
こに侵入することをあなたがお許しにならなかった者たちです。事実、イス
ラエルは彼らから離れ去り、これを根絶やしにすることはしませんでした。
ご覧ください。彼らが私たちにしようとしていることを。彼らは、あなたが
私たちに得させてくださったあなたの所有地から私たちを追い払おうとして
来ました。私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。
私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちには
ありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あな
たに私たちの目を注ぐのみです。」
                                              歴代誌下20・5~12
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
                  
 
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「特別寄稿」  改革派教会中部連合婦人会西濃地区祈祷会 「証し」
 
 「主に導かれて」          
 
主のあわれみにより、改革派教会に導かれ選びの民の一員として、ここに生かされている幸いと、このような場所で証しをさせていただくことを感謝申し上げます。
信仰生活を振り返る時、聖霊のお導きにより、「教会の女性」として相応しく生かされたいと願いながら随分長い年月が経ちました。
私は、1957年9月頃、岐阜加納教会へ、コーラスの練習をする場所を借りるため、広いオルガンのある教会へ頼みに行きました。礼拝に出席する事を条件に合唱コンクールが迫っている前に2回程の練習をさせていただきました。今のようにカルチャーセンターのような場所が無かった時代です。
 そして礼拝に出席する条件でしたから、ある日曜日に出席して、その時の礼拝説教に耳を傾けました。「荒野の40年間」の説教でした。何も判らない初めての教会出席でしたが、「荒野の40年間・罪と苦しみの生活」・・と聞いた時、40年の年月の感覚がつかめない若い時でしたから、先の見えない40年、これは恐ろしいことになる・・・とその時に思いました。今は、過ぎた40年はあっという間だったと振り返りますが・・・。
この時以来コーラスを止めて、それから岐阜加納教会へ出席するようになりました。今までコーラスの練習に出かけていた時は何も言わなかった両親が 教会へ行くことをいろいろと心配して反対しました。当時、岐阜加納教会の牧師藤井重顕先生と奥様が家へ来てくださって、教会は修道院ではない・・と説明をしてくださいましたが 承諾が得られず そのまま家を出て岐阜加納教会の牧師館で約2年間過ごさせていただきました。
藤井先生ご一家が神戸改革派神学校へ行かれることになり、私も神戸へ行くべきか否か、迷っている時、岐阜東栄伝道所のマカルピン先生の後任として、高知県からH・ボーチャード宣教師ご一家が赴任され、藤井先生ご一家とボーチャード宣教師ご一家とのお交わりや東栄伝道所の働きを通して、私はボーチャード宣教師宅で働く幸いなお恵みにあずかることが出来ました。
ボーチャード宣教師宅での仕事は、夫人の伝道の働きのサポートでした。その頃この地区で伝道をしていらっしゃった女性宣教師ゴダート先生のバイブルクラス・讃美歌練習などにも参加して、教会の交わりや、知らなかった文化に触れることができて青年会時代をとても楽しく過ごしました。
1959年9月の伊勢湾台風で大きな被害のニュースによって、アメリカの教会の婦人会からボーチャード宣教師宅・東栄伝道所へ数々の救援物資が毎日のように送られてきました。ボーチャート夫人、ゴダート宣教師、名古屋からマカルピン夫人、金城学院高校の英語教師と共に被災された教会や、個人の家へ届ける救援物資の仕分け作業を手伝い、その作業の始めと終わりの祈祷会では熱心なお祈が続きました。主の恵みに感謝して、讃美歌を歌い「主の祈り」の一日が何日も続きました。
私はその作業を手伝いながら、送り主の婦人会名称が「ドルカス会」や「リディア会」又は「ロイス会」など聖書の女性の名前に大変興味を持って、アメリカの教会の婦人会の働きなど、宣教師方のお話をお聞きしましたが、当時の日本とアメリカの教会の歴史の違いや規模の大きさ、物資の豊かさなど、物理的な状況の違いに お国柄が違う・・・と決め込んでいました。
宣教師の方々は、伝道という目的のための勇気と行動が、御言葉に訓練され、主への信頼、そして、生き方に豊かさが築き上げられていることを感じました。
 その後、聖書の婦人について学ぶ時、教会の女性について学ぶ時、日本の教会が発展していく歴史には、女性宣教師方の伝道の働きも大きかったことは忘れられませんでした。      
 
「そして数十年が経ち」
皆様もご存知のように、アトランタで開催された「教会の女性」(WIC)のカンファランスに参加したことで、あの時の女性宣教師の働き「教会の女性」について、その様子を想い出し、ただ感心して見ていた長い年月がよみがえりました。
 神の共同体としての多くの姉妹方の背後には、各分野において賜物が用いられて、その積極的な働きと使命感に圧倒されました。
 長い間、私の根底にあった「教会の女性」の働きの実践を目の前に見て「神様の目的」「女性の役割」を今一度はっきり知ることができました。
教会の女性として(1)神様の目的をはっきり見分けて、学びと訓練により霊的な成長を教会は切望していること。(2)聖霊を通して与えられている賜物は、神様への奉仕、聖霊を通して教会のために必要であること。(3)女性に与えられている賜物、女性の役割について学ぶ必要性があることです。
ある執事さんが 聖餐式の準備をしながら 「パンの配膳・杯にぶどう酒を入れること、このご奉仕は御霊によって清められ、会員全体への喜びの奉仕が出来て本当に嬉しい・・・」と仰ったことがあります。自分が役に立っていることの喜びをも見出すことができ、神様から必要な賜物が与えられていることに励まされます。
 神様が目的を持って教会生活をおくりなさい・・・と知らされたことは、「教会の女性」としての訓練の始まりです。
その矢先に病気をしましたが、1ヶ月の入院と6ヶ月の治療は忙しい忙しいと後回しにしていた本を読む時間が与えられたこと。また入院は日常の活動を離れて、イエス・キリストとの個人的な交わりの時間でした。そして、アトランタ・カンファレンスの勉強会です。
アメリカ旅行をしてよかった、素晴らしかった、楽しかった・・・と旅行の感激とカンファランスで得た恵みの証をしたい・・・と参加した姉妹方とともに報告をしあって一人でも多くの姉妹方に、伝道にも奉仕にも女性の働きは教会の成長に必要な役割を果たすために、そして改革派教会が17~8年ほど前から女性役員論について研究し始められていることに対する学びの必要性・・・(女性の役割について)。このためにも先ず勉強会をはじめること。そして教会の女性の働きに相応しい本を出版する計画をしました。a3c82455.jpg
アトランタ・カンファランスに参加してやがて8年になりますが、この間、カナダ・ナイアガラ・カンファランスにも参加することができました。
 「神様は長い間にいろいろな手段を通して学びや奉仕の時を与えてくださり、「伝道の使命・御言葉の学びと教会の奉仕には定年はありません。年齢ではありません。目的のため必ず整えてくださいます」と励まされ「主に導かれ必要とされていること」は、神様の方から目的を示して下さり、このためにも最善を尽くすこと。与えられた場所で、助けを求める祈りのところへイエス様は来てくださり、励ましを得ることは、ただただ感謝です。
勉強会も本を出版する計画の歩みも遅いですが、急がず焦らず主の支えに守られて続けています。
 「教会における女性の働き」の会について少し触れましたので 今、私たちの働きを紹介しますと、『教会における女性のリーダーシップ』出版に続いて『契約の継承』(Heirs of the Covenant)(信仰を受け継ぐ・出版予定のタイトル)という本の翻訳を終えて出版の準備中です。
この本は、聖書とウエストミンスター信仰基準の契約の教理にもとづいて書かれていて、神の民に引き寄せて共同体として平安が与えられていること、信仰生活の隅々まで恵みの契約のうちにあること、契約の継承はすなわち信仰の遺産である。それはキリスト教育にあり、契約的に生きることを教えること、神は家族に対して常に応答してくださること、契約の中に生かされている確かさを教えられる本です。
一日も早く出版して皆様に読んでいただきたいと願っています。
 現在は『霊的母親であること』(Spiritual Mothering)の本を翻訳し始めた所です。女性は肉体的にも霊的にも命を生み出す者として整えられていく霊的母親の本質について、そして、年配の女性たちと若い女性たちについて(テトスの手紙2章2節~5節)特に若い女性が霊的な母親になる信仰的女性に育てられるようにと祈りの姿を求めて学び始めたところです。
以上のような学びのベースには、霊感された神の御言葉の「聖書」とウエストミンスター信仰基準をとおし、教会の女性の働きとして、女性の機能的な相違や役割について正しく知りたいと願って学んでいます。
 
「結び」
私が40年前に女性宣教師の働きを通して、『教会の女性』というこの課題を発見したこと、主が求めておられることを教会生活と信徒の交わりと学びから神様の御心によって 生かされている目的をはっきり見極め、常に示唆が与えられることは、感謝です。
あの頃の日本の社会も教会の状況も変わり「無意味で危険のはびこる世俗社会の中、世俗的な考え、御言葉が生活に入り込んでいない」と悔い改めを感じる毎日ですが、礼拝と主にあるお交わりと御霊の導きによって、キリストの体である教会の一員・教会の女性として神様の目的のために、託された賜物が用いられてお仕えすることができるように願いつつお祈りをしています。
以上、与えられた15分以内にまとめて証から本の紹介・WICの話などをお話させていただきました。 貴重な時間を私に下さいましたことを感謝申し上げます。  
          
2007年7月12日
                     岐阜加納教会 岸上とし子(WIC会長)
 
「契約の継承」(50)
 
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
 
キリスト教教育のための方策(5)
 
<あらゆることを守るよう教えること>(4)
利点4
 教育のプログラムは、教会全体の奉仕の考え方や奉仕の図式を統合できるために注意が払われるべきです。教育プログラムは教会のヴィジョンと目標の達成に助けとなるべきです。教育プログラムは人々にヴィジョンを教え、教会の目標を達成するために動く車です。
 
利点5
 教師たちは名簿に登録され、訓練を受け、励まされることができます。教師たちは孤立を感じ、つまらないと思ったりするため、しばしば自信を失うようになります。中世の時代に、一人の手配師が、労働者が自分の仕事についてどのように思っているのかを知るためにでかけたという話があります。彼はフランスの建設現場に行き、労働者に近づいて尋ねました。「あなたは何をしているのですか」と。
 その労働者はぶっきらぼうに言い返しました。「お前はめくらかい。俺はボスに言われたようにこの砕けそうもない大きな石を原始的な道具で切ったり、くっつけたりしているのだ。この太陽が照りつける中で汗を流し、大変な労力を要する仕事なんだ。うんざりしているよ」。
 その手配師は二番目の労働者のところに行き、同じ質問をしました。その労働者は答えました。「わたしはこの石を使える形にしているんです。そしてこれらは建築家の計画通りに集められることになっています。大変な仕事です。また、ときに何度も同じ事をすることもありますが、妻と子どもたちを支えるには十分な稼ぎです。仕事なんですよ。最高ですよ」。
 幾分励まされてその手配師は三番目の労働者のところに行き、再び尋ねました。「あなたは何をしているところですか」と。
 その労働者は、きらきらした目で彼を見つめて、腕を空に向けて上げて答えました。「おや、お前さんには見えないのかい。わたしは聖堂を造っているんだよ」(注4:ジョイ・テイラーフォード著「機知と知恵の種本」1996年、コミュニケーション・リソース社)。 教師たちが神のみ旨全体を伝えるという大きなビジョンをもって、一緒になって挑戦したり、クラスで主がなさっていることを祝ったり、また共に祈ったりすることが計画されているときは、大きな石よりも聖堂に焦点をあわせることができます。
 
利点6
 教師一人一人が、キリスト教教育のプランの全体像がはっきりしており、自分が働いているプログラムの特別な目的にもはっきりしたイメージを持っているなら、教育分野における自分の担当部分に集中することができます。生徒たちがそれぞれのプログラムで何を学んでいるか、そして、次の年に何を学ぶかを教師たちが知っていることは、教師たちに自由と集中の感覚を与えます。
 
利点7
  それぞれのクラスの中で交わりが培われることができます。リーダーシップのチームが指名され、訓練を受け、新しい会員を受け入れたり、交わりのときを計画したり、クラスの会員の中で困っている人の面倒をみたり、欠席している会員のフォローアップをしたり、奉仕の働きの計画を立てたりします。子どもたちのクラスのために両親たちのチームが示されます。定期的な訓練と会合がその勢いを維持し、説明を与えることができます。種々のクラスは実施していることを、ニュースレターのハイライトの記事とすることで努力していることがよく見えるようになります。神学的規範は、説教とニュースレターの記事が共同体の聖書的基盤を絶えず教えるので、維持されることができます。   ccf163ba.jpg
 
利点8
 共同体は年齢層の違うグループの間で、計画的に培われることができます。子どもたちのクラスを大人と組み合わせて、色々な奉仕の働きを割り振るように計画され、実行されることができます。大人一人と子どものクラスが、一人の宣教師のために祈ったり、帰国した会員を励ます役割を任せられることが可能です。二つのグループが一緒に活動するのでその関係は拡大し、成熟して、教会が聖なる交わりを維持するのに助けてくれます。 
 
利点9
 人々は愛の働きのために訓練を受け、動員されることができます。小さな子どもたち、十代の子どもたち、大人たちは障害をもった人たちをどのようにしたら守ってあげられるか、また迫害を受けた人たちのために、どのように祈ってあげられるかを学ぶことができます。貧しい人たちに食物を持って行ってあげたり、刑務所にいる人たちに手紙を書いてあげることもできます。「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」(ミカ六・八)をどのようにしたらできるかを学ぶ機会が与えられています。
 
利点10
 一致は育てられることができます。奉仕の働きが専門的になり、年齢も特定された現代の傾向は分裂を生むことがありえます。どの働きの場もたいてい専門のスタッフがいますが、多くの場合それはチームとは呼びがたいものです。実際、それぞれの働きは縄張りになることが多く、現に教会の週報に載せるためとか、教会カレンダーの日程のためとか、予算獲得のためという理由で他の働きと競いあうようになります。働きが競争しあうと、関係は悪くなります。確かに、このことは次のように祈られたイエスの心を深く悲しませます。「…彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです」(ヨハネ17・23)。
 教会の働きの多くが、キリスト教教育の傘下にあるので、傘の「骨」、それぞれの骨の間に一致の思いがなければなりません。そうでなければ、教会の業と証しはそこなわれてしまいます。一致はその関係の中で信頼と成熟によって特徴づけられます。というのは、その一致が特定のグループの必要よりも、むしろ神の栄光を取り巻くものだからです。それぞれの「骨」つまり働きは、教育委員会に代表が出席し、定期的な会合を持つべきです。会合ではビジョンが展開され、目標が定められ、働きの重なる部分は愛の精神をもって取り扱われます。お互いの間に協調、協力、説明責任があるとき、それぞれの働きはますます豊かになり、一致がますます深まります。子どものための働きの指導者は、片親の子どもを助けるために、女性の働きと男性の働きから援助と祈りの協力を得ることができます。女性の働きの指導者は十代の子どもに、未亡人宅の庭仕事の協力をしてもらうことで、青年の指導者と一緒に働くことができます。可能性は無限にあり、一致は途方もなく広がっていきます。
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
 
「契約の継承」(49)
 
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
キリスト教教育のための方策(4)    dc1ca607.jpg
 
<あらゆることを守るよう教えること>(3)
利点3
 カリキュラムの教材は神学的な一貫性と教育学上優れたものであるように、注意深く調べられることができます。出版社が提示している解説から、教材が教会の神学基準に一致していることが確かであるよう調べられるべきです。日曜学校のカリキュラムの出版社であるグレート・コミッション・パブリケーションは、契約に基づく考え方に沿って解説書の中で以下の説明をしています。私たちが今までに話してきたテーマについて、強調していることに注意してください。…聖書を契約的に見ていること、教会における他の人々との関係を契約に基づいて理解していること、詩編七八に見られる学びの過程、家庭と教会の関係、そして包括的な世界観と人生観の展開。次の文を読みながら良いカリキュラムを見つけて、それをあなたの日曜学校で用いることが大切であることもまた考えてみてください。各学年で異なった教材を用いると、全体的な計画の中にギャップが生じ易いため問題が生じます。
 
日曜学校の多くの教師たちは…日曜学校でなされている働きにおける自分
たちの役割に当惑しています…[私たちの]カリキュラムはカリキュラム全
体の構想を促進するあらゆる年代のための目標を持っています。計画全体
の中で何の役割を果たすかを知っていることは、おそらく教える上ではる
かに気もちよく自信を持たせてくれるでしょう。カリキュラムとビーズの
糸という二つの間の類比が役にたつかもしれません。
 ビーズを糸に繋ぐためには、もちろん、まずビーズを持つことが必要で
す。私たちのカリキュラムの最初の二つの部所の基礎構成部分である聖書
物語…ビーズを提示します。…
 第一段階のコースを学んでいる子どもたちは聖書全体から物語を調べ
ます。…彼らは物語が何を教えているのかわかり始めます。そして、そ
れがどのように関連しあっているかに精通してくるようになります。こ
のコースでは年代順のことが考慮に入れられますが、周期的に無視され
ます。この年齢の子どもたちは知能的にはこなせないからです。このこ
とは学びを子どもたちの生活に更に深く関連させます。
 就学前と小学校の段階の部所では、子どもたちが相応しい信仰を身に
つけるだけでなく、神が求められている義務を果たすことにも私たちは
関心を持ちます。それで、たとえば家庭の生活に多くの重点が置かれま
す。宿題には両親に子どもの学習に関わって励ましてくれるようにメッ
セージをつけます。
 もしあなたが一連のビーズを通しているなら、そのビーズが何である
かを知っていなければなりません。そしてそれがどのように使われるこ
とができ、うちに潜んだ相互の何らかの関係を解らなければなりません。
そうすれば、正しい順番にビーズを繋いでいくことができますす。同じ
ことが聖書の物語についても言えます。子どもたちはカリキュラム全体
のうちの基本的部分に能力を発揮しなければなりません。このことは、
聖書の歴史を扱う中学生の段階の部でなされます。子どもたちは啓示さ
れる様々な時代にどのように神がご自身を示されるのか理解を深めて
いきます。
 中学生の子どもたちは神の民の発展を創世記の記述から、使徒言行録の
教会の物語に至るまで学びます。…イエスがなさることは、神のみ国が働
くようにすることであることを知ります。このコースの学びはすべて…旧
約、新約で…イエス・キリストが神のみ国の中心であることを強調してい
ます。中学生の子どもたちは主イエスの僕として仕えるようになることや、
家庭においても学校においても、遊んでいても主が自分を変えて下さって
いる業を経験するようにと試されます。
 中学生のコースでは、子どもたちがビーズを順序正しく並べることを助
けます。穴は一列に並んでいて、ビーズは互いに相応しい位置関係になけ
ればなりません。子どもたちは神の民の歴史の中でのつながりの発展を発
見します。
 幾つかの意味で、中学生のコースはカリキュラムの冠石です。ビーズの
類比においてすべてのものを一緒に縛るのは糸です。聖書の統一概念は
契約であり、中学生のコースでは聖書全体を通してこの概念に至ること
を明らかにしています。
 契約という考え方は特に若い十代の子どもたちには意味を持ちます。
彼らの多くはキリストにある信仰を公に告白する用意ができています。
…私たちは契約の教えを大切にします。…そのため、教会の若者が教会
に加入する用意ができているとき、この基本的な教えを学ぶことは適し
ています。
 契約はまたこの年代層にとって、重要でもあります。というのも、人
間関係と関わりがあるからです。中学生の子どもたちは自分たちのつき
あい、仲間との関係、両親との関係を整えていく過程の途中です。私た
ちの教育のコースは神と我々との関係の点から契約を定義します。彼は
私たちの神であり、私たちは彼の民です。ビーズが糸なくしては一緒に
繋がれないように、契約なしに私たちの聖書理解はありません。
 けれども、一連のビーズを身につけないのであれば、ビーズのどんな
良さがあるでしょう。高校生のコースの教材は、その点を指摘しています。
ビーズは一度検査されれば、順序よく並べられ一緒に繋がれ、それから
身に付けられます。しかし、どのようにしてでしょうか。
 成長し続けているクリスチャンは、生活のあらゆる面で聖書がどのよ
うな方向へ自分を教えているのか知っています。そのため、高校生のコ
ースは、成熟という主題を教えます。三つの方法で何が成長したクリス
チャンの特徴が何であるか示そうとします。成熟したクリスチャンが三
位一体の神に心から仕える決意をします。その人はまた他者にも心から
仕える決意をします。その人の最終的な決意は神が造られたあるべき人
になることです。神の創造物として、その人は、自分の賜物と能力を神
が召して下さることが何であれ用います。
 一連のビーズはそれを身につけている人たちの魅力を増します。同様
に神のみ言葉を学ぶことは、神に一層よく仕えることができるようにさ
せます。それが…カリキュラムのゴールです。私たちは聖書を学ぶ人た
ちが神について、信じるべきことを知り、神が求めておられるどんな義
務をも実行できるよう備えることを願っています。
(注3 アレン・カーリー著 「カリキュラムのビーズを通す」ノクロス・ジョージヤ州・グレ
ート・コミッション・パブリケーション
 
このカリキュラムの連続性の法則は、成人クラスの教材選択にも適用されるべきです。
 
       ☆     ☆     ☆
 
「WICの学習会より ちょっとひとこと」
           
「霊的母親であること」(スーザンハント著)の学びも5月8日(木)で5回目を終えました。先回では、イエス・キリストの母マリヤを通して彼女が神様にいかに従順であったかを示され、服従が私たちに課せられた生涯の鍛錬であることを学びました。
今回は、イエス様が弟子たちの足を洗うという愛の行為を通して、わたしたちは(神の)家族の中で祈りと思いやりと従順であることの大切さを学びました。そしてまた、教会を去られた姉妹たちへの接し方について話し合いました。
霊的(スピリチュアル)な母親であることを身につけるには、どのようなことに心がけたらいいのかを、今後もこの学習会を通して深く学んでいきます。興味をもたれた方のご連絡をお待ちしています。
   連絡先:電話 0568-34-9403 日本キリスト改革派春日井教会内 WICの会
08年5月10日 WICの会有志 新美すえ子
                 スーザン・ハント著
WIC委員会訳
「契約の継承」(48)
 
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
キリスト教教育のための方策(3)
 
<あらゆることを守るよう教えること>(2)
 
 効果的に組織化された教育プログラムを計画したり、実行したりする揺るぎないキリスト教教育委員会には多くの利点があります。次にその十の利点を見てみましょう。
 
利点1
 きちんと調和された教育プログラムは教会の説教の働きを強化することができます。牧師は一回行われる説教の準備のために莫大な時間を費やします。さらに記憶にとどめるために、反復と補強が必要であることも承知しています。教育委員会は小さなグループをつくって、説教のこと、説教の人生への適用について話し合うことにより、牧師と共に働くことができます。
  牧師と教育委員会は一緒に働くことにより、テーマを展開し聖書の暗唱プログラムをしてみたり、讃美歌の歴史を教えたり、教会歴における特別なシーズンのお祝い行事の計画を練ったりできます。家族が暗記した聖書の部分についての牧師の説教や、子どもや大人たちがすでに学んで暗唱した讃美歌が入っている礼拝の印象を想像してみてください。
   
利点2
 調整されたプログラムは、教会が神の意志の全体を伝えていて、従って「だれの血についても責任がありません」(使徒20・26)というより大きな確信を与えることができます。これを成し遂げるもっとも効果的な方法は日曜学校からはじめることです。日曜学校の時間が週のうちで最も無駄な時間としばしば呼ばれることは恥ずかしいことです。それは教育の働きの中央に位置すべきものです。
  人々が日曜学校に参加することは、一週間の他のどのクラスよりも容易なことです。一時間早めに教会に来る(または、一時間遅くまで教会にいる)だけでいいのです。教育委員会は日曜学校のカリキュラムを選び、それから、そのまわりに他のすべてのプログラムを構築すれば良いのです。
 たとえば教育委員会は外国伝道や子どもたちや10代の子らに対する奉仕活動を大いに強調したいと決めても良いのです。この目的のために日曜夜の青年のプログラムを計画することができます。子どもたちのプログラムはM&Mクラブ「ミッション(伝道)とミニストリー(奉仕)」でもよいでしょう。そこでは、子どもたちは宣教師たちに手紙を書いたり、伝道の話を聞いたり、退職された方の家や、帰国された教会員の家を訪ねたりして、地方の宣教活動に参加したりします。それぞれのプログラムははっきりとした目的をもち、神のご意志の全体を伝える総合的な目的を成し遂げるのに役立ちます。
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
                   =複製厳禁=
 
 
 
「契約の継承」(47)
 
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
 
キリスト教教育のための方策(2)
 
<あらゆることを守るよう教えること>(1)
 
 イエスが命じた「すべてのことを守るように」(マタイ28・20)私たちは生徒に教えられるべきであるとイエスは言われました。パウロは感動的な模範を示してくれました。「わたしは神のご計画全体をひるむことなくあなたがたに伝えたからです。」(使徒20・27)。すべてのこと全体…この言葉はとても包括的な言葉です。
 どのようにしたら、すべてのことを守るよう生徒たちに教えられるのでしょうか。どのようにしたら、神のご計画の全体をできる限り教えられるのでしょうか。このことは教えるとき、創世記からはじめて黙示録にいたるまで、私たちがいつも教えることを意味しているのでしょうか。答えは明白です。そんなことは不可能でしょう。けれども、私たちの教育プログラムは神のご計画の全体が伝えられるように、巧みに企画されねばならないことを意味しています。教会において、このことは神のご計画の全体がある程度まで教えられるために、しっかりしたキリスト教教育のプログラムが展開され、注意深い管理がなされます。
 新しい牧会の地に移ると、夫が実行しなければならないことは、そこの人々と知り合いになり、何が起きているのか、観察したり、人々の必要を判断したりしたりして、数ヶ月を過ごすことです。ある教会で、私たちは教師たちの質のことで、身震いしました。幼稚科から成人科まで、教師たちは有能で献身的でした。しかし、まもなくして、気がついたことは、監督している、キリスト教教育委員会がなく、何を教え、どのカリキュラムの教材を用いるかは、それぞれの教師によって、独自の選択がされていたことです。ある年齢別のグループでは日曜学校と水曜夜のクラスで、子どもたちは同じ事を学んでいたことに誰も気づきませんでした。更に悪いことには、教材の中には教会の神学基準に一致していないものも用いられていました。というのも教師たちは経験があったので、必要な神学的判断は自分たちがしたのです。そこには、内なる危険が潜んでいました。特定のカリキュラムは隠れる砦をつくることになるし、あまりよく解らない教師が神学的矛盾に気がつかないで、教えることがあり得ます。これは上手なプログラムではありませんでした。人々は何が起こっていたか気づいたとき、教育委員に任命することが熱心になりました。
 神のご計画の全体を教えることは、範囲の広い働きですが、いかに多くのことが、教会の教育の働きの中に含まれているかを考えてみてください。保育、子どものプログラム、青年の働き、成人バイブルクラス、日曜学校、男子会の働き、婦人会の働き、すべてがキリスト教教育の傘下にあります。教会の働きの75%~90%までが、キリスト教教育の視野の下にあることが予想されてきています。そのため、教会の働きのかなりの部分を占める割合は疑いもなく、教会の健康度を示す有力な指標でしょう。アレン・カーリーは次のように書いています。
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  キリスト教教育の働きは、より多くの人々に自分の賜物の実践を学んだり、
  聖書的な働きの環境の中で、他者に仕えるという機会を与えてくれます。膨
  大な量の仕事がキリスト教教育プログラムにおいてなされなければなりませ
  んし、どんなキリスト教教育のプログラムにおける組織も多くの人々が関係
  します。この人たちはキリスト教の奉仕の仕事に携わっています。
   キリスト教教育は、また教会と人々との関わりを保つために最も効果的な
  手段を提供しています。調査機関が主に研究したことは、子ども時代から成
  人になるまで、続けてきた教会生活の中で、最も大切な変わりうるものは
  何であるかということでした。誰も驚くこともなかったのですが、その答
  えはキリスト教教育でした。 
   
 
スーザン・ハント著
                   WIC委員会訳
                   =複製厳禁=
 
WICの活動のご案内」
 
1.            WICの意味は? 改革派教会婦人会の有志による自主グル-プ組織(Women in the Church )です。
2.            WICの活動内容は? 海外カンファレンス(アトランタとカナダ等)の出席と学び、海外から講師を招き、教会における女性の働き役割等について日本全国各地に講演を依頼。また著書の翻訳出版等と聖書と共に主としてス-ザンハント女史の著書をテキストとして継続的に学び時を持っています。「教会における女性のリ-ダ-シップ」(出版済み)「契約の継承」の出版準備中。現在は著書「霊的母であること」の翻訳と同テキストを用いて勉強中。
3.            WICについての問い合わせは?
     日本キリスト改革派春日井教会内 WICの会 Tel(0568)349403
 
WICの会」では、教会における女性として特に、母親として必要なこと、目的のある人生、主の命令等の目標について、礼拝に始まり、み言葉と賛美、そして女性の役割と責任について聖書的な原理と実践について学びを継続いたしております。
                  200833
              「教会における女性の働き」の会有志
                     井上文子(名古屋教会)
 
「契約の継承」(46)
 
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
 
キリスト教教育のための方策(1)
 
 学んできたことをもう一度振り返ってみましょう。契約の内容は契約の関係の流れのなかで教えられるべきことです。キリスト教教育を契約に基づいて行うことは聖書の言葉を注意深く扱うことです。それは、私たちが神ご自身の自己啓示である聖書のすべてと契約の仲保者を通して神の民と結ばれた契約のすべてについて教えるためです。それは神の民の間の契約関係を意図的につちかうことです。
神の民が神のみ前に共に生き、生涯を通して、その現実を映しだしていくため、本物のキリスト教に到達します。それは非常に包括的であり、力強いため、契約の子どもたちはこの世の誘惑にたやすく目を奪われることはありません。というのも子どもたちは聖書のあらゆるページで、イエスに出会っていて、神のみ前に生きている人々の顔が輝いているのを見てきているからです。キリストの王権と契約のために、この世の塩であり、光であろうとする揺るぎないクリスチャンを生み出します。
 ではどのようにしたら、このことすべてが各個教会において実際に現実のものとなるのでしょうか。いくつかの基本的法則のために、詩編七八篇をもう一度見てみましょう。
 
  <全き心と巧みな手>
 
   主はまた、しもべダビデを選び、羊のおりから彼を召し、乳を飲ませる雌羊の番から彼を連れ
      て来て、御民ヤコブとご自分のものであるイスラエルを牧するようにされた。彼は、全き心で彼
   らを牧し、巧みな手で彼らを導いた。
 
 私たちは全き心と巧みな手でもって神の小羊を牧するべきです。神の民を牧することは神のみ言葉に養われる緑の牧場を備える必要があります。これは全き心と巧みな手でもってなされなければなりません。目立たないで、持続させようという教会教育の働きは絶対に受け入れられてはなりません。しかし、いまだにこのことは、教会がやり続けていることです。改革派神学校のキリスト教教育の学部長であり、教授であるアレン・カリー博士は次のように書いています。afbe8cac.jpg
 
  あまりにも多くの人がみな、キリスト教教育を持続するという観点からみ
  ています。彼らはキリスト教教育から多くのことを期待していませんし、
  それがどのようにはじまったかも確かではありません。けれども、それが
  存在しているので、続けるべきだと思っています。このことは恥ずべき姿
  勢として記されうることではあるものの、教会内でこの姿勢を持った人々
  の中でさえ、キリスト教教育がいかにうまく機能し続けているかは今な
    お驚くべきことです。
  (注一 アレン・カーリー著 「キリスト教教育、ブルーチップミニストリー」   Equip  誌  1996年12月 P8より、(ジョジア州・アトランタ PCAキリスト教教育委員会出版局)
 
 家庭と教会における教師と教育のプログラムは勤勉と卓越という特徴を持っていなければなりません。神の民が全き心と、巧みな手で育てられるためには、莫大なエネルギーがプログラムの企画や教師たちの訓練に費やされねばなりません。このためには、どこで有能な人を見つけられるのか、とあなたは多分いぶかっていることと思います。神が羊の檻でダビデを見つけられたことに気付いてください。ダビデは象牙の塔の学者ではありませんでした。彼は選ばれそうもない人でした。無名の羊飼いの少年でした。しかし、彼の手は汚れていて、彼の筋肉は羊飼いの仕事のためにうずいていました。私たちが各個教会で退屈で人目に付かない仕事をしているとき、巧みな手と正しい心が身に付けられます。
 
                スーザン・ハント著   WIC委員会訳  =複製厳禁=
 
 
 
 
 「契約の継承(45)
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
 
あるひとりの教師
 
 わたしは豊かな子どもの時代を過ごしました。地方の教会の日曜夜に開かれた青年会に初めて出席したときのことは、わたしが最も大切にしている想い出の一つです。年上の子たちはその交わり会が大好きでしたし、わたしが行く前にも兄や姉たちからの評判を聞いて、わたしも好きになるだろうと思っていました。いつか小学校に入る前、わたしが行ってもひどく当惑することもないはずだとママはきめていました。
 その夜、学んだことは決して忘れないでしょう。小さな教室の正面にテーブルがあり、そこに大きなぴかぴかの金属製の容器…パンチボールだったと思います…があり、水が一杯入っていました。先生は私たちにぶつからないように、そっと、テーブルのところに来るように言いました。わたしはとても小さかったのですが、誰かがわたしのために用意してくれた椅子にのって容器の真ん中を見ることができました。そこに私たち六人の子どもが何が次に起こるのかワクワクしながら、まったく静まった水面の容器をジッと見つめて立っていました。
 先生は一つの小石を取り出して、手のひらに乗せました。先生はその小石がただの普通の小石だとみんなが見てわかるように手を差し出して見せてくれました。それから、先生はその小石を水の中に落としました。するとその水面は波紋状になり、何でもない一つの小さな石が幾分大きな器の中に影響を与える同心円を描きました。
 それから、先生は教え始めたのです。取るに足らないと思われている子どもが、小石でさえもその何倍もの影響を水に与えたように、普通の男の人や、女の人が、自分たちの共同体を通してキリストの愛を伝えることができることを教えてくれました。
 ただ一つの条件は、ちょうど小石が先生の手の中にあったように、主がふさわしいと思われるように用いられるために、私たちを喜んで主のみ手の中にいなければならないということです。
 この簡単な説明には奥の深い教えがありました。それは四十年前のことでしたが、わたしはいまでも決して忘れていません。そのような体験がわたしを豊かな子どもにさせ、わたしの財産は想い出の宝石のように必ず価値を増やします。
 そのレッスンの後で、私たちは聖書ゲームをしました。すぐに終わり、立って円になり、手をつなぎ先生が読み上げた言葉を暗唱しました。「われわれが互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように」(創世記3:49 欽定訳)。それから、わたしが必ず言われるだろうと予想していた「男の子たちは、教会の中では走らないで」との指図で、私たちは解散しました。
 この同じ女性がわたしが思い出せる休みの時の聖書学校の初めての先生でした。こどものカテキズムを暗唱した時、彼女は指導の先生でした。頭の良い管理者であり、何年も休みの時の聖書学校を運営しました。彼女は日曜学校でも、小さな子どもたちや十代の子どもや大人の女性に教えていました。彼女は教師であり、多くの科目を教えました。
 けれども、多分もっと大きな意義のあることは人生の科目を多く教えたことです。忍耐と呼ばれる科目を教えました。…やめてしまいたいと思う時でも信仰を保つことを教えました。憐れみと呼ばれる科目を教えました。…週末だけでなく、生涯、自分自身を世話することのできない精神的に傷害をもっている兄弟のために保護者の役割を引き受けることを教えました。献身と呼ばれる科目を教えました。…これからしようとすることを言うこと、そして言ったことを実行することを教えました。神への信頼と呼ばれる科目を教えました。…たとえ自分が信頼しなかったことを、他人が良いと認めてくれるようなときでさえも信頼すべきことを教えてくれました。
 彼女は何度もこの質問を聞いたことがあります。「あなたは教会員として、この子をクリスチャンに育てる両親を助ける責任を果たしていますか」。わたしは彼女が一度も機械的に手をあげたとは思っていません。むしろ、威厳をもって、彼女はもう一つの責任を果たしました。彼女はこの責任を理解し、主のみ手の小石となりました。それは、キリストのご性質を映し出す場所に置かれるためでした。
 わたしは現在、夫であり、父親です。そして、この同じ教会の日曜学校の管理者です。この教会は今では郊外の教会として、成長しています。エヴァリン・ワードロー夫人は現在八十四歳の未亡人で子どもを持ったことはありません。キリストを求めるわたしの生涯に、彼女が強い影響を過去に与え、今もわたしを鼓舞し、永遠にわたってわたしに、影響を与えてくれることを感謝しています。彼女の霊的な子どもの一人として、わたしは「立って、彼女を幸いな人と呼びます」。(箴言31:28)
 神にのみ栄光あれ 
                            アレン・スコット
                    マリエッタ、ジョージア州
 
                   スーザン・ハント著
                   WIC委員会訳
                   =複製禁=
 
 
 
 
 
 
 
「契約の継承」(44)
第6章 神の契約にそって教育する
神の契約にそって生き、そして教える
キリスト教教育の考え
 
 多くの親たちにとって、子どもたちをどのように教育するかを決めることは、最も熱の入る決断の一つです。その決断の強烈さで、教会内の家族や、家族のグループを孤立させることがよくあります。家族は同じ選択をした人たちと群れになります。そして群れになることは、教会内の一致を脅かす可能性があります。多くの場面で教会の指導者たちは味方しているように見られたくないので、この問題に立ち入らないようにしています。その結果、人々が孤立していると感じたり、誤解されていると思ったりするので、分裂の可能性がより高くなります。
 1989年にバージニア州スプリングフィールドのハーベスター長老教会は大胆な一歩を進めました。彼らは家庭と教会と学校を統合することの重要性を認識して、両親が家庭で契約の責任を全うすることができるように、教会側が責任を担いました。校長教師を雇い、ハーベスター教育サービス(HTS)を設立しました。校長の最初の仕事はホームスクールを支援する働きを企画することでしたが、神は更に広範囲の働きに発展するために、それを触媒として用いられました。このことは、パンフレットで説明されています。
 
 
「親たちのなかにはホームスクールをする人々がいますが、どの親も家庭の教育者です!」この理解は契約の家庭と各個教会の働きにとって、ダイナミックな意味を持ちます。
 家族は神のご計画の中心です。申命記六章では、神のご計画は毎日の生活に必要な食物を与えてくれる〈心のレベルの関係〉を通し、〈世代〉を越えて成し遂げられるものであることを学びます。
 多くのクリスチャン家庭の崩壊は、教会が両親、特に父親たちに必要なものを
備えていないことを示しています。…
 両親に備えを与えるという新しい視点は、家庭の延長としての教会の再発見に火をつけました。年齢別のプログラムに代え、家庭を中心にしたことは、教会員と地域の共同体にとって、教会の働きの、活気と適切さを回復しました。
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校長のエリック・ウォーレスが、次のように書いています。
 
 わたしがホームスクールの働きを展開するにつれて、自宅で子どもを教育する親たちの必要とすることは、学問的なことではないことが明らかになりました。…彼らが実際に必要としていることは、毎日の生活に関連した基本的な問題への助けであることが分かりました。例えば、家族関係、しつけ、権威、リーダーシップ、役割分担、優先順位、相互に仕え合うこと、聖書の原則の適用などでした。
 しかし、私たちが用意した資料センター、クラス、役に立つと思われるあらゆる活動を用意したにもかかわらず、現実はやはり問題の核心に触れることができませんでした。その時、一つの発見がありました。ホームスクールをしている
家族が必要としていることは、ユニークなものではなかったことがわかったのです!関わっていたほとんどの親たちは、クリスチャンホームで育てられてはおらず、信仰が毎日の生活にどのようにあてはめられるかという理解がほとんどありませんでした。ホームスクールの効果は家族関係にとっても、広範囲に及び、それを実際に理解するためには、親たちは本や、クラスや、ビデオテープよりも、もっと多くのことが必要となります。キリスト教の概念は彼らには慣れないものであるため、家庭で用いるために充分理解して、それが生活のなかで活かされ、実現されるのを見る必要があります。実際、多くの親たちは問題を評価したり、聖書的な結論を出したりする能力などをほとんど、あるいは、まったく持っていません。…
 すべての親たちは家庭の教育をします。そのなかにはホームスクールをする親たちもいます。…純粋に契約の視点から見れば、この言い方は、教会のだれにとっても、独身、片親の家庭、子どものいない夫婦、十代の子、小さい子のいずれであろうと本当のことです…。このような言い方をすることが、分裂を生む特有の壁を排除する助けとなりました。しばしば亀裂を生む〈ホームスクーリング〉という用語はうまく中和され、一致の橋が架けられました。そしてそれは人々に、家庭で見られる相違点ではなく、類似点に注意を向ける助けとなりました。…
 家庭における教育者であるということが、どういう意味であるかを理解するために、四つの枠組みが申命記六章にあります。すなわち、神のプランは〈世代〉を越えて成し遂げられ、〈毎日〉の生活を通して育てられる〈心〉のレベルの交わり〈関係〉を通して完成されます。
 あまりにも長期間にわたって親たちは、教えるという責任を毎日何かをするものとしてだけしか考えてきませんでした。この理解は、他の三つの要素を無視しているので、近視眼的な見方です。…ホームスクールをするかしないかのいずれにせよ、両親はこのヴィジョンの重要性を理解するとき、教えること、しつけをすること、子に責任を持たせること、そして、教会だけが定められている他の必要なことをいっそうはっきりと分かるようになります。
 家庭教育のヴィジョンは、両親が子どもたちと一緒に行う計画以上のものです。それは、教会全体の弟子プランです。毎日の生活で育てられる心のレベルの交わり関係をとおして世代に仕えることは、独身者、親のない子、未亡人、離婚者、10代の子ーすべての人々のための弟子プランです。このようにして、もう一つの橋が架けられ、家庭教育の働きがどのようにしたらキリストの体全体の一致を発展させ、そしてまた最も重要なことの家族をベースにした働きを進めるのに助けとなるか、牧師たちの理解の一助となりました。
 
 HTS(ハーベスター教育サービス)が提供できるものには、次のものがあります。セミナー、指導教材、広範囲の話題に関する視聴覚テープ、雑誌とニュースレター、子ども向けの本やテープ、標準統一テストの実施、月ごとの支援グループの集会、4ヶ月に1回の10代の子を持つ親たちのランチョン、他の教会のための相談。このリソースセンタでのみ使用ができる二つの大切な宝物、それは、アメリカン・インプリンツ・コレクション、これは1639年から1800年の米国の先祖たちの著作原稿の収集、そして、もう一つはジョージ・ワシントンの著作です。
 HTSは今では、地域の、百以上の家族に向けて働きをしていて、効果的な活動をしてきています。詳しい情報の問い合わせ先は次の通りです。
 
 
                           Eric Wallace,Director,
                           Harvester,Teaching Service,
                           7800 Rolling Road,
                           Springfield, VA,22153 USA.
 
                   スーザン・ハント著
                   WIC委員会訳
                  =複製厳禁=
 
 
「契約の継承」(43)
第6章 神の契約にそって教育する
神の契約そって生き、そして教える

憶えておくべき点

 神の御言葉を教えることは神の民の心と精神にとって霊的戦いです。それは神の国の進展において、最前線の兵士であることです。それはまた、神の目的を成し遂げるために、神と共に歩むことです。敵に立ち向かう武器は祈りです。御言葉の教師はその学ぶ者の魂のためにとりなす人でなければなりません。教師はパウロのようにこう祈ります。

 〈心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。〉エペソ1:18~23 b1ba610f.jpg

 神がキリストを死者の中から復活させるために用いられたその創造的な力は、私たちの心の目や、生徒たちの心の目を開いてくださるのに必要です。そしてこのことは、まさに神が御霊を通してお与えになります。パウロが天において座につかれるお方を突然大声で誉めたたえるのも当然のことです。
 すべての支配、権威、勢力、主権を所有されているお方を誉めたたえることができるときに、どうして、私たちは自分の必要性や、重要性について無駄な話しをするのでしょうか。天の御國に入ることが許されているときに、どうして私たちは本質的でないことで時間を浪費するのでしょうか。

問い:  契約の子どもたちを教育するのは誰の責任ですか。
答え:  家庭と教会の責任です。

問い:  学ぶプロセスは何ですか。
答え:  よく祈って聖書の知識を教えます。生徒たちが理解できるよう
     に、また信頼し、服従するようにと祈ります。私たちは聖霊に
     寄りすがって忠実な心を献げます。それは、その心にはすべて
     の思惑が虜にされ、キリストに服従させられ、生徒たちの存在
     のあらゆる部分に霊的な生命と活力が行き届くためです。


契約を守る人になる

 
 1 詩篇78を読み、以下の質問に答えて、イエスを求めなさい。
● ここでは、神の性質と約束について何を教えていますか。
● ここでは、契約の仲保者であるイエスについて何を教えていますか。
● 神がどういうお方であり、イエスを通してわたしにどういうことをしてくださり、またしてくださっているのかという理由で、どんな契約の特権と責任を神はわたしに与えておられますか。

2 神があなたがたを「理屈を打ち破り、神の知識に従うあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑を虜にしてキリストに従わせ」(Ⅱコリント10・3~5)てくださるように祈りなさい。一週間、毎日これを祈り、神がお示しになられるどのような要塞も、神が理屈を打ち破られる、どの勝利も記録しておきなさい。

 3 あなたの教える人たちのために祈りなさい。彼らが公的に教える立場であろうが、私的な関係であろうが、その人たちのためにエペソ1・18~23を祈りなさい。


                   スーザン・ハント著
                   WIC委員会訳
「契約の継承」(42)
第6章 神の契約にそって教育する
神の契約にそって生き、そして教育
 
ステージ3 信頼と従順
 
 〈子らが神に信頼をおき、神のみ業を決して忘れず、その戒めを守るために、〉
 
 この段階になると、生徒たちは取得した知識に基づいて行動するようになります。神がどういうお方であり、何をなさったのかという知識に基づいているので、神への信頼は確かです。この頭と心の信頼が、従順を生み出します。賢い教師は生徒が知ることから行動することへ渡れる架け橋を架ける手助けをします。生徒の成長段階や、生活の状況に注意を喚起し、どんな真理がその段階や、状況に適用したらよいかふんだんに例示します。そしていつも真理を人生の状況に当てはめる適時を見張っています。いや、賢い教師は真理が頭の知識の域を超え、行動の変化を乗り越えなければならないことを鋭く察知しています。賢い教師は神に忠実な心を求めて祈ります。
 
 心の問題
   〈先祖のように頑な反抗の世代とならないように、 心が確かに定まらない世代、
  神に不忠実な霊の世代とならないように。〉          詩篇78・8
 
 詩篇の著者は、先祖らの得たと知識と同じものを受けることができると書いていますが、望ましい結果は、頑なで反抗的な世代であった先祖のようにはならないことであると記しています。詩篇の著者は、知識を耳にしても決定的な相違を生じないという現実に私たちを直面させます。信頼と従順を生み出すのは心の変化です。定めと掟が生徒たちを救ってくれるのではありません。心への移植が必要です。彼らは罪に陥りやすく、恵みなしには盲目的に生まれつきの傾向に従っていきます。詩篇の著者は、人々の不信仰と神の誠実さを記すことによって、このポイントの核心をついています。
 
   〈エフライムの人々は矢をつがえて弓を射る者であったが、戦いの日には、
  退却した。彼らは、神の契約を守らず、神の教えに従って歩むことを拒み、〉
  〈神の数々の御業と、神が見せてくださった多くの奇しいこととを忘れてし
  まった。神は彼らの先祖たちの前で、エジプトの地、ツォアンの野で、奇し
  い業を行われた。……〉
 〈それなのに、彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠で、いと高き方に逆らった。…〉
  〈神が彼らを殺されると、彼らは神を尋ね求め、立ち返って、神を切に求め た。彼
らは、神が自分たちの岩であり、いと高き神が自分たちを贖う方で あることを思
い出した。〉〈しかしまた彼らは、その口で神を欺き、その舌で神に偽りを言った。
彼らの心は神に誠実でなく神の契約にも忠実でなかった。〉
  〈しかし、憐れみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押
  え、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。〉〈神は、彼らが肉にすぎず、吹
き去れば返ってこない風であることを。心  に留めてくださった。〉
 〈幾たび彼らは、荒野で神に逆らい、荒れ地で神を悲しませたことか。彼ら
   は繰り返して、神を試み、イスラエルの聖なる方をいためた。
                                               詩篇78・9~41(新改訳)
 
 私たちと生徒たちはイスラエルの聖なるお方を傷つけています。私たちも彼らもどうしても恵みを必要としています。変えられた心なしに頭の知識と行動の変化に甘んじることが、キリスト教教育ではありません。キリスト教的に教育することは頭脳に穴を開けて、その人の内的な面へと深く入り込んで行くことです。そうすることで、私たちは自分自身と生徒たちを、神の恵みに委ねることになります。なぜなら、「自然の人は神の霊に属する事柄をうけいれません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解出来ないのです。霊によって、初めて判断できるからです」。(Ⅰコリント2・14)
 それは知的な機敏さの問題ではありません。聖霊のみ業がどうしても必要です。神は完全に主権的なお方です。生徒たちは、事柄を知的に理解する以上に、神のみ言葉を霊的に理解することのできる霊的な能力を持ち合わせていません。神の御霊は神の言葉をもって、その使命を成し遂げられます。
 
  そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもと
  に戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず
  果たす。                                             イザヤ55・11
 
   というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、
   精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分79f67c85.jpg
   けることができるからです。                           ヘブル4・12 
 
 ここでは私たち今、変革を与える福音の持つ力について語っています。徹底的な準備や、注意深く作られたレッスンや、人との関係に注意するといったことの重要性を軽んじているのではなく、それはどんなレッスンのプランや人間関係をも成し遂げることのできない何ものかなのです。これは聖霊の超自然的なみ業です。私たちは今、聖なる場所にいます。不思議なことに、この地上の領域を超越しています。神の御言葉を教えるときには、神の使命を果たすために、聖霊にあずかります。間違ってはいけません。この相関関係において、教師は重要ではありません。神が、私たちを必要とするのではなく、神が恵みをもって用いるために私たちをお選びになるのです。
 もし、神の民がこの現象の表面をひっかきはじめるなら、教会学校の働きにおいて、利用されている以上に、率先して教えようとする人が増えるようになるでしょう。日曜学校の校長教師はこの素晴らしい計画に参加を希望する人たちの順番待ちのリストを手にするようになるでしょう。このことがわかっている教師は、祈りの秘密の場所で多くの時を過ごすようになるでしょう。この教師は自分も自分の教え子たちも恵みを必要としているのを悟るでしょう。
 私たちは、新しい心を造って下さるのは神であることをよく理解して祈らねばなりません。「神よ、私のうちに清い心を創造し、新しく確かな霊を授けて下さい。御前から、私を退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください」(詩篇51・12~13)。
 私たちは祈らねばなりません。人々の心を神の御言葉へと向かわせて下さるのは神であることをよく理解して。「不当な利益にではなく、あなたの定めに心を傾けるようにしてください」(詩篇119・36)。
 私たちは祈らねばなりません。石の心を取り除き、肉の心を与えて下さるのは神であることをよく理解して。 「わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。 彼らがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる」(エゼキエル11・19~20)。
 さらに私たちは、これは霊的戦いであることをよく理解して祈らねばなりません。
「わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ」(Ⅱコリント10・3~5)。
 このことから、私たちは確信と憐れみが与えられます。確信が与えられる理由は、学ぶ者に罪を自覚させ、納得させるのは、自分が優れているとか、彼らが正しいとかいうことではなく、それは神の御霊によるものであることをよく理解しているからです。憐れみが与えられる理由は、わたしの心が反逆的でなく、惑わされないのは、ただ神の恵みによるものであることを良く理解しているからです。
       
                   スーザン・ハント著 
                   WIC(教会における女性の働きを考える)訳 
­ =お知らせ=
「私たち『教会における女性の働き』の会では「つのぶえジャーナル」に連載されている『契約の継承』の翻訳と学びを終えて、出版の準備中です。また、現在はやはりスーザン・ハント著書「霊的母」を翻訳し学びをしています。小さな集まりですが楽しく恵みに溢れた集会です。女性として、信徒として神様と教会にお仕えするために学びを通して励んでまいりたいと願っています。(岸上)
 
 
 
 
 
 
 
 「契約の継承」(41)
第6章 神の契約にそって教育する
     神の契約にそって生き、そして教える
 
ステージ1:定めと掟
  〈主はヤコブの中に定めを与え、イスラエルの中に教えをおき、それを子孫に示すように、私たちの先祖に命じられた……〉
 
 この過程の最初のステージでは、生徒は聖書の物語と登場人物を学び、聖句を暗誦し、聖書の「用語」を学びます。この段階では、たいていの場合、その用語を十分に理解していませんが、徐々に言葉と出来事に意味が結びついてきます。それは、教会で幼児が成長し、大人が回心する場合にあてはまります。クリスチャンになって、まだ一年にもならない人が言っているように「すべてが、私にとっては新しい事ばかりです。新しい言葉を聞いたり、今まで耳にしたこともない人物や出来事のことを聞いたり、まったく新しい生き方について聞いたりしています。まるで、外国語を学んでいるようです。少しずつ意味をなすようになりましたが、あまりにも新しいことなので、どうぞ気長にお付き合いしてください」と。また教会で成長し、成人してからクリスチャンになった若い女の人が言ったことは「わたしの教会での歩みに感謝します。私は伝道的でない教会で成長しましたが、聖書の人物や、出来事についてはよく耳にしていました。また、素晴らしい讃美歌も覚えました。教会に出席することを頑張ったのです。クリスチャンになったときには、あたかも、わたしは霊的成長の点で、すでに始動していたエンジンに連結したかのようでした。万事がよくわかるようになり、直ぐに意味がとれました」ということでした。
 「求道の人に優しく」するために、聖書の言葉や人物、出来事を避けることは、聖書の持っている真の豊かな遺産を奪ったり、恵みの成長を妨げることになります。〈義認、聖化、栄光〉というような言葉がまったくないようなダイエット療法では、神の子どもとして、私たちが継承する遺産の素晴らしさを理解することができなくなります。家族に子どもが生まれると、赤ちゃんと親しくするために、アーアーとか、ダーダーとか、バブバブのような赤ちゃん返りをしたしゃべり方はしません。私たちの言葉は変わりません。実際、赤ちゃんに覚えて欲しい言葉を意図的に使います。子どもたちがまわりの大人から聞いた言葉を使うのを耳にするのはおもしろいものです。彼らは自分の言っていることを十分に理解してはいませんが、彼らは次第に言葉と意味を結びつけていきます。
 契約の共同体は信仰の言葉を学ぶ必要があります。年齢を問わずすべての会員が、贖いの言葉と物語を知らなければなりません。その言葉と物語は契約的な視点(3章を参照)から教えられる必要があります。教会で成長した人たちでさえ、聖書の内容について、恐ろしいほど無知であることが確認されています。真理の内容を教えないで、真理の適応をするように促すことは、脆弱な従順を生みます。それは砂の上に建てられた家(マタイ7・24~27)です。賢い人は岩の上に家を建てます。賢いキリスト教教育者は、生徒たちが神の御言葉という堅い岩の上にしっかりと錨をつなぎ止められるよう時間をとります。
 
ステージ2 知ること
 〈……後の世代が興るとき、彼らもそれを知り、〉
 
 この段階では、生徒は覚えた知識に関連性を与えはじめます。人物や出来事に関する個々の集めた情報を繋ぐ糸を探りはじめます。それらを贖いの歴史の流れの中で理解します。それらは、結び合わされているために、生徒たちは一つ一つが全体にまで繋がっているのがわかるので、それぞれ個々の部分がより効果が高まります。人物と出来事は切り離されて存在しているのではありません。それらは究極のクライマックスに向かっている贖いの大ドラマの部分です。そこで、この過程を説明した後に、詩篇の著者がイスラエルの歴史のナレーションへと進んでいくのは、必然的なことです
(詩篇78・9~72)。
 
  旧約聖書の神学用語辞典では、この過程の段階を次のように説明しています。神についての知識は、アブラハムやモーセのような選ばれた個人に神がご自身を啓示されたという歴史上の出来事を理解することに由来している。これらの啓示は、他の人に教えられるべきである。「神についての知識」はまことの宗教の記述として、「主への畏れ」(イザヤ11・2、参照58・2、エレミヤ22・16)と並んであらわされる。神と正しい関係にある人は、神を告白し、神に従います。正義と公正を行い、貧しい人、乏しい人の訴えを裁くことは、神を知ることです(エレミヤ22・15~16)。他方、神を知らないところでは、呪い、欺き、人殺し、盗み、姦淫、流血がある。(ホセア4・1~2)。そうしたものは民を滅ぼします(ホセア4・6、参照イザヤ5・13)。神についての知識は、神にとって犠牲より喜ばしいものです(ホセア6・6)。メシアの時代に対する預言者の見解は、その時代は水が海を覆うように、大地は神を知る知識で満たされます(ハバクク2・14、参照イザヤ11・9)。(「旧約聖書の神学用語辞典」より)
 
契約の共同体はその歴史を知る必要があります。時代を生き抜いてきた信仰を持った男女の英雄たちの物語は、私たちが歴史の中で、その時に直面するとき、頼るべき肩を貸してくれます。ヘブライ人への手紙の記者は、私たちに「ひるま」ないよう(ヘブル10・39)にすすめ、アベル、エノク、ノア、アブラハム、その他多くのいにしえの聖徒たちの信仰(ヘブル11)に思いを馳せることによって、私たちを力強く励ましてくれます。それらの物語によって、より深く、神を知ることができます。聖書の物語や信仰をもった巡礼者として、時代を生き抜いてきた聖徒たちの物語を私たちは語り伝える必要があります。
 スコットランドへ旅行していたときに、〈若者のための選集〉というタイトルの本を見つけました。それは1世紀半ばに発行されたもので、スコットランドの自由教会の総会出版のものでした。それはスコットランド人の宗教改革者や聖徒たちの小作品集です。ジョン・ノックスが召命を受けた話、多くの優れたスコットランド人が死に際に話したこと、スコットランドにおける初期のプロテスタントが殉教した物語があります。讃美歌、詩歌の引用の言葉があります。ひるまなかった聖徒たちの話を読むと、わたしの心はますます従順へとかき立てられます。けれども、このような物語が今日の教会の歴史の中で書かれているかどうかは疑問です。20世紀末の教会について、どんな物語を21世紀末に子どもたちは読むのでしょうか。わたし自身のひ孫たちが、家族の歴史を綴る糸について聞く質問の方がもっと心を突き通します。
 
                 スーザン・ハント著
                 WIC委員会訳 
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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