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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「契約の継承」(40)
第6章 神の契約にそって教育する
       神の契約にそって生き、そして教える
過 程
   主はヤコブの中に定めを与え、イスラエルの中に教えを置き、そ
   れを子孫に示すように、わたしたちの先祖に命じられた。子らが
   生まれ、後の世代が興るとき、彼らもそれを知り、その子らに語
   り継がなければならない。子らが神に信頼をおき、神の御業を決
   して忘れず、その戒めを守るために。   
                         詩篇78・5~7
 
 この箇所は、神の民がキリスト教的に考えたり、行動したり、するよう教育するにあたって、学習する過程をすこし見せてくれます。この過程を調べる前に、これは一つの公式ではないことをまず言っておきます。私たちはみな、レシピ通りにすれば、子どもはパーフェクトになるだろうという見返りをほしがっています。この議論の大事なことは一つの公式を与えることではないのです。聖書的な目標をよく祈って求めるよりも、むしろ、その過程の最初の段階で満足してしまうことがあまりにも多すぎることを知るべきです。これは方法の問題ではなく、聖書を学ぶすべての年代の人たちが生涯を通して、神の栄光をあらわすキリスト教の包括的世界観を身につけるように助けるものです。 キリスト教教育において、目標は自己達成とか、自己実現ではありません。意図された結果は、積極的な自己の像ではないのです。詩篇78篇で示されているように、目標は、生徒が神を信頼し、神の戒めを守ることです。両親と教会は生徒たちが、その目標を目指して行動するのを助けるために、従うべき過程があります。
 この学習過程は非公式、公式のいずれであれ、教育の場面では同じです。同様に両親は「家に座っている」ときも、「道を歩く」ときも(申命記6・7)、子どもたちに神の御言葉を教え込むときも、また日曜学校の幼稚科の教師や、青年のリーダーや、昼間学校の教師や、大人の教師らが授業を教えるときも同じです。学ぶというプロセスは私たちが何か新しいことを学ぶときと基本的には同じです。
 まず最初に、教えられるべき定めと掟があります。両親と教会によって、学ぶ者たちに伝えられるべき知識があります。定めと掟は神のみ言葉です。パウロはエペソの長老たちに「誰の血についても私には責任がありません」(使徒20・26)と言いました。それから、その主張ができた理由を挙げています。「私は、神のご計画をすべて、ひるむことなく、あなた方に伝えたからです」(使徒20・27)と。
 第2に、知識が脳の中に一度存在すれば、教師はその知識が心に到達するまで、よく祈っていくようにと促すべきです。学ぶ者はどのように何を考えているか違いがでるように知識を〈知ら〉なければなりません。
  第3に、学ぶという過程は、学ぶ者が〈神に信頼をおき、戒めを守る〉までは完全ではありません。定めと掟は、「信仰と生活の規範」であるべきです。(ウエストミンスター小教理問答、ウエストミンスター信仰告白1-2)知識は学ぶ者の世界観と人生観を形成すべきであり、その人の生き方にとって権威であるべきです。
 私たちの孫たちはおしゃべりができるようになった頃から、聖書を暗記しています。孫の一人のお気に入りの聖句は、箴言3・5~6です。「心を尽くして、主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えて、あなたの道を歩け、そうすれば、主はあなたの道筋を真っ直ぐにしてくださる」。
 4才のダニエルは、この節にとても熱心ですが、〈信頼する〉とか、〈覚える〉という意味は分かっていません。けれども、8才のハンターは第1レベルの初期の段階に進みました。彼はその節について、話ができ、その意味を口頭で説明できます。イエス様が自分の罪のために死なれたことを信じるという関連で、彼はこの節を理解していますし、そして、すべての決定には、神の権威を覚える必要があることを理解し始めています。また時には、第3の段階に移ることさえあり、与えられた情況に適用しています。
 家族の大人会員たちが、何度も気づくことですが、何年間もこの節を暗誦してきているのに、その意味と適用について、私たちはいつも、さらに深く、豊かな理解に至るということです。神の御言葉を学ぶことの素晴らしさの一つは、循環していて、御言葉を一巡し、服従し、そしてまた、初めに戻ると、更に深い理解と適用へと前進することです。
 多分すでに、お気づきのことかと思いますが、この三つの段階の過程と中世の古典教育の三科(文法と論理と修辞)には類似性があります。中世の古典教育は一つの決まった公式ではありません。それは方法ではなく、考え方や生き方です。それは信仰と生活です。古典的なキリスト教育は包括的な聖書的世界観と服従の生活の展開です。
 ジョージ・グラントはその古典教育を次のように説明しています。
 
……学ぶ者たちの世代に、生涯学習の賜物を授けた。すなわち、歴史の要覧を利用する知識、偉大な古典文学の背景、ギリシャ語やラテン語の文法での理解力、芸術、音楽、思想、探求と書く技術、算術と自然科学のための世界観、当時の出来事への原理的なアプローチ、キリスト者の生活の模範の強調である。
……ごく単純に言えば、それらはアカデミックな学問と、方法論に意識して戻ることである。ー過去千年にわたって西洋キリスト教界に大きな文化的開化の導火線となったその概念ー若い男女が成長し学んでいく人生の旅路につくために、基本的な思考や、品性の能力の必要性を強調している。それは多量の困難な仕事ー価値のあるものはすべてそうであるがー知識人だけのための教育システムテムではない。どちらかといえば古典教育はすべての者が必要としている良いもの、偉大なもの、本当のものに根ざしているものと単純に断言できるものである。(ジョージ・グラント著『古典的であり契約的である』第一巻1より)
 
 この過程を吟味し、各パートを分析するとき、心に留めておくべきことがあります。これは、教会の日曜学校のプログラム、聖書クラブ、青年のグループ、家庭の聖書研究で用いられるのと同じように、昼間の教会学校にも、家庭学校にも適用できます。教会のプログラムは、昼間の教会学校にもまして、聖書的世界観と服従の生活形成のために助けとなります。
 
                     スーザン・ハント著
                     WIC委員会訳
 
 
 
 
 
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「契約の継承」(39)
 
第6章 神の契約にそって教育する
      神の契約に沿って生き、そして教える
 責 任 
   わたしの民よ、わたしの教えを聞きわたしの口の言葉に耳を傾けよ。
    わたしは口を開いて箴言をいにしえからの言い伝えを告げよう。
      わたしたちが聞いて悟ったこと先祖がわたしたちに語り伝えたことを。
      子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう。主への賛美、主の御力を
      主が成し遂げられた驚くべき御業を。
                                       詩篇78・1~4
 
 子どもたちを教えるのは誰の責任でしょうか。ほとんどの福音主義者は、すぐさまそれは家庭の頭としての父親の責任であると答えます。3章で見てきたように、それは部分的には当たっています。
 詩篇78編は契約の共同体に「私の民よ」と語りかけになっています。「後の世代に語れ」というこの命令は、共同体の関係にある一人ひとりの父親に与えられています。契約の子らを教育することは家族の問題であり、共同体の問題です。そして村、信仰という村に、子どもを育てさせ、主イエスの教会に、家庭で教えられていることを補強したり、拡充したり、手本にしたり、実践したりさせます。
 この原理の3つの意味を考えてみましょう。
 第1に、子どもを家庭で教えることや、契約の信仰の共同体にその家族を参加させることは両親の責任です。子どもたちは両親がキリストの体の一員であるという特権を祝ったり、キリストの体の世話をする責任を担っていたりするのを見ることができます。ママとパパは喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣き(ローマ12・15)、互いに親切にし、憐れみの心で接し、赦しあい(エペソ4・32)、互いに愛と善行に励むように心掛け(ヘブライ10・24)、互いのために祈り(ヤコブ5・16)、不平を言わずにもてなしあい(Ⅰペテロ4・9)、子どもたちにこれが神の民が契約の中で互いに生きる方法であることを教えます。
 第2に、教会学校の子どもたちを教える立場にある人たちは、その子どもの両親を知らずに子どもを契約的に教えることは出来ないことを理解していなければなりません。家庭と教会間のコミニュケーションと協力が必要です。賢い教師は両親の参加の仕方を考えた意図的な方法で明らかにしていきます。これは手紙により、子どもたちが何を学ぶかを両親に知らせることができます。また毎週、違った親を招いてクラスを手伝って貰ったり、子どもたちのための奉仕プロジェクトや遠足の計画を両親に尋ねてみたり、定期的に家庭訪問や電話をしたりして、両親が授業を補強できる提案をして貰います。
 チェリルは日曜学校の5歳児を担当しています。毎年8月には9月に進級してくる子どものリストを受け取ると、その両親に次のような手紙を書きます。
 
     親愛なる両親へ
       ○○ちゃんが今年、私のクラスにはいるので、今、私はわくわくして
   います。子どもに神のみ言葉を教えることは大変名誉あることであり、
   大きな責任です。誰一人として、あなたがたがご自分のお子さんを知
   り愛されているようにはできません。神があなたがたの子どもを教え
   るようにと与えてくださっているこの機会を最大限に用いるために、
   私はあなたがたの助けが必要です。
 まず、私のために祈ってください。
 次に子どもと一緒に○○日にクラスに来て下さい。そして、はじめ
の152分間一緒にいて下さい。そうすれば、あなた方のことを知るこ
とができますし、日曜学校ですることについて幾つかお知らせするこ
とができます。
 第3に、同封しました用紙に(必要事項を)記入して下さり、○○日
にお子さんと来られたとき、私に渡して下さい。
 クラスのための私の祈りは子どもたちが「私たちの主、救い主イエ
ス・キリストの恵みと、知識において成長するように」(Ⅱペテロ3・18)
ということと、私たちが「心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を
豊かに与えられ、神に秘められた計画であるキリストを悟るようになるためで
す。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています」
(コロサイ2・2~3)ということです。
どうぞ、わたしとともにお祈り下さい。
                      神に栄光があるように 
                                 チェリル 
 
  手紙に添える用紙で、チェリルは子どもの誕生日のような一般的な情報を尋ねます。また、子どもに仕えるために、知っておいた方が良いような学習上の問題点、生活のやり方や、情況があるかを尋ねます。両親には子どもに霊的な目標を設定し、良く祈っていただくように頼みます。彼らの目標を知ることが、自分の祈りと教えに焦点を合わせやすくなることを説明します。両親が参加できるような、幾つかの選択肢を与え、例えばクラフトや音楽を一緒にやって貰ったり、遠足や、奉仕の計画を立案したり、クラスに来て貰って、子どもを迎える手助けや、出席簿をつけることをしていただいたり、色々なことを考えています。
 この手紙が与える効果について、色々な実話があります。ある年、一人のお母さんが、その人は教会員であっても、その子を日曜学校に連れて来なかった人ですが、進級式の日に出てこられました。彼女はチェリルに自分が日曜学校に出席するために、早起きする努力をしなかったことを話しました。けれども、チェリルが手紙の中で、示したことを書いてくれたほど、自分の子どもを愛していてくれた人がいるのを、彼女は全く知りませんでした。「わたしの子をあなたのクラスに入れて欲しいのです」と彼女は言いました。このことは家族全体が日曜学校に積極的になって、傍観的な教会生活から主流に移ったことを意味します。
 親たちの多くは自分の子どもたちに霊的目標を毎年設定することを考えていません。彼らは子どもたちの性質が良くなり、態度が変わることをチェリルと一緒に祈るにつれて、そしてまた子供の生活の中の神の恵みを讃えるにつれ、それらの祈りが答えられるにつれて、親たちの心にはチェリルと愛の協力関係が結ばれました。非常に多くの若い両親たちが、チェリルのクラスで手伝い、子どもたちに神の御言葉を教えることに新たな情熱を見いだしたのです。彼女のクラスは多くの人が定期的に手伝いたいと申し込んでくるような訓練の場です。
 第3に、大人の教育に携わっている人たちは、意図的に生徒たちが他の年齢層のグループの人たちに橋渡しをしてくれるように助けるべきです。大人のクラスは小さな子どもや、10代の子どもたちのクラスを用います。教会員一人ひとりに子どもの一人を割り当てます。教会員は若い人のために定期的に祈り、その子を励ますような短い手紙を書きます。教会員は若い人のグループと一緒に遠足や奉仕の働きの計画を立てることができます。そして、大人たちは片親となった親を助ける交わりを深めることができます。
 契約の共同体の全体は、キリスト教教育のプログラムが共同体に契約の責任を担うように助ける道を計画するとき、豊かなものにされます。
   
                  スーザン・ハント著
                  WIC委員会訳
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本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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