2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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『旧・新約婦人物語』(42)
ドルカスと呼ばれた
タビタ
=使徒行伝9:36~43=
紀元49年頃、地中海の東海岸にあります港町ヨッパに、タビタという非常に熱心な女性のクリスチャンが住んでおりました。このユダヤの婦人が、どんな経路をたどってキリスト教に導かれましたのか、使徒行伝には記されていません。けれども、たぶん当時その地方によく伝道していました伝道者ピリポに導かれたのかもしれません。おもしろいことに、このタビタという名前を、ギリシャ語に訳しますと、ドルカス(かもしか)と言う意味になるのです。
イエス様の母マリヤは別といたしましても、ドルカスという名前は、新約聖書に登場してくる多くの婦人の内で、現代において最もよく知られている名前だと思います。なぜかと申しますと、ヨーロッパでも、アメリカでも、多くの婦人方がこの名前を取って「ドルカス会」という会をいたるところで作られているからです。このドルカス会は、困っている人たちのために服を作ってあげ、それを贈る仕事を目的としておられます。二千年昔に住んでいたドルカスの始めた良い行いが、現在にいたっても尚、続けられていると申しましても、少しも差しつかえないと思います。
と言いますのは、このドルカスは熱心なクリスチャンで、いろいろな良い働きや、また施しをしていた婦人で、彼女の信仰は単なる飾りや形式的なものではなく、実に具体的でした。ことに彼女はヨッパにあって多くのやもめたちを哀れみ、助けてあげました。
このヨッパという港は、日本の漁港のように、漁師がたくさん住んでいる町で、嵐のために、あるいは様々な災難のために遭難し、自分たちの町に帰って来ない漁船や漁師が多かったことでしょう。そのために働き手を失った哀れなやもめたちも沢山住んでいたようです。このやもめたちを訪ねて、慰め、励ましたのが、このドルカスでした。また、困っているそれらの孤児とやもめたちのために、いろいろと苦心して服を贈ったり、お金を与えたりしたのも、このドルカスでありました。
このドルカスの働きは、いつまでも続きませんでし。ある日、彼女は病に倒れ、神様に召されてしまいました。人々は悲しみに沈んでいました。彼らは彼女のなきがらを屋上の部屋に静かに横たえました。使徒ペテロが近くのルダの町に来ていることを聞き知った彼らは、急いで二人の使いを彼のもとに送って、どうぞ早くヨッパに来てくださいと頼みました。そこでペテロは二人の使いに連れられ、急いでヨッパに来ました。彼はすぐに屋上の部屋に案内されました。そこへドルカスが親切に世話をしてあげたやもめたちが集まってきて、ドルカスが生前に作ってくれた下着や上着の数々を泣きながらペテロに見せました。
ペテロは感激して、みなを外に去らせ静かにひざまずいて神様に祈り、死体に向かって「タビタよ、起きなさい」と申しました。すると彼女は目を開けて、ペテロを見て起き上がりました。ペテロは彼女に手をかして立たせ、聖徒ややもめたちを呼び入れて彼女の生き返っているのを見せました。
彼女らのその時の喜びは、わたしたちの想像も出来ないほどのものでしたでしょう。ちょうどキリストに甦らせていただいた、ラザロの姉妹マルタとマリヤの喜びと同じであったでしょう。聖書全体を通して、死よりよみがえらせていただいた婦人は、ただ二人だけです。その内の一人が神の偉大な力によって甦らせていただいたタビタです(イエス様によって甦らせていただいた今一人の女性は、ヤイロの娘です)。この不思議な奇跡は、わたしたちに何を教えているのでしょうか。それは神様がタビタの愛の業を受け入れてくださったと言うことであります。
キリストのために、またキリストのみ名によって、良き業に励みますことは、クリスチャンの尊い義務であるばかりでなく、大きな喜びであります。わたしたちの周囲には困っている人々や、また神への道から外れている人々が、いくらでも目につきます。
マタイによる福音者25章34~46節にあります、最後の審判の日の譬えを、もう一度お読みください。み国を受け継ぐ者はどういう人々でありましょうか? イエス様は、み国を受け継ぐ人々に向かって、その理由として、「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに見舞い、獄にいたとき尋ねてくれたからである」と仰せになり、更に「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」と言われました。このような人々こそ永遠のいのちに入る者であると、強く語っておられるのであります。
理想的なクリスチャン生活とは、ただ教会の集まりに欠かさず出席し、毎日聖書を読み、祈りを忘れないだけではないのです。そうかといって、これらを軽く見る意味では決してありません。勿論、これらは信仰生活の根本であり、大切ですが、これが信仰生活の全部ではありません。
あなたは、可愛相な孤児たちにどうしておられるでしょうか? いつ病人を見舞ったでしょうか? イエス様が語られた「最も小さいものの一人」をお忘れになっていないでしょうか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
ドルカスと呼ばれた
タビタ
=使徒行伝9:36~43=
紀元49年頃、地中海の東海岸にあります港町ヨッパに、タビタという非常に熱心な女性のクリスチャンが住んでおりました。このユダヤの婦人が、どんな経路をたどってキリスト教に導かれましたのか、使徒行伝には記されていません。けれども、たぶん当時その地方によく伝道していました伝道者ピリポに導かれたのかもしれません。おもしろいことに、このタビタという名前を、ギリシャ語に訳しますと、ドルカス(かもしか)と言う意味になるのです。
イエス様の母マリヤは別といたしましても、ドルカスという名前は、新約聖書に登場してくる多くの婦人の内で、現代において最もよく知られている名前だと思います。なぜかと申しますと、ヨーロッパでも、アメリカでも、多くの婦人方がこの名前を取って「ドルカス会」という会をいたるところで作られているからです。このドルカス会は、困っている人たちのために服を作ってあげ、それを贈る仕事を目的としておられます。二千年昔に住んでいたドルカスの始めた良い行いが、現在にいたっても尚、続けられていると申しましても、少しも差しつかえないと思います。
と言いますのは、このドルカスは熱心なクリスチャンで、いろいろな良い働きや、また施しをしていた婦人で、彼女の信仰は単なる飾りや形式的なものではなく、実に具体的でした。ことに彼女はヨッパにあって多くのやもめたちを哀れみ、助けてあげました。
このヨッパという港は、日本の漁港のように、漁師がたくさん住んでいる町で、嵐のために、あるいは様々な災難のために遭難し、自分たちの町に帰って来ない漁船や漁師が多かったことでしょう。そのために働き手を失った哀れなやもめたちも沢山住んでいたようです。このやもめたちを訪ねて、慰め、励ましたのが、このドルカスでした。また、困っているそれらの孤児とやもめたちのために、いろいろと苦心して服を贈ったり、お金を与えたりしたのも、このドルカスでありました。
このドルカスの働きは、いつまでも続きませんでし。ある日、彼女は病に倒れ、神様に召されてしまいました。人々は悲しみに沈んでいました。彼らは彼女のなきがらを屋上の部屋に静かに横たえました。使徒ペテロが近くのルダの町に来ていることを聞き知った彼らは、急いで二人の使いを彼のもとに送って、どうぞ早くヨッパに来てくださいと頼みました。そこでペテロは二人の使いに連れられ、急いでヨッパに来ました。彼はすぐに屋上の部屋に案内されました。そこへドルカスが親切に世話をしてあげたやもめたちが集まってきて、ドルカスが生前に作ってくれた下着や上着の数々を泣きながらペテロに見せました。
ペテロは感激して、みなを外に去らせ静かにひざまずいて神様に祈り、死体に向かって「タビタよ、起きなさい」と申しました。すると彼女は目を開けて、ペテロを見て起き上がりました。ペテロは彼女に手をかして立たせ、聖徒ややもめたちを呼び入れて彼女の生き返っているのを見せました。
彼女らのその時の喜びは、わたしたちの想像も出来ないほどのものでしたでしょう。ちょうどキリストに甦らせていただいた、ラザロの姉妹マルタとマリヤの喜びと同じであったでしょう。聖書全体を通して、死よりよみがえらせていただいた婦人は、ただ二人だけです。その内の一人が神の偉大な力によって甦らせていただいたタビタです(イエス様によって甦らせていただいた今一人の女性は、ヤイロの娘です)。この不思議な奇跡は、わたしたちに何を教えているのでしょうか。それは神様がタビタの愛の業を受け入れてくださったと言うことであります。
キリストのために、またキリストのみ名によって、良き業に励みますことは、クリスチャンの尊い義務であるばかりでなく、大きな喜びであります。わたしたちの周囲には困っている人々や、また神への道から外れている人々が、いくらでも目につきます。
マタイによる福音者25章34~46節にあります、最後の審判の日の譬えを、もう一度お読みください。み国を受け継ぐ者はどういう人々でありましょうか? イエス様は、み国を受け継ぐ人々に向かって、その理由として、「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに見舞い、獄にいたとき尋ねてくれたからである」と仰せになり、更に「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」と言われました。このような人々こそ永遠のいのちに入る者であると、強く語っておられるのであります。
理想的なクリスチャン生活とは、ただ教会の集まりに欠かさず出席し、毎日聖書を読み、祈りを忘れないだけではないのです。そうかといって、これらを軽く見る意味では決してありません。勿論、これらは信仰生活の根本であり、大切ですが、これが信仰生活の全部ではありません。
あなたは、可愛相な孤児たちにどうしておられるでしょうか? いつ病人を見舞ったでしょうか? イエス様が語られた「最も小さいものの一人」をお忘れになっていないでしょうか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
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『旧・新約婦人物語』(41)
毒婦イゼベル
=列王紀上 18章以下=
イゼベルは、聖書に出てくる婦人たちのうち、一番の憎まれ者でしょう。彼女の名前を聞くたびに私は人間とはこんなに弱く堕落しやすく、罪深い者であるかをつくづく感じさせられます。イゼベルはジドンの国の王女で、イスラエル王アハブと結婚して、太陽崇拝の偶像バアルをイスラエルにもって来た人物です。彼女はこの偶像崇拝を国内に取り入れたばかりか、これを国民に強制しました。王アハブもこれに従ったために、神は3年半の間、雨を降らせたまいませんでしたので、イスラエル全国は、大干ばつとなり、飢饉のため国民は大変苦しみました。
この干ばつの終わり頃、エリヤはカルメル山に、イスラエルの全ての人と、バアルの予言者450人と、アシラの予言者400人を集めて、「あなたがたはいつまで二つのものの間に、迷っているのですか、主が神ならばそれに従いなさい。しかし、バアルが神ならばそれに従いなさい」(21)と言って、二つの祭壇を、一つはエホバのために、一つはバアルにために築かせ、捧げ物を供え、火をつけずに、「互いにじぶんの神の名を呼び、そして、火をもって答える方を神としよう」と言いました。
民の者が皆、それがよかろうと言いました。バアルの予言者たちは、昼過ぎまで「バアルよ答えてください」と大声で叫びつつ、祭壇のまわりを踊りましたが、しかし何の答えもありません。エリヤは彼らをあざ笑って、「もっと大声で呼べ、バアルは旅しているか、眠っているのだろう」と申します。彼らは半狂乱になって狂い回り、果ては自分で自分の体を傷付け、血を流すほどでしたが、夕方になっても、何の答えもありません。
そこでエリヤは民たちを近寄らせて、祭壇に三度水をかけさせ、「主よ、わたしに答えてください。主よ、この民にあなたが神であることを知らせてください」(37)と祈りました。するとたちまち、エホバの火が下って、祭壇の上の供え物を焼きつくしてしまいました。民たちは、これを見て、「主が神である。主が神である」と叫びました。エリヤはバアルの予言者をことごとく捕らえて、キション川で殺しました。
王妃イゼベルはこのことを聞いて、エホバをまことの神と認めるかと思いましたのに、かえって非常に怒ります。そして、あすの今時分までにエリヤを殺そうと決心しました。エリヤは、またしても都を逃げ出さねばなりませんでした。彼はベエルシバの荒野から、ホレブ山に逃れ、神の預言者を殺そうとするイスラエルの不信仰を歎き、失望のあまり、エニシダの木の下に座って死をさえ願うようになりました。
この時、神はいろいろな方法で彼を力付け、励まし、「また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」(19:18)と慰められました。
続いて、私たちは列王紀上21章で、イゼベルの極悪振りを見るのです。それはナボテのぶどう畑の話です。
王アハブは、自分の家の隣りにいるエズレル人ナボテのぶどう畑を手に入れようと、いろいろ交渉しました。しかし、ナボテは、これは先祖から伝わっている土地だから売ることは出来ませんと、交渉に応じません。王は怒って食事もせず、終日床の上に転がり、子供のようにだだをこねていました。
これを見た王妃イゼベルは、「あなたは今イスラエルの王ではありませんか。これしきのことが何です。わたしが畑を取ってあげましょう」と言って、ナボテの町の長老たちに命じ、ナボテを多くの民の前に立たせ、偽証人二人を送って、「ナボテは神と王とをのろった」と偽証させ 民を怒らせナボテを引き出させて石で打ち殺させました。何と言う非道でしょう。
イゼベルは王に、「あなたに金で譲ることを拒んだ、ぶどう畑を取りなさい。ナボテは生きていません」と申しました(15)。
王はぶどう畑を取ろうとした時です。神は預言者エリヤを送って、「犬がナボテの血をなめた場所で、犬があなたの血をなめる」(19)と告げられ、また、イゼベルについて、「犬がエズレルの地域でイゼベルを食う」(13)と、厳しい預言をしました。アハブ王はそれによって悔悟いたしましたが、預言の通り、敵の矢に倒れました(22:34~35)。
夫である王の死により、イゼベルは悔悟するかと思いましたが、彼女は悔悟どころか、かえって彼女の悪事がつのるのみでした。
彼女は、新しい王エヒウがエルサレムに入場すると聞いて、美しく化粧し、窓際に立って新しい王を誘惑しようと試みたのです。イゼベルは、自分の容色をたのんで人を誘い、悪に陥れても自分は享楽しようとする、本当の毒婦型の女でした。
新しい王エヒウは、早くもこのことを見抜いて、人をやって家の中から突き落とさせて殺しました。その後、新しい王は、イゼベルは悪い人間であるには違いないのですが、もとは王妃ですから、その死体を収容させようとしました。その時、死体は堀の中で、犬に食われていました。エリヤの預言通りで、これが本当の犬死でしょう(列王紀下9章参照)。
このむごたらしい話にも、大きな教えがあります。
1 魔性の女の力強さ。
アハブは弱い性格であり、妻の力は実に大きいものでした。イゼベルの魔力に国中がひきずりまわされた観があります。私たちの注意したいのは、クリスチャンである夫がよい信仰をもっていても、不信仰な妻の力に、あっけなく負かされて、正しい信仰から脱落する実例をここに見ることが出来ます。
2 このイゼベルにも、まことの道に帰る機会が二度、三度、神から与えられていました。ことに、旧約史上二人といない大預言者エリヤに会いながら、その忠告に耳をかさず、悪に走り、ついに犬死したのです。
世の中には、相当長く教会生活を送っているクリスチャンでも、どうかすると、牧師の言葉に耳をかさす、自分の悪いことを棚にあげて、かえって注意する牧師を嫌う人がありますが、イゼベルもその例に漏れない人物でした。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
毒婦イゼベル
=列王紀上 18章以下=
イゼベルは、聖書に出てくる婦人たちのうち、一番の憎まれ者でしょう。彼女の名前を聞くたびに私は人間とはこんなに弱く堕落しやすく、罪深い者であるかをつくづく感じさせられます。イゼベルはジドンの国の王女で、イスラエル王アハブと結婚して、太陽崇拝の偶像バアルをイスラエルにもって来た人物です。彼女はこの偶像崇拝を国内に取り入れたばかりか、これを国民に強制しました。王アハブもこれに従ったために、神は3年半の間、雨を降らせたまいませんでしたので、イスラエル全国は、大干ばつとなり、飢饉のため国民は大変苦しみました。
この干ばつの終わり頃、エリヤはカルメル山に、イスラエルの全ての人と、バアルの予言者450人と、アシラの予言者400人を集めて、「あなたがたはいつまで二つのものの間に、迷っているのですか、主が神ならばそれに従いなさい。しかし、バアルが神ならばそれに従いなさい」(21)と言って、二つの祭壇を、一つはエホバのために、一つはバアルにために築かせ、捧げ物を供え、火をつけずに、「互いにじぶんの神の名を呼び、そして、火をもって答える方を神としよう」と言いました。
民の者が皆、それがよかろうと言いました。バアルの予言者たちは、昼過ぎまで「バアルよ答えてください」と大声で叫びつつ、祭壇のまわりを踊りましたが、しかし何の答えもありません。エリヤは彼らをあざ笑って、「もっと大声で呼べ、バアルは旅しているか、眠っているのだろう」と申します。彼らは半狂乱になって狂い回り、果ては自分で自分の体を傷付け、血を流すほどでしたが、夕方になっても、何の答えもありません。
そこでエリヤは民たちを近寄らせて、祭壇に三度水をかけさせ、「主よ、わたしに答えてください。主よ、この民にあなたが神であることを知らせてください」(37)と祈りました。するとたちまち、エホバの火が下って、祭壇の上の供え物を焼きつくしてしまいました。民たちは、これを見て、「主が神である。主が神である」と叫びました。エリヤはバアルの予言者をことごとく捕らえて、キション川で殺しました。
王妃イゼベルはこのことを聞いて、エホバをまことの神と認めるかと思いましたのに、かえって非常に怒ります。そして、あすの今時分までにエリヤを殺そうと決心しました。エリヤは、またしても都を逃げ出さねばなりませんでした。彼はベエルシバの荒野から、ホレブ山に逃れ、神の預言者を殺そうとするイスラエルの不信仰を歎き、失望のあまり、エニシダの木の下に座って死をさえ願うようになりました。
この時、神はいろいろな方法で彼を力付け、励まし、「また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」(19:18)と慰められました。
続いて、私たちは列王紀上21章で、イゼベルの極悪振りを見るのです。それはナボテのぶどう畑の話です。
王アハブは、自分の家の隣りにいるエズレル人ナボテのぶどう畑を手に入れようと、いろいろ交渉しました。しかし、ナボテは、これは先祖から伝わっている土地だから売ることは出来ませんと、交渉に応じません。王は怒って食事もせず、終日床の上に転がり、子供のようにだだをこねていました。
これを見た王妃イゼベルは、「あなたは今イスラエルの王ではありませんか。これしきのことが何です。わたしが畑を取ってあげましょう」と言って、ナボテの町の長老たちに命じ、ナボテを多くの民の前に立たせ、偽証人二人を送って、「ナボテは神と王とをのろった」と偽証させ 民を怒らせナボテを引き出させて石で打ち殺させました。何と言う非道でしょう。
イゼベルは王に、「あなたに金で譲ることを拒んだ、ぶどう畑を取りなさい。ナボテは生きていません」と申しました(15)。
王はぶどう畑を取ろうとした時です。神は預言者エリヤを送って、「犬がナボテの血をなめた場所で、犬があなたの血をなめる」(19)と告げられ、また、イゼベルについて、「犬がエズレルの地域でイゼベルを食う」(13)と、厳しい預言をしました。アハブ王はそれによって悔悟いたしましたが、預言の通り、敵の矢に倒れました(22:34~35)。
夫である王の死により、イゼベルは悔悟するかと思いましたが、彼女は悔悟どころか、かえって彼女の悪事がつのるのみでした。
彼女は、新しい王エヒウがエルサレムに入場すると聞いて、美しく化粧し、窓際に立って新しい王を誘惑しようと試みたのです。イゼベルは、自分の容色をたのんで人を誘い、悪に陥れても自分は享楽しようとする、本当の毒婦型の女でした。
新しい王エヒウは、早くもこのことを見抜いて、人をやって家の中から突き落とさせて殺しました。その後、新しい王は、イゼベルは悪い人間であるには違いないのですが、もとは王妃ですから、その死体を収容させようとしました。その時、死体は堀の中で、犬に食われていました。エリヤの預言通りで、これが本当の犬死でしょう(列王紀下9章参照)。
このむごたらしい話にも、大きな教えがあります。
1 魔性の女の力強さ。
アハブは弱い性格であり、妻の力は実に大きいものでした。イゼベルの魔力に国中がひきずりまわされた観があります。私たちの注意したいのは、クリスチャンである夫がよい信仰をもっていても、不信仰な妻の力に、あっけなく負かされて、正しい信仰から脱落する実例をここに見ることが出来ます。
2 このイゼベルにも、まことの道に帰る機会が二度、三度、神から与えられていました。ことに、旧約史上二人といない大預言者エリヤに会いながら、その忠告に耳をかさず、悪に走り、ついに犬死したのです。
世の中には、相当長く教会生活を送っているクリスチャンでも、どうかすると、牧師の言葉に耳をかさす、自分の悪いことを棚にあげて、かえって注意する牧師を嫌う人がありますが、イゼベルもその例に漏れない人物でした。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
『旧・新約婦人物語』(40)
テモテの母ユニケ
=使徒行伝16章1節・テモテへの第二の手紙1章5節=
皆様方がご存知のように、テモテの母ユニケという婦人は、先に学びましたロイスの娘にあたります。彼女は、若くて熱心な伝道者テモテのお母さんです。新約聖書の中に出て来ます多くの婦人たちの中で、ことに感激させられる女性は、このユニケのお話であると思います。
ユニケの家族は、小アジアのルステラという町に住んでいました。使徒行伝16章1~2節を見ますと、そこに「彼(パウロ)はデルベに行き、次にルステラに行った。そこにテモテという名の弟子がいた。信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシャ人を父としており、ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった」と記されています。
先ず、ここで分かりますことは、ユニケがユダヤ婦人であって、ギリシャ人の主人と結婚していたと言うことであります。当時は、多くのユダヤ人が商売やその他いろいろの事情のために自分たちの国を去り、異邦の国々に住んでいたのです。ユニケは小アジアで結婚したのか、それともユダヤで結婚して、主人の仕事のために小アジアに移住したのか、その辺の事情を聖書ははっきり語っていません。いずれにしましても、ユニケと彼女の母ロイス、そしてギリシャ人の主人と愛する息子のテモテの一家族が、ルステラに住んでいたことには、間違いがありません。
次にはっきりしていますことは、ユニケは実に熱心なキリスト教信者であったと言うことです。主人は未信者ではありましたが、ユニケは実に熱心な偽りのない信仰をもっていました。それは曖昧な、なまぬるい信仰ではございませんでした。
テモテへの第二の手紙1章5節をご覧になりますとよくわかります。すなわち、「また、あなた(テモテ)がいだいている偽りのない信仰を思い起こしているこの信仰は、先ずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っていると、わたしは確信している」とございます。
偶像崇拝や迷信に満ち溢れています小アジアにおいて、真の神を信じ、キリストだけを信じて、キリストによる救いにあずかり、この唯一の福音を先ず自分のものとし、次ぎにこれを愛する子供に教え、その上、多くの人々にも信仰の証をしたのは、正にこのユニケでした。彼女の境遇はある意味では、今日の日本のクリスチャン婦人の境遇にもよく似ているように、私には思えます。彼女が迷信と偶像に満ちた国の中に置かれていましたように、現代の日本のクリスチャン婦人も異教と偶像と迷信の内に包まれ、囲まれているのです。また多くのクリスチャン婦人は未信者と結婚しているのです。その良し悪しは別としましても、そのためにいろいろと大きな問題が起こってまいります。
第一は、日曜日の聖日礼拝の厳守が、非常に難しい事情に陥りがちです。奥さんの方が礼拝を守りたいと望んでおられましても、サラリーマンの未信者の主人は、せっかくの日曜日だ、朝ぐらいゆっくり寝たいといって、なかなか頭をあげてくれません。もしも主人が起きた時、奥さんが教会に行って留守にでもしてしまいますと、それは大変です。
そこで、どうしても自然と礼拝に足を運ぶことが億劫になり、礼拝に欠席するのが習慣となってしまいます。ご主人の協力が得られるか、得られないかは、信仰生活にとって、極めて大切なポイントであると申せましょう。
第二に家庭礼拝を守ることも困難だと思います。クリスチャンの奥さん一人だけで、家庭礼拝を守ることは、なかなか勇気のいる仕事です。また日本の習慣で、クリスチャンの奥さんが教会の集まりなどにしげしげと足を運んだり、外出いたしますと、近所の人たちの話題の材料とされ、良くは言われないで、とかく悪い評判を立てられます。今では日本の国情も随分と変わり、大都市ではそのような傾向がなくなりつつあるようですが、一歩田舎に足を入れますと、まだまだ封建的な思想や習慣が残っていまして、昔と少しも変わらぬものが非常に根強いと言われています。
こうして実際問題を、目の先に見せつけられています日本のクリスチャン婦人は、どうしたらよいのでしょうか? ここで、ユニケのあの確固不動の強い確信に満ちた信仰態度に学ぶべきだと存じます。
先ずクリスチャン婦人は、自分の置かれている周囲の環境に妥協しないことです。静かに子供たちを集め、毎日聖書を読み、讃美歌を歌い、神に祈りましょう。子供と共に聖書を読むことと、祈ることは、クリスチャンであります母として、一番大切な役目なのです。多くのお母さんたちは、子供の学校における成績が気にかかり、健康状態には実に神経質過ぎるほど敏感で骨をおられます。けれども、子供の根本的なこと、精神の成長と進歩につきましては冷淡なほどまでに実に無関心でおられるようです。
第三には、家族のために祈ることであります。あなたの熱心な祈りによりまして、聖霊が頑固一徹な家族の人たちの心を砕いて下さいます。お母さんの祈りによって、神様に導かれました青年の例などは、数えますなら限りがありません。
さらに、クリスチャン婦人たちは、洗礼を受けました時、神様の前でいたしました約束を絶えず思い出して、その約束を守るべきであります。その内の一つが教会の集まりに熱心に出ることであります。
よく祈って、謙遜な態度で、このことをあなたのご主人に説明し続けられますなら、必ずご主人は理解して下さることでしょう。このような努力こそ、偽りのないキリスト者の取るべき態度であると存じます。妥協のない、偽りなき信仰生活を守り続けるクリスチャン婦人こそ、日本のキリスト教会の土台となる方々であろうと存じます。
「・・・神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、ちからと愛と慎みとの霊なのである。だから、あなたは、わたしたちの主の話しをすることや、わたしが主の囚人であることを決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力に支えられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい」(Ⅱテモテ1:8~9)。
わたしたちは臆病な態度を捨てて、偽りのない信仰生活を守り抜こうではありませんか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
テモテの母ユニケ
=使徒行伝16章1節・テモテへの第二の手紙1章5節=
皆様方がご存知のように、テモテの母ユニケという婦人は、先に学びましたロイスの娘にあたります。彼女は、若くて熱心な伝道者テモテのお母さんです。新約聖書の中に出て来ます多くの婦人たちの中で、ことに感激させられる女性は、このユニケのお話であると思います。
ユニケの家族は、小アジアのルステラという町に住んでいました。使徒行伝16章1~2節を見ますと、そこに「彼(パウロ)はデルベに行き、次にルステラに行った。そこにテモテという名の弟子がいた。信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシャ人を父としており、ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった」と記されています。
先ず、ここで分かりますことは、ユニケがユダヤ婦人であって、ギリシャ人の主人と結婚していたと言うことであります。当時は、多くのユダヤ人が商売やその他いろいろの事情のために自分たちの国を去り、異邦の国々に住んでいたのです。ユニケは小アジアで結婚したのか、それともユダヤで結婚して、主人の仕事のために小アジアに移住したのか、その辺の事情を聖書ははっきり語っていません。いずれにしましても、ユニケと彼女の母ロイス、そしてギリシャ人の主人と愛する息子のテモテの一家族が、ルステラに住んでいたことには、間違いがありません。
次にはっきりしていますことは、ユニケは実に熱心なキリスト教信者であったと言うことです。主人は未信者ではありましたが、ユニケは実に熱心な偽りのない信仰をもっていました。それは曖昧な、なまぬるい信仰ではございませんでした。
テモテへの第二の手紙1章5節をご覧になりますとよくわかります。すなわち、「また、あなた(テモテ)がいだいている偽りのない信仰を思い起こしているこの信仰は、先ずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っていると、わたしは確信している」とございます。
偶像崇拝や迷信に満ち溢れています小アジアにおいて、真の神を信じ、キリストだけを信じて、キリストによる救いにあずかり、この唯一の福音を先ず自分のものとし、次ぎにこれを愛する子供に教え、その上、多くの人々にも信仰の証をしたのは、正にこのユニケでした。彼女の境遇はある意味では、今日の日本のクリスチャン婦人の境遇にもよく似ているように、私には思えます。彼女が迷信と偶像に満ちた国の中に置かれていましたように、現代の日本のクリスチャン婦人も異教と偶像と迷信の内に包まれ、囲まれているのです。また多くのクリスチャン婦人は未信者と結婚しているのです。その良し悪しは別としましても、そのためにいろいろと大きな問題が起こってまいります。
第一は、日曜日の聖日礼拝の厳守が、非常に難しい事情に陥りがちです。奥さんの方が礼拝を守りたいと望んでおられましても、サラリーマンの未信者の主人は、せっかくの日曜日だ、朝ぐらいゆっくり寝たいといって、なかなか頭をあげてくれません。もしも主人が起きた時、奥さんが教会に行って留守にでもしてしまいますと、それは大変です。
そこで、どうしても自然と礼拝に足を運ぶことが億劫になり、礼拝に欠席するのが習慣となってしまいます。ご主人の協力が得られるか、得られないかは、信仰生活にとって、極めて大切なポイントであると申せましょう。
第二に家庭礼拝を守ることも困難だと思います。クリスチャンの奥さん一人だけで、家庭礼拝を守ることは、なかなか勇気のいる仕事です。また日本の習慣で、クリスチャンの奥さんが教会の集まりなどにしげしげと足を運んだり、外出いたしますと、近所の人たちの話題の材料とされ、良くは言われないで、とかく悪い評判を立てられます。今では日本の国情も随分と変わり、大都市ではそのような傾向がなくなりつつあるようですが、一歩田舎に足を入れますと、まだまだ封建的な思想や習慣が残っていまして、昔と少しも変わらぬものが非常に根強いと言われています。
こうして実際問題を、目の先に見せつけられています日本のクリスチャン婦人は、どうしたらよいのでしょうか? ここで、ユニケのあの確固不動の強い確信に満ちた信仰態度に学ぶべきだと存じます。
先ずクリスチャン婦人は、自分の置かれている周囲の環境に妥協しないことです。静かに子供たちを集め、毎日聖書を読み、讃美歌を歌い、神に祈りましょう。子供と共に聖書を読むことと、祈ることは、クリスチャンであります母として、一番大切な役目なのです。多くのお母さんたちは、子供の学校における成績が気にかかり、健康状態には実に神経質過ぎるほど敏感で骨をおられます。けれども、子供の根本的なこと、精神の成長と進歩につきましては冷淡なほどまでに実に無関心でおられるようです。
第三には、家族のために祈ることであります。あなたの熱心な祈りによりまして、聖霊が頑固一徹な家族の人たちの心を砕いて下さいます。お母さんの祈りによって、神様に導かれました青年の例などは、数えますなら限りがありません。
さらに、クリスチャン婦人たちは、洗礼を受けました時、神様の前でいたしました約束を絶えず思い出して、その約束を守るべきであります。その内の一つが教会の集まりに熱心に出ることであります。
よく祈って、謙遜な態度で、このことをあなたのご主人に説明し続けられますなら、必ずご主人は理解して下さることでしょう。このような努力こそ、偽りのないキリスト者の取るべき態度であると存じます。妥協のない、偽りなき信仰生活を守り続けるクリスチャン婦人こそ、日本のキリスト教会の土台となる方々であろうと存じます。
「・・・神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、ちからと愛と慎みとの霊なのである。だから、あなたは、わたしたちの主の話しをすることや、わたしが主の囚人であることを決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力に支えられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい」(Ⅱテモテ1:8~9)。
わたしたちは臆病な態度を捨てて、偽りのない信仰生活を守り抜こうではありませんか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
『旧・新約婦人物語』(39)
ザレパテのやもめ
=列王紀上 17章=
この話の主人公は、シドンという国に住んでいた名前もわからない哀れな、貧乏暮らしのやもめです。シドン人は、まことの神を知らず、太陽を神とする偶像バアルを拝んでおりました。
列王紀上16章を見ますと、シドン王の娘イゼベルがイスラエル王アハブと結婚して、バアル崇拝の思想をイスラエルに導入したとあります。アハブ王は愚かにも王妃の意に従って、まことの神にそむき、バアル崇拝に協力して、国内にバアルの宮を建てたのです。その結果は恐ろしく、神は預言者エリヤをアハブに送って、「わたしに仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉がないうちは数年雨も露もないでしょう」(17:1)と、告げられたのです。
日照りが三年半も続いて、一滴の雨もなく、国中は大飢饉に見舞われました。このことにより、私は、クリスチャンが未信者と結婚することが、いかに危険で、恐ろしいことであるかの、よい実例を見るのです。
エリヤは、この恐ろしい預言をアハブに伝えた後、ただちに神の命令に従って、ケリテ川の上流深く岩間に身を隠しました。彼は川の水を飲み、朝夕からすの運んでくるパンと肉とで、奇跡的に神に養われていました。しかし、やがて旱魃がひどく、川の水も涸れてしまいました。彼は神のお告げによって川を下り、シドンのザレパテへ来ました。
町の門のところで、ぼろを着た一人のやもめが、焚き木を拾っているのを見つけ、彼が少しの水を所望しました。長い日照りで川も涸れて、一杯の水も尊い命の綱ではありますが、彼女は旅人を気の毒と思って、水を取りに帰ろうといたします。するとエリヤは空腹のあまり、一口のパンをも頼んだのです。女は困った顔をして、「わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているところです」(17:12)と、哀れな有様を語りました。
エリヤは彼女に恐れるにはおよばない、私の言うとおりにすれば、雨が降るまで桶の粉はなくならず、油も尽きず、食べ物に困らないでしょうと、神様が言われていますと申しました。このやもめは、エリヤの言葉に従って神を信じ、そのようにしましたので、飢饉の難を逃れることが出来ました。
こうして、エリヤはやもめとともに暮らすうちに、やもめの子が重い病気にかかって死んだのです。女は歎きのあまり、エリヤに向かって、「あなたは神の人でありながら、わたしの子を死なせるためにきたのですか」と、愚痴を言いました。エリヤは哀れに思って、三度子供の上に伏して「わが神主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」と、熱心に祈り、神のお力によって子供の命をよみがえらせていただき、子供を彼女に返しました。彼女は、「主の言葉が真実であることを知りました」と、神様を賛美しました。この哀れな話にも多くの教訓を含んでいます。
1 このやもめの性格の内に尊いものがあります。
だれでも自分が困難に遭遇しますと、経済的なことには、自己中心になりやすく、他をかえりみないものですが、彼女のように自分の命をかけて、見知らぬ旅人をもてなすということは、素晴らしい話です。キリストは、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな」(マタイ6:31)と警告しておられます。私たちはこのやもめがすべてを犠牲にして、エリヤに食物を与えた彼女の信仰に学びたいものです。
2 この女が信仰をもって、わずかの水と、一口のパンを与えたことによって、神は三年余の長い間、彼女を養い給うたことにも教えがあります。
私たちが受けた大きな恵みのうちわずかを捧げるのを善として、神はそれを三十倍、六十倍、百倍にして返してくださることを、この物語によって学びましょう。ヨハネによる福音書6章に、一人の子供がわずか五つのパンと、二つの魚を捧げたことによって、五千人の人々を養っておられます。神に恵まれようと思えば、まず神に捧げましょう。
3 キリストのお生まれになる前の遠い昔の時代から、神は異邦人への預言者を送って、世界中のすべての人が、神の愛したもう子供である実例を示して下さいました。
キリストも、ザレパテのやもめの例をお引きになって。当時のユダヤ人たちが、神を認めないため、神の恵みは異邦人に行くとお教えになっています(ルカ4:25~26)。ユダヤ人たちは、アハブのように神に背いて、まことの神を認めず、偶像に走って滅びる外なかったのです。
そのように同じ滅びの淵にある人類を救うために、キリストは、まことの光としてこの世に来たりたもうたのです。私たちは、このキリストを信じ、キリストの光に照らされ、大いに恵まれる光の子となろうではありませんか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本 の在庫はありません。
ザレパテのやもめ
=列王紀上 17章=
この話の主人公は、シドンという国に住んでいた名前もわからない哀れな、貧乏暮らしのやもめです。シドン人は、まことの神を知らず、太陽を神とする偶像バアルを拝んでおりました。
列王紀上16章を見ますと、シドン王の娘イゼベルがイスラエル王アハブと結婚して、バアル崇拝の思想をイスラエルに導入したとあります。アハブ王は愚かにも王妃の意に従って、まことの神にそむき、バアル崇拝に協力して、国内にバアルの宮を建てたのです。その結果は恐ろしく、神は預言者エリヤをアハブに送って、「わたしに仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉がないうちは数年雨も露もないでしょう」(17:1)と、告げられたのです。
日照りが三年半も続いて、一滴の雨もなく、国中は大飢饉に見舞われました。このことにより、私は、クリスチャンが未信者と結婚することが、いかに危険で、恐ろしいことであるかの、よい実例を見るのです。
エリヤは、この恐ろしい預言をアハブに伝えた後、ただちに神の命令に従って、ケリテ川の上流深く岩間に身を隠しました。彼は川の水を飲み、朝夕からすの運んでくるパンと肉とで、奇跡的に神に養われていました。しかし、やがて旱魃がひどく、川の水も涸れてしまいました。彼は神のお告げによって川を下り、シドンのザレパテへ来ました。
町の門のところで、ぼろを着た一人のやもめが、焚き木を拾っているのを見つけ、彼が少しの水を所望しました。長い日照りで川も涸れて、一杯の水も尊い命の綱ではありますが、彼女は旅人を気の毒と思って、水を取りに帰ろうといたします。するとエリヤは空腹のあまり、一口のパンをも頼んだのです。女は困った顔をして、「わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているところです」(17:12)と、哀れな有様を語りました。
エリヤは彼女に恐れるにはおよばない、私の言うとおりにすれば、雨が降るまで桶の粉はなくならず、油も尽きず、食べ物に困らないでしょうと、神様が言われていますと申しました。このやもめは、エリヤの言葉に従って神を信じ、そのようにしましたので、飢饉の難を逃れることが出来ました。
こうして、エリヤはやもめとともに暮らすうちに、やもめの子が重い病気にかかって死んだのです。女は歎きのあまり、エリヤに向かって、「あなたは神の人でありながら、わたしの子を死なせるためにきたのですか」と、愚痴を言いました。エリヤは哀れに思って、三度子供の上に伏して「わが神主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」と、熱心に祈り、神のお力によって子供の命をよみがえらせていただき、子供を彼女に返しました。彼女は、「主の言葉が真実であることを知りました」と、神様を賛美しました。この哀れな話にも多くの教訓を含んでいます。
1 このやもめの性格の内に尊いものがあります。
だれでも自分が困難に遭遇しますと、経済的なことには、自己中心になりやすく、他をかえりみないものですが、彼女のように自分の命をかけて、見知らぬ旅人をもてなすということは、素晴らしい話です。キリストは、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな」(マタイ6:31)と警告しておられます。私たちはこのやもめがすべてを犠牲にして、エリヤに食物を与えた彼女の信仰に学びたいものです。
2 この女が信仰をもって、わずかの水と、一口のパンを与えたことによって、神は三年余の長い間、彼女を養い給うたことにも教えがあります。
私たちが受けた大きな恵みのうちわずかを捧げるのを善として、神はそれを三十倍、六十倍、百倍にして返してくださることを、この物語によって学びましょう。ヨハネによる福音書6章に、一人の子供がわずか五つのパンと、二つの魚を捧げたことによって、五千人の人々を養っておられます。神に恵まれようと思えば、まず神に捧げましょう。
3 キリストのお生まれになる前の遠い昔の時代から、神は異邦人への預言者を送って、世界中のすべての人が、神の愛したもう子供である実例を示して下さいました。
キリストも、ザレパテのやもめの例をお引きになって。当時のユダヤ人たちが、神を認めないため、神の恵みは異邦人に行くとお教えになっています(ルカ4:25~26)。ユダヤ人たちは、アハブのように神に背いて、まことの神を認めず、偶像に走って滅びる外なかったのです。
そのように同じ滅びの淵にある人類を救うために、キリストは、まことの光としてこの世に来たりたもうたのです。私たちは、このキリストを信じ、キリストの光に照らされ、大いに恵まれる光の子となろうではありませんか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本 の在庫はありません。
『旧・新約婦人物語研究』 (38)
信仰に生きたおばあさん
ロイス
=テモテへの第二手紙=
「また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起こしている。この信仰は、まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿っていると、わたしは確信している」(Ⅱテモテ1:5)。
「御言を宣べ伝えなさい。時がよくても悪くても、それに励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい」(4:2)。
キリスト教信仰のためにローマに送られ、間もなく殉教の死を迎えなければならない大使徒パウロは、死に臨み、愛する若い弟子テモテに手紙を送り、このような言葉をもって、彼の信仰を励まし、彼の大きな使命をもう一度思い起こさせようと、こんこんと説いています。使徒パウロのこの言葉によって、パウロのテモテに対する気持がよくわかるばかりでなく、祖母ロイスや母ユニケに対する彼の考えがよくわかると思います。
今日の日本と同じように、この地方でも、この頃は三代にわたるクリスチャンの家庭は非常に少なかったのであります。パウロはそのような意味で、テモテの家庭環境をいくぶんうらやましく感じていたかも知れません。なぜかと言えば、パウロはご存知の通り、エルサレムからダマスコへの道すがら、直接、よみがえりの主イエス・キリストにお目にかかったことにより、キリスト教信仰に導かれました。従って、彼は彼自身の父母からキリスト教信仰について、暖かい導きを受けていないのです。けれども、テモテは幸いにも、幼い子供の時から暖かく祖母や母の信仰に導かれて成長したようです。彼は本当に幸福な環境にあったわけであります。
「また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている」(3:15)と、パウロが書いている通りです。
この三代目のクリスチャン・テモテの持っていた偽りなき信仰は、もちろん主なる神様に導かれ、与えられたものでありますが、おばあさんのロイスと、お母さんのユニケから引き継がれたものであることを、ここでパウロが強調していることに注意して下さい。
先ずここで、非常にわたしたちが教えられますことは、祖母や母たちといった、家族の年長者の方々の信仰が、どんなに早くしかも確実に、子や孫に伝わるかということです。言葉をかえて言えば、祖母や母の信仰が如何に大きな影響を、彼らの子供に及ぼすかという点であります。
これは良い例ですが、悪い例、悪い影響はこれに反比例して、更に恐ろしいものがあります。一つの例を申しますと、子供たちのつまらない迷信や、間違った偶像崇拝は、実際、どこから彼らが知り、覚えたものでしょうか? それは多くの場合、おばあさんやお母さんたちの迷信からくるもので、最近はやりの「OO祭」と言った、氏神の祭りなどでつくづくそのことを感じさせられています。神輿をかついで騒ぎまわるのは、もちろんおばあさんやお母さんではありませんが、この習慣を生かしているのは、これらの女性たちではないでしょうか。
また、三つか四つの小さい男の子や女の子に厚化粧をさせ、一日中、お宮さんの稚児行列に連れ歩いておられる場面に出会います。疲れ切った子供が、母の胸に頭をもたせ掛け、「かなわんな!」といった姿を、皆様も見かけるでしょう。七五三のお祝いだといって、子供を身分不相応に着飾らせ、神社へ連れて行くのは誰でしょう。お母さんやおばあさんですね。
このような雰囲気と環境の中で育てられてまいります日本の子供たちが、どうして生ける真の神を知ることができましょうか? それに引きかえ、テモテのおばあさんのロイスの信仰は実に立派で、素晴らしいものでありました。このロイスは何時、クリスチャンになったか、はっきりわかりません。しかしある聖書学者は、それはきっとパウロの第一回伝道旅行のとき、小アジアのルステラで、彼が伝道した時ではないかと申します。使徒行伝14章8節以下をお読みになりますと、その時のパウロの伝道と苦難の模様が、詳しく書かれています。
パウロの熱心な説教を聞いた人々の内、ユダヤ教の人たちが大変憤り、群衆を仲間に引き入れて、パウロを石で打つという事件が突発いたしました。石で打たれたパウロが死んでしまったと彼らは思い込み、町の外へ引きずり出して、そこに放り出してしまいました。けれども、パウロは間もなく息を吹き返し、立ち上がってまた町に入って行きました。翌日、パウロはバルナバと一緒に、他の町へ伝道に行きました。
このルステラの町は、ロイスとユニケが住んでいた町ですから、きっと、彼女たちはこの時のひどい迫害と、パウロの苦難を目の当たりに目撃して、パウロの信仰の真剣さに感動させられ、感激したことと思います。彼女らの信仰は、この迫害によってきたえられ、ちょうどアイロンが電気によって熱くなるように、彼女らの信仰は苦難によって熱せられ、あのかたい信仰にまで進んだことと想像いたします。
また、ロイスは、この苦難を通してきたえられ、つちかわれた何ものにもかえがたいキリスト教信仰を、また幼い孫テモテの心に、子供の頃から注ぎ入れられたと存じます。聖書のみ言葉を、ロイスは彼女の生活の土台としたのです。この美しい信仰生活にこそ、テモテのような美しい信仰の実が、結ばれる結果となったのであります。
このような信仰厚く、立派なクリスチャンのおばあさんが、ただ今の日本の国に、どれ程いらっしゃるでしょうか? もし立派な国民を作りたいという皆様がお望みでしたら、おじいさんやおばあさんの教育から始めなければならないと思います。その方々が何よりも先ず、偶像を捨てて、真の神に立ち返るために、主イエス・キリストを信じることです。
日本がキリストの国とされるためには、またそこまで導かれるためには、偽りなき真の信仰を持つおばあさんを、第一に必要といたします。
どうか、日本のすべてのロイスさんたち、間違った迷信や、誤った偶像をすっかり捨てて、真の神様に立ち返って下さい。そして、あなたのご家族の皆さんが一人残らず、主イエス・キリストに導かれますように、心から祈ってやみません。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
信仰に生きたおばあさん
ロイス
=テモテへの第二手紙=
「また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起こしている。この信仰は、まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿っていると、わたしは確信している」(Ⅱテモテ1:5)。
「御言を宣べ伝えなさい。時がよくても悪くても、それに励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい」(4:2)。
キリスト教信仰のためにローマに送られ、間もなく殉教の死を迎えなければならない大使徒パウロは、死に臨み、愛する若い弟子テモテに手紙を送り、このような言葉をもって、彼の信仰を励まし、彼の大きな使命をもう一度思い起こさせようと、こんこんと説いています。使徒パウロのこの言葉によって、パウロのテモテに対する気持がよくわかるばかりでなく、祖母ロイスや母ユニケに対する彼の考えがよくわかると思います。
今日の日本と同じように、この地方でも、この頃は三代にわたるクリスチャンの家庭は非常に少なかったのであります。パウロはそのような意味で、テモテの家庭環境をいくぶんうらやましく感じていたかも知れません。なぜかと言えば、パウロはご存知の通り、エルサレムからダマスコへの道すがら、直接、よみがえりの主イエス・キリストにお目にかかったことにより、キリスト教信仰に導かれました。従って、彼は彼自身の父母からキリスト教信仰について、暖かい導きを受けていないのです。けれども、テモテは幸いにも、幼い子供の時から暖かく祖母や母の信仰に導かれて成長したようです。彼は本当に幸福な環境にあったわけであります。
「また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている」(3:15)と、パウロが書いている通りです。
この三代目のクリスチャン・テモテの持っていた偽りなき信仰は、もちろん主なる神様に導かれ、与えられたものでありますが、おばあさんのロイスと、お母さんのユニケから引き継がれたものであることを、ここでパウロが強調していることに注意して下さい。
先ずここで、非常にわたしたちが教えられますことは、祖母や母たちといった、家族の年長者の方々の信仰が、どんなに早くしかも確実に、子や孫に伝わるかということです。言葉をかえて言えば、祖母や母の信仰が如何に大きな影響を、彼らの子供に及ぼすかという点であります。
これは良い例ですが、悪い例、悪い影響はこれに反比例して、更に恐ろしいものがあります。一つの例を申しますと、子供たちのつまらない迷信や、間違った偶像崇拝は、実際、どこから彼らが知り、覚えたものでしょうか? それは多くの場合、おばあさんやお母さんたちの迷信からくるもので、最近はやりの「OO祭」と言った、氏神の祭りなどでつくづくそのことを感じさせられています。神輿をかついで騒ぎまわるのは、もちろんおばあさんやお母さんではありませんが、この習慣を生かしているのは、これらの女性たちではないでしょうか。
また、三つか四つの小さい男の子や女の子に厚化粧をさせ、一日中、お宮さんの稚児行列に連れ歩いておられる場面に出会います。疲れ切った子供が、母の胸に頭をもたせ掛け、「かなわんな!」といった姿を、皆様も見かけるでしょう。七五三のお祝いだといって、子供を身分不相応に着飾らせ、神社へ連れて行くのは誰でしょう。お母さんやおばあさんですね。
このような雰囲気と環境の中で育てられてまいります日本の子供たちが、どうして生ける真の神を知ることができましょうか? それに引きかえ、テモテのおばあさんのロイスの信仰は実に立派で、素晴らしいものでありました。このロイスは何時、クリスチャンになったか、はっきりわかりません。しかしある聖書学者は、それはきっとパウロの第一回伝道旅行のとき、小アジアのルステラで、彼が伝道した時ではないかと申します。使徒行伝14章8節以下をお読みになりますと、その時のパウロの伝道と苦難の模様が、詳しく書かれています。
パウロの熱心な説教を聞いた人々の内、ユダヤ教の人たちが大変憤り、群衆を仲間に引き入れて、パウロを石で打つという事件が突発いたしました。石で打たれたパウロが死んでしまったと彼らは思い込み、町の外へ引きずり出して、そこに放り出してしまいました。けれども、パウロは間もなく息を吹き返し、立ち上がってまた町に入って行きました。翌日、パウロはバルナバと一緒に、他の町へ伝道に行きました。
このルステラの町は、ロイスとユニケが住んでいた町ですから、きっと、彼女たちはこの時のひどい迫害と、パウロの苦難を目の当たりに目撃して、パウロの信仰の真剣さに感動させられ、感激したことと思います。彼女らの信仰は、この迫害によってきたえられ、ちょうどアイロンが電気によって熱くなるように、彼女らの信仰は苦難によって熱せられ、あのかたい信仰にまで進んだことと想像いたします。
また、ロイスは、この苦難を通してきたえられ、つちかわれた何ものにもかえがたいキリスト教信仰を、また幼い孫テモテの心に、子供の頃から注ぎ入れられたと存じます。聖書のみ言葉を、ロイスは彼女の生活の土台としたのです。この美しい信仰生活にこそ、テモテのような美しい信仰の実が、結ばれる結果となったのであります。
このような信仰厚く、立派なクリスチャンのおばあさんが、ただ今の日本の国に、どれ程いらっしゃるでしょうか? もし立派な国民を作りたいという皆様がお望みでしたら、おじいさんやおばあさんの教育から始めなければならないと思います。その方々が何よりも先ず、偶像を捨てて、真の神に立ち返るために、主イエス・キリストを信じることです。
日本がキリストの国とされるためには、またそこまで導かれるためには、偽りなき真の信仰を持つおばあさんを、第一に必要といたします。
どうか、日本のすべてのロイスさんたち、間違った迷信や、誤った偶像をすっかり捨てて、真の神様に立ち返って下さい。そして、あなたのご家族の皆さんが一人残らず、主イエス・キリストに導かれますように、心から祈ってやみません。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
『旧・新約婦人物語』(37)
ヤラベアムの妻
=列王紀上 14:1~17=
これから学ぶ婦人は、イスラエル王ヤラベアムの妻と聖書に記されている人物です。彼女が王の命令によって、コロにいる預言者アヒヤを訪ねた物語です。聖書にはこの婦人の記事はここ一箇所だけしか出ておりません。
このお話しがよくお分かりいただくために、少しさかのぼって、ヤラベアム王のことから始めましょう。彼の名前が聖書に出てくるのは、11章26節からです。彼はソロモン王の家臣で、知恵に富み、能力のある青年でした。王はヤラベアムをたてて、ヨセフの家を司る重い責任ある地位を与えていたのです。さすがに全盛を極めたソロモン王朝も末期となって、王は異教の女を王宮に入れ、これを愛したために、だんだんと偶像崇拝に陥り、神を離れ、ついに神からも見捨てられるようになりました。
そこで、神はヤラベアムを選んで王とするために、預言者アヒヤを通じて、主のみむねをお伝えになりました(11:34~38)。ソロモンは父ダビデが神の命令と掟を守ったために、特にソロモンの一生涯は王とされます。しかし、彼の手から国を取って、十の部族をソロモンの家来のヤラベアムに与えるとの預言でした。この預言の通りに、ソロモン王の死後、国は二つに分裂し、十の部族がヤラベアムに、二つの部族がユダ王国としてソロモンの子レハベアムに残されました。
しかし、残念なことに、せっかく神に選ばれて王となったヤラベアムは、神のみ心に背いて偶像に走り、金の子牛の像を二つ作って一つを国の南に立て、国中の人々及び旅人にこれを拝むように強制したのです。これは神に対する大罪で、偶像崇拝を自らの国民にまで強制したことになり、聖書はこれを「ヤラベアムの罪」と何度も繰り返しています。
ヤラベアムは神から、「もし、あなたが、わたしの命じるすべての事を聞いて、わたしの道に歩み、わたしの目にかなう事を行い、わたしのしもべダビデがしたように、わたしの定めと戒めとを守るならば、わたしはあなたと共にいて、わたしがダビデのために建てたように、あなたのために堅固な家を建てて、イスラエルをあなたに与えよう」(11:38)と、いとも懇ろな戒めとお約束を受けながら、どうしてこのような罪を犯すようになったのでしょうか。
それは、民らがユダの国のエルサレムの宮に参るのを防ぐ政治的手段であったのです。神の力に頼りきれない、政治家の弱さでもあります。13章を見ますと、神は今一人の預言者を送って、今一度彼に注意を促し、もし偶像崇拝の悪い道を離れず、偶像崇拝を止めない時は、神はヤラベアムとその家族を滅ぼすであろうと警告されました。しかし、彼はついに従いませんでした。
神の預言は実現し始め、ヤラベアムの子アビヤが重い病に苦しみはじめました。王ヤラベアムも愛する子供が病気で苦しむ様子を見ては、世の人々と同じで、諺にあるとおり「困った時の神頼み」と、まことの神の救い求めるようになりました。彼はかつて預言を伝えに来たアヒヤを思い起こしたのです。彼は妻を呼んで、「王妃であるのを知られないように変装し、十個のパンと菓子をみやげにして預言者アヒヤを訪ねさせ、子供が癒されるか、どうかを尋ねるように命じました。
これは、神の預言者に対して取るべき態度ではありません。彼女はこのことが悪いことと知りつつ断りもせず命じられるまま、姿を変えて出かけました。ここに彼女の弱さがあります。
神はアヒヤにこの婦人が誰であるか、お知らせになりました。彼女の足音が戸の外に聞こえますと、預言者は、「ヤラベアムの妻よ、はいりなさい。・・・わたしはあなたに厳しい事を告げるよう、命じられています」(14:6)と前置きして、あなたの夫、ヤラベアム王は神より選ばれ、イスラエルの君として、ダビデの家より国を裂いて与えられたのに、神の戒めを守り行いませんでした。だから、あなたが家に帰って敷居をまたぐときに、その子は死にますと、預言いたしました。彼女は驚いて家へ帰ったとき、預言の通りその子供の息は絶えたのです。
間もなく、ユダの王アビヤがたって、ヤラベアム王朝は僅か22年で滅んでしまいました。歴代誌下13章20節に、「ヤラベアムは、・・・主に撃たれて死んだ」とあります。
この話か私たちにいろいろな教訓を与えております。
1 偶像崇拝が如何に恐ろしい罪であり、この罪は国も滅ぼすことを教えています。第二次大戦前の偶像崇拝の盛んであった日本の状態、および戦争の結果は、明らかにこのことを証明しております。それにもかかわらず、世の人々はなおこの金の子牛である偶像崇拝を捨てきれないのです。
クリスチャンでありながら心のうちに神棚、仏壇を忘れられず、死者を拝んだり、神社の祭礼行事に仲間入りしないと、近所との交際が出来ないと恐れるのは、金の子牛に心引かれることです。日本のクリスチャンにこの心がある限り、日本ではキリスト教は伸びず、日本の国は危ういと思います。
2 虚偽は必ず罰せられます。ヤラベアムの妻が、夫の言いつけとは言いながら、神の人を欺こうとしたことは、大きな罪で罰せられるのは当然です。自分の都合や、勝手なことで、神にすがるというような、思いつき、その場限りのことはいけないことです。人を欺いて心にもない甘い言葉で人の歓心を買い、自分のためにすることは本当に愚かしいことです
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
ヤラベアムの妻
=列王紀上 14:1~17=
これから学ぶ婦人は、イスラエル王ヤラベアムの妻と聖書に記されている人物です。彼女が王の命令によって、コロにいる預言者アヒヤを訪ねた物語です。聖書にはこの婦人の記事はここ一箇所だけしか出ておりません。
このお話しがよくお分かりいただくために、少しさかのぼって、ヤラベアム王のことから始めましょう。彼の名前が聖書に出てくるのは、11章26節からです。彼はソロモン王の家臣で、知恵に富み、能力のある青年でした。王はヤラベアムをたてて、ヨセフの家を司る重い責任ある地位を与えていたのです。さすがに全盛を極めたソロモン王朝も末期となって、王は異教の女を王宮に入れ、これを愛したために、だんだんと偶像崇拝に陥り、神を離れ、ついに神からも見捨てられるようになりました。
そこで、神はヤラベアムを選んで王とするために、預言者アヒヤを通じて、主のみむねをお伝えになりました(11:34~38)。ソロモンは父ダビデが神の命令と掟を守ったために、特にソロモンの一生涯は王とされます。しかし、彼の手から国を取って、十の部族をソロモンの家来のヤラベアムに与えるとの預言でした。この預言の通りに、ソロモン王の死後、国は二つに分裂し、十の部族がヤラベアムに、二つの部族がユダ王国としてソロモンの子レハベアムに残されました。
しかし、残念なことに、せっかく神に選ばれて王となったヤラベアムは、神のみ心に背いて偶像に走り、金の子牛の像を二つ作って一つを国の南に立て、国中の人々及び旅人にこれを拝むように強制したのです。これは神に対する大罪で、偶像崇拝を自らの国民にまで強制したことになり、聖書はこれを「ヤラベアムの罪」と何度も繰り返しています。
ヤラベアムは神から、「もし、あなたが、わたしの命じるすべての事を聞いて、わたしの道に歩み、わたしの目にかなう事を行い、わたしのしもべダビデがしたように、わたしの定めと戒めとを守るならば、わたしはあなたと共にいて、わたしがダビデのために建てたように、あなたのために堅固な家を建てて、イスラエルをあなたに与えよう」(11:38)と、いとも懇ろな戒めとお約束を受けながら、どうしてこのような罪を犯すようになったのでしょうか。
それは、民らがユダの国のエルサレムの宮に参るのを防ぐ政治的手段であったのです。神の力に頼りきれない、政治家の弱さでもあります。13章を見ますと、神は今一人の預言者を送って、今一度彼に注意を促し、もし偶像崇拝の悪い道を離れず、偶像崇拝を止めない時は、神はヤラベアムとその家族を滅ぼすであろうと警告されました。しかし、彼はついに従いませんでした。
神の預言は実現し始め、ヤラベアムの子アビヤが重い病に苦しみはじめました。王ヤラベアムも愛する子供が病気で苦しむ様子を見ては、世の人々と同じで、諺にあるとおり「困った時の神頼み」と、まことの神の救い求めるようになりました。彼はかつて預言を伝えに来たアヒヤを思い起こしたのです。彼は妻を呼んで、「王妃であるのを知られないように変装し、十個のパンと菓子をみやげにして預言者アヒヤを訪ねさせ、子供が癒されるか、どうかを尋ねるように命じました。
これは、神の預言者に対して取るべき態度ではありません。彼女はこのことが悪いことと知りつつ断りもせず命じられるまま、姿を変えて出かけました。ここに彼女の弱さがあります。
神はアヒヤにこの婦人が誰であるか、お知らせになりました。彼女の足音が戸の外に聞こえますと、預言者は、「ヤラベアムの妻よ、はいりなさい。・・・わたしはあなたに厳しい事を告げるよう、命じられています」(14:6)と前置きして、あなたの夫、ヤラベアム王は神より選ばれ、イスラエルの君として、ダビデの家より国を裂いて与えられたのに、神の戒めを守り行いませんでした。だから、あなたが家に帰って敷居をまたぐときに、その子は死にますと、預言いたしました。彼女は驚いて家へ帰ったとき、預言の通りその子供の息は絶えたのです。
間もなく、ユダの王アビヤがたって、ヤラベアム王朝は僅か22年で滅んでしまいました。歴代誌下13章20節に、「ヤラベアムは、・・・主に撃たれて死んだ」とあります。
この話か私たちにいろいろな教訓を与えております。
1 偶像崇拝が如何に恐ろしい罪であり、この罪は国も滅ぼすことを教えています。第二次大戦前の偶像崇拝の盛んであった日本の状態、および戦争の結果は、明らかにこのことを証明しております。それにもかかわらず、世の人々はなおこの金の子牛である偶像崇拝を捨てきれないのです。
クリスチャンでありながら心のうちに神棚、仏壇を忘れられず、死者を拝んだり、神社の祭礼行事に仲間入りしないと、近所との交際が出来ないと恐れるのは、金の子牛に心引かれることです。日本のクリスチャンにこの心がある限り、日本ではキリスト教は伸びず、日本の国は危ういと思います。
2 虚偽は必ず罰せられます。ヤラベアムの妻が、夫の言いつけとは言いながら、神の人を欺こうとしたことは、大きな罪で罰せられるのは当然です。自分の都合や、勝手なことで、神にすがるというような、思いつき、その場限りのことはいけないことです。人を欺いて心にもない甘い言葉で人の歓心を買い、自分のためにすることは本当に愚かしいことです
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(36)
ローマのマリヤ
=ローマ16:3~16=
使徒パウロが、ローマにいるキリスト信者に書き送りました有名な「ローマ人への手紙」の終わりの16章で、20数人の熱心な信者たちの名を一つ一つあげて、丁寧な挨拶を送り「よろしく」と言っています。その内に3節に記されていますプリスカとアクラ以外の人々の名前は、このところにしか聖書に記されていません。しかし、これらの名前は、わたしたちにいろいろと大切な教訓を与えていると思います。
その一つは、パウロの愛に満ちた心が鏡に映るように出ていることです。その心は愛と同情に満ち、人より受けた親切は決して忘れず、神にある信徒の交わりを尊ぶ心で一杯であったことを強くあらわしています。もう一つ教えられることは、パウロの伝道がいかに力あるもので、まことに素晴らしく立派な信仰の実を、どんなにたくさん結んだか、ということであります。
特にわたしたちを感激させますことは、ここに現われていますあたたかい個人的な交わりです。教会においても、このあたたかい個人と個人の信者たちの交わりは、まことに大切であると存じます。転々と伝道旅行を続けていたパウロではありますが、ローマの教会の一人一人をよく覚えていて、彼らの信仰状態を詳しくつぶさに察知していました。彼が一人一人の名をあげて、その人たちと手紙のやりとりをしていたことは、実に美しいことだと思います。
パウロが、ローマ人への手紙16章においてあげた、ローマの教会の信徒たちの名前の内に、二人の女性の名が出ています。その名は、6節に記されていますマリヤと、12節のペルシスであります。このマリヤは、特にローマのマリヤと呼ばれていますが、それは新約聖書に出てくる5人のマリヤと混同しないために、このように呼ばれているのでしょう。たぶん、この婦人は洗礼受けた時、マリヤというクリスチャン・ネームをいただいたのでしょう。
彼女のローマでの名前は誰も知りません。このローマのマリヤと、ペルシスについて、パウロは何と言っているかによって、彼女らの性格や信仰がうかがわれます。6節を見ますと、「あなたがたのために一方ならず労苦したマリヤに、よろしく言ってほしい」。12節では「・・・。主にあって一方ならず労苦した愛するペルシスに、よろしく」と書かれていて、この二つの節の短い言葉の中に、彼女らの気高い信仰と、美しい愛による働きが目に見えるようであります。またパウロの彼女らに対する愛情に満ちた心根が、にじみ出ているようでもあります。
この名も知られぬマリヤとペルシスの名前が、どうしてここにあげられたのでしょうか。この二人の主にある姉妹は、教会のため、また多くの人々に慰めの奉仕をしたためであったことは、先のパウロの言葉を見てもよくわかります。それがどういう奉仕であったかは、はっきりいたしません。しかし彼女らがもし伝道者であったとか、執事でありましたなら、きっとそのことが記録されていたであろうと思います。
でもそれも書かれていないところから察しますと、彼女らは伝道者とか執事には選ばれていなかったようであります。とにかく、彼女たちは平信徒として、単なる信者として、一生懸命、主の教会のために努力したことは事実でありましょう。おのれを捨てて、貧しい人々を助け、病める人たちを病床に見舞い、教会から遠のいて離れ去りつつある人を尋ね、また隣り人を教会にさそい、孤児たちを慰めるなど、自分の持っている才能を十分に働かし、主のみ栄えのために奉仕されたようであります。さらに、彼女たちは自らの家庭の中ででも、友人たちとのグループの中ででも、力強く、主イエス・キリストによる救いを、人々に証ししたことと思います。
このマリヤとペルシスの境遇は、ある意味で日本のクリスチャン婦人の境遇によく似たとこがあるように思えます。今日の日本の社会はどこに行きましても、二千年昔のローマと同様で、異教と偶像と迷信が満ち満ちております。また、クリスチャンの数も、同じように僅かであります。たいていのクリスチャンは一人ぽっちで、家庭の中で、キリスト教信仰を持っているのはその人一人だけというケースがまことに多いのです。
信仰のあるクリスチャン女性が、信者でない男性と結婚したばかりに、教会へ出かけることが出来なくなった例は、数え切れません。幸いにも主人がクリスチャンであっても、お姑さんの反対があったり、気兼ねしたりして教会の礼拝に出ることの出来ないでいるお嫁さんもたくさんおられます。
これからは日本のキリスト教会の発展にとって、癌ともいえる問題です。日本のキリスト教会の実情を考えます時、ローマのマリヤやペルシスの働きは、大きな励ましをわたしたちに与えてくださいます。この二人は、数え切れないほど存在する異教徒の中で、唯一、真の生ける全能の神様のために、ひとかたならず苦労を続けていたことは、実にわたしたちを感激させずにおきません。彼女たちは、わたしたちにとって立派な良き模範とも申せましょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
ローマのマリヤ
=ローマ16:3~16=
使徒パウロが、ローマにいるキリスト信者に書き送りました有名な「ローマ人への手紙」の終わりの16章で、20数人の熱心な信者たちの名を一つ一つあげて、丁寧な挨拶を送り「よろしく」と言っています。その内に3節に記されていますプリスカとアクラ以外の人々の名前は、このところにしか聖書に記されていません。しかし、これらの名前は、わたしたちにいろいろと大切な教訓を与えていると思います。
その一つは、パウロの愛に満ちた心が鏡に映るように出ていることです。その心は愛と同情に満ち、人より受けた親切は決して忘れず、神にある信徒の交わりを尊ぶ心で一杯であったことを強くあらわしています。もう一つ教えられることは、パウロの伝道がいかに力あるもので、まことに素晴らしく立派な信仰の実を、どんなにたくさん結んだか、ということであります。
特にわたしたちを感激させますことは、ここに現われていますあたたかい個人的な交わりです。教会においても、このあたたかい個人と個人の信者たちの交わりは、まことに大切であると存じます。転々と伝道旅行を続けていたパウロではありますが、ローマの教会の一人一人をよく覚えていて、彼らの信仰状態を詳しくつぶさに察知していました。彼が一人一人の名をあげて、その人たちと手紙のやりとりをしていたことは、実に美しいことだと思います。
パウロが、ローマ人への手紙16章においてあげた、ローマの教会の信徒たちの名前の内に、二人の女性の名が出ています。その名は、6節に記されていますマリヤと、12節のペルシスであります。このマリヤは、特にローマのマリヤと呼ばれていますが、それは新約聖書に出てくる5人のマリヤと混同しないために、このように呼ばれているのでしょう。たぶん、この婦人は洗礼受けた時、マリヤというクリスチャン・ネームをいただいたのでしょう。
彼女のローマでの名前は誰も知りません。このローマのマリヤと、ペルシスについて、パウロは何と言っているかによって、彼女らの性格や信仰がうかがわれます。6節を見ますと、「あなたがたのために一方ならず労苦したマリヤに、よろしく言ってほしい」。12節では「・・・。主にあって一方ならず労苦した愛するペルシスに、よろしく」と書かれていて、この二つの節の短い言葉の中に、彼女らの気高い信仰と、美しい愛による働きが目に見えるようであります。またパウロの彼女らに対する愛情に満ちた心根が、にじみ出ているようでもあります。
この名も知られぬマリヤとペルシスの名前が、どうしてここにあげられたのでしょうか。この二人の主にある姉妹は、教会のため、また多くの人々に慰めの奉仕をしたためであったことは、先のパウロの言葉を見てもよくわかります。それがどういう奉仕であったかは、はっきりいたしません。しかし彼女らがもし伝道者であったとか、執事でありましたなら、きっとそのことが記録されていたであろうと思います。
でもそれも書かれていないところから察しますと、彼女らは伝道者とか執事には選ばれていなかったようであります。とにかく、彼女たちは平信徒として、単なる信者として、一生懸命、主の教会のために努力したことは事実でありましょう。おのれを捨てて、貧しい人々を助け、病める人たちを病床に見舞い、教会から遠のいて離れ去りつつある人を尋ね、また隣り人を教会にさそい、孤児たちを慰めるなど、自分の持っている才能を十分に働かし、主のみ栄えのために奉仕されたようであります。さらに、彼女たちは自らの家庭の中ででも、友人たちとのグループの中ででも、力強く、主イエス・キリストによる救いを、人々に証ししたことと思います。
このマリヤとペルシスの境遇は、ある意味で日本のクリスチャン婦人の境遇によく似たとこがあるように思えます。今日の日本の社会はどこに行きましても、二千年昔のローマと同様で、異教と偶像と迷信が満ち満ちております。また、クリスチャンの数も、同じように僅かであります。たいていのクリスチャンは一人ぽっちで、家庭の中で、キリスト教信仰を持っているのはその人一人だけというケースがまことに多いのです。
信仰のあるクリスチャン女性が、信者でない男性と結婚したばかりに、教会へ出かけることが出来なくなった例は、数え切れません。幸いにも主人がクリスチャンであっても、お姑さんの反対があったり、気兼ねしたりして教会の礼拝に出ることの出来ないでいるお嫁さんもたくさんおられます。
これからは日本のキリスト教会の発展にとって、癌ともいえる問題です。日本のキリスト教会の実情を考えます時、ローマのマリヤやペルシスの働きは、大きな励ましをわたしたちに与えてくださいます。この二人は、数え切れないほど存在する異教徒の中で、唯一、真の生ける全能の神様のために、ひとかたならず苦労を続けていたことは、実にわたしたちを感激させずにおきません。彼女たちは、わたしたちにとって立派な良き模範とも申せましょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(35)
シバの女王
=列王記上 10:1~13=
ここに面白いエピソードがあります。それは、シバの女王がソロモンの知恵と悟りと、その栄華の噂を聞いて、それを実際に見、試そうとして、いろいろの難問を用意し、贈物としてたくさんの金銀宝石などを、らくだに積んで、供ぞろえ美々しく、エルサレムに乗り込んできたことです。
この女王はユダヤ人ではありませんが、旧約聖書でも滅多に見ない、地位の高い人でした。まだ女の権利の認められていない古代において、王としての権威を一女性が持っているのも面白いと思います。
さて、この女王の国はどこでしょうか。シバはアラビヤの西南端にあった小さい国で、エルサレムからはずいぶん遠いところでした。当時は、まだ交通機関もなく、新聞やラジオの報道もない時代であったにもかかわらず、ソロモンの噂は、この遠いシバにまでも伝わっていたということは、驚くべきことで、ソロモンがいかに偉大であったかがわかります。
この女王は、今の言葉で言えば、センスのある、開けた人とでもいいましょうか、新しい文化に興味を持っていたようで、彼女は自分が聞いているソロモンの栄えと知恵が、真実であるかどうか、実際に自分の目で見たく、この長い旅を続けて、エルサレムへ来たほどです。道も開けていない砂漠地帯を横切って行くこの大旅行は、実に苦しい旅であったでしょう。
彼女は、この苦しい旅をもいとわぬほど、新しい文化を吸収することに熱心であったのです。また、彼女は単にエルサレムでソロモンの文化から、何かを得ようとしたばかりではありません。立派な贈物を用意して、自分の国の文化をも紹介しようとして、シバの最高の宝物を持って行くことも忘れませんでした。シバは、当時の文明国エジプトからインドへ行く交通の要路に当たり、商業が盛んで、国が富んでいたようです。女王がエルサレムに着いたとき、町の人々はその供まわりの美しさ、沢山の荷物が運ばれてきたのに目を見張って驚きました。
ソロモンは、親切丁寧に、国賓として彼女を迎え、女王の質問にことごとく答え、その上、宮殿に案内して、その盛んな様子を見せました。
女王は「わたしが国であなたのことと、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。・・・あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています」(6~7)、と言って驚嘆しています。特に、女王がエホバの家にのぼる階段を見たとき、彼女は気を奪われたとあります。唖然としたことでしょう。ソロモンが女王を主の宮に案内したのは、宮の礼拝に出席して、まことの神の礼拝に参加させたことを物語っていると思います。
ここで残念に思うことは、女王がこのように神の恵みに満たされたソロモンの様子を見ても、まことの神を信じるようになったという記事が見られないことです。女王は「あなたの神、主はほむべきかな」(9)と、神を賛美していますが、「あなたの神はわたしの神」と告白していないのは、まことに残念なことです。
彼女は、ソロモンからたくさんの贈物を受けて国に帰りましたが、何ものにもまして大切な信仰は持って帰らなかったのです。私たちも、この女王のようにせっかく神のみもとに導かれて、信仰を得る機会を与えられながら、手を虚しゅうして帰るることはありません。新しい教育を受けた、いわゆる、文化人にこのような傾向の人が多いようです。彼らは高い犠牲を払って、何年も科学的真理を求めていますが、科学以上のものがあるのに気付かないのです。
「南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる」(マタイ12:42)。
これは、イエスの在世当時、イエスをキリストと認めなかった人々に対する、イエスの警告です。もちろん、お言葉の中に引用されている南の女王とは、シバの女王をさしています。彼女が地の果てよりソロモンの知恵をかりに来る熱心な態度を、イエス様はお認めになっていますが、イエスは全能の神の存在を教えようとして、「見よ、ソロモンにまさる者がここにいる」と力を入れて叫んでおられます。
私たちも、キリストを認め、イエスをキリストと信じなければ、このシバの女王のような熱心さがあっても、宝の山に入りながら、手を虚しゅうして帰る愚を行うことでしょう。多くのお母さん方、自分の娘が結婚するために、お茶だ、お花だ、洋裁だといろいろな文化的教養を身につけさせるのに一生懸命ですが、より大切な魂をお忘れではないでしょうか。この世の文化がいかに栄えようとも、信仰のない文化は根のない草花に等しいもので、やがては、しぼみ、枯れてしまいます。それゆえに信仰のない文化は空の空なのです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
シバの女王
=列王記上 10:1~13=
ここに面白いエピソードがあります。それは、シバの女王がソロモンの知恵と悟りと、その栄華の噂を聞いて、それを実際に見、試そうとして、いろいろの難問を用意し、贈物としてたくさんの金銀宝石などを、らくだに積んで、供ぞろえ美々しく、エルサレムに乗り込んできたことです。
この女王はユダヤ人ではありませんが、旧約聖書でも滅多に見ない、地位の高い人でした。まだ女の権利の認められていない古代において、王としての権威を一女性が持っているのも面白いと思います。
さて、この女王の国はどこでしょうか。シバはアラビヤの西南端にあった小さい国で、エルサレムからはずいぶん遠いところでした。当時は、まだ交通機関もなく、新聞やラジオの報道もない時代であったにもかかわらず、ソロモンの噂は、この遠いシバにまでも伝わっていたということは、驚くべきことで、ソロモンがいかに偉大であったかがわかります。
この女王は、今の言葉で言えば、センスのある、開けた人とでもいいましょうか、新しい文化に興味を持っていたようで、彼女は自分が聞いているソロモンの栄えと知恵が、真実であるかどうか、実際に自分の目で見たく、この長い旅を続けて、エルサレムへ来たほどです。道も開けていない砂漠地帯を横切って行くこの大旅行は、実に苦しい旅であったでしょう。
彼女は、この苦しい旅をもいとわぬほど、新しい文化を吸収することに熱心であったのです。また、彼女は単にエルサレムでソロモンの文化から、何かを得ようとしたばかりではありません。立派な贈物を用意して、自分の国の文化をも紹介しようとして、シバの最高の宝物を持って行くことも忘れませんでした。シバは、当時の文明国エジプトからインドへ行く交通の要路に当たり、商業が盛んで、国が富んでいたようです。女王がエルサレムに着いたとき、町の人々はその供まわりの美しさ、沢山の荷物が運ばれてきたのに目を見張って驚きました。
ソロモンは、親切丁寧に、国賓として彼女を迎え、女王の質問にことごとく答え、その上、宮殿に案内して、その盛んな様子を見せました。
女王は「わたしが国であなたのことと、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。・・・あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています」(6~7)、と言って驚嘆しています。特に、女王がエホバの家にのぼる階段を見たとき、彼女は気を奪われたとあります。唖然としたことでしょう。ソロモンが女王を主の宮に案内したのは、宮の礼拝に出席して、まことの神の礼拝に参加させたことを物語っていると思います。
ここで残念に思うことは、女王がこのように神の恵みに満たされたソロモンの様子を見ても、まことの神を信じるようになったという記事が見られないことです。女王は「あなたの神、主はほむべきかな」(9)と、神を賛美していますが、「あなたの神はわたしの神」と告白していないのは、まことに残念なことです。
彼女は、ソロモンからたくさんの贈物を受けて国に帰りましたが、何ものにもまして大切な信仰は持って帰らなかったのです。私たちも、この女王のようにせっかく神のみもとに導かれて、信仰を得る機会を与えられながら、手を虚しゅうして帰るることはありません。新しい教育を受けた、いわゆる、文化人にこのような傾向の人が多いようです。彼らは高い犠牲を払って、何年も科学的真理を求めていますが、科学以上のものがあるのに気付かないのです。
「南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる」(マタイ12:42)。
これは、イエスの在世当時、イエスをキリストと認めなかった人々に対する、イエスの警告です。もちろん、お言葉の中に引用されている南の女王とは、シバの女王をさしています。彼女が地の果てよりソロモンの知恵をかりに来る熱心な態度を、イエス様はお認めになっていますが、イエスは全能の神の存在を教えようとして、「見よ、ソロモンにまさる者がここにいる」と力を入れて叫んでおられます。
私たちも、キリストを認め、イエスをキリストと信じなければ、このシバの女王のような熱心さがあっても、宝の山に入りながら、手を虚しゅうして帰る愚を行うことでしょう。多くのお母さん方、自分の娘が結婚するために、お茶だ、お花だ、洋裁だといろいろな文化的教養を身につけさせるのに一生懸命ですが、より大切な魂をお忘れではないでしょうか。この世の文化がいかに栄えようとも、信仰のない文化は根のない草花に等しいもので、やがては、しぼみ、枯れてしまいます。それゆえに信仰のない文化は空の空なのです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(34)
門番をしていた婦人
ロダ
=使徒行伝12:12~17=
ロダという婦人のことが、聖書のどこに出ていますか、と突然聞かれましたら、あなたは正しい答えが直ぐにできますか。よほど、注意して聖書を読む人でなければロダのことは分からないかも知れません。なぜかと申しますと、彼女のことは、聖書にただの一度しか出てこないからであります。
「エルサレムのマリヤ」のところで読んでいただきました、使徒行伝12章をもう一度、お読みください。使徒ペテロが天の使いに導かれ、牢屋から救い出されましたとき、彼はすぐに、マルコと呼ばれたヨハネの母マリヤの家に行きました。ちょうどその時、マリヤの家では門を閉じて大勢のクリスチャンが集まり、ペテロが救われるようにと神様にお祈りをしている最中でした。
時は真夜中で、都エルサレムは人の気配は絶えて、ひっそりと静まり返っていました。宮殿では暴君ヘロデも深い眠りにおちいっていたことでしょう。真暗闇の牢獄でも、ペテロがもうそこにはいないことなど気付かぬ兵卒も、ぐっすり寝込んでいたことでしょう。しかしマリヤの家だけは、明かりが外に漏れるのを恐れつつ、赤々とともし火をつけ、大勢の人たちが寝もやらず、一日の疲れと眠気も忘れて、熱心に神様に祈っていたのです。
その時、誰かが突然、門の戸をコツコツと叩きました。もちろん、家の中で祈っていた人たちには、その音は聞こえなかったでしょう。けれども、門の番をしていた若いロダには、門を叩く音が聞こえました。彼女は直ぐに門のところへ行きました。
当時、キリスト教会は凶暴なヘロデ王の迫害を受け、信者は牢獄に投げ込まれ、弟子のヤコブはすでに殺されておりました。何時、どんな危険が、他の信者たちに襲って来るか油断の出来ない状態でした。そのような全く危険な時に、真夜中、家の門を守ると言うことは、誰にでも出来ることではありません。よほどの勇気がいりますし、しっかりした人でなければ、勤まらないと思います。
ペテロが、門を叩くその音に、直ぐ門のところへ近寄ったロダは、用心深く、門を直ぐに開いたりせずに、まず名前と用件とを訊ねました。ここに彼女の賢いやり方を見ることが出来ます。自分の重い責任を深く感じて、危険な人は一歩も入れさせまいとする、彼女のしっかりした気構えが伺えます。
「おれだ!ペテロだ!」と言う、外からの声に、ロダは直ぐその声の主が間違いなくペテロの声だと分かりました。このことで、今一つ知ることが出来ますのは、彼女がただの一言で、ペテロだと知るほど、信仰の深い婦人であったと言うことであります。
ペテロはこれで、門を開けてもらえるものとばかり思い込みました。そころがそうではなく、ペテロの声だと知ったロダは、喜びと驚きで有頂天になって、門の鍵をはずすことも、戸を開けることも忘れて、家の中へ駆け込み、祈っている人々に、「ペテロさんが門口に立っています」と告げました。この時のロダの態度から、彼女の性格がよく分かります。彼女は非常に活発な、しかも活動的な、元気な女性であったように見受けられます。その反面、彼女は物事をじっくり考えてから行動するといった熟慮型でなく、さっさと事を運ぶ拙速型の性格であったように思えます。ペテロを戸の外に長く待たせておいたのは、どうも愚かなことでしたが、彼女は余りの嬉しさと、喜びに、すっかり落ち着きを失い、このような失敗をしでかしたのでしょう。
ロダの報告を聞いた人々は、彼女の言うことを信じようとしませんでした。そのような人々の態度を、皆様は非常に不思議と思いませんか。皆が真剣に祈り求めていたことが、事実となって神様によって答えられた時、彼らは本当に自分たちの祈りが、答えられたのだとは、信じなかったのです。このようなことは、今でもよくあることです。
彼らはロダに向かって、「あなたは気が狂っているのだ」と言いました。けれども、ロダは皆に何と言われても、わたしの言っていることは事実なのです。間違ってはいませんと言い張りました。ここでもまた、わたしたちはロダの人格について、もう一つ知ることが出来ます。
多くの人たちが何と言おうとも、自分の立場と確信を曲げないで押し通す、彼女の勇ましく強気な態度です。気が狂っていると言われても負けずに、真実に対して取った態度は、本当に教えられるものがあります。彼女が余りにも熱心に言い張るのに負けて、その場にいた人たちは、「それでは、ペテロの御使いだろう」と言って、まだ本当にしてくれません。家の中で、このように言い争い大騒ぎをしている間も、門の外に立つペテロは、しきりと戸を叩いておりました。
戸を叩き続ける物音を聞きつけた人たちが、大急ぎで門を開きました。すると、そこに、ロダが言う通りペテロが立っていたのです。ペテロは手を振って、皆の喜び騒ぐのを静め、主が牢獄から自分を連れ出してお救いくださったことを、詳しく説明して聞かせました。彼は「このことを、ヤコブやほかの兄弟たちに伝えてください」と言い残して、どこか他の所へ行きました。
年若い女中のロダのことを学びます時、わたしたちはいろいろと教えられます。彼女は若いながらも、忠実に自分の勤めを果たし、元気で、喜びに満ち溢れた信仰生活を送った女性であったようです。わたしたちもこのロダのように昼夜を分かたず、神様から与えられた使命を、間違いなく忠実に果たしているでしょうか。
キリストの教会の進展のために、あるいはまだ救われていない家族の方々や、隣り人のために、さらに滅びに陥りつつある多くの人々のために、毎日わたしたちはどれだけ祈っているでしょうか。
今のクリスチャンが、第一世紀のクリスチャンに少しも劣らぬ勇気と熱心とをもって、キリスト・イエスにある確固不動の信仰に立って偶像崇拝に満ちているこの世と戦って行かれますように、祈ってやみません。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
門番をしていた婦人
ロダ
=使徒行伝12:12~17=
ロダという婦人のことが、聖書のどこに出ていますか、と突然聞かれましたら、あなたは正しい答えが直ぐにできますか。よほど、注意して聖書を読む人でなければロダのことは分からないかも知れません。なぜかと申しますと、彼女のことは、聖書にただの一度しか出てこないからであります。
「エルサレムのマリヤ」のところで読んでいただきました、使徒行伝12章をもう一度、お読みください。使徒ペテロが天の使いに導かれ、牢屋から救い出されましたとき、彼はすぐに、マルコと呼ばれたヨハネの母マリヤの家に行きました。ちょうどその時、マリヤの家では門を閉じて大勢のクリスチャンが集まり、ペテロが救われるようにと神様にお祈りをしている最中でした。
時は真夜中で、都エルサレムは人の気配は絶えて、ひっそりと静まり返っていました。宮殿では暴君ヘロデも深い眠りにおちいっていたことでしょう。真暗闇の牢獄でも、ペテロがもうそこにはいないことなど気付かぬ兵卒も、ぐっすり寝込んでいたことでしょう。しかしマリヤの家だけは、明かりが外に漏れるのを恐れつつ、赤々とともし火をつけ、大勢の人たちが寝もやらず、一日の疲れと眠気も忘れて、熱心に神様に祈っていたのです。
その時、誰かが突然、門の戸をコツコツと叩きました。もちろん、家の中で祈っていた人たちには、その音は聞こえなかったでしょう。けれども、門の番をしていた若いロダには、門を叩く音が聞こえました。彼女は直ぐに門のところへ行きました。
当時、キリスト教会は凶暴なヘロデ王の迫害を受け、信者は牢獄に投げ込まれ、弟子のヤコブはすでに殺されておりました。何時、どんな危険が、他の信者たちに襲って来るか油断の出来ない状態でした。そのような全く危険な時に、真夜中、家の門を守ると言うことは、誰にでも出来ることではありません。よほどの勇気がいりますし、しっかりした人でなければ、勤まらないと思います。
ペテロが、門を叩くその音に、直ぐ門のところへ近寄ったロダは、用心深く、門を直ぐに開いたりせずに、まず名前と用件とを訊ねました。ここに彼女の賢いやり方を見ることが出来ます。自分の重い責任を深く感じて、危険な人は一歩も入れさせまいとする、彼女のしっかりした気構えが伺えます。
「おれだ!ペテロだ!」と言う、外からの声に、ロダは直ぐその声の主が間違いなくペテロの声だと分かりました。このことで、今一つ知ることが出来ますのは、彼女がただの一言で、ペテロだと知るほど、信仰の深い婦人であったと言うことであります。
ペテロはこれで、門を開けてもらえるものとばかり思い込みました。そころがそうではなく、ペテロの声だと知ったロダは、喜びと驚きで有頂天になって、門の鍵をはずすことも、戸を開けることも忘れて、家の中へ駆け込み、祈っている人々に、「ペテロさんが門口に立っています」と告げました。この時のロダの態度から、彼女の性格がよく分かります。彼女は非常に活発な、しかも活動的な、元気な女性であったように見受けられます。その反面、彼女は物事をじっくり考えてから行動するといった熟慮型でなく、さっさと事を運ぶ拙速型の性格であったように思えます。ペテロを戸の外に長く待たせておいたのは、どうも愚かなことでしたが、彼女は余りの嬉しさと、喜びに、すっかり落ち着きを失い、このような失敗をしでかしたのでしょう。
ロダの報告を聞いた人々は、彼女の言うことを信じようとしませんでした。そのような人々の態度を、皆様は非常に不思議と思いませんか。皆が真剣に祈り求めていたことが、事実となって神様によって答えられた時、彼らは本当に自分たちの祈りが、答えられたのだとは、信じなかったのです。このようなことは、今でもよくあることです。
彼らはロダに向かって、「あなたは気が狂っているのだ」と言いました。けれども、ロダは皆に何と言われても、わたしの言っていることは事実なのです。間違ってはいませんと言い張りました。ここでもまた、わたしたちはロダの人格について、もう一つ知ることが出来ます。
多くの人たちが何と言おうとも、自分の立場と確信を曲げないで押し通す、彼女の勇ましく強気な態度です。気が狂っていると言われても負けずに、真実に対して取った態度は、本当に教えられるものがあります。彼女が余りにも熱心に言い張るのに負けて、その場にいた人たちは、「それでは、ペテロの御使いだろう」と言って、まだ本当にしてくれません。家の中で、このように言い争い大騒ぎをしている間も、門の外に立つペテロは、しきりと戸を叩いておりました。
戸を叩き続ける物音を聞きつけた人たちが、大急ぎで門を開きました。すると、そこに、ロダが言う通りペテロが立っていたのです。ペテロは手を振って、皆の喜び騒ぐのを静め、主が牢獄から自分を連れ出してお救いくださったことを、詳しく説明して聞かせました。彼は「このことを、ヤコブやほかの兄弟たちに伝えてください」と言い残して、どこか他の所へ行きました。
年若い女中のロダのことを学びます時、わたしたちはいろいろと教えられます。彼女は若いながらも、忠実に自分の勤めを果たし、元気で、喜びに満ち溢れた信仰生活を送った女性であったようです。わたしたちもこのロダのように昼夜を分かたず、神様から与えられた使命を、間違いなく忠実に果たしているでしょうか。
キリストの教会の進展のために、あるいはまだ救われていない家族の方々や、隣り人のために、さらに滅びに陥りつつある多くの人々のために、毎日わたしたちはどれだけ祈っているでしょうか。
今のクリスチャンが、第一世紀のクリスチャンに少しも劣らぬ勇気と熱心とをもって、キリスト・イエスにある確固不動の信仰に立って偶像崇拝に満ちているこの世と戦って行かれますように、祈ってやみません。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(33)
妖婦バテシバ
サムエル記下11章
バテシバの話は、前に述べましたデリラの話とよく似たところがあります。その一つは、二人とも、性的に大きな罪を犯した点です。他はともに映画化されて、広く社会に紹介された点です。しかし、バテシバはデリラのような遊女のような女ではなく 、立派な武人ウリヤのれっきとした妻で、いわゆる社会の上流婦人であったことが違っています。だから、バテシバの犯した罪は、デリラのそれよりも重く、ひどく追求されねばなりません。
サムエル記下11章にある、ダビデ王とバテシバの不倫の話は、私たちの耳を覆いたくなるほどで、神に選ばれた、権威ある王の行動とも思えぬ一大失敗談です。もし聖書が、人の考えた世の道徳書でありますなら、決してこのような不愉快な話は、さしはさまなかったと思います。事実は事実として伝えているところに聖書の特徴があり、生命があります。
しかも、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して、十分な準備ができて完全にととのえられた者になるのである」(テモテ第二3章16~17節)とあるとおり、神の御霊の導きによって書かれたもので、これによって神の罪人に対する憐れみを知ることが出来ます。また人間がどんなに弱く、サタンの誘惑に負け、罪を犯しやすいかを、このような不愉快な出来事を通じて、私たちに適切な教訓として聖書は教えているのです。
では、この話の主人公バテシバは、どういう性格の婦人であったのでしょうか。
サムエル記下11章2節に、「その女は非常に美しかった」とあります。彼女は非常にあでやかな婦人であったようです。しかし、その美は外見だけで内的には欠点が多く、ことに貞操観念の薄い女性でした。
「ひとりの女がからだを洗っているのを見た」とあるのをみましても、人に見られるところで水浴をするなど、彼女のぶしつけさがわかります。ダビデ王から宮中に召されたとき、人の妻であると言う理由でこれを辞退すべきですのに、それをせず、王のそば近くに仕えているあたり、彼女の貞操観念のほどがうかがわれます。その上、彼女は王の求めるままに姦淫の罪を犯しました。そればかりか、自分の夫ウリヤが王の命令によって、戦場から帰還したとき、戦場にいる戦友の労苦を思って、「わたしの主人ヨアブとわが主君の家来たちが野外に陣を取っているのにわたしはこうして家に帰って食い飲みできるでしょうか」と言って、わが家に入るのを拒み、城外に仮寝をするときも、あえて夫を訪ねようとはしませんでした。王と犯した罪の告白など思いもよらぬことでした。姦婦とはこのような女性のことで、その罪の深さは、到底、遊女デリラと同一に語ることはできません。
王とバテシバは、自分たちの犯したこの醜い罪が誰にも知られず、隠しとおせると思ったのでしょう。ダビデは、立派で忠実な武臣ウリヤを一番危険な戦線へ送って、彼を敵の刃に倒れさせて、殺人の罪も重ねたのです。まことに言語道断とはこのことです。
しかし、人を欺いても、神を欺くことはできません。誰知るものぞと思っていたこの罪も、神の前には明白であり、隠し切れぬことでありました。
ここに、神の預言者ナタンの登場となります。神はナタンを通してダビデの犯罪を、彼の顔の前に暴かせ、激しくこれを責め、罪科を示し、彼の子供の死を預言されました(12:11~15)。
ダビデは、ここで初めて、心の目が開かれ、自分の罪科の恐ろしさを知り、真心から罪を告白し、悔い改めて、自分の子供の命が助けられるように断食し、終夜地に伏して祈りました。けれども聞かれず、ナタンの預言のとおり、子供は七日目に死んでしまいました。それのみでなく、ダビデの家族は、父子兄弟が常に争って平和な日がなく、ついには父と子が殺し合う悲惨さえ生じました。まことに恐ろしいのは罪の結果です。
しかし、砕かれた魂は神の喜びたもうところで、ナタンの叱責によって心砕かれたダビデは、悔い改めて、新たな信仰に立ち返り、後にソロモンが与えられました。このソロモンは神より知識を与えられ、イスラエルの歴史上ソロモン時代が一番栄えたと言われています。
不愉快なこの話も、私たちに多くの教訓を与えています。
1 神はどんな罪も決してお見逃しになりません。罪が必ず罰せられることは、聖書の一貫した主張ですが、この話は特にそれを強く物語っています。
2 神の大いなる憐れみは、私たちが真心より罪を悔い改めるならば、お許しになること。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」(ヨハネ第一 1章9節)。
神は、私たちの罪を赦すために、御子キリストを世に御降しになり、すでに私たちを、贖って下さいました。あなたは、この贖いを受け入れておられますか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
妖婦バテシバ
サムエル記下11章
バテシバの話は、前に述べましたデリラの話とよく似たところがあります。その一つは、二人とも、性的に大きな罪を犯した点です。他はともに映画化されて、広く社会に紹介された点です。しかし、バテシバはデリラのような遊女のような女ではなく 、立派な武人ウリヤのれっきとした妻で、いわゆる社会の上流婦人であったことが違っています。だから、バテシバの犯した罪は、デリラのそれよりも重く、ひどく追求されねばなりません。
サムエル記下11章にある、ダビデ王とバテシバの不倫の話は、私たちの耳を覆いたくなるほどで、神に選ばれた、権威ある王の行動とも思えぬ一大失敗談です。もし聖書が、人の考えた世の道徳書でありますなら、決してこのような不愉快な話は、さしはさまなかったと思います。事実は事実として伝えているところに聖書の特徴があり、生命があります。
しかも、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して、十分な準備ができて完全にととのえられた者になるのである」(テモテ第二3章16~17節)とあるとおり、神の御霊の導きによって書かれたもので、これによって神の罪人に対する憐れみを知ることが出来ます。また人間がどんなに弱く、サタンの誘惑に負け、罪を犯しやすいかを、このような不愉快な出来事を通じて、私たちに適切な教訓として聖書は教えているのです。
では、この話の主人公バテシバは、どういう性格の婦人であったのでしょうか。
サムエル記下11章2節に、「その女は非常に美しかった」とあります。彼女は非常にあでやかな婦人であったようです。しかし、その美は外見だけで内的には欠点が多く、ことに貞操観念の薄い女性でした。
「ひとりの女がからだを洗っているのを見た」とあるのをみましても、人に見られるところで水浴をするなど、彼女のぶしつけさがわかります。ダビデ王から宮中に召されたとき、人の妻であると言う理由でこれを辞退すべきですのに、それをせず、王のそば近くに仕えているあたり、彼女の貞操観念のほどがうかがわれます。その上、彼女は王の求めるままに姦淫の罪を犯しました。そればかりか、自分の夫ウリヤが王の命令によって、戦場から帰還したとき、戦場にいる戦友の労苦を思って、「わたしの主人ヨアブとわが主君の家来たちが野外に陣を取っているのにわたしはこうして家に帰って食い飲みできるでしょうか」と言って、わが家に入るのを拒み、城外に仮寝をするときも、あえて夫を訪ねようとはしませんでした。王と犯した罪の告白など思いもよらぬことでした。姦婦とはこのような女性のことで、その罪の深さは、到底、遊女デリラと同一に語ることはできません。
王とバテシバは、自分たちの犯したこの醜い罪が誰にも知られず、隠しとおせると思ったのでしょう。ダビデは、立派で忠実な武臣ウリヤを一番危険な戦線へ送って、彼を敵の刃に倒れさせて、殺人の罪も重ねたのです。まことに言語道断とはこのことです。
しかし、人を欺いても、神を欺くことはできません。誰知るものぞと思っていたこの罪も、神の前には明白であり、隠し切れぬことでありました。
ここに、神の預言者ナタンの登場となります。神はナタンを通してダビデの犯罪を、彼の顔の前に暴かせ、激しくこれを責め、罪科を示し、彼の子供の死を預言されました(12:11~15)。
ダビデは、ここで初めて、心の目が開かれ、自分の罪科の恐ろしさを知り、真心から罪を告白し、悔い改めて、自分の子供の命が助けられるように断食し、終夜地に伏して祈りました。けれども聞かれず、ナタンの預言のとおり、子供は七日目に死んでしまいました。それのみでなく、ダビデの家族は、父子兄弟が常に争って平和な日がなく、ついには父と子が殺し合う悲惨さえ生じました。まことに恐ろしいのは罪の結果です。
しかし、砕かれた魂は神の喜びたもうところで、ナタンの叱責によって心砕かれたダビデは、悔い改めて、新たな信仰に立ち返り、後にソロモンが与えられました。このソロモンは神より知識を与えられ、イスラエルの歴史上ソロモン時代が一番栄えたと言われています。
不愉快なこの話も、私たちに多くの教訓を与えています。
1 神はどんな罪も決してお見逃しになりません。罪が必ず罰せられることは、聖書の一貫した主張ですが、この話は特にそれを強く物語っています。
2 神の大いなる憐れみは、私たちが真心より罪を悔い改めるならば、お許しになること。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」(ヨハネ第一 1章9節)。
神は、私たちの罪を赦すために、御子キリストを世に御降しになり、すでに私たちを、贖って下さいました。あなたは、この贖いを受け入れておられますか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(32)
エルサレムのマリヤ
=使徒行伝12:1~12=
新約聖書には、マリヤという名前の婦人が6人も登場いたします。その内の4人については、既に学びました。ここではエルサレムの都に住んでいたマリヤについて、学びましょう。
このマリヤは、一人息子のマルコをもつ、やもめ(未亡人)です。しかし、聖書を見ますと、この婦人は非常にいろいろな点で恵まれていた人のようです。その恵みの第一は、愛する息子のマルコが、まことに真面目な青年であったことです。このマルコは、「マルコによる福音書」を書いたほど、信仰深い人で、初代キリスト教会の主だった使徒でパウロ、バルナバ、ペテロなどの手助けをした、若い教師でした。
ペテロの第一の手紙5章13節によりますと「あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく」とあります。この言葉を見ても、ペテロとマルコのあたたかい親子のような関係がわかります。マルコのような良き息子を与えられたことは、母として、本当に大きな恵みと言えましょう。
もう一つの彼女が頂いていた恵みは、彼女に沢山の財産が与えられていたことです。使徒行伝12章12節によりますと、彼女は大きな家を持ち、13節では、その家には門があり、ロダという女中の門番がいたとあります。その当時、エルサレムには門のある家は、なかなか見当たりませんし、地位や財産のある人たちだけが、門のある家に住んでいたようです。このことから考えてみましても、マリヤの地位や彼女の家庭の経済状態が分ります。しかし、これらの恵みの内、彼女に対する一番優れた恵みは、彼女の信仰の深さ、確かさでした。マリヤが何時クリスチャンになったかは、よく分りませんが、アブラハム・カイパー博士の書かれましたところでは、彼女がそれまでに相当長い信仰生活を送っていたに違いない、とございます。
とにかく、マリヤは実に信仰深い婦人であったと同時に、また非常に勇気に富んだ人でありました。当時は、キリスト教会がひどく世の中から迫害を受けていた時です。その時の王、暴君ヘロデは、政策上、キリスト教会に迫害の手を伸ばして、イエスの弟子ヤコブを殺したことが、ユダヤ人の群衆の意にかなったと見てとりました。それでヘロデは、更に、ペテロも捕らえ、獄に閉じ込め、過ぎ越しの祭の後で彼を殺し、人気を得ようと思いました。
彼は4人組の兵卒4組で、かわるがわる厳重に牢獄を監視させました。人間的な立場から考えますと、ペテロをこのような危地より救い出すなど、とうてい人のなし得るところではなく、不可能なことでした。それにもかかわらず、教会ではペテロの救いのために熱心な祈りを神に捧げていたのです。
暴君ヘロデ王が、いよいよペテロを牢獄から引き出そうとした、その夜のことでした。マリヤの家では、大勢の信者たちが集まって、熱心な祈祷会をペテロのために、ひそかに開いていたのです。集まる会堂もなく、狂暴な王の厳しい迫害の危険な立場にある教会のために、自分の家を開放し、提供していることが公けになれば、マリヤも死刑は免れません。それほどの危険をおかし、全てを承知の上で、教会のために祈祷会を自分の家で開くことは、大変な決断と勇気が、更に神様のみ摂理に対する深い信仰が必要とすることは、言うまでもないことであります。ここにマリヤの崇高な信仰から出る勇敢な行為が、何ものも恐れず、実行となって現われたのでありましょう。
さて、彼らの熱心な祈りが続けられています時、神は彼らの祈りに答えられました。神は牢獄からペテロを救い出し、家の外、街頭にまで彼を導き出してくださったのです。路傍に立つ自分を見た時、ペテロはその時初めて、神様が自分をお救いくださったのだと悟りました。彼は大急ぎでマリヤの家に走り行き、彼女の門を叩きました。この時のマリヤを初め、そこにいたクリスチャンたちの驚きと喜びは、どんなであったでしょう。
その場の有様が、聖書には絵のように描写しています。ここに、わたしたちは祈りの力の偉大さの実例を見ることが出来るのです。心を合わせてわたしたちが祈ります時、人の思いや考えを越えて、神様は人の目に不可能な壁を突き破りたまいます。
あなたの教会の中にも、マリヤのように、全てを捧げて喜んで教会の集まりのために、自分の家を開放しておられる方があると思います。もちろん、集まりを持つ家には、掃除もしなくてはならないでしょう。畳が傷むかもしれません。後片づけの苦労もありましょう。隣り近所の人たちから、冷たい目で見られるかもしれません。しかし、日本にも自宅を開放しておられるクリスチャンの方が沢山おられます。
このことは本当に感謝でございます。このような家庭こそ、無神論者の多い、真暗闇の世の中に、真理の光を輝かす灯台とまりましょう。エルサレムのマリヤの家庭は、このような家でありました。あなたのご家庭が、このようになれば、あなたにとって、それは大変大きな素晴らしい恵みとなることでしょうし、大きな喜びとなりましょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
エルサレムのマリヤ
=使徒行伝12:1~12=
新約聖書には、マリヤという名前の婦人が6人も登場いたします。その内の4人については、既に学びました。ここではエルサレムの都に住んでいたマリヤについて、学びましょう。
このマリヤは、一人息子のマルコをもつ、やもめ(未亡人)です。しかし、聖書を見ますと、この婦人は非常にいろいろな点で恵まれていた人のようです。その恵みの第一は、愛する息子のマルコが、まことに真面目な青年であったことです。このマルコは、「マルコによる福音書」を書いたほど、信仰深い人で、初代キリスト教会の主だった使徒でパウロ、バルナバ、ペテロなどの手助けをした、若い教師でした。
ペテロの第一の手紙5章13節によりますと「あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく」とあります。この言葉を見ても、ペテロとマルコのあたたかい親子のような関係がわかります。マルコのような良き息子を与えられたことは、母として、本当に大きな恵みと言えましょう。
もう一つの彼女が頂いていた恵みは、彼女に沢山の財産が与えられていたことです。使徒行伝12章12節によりますと、彼女は大きな家を持ち、13節では、その家には門があり、ロダという女中の門番がいたとあります。その当時、エルサレムには門のある家は、なかなか見当たりませんし、地位や財産のある人たちだけが、門のある家に住んでいたようです。このことから考えてみましても、マリヤの地位や彼女の家庭の経済状態が分ります。しかし、これらの恵みの内、彼女に対する一番優れた恵みは、彼女の信仰の深さ、確かさでした。マリヤが何時クリスチャンになったかは、よく分りませんが、アブラハム・カイパー博士の書かれましたところでは、彼女がそれまでに相当長い信仰生活を送っていたに違いない、とございます。
とにかく、マリヤは実に信仰深い婦人であったと同時に、また非常に勇気に富んだ人でありました。当時は、キリスト教会がひどく世の中から迫害を受けていた時です。その時の王、暴君ヘロデは、政策上、キリスト教会に迫害の手を伸ばして、イエスの弟子ヤコブを殺したことが、ユダヤ人の群衆の意にかなったと見てとりました。それでヘロデは、更に、ペテロも捕らえ、獄に閉じ込め、過ぎ越しの祭の後で彼を殺し、人気を得ようと思いました。
彼は4人組の兵卒4組で、かわるがわる厳重に牢獄を監視させました。人間的な立場から考えますと、ペテロをこのような危地より救い出すなど、とうてい人のなし得るところではなく、不可能なことでした。それにもかかわらず、教会ではペテロの救いのために熱心な祈りを神に捧げていたのです。
暴君ヘロデ王が、いよいよペテロを牢獄から引き出そうとした、その夜のことでした。マリヤの家では、大勢の信者たちが集まって、熱心な祈祷会をペテロのために、ひそかに開いていたのです。集まる会堂もなく、狂暴な王の厳しい迫害の危険な立場にある教会のために、自分の家を開放し、提供していることが公けになれば、マリヤも死刑は免れません。それほどの危険をおかし、全てを承知の上で、教会のために祈祷会を自分の家で開くことは、大変な決断と勇気が、更に神様のみ摂理に対する深い信仰が必要とすることは、言うまでもないことであります。ここにマリヤの崇高な信仰から出る勇敢な行為が、何ものも恐れず、実行となって現われたのでありましょう。
さて、彼らの熱心な祈りが続けられています時、神は彼らの祈りに答えられました。神は牢獄からペテロを救い出し、家の外、街頭にまで彼を導き出してくださったのです。路傍に立つ自分を見た時、ペテロはその時初めて、神様が自分をお救いくださったのだと悟りました。彼は大急ぎでマリヤの家に走り行き、彼女の門を叩きました。この時のマリヤを初め、そこにいたクリスチャンたちの驚きと喜びは、どんなであったでしょう。
その場の有様が、聖書には絵のように描写しています。ここに、わたしたちは祈りの力の偉大さの実例を見ることが出来るのです。心を合わせてわたしたちが祈ります時、人の思いや考えを越えて、神様は人の目に不可能な壁を突き破りたまいます。
あなたの教会の中にも、マリヤのように、全てを捧げて喜んで教会の集まりのために、自分の家を開放しておられる方があると思います。もちろん、集まりを持つ家には、掃除もしなくてはならないでしょう。畳が傷むかもしれません。後片づけの苦労もありましょう。隣り近所の人たちから、冷たい目で見られるかもしれません。しかし、日本にも自宅を開放しておられるクリスチャンの方が沢山おられます。
このことは本当に感謝でございます。このような家庭こそ、無神論者の多い、真暗闇の世の中に、真理の光を輝かす灯台とまりましょう。エルサレムのマリヤの家庭は、このような家でありました。あなたのご家庭が、このようになれば、あなたにとって、それは大変大きな素晴らしい恵みとなることでしょうし、大きな喜びとなりましょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(31)
良妻アビガイル
(サムエル記上 15章以下)
皆さんもご存知かと思いますが、イスラエルの最初の王はサウルです。彼は全国民の間から神に選ばれた王でしたが、後に心驕り、神に背いて善い政治を行なわなかったために、神に見捨てられました。
「・・・あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」(15:23)とあります。サウルが王位を失いましたので、神はサムエルをベツレヘムの人エッサイのもとに送って、彼の息子ダビデに油を注ぎ、王位を継がせました(16:1)。ところが、サウルは自分が神に捨てられ、王位を失ったのに気付かず、かえって、ダビデを妬み、憎みます。しかも、ダビデが各地の戦いで勝利をはくし、彼の声望が高まるに従って、サウルはついに彼を殺さんと企てました。
アビガイルの話は、ダビデがサウルより逃れ、生死をともにする兵士七百余名を率いて、マオルという荒野に隠れていた時のことです。その近くにナバルという家族が住んでいました。ダビデの兵士たちは、このナバルの羊飼いたちと大変親しく、羊を盗みに来るペリシテ人を防いで、よい羊の番人となり、彼らは荒野の生活の窮乏にも、決して盗んだり、害を加えたりいたしませんでした。
ある日のこと、ダビデはナバルが羊の毛を切るお祝いをすると聞いて、彼は十人の若者を遣わして、丁寧な挨拶をさせて、彼の羊を守った報いとして、何か食べ物を下さるように頼みました。しかし、ナバルの答えは以外でした。
「ダビデとはだれか。エッサイの子とはだれか。このごろは、主人を捨てて逃げるしもべが多い。どうしてわたしのパンと水、またわたしの羊の毛を切る人々のためにほふった肉をとって、どこからきたのかわからない人々に与えることができようか」(25:10~11)と、実に人を無視した失礼な態度を取りました。
これでナバルの人格がうかがわれます。彼は自分に財産に心引かれていましたし、聖書は彼を「剛情で、粗暴であった」(25:3)と言っております。彼は他人を顧みませんでした。ダビデは、この失礼な返事を聞きまして、烈火のように怒り、直ちに兵四百人に命じてナバルの家族を殺そうと決心いたしました。
この危機に当たって登場してくるのが、この話の主人公ナバルの妻アビガイルです。彼女はこの出来事を聞いて驚きましたが、賢明に事の理非曲直を判断し、主人に相談もせず、直ちに多くの食物を贈り、主人に代わって非礼を詫び、すべてを自分の責任に帰して努力したのです。その言葉は25章24節から31節にあります。
彼女は自分の主人の非を詫びるとともに、悪に報いるに悪をもってする復讐の無駄であることを述べて、無意味に血を流すのは、主のみこころではございませんと、丁重に争いを避けるように努めました。
これに対するダビデの答えもまた立派なものです。
「きょう、あなたをつかわして、わたしを迎えさせられたイスラエルの神、主はほむべきかな。あなたの知恵はほむべきかな。あなたは、きょう、わたしがきて血を流し、手ずからあだを報いることをとどめたのです」(25:32~33)と言って、神をたたえ、彼女をほめるあたり、讃美の歌を聞くようです。良妻アビガイルはこのように智恵と勇気をもってダビデの怒りをなだめ、ナバル一家の危機を救いました。
ところで、夫ナバルはどうでしょう。妻が家に帰って来ても、彼は妻が自分の命を救ってくれたのを知らず、いつものように酒に酔い潰れているのです。翌朝、妻からこの様子をつまびらかに聞かされて、驚きのあまり、「彼の心はそのうち死んで、彼は石のようになった」(37)と聖書にある通り、10日の後、ついに死んでしまいました。
その後、ダビデはアビガイルの智恵の勝れていること、慎み深いこと、その美しさに目をとめて、彼女と結婚いたしました。
ところで、この話は私たちに何を物語っているのでしょうか。
第1 アビガイルの夫ナバルは、彼女にとって決してふさわしい夫ではありませんでした。これは当時の習慣で親たちが、本人の意志と幸福を顧みず、自分たちの都合のよい結婚をさせたからだと思います。昔の封建的な日本の社会にも見られることです。このような不釣合いな結婚であったにも関わらず、アビガイルはよく自分の立場を守り、賢く立ち回わって、夫の危機を救い、忠実に妻としての務めを果たしたことは、大いに学ぶべきだと思います。
第2 しかし、神はみ旨によってこの不釣合いな結婚生活に終止符を打ち、この良妻にふさわしい良き夫ダビデを与えたまいました。神はこのように、不幸わせを忍んでいる内に公平にしてくださいます。もしも私たちが、このような境遇にあると知りましたら、アビガイルの態度を学ぶべきです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
良妻アビガイル
(サムエル記上 15章以下)
皆さんもご存知かと思いますが、イスラエルの最初の王はサウルです。彼は全国民の間から神に選ばれた王でしたが、後に心驕り、神に背いて善い政治を行なわなかったために、神に見捨てられました。
「・・・あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」(15:23)とあります。サウルが王位を失いましたので、神はサムエルをベツレヘムの人エッサイのもとに送って、彼の息子ダビデに油を注ぎ、王位を継がせました(16:1)。ところが、サウルは自分が神に捨てられ、王位を失ったのに気付かず、かえって、ダビデを妬み、憎みます。しかも、ダビデが各地の戦いで勝利をはくし、彼の声望が高まるに従って、サウルはついに彼を殺さんと企てました。
アビガイルの話は、ダビデがサウルより逃れ、生死をともにする兵士七百余名を率いて、マオルという荒野に隠れていた時のことです。その近くにナバルという家族が住んでいました。ダビデの兵士たちは、このナバルの羊飼いたちと大変親しく、羊を盗みに来るペリシテ人を防いで、よい羊の番人となり、彼らは荒野の生活の窮乏にも、決して盗んだり、害を加えたりいたしませんでした。
ある日のこと、ダビデはナバルが羊の毛を切るお祝いをすると聞いて、彼は十人の若者を遣わして、丁寧な挨拶をさせて、彼の羊を守った報いとして、何か食べ物を下さるように頼みました。しかし、ナバルの答えは以外でした。
「ダビデとはだれか。エッサイの子とはだれか。このごろは、主人を捨てて逃げるしもべが多い。どうしてわたしのパンと水、またわたしの羊の毛を切る人々のためにほふった肉をとって、どこからきたのかわからない人々に与えることができようか」(25:10~11)と、実に人を無視した失礼な態度を取りました。
これでナバルの人格がうかがわれます。彼は自分に財産に心引かれていましたし、聖書は彼を「剛情で、粗暴であった」(25:3)と言っております。彼は他人を顧みませんでした。ダビデは、この失礼な返事を聞きまして、烈火のように怒り、直ちに兵四百人に命じてナバルの家族を殺そうと決心いたしました。
この危機に当たって登場してくるのが、この話の主人公ナバルの妻アビガイルです。彼女はこの出来事を聞いて驚きましたが、賢明に事の理非曲直を判断し、主人に相談もせず、直ちに多くの食物を贈り、主人に代わって非礼を詫び、すべてを自分の責任に帰して努力したのです。その言葉は25章24節から31節にあります。
彼女は自分の主人の非を詫びるとともに、悪に報いるに悪をもってする復讐の無駄であることを述べて、無意味に血を流すのは、主のみこころではございませんと、丁重に争いを避けるように努めました。
これに対するダビデの答えもまた立派なものです。
「きょう、あなたをつかわして、わたしを迎えさせられたイスラエルの神、主はほむべきかな。あなたの知恵はほむべきかな。あなたは、きょう、わたしがきて血を流し、手ずからあだを報いることをとどめたのです」(25:32~33)と言って、神をたたえ、彼女をほめるあたり、讃美の歌を聞くようです。良妻アビガイルはこのように智恵と勇気をもってダビデの怒りをなだめ、ナバル一家の危機を救いました。
ところで、夫ナバルはどうでしょう。妻が家に帰って来ても、彼は妻が自分の命を救ってくれたのを知らず、いつものように酒に酔い潰れているのです。翌朝、妻からこの様子をつまびらかに聞かされて、驚きのあまり、「彼の心はそのうち死んで、彼は石のようになった」(37)と聖書にある通り、10日の後、ついに死んでしまいました。
その後、ダビデはアビガイルの智恵の勝れていること、慎み深いこと、その美しさに目をとめて、彼女と結婚いたしました。
ところで、この話は私たちに何を物語っているのでしょうか。
第1 アビガイルの夫ナバルは、彼女にとって決してふさわしい夫ではありませんでした。これは当時の習慣で親たちが、本人の意志と幸福を顧みず、自分たちの都合のよい結婚をさせたからだと思います。昔の封建的な日本の社会にも見られることです。このような不釣合いな結婚であったにも関わらず、アビガイルはよく自分の立場を守り、賢く立ち回わって、夫の危機を救い、忠実に妻としての務めを果たしたことは、大いに学ぶべきだと思います。
第2 しかし、神はみ旨によってこの不釣合いな結婚生活に終止符を打ち、この良妻にふさわしい良き夫ダビデを与えたまいました。神はこのように、不幸わせを忍んでいる内に公平にしてくださいます。もしも私たちが、このような境遇にあると知りましたら、アビガイルの態度を学ぶべきです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円