忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

   あなたに聖書を
 
 「コンプレックス」という言葉は、こんにち、わたしたちの間では、「劣等感」と言い表す言葉として使われています。これは、自分以外の人が持っている様々なものを意識することから、それとの比較対照をして、それが優れているか劣っているかなどの価値判断をすることによって起こってくる心の動きであります。その結果、優越感を覚えることもある反面、劣等感にさいなまれることもあるわけですが、特に劣等感をどう克服するかが課題であります。
 
 パウロという人は、若い頃から、自分に自信を持っていた人でした。ところが、「肉体に一つのとげ」を持っていた、と言います。それは体のどこかに、何らかの障害があったということです。パウロが書いた手紙の中には、それが「人から蔑まれる」ことにもなるようなことであったと書いてありますから、このことにパウロのコンプレックスがあったように思われます。
 
 そこで、パウロは「この肉体のとげを取り除いてください」と神に祈ったといいます。それは、彼が神様から与えられている自分の使命としての伝道の働きが、妨げられることがないために必要なことであると思ったからでした。
 ところが、神から得た答えは「私の恵みは、あなたに対して十分である。わたしの力はあなたの弱いところにこそ働くのだ」ということでした。こういうことが分ったことによって、彼は「わたしは弱さを誇ろう」という人になりました。もし、パウロに肉体に一つのとげがなかったならば、彼の働きは、パウロ自身の働きとして高い評価を受けたことでしょう。しかし、パウロの「肉体にとげがあった」から、それによって、パウロを超えて働く神の恵みや力を受けることができた、というのです。
 
 とすれば、自分の価値判断をもって全てとすることないし、劣等感にこだわったままでいることもない、ということになります。むしろ弱さの中にこそ、そこに神が働いて、神の力が発揮される、というのであります。こういう、いわば神様と子の関係における秘訣とも言うべきものを、聖書を通して学び取っていただきたいと願っています。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・Ⅱコリント12:1~10)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
 
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)s-PA030131.jpg
 
11月
 6日  小野経男  (岐阜済美学院 学院長)
13日  笠井恵二  (岐阜済美学院 宗教総主事))
    20日  志村 真  (中部学院大学短期大学部 宗教主事)
    27日  西島麻里子 (済美高等学校 宗教主事)
    CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
 
PR
   あなたに聖書をs-2011091112530000.jpg
 
 キリストの弟子になった人たちの中には、ガリラヤ湖という湖での漁師だった人たちがいました。ある日、彼らが夜通し漁をしても、一匹も取れなかった時に、その漁師の一人ペテロにキリストが声をかけられました。それは「船を漕ぎ出して網を降ろして漁をしなさい」という指示でした。
 
 この時、ペテロは、一晩中働いても獲物がなかったのですから、「今日はこれで終りだ」と思って、船から上がって、網を洗っていたのでした。そういうペテロに「もう一度漁をしなさい」と言われたのは、漁の素人である人から、しかも陽が昇ってから「船を漕ぎ出せ」と言われたのですから、普通なら彼らは「そんなことをしたって無駄なことです」と言いたいところでした。
 
 しかし、キリストの言葉には、何か逆らうことが出来ない力が感じられました。それで、網を降ろして漁をしたところ、なんと、網が破れそうになるくらい魚が取れました。この時、ペテロは、キリストの足もとにひれ伏して「主よ、わたしから離れてください。罪深いものなのです」と言いました。
 
 ということは、ペテロが自分の考えや判断でもう一度網を降ろしたのであれば、大漁と言う結果に大喜びしたことでしょう。しかし、今回は、自分の考えではなく、キリストから声をかけられたことでした。しかも、その結果に期待と確信を持ってしたがったのではありませんでした。そこで気付いたことは、「このキリストという方はどういう方だろう」という驚きと、この方を信じて網を降ろしたのではない自分であったことについての申し訳なさでした。
 
 この話は、ルカ福音書5章に記されているいわゆる奇跡物語の一つでありますが、ここで言えることは、キリストの語りかけに従うことによって、全く予想を超えた出来事を体験するここと、同時にキリストというお方がどういうお方であるかということと、それによって自分がどういう自分であるかを知らされるということであります。
 あなたにも、聖書から、そういうメッセージを聞き取っていただきたいと願っております。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・ルカ5:1~11)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
=ご報告=
この度の台風12号の影響による豪雨のため三重県熊野市にあります熊野送信所が水没したため、9月4日(日)午前5時頃から断続的な停波状態に陥り、お聞きくださっている皆様に、ご迷惑をお掛けいたしましたことをお詫びし、ご報告いたします。
 
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
10月
         2日  望月 信  (日本キリスト改革派高蔵寺教会牧師)
         9日  望月 信  (日本キリスト改革派高蔵寺教会牧師)
    16日  長谷川潤  (日本キリスト改革派四日市教会牧師)
    23日  長谷川潤  (日本キリスト改革派四日市教会牧師)
    30日  長谷川潤  (日本キリスト改革派四日市教会牧師)
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
  あなたに聖書を
 
 キリストが弟子たちと共にされた最後の晩餐の時のことが、ヨハネ福音書の13章の後半から14章の始めに、次のように記されています。
 それは、キリストが、弟子たちに、その時の晩餐が、最後の晩餐になることを告げられたことから始まります。弟子たちはそれを聞いて、「先生はどこへ行かれるのでしょうか」と尋ね、そして、「先生が行かれることころへは、わたしたちもついて行きます」と言いました。
 
 キリストは、それに答えて「わたしが行くところへは、あなた方はついてくることは出来ない」と言われました。それは、十字架で死ぬことを覚悟しておられたからです。それを聞いた弟子たちは、キリストが言われたことがどういうことであるか分からないために、心が動揺しました。
 
 それに対して、キリストは「こころを騒がせるな、神を信じなさい」と言われました。そして、その理由として、「わたしの父の家には住むところがたくさんある。わたしは行くのは、あなたがたのために場所を用意するためであって、その場所の用意が出来たら、戻って来て、あなたがたを迎える。こうして、わたしの所に、あなたがたもいることになる。」と言われました。
 
 キリストが「わたしの父の家」と言われたのは、「天国」と呼ばれるところです。キリストは、「わたしがこの世を去るのは、あなたがたを父の家に迎えるために、その場所を用意するためである。だから、こころを騒がせることはないよ」、と言われたのでありました。つまり、キリストは、弟子たちのために、天国に指定席を用意しておいて下さる方である、言うことであります。
 
 「死んだらどうなるのか」と言う質問には、誰も答えられません。が、キリストは、弟子たちに、「わたしのいるところに、あなたがたを迎え、あなたがたは、わたしと共にいることになる」と言われたのであります。
 最後の晩餐は、その意味では、新しい旅立ちへの晩餐であった、と言えます。最後の晩餐が、新しい旅立ちとなることが語られている話であります。
 
s-P8020090.jpg田 潔
 
(参照聖句・ヨハネ13:36から4:3)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
 9月
    4日 田口博之  (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
   11日 田口博之  (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
   18日 矢部 節  (日本基督教団尾張一宮教会牧師)
   25日 矢部 節  (日本基督教団尾張一宮教会牧師)
   
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
 
  あなたに聖書を
 
 先月は「いつも喜んでいなさい」ということを紹介しましたが、それに続く17節には「絶えず祈りなさい」という言葉があります。例えば達磨大師が壁に向って19年間座禅を組んでいたように、ほかのことは何もしないで祈り続けることのように受け取られなくもありません。そうだとすると、そんなことは出来ませんと言うのが大方の反応であろうと思います。
 
 しかし、例えば、わたしたちは、特別なことがなければ断食はしません。食事は毎日欠かさず食べています。食べることを止めたら死んでしまいますから、「食べることを止めてはいけませんよ」という分りきったことが、「絶えず食べなさい」ということでありまして、一日中食べ続けることではありません。このほか、「絶えず吸収しているもの」があります。テレビ、ラジオ、新聞、読物、人との会話など、見たり読んだり聞いたりして、情報や知識や物の考え方などを絶えず吸収しています。こういうことを止めたら、この世の人間として生き続けることが出来なくなってしまいます。
 
 「祈る」ということは、たとえば、神社などへ行って、お賽銭を上げて、神様に、何かお願いをすることのように考えている人が多いのではないかと思います。しかし、「聖書におけるお祈り」は「神様との対話」であります。「対話」は、人と人との間でなされます。一方的なおしゃべりではありません。こちらから語りかけ、相手からも聞く、ということを繰り返す中で、相手のこともよく分り、それによって良いものを受けることが少なくありません。
 
 そういう対話を、神様との間で行うのが「祈り」であります。祈ることによって、神様との関係が保たれ、深められて行きます。神様の御心の深さ長さ大きさ広さに触れることができるように導かれます。そういうことから言って「祈らにゃ損」です。「絶えず祈りなさい」という勧めの狙いはそれです。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・Ⅰテサロニケ5:17)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
825484db.jpg8月
  7日  村手 淳 (日本キリスト改革派中部中会教師)
14日  村手 淳 (日本キリスト改革派中部中会教師)
21日  金 起泰 (日本キリスト改革派犬山教会牧師)
28日  金 起泰 (日本キリスト改革派犬山教会牧師)
 
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
  あなたに聖書を
 
 わたしたちの人生には、嬉しいことや喜ばしいことがあります。新婚早々の人達や、難関と言われた大学の入学試験や会社の入社試験に合格した人達は喜びに満ちています。反対に、失恋した人や、親しい人を失った人には暗さと悲しさとが漂っています。そういう風に、喜びと悲しさなどが交互にあるのが人生であろうと思います。
 
 ところが、わたしが住んでいる直ぐ近くにある小学校では、校舎の入口の上のところに、だれにも分るような大きな字で「あいさつは笑顔から」と書いた板が貼り付けてあります。心がけとしては良い勧めだと思いますし、そうあって欲しいとは思いますが、実際には、そういつも、笑顔ではおれないと思うのです。大人は「顔で笑って心で泣いて」というような芸当が出来ますが、それも限度があるのではないかと思います。
 
 ところが、新約聖書の中のテサロニケの信徒への手紙第一の5章16節には「いつも喜んでいなさい。」という勧めの言葉があります。パウロが書いたものです。さっき言いましたように、わたくしたちの人生には喜びに満たされる時もありますが、いつも喜んでおれるわけではありません。悲しさや苦しみのドン底に落ち込むことだってあるのが事実です。
 
 ある俳優が、駆け出しで名前も売れておらず、生活もドン底に落ち込んでいた時に、母親から、母親が働いて得たお金を送ってきたそうです。彼は「泣けた」そうです。そして、それ以後、苦しいことや辛いことがあっても、いつもそういう自分が母親に覚えられていることを喜びました、と語っていました。
 
 悲しいことや辛いことがなくなるわけではありません。しかし、そういう自分のことを、いつも覚えていてくれる人がいることが分るなら、それは喜びではないでしょうか。
 いつも喜んでおれるのは、そういう風にキリストを通して、神様が自分のことを、どんな時でも、いつも覚えて下さっているからであるということを、聖書は告げているのであります。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・Ⅰテサロニケ5:16)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
「キリストへの時間」放送予定
 
                                              s-P6090010.jpg7月
     3日 楠本茂貴  (名古屋高等学校・中学校聖書科主任)
10日 大薮博康  (名古屋高等学校・中学校宗教部長)
17日 福井 智  (名古屋学院大学キリスト教センター主事)
24日 大宮有博  (名古屋学院大学商学部准教授)
31日 葛井義憲  (名古屋学院大学宗教部長・人間健康学部長)
 
 
 
       (放送開始1952年10月)
      CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
  あなたに聖書を
 
 わたくしは、週に1回、ホスピスに入院しておられる患者さんの話し相手をしていますが、先日、ある方とお話していて、「今何かお困りのことはありませんか」とお尋ねした時、その方は、ポツリとひとこと言、「自分に困っています。」とおっしゃいました。
 これを聞いて、わたくしは、咄嗟(とっさ)には何も言うことが出来ませんでした。それは、この方が言われたことは、おそらく、全ての人が必ず直面しなければならない自分の問題、すなわち、死ぬということに対して、自分の力では何も出来ないことを知った場合に発せられる、呻きにも似た言葉であるのでしょうが、それを聞いたわたくしを含めて、おそらく全ての人間には、その困っている状況から救い出す言葉も力もないことが分かっているからです。
 
 わたくしは、しばらく経った後、その方に「そうですか、困っておられるんですね。それをお聞きしてわたくしもどう言ったらよいか分からなくて困っています。しかし、何かご自分でそのことから解放される道はないか、考えてみていただいたらどうでしょうか。わたしも考えた上で、ご参考になりそうなことがあれば、来週来た時にお話ししましょう」といってお別れしたのですが、再びお会いすることはありませんでした。
 
 ところで、旧約聖書の中に詩篇第46編の始めのところに、次のような言葉があります。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦である。神は、苦難の時、必ずそこにいて助けてくださる。だから、たとえ、大地が姿を変え、山々が揺れて崩れて海の中に移っても、また、たとえ、海の水が騒いで湧き返って、その高ぶりに山々が震え上がるようなことになっても、わたしたちは決して恐れない。」というのであります。
 「自分のことで困っています」という方に、この詩篇を書いた人の声は届きませんでしたが、わたくしは、全ての人に、この声に共鳴されるような神からの導きがあるようにと願っている者であります。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・詩篇46:1~3)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
s-2011050713300000.jpg6月 5日  沖崎  学 (金城学院高等学校宗教主事)
     12日  沖崎  学 (金城学院高等学校宗教主事)
     19日  後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
     26日  後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
 
  あなたに聖書を
 
 旧約聖書の中にアモス書というのがありまして、その5章の中で、預言者のアモスという人は、神様の言葉として、次のように語っています。
 「わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、肥えた動物の献げ物も受け入れない。お前たちが騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない」。というのであります。
 
 アモスという人は、紀元前8世紀の人でありまして、この時代の祭りには、沢山の献げ物、いわゆる「お供え」が献げられ、竪琴に合わせての歌が歌われた、つまり、楽器の演奏と歌も献げられた、というのであります。いわゆる盛大なお祭り、言い換えれば宗教儀式が行われた、というのであります。
 こういう盛大なお祭りを行った人たちは、盛大に行うことが、神に喜ばれることと思ったから、そうしたのでしょう。それは、人々が、自分が受け取るものは、物でも音楽でも沢山、素晴らしいものであればあるほど嬉しく喜ばしいものですから、神様もそうだろうと思って、そうしたのでした。
 ところが、アモスという人は、神様はそういう沢山の献げものは受け入れないし、音楽の演奏も騒がしくてうるさいだけだから、どこか遠くでやってくれ、聞きたくもない、と言われる、と言ったのであります。
 それはどうしてかと言いますと、盛大な祭りをすることによって喜んでいるのは、こういうことによって神様が喜ばれるであろうと言う人間の側の思いが満足されてはいるけれども、神様の側で求めておられることについては、全く無頓着であるからです。アモスは、神様が求めておられるのは、人間が正義を行うこと、恵みの業を溢れるように実施することである、と言いました。
 祭りが神様に対してのものであるなら、正義と愛に生きることを、神様への最も望ましい献げ物とすべきではないか、ということであります。このアモスによる祭りの批判、または宗教行事批判は、聖書が今日も語り続けていることであります。
    
 
篠田 潔
 
(参照聖句・アモス書5:21~24)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
s-CCF20110422_00001.jpg「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
5月1日  横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
     8日  横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
    15日  石田聖実 (日本基督教団尾陽教会牧師)
    22日  石田聖実 (日本基督教団尾陽教会牧師)
    29日  小椋実央 (日本基督教団知立伝道所伝道師)
 
 
 
 
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
  あなたに聖書を
 
24日はキリストが復活された記念日です。この復活ということをどう考えたらよいのでしょうか。これについて、キリストは十字架につけられて死ぬ前に弟子たちに言われた言葉があります。それは、弟子たちに「心を騒がせることではないよ」と言われたことが、ヨハネ福音書に書いてあります。弟子たちはキリストがそういう最後を遂げるとは夢にも思っていませんでした。それと、一切のものを捨ててキリストについてきた自分たちはこれから先どうするのか、不安になりました。そういう状況の中でキリストが言われたのが「心を騒がすな」ということでありました。
 
 ただし、キリストがそう言われるにはわけがありました。それは、その時、キリストは「これからわたしは父の家に行く。そこへ行くのは、あなたがたのための場所を用意するためである。それで、その用意ができたなら、また戻ってきて、あなたがたをわたしのもとに迎える」と約束されたからであります。
 つまり、キリストは「このすぐあと、わたしは死ななければならないが、死んでそれっきりというのではなく、そのあと「父」と呼ぶ神様のところへ行って、そこに人々が安心しておれる場所を用意しに行くのであるし、その用意ができたなら迎えに来るのだから、心を騒がせることはないよ」と言われたのであります。そして、言われたとおり、三日目に復活して弟子たちに現われ「平安があるように」と声をかけられたのでした。
 わたしたちは、別れの挨拶に「さようなら、じゃあまたね」と言います。そうは言うものの、その「またね」という言葉は確実に実現するわけではありません。しかし、キリストは「心を騒がすことはないよ。さようなら、また来て、永遠にあなたがたと共にいるよ」と言われた方です。そしてその通り、復活して、今も、信じる者と共におられ、「父」と呼ばれた神様のところにわたしたちの居り場所を確保して下さるのであります。ですから、わたしたちは安心して「天におられるキリストの父なる神様」と呼ぶことが出来るのであります。
    
 
篠田 潔
 
(参照聖句・ヨハネによる福音書14:1~3)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
200808120642000.jpg「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
4月3日  相馬 伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)
    10日  相馬 伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)
    17日  橋谷 英徳 (日本キリスト改革派関キリスト教会牧師)
    24日  橋谷 英徳 (日本キリスト改革派関キリスト教会牧師)
 
 
 
 
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
  あなたに聖書を
 
 わたくしたちは、教えられ、養われ、自分の中に造り上げられたものによって、物事を受け止め、それについて考え、判断しています。聖書の内容やキリストの教えについても、そういう仕方での理解は出来ますし、現にそうしています。
 しかし、どうしても引っかかる部分があります。特に、キリストが復活された、ということがそうです。この話は、キリストの弟子たちでも聞いても信じられなかった、と言いますから、恐らく、すべての人にとってすんなりとは受け入れられないことであろうと思います。それは、復活ということが、わたしたちの持っている合理性や、経験や伝統的なものの考え方の中には、納まらない事柄であり、躓きとなる事柄であるからであります。
 
 では、キリストの復活ということをどう考えたらよいかということですが、わたくしは、わたくしたちが今までも今も、考えたり判断したりしていることがすべてではなく、またそれですべて終わり、と言うのではなくて、それとは全く違ったもの、それを永遠の命といっても神の支配される世界と言ってもよろしいのですが、そういうものが、キリストの復活という出来事において示されているのではないかと思うのであります。
 
 死んだ者が復活する、というのは、全くのどんでん返しであります。しかし、そこには、わたしたちやこの世の今までがどうであろうと、またこれからのことをどう思っていようと、それがすべてを決めるものではなくて、またそのまますべて終わりというのでもなく、それを超えた力の働きがあることが示されているのであります。
 そういうことを示されて、パウロは「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」と言っています。キリストの復活が示していることは、神による新しい命の展開がある、ということであります。ですから、今日という日を新しい日、新しく生きる日とすることが出来るのであります。あなたも、聖書から、その命を得ていただきたいと願っています。   
 
篠田 潔
 
(参照聖句・コリントの信徒への手紙二、5:17)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
s-CCF20110217_00001.jpg「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
3月6日田口 博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
    13日  田口 博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
    20日  船水 牧夫 (日本基督教団御器所教会牧師)
    27日  船水 牧夫 (日本基督教団御器所教会牧師)
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
  あなたに聖書を
 
 昔から、「死んだらあの世へ行く」と言われてきました。「あの世」というのは、「この世」に対してのことでありますが、しかし、「あの世」というものが、「本当にあるかどうか」は、確かめようがありません。
 また「地獄」や「極楽」の世界のことも語られてまいりました。最近では「死んだら天国へ行く」みたいなことが言われますが、これだって「天国」という世界が本当にあって、そこがどういう所かよく確かめた上でのことではありません。大体、こういう言葉はあまり詮索しないで使われているように思います。
 
 しかし、例えば、温泉に浸かって「ああ、極楽極楽」と言う人がいます。逆に「この世は地獄だ」と言う人もいます。ということは、「極楽、または天国」といい「地獄」といい、いずれについても、そういう世界のことがある程度捉えられているから、そう言えるのではないかと思います。その場合、「極楽または天国」という世界は、一切の重荷から解放されて自分が自分であることを取り戻すことが出来ている自由な世界のことであり、「地獄」という世界は、一切の重荷を背負い込んで、それから抜け出したいと願っても抜け出せないままの不自由に閉じ込められている世界のこととして、捉えているように思いますが、如何でしょうか。
 
 ところで、聖書の中で、キリストは、「天国はあなたがたのただ中にある」と言われています。「天国」というのは「神様がいらっしゃる世界」のことですが、キリストは「わたしを信じる者は今天国にいる。つまり、神様があなたと共におられるのですよ」といわれているのであります。
 生きている今が「天国にあるのです」ということです。わたくし共は、今地上のこの世に生きていますが、同時に、今日という日を、神様がいつも共にいてくださる天国に生きているという、自由と喜びに生きる秘訣を、聖書は語っているのであります。
 
 あなたも、どうか聖書によって、今が天国に生きている今として生きられるよう、キリストとの出会いがなされるようにと祈っています。  
 
篠田 潔
 
(参照聖句・ルカ17:20~21)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
s-P1070060.jpg2月   6日  後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
         13日  後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
         20日  沖崎  学 (金城学院高等学校宗教主事)
         27日  沖崎  学 (金城学院高等学校宗教主事)
 
 
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
  あなたに聖書を
 
 亡くなった坂本九の持ち歌の一つに「上を向いて歩こう」というがありまして、よく歌われてきました。これは、そのあとに「涙がこぼれないように」と続くところがよろしいのでしょうね。つまり、生きていく上では、涙がこぼれるようなことがあるけれども、その涙がこぼれないように上を向いて歩こう、というのですから、そこに一つの心意気があるわけで、その心意気に多くの人、特に若者が共感し、また共感するものがあって、よく歌われたのではないかと思います。
 
 ただし、この場合、上を向くのは、寂しさやつらさに耐えかねて溢れてくる涙がこぼれない様にするためだけではないのでありまして、その上、つまり雲の上・空の上に、幸せがあるからであり、また星のかげ・月のかげに悲しみを知ってくれる者がいるからだと歌うのであります。
 この地上では、涙が流れ落ちるしかないけれども、上には幸せがあり、悲しみを知ってくれるものがあるから、「上を向いて歩こう」、というのが、この歌の作者の、人生についての見方であり、生き方であろうと思わされます。
 
 ところで、新約聖書の中の「コロサイの信徒への手紙3章1節」という箇所には「上にあるものを求めなさい」という勧めがあります。「上にあるもの」というのは、地上にあるものではありません。また、人間が考えたり造りだしたりすることが出来る範囲のものでもありません。そういうものを超えたもののことであります。聖書全体が伝えようとしている言葉で言いますと、それは、「神の国」と呼ばれるものでありまして、神様が主人である世界のことであります。
 
 それは、イエス・キリストによって示される世界であります。わたしたちを本当に生かすものは何でしょうか。それは「上にあるものです」というのが、聖書の答えであります。どうかあなたにも「上にあるもの」が、聖書によってはっきり示され、それによって歩まれるようにと願っております。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・コロサイ3:1)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定s-P1020488.jpg
       (放送開始1952年10月)
 
1月 2日  牧野宏章  (日本キリスト改革派浜松教会会員)
     9日  牧野宏章  (日本キリスト改革派浜松教会会員)
    16日  三輪祐子  (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会会員)
    23日  三輪祐子  (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会会員)
    30日  伊藤治郎  (日本キリスト改革派四日市教会会員)
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
  あなたに聖書を
 
 イエス・キリストが語られた話で「『実のならないいちじくの木』のたとえ」というのがあります。それは、葡萄園にいちじくの木を植えておいて、実がなるのを待っていた人が、普通なら植えて2年経てば実るところが、3年経っても実らなかったものですから、その人は、土地の管理を委ねていた人に「これでは土地を遊ばせておくだけで何にもならないから、切り倒してしまえ」と命じました。
 ところが、このいちじくの木の世話をしていた人は、「ご主人様、今年もこのままにしておいて下さい。木の周りを掘って肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでも駄目なら、切り倒してください」と言ったという話であります。
 
 この話は、わたしたちにも、それぞれ、様々な分野で、様々な人から、期待されているものがあることを語っている話であります。そして、期待されているような成果が挙げられなかったら、配置換えさせられたり、辞めさせられたりすることをも語っている話であります。
 
 ところが、幸いにも「私が責任持って面倒みますから、結論を出すのはもう少し先のことにして下さい」という人がいて、しかも相手に信頼されているとすれば、執り成しが効くというものでありますし、そうすれば、執り成しを受けた人は、「なんとしてもがんばらなくちゃ」と思うに違いありません。
 
s-IMG_0086.jpg ことは、わたしたちの人生そのものにも関わる話であります。1年を振り返って、自分の1年の歩みをどう評価するか、どういう実りがあったと言えるか、これは採点基準を何によって決めるかという問題にもよりますが、当然、実るべきものが実らなかった場合には、自分でも嫌になります。
 この話は、キリストは、そういう時でも、諦めないで、「もういっぺんやってみましょう。わたしがついていますからね」といって下さる方であることを告げています。
 新しい年を、この方がおられることを知って励む年でありたいと願います。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・ルカ福音書13:6~9)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
12月5日  西堀 則男  (日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師)
    12日  西堀 則男  (日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師)
    19日  望月  信  (日本キリスト改革派高蔵寺教会牧師)
    26日  望月  信  (日本キリスト改革派高蔵寺教会牧師)
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]