2023年7月号
№193
号
通巻877号
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あなたに聖書を
「キリスト教百話」・・・1
問1 教会ってどんなところですか
答 文字からいうと、何かを「教える会」という印象を受けますね。勿論教会においては「教える」ということが無くはありません。しかし、「教える」ということに重点をおいているわけではありません。
「教会」と訳されている原語(ギリシャ語)のもともとの意味は「集会」ということです。ただその集会というのが、キリストからの「わたしのところへいらっしゃい」との呼びかけを聞いて「それではわたしも行くか」と、その招きに応じて集まった者の群れ(集団)となったのが、「キリストの集会=教会」というわけです。
勿論、その呼びかけに応じて群れに加わったものの「これは自分が期待していたものとは違っていた」というので、この群れから離れた人もいます。しかし、その反対に、「この招きこそわたしが本当に求めていたものであった」と気付いて、キリストを信じる者となったのがクリスチャンであり、この集まりが「キリスト教会」と呼ばれている集団なのです。
このことから明らかなことは、キリストの呼びかけは一人一人に対してなされると同時に、それが群れとなること、即ち教会となることが求められていることと、呼びかけ人がキリストですから、教会の主人公はキリストであるということです。また、そのことから明らかなように、教会というのは建物のことではありません。集団としての集まりの場としての建物を必要としますが、それは教会堂であって、教会そのものではありません。教会が教会らしくあるのは建物ではなく、キリストが正しく主人公として存在しておられるか否かにかかっております。
その主人公であるキリストのことは別の機会に譲りますが、前述のことから言って、教会において欠かせないことは、呼びかけの主であるキリストとの交わりであります。そのためにはキリストに聞くということと、その聞いたことに対する応答が必要であります。そのためにキリスト教会は、当初から聖書によってキリストに聞き、応答としての懺悔、感謝、賛美、献身などを共にする群れとして存続してきました。それは、具体的には、キリストの復活日を「主の日」として、この日に礼拝を行うことによって、なし続けてきました。
「礼拝」のこともまた別の機会に述べますが、要するにキリストの呼びかけを受けて、このキリストとの交わりを喜び、その喜びを共にしている者たちの群れがキリスト教会というものであり、更に、すべての人がこの喜びに与って欲しいと願っている(伝道とはこのための働きです)集団です。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
1月
6日 後藤 公子(日本キリスト改革派高蔵寺教会会員)
13日 後藤 公子(日本キリスト改革派高蔵寺教会会員)
20日 青山昭一郎(日本キリスト改革派犬山教会会員)
27日 青山昭一郎(日本キリスト改革派犬山教会会員)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
「キリスト教百話」・・・1
問1 教会ってどんなところですか
答 文字からいうと、何かを「教える会」という印象を受けますね。勿論教会においては「教える」ということが無くはありません。しかし、「教える」ということに重点をおいているわけではありません。
「教会」と訳されている原語(ギリシャ語)のもともとの意味は「集会」ということです。ただその集会というのが、キリストからの「わたしのところへいらっしゃい」との呼びかけを聞いて「それではわたしも行くか」と、その招きに応じて集まった者の群れ(集団)となったのが、「キリストの集会=教会」というわけです。
勿論、その呼びかけに応じて群れに加わったものの「これは自分が期待していたものとは違っていた」というので、この群れから離れた人もいます。しかし、その反対に、「この招きこそわたしが本当に求めていたものであった」と気付いて、キリストを信じる者となったのがクリスチャンであり、この集まりが「キリスト教会」と呼ばれている集団なのです。
その主人公であるキリストのことは別の機会に譲りますが、前述のことから言って、教会において欠かせないことは、呼びかけの主であるキリストとの交わりであります。そのためにはキリストに聞くということと、その聞いたことに対する応答が必要であります。そのためにキリスト教会は、当初から聖書によってキリストに聞き、応答としての懺悔、感謝、賛美、献身などを共にする群れとして存続してきました。それは、具体的には、キリストの復活日を「主の日」として、この日に礼拝を行うことによって、なし続けてきました。
「礼拝」のこともまた別の機会に述べますが、要するにキリストの呼びかけを受けて、このキリストとの交わりを喜び、その喜びを共にしている者たちの群れがキリスト教会というものであり、更に、すべての人がこの喜びに与って欲しいと願っている(伝道とはこのための働きです)集団です。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
1月
6日 後藤 公子(日本キリスト改革派高蔵寺教会会員)
13日 後藤 公子(日本キリスト改革派高蔵寺教会会員)
20日 青山昭一郎(日本キリスト改革派犬山教会会員)
27日 青山昭一郎(日本キリスト改革派犬山教会会員)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
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あなたに聖書を
『若人の祈り』
朝
神様、今日一日中、私の思い通りに行かない時に、いらいらしたり、ふくれたりしませんように、私の持っていないもので持っている人たちを妬んだり、嫉妬したりしませんように、私に助けを求められた時、不平を言ったり、嫌がったりしませんように、頑固になったり、機嫌を悪くしたり、礼儀に背いたりして、人の邪魔をしませんように。
今日一日中、すべての出来事を大いに利用し、全力を尽くして、私の手と指がなすべき何事も、全てすることが出来ますように、助けてください。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
夜
神様、私がすっかりお世話になり、その人たちなしではとてもこのようにはならなかった人々を、祝してください。
父と母とを祝してください。そして私が父と母とを愛し、感謝していることを自分に認めさせてください。兄弟姉妹を覚え、家族の間にどんな争いも口論もないようにしてください。友人たちを顧みてください。私が彼らに対し、彼らが私に対し、互いに真実であらせてください。
私を教え導いてくださった方々を祝福してください。そしてそれらの方々にとって、私を誉れある者としてください。私を祝福してください。今日、私が行ったり、言ったり、考えたりした、全ての過ちを許して、明日をよりよく過ごさせてください。
主イエスによって祈ります。 アーメン
ウイリアム・バークレー著
12月 ラジオ説教予定
2日 ウイリアム・モーア(日本基督教団米国南長老教会宣教師)
9日 ウイリアム・モーア(日本基督教団米国南長老教会宣教師)
16日 小野静雄 (日本キリスト改革派多治見教会牧師)
23日 小野静雄 (日本キリスト改革派多治見教会牧師)
30日 相馬伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
『若人の祈り』
朝
神様、今日一日中、私の思い通りに行かない時に、いらいらしたり、ふくれたりしませんように、私の持っていないもので持っている人たちを妬んだり、嫉妬したりしませんように、私に助けを求められた時、不平を言ったり、嫌がったりしませんように、頑固になったり、機嫌を悪くしたり、礼儀に背いたりして、人の邪魔をしませんように。
今日一日中、すべての出来事を大いに利用し、全力を尽くして、私の手と指がなすべき何事も、全てすることが出来ますように、助けてください。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
夜
神様、私がすっかりお世話になり、その人たちなしではとてもこのようにはならなかった人々を、祝してください。
父と母とを祝してください。そして私が父と母とを愛し、感謝していることを自分に認めさせてください。兄弟姉妹を覚え、家族の間にどんな争いも口論もないようにしてください。友人たちを顧みてください。私が彼らに対し、彼らが私に対し、互いに真実であらせてください。
私を教え導いてくださった方々を祝福してください。そしてそれらの方々にとって、私を誉れある者としてください。私を祝福してください。今日、私が行ったり、言ったり、考えたりした、全ての過ちを許して、明日をよりよく過ごさせてください。
主イエスによって祈ります。 アーメン
ウイリアム・バークレー著
2日 ウイリアム・モーア(日本基督教団米国南長老教会宣教師)
9日 ウイリアム・モーア(日本基督教団米国南長老教会宣教師)
16日 小野静雄 (日本キリスト改革派多治見教会牧師)
23日 小野静雄 (日本キリスト改革派多治見教会牧師)
30日 相馬伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
ことわざに、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言うのがあります。それは、窮地に陥った場合、自分の命は捨てたつもりになって思い切ってやれば、予想外の活路が開けると言うこと、言い換えれば、物事は、わが身を犠牲にする覚悟があってこそ成功するのであるということを言っているのであります。似たような言葉に「清水の舞台から飛び降りる」というのがあります。これは、死んだつもりになって決断することを言うのでありまして、非常な決意でもって思い切って物事を実行することのたとえとして使われています。
ただし、これには「浮かぶ瀬もあれ」と言う言葉に含まれているような、ある程度の見通しや期待があるわけではありませんから、成功の確率は100%か0%かのどちらかでありまして、一種の賭けであります。
こういうことわざとの比較で言いますと、キリストは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」と言われています。
ここでも「自分を捨てる」ことが勧められていますが、この「自分を捨てる」ということがなかなか出来ません。それは、自分という者が、自分を支えている一番確かな拠り所となっているからです。
一方、その自分が危なくなった場合には「溺れる者は藁をも掴む」と言われていますが、掴むものが「藁」では命の保障はできません。それと比較して言いますと、キリストは、キリストに従う者には、確実に、キリストに従う者に与えられる命が約束されているのだから、自分を捨てなさい、と勧められているのであります。
「自分を捨てる」ということも、自分を自分で生かすよりも確かに遥かに自分を生かすものがあるのだから、自分を命の拠り所としているのではなく、また自分にしがみついていないで、自分の計らいを捨ててわたしに従いなさい、というのが、キリストの勧めでありまして、この勧めに従うことがあなたを本当に生かす道であると言うのが聖書の語っていることであります。
(参照聖句・マタイ16:25)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
11月 ラジオ説教予定
4日 小野 経男 (岐阜済美学院 学院長)
11日 笠井 恵二 (岐阜済美学院 宗教総主事)
18日 志村 真 (中部学院大学短期大学部 宗教主事)
25日 西島麻里子 (済美高等学校 宗教主事)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
あなたに聖書を
キリストが言われた言葉に「求めなさい。そうすれば、与えられる。」というのがあります。こういう言葉をどのように受け止めるか、人、様々であろうと思いますが、キリストは、こういうことを言われたあとで、どうしてそういうことが言えるか、ということについての説明がされています。
それは「自分の子どもがパンを欲しがっているのに石を与える親はいないし、魚を欲しがる子どもに蛇を与える親はいない」、ということです。確かにその通りでありまして、生きて行くのに必要なものを子どもが求めているのに、それを与えない親はいません。それどころか、子どもが欲しがる前に、子どもの成長段階において必要な物を用意しているのが親であります。こういう事実に即して言えば「求める者に与える」という言葉は成り立ちます。
しかし、子どもだけでなく、大人も含めて、わたしたちが生きていくのに本当に求めなければならないものは何か、ということは、改めて考えてよろしいのではないかと思います。それは、キリストが「人はパンだけで生きる者ではない」と言っておられることでもあります。パン、つまり食べ物は人間が生存を保つためには欠かせないものではあります。しかし、パンだけあれば、人間として生きるのに十分であるか、というと、そうとは言い切れなくて、様々な考え方があると思います。
そういう中で、キリストは、キリストの「天の父である神様は、求める者にはよいものを下さるに違いない」と言われ、だから、「求めなさい」と勧めておられます。
キリストが、神様が下さるに違いないと言われた「良い物」とは何か、ということですが、キリストは「人は、神の口からでる一つ一つの言葉によって生きる」と言われています。「あの一言がわたしを活かした」ということがあるではありませんか。そういうことから言って、自分の思いを越えて、自分のために最も良い物が何であるかを知っており、求めに応じてそれを下さる神がおられるということを、聖書から読み取っていただきたいと願っております。
(参照聖句・マタイ7:7)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
10月
7日 田口博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
14日 田口博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
21日 大住 元 (日本基督教団豊山教会牧師)
28日 大住 元 (日本基督教団豊山教会牧師)
キリストが言われた言葉に「求めなさい。そうすれば、与えられる。」というのがあります。こういう言葉をどのように受け止めるか、人、様々であろうと思いますが、キリストは、こういうことを言われたあとで、どうしてそういうことが言えるか、ということについての説明がされています。
それは「自分の子どもがパンを欲しがっているのに石を与える親はいないし、魚を欲しがる子どもに蛇を与える親はいない」、ということです。確かにその通りでありまして、生きて行くのに必要なものを子どもが求めているのに、それを与えない親はいません。それどころか、子どもが欲しがる前に、子どもの成長段階において必要な物を用意しているのが親であります。こういう事実に即して言えば「求める者に与える」という言葉は成り立ちます。
しかし、子どもだけでなく、大人も含めて、わたしたちが生きていくのに本当に求めなければならないものは何か、ということは、改めて考えてよろしいのではないかと思います。それは、キリストが「人はパンだけで生きる者ではない」と言っておられることでもあります。パン、つまり食べ物は人間が生存を保つためには欠かせないものではあります。しかし、パンだけあれば、人間として生きるのに十分であるか、というと、そうとは言い切れなくて、様々な考え方があると思います。
キリストが、神様が下さるに違いないと言われた「良い物」とは何か、ということですが、キリストは「人は、神の口からでる一つ一つの言葉によって生きる」と言われています。「あの一言がわたしを活かした」ということがあるではありませんか。そういうことから言って、自分の思いを越えて、自分のために最も良い物が何であるかを知っており、求めに応じてそれを下さる神がおられるということを、聖書から読み取っていただきたいと願っております。
(参照聖句・マタイ7:7)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
10月
7日 田口博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
14日 田口博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
21日 大住 元 (日本基督教団豊山教会牧師)
28日 大住 元 (日本基督教団豊山教会牧師)
あなたに聖書を
=詩篇146:5=
わたしたちは、みな、明日に希望を繋いでいます。そういうことを考えるゆとりがなく、今日生きるのが精一杯と言う状況の中にあっても、今日の営みがよい明日へと繋がることを願っています。ですから、それとは反対に、明日がどうなるか不安である場合は、その不安が、明日を精一杯生きる力を失わせてしまいます。
さらに、もし、明日への期待が全く失われるとなったら、明日を生きる力は、出てきようがありません。「頑張って」と言われようと、自分でそう言い聞かせようと、何の力にもなりません。虚しいだけです。
そこで、考えさせられることの一つは、わたしたちが明日に繋がっている希望とは何か、ということであります。それは、人様々でありまして、具体的に「全ての人の希望はこれです」と言うわけにはいきません。が、反対に「全ての人が抱いている希望は断ち切られています」と言うことは、確実なこととして言うことができます。それは、言い換えると、全ての人にとって、「明日がなくなる」ことは確かであるからです。
つまり、「全ての人は死ぬ」ということです。「死ぬ」ということは「明日を失う」ことであります。明日がなければ、明日に希望を繋ぐなどということは成り立ちません。「絶望」、これがわたしたちのこの世における人生の結論ではないでしょうか。
ところが、旧約聖書の中の詩篇146編5節と言う箇所には、「その望みを自分の神、主におく人はさいわいである」という言葉が記されています。これを書いた人は、望みを、自分の側におかないで、神の側に繋ぐ人を、「幸いな人」、つまり「希望に生きている人」ということが出来た人であります。
そこで、問題は、「自分の神、主」と信じて、自分の側にではなく、その神に希望を託すことが出来るような、自分の神が存在するかどうかと言うことにあります。聖書は、イエス・キリストによって、神が、あなたの神として生きておられる方であることを伝えている書物であります。
あなたも、聖書によってゆるぎない希望を抱かれるようにと願っています。
(参照聖句・詩篇146:5)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
9月
2日 大塚喜久蔵 (日本キリスト改革派中津川教会牧師)
9日 大塚喜久蔵 (日本キリスト改革派中津川教会牧師)
16日 草野 誠 (日本キリスト改革派恵那教会牧師)
23日 草野 誠 (日本キリスト改革派恵那教会牧師)
30日 長谷川 潤 (日本キリスト改革派四日市教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
=詩篇146:5=
わたしたちは、みな、明日に希望を繋いでいます。そういうことを考えるゆとりがなく、今日生きるのが精一杯と言う状況の中にあっても、今日の営みがよい明日へと繋がることを願っています。ですから、それとは反対に、明日がどうなるか不安である場合は、その不安が、明日を精一杯生きる力を失わせてしまいます。
さらに、もし、明日への期待が全く失われるとなったら、明日を生きる力は、出てきようがありません。「頑張って」と言われようと、自分でそう言い聞かせようと、何の力にもなりません。虚しいだけです。
そこで、考えさせられることの一つは、わたしたちが明日に繋がっている希望とは何か、ということであります。それは、人様々でありまして、具体的に「全ての人の希望はこれです」と言うわけにはいきません。が、反対に「全ての人が抱いている希望は断ち切られています」と言うことは、確実なこととして言うことができます。それは、言い換えると、全ての人にとって、「明日がなくなる」ことは確かであるからです。
つまり、「全ての人は死ぬ」ということです。「死ぬ」ということは「明日を失う」ことであります。明日がなければ、明日に希望を繋ぐなどということは成り立ちません。「絶望」、これがわたしたちのこの世における人生の結論ではないでしょうか。
ところが、旧約聖書の中の詩篇146編5節と言う箇所には、「その望みを自分の神、主におく人はさいわいである」という言葉が記されています。これを書いた人は、望みを、自分の側におかないで、神の側に繋ぐ人を、「幸いな人」、つまり「希望に生きている人」ということが出来た人であります。
そこで、問題は、「自分の神、主」と信じて、自分の側にではなく、その神に希望を託すことが出来るような、自分の神が存在するかどうかと言うことにあります。聖書は、イエス・キリストによって、神が、あなたの神として生きておられる方であることを伝えている書物であります。
あなたも、聖書によってゆるぎない希望を抱かれるようにと願っています。
(参照聖句・詩篇146:5)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
9月
2日 大塚喜久蔵 (日本キリスト改革派中津川教会牧師)
9日 大塚喜久蔵 (日本キリスト改革派中津川教会牧師)
16日 草野 誠 (日本キリスト改革派恵那教会牧師)
23日 草野 誠 (日本キリスト改革派恵那教会牧師)
30日 長谷川 潤 (日本キリスト改革派四日市教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
ローマ8:28
わたしたちは、それぞれが「自分らしく生きたい」と願っています。それは「自分は自分でありたい」ということであり、また「自分の可能性を十分に生かしたい」ということでもあります。
しかし、そうは思うものの、そういう自分が何者であるかは、自分でもよく分かっていませんから、「自分探し」の旅に出る人がいます。それは、その旅の中で、今まで知らなかった人や場所に触れることによって、自分について考える視野が広く、また深くされることとして、意義あることと言えます。
また、自分では気がつかなくても、つまり自分には隠されていた才能などを見出して、それを用いてくれる人が現れることがあります。そうなると「ああ、自分にはこういうことで用いられることがあるのだ」と嬉しくなって、思っていなかった仕方で、その才能を伸ばすことがあります。そのようにして、新しく、自分を発見することがあります。
要するに自分とは違ったものに触れることがなければ、それまでの自分とはそう変わらない自分のままで終わってしまうことだろうと、いうことです。そういうことから言って、では、誰に、また何に出会うことが望ましいか、ということが、これからの自分を生かすため、重要な課題となってきます。
その答えは様々にあることと思いますが、聖書は、イエス・キリストを知り、更には、「わたしに従ってきなさい」とのキリストの招きに従うなら、その中で、今までとは全く違った新しい自分を、しかも揺らぐことなく、後になればなるほど良くなる自分を、神様との関係において見出すことができることを伝えています。
パウロは、そのことを「神に召された者たちには、万事が益となるように共に働く」と言っています。そういうわけで、あなたも聖書を読まれることをお勧めし、その中でキリストからの呼びかけを聞くことが出来るようにと願っています。
篠田 潔
(参照聖句・マタイ7:13~14)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
7月
1日 楠本茂貴 (名古屋高等学校・中学校聖書科主任)
8日 大藪博康 (名古屋高等学校・中学校宗教部長)
15日 福井 智 (名古屋学院大学キリスト教センター主事)
22日 大宮有博 (名古屋学院大学経済学部准教授)
29日 葛井義憲 (名古屋学院大学宗教部長・人間健康学部長)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
「狭い門」と言う言葉をご存知のことと思います。その場合は、大抵、そこへ皆が入ろうとするために競争率が高くなっている学校や会社のことを、「あそこは狭い門だ」と言っています。
この「狭い門」と言うのは、もともと、キリストが「狭い門から入りなさい」と言われた言葉でありまして、そうだとすると、例えば、修道院に入って生涯修道に勤めることの困難さを言う言葉のように受け止められます。
しかし、そのいずれの場合にも、「ここが狭い門」だということは、誰もが知っていることです。ところが、キリストは、この「狭い門」については「それを見出すものは少ない」と言われています。門の狭い広いは、そこを通って入ろうとする人数との関係で決まるわけですから、よく分かるはずなのですが、キリストは「それを見出す者は少ない」と言われました。それは、その門が「命に通じる門」のことであるからであります。
考えて見ますと、わたしたちが歩いている道は、やがて死に至る道です。終着駅は「死」と言う名前の駅です。これに対して、キリストは「狭い門から入る細い道ではあるが、その道は死んで滅びに至る道ではなく、命に通じる道であるから、この狭い門から入って、死ではなく、命を得るようにしなさい」と勧められているのであります。
死ぬということは、死を受け取ることでありまして、命はそこで終わりです。これに対して、命に通じる道を歩むということは、死ぬことも命につながる、と言うことであります。これは、キリストが死んで、復活されたことを受けてのことであります。死んでも死なない道がある、と言うことです。
このことに関して、キリストは、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われています。自分を頼りにしている者には、このキリストを信じて従うことは、狭い門を通るように困難なことでありますが、まことの命と言うべきものを得るには、この狭い門から入ることが勧められているのであります。
篠田 潔
(参照聖句・マタイ7:13~14)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
6月
3日 沖崎 学 (金城学院高等学校宗教主事)
10日 沖崎 学 (金城学院高等学校宗教主事)
17日 後藤田典子(金城学院中学校宗教主事)
24日 後藤田典子(金城学院中学校宗教主事)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
前にもお話ししたことですが、「自分探し」というので、今、主として若者が、今まで知らなかったいろんな所へ出かけて行き、また今まで知らなかったいろんな人と出会う中で、自分というものを知ろうとしています。それはそれなりの効果があって、無駄には終わらないでしょうが、どこまで捉えられたら自分探しが出来たことになるか、決め手はありません。
ところが、この「自分探し」ということは、現在の若者に限らず、昔から全ての人が求めてきたことでありまして、ソクラテスが「汝自身を知れ」と言った言葉によって代表される永遠の課題であります。それは、何によって、また、どうすれば自分というものを捉えることが出来るかについては、人間の側で「これです」と決定的なことは言えないからであります。
そういうことを踏まえた上で、聖書の中から示される一つのことを言いますと、イエス・キリストの弟子のペテロが、イエスに向って「あなたは生ける神の子キリストです」と言ったということが書いてあります。これは、イエスという人物を、生きている神の子であり、キリスト、すなわち救い主と見た、また信じたという告白であります。が、同時に、これは、自分という者を、神の子の前に立っている自分として、また救い主の前にある自分として知らされたということであります。
こういう自分についての理解は、それ以前のペテロにはありませんでした。それまでのペテロにあったものは、この世の中の人間関係の中での自分と救い主との関係など全くなかった自分でありました。
ところが、イエスとの出会いによって、ペテロは、自分が神の子との関係にある自分であることと、同時にその自分は、救い主に出合うことが出来た自分であることを知らされたのでした。「目から鱗」と言えるような、新しいペテロの誕生でした。そういう意味で、聖書は「自分探し」についての、全く新しい方向を示してくれるイエス・キリストを紹介する書物でありますから、あなたも聖書によって自分を新しく捉えていただきたいと願っています。
篠田 潔
(参照聖句・マタイ16:13~20)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
5月
6日 中根汎信 (日本キリスト改革派那加教会牧師)
13日 中根汎信 (日本キリスト改革派那加教会牧師)
20日 辻 幸宏 (日本キリスト改革派大垣教会牧師)
27日 辻 幸宏 (日本キリスト改革派大垣教会牧師)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
あなたに聖書を
これを受けて、キリストは、「あなたがたは『目には目を、歯には歯を』ということを聞いているが、悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい」と言われました。マタイによる福音書5章にある言葉です。
ある集会で、何人かの人たちと、このキリストの言葉について話し合った時、共通して出された感想は、「そんなことはとても出来そうでなくて、一つぶん殴られたら、二つ三つすぐぶん殴り返すのではないか。もし一つ殴られても平気でいたら『この野郎』と言っていくらでも殴ってくることになりはしないか」ということでありました。
皆ブッシュ前大統領と同じように「やっつけられたら、やりかえす」考えでいるなあと思ったことであります。かく言うわたしは、老人で力がありませんから、わけもなくぶん殴られたら「何をするんだ」と叫ぶか、逃げるだけの足の速さを持っていませんから、精々持っている杖で相手の急所を打つぐらいのことはするか、と思ったりしています。
しかし、キリストは、十字架に付けられて殺される時に、「神様、彼らを赦してやってください」と祈られました。こういう人ですから「右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい」と言うことが出来たのですね。こういうことが言えて、その通りに生きた人がいることが、そうでない人間の中にあっての救いとなっているのではないか、ということと、それに照らしての自分のあり方が問われています。聖書からは、そういうキリストのことが示されています。
篠田 潔
(参照聖句・マタイ5:38~39)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
4月
1日 小林 光 (日本基督教団熱田教会牧師)
8日 小林 光 (日本基督教団熱田教会牧師)
15日 小林 光 (日本基督教団熱田教会牧師)
22日 田口博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
29日 田口博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
あなたに聖書を
わたしたちは、それぞれが「どう生きたらよいか」という問題を抱えています。それは、「揺るぎない人生を送るにはどうしたらよいのか」ということであります。
聖書の中には、ある金持ちの一人が、キリストに「先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいのでしょうか」と尋ねたという話が載っています。この人は、財産がいくらあっても、それだけでは本当に自分を支えることにはならない、と思い、「永遠の命を受け継ぎたい」と願った人でした。
「永遠の命」という言葉は、普段わたしたちが使わない言葉で、お互いに共通した理解をしているわけではありません。私なりに言いますと、これはさっき言いましたように「どういう時代にあっても、揺るがない確かな生き方をさせるもの」と言ってもよろしいのではないかと思います。
そういうことを言いますのは、例えば、わたしなど太平洋戦争時代に生きていた世代の者は、軍歌で「天皇陛下のためならば、何の命が惜しかろう」と歌いました。それが戦争に出かける支えとなったのでした。教育の力というものの凄さを思わされますが、その力は今では失われてしまっています。そのことはわたしたちの国に限ったことではありません。歴史を振り返って考えますと、何か一つの主義や制度に固執して、ほかのものを締め出している頑なさが人間や集団の問題ではないかと思わされるのであります。
キリストは、さっきの金持ちに対して、「あなたが持っている物を売り払い、貧しい人に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい」と言われました。これは、「あなたが、今の自分のままで、その上に確かなものを得ようとしてもそれは無理です。そういうあなたを解放して、あなた自身に対して自由になりなさい」という勧めではないかと思います。そして、それは、キリストに従って生きることであり、そこから新しい世界が展開する、ということを、聖書は語っているのであります。
篠田 潔
(参照聖句・マタイ10:17~22)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
2月
5日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
12日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
19日 金 承哲 (金城学院大学宗教主事)
26日 金 承哲 (金城学院大学宗教主事)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
わたしたちは、それぞれが「どう生きたらよいか」という問題を抱えています。それは、「揺るぎない人生を送るにはどうしたらよいのか」ということであります。
聖書の中には、ある金持ちの一人が、キリストに「先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいのでしょうか」と尋ねたという話が載っています。この人は、財産がいくらあっても、それだけでは本当に自分を支えることにはならない、と思い、「永遠の命を受け継ぎたい」と願った人でした。
「永遠の命」という言葉は、普段わたしたちが使わない言葉で、お互いに共通した理解をしているわけではありません。私なりに言いますと、これはさっき言いましたように「どういう時代にあっても、揺るがない確かな生き方をさせるもの」と言ってもよろしいのではないかと思います。
そういうことを言いますのは、例えば、わたしなど太平洋戦争時代に生きていた世代の者は、軍歌で「天皇陛下のためならば、何の命が惜しかろう」と歌いました。それが戦争に出かける支えとなったのでした。教育の力というものの凄さを思わされますが、その力は今では失われてしまっています。そのことはわたしたちの国に限ったことではありません。歴史を振り返って考えますと、何か一つの主義や制度に固執して、ほかのものを締め出している頑なさが人間や集団の問題ではないかと思わされるのであります。
キリストは、さっきの金持ちに対して、「あなたが持っている物を売り払い、貧しい人に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい」と言われました。これは、「あなたが、今の自分のままで、その上に確かなものを得ようとしてもそれは無理です。そういうあなたを解放して、あなた自身に対して自由になりなさい」という勧めではないかと思います。そして、それは、キリストに従って生きることであり、そこから新しい世界が展開する、ということを、聖書は語っているのであります。
篠田 潔
(参照聖句・マタイ10:17~22)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
2月
5日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
12日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
19日 金 承哲 (金城学院大学宗教主事)
26日 金 承哲 (金城学院大学宗教主事)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
あなたに聖書を
わたしたちは時間の中に生きています。時の流れの中にある、と言ってもよろしいでしょう。昨日までと、今日と、そして明日に向って生きている、ということです。その中で、昨日までのことはもう一度取り戻してやり直すことは出来ません。出来るのは今日のことです。ところが昨日までのことが引っかかっていて、それが何時までも気にかかって、今日を力一杯生きることが出来ない場合があります。いわゆるトラウマと言うやつがあります。また暗い過去を背負っているというような場合もそうです。
一方、それとは逆に、明日のことが心配になって、今日のことに集中出来ないこともあります。仕事やお金が無くなって、明日の生活の目途が立ちそうに無い、と言う場合もそうでしょう。特に病気で癌末期というような場合には、明日が無くなることが予想されます。それは自分が亡くなることです。亡くなる自分が予想されるところで、明日を生きる計画など立てようがありません。不安と絶望に飲み込まれてしまいます。
そして、このことは、今、元気に生きている人にとっても同じです。必ず死に直面するのです。明日がなくなる、と言う事実に直面するのですね。平気ではおれません。今日を生きる元気などなくなって、ただ、「どうしようか」と思い悩むのではないでしょうか。
問題は、取り替えることが出来ない過去と、確実にあるとは言えない明日を踏まえての今、今日という時をどう生きたらよいか、また生きられるか、ということにあると思いますがどうでしょうか。これはすべての人が抱えている問題でありますが、はっきりしていることは、こういうことについていくら思い悩んでもことは解決しない、ということであります。
この点について、キリストは「明日のことまで思い悩むな。明日このとは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」言っています。からっとしています。マタイ福音書6章にあります。
聖書はこのように言えるものを提供してくれる書物であります。
篠田 潔
(参照聖句・マタイ6:34)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
1月
1日 戸田安士 (日本基督教団半田教会会員)
8日 戸田安士 (日本基督教団半田教会会員)
15日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
22日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
29日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
わたしたちは時間の中に生きています。時の流れの中にある、と言ってもよろしいでしょう。昨日までと、今日と、そして明日に向って生きている、ということです。その中で、昨日までのことはもう一度取り戻してやり直すことは出来ません。出来るのは今日のことです。ところが昨日までのことが引っかかっていて、それが何時までも気にかかって、今日を力一杯生きることが出来ない場合があります。いわゆるトラウマと言うやつがあります。また暗い過去を背負っているというような場合もそうです。
一方、それとは逆に、明日のことが心配になって、今日のことに集中出来ないこともあります。仕事やお金が無くなって、明日の生活の目途が立ちそうに無い、と言う場合もそうでしょう。特に病気で癌末期というような場合には、明日が無くなることが予想されます。それは自分が亡くなることです。亡くなる自分が予想されるところで、明日を生きる計画など立てようがありません。不安と絶望に飲み込まれてしまいます。
そして、このことは、今、元気に生きている人にとっても同じです。必ず死に直面するのです。明日がなくなる、と言う事実に直面するのですね。平気ではおれません。今日を生きる元気などなくなって、ただ、「どうしようか」と思い悩むのではないでしょうか。
問題は、取り替えることが出来ない過去と、確実にあるとは言えない明日を踏まえての今、今日という時をどう生きたらよいか、また生きられるか、ということにあると思いますがどうでしょうか。これはすべての人が抱えている問題でありますが、はっきりしていることは、こういうことについていくら思い悩んでもことは解決しない、ということであります。
この点について、キリストは「明日のことまで思い悩むな。明日このとは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」言っています。からっとしています。マタイ福音書6章にあります。
聖書はこのように言えるものを提供してくれる書物であります。
篠田 潔
(参照聖句・マタイ6:34)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
1月
1日 戸田安士 (日本基督教団半田教会会員)
8日 戸田安士 (日本基督教団半田教会会員)
15日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
22日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
29日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
あなたに聖書を
聖書には、キリストの誕生は、家畜小屋でなされた、と記されています。泊まるところがなかったからでした。暗くて、家畜の臭いもしたことでしょう。出産の用意など全くないところでしたから、最低の出産状況でした。
人は皆眠っていて静かな夜の暗さの中で、この誕生を祝う人はいませんでしたが、ルカによる福音書によれば、この時、天には神の栄光が輝いて、数知れない天使と天の軍勢が現われ、神を讃美した、といいます。キリストの第1回の誕生祝は、このように天の側で、つまり神様の側で盛大になされました。
子供が生まれる時、先ず大喜びするのは親であります。また、その親の身内の者や親と親しい人たちであります。どういうことかと言いますと、キリストの誕生が天の側で大喜びとなったと言うことは、キリストの親は天の神様であり、その神様の喜びは、神様と共にいたもろもろの天使たちの喜びであったからであります。そのことは、キリストが祈る時には、いつも天に向って「父よ」と呼びかけたことによって明らかにされていることであります。
地上で、人間によってクリスマスが祝われるようになったのは、天で行なわれた第1回のクリスマスからおおよそ400年経った、ローマでのことでした。そして、2000年余経った今では世界の各地でクリスマスが祝われています。しかも、そこで大切なことは、キリストを信じる者が、祈る時に「天にまします我ら父よ」と呼びかけていることであります。
最初、地上から天に向って「父よ」と呼びかけることが出来たのは一人キリストだけでした。しかし、今や何億人と言う多くの人が「天の父よ」と呼びかけています。それは、「キリストの天の父と呼ばれた神様」と「地上にいるわたしたち」の間に、妨げるものがない道が開かれているからです。
その事始めがキリストの誕生ですから、神様の喜びを、わたしたちも喜び祝うのであります。聖書によって、このクリスマスの喜びがあなたのものでもあるようにと願っています。
篠田 潔
(参照聖句・ルカ2:8~21)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
12月
4日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
11日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
18日 井ノ川勝 (日本基督教団山田教会牧師)
25日 井ノ川勝 (日本基督教団山田教会牧師)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
聖書には、キリストの誕生は、家畜小屋でなされた、と記されています。泊まるところがなかったからでした。暗くて、家畜の臭いもしたことでしょう。出産の用意など全くないところでしたから、最低の出産状況でした。
人は皆眠っていて静かな夜の暗さの中で、この誕生を祝う人はいませんでしたが、ルカによる福音書によれば、この時、天には神の栄光が輝いて、数知れない天使と天の軍勢が現われ、神を讃美した、といいます。キリストの第1回の誕生祝は、このように天の側で、つまり神様の側で盛大になされました。
子供が生まれる時、先ず大喜びするのは親であります。また、その親の身内の者や親と親しい人たちであります。どういうことかと言いますと、キリストの誕生が天の側で大喜びとなったと言うことは、キリストの親は天の神様であり、その神様の喜びは、神様と共にいたもろもろの天使たちの喜びであったからであります。そのことは、キリストが祈る時には、いつも天に向って「父よ」と呼びかけたことによって明らかにされていることであります。
地上で、人間によってクリスマスが祝われるようになったのは、天で行なわれた第1回のクリスマスからおおよそ400年経った、ローマでのことでした。そして、2000年余経った今では世界の各地でクリスマスが祝われています。しかも、そこで大切なことは、キリストを信じる者が、祈る時に「天にまします我ら父よ」と呼びかけていることであります。
最初、地上から天に向って「父よ」と呼びかけることが出来たのは一人キリストだけでした。しかし、今や何億人と言う多くの人が「天の父よ」と呼びかけています。それは、「キリストの天の父と呼ばれた神様」と「地上にいるわたしたち」の間に、妨げるものがない道が開かれているからです。
その事始めがキリストの誕生ですから、神様の喜びを、わたしたちも喜び祝うのであります。聖書によって、このクリスマスの喜びがあなたのものでもあるようにと願っています。
篠田 潔
(参照聖句・ルカ2:8~21)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
4日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
11日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
18日 井ノ川勝 (日本基督教団山田教会牧師)
25日 井ノ川勝 (日本基督教団山田教会牧師)
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〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円