2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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『旧・新約婦人物語』(30)
神を欺いたサッピラ
(使徒行伝5章1~11節)
初代キリスト教会での、一番恐ろしい事件は、使徒行伝5章1~11節に記されている、アナニヤと妻サッピラの話です。この夫婦は、どうして神様に罰せられ、急に倒れて息絶えたのでしょうか。どういう罪を犯して、死ななければならなかったのでしょうか。わたしたちは、その問題点を知るために、よく聖書を学ぶべきでしょう。
先ず知っておくべきことは、当時のエルサレムの教会の運営のあり方であります。使徒行伝4章34節を読むと、彼らの中には貧しい者、乏しい者は一人もなかったとあります。何故かと申しますと、地所や家屋を持っている人たちが、それを売って得た代金を持ち寄って、使徒たちの足元に置きました。教会はそのお金を必要に応じて、誰にでも分け与えたからです。
クプロ生まれのバルナバは、自分の所有する畑を売って、その代金を使徒たちの足元に置いたと言う実に立派な献金の例が、使徒行伝4章37節にあります。これはもちろん強制的ではなく、本人の自由意志によるものなのです。自由だからと言って神に献げることを、疎かに考え、いいかげんにしてよいと言う意味では、決してありません。かえって、わたしたちは献金について、もっと深く考えなければなりません。
信者の多くは、収入の内の使い残りを献げているのではありませんか。10分の1献金(収入の一割)は、聖書に明らかに指示されていることで、この神に献げなければならない10分の1を、自分の生活費として使っている人が、如何に多いことか想像以上でありましょう。この意味で、わたしたちは初代キリスト教会のクリスチャンたちのあたたかい犠牲的行為を思う時、感激させられるのであります。
さて、アナニヤとサッピラは、他の信者たちのあたたかい行為を見て、彼らも神様に対する責任を感じたことでしょう。彼らにも資産がありました。しかし、前にも述べましたように、このことは強制されてするものではなく、また規則でもありませんでした。だから、5章の4節に記されていますように、売らずに残しておいても、売って得たその代金も、アナニヤとサッピラの自由になるものでした。
二人はともかく、資産を売ることに決めましたが、売った代金の全部を献げるのでなく、二人でしめし合わせて、代金の幾分かを自分たちのために隠しておくことを決めました。これで彼らの強欲がわかります。
アナニヤは土地を売ったお金の全部を、教会に献金するように見せかけて、一部をごまかし、隠して、使徒たちの足元に置きました。けれども神様から彼ら二人の心根を示されたペテロは、アナニヤに「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか」と問いただしました。すると、アナニヤはペテロの厳しい言葉を聞いている内に倒れ、息が絶えてしまいました。このことを伝え聞いた人々は、大変恐れを感じました。
若い人たちが、アナニヤの死体を葬ってから3時間ばかり過ぎた頃のことです。この恐ろしい出来事をまだ知らなかった彼の妻のサッピラが、そこへ入って来たのです。サッピラは自分たちが土地を売って、献げたこの行為に、きっと感謝され、歓迎されていると思って、部屋に入りました。しかし不思議なことに、そこに夫のアナニヤが見当たりません。ペテロがうろうろしているサッピラに尋ねました。「あの地所は、これこれの値段で売ったのか」と。彼女は、「そうです、その値段です」と答えました。
ペテロは彼女に「あなたがたふたりが心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」(9)と告げました。すると、サッピラも倒れて息が絶えました。
このように、彼らがただ嘘をついて、欺いただけで死ななければならなかったことを、わたしたちが思い起こします時、嘘そのものがどんなに重い罪であるかが、よくわかります。また神様を欺こうとしたこの二人の罪によって、わたしたちが教えられます教訓は、わたしたち人間は決して、全知全能の神様を欺くことができないこと、もう一つの大切な教えは、義の神は決して、少しの罪もお見逃しにはならず、その罪を罰したもうということです。
この出来事での一番悲しい点は、サッピラの心の弱さであります。もしサッピラが、主人と示し合わせず、主人の誤った考え方に反対して、夫のアナニヤを正しい道に導くことができましたなら、この話は、こんな悲劇には終わらなかったことと思います。わたしたちは、この事件によって、初代キリスト教会の信者全体が抱いたと同じように、嘘や偽りの恐ろしさを、痛切に感じます。わたしたちも、欲張りな気持ちや、ごまかそうとする心を捨てて、主の示したもう正しい光の道を歩み続けたいものであります。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
神を欺いたサッピラ
(使徒行伝5章1~11節)
初代キリスト教会での、一番恐ろしい事件は、使徒行伝5章1~11節に記されている、アナニヤと妻サッピラの話です。この夫婦は、どうして神様に罰せられ、急に倒れて息絶えたのでしょうか。どういう罪を犯して、死ななければならなかったのでしょうか。わたしたちは、その問題点を知るために、よく聖書を学ぶべきでしょう。
先ず知っておくべきことは、当時のエルサレムの教会の運営のあり方であります。使徒行伝4章34節を読むと、彼らの中には貧しい者、乏しい者は一人もなかったとあります。何故かと申しますと、地所や家屋を持っている人たちが、それを売って得た代金を持ち寄って、使徒たちの足元に置きました。教会はそのお金を必要に応じて、誰にでも分け与えたからです。
クプロ生まれのバルナバは、自分の所有する畑を売って、その代金を使徒たちの足元に置いたと言う実に立派な献金の例が、使徒行伝4章37節にあります。これはもちろん強制的ではなく、本人の自由意志によるものなのです。自由だからと言って神に献げることを、疎かに考え、いいかげんにしてよいと言う意味では、決してありません。かえって、わたしたちは献金について、もっと深く考えなければなりません。
信者の多くは、収入の内の使い残りを献げているのではありませんか。10分の1献金(収入の一割)は、聖書に明らかに指示されていることで、この神に献げなければならない10分の1を、自分の生活費として使っている人が、如何に多いことか想像以上でありましょう。この意味で、わたしたちは初代キリスト教会のクリスチャンたちのあたたかい犠牲的行為を思う時、感激させられるのであります。
さて、アナニヤとサッピラは、他の信者たちのあたたかい行為を見て、彼らも神様に対する責任を感じたことでしょう。彼らにも資産がありました。しかし、前にも述べましたように、このことは強制されてするものではなく、また規則でもありませんでした。だから、5章の4節に記されていますように、売らずに残しておいても、売って得たその代金も、アナニヤとサッピラの自由になるものでした。
二人はともかく、資産を売ることに決めましたが、売った代金の全部を献げるのでなく、二人でしめし合わせて、代金の幾分かを自分たちのために隠しておくことを決めました。これで彼らの強欲がわかります。
アナニヤは土地を売ったお金の全部を、教会に献金するように見せかけて、一部をごまかし、隠して、使徒たちの足元に置きました。けれども神様から彼ら二人の心根を示されたペテロは、アナニヤに「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか」と問いただしました。すると、アナニヤはペテロの厳しい言葉を聞いている内に倒れ、息が絶えてしまいました。このことを伝え聞いた人々は、大変恐れを感じました。
若い人たちが、アナニヤの死体を葬ってから3時間ばかり過ぎた頃のことです。この恐ろしい出来事をまだ知らなかった彼の妻のサッピラが、そこへ入って来たのです。サッピラは自分たちが土地を売って、献げたこの行為に、きっと感謝され、歓迎されていると思って、部屋に入りました。しかし不思議なことに、そこに夫のアナニヤが見当たりません。ペテロがうろうろしているサッピラに尋ねました。「あの地所は、これこれの値段で売ったのか」と。彼女は、「そうです、その値段です」と答えました。
ペテロは彼女に「あなたがたふたりが心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」(9)と告げました。すると、サッピラも倒れて息が絶えました。
このように、彼らがただ嘘をついて、欺いただけで死ななければならなかったことを、わたしたちが思い起こします時、嘘そのものがどんなに重い罪であるかが、よくわかります。また神様を欺こうとしたこの二人の罪によって、わたしたちが教えられます教訓は、わたしたち人間は決して、全知全能の神様を欺くことができないこと、もう一つの大切な教えは、義の神は決して、少しの罪もお見逃しにはならず、その罪を罰したもうということです。
この出来事での一番悲しい点は、サッピラの心の弱さであります。もしサッピラが、主人と示し合わせず、主人の誤った考え方に反対して、夫のアナニヤを正しい道に導くことができましたなら、この話は、こんな悲劇には終わらなかったことと思います。わたしたちは、この事件によって、初代キリスト教会の信者全体が抱いたと同じように、嘘や偽りの恐ろしさを、痛切に感じます。わたしたちも、欲張りな気持ちや、ごまかそうとする心を捨てて、主の示したもう正しい光の道を歩み続けたいものであります。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
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『旧・新約婦人物語』(29)
サムエルの母ハンナ
(サムエル記上 1章)
ハンナは、旧約聖書の歴史の中で有名な婦人です。彼女は、エフライム山の麓に住んでいましたエルカナの妻でした。彼女は雄大高潔で知られた預言者サムエルの母です。
ハンナは、先に学びましたアブラハムの妻サラのように、結婚してから長い間、子供がなかったのです。けれども、祈り求めればきっと与えられるものと固く信じていました。サラの場合は、神の使者から、「来年の春・・・サラには男の子が生まれるでしょう」と、はっきり告げられても、心であざ笑って、それを信じませんでした」(創世記18:10)。
ここに二人の間に根本的な信仰の相違があります。それにもかかわらず、夫のエルカナは、ハンナには子供が与えられないものと諦めて、二番目の妻ペニンナを迎えました。それは当時の悪い習慣で、神のみ旨に背くことです。そのためエルカナの家庭の雰囲気は、余りよくなかったようです。ペニンナに多くの子供が生まれるにおよんで、ハンナは常にペニンナに抑えられ、苦しめられていたようです。しかし、夫のエルカナはハンナを非常に愛しておりました。
この家の良いことは、主人に信仰があり、毎年決まって祭日には、主の宮にのぼって燔祭をささげ、熱心に神を礼拝することを常としておりました。
当時、この地方の多くの人々は、神を忘れ、神を礼拝しないのに、この家庭の人々は常に神を忘れず、熱心に神に仕えたようで、これがこの家庭の特徴でした。
主人エルカナが、ハナンには子供が与えられないと諦めたにもかかわらず、ハナンの信仰はなかなか固く、望みを捨てず、常に男の子が与えられるようにと祈り続けました。この時のハナンの祈りの態度は、実に熱心そのもので、一人静かに宮にいて祈りました。ハンナの神は私たちの悩みの時、苦しみの時に、慰めを与えたもうと確信して続けたいものです。この祈りの態度は私たちに大きな教訓を与えます。
「あなたは祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」(マタイ6:6)。
まことの祈りはこのように、目に見えない、手に触れないが、しかし、確かにいましたもう、生ける真の神に祈ることです。
祈りは、多くの人が集まって心を合わせて、共にいのることは大きな力ですが、また一人で部屋の中や森の蔭や川のほとりで、静に熱心に祈ることも、さらに大切なことです。祈りの中で、ハンナは神に誓いました。
「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を生涯のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」(11)と。もし男の子が与えられたら、その子の一生涯を神の御用のために捧げるというのです。
ハンナのこの誓いを、先に学んだエフタの誓いに比べて下さい。格段の差が見られます。最も大きな違いは、ハンナの誓いは祈りの内に長く考えられた、まごころのこもった、切々たるものです。それに引き換え、エフタの誓いは出陣間際になされた無思慮なもので、そのうえ、「神が戦いに勝利を与えて下さったなら、何々をします」といった、神と取引でもするような、不敬虔なものでした。
ここで、私たちが考えることは、全ての命は神から出るということです。神が命を与えなければ、人はうまれてくることはできません。
この意味で、人の一生は皆、神の賜物であり、神の御用のためには全部を捧げるのが当然であるともいえます。私たちが捧げる献げ物は、神から与えられたものを、神にお返しするに過ぎないともいえます。私たちは、与えられた恵みの一部分を捧げているのです。「しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです」(歴代志上29:14)とあるとおりです。
私たちは、神から頂いた何パーセントを、神に捧げているか反省しなければなりません。ハンナの誓いはこの心持であり、エフタは神と取引するように見られます。ハンナが宮で熱心に祈っている様子を見て、祭司のエリは、彼女が酒に酔っているのだと思い違いをしまして、彼女を戒めました(12~14)。
私たちも、ともすれば同じようにことの真相を確かめず、人のことを批判したり、悪く思ったりすることがあります。幸いにもエリは、自分の間違っていたことに気付いて直ちにその粗相を詫び、神の祝福が彼女の上にあり、その求める願いを許したまえと祈りました。ハンナはこれに慰められ、励まされて、喜んで家族と共に家に帰りました。そして間もなく、彼女の祈りはきかれ、サムエルが与えられました。
私たちは、ここで心を込めた祈りは必ずきかれる事実を見ます。もちろん、時には私たちの願った通りに、また期待している通りに答えられないかもしれませんが、神の御旨によって更により良い方法で、神は必ず、最善に答えて下さいます。
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう・・・・。天にいますあなたの父はなおさら、求めてくる者によいものを下さらないことがあろうか」(マタイ7:7~11)。
ハンナのその後の生活はどうでしたでしょうか。彼女は初めの誓いを忘れず、幼子サムエルを宮につれてのぼり、神の御用に奉仕させました。たった一人の愛児、しかも長年祈り求めて与えられた愛し子を、宮に捧げるハンナの心はどうでしたでしょう。
ここにハンナの強い信仰の、実に偉大な面が現われています。彼女は、その後いよいよ神の祝福に与り、三男二女を与えられ、幸いな日を送りました。これはハンナの信仰の良い果実です。私たちもこのような信仰を持ち、全てを神に捧げたいものです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
サムエルの母ハンナ
(サムエル記上 1章)
ハンナは、旧約聖書の歴史の中で有名な婦人です。彼女は、エフライム山の麓に住んでいましたエルカナの妻でした。彼女は雄大高潔で知られた預言者サムエルの母です。
ハンナは、先に学びましたアブラハムの妻サラのように、結婚してから長い間、子供がなかったのです。けれども、祈り求めればきっと与えられるものと固く信じていました。サラの場合は、神の使者から、「来年の春・・・サラには男の子が生まれるでしょう」と、はっきり告げられても、心であざ笑って、それを信じませんでした」(創世記18:10)。
ここに二人の間に根本的な信仰の相違があります。それにもかかわらず、夫のエルカナは、ハンナには子供が与えられないものと諦めて、二番目の妻ペニンナを迎えました。それは当時の悪い習慣で、神のみ旨に背くことです。そのためエルカナの家庭の雰囲気は、余りよくなかったようです。ペニンナに多くの子供が生まれるにおよんで、ハンナは常にペニンナに抑えられ、苦しめられていたようです。しかし、夫のエルカナはハンナを非常に愛しておりました。
この家の良いことは、主人に信仰があり、毎年決まって祭日には、主の宮にのぼって燔祭をささげ、熱心に神を礼拝することを常としておりました。
当時、この地方の多くの人々は、神を忘れ、神を礼拝しないのに、この家庭の人々は常に神を忘れず、熱心に神に仕えたようで、これがこの家庭の特徴でした。
主人エルカナが、ハナンには子供が与えられないと諦めたにもかかわらず、ハナンの信仰はなかなか固く、望みを捨てず、常に男の子が与えられるようにと祈り続けました。この時のハナンの祈りの態度は、実に熱心そのもので、一人静かに宮にいて祈りました。ハンナの神は私たちの悩みの時、苦しみの時に、慰めを与えたもうと確信して続けたいものです。この祈りの態度は私たちに大きな教訓を与えます。
「あなたは祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」(マタイ6:6)。
まことの祈りはこのように、目に見えない、手に触れないが、しかし、確かにいましたもう、生ける真の神に祈ることです。
祈りは、多くの人が集まって心を合わせて、共にいのることは大きな力ですが、また一人で部屋の中や森の蔭や川のほとりで、静に熱心に祈ることも、さらに大切なことです。祈りの中で、ハンナは神に誓いました。
「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を生涯のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」(11)と。もし男の子が与えられたら、その子の一生涯を神の御用のために捧げるというのです。
ハンナのこの誓いを、先に学んだエフタの誓いに比べて下さい。格段の差が見られます。最も大きな違いは、ハンナの誓いは祈りの内に長く考えられた、まごころのこもった、切々たるものです。それに引き換え、エフタの誓いは出陣間際になされた無思慮なもので、そのうえ、「神が戦いに勝利を与えて下さったなら、何々をします」といった、神と取引でもするような、不敬虔なものでした。
ここで、私たちが考えることは、全ての命は神から出るということです。神が命を与えなければ、人はうまれてくることはできません。
この意味で、人の一生は皆、神の賜物であり、神の御用のためには全部を捧げるのが当然であるともいえます。私たちが捧げる献げ物は、神から与えられたものを、神にお返しするに過ぎないともいえます。私たちは、与えられた恵みの一部分を捧げているのです。「しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです」(歴代志上29:14)とあるとおりです。
私たちは、神から頂いた何パーセントを、神に捧げているか反省しなければなりません。ハンナの誓いはこの心持であり、エフタは神と取引するように見られます。ハンナが宮で熱心に祈っている様子を見て、祭司のエリは、彼女が酒に酔っているのだと思い違いをしまして、彼女を戒めました(12~14)。
私たちも、ともすれば同じようにことの真相を確かめず、人のことを批判したり、悪く思ったりすることがあります。幸いにもエリは、自分の間違っていたことに気付いて直ちにその粗相を詫び、神の祝福が彼女の上にあり、その求める願いを許したまえと祈りました。ハンナはこれに慰められ、励まされて、喜んで家族と共に家に帰りました。そして間もなく、彼女の祈りはきかれ、サムエルが与えられました。
私たちは、ここで心を込めた祈りは必ずきかれる事実を見ます。もちろん、時には私たちの願った通りに、また期待している通りに答えられないかもしれませんが、神の御旨によって更により良い方法で、神は必ず、最善に答えて下さいます。
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう・・・・。天にいますあなたの父はなおさら、求めてくる者によいものを下さらないことがあろうか」(マタイ7:7~11)。
ハンナのその後の生活はどうでしたでしょうか。彼女は初めの誓いを忘れず、幼子サムエルを宮につれてのぼり、神の御用に奉仕させました。たった一人の愛児、しかも長年祈り求めて与えられた愛し子を、宮に捧げるハンナの心はどうでしたでしょう。
ここにハンナの強い信仰の、実に偉大な面が現われています。彼女は、その後いよいよ神の祝福に与り、三男二女を与えられ、幸いな日を送りました。これはハンナの信仰の良い果実です。私たちもこのような信仰を持ち、全てを神に捧げたいものです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』 (28)
カヤパの二人の女中
(マタイ福音書26章69~75節)
時は主イエス・キリストが十字架にかかられる前の晩のことです。舞台は大祭司カヤパの中庭、中心人物はイエスの弟子ペテロと、大祭司に仕える二人の女中です。
主イエス・キリストが、ゲッセマネの園で、祭司長や民の長老たちから送られて来た大勢の群衆に捕らえられました。その時、イエス様の弟子たちは卑怯にも皆、主を見捨ててちりぢりに逃げてしまいました。(マタイ26:56)。この臆病な弟子たちの態度を見る時、わたしたちはいろいろと批評したくなります。もし自分がそこにいたなら、自分はまさかそんな態度は取らなかったのに、と思うかも知れません。
しかし、自分を反省して見ますと、わたしたちは毎日のように、イエス様を見捨てて裏切っているのではないでしょうか。クリスチャンでありながら、世の人たちの批評に気兼ねして、氏神さんだのお稲荷さんにまいったりして、世間の人々に妥協したり、同調することは、キリストを裏切ることであり、クリスチャンの取るべき態度ではありません。
イエス様を捕らえた群衆は、大祭司カヤパの公邸に、イエス様を引っ張ってまいりました。イエス様は自分の弟子たちに見捨てられ、ただ一人で大祭司の法廷に立たされ、律法学者や長老たちから、律法に反した裁きを受けられました。この時のイエス様のお気持ちは本当に寂しい限りであったことでしょう。
しかし逃げ去ったと思われた弟子たちの中に、愛する先生の身の上を案じて、危険をおかし、遠くからイエス様を慕って着いて来た二人の弟子がありました(ヨハネ18:15)。それは、シモン・ペテロともう一人の弟子でした(もう一人のはヨハネ福音書を書いたヨハネだと言われています)。ヨハネは大祭司の知り合いであったので、イエス様と一緒に大祭司の家の中庭にまで入りました。しかし、ペテロは建物の外に立って、家の中の様子をうかがっておりました。すると、ヨハネが家から出てきて、門番の女中に話し、ペテロを家の内へ入れてやりました。
夜中の寒い時ですから、カヤパの僕や下役たちが、炭火にあたって暖を取っていました。ペテロもその中に混じって立っていました。すると、門番の女中がペテロの所に来て、炭火の明りで彼を見つめながら、「あなたも、あのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言いました。
多分、彼女はペテロが門を入る時から、それと気付き、この人は怪しいぞ、と思っていたのでしょう。ペテロはそれを聞いて、ハッとしましたが、知らぬ振りをして。直ぐそれを打ち消し、「あなたは何をいうのですか、わたしは知りません」と言って、入口の方へ出て行こうとしました。するとまた、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々に、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と叫びました。ペテロはびっくりして再び、「そんな人は知らない」と誓って言いました。
しかし、そこに立っていた人たちは、これはどうも変だと思ったのでしょう。彼らはペテロのそばに近寄ってきて、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」(73)と、言いはりました。ペテロは、「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめました。その時、鶏の鳴く声が聞こえて来ました。ペテロはイエス様が、「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」(75)と言われたことを思い出し、たまりかねて外へ飛び出し、激しく泣きました。
ペテロは自分こそイエス様の忠実な僕であり、弟子だと自負していながら、ついにイエス様を裏切って否んでしまいました。わたしたちが、ここで深く考えねばならないことは、わたしたちは如何に弱い者であるか、どんなに誘惑されやすい者であるかということです。わたしたちの弱さの原因がどこにあるのでしょうか。
その一つは、自分の力に頼っているところにあります。今一つは、イエス様からはなれ、自己中心になり、果ては、イエス様を否むようになることです。
この話によって特別に学ぶことは、カヤパの二人の女中さんの言動であります。彼女たちは何故ああまでペテロを陥れようとしたのでしょうか。きっと彼女らは、ペテロを困らせてやろうと思ったかもしれませんが、或いはもっとひどく言えば、ペテロもイエスと同罪にしたかったのかもしれません。
わたしたちも知らずの内に、隣人をいじめたり、困らせてはいないでしょうか。わたしたちの生活もよく検討して見たいものです。姑は嫁を、夫は妻を、兄は妹たちを思いやりのある態度で接しているでしょうか。ペテロの場合、彼は嘘をつき、その上、こころにもない嘘の誓いをして、ついに、イエス様を否む罪に陥りました。これは二人の女中さんの言葉の結果です。
女の小さな弱い言葉の内にも、この様に大きな力があることを覚えましょう。どうか、わたしたちは絶えず気を付けて、自分の口を守り、人の悪口や、井戸端会議は止めて、人を神に導く言葉だけを語るようにしたいものです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
カヤパの二人の女中
(マタイ福音書26章69~75節)
時は主イエス・キリストが十字架にかかられる前の晩のことです。舞台は大祭司カヤパの中庭、中心人物はイエスの弟子ペテロと、大祭司に仕える二人の女中です。
主イエス・キリストが、ゲッセマネの園で、祭司長や民の長老たちから送られて来た大勢の群衆に捕らえられました。その時、イエス様の弟子たちは卑怯にも皆、主を見捨ててちりぢりに逃げてしまいました。(マタイ26:56)。この臆病な弟子たちの態度を見る時、わたしたちはいろいろと批評したくなります。もし自分がそこにいたなら、自分はまさかそんな態度は取らなかったのに、と思うかも知れません。
しかし、自分を反省して見ますと、わたしたちは毎日のように、イエス様を見捨てて裏切っているのではないでしょうか。クリスチャンでありながら、世の人たちの批評に気兼ねして、氏神さんだのお稲荷さんにまいったりして、世間の人々に妥協したり、同調することは、キリストを裏切ることであり、クリスチャンの取るべき態度ではありません。
イエス様を捕らえた群衆は、大祭司カヤパの公邸に、イエス様を引っ張ってまいりました。イエス様は自分の弟子たちに見捨てられ、ただ一人で大祭司の法廷に立たされ、律法学者や長老たちから、律法に反した裁きを受けられました。この時のイエス様のお気持ちは本当に寂しい限りであったことでしょう。
しかし逃げ去ったと思われた弟子たちの中に、愛する先生の身の上を案じて、危険をおかし、遠くからイエス様を慕って着いて来た二人の弟子がありました(ヨハネ18:15)。それは、シモン・ペテロともう一人の弟子でした(もう一人のはヨハネ福音書を書いたヨハネだと言われています)。ヨハネは大祭司の知り合いであったので、イエス様と一緒に大祭司の家の中庭にまで入りました。しかし、ペテロは建物の外に立って、家の中の様子をうかがっておりました。すると、ヨハネが家から出てきて、門番の女中に話し、ペテロを家の内へ入れてやりました。
夜中の寒い時ですから、カヤパの僕や下役たちが、炭火にあたって暖を取っていました。ペテロもその中に混じって立っていました。すると、門番の女中がペテロの所に来て、炭火の明りで彼を見つめながら、「あなたも、あのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言いました。
多分、彼女はペテロが門を入る時から、それと気付き、この人は怪しいぞ、と思っていたのでしょう。ペテロはそれを聞いて、ハッとしましたが、知らぬ振りをして。直ぐそれを打ち消し、「あなたは何をいうのですか、わたしは知りません」と言って、入口の方へ出て行こうとしました。するとまた、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々に、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と叫びました。ペテロはびっくりして再び、「そんな人は知らない」と誓って言いました。
しかし、そこに立っていた人たちは、これはどうも変だと思ったのでしょう。彼らはペテロのそばに近寄ってきて、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」(73)と、言いはりました。ペテロは、「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめました。その時、鶏の鳴く声が聞こえて来ました。ペテロはイエス様が、「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」(75)と言われたことを思い出し、たまりかねて外へ飛び出し、激しく泣きました。
ペテロは自分こそイエス様の忠実な僕であり、弟子だと自負していながら、ついにイエス様を裏切って否んでしまいました。わたしたちが、ここで深く考えねばならないことは、わたしたちは如何に弱い者であるか、どんなに誘惑されやすい者であるかということです。わたしたちの弱さの原因がどこにあるのでしょうか。
その一つは、自分の力に頼っているところにあります。今一つは、イエス様からはなれ、自己中心になり、果ては、イエス様を否むようになることです。
この話によって特別に学ぶことは、カヤパの二人の女中さんの言動であります。彼女たちは何故ああまでペテロを陥れようとしたのでしょうか。きっと彼女らは、ペテロを困らせてやろうと思ったかもしれませんが、或いはもっとひどく言えば、ペテロもイエスと同罪にしたかったのかもしれません。
わたしたちも知らずの内に、隣人をいじめたり、困らせてはいないでしょうか。わたしたちの生活もよく検討して見たいものです。姑は嫁を、夫は妻を、兄は妹たちを思いやりのある態度で接しているでしょうか。ペテロの場合、彼は嘘をつき、その上、こころにもない嘘の誓いをして、ついに、イエス様を否む罪に陥りました。これは二人の女中さんの言葉の結果です。
女の小さな弱い言葉の内にも、この様に大きな力があることを覚えましょう。どうか、わたしたちは絶えず気を付けて、自分の口を守り、人の悪口や、井戸端会議は止めて、人を神に導く言葉だけを語るようにしたいものです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(27)
オルパとルツ
ルツ記
私たちはナオミと二人の嫁について学びましたが、ここではその続きです。オルパは姑ナオミと別れて自分の家に帰り、ルツは姑と共にベツレヘムへ帰りました。
なぜ、オルパだけが偶像崇拝の盛んな自分の国へ帰り、ルツが姑と行動を共にしたのでしょうか。オルパとルツとは同じように神の摂理とお導きによって、真の神を信じている家族の人となり、神を知る機会を与えられながら、どうしてオルパは偶像に帰り、ルツだけが神を信じる信仰を貫いたのでしょうか。これは、オルパの方が形式的に、機械的に主人の信仰を受け入れていたのに対して、ルツは精神を尽くして、まことの神を信じていたことによると思います。人の信仰は、平素においてはその真偽がなかなかわかりませんが、一旦、困難に合うとその真偽・深浅のほどが、はっきりしてきます。
オルパはモアブへ帰るという外的な出来事のみでなく、彼女は永遠の滅亡への道を自分で選んだのです。この態度と対照的なのはルツです。彼女も結婚前は、オルパと同じく間違った偶像崇拝の環境に育ちました。しかし、彼女の優れた点は、その間違った信仰を捨てて、ナオミの信じている、真の神を選んだことです。
その時のルツの言葉は、「・・・わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます」(1:16から7)と。
なんと素晴らしい告白ではありませんか。美しいといっても、これほどの言葉は他に見当たらないでしょう。この言葉は人が世にある限り忘れられることはない、地球の全地に語り伝えられる有名な言葉です。まことの信仰なくして、どうしてこのような告白ができましょうか。ルツの偉大な性格はこの言葉によく現われております。彼女はまことに世界で指折り数えられる人物の一人となったわけです。
ルツ記は、わずか4章、85節からなる短い書物です。初めから終りまでよく読んで下さい。すぐ気付くことは、信仰と恵みとの関係が、はっきり現われているのです。神様は、ルツの信仰を恵み、ベツレヘムに行ってから、立派な夫が与えられ、そのうえに男の子を授かり、恵みに恵みが加えられて、ルツ自身があの有名な、ダビデ王の曽祖母になり、キリストの先祖の一人となって、マタイ福音書1章5節にその名を残しています。彼女の光栄や思うべしです。
この二人の嫁たちによって多くの教訓を学びます。
1 真の救いへの道を拒むことが、どんなに恐ろしいことか。オルパは神を信じるよい機会を一度ならず与えられれながら、その機会を見逃しています。マタイ福音書19章には、富める青年が、せっかくキリストにお目にかかり救いの道を求めながら、世の富に心引かれて千載一遇ともいうべき救いの機会を逃したように、オルパもせっかく与えられた救いの道を逃してしまったのです。
ここで、わたしが悲しく思うことは、この日本において、救いの道に導かれた人たち(決心者、求道者)が多いにもかかわらず、信者となられる人は、日本の全人口の1%にも達しないのです。どうして救いの道に導かれながら救いを受け入れないオルパのような人が多いのでしょうか。
現在、日本に派遣されている宣教師の数は、新教渡来以来最高の数であると言われています。それに比べて、どうして教会や信者が増加しないのでしょうか。これは私たちの反省も必要ですが、またこのオルパ式の人が多いからではないでしょうか。人は命の道を選ぶか、滅亡の道を選ぶかの岐路に立たされているのです。
2 ルツのこの変らないしっかりした信仰は、私たちのキリストに対する信仰の態度でなくてはなりません。
「わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。・・・あなたの死なれる所でわたしも死にます」。
このルツの言葉は、私たちのキリストに対する信仰でなくてはなりません。私たちは絶えずキリストと共に歩み、キリストと共に生き、一度信仰を志したなら後を振り返るのは大禁物です。振り返る心には緩みが生じ、オルパの二の舞えを演ずるでしょう。キリストの行けと言われる所へ行き、キリストの為せと言われることを為し、生きるも死もキリストと共であること、これがキリスト者の生活です。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
オルパとルツ
ルツ記
私たちはナオミと二人の嫁について学びましたが、ここではその続きです。オルパは姑ナオミと別れて自分の家に帰り、ルツは姑と共にベツレヘムへ帰りました。
なぜ、オルパだけが偶像崇拝の盛んな自分の国へ帰り、ルツが姑と行動を共にしたのでしょうか。オルパとルツとは同じように神の摂理とお導きによって、真の神を信じている家族の人となり、神を知る機会を与えられながら、どうしてオルパは偶像に帰り、ルツだけが神を信じる信仰を貫いたのでしょうか。これは、オルパの方が形式的に、機械的に主人の信仰を受け入れていたのに対して、ルツは精神を尽くして、まことの神を信じていたことによると思います。人の信仰は、平素においてはその真偽がなかなかわかりませんが、一旦、困難に合うとその真偽・深浅のほどが、はっきりしてきます。
オルパはモアブへ帰るという外的な出来事のみでなく、彼女は永遠の滅亡への道を自分で選んだのです。この態度と対照的なのはルツです。彼女も結婚前は、オルパと同じく間違った偶像崇拝の環境に育ちました。しかし、彼女の優れた点は、その間違った信仰を捨てて、ナオミの信じている、真の神を選んだことです。
その時のルツの言葉は、「・・・わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます」(1:16から7)と。
なんと素晴らしい告白ではありませんか。美しいといっても、これほどの言葉は他に見当たらないでしょう。この言葉は人が世にある限り忘れられることはない、地球の全地に語り伝えられる有名な言葉です。まことの信仰なくして、どうしてこのような告白ができましょうか。ルツの偉大な性格はこの言葉によく現われております。彼女はまことに世界で指折り数えられる人物の一人となったわけです。
ルツ記は、わずか4章、85節からなる短い書物です。初めから終りまでよく読んで下さい。すぐ気付くことは、信仰と恵みとの関係が、はっきり現われているのです。神様は、ルツの信仰を恵み、ベツレヘムに行ってから、立派な夫が与えられ、そのうえに男の子を授かり、恵みに恵みが加えられて、ルツ自身があの有名な、ダビデ王の曽祖母になり、キリストの先祖の一人となって、マタイ福音書1章5節にその名を残しています。彼女の光栄や思うべしです。
この二人の嫁たちによって多くの教訓を学びます。
1 真の救いへの道を拒むことが、どんなに恐ろしいことか。オルパは神を信じるよい機会を一度ならず与えられれながら、その機会を見逃しています。マタイ福音書19章には、富める青年が、せっかくキリストにお目にかかり救いの道を求めながら、世の富に心引かれて千載一遇ともいうべき救いの機会を逃したように、オルパもせっかく与えられた救いの道を逃してしまったのです。
ここで、わたしが悲しく思うことは、この日本において、救いの道に導かれた人たち(決心者、求道者)が多いにもかかわらず、信者となられる人は、日本の全人口の1%にも達しないのです。どうして救いの道に導かれながら救いを受け入れないオルパのような人が多いのでしょうか。
現在、日本に派遣されている宣教師の数は、新教渡来以来最高の数であると言われています。それに比べて、どうして教会や信者が増加しないのでしょうか。これは私たちの反省も必要ですが、またこのオルパ式の人が多いからではないでしょうか。人は命の道を選ぶか、滅亡の道を選ぶかの岐路に立たされているのです。
2 ルツのこの変らないしっかりした信仰は、私たちのキリストに対する信仰の態度でなくてはなりません。
「わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。・・・あなたの死なれる所でわたしも死にます」。
このルツの言葉は、私たちのキリストに対する信仰でなくてはなりません。私たちは絶えずキリストと共に歩み、キリストと共に生き、一度信仰を志したなら後を振り返るのは大禁物です。振り返る心には緩みが生じ、オルパの二の舞えを演ずるでしょう。キリストの行けと言われる所へ行き、キリストの為せと言われることを為し、生きるも死もキリストと共であること、これがキリスト者の生活です。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(26)
ヘロデ王の妻となったヘロデヤ
マルコ6:14~29
ヘロデヤという婦人は、旧約聖書に登場します女王イゼベルに、実によく似ているところがあります。この二人の女性ほど残忍な性格を持った婦人は、聖書全体を通して他に見当たりません。二人とも、地位も同じく、非常に勝気でありました。自分の地位を利用して国の政治を思うままに左右し、彼女等の気に入らない者は、邪魔者として圧迫を加えられていました。
それはもはや死の宣告を受けたのも同然で、国内では生きて行けないほどでありました。ヘロデヤの気に入らない邪魔者は、誰だったでしょうか。皆さんもよくご存知のバプテスマのヨハネです。
ヘロデヤの出身地はイスラエルではなく、その南のエドムの国から来た婦人でありました。歴史を調べてみますと、ヘロデヤは、ヘロデ王の兄弟ピリポと結婚して、ローマに住んでいたのです。ヘロデがローマに行った時、初めてピリポの妻ヘロデヤに出会って、彼女の美貌に心引かれ、彼女に誘惑されてついに人妻と姦淫を犯す大罪をしでかしてしまいました。
ここで二つのことが、はっきりわかります。その一つは、ヘロデ王とヘロデヤの道徳観念がいかに低いかと言うことです。姦淫が身を滅ぼす恐ろしい罪であり、ことに自分の兄弟の妻とそのような罪を犯すことが、どんなに大きな罪であるかと言うことが、彼らに分からないほど道徳意識が低すぎたのです。
今一つの点は、ヘロデ王の意志の弱さです。自分の身が一国の王でありながら、自分の情欲を抑えきれず、ヘロデヤの誘惑に負けて姦淫の罪を犯し、彼女と彼女の娘サロメを連れてユダヤに帰ってしまいました。彼女もまた、平気で主人ピリポを捨てて、ヘロデ王とユダヤに帰ったのです。そしてそれのみでなく、彼女はヘロデ王の正妻であるアラビヤの王女を、王妃の地位より退け、国に追い返し、自分が王妃として栄華な生活を始めようとしたのです。
この時、彼らの前に現われたのがバプテスマのヨハネです。彼は厳しく勇敢に、彼らの不道徳と不倫を責め、兄弟の妻を妻に迎えることが誤りであることを戒めたのです。忠言耳に逆らうとは、古今東西同じことで、これを聞いたヘロデヤは非常に怒り、ヨハネを恨み、ヘロデ王に訴えて人をヨハネのものに送り、捕らえて獄似につなぎ、彼を殺そうと思いました。事実、ヨハネは捕らえられ獄に入れられました。しかし、ヘロデヤはヨハネを殺すことだけは出来ませんでした。
何故かと申しますと、ヘロデ王がヨハネは正しく聖なる人だと知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、彼の教えを聞き、大変悩みながらも、喜んで彼の言葉に耳を傾けていたからです(マルコ6:20)。
さてヘロデヤはヨハネに対する恨みを捨てず、彼を殺す機会の訪れるのを、密かに待っていたのです。その機会は意外にも早くやって来ました。ヘロデ王の誕生日のお祝いに、娘のサロメが王と彼の客人の前で、巧みな舞で、非常に王を喜ばせました。そこで王はこの少女に、「ほしいものは何でも言いなさい。ほしければこの国の半分でもあげよう」と、軽々しくも誓ったのです。
サロメは、急いで母のヘロデヤに何を求めればよいかと相談しました。ヘロデヤは、「バプテスマのヨハネの首を」と教えたのです。サロメは王に、母の教えたままを願い出ました。ヘロデ王は、彼女等の意外な願いを聞き、ひどく驚くと共に、非常に困りました。しかし一旦誓った限り、簡単にこれを退けることも出来ず、彼は心ならずも衛兵を送って、ヨハネの首を切らせました(マルコ6:26)。
この嫌なお話は、私たちに何を物語っているでしょうか。クリスチャンは、罪に対して、はっきりした態度をとるべきであると言うことです。ただ罪に対して目をふさぎ、知らん顔をしているような消極的な態度は、クリスチャンらしくありません。ことに、このような道徳的罪悪に対しては、私たちは積極的にこれと戦って、国の道徳的水準を引き上げなければならないと思います。
全てのクリスチャンは、地の塩となって、社会を清め、世の光として罪の暗黒を照らし、すっかりこれを吹き払う尊い義務を、神より託されているのです。もっとはっきり、この義務と責任とを、クリスチャンは自覚し、実行すべきでありましょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
ヘロデ王の妻となったヘロデヤ
マルコ6:14~29
ヘロデヤという婦人は、旧約聖書に登場します女王イゼベルに、実によく似ているところがあります。この二人の女性ほど残忍な性格を持った婦人は、聖書全体を通して他に見当たりません。二人とも、地位も同じく、非常に勝気でありました。自分の地位を利用して国の政治を思うままに左右し、彼女等の気に入らない者は、邪魔者として圧迫を加えられていました。
それはもはや死の宣告を受けたのも同然で、国内では生きて行けないほどでありました。ヘロデヤの気に入らない邪魔者は、誰だったでしょうか。皆さんもよくご存知のバプテスマのヨハネです。
ヘロデヤの出身地はイスラエルではなく、その南のエドムの国から来た婦人でありました。歴史を調べてみますと、ヘロデヤは、ヘロデ王の兄弟ピリポと結婚して、ローマに住んでいたのです。ヘロデがローマに行った時、初めてピリポの妻ヘロデヤに出会って、彼女の美貌に心引かれ、彼女に誘惑されてついに人妻と姦淫を犯す大罪をしでかしてしまいました。
ここで二つのことが、はっきりわかります。その一つは、ヘロデ王とヘロデヤの道徳観念がいかに低いかと言うことです。姦淫が身を滅ぼす恐ろしい罪であり、ことに自分の兄弟の妻とそのような罪を犯すことが、どんなに大きな罪であるかと言うことが、彼らに分からないほど道徳意識が低すぎたのです。
今一つの点は、ヘロデ王の意志の弱さです。自分の身が一国の王でありながら、自分の情欲を抑えきれず、ヘロデヤの誘惑に負けて姦淫の罪を犯し、彼女と彼女の娘サロメを連れてユダヤに帰ってしまいました。彼女もまた、平気で主人ピリポを捨てて、ヘロデ王とユダヤに帰ったのです。そしてそれのみでなく、彼女はヘロデ王の正妻であるアラビヤの王女を、王妃の地位より退け、国に追い返し、自分が王妃として栄華な生活を始めようとしたのです。
この時、彼らの前に現われたのがバプテスマのヨハネです。彼は厳しく勇敢に、彼らの不道徳と不倫を責め、兄弟の妻を妻に迎えることが誤りであることを戒めたのです。忠言耳に逆らうとは、古今東西同じことで、これを聞いたヘロデヤは非常に怒り、ヨハネを恨み、ヘロデ王に訴えて人をヨハネのものに送り、捕らえて獄似につなぎ、彼を殺そうと思いました。事実、ヨハネは捕らえられ獄に入れられました。しかし、ヘロデヤはヨハネを殺すことだけは出来ませんでした。
何故かと申しますと、ヘロデ王がヨハネは正しく聖なる人だと知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、彼の教えを聞き、大変悩みながらも、喜んで彼の言葉に耳を傾けていたからです(マルコ6:20)。
さてヘロデヤはヨハネに対する恨みを捨てず、彼を殺す機会の訪れるのを、密かに待っていたのです。その機会は意外にも早くやって来ました。ヘロデ王の誕生日のお祝いに、娘のサロメが王と彼の客人の前で、巧みな舞で、非常に王を喜ばせました。そこで王はこの少女に、「ほしいものは何でも言いなさい。ほしければこの国の半分でもあげよう」と、軽々しくも誓ったのです。
サロメは、急いで母のヘロデヤに何を求めればよいかと相談しました。ヘロデヤは、「バプテスマのヨハネの首を」と教えたのです。サロメは王に、母の教えたままを願い出ました。ヘロデ王は、彼女等の意外な願いを聞き、ひどく驚くと共に、非常に困りました。しかし一旦誓った限り、簡単にこれを退けることも出来ず、彼は心ならずも衛兵を送って、ヨハネの首を切らせました(マルコ6:26)。
この嫌なお話は、私たちに何を物語っているでしょうか。クリスチャンは、罪に対して、はっきりした態度をとるべきであると言うことです。ただ罪に対して目をふさぎ、知らん顔をしているような消極的な態度は、クリスチャンらしくありません。ことに、このような道徳的罪悪に対しては、私たちは積極的にこれと戦って、国の道徳的水準を引き上げなければならないと思います。
全てのクリスチャンは、地の塩となって、社会を清め、世の光として罪の暗黒を照らし、すっかりこれを吹き払う尊い義務を、神より託されているのです。もっとはっきり、この義務と責任とを、クリスチャンは自覚し、実行すべきでありましょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(25)
理想的な姑ナオミ
(ルツ記)
この物語は、イスラエルの士師時代の出来事です。
ナオミは夫と二人の子供と共にベツレヘムに住んでいたのですが、その頃、ユダヤ地方は大変な飢饉で、人々は食べ物に困っていました。それで、ナオミは夫のエリメレクに連れられて、二人の子供と共に、隣国モアブへ難を避けたのです。
人の一生の内には、不幸が重なって、どうにもならない時があるもので、ナオミは移住して間もなく夫に死別し、二人の子供を連れて知らぬ他国でさ迷い歩く不幸な身の上となりました。その内、ようやくにして二人の息子にオルパとルツの二人の嫁を迎え、やれやれひと安心と思ったのも束の間、また二人の息子も相次いで亡くなってしまいました。ナオミは重なる不幸で夫と息子をとられ、嫁の他は頼りとなる家族はなく、その上、他国での放浪生活は不安定ででした。その時の彼女の心の内はどうでしたでしょう。彼女の心は自然、懐かしい生まれ故郷のベツレヘムの山野にとび、親戚の人たちや友人の誰かを思うようになりました。
それとなく聞けば、ベツレヘム地方は、神の恵みで飢饉も去ったとのことで、彼女の望郷の念は一層切なるものとなり、ついに帰郷するよう決心いたしました。一人の嫁は何とか出発の準備のお手伝いをして、ナオミと共にモアブへユダの国境まで来ました。この時、ナオミは二人の嫁に向って私は寡婦(やもめ)であり他に子供もなく、あなたたち二人を幸福にすることは出来ないから、実家の父母の元へ帰るようにすすめました。「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。あなたがたが、死んだふたりの子とわたしに親切をつくしたようにどうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。どうぞ、主があなたがたに夫を与え夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように」(1:8~9)。
ナオミは二人を祝福して彼女等に接吻を与えました。二人の嫁は声をあげて泣いたとあるのを見ても、彼女らは嫁姑として、どんなに愛し合っていたかが別れに及んで分ったようです。二人は姑の切なるすすめにもかかわらず、ともにユダヤに連れていってくれるように望んで実家に帰ろうといたしません。ナオミは、わざと声を高くし、「娘たちよ、帰って行きなさい。・・・・あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいるというのですか」(1:11)と激しく申しました。
嫁たちはまた声をあげて泣いていましたが、オルパはナオミに接吻して家に帰りました。しかし、ルツはなお傍を離れず、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしにすすめないでください」(1:16)と言って、彼女の真心を現わしました。
ここで私は、ナオミの態度から見て、二人の嫁の信仰を試しているように思うのです。嫁たちが本当にナオミを愛しているのでしたら、彼女らはナオミの信仰している神を第一として、全てを捨てて、彼女について行くはずです。神は何時も人間に対して、この試問を課しておられるのです。私たちは常に、全てを犠牲にして、神に従うか否かを決心しなければならない十字路に立っているのです。この試験の答として、ルツは正しく、オルパは誤ったのです。ルツはナオミと共にベツレヘムに行くと決心いたしました。
それは生まれた国を離れ、古くから馴染んだ習慣などをすっかり断ち切って、ナオミの国を自分の国とし、その神を自分の神とする決心をすることで、これは大変な勇気と決断がいります。
さて、ナオミはルツを伴ってベツレヘムに帰りました。彼女は旧友たちはナオミの有様を見て、見違えるほど変っているのに、びっくりいたしました。十年前彼女が郷里を出て行く時の若さ、美しさは跡形もなく、彼女の気の毒な有様に皆が同情いたしました。ナオミは彼らに、もうナオミ(楽しみ)と呼ばないでください。マラ(苦しみ)と呼んでくださいと願うほどでした(1:20)。
しかし、ナオミの一生涯を通して見る時、彼女は苦しみのために、自らの名前を変えるほど落ちぶれましたが、これは彼女の生涯の出発点で、幸福への序幕でもあったようです。というのは、ナオミは自分の愛する嫁のために適当な主人が与えられるよう、熱心に祈りながら、努力をしたのです。
それがついに聞かれ、ルツに理想的な夫ボアズが与えられ、孫を抱くことが出来たからです。彼女の幸福な生涯は、これによって開かれたといってもよいからです(4:1~17)。
特に、ここで注目していただきたいことは、神の不思議な摂理によって、この孫が後でダビデ王の曽祖父となり、イエス様の先祖の一人となって、その名が聖書にとどめられていることです(マタイ1:5参照)。
このナオミに学ぶべきことは、
1 神の摂理によって、ナオミは何度も困難な境地に置かれました。けれども彼女は、苦しみの内にも信仰を捨てず、かえって、苦難によって信仰が高められ、大きな恵みと喜びの基となっていることです。
2 ここで姑と嫁との理想的な関係を見ることが出来ます。
他国からもらった自分の嫁に対するナオミの愛の高さ、同情の深さは実に尊いものです。この姑を嫁たちがなつかしむ有様は、本当に人情の花を見るようです。皆さんのご家庭は如何ですか。あなたがたのご家庭にこのような美しい花が咲いていますか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
理想的な姑ナオミ
(ルツ記)
この物語は、イスラエルの士師時代の出来事です。
ナオミは夫と二人の子供と共にベツレヘムに住んでいたのですが、その頃、ユダヤ地方は大変な飢饉で、人々は食べ物に困っていました。それで、ナオミは夫のエリメレクに連れられて、二人の子供と共に、隣国モアブへ難を避けたのです。
人の一生の内には、不幸が重なって、どうにもならない時があるもので、ナオミは移住して間もなく夫に死別し、二人の子供を連れて知らぬ他国でさ迷い歩く不幸な身の上となりました。その内、ようやくにして二人の息子にオルパとルツの二人の嫁を迎え、やれやれひと安心と思ったのも束の間、また二人の息子も相次いで亡くなってしまいました。ナオミは重なる不幸で夫と息子をとられ、嫁の他は頼りとなる家族はなく、その上、他国での放浪生活は不安定ででした。その時の彼女の心の内はどうでしたでしょう。彼女の心は自然、懐かしい生まれ故郷のベツレヘムの山野にとび、親戚の人たちや友人の誰かを思うようになりました。
それとなく聞けば、ベツレヘム地方は、神の恵みで飢饉も去ったとのことで、彼女の望郷の念は一層切なるものとなり、ついに帰郷するよう決心いたしました。一人の嫁は何とか出発の準備のお手伝いをして、ナオミと共にモアブへユダの国境まで来ました。この時、ナオミは二人の嫁に向って私は寡婦(やもめ)であり他に子供もなく、あなたたち二人を幸福にすることは出来ないから、実家の父母の元へ帰るようにすすめました。「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。あなたがたが、死んだふたりの子とわたしに親切をつくしたようにどうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。どうぞ、主があなたがたに夫を与え夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように」(1:8~9)。
ナオミは二人を祝福して彼女等に接吻を与えました。二人の嫁は声をあげて泣いたとあるのを見ても、彼女らは嫁姑として、どんなに愛し合っていたかが別れに及んで分ったようです。二人は姑の切なるすすめにもかかわらず、ともにユダヤに連れていってくれるように望んで実家に帰ろうといたしません。ナオミは、わざと声を高くし、「娘たちよ、帰って行きなさい。・・・・あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいるというのですか」(1:11)と激しく申しました。
嫁たちはまた声をあげて泣いていましたが、オルパはナオミに接吻して家に帰りました。しかし、ルツはなお傍を離れず、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしにすすめないでください」(1:16)と言って、彼女の真心を現わしました。
ここで私は、ナオミの態度から見て、二人の嫁の信仰を試しているように思うのです。嫁たちが本当にナオミを愛しているのでしたら、彼女らはナオミの信仰している神を第一として、全てを捨てて、彼女について行くはずです。神は何時も人間に対して、この試問を課しておられるのです。私たちは常に、全てを犠牲にして、神に従うか否かを決心しなければならない十字路に立っているのです。この試験の答として、ルツは正しく、オルパは誤ったのです。ルツはナオミと共にベツレヘムに行くと決心いたしました。
それは生まれた国を離れ、古くから馴染んだ習慣などをすっかり断ち切って、ナオミの国を自分の国とし、その神を自分の神とする決心をすることで、これは大変な勇気と決断がいります。
さて、ナオミはルツを伴ってベツレヘムに帰りました。彼女は旧友たちはナオミの有様を見て、見違えるほど変っているのに、びっくりいたしました。十年前彼女が郷里を出て行く時の若さ、美しさは跡形もなく、彼女の気の毒な有様に皆が同情いたしました。ナオミは彼らに、もうナオミ(楽しみ)と呼ばないでください。マラ(苦しみ)と呼んでくださいと願うほどでした(1:20)。
しかし、ナオミの一生涯を通して見る時、彼女は苦しみのために、自らの名前を変えるほど落ちぶれましたが、これは彼女の生涯の出発点で、幸福への序幕でもあったようです。というのは、ナオミは自分の愛する嫁のために適当な主人が与えられるよう、熱心に祈りながら、努力をしたのです。
それがついに聞かれ、ルツに理想的な夫ボアズが与えられ、孫を抱くことが出来たからです。彼女の幸福な生涯は、これによって開かれたといってもよいからです(4:1~17)。
特に、ここで注目していただきたいことは、神の不思議な摂理によって、この孫が後でダビデ王の曽祖父となり、イエス様の先祖の一人となって、その名が聖書にとどめられていることです(マタイ1:5参照)。
このナオミに学ぶべきことは、
1 神の摂理によって、ナオミは何度も困難な境地に置かれました。けれども彼女は、苦しみの内にも信仰を捨てず、かえって、苦難によって信仰が高められ、大きな恵みと喜びの基となっていることです。
2 ここで姑と嫁との理想的な関係を見ることが出来ます。
他国からもらった自分の嫁に対するナオミの愛の高さ、同情の深さは実に尊いものです。この姑を嫁たちがなつかしむ有様は、本当に人情の花を見るようです。皆さんのご家庭は如何ですか。あなたがたのご家庭にこのような美しい花が咲いていますか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(24)
カナンの女性
(マタイ15:21~28)
主イエス・キリストは、この地上で伝道なさいました約3ヵ年の間、ご自身の国であるパレスチナを去られたことはめったにありませんでした。しかし、マタイ福音書15章21節以下に記されています、ツロとシドン地方での出来事は、その例外の一つで、それを中心に学びたいと思います。
この21節以下を見ますと、イエス様が、ツロとシドンの地方に行かれたとあり、また、マルコ福音書7章24節では、「そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった」とあります。
イエス様はしばらく群衆からはなれて、静に祈られるために、ガリラヤのずっと北西地方へ行かれましたが、そのあたりまでもキリストの奇跡的な能力のうわさがすでに広まっていたようです。キリストがその地方にお姿を現わされるとすぐに、その地方のカナンの女が来まして、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と叫び続けました。もちろんこの地方の人々は皆異邦人で、ユダヤ人とは交際しないし、またユダヤ人の方からも非常に冷たい目で見ていたのであります。
それなのに、この女がイエス様を「ダビデの子よ」と呼んだのは、不思議に思われます。この言い方はイエス様をメシヤ、王と認めている証拠だからです。彼女はイエス様が、王の権威をもっておられたのみか、また王としての深い慈愛をもっておられることを、心から信じていたようであります。この女の住んでいた地方の宗教は非常に堕落した偶像教であったにもかかわらず、この女性がイエス様を主と呼んだのは、実に感銘深いものがあります。
ところで常に病人をよろこんでおいやしになったイエス様が、珍しく今度は、このカナンの女に対して一言もお答になりませんでした。その女性は一生懸命です。イエス様の後を追って叫び続けるので、弟子たちもうるさくなったのでしょう。イエス様のもとに来て、「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますから」とお願いしました。するとイエス様は答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」と言われました。
この言葉の意味は、イエス様がこの世に御くだりになった本当の目的は、先ずユダヤ人を救うためであったということでしょう。しかし、そう言っても他の人はどうでもよろしいとことではなくて、異邦人を救う責任は弟子たちにお任せになったのです。マタイ福音書28章19節をご覧ください。「それゆえにあなたがたに命じていたいっさいのことを守るように教えよ」とあります。
イエス様は あわれなこのカナンの女性に対して、なぜあれ程のきついお言葉をお使いになったのでしょうか。有名な学者のマシュー・ヘンリーが言いますのに、「それは、この女性の信仰を試し、またそれを強めるためであった」と。イエス様が彼女の切なる願いに何もお答にならなかったのに、彼女は失望せずに叫び続け、またきついお言葉で彼女の願いをお断りになった時でも、彼女が叫び続けた彼女の熱心さ、何ごとにもくず折れないで頑張る信仰心は、実に美しいものであります。
わたしたちはこのような忍耐をもって、神様に祈り求めているでしょうか。世の多くの人々は、祈っていることが聞かれない場合、すぐに失望して、神様はだめだと不信仰に陥るのではないでしょうか。ではこのカナンの女性は、かくもきびしく断られた時、どうしたでしょうか。彼女は決してだめだなどと弱音をはかず、イエス様に近寄って、「主よ、わたしをお助け下さい」と拝して申しました。助ける能力がイエス様にはあります。皆様方はこのお方を信じていらっしゃいますか。
問題は、キリストにその能力があるか否かではなく、あなたがイエス様に近付いてその能力を求めているか否かにあるのです。しかし、カナンの女性は大きな忍耐をもって心からイエス様に助けを願ったのです。今度は直ぐに、それが聞かれたでしょうか。いいえ、そうではありません。イエス様は「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのはよろしくない」と言われました。これは本当に無慈悲なお言葉のようであります。その意味は難しくないと思います。
イエス様がここで言われますのは、先に選ばれたユダヤ人に対する特別なお恵みを、他の人々に分け与えてはよくないということを、たとえとして言われたのです。そこでカナンの女性は賢明にも同じたとえで答えました。「お言葉どおりです。でも小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」と。
イエス様は彼女の謙遜と信仰に驚いて、「女よ、あなたの信仰は見上げたものである。あなたの願いどおりになるように」と、お答えになりました。その時、彼女の娘はいやされたとあります。わたしたちお互いも神様の大きな恵みと、罪の赦しをいただくためには、本当にふさわしくない者ではありますが、もし、このカナンの女性のように熱心をもって求めれば、それを必ず頂くことが出来ます。
聖書を通して、祈りを通して、神の食卓にあるいのちのパンを毎日頂きましょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(23)
(士師記16章)
旧約聖書に出てくる多くの婦人の内、デリラの名は広く一般に知られています。それには二つの理由があります。その一つは、先に学びましたデボラなどのような善良な婦人は、偉大ではあっても割合に人目を引かず、かえって、淪落の底に沈んで、その行為が人の意表を出るような婦人の方が人目を引くからです。つまり、ニュース・バリューがあるからです。もう一つの理由は、「サムソンとデリラ」と言うタイトルで、映画が上映され、大変な評判をとって、多くの人々に見られたからです。この映画は聖書の真意を伝えているものと思われていますが、聖書から大きく離れ、大分創作されているようです。
とにかく、聖書はこの淪落の女デリラについて、何を述べているのか、また私たちに何を教えているのかを考えて見ましょう。
士師記16章4節に、初めてデリラの名が出てきます。彼女がどういう素姓の女であったか、16節を読めば直ぐ分ります。彼女は、いわゆる遊女でした。昔からどこの国でも、各時代を通じてそのような道徳の外を歩む女性があるものです。日本にも闇の女といったいかがわしい女性がおられるようですが、このような行為が世に横行する限り、その国の道徳水準は決して高められないでしょう。そのような婦人のただ一つの目的はお金をもうけることにあって、その目的達成のためには、どんな手段でも選ぶのです。
ある日のこと、この淪落の女デリラのところへ、一人のイスラエル人がやってきました。それは、言うまでもなく、サムソンです。このサムソンはイスラエルの裁き人(士師)であり、いろいろの特徴を持っていました。生まれる前より神からイスラエル人をぺリシテ人の圧迫から救うために、特別に選ばれ、不思議な力を与えられていた人物です。このような大きな使命と特徴を与えられていた彼に、一つの弱点がありました。それは女色に迷うことでした。人は強い力を持ちながらも、ちょっとした油断から、ささいな一つの弱点に打ち負かされるものです。
サムソンもその例にもれず、神から大きな力を与えられていながら、彼の持つ欠点である女性のことで、その力が無惨にも、剥ぎ取られてしまいました。デリラは甘い言葉をもってサムソンから、彼の不思議な力の出どころを、いろいろと問いただそうといたしました。彼は、初めは警戒して本当のことを話しませんでした。しかし、彼女の問い掛けが三度目になって、彼は彼女の歓心をかうために不覚にも、誰にも言ってはならない秘密、髪の毛を切れば力がなくなることを話したのです。彼は、ちょうど、蜘蛛の巣にかかった虫のようなもので、デリラの容色に溺れて、身動きも出来ない、はかない運命に陥ったのです。
サムソンは、一人の遊女の容色に迷い、神の恩恵のしるしである髪の毛は切られ、せっかく神から与えられた力をなくしてしまいました。彼は髪を切られると同時に、神から捨てられたことさえ知らなかったのです。彼の力がなくなったのは、髪の毛を切られたからではなく、神から離れたためであることに注意する必要があります。
デリラは力のなくなったサムソンを、ぺリシテ人の指導者たちに、それぞれから銀千百枚ずつをとって売りました。彼らは喜んでサムソンを銅の鎖に繋ぎ、その眼をえぐって盲目とし、獄に送り、臼を挽かせました。残酷なむごい仕打ちを彼は受けました。
しかし、主は、彼をお見捨てになりませんでした。髪の毛が少しずつ伸びてくるにつれてまた力が出始めました。そのことを知らないペリシテ人たちは、敵である強いサムソンを捕らえたお祝いを、偶像ダゴンの宮で催し、その場に盲人の彼を引き出し、彼にいじわるをしました。サムソンは手を引いていた少年に願って、宮の屋根を支えている柱のところに連れて行かせました。「神よ、もう一度わたしを強くして下さい」と祈りつつ、その柱を押し倒して、彼は偶像とペリシテ人たちとともに崩れ落ちた大屋根の下に圧死したのです。サムソンはこうしてペリシテ人を滅ぼす使命に失敗しながらも、その機会を与えられ、最後には身をもってその使命を果たすことができたのです。
今までの物語からも、幾つかの教えが与えられています。
1 女性は神から与えられた大切な賜物(優しさ、美しさ)を、虚栄を満たすなど、自己満足に使うことは、神のみこころではありません。これを神から託された大切な宝 として、神を喜ばすために用いなければなりません。デリラのように道徳に外れた行いをする女性は、必ず神から罰せられます。神から預かった子供をこのような生活に陥らせる親たちも、同じ罪に問われるでしょう。
2 いかに偉大な人物でも、自分自身を治めることが出来ないようでは、その結果として、せっかく与えられた偉大さも、剥ぎ取られてしまいます。サムソンがもし、絶えず神と交わり、自らを治めることが出来たなら、どんなに大きな仕事が成し遂げられたか分りません。本当に惜しいことです。自分の生活を治めることが出来なかったために、彼は大きな失敗をして、身を滅ぼしたのです。
「・・・・自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」(箴言16:32)。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(22)
『イエス様のみころもにさわった女性』
(ルカによる福音者8章45節)
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書を、よく読んでまいりますと、イエス様が病人に対して、いつも深い憐れみと同情をお持ちであったことに気付かれていると思います。幾度も、イエス様が気の毒な病人を、お癒しになったことが、聖書のいたるところに記るされています。時には、人の最も恐れますライ病の人にさえ、イエス様自ら手を置き、癒されたこともありました。
さて、ここで学ぼうとしています婦人は、他の病める人たちがしたように、直接イエス様の前に立って、癒しを願わないで、ひそかにイエス様の後に近寄って、手を差し伸べ、イエス様のみ衣の裾に触ったのであります。この慎み深く、やさしい、ひかえ目な態度に、わたしたちも心を引きつけるものがございます。何故、この女性は公然とイエス様の前に立って癒しをお願いしなかったのでしょうか。また、この婦人はどういう境遇の女性であったのか、こうした点につきまして少し学びたいと思います。
ルカによる福音書8章43節以下のところをご覧いただくとよく分ります。この婦人は気の毒にも、12年もの長い間、長血を患って、その治療のために、持っていた蓄えをみな使い果たしました。それ程、治療のために骨折りましたが、誰一人としてこの病気を癒すことが出来ませんでした。
ユダヤの律法では、このような病気の婦人を汚れた者として、誰も相手にいたしません。だから、当然のように会堂の礼拝に出ることは、かたく禁じられていましたし、もしも誰かが、婦人の体に触れたとしますなら、それが知らずに不注意で触れたにしても、その人も汚れた人とされ、清められるまでは、他の人々と交際することができないほど、まことに厳しい習慣がありました。
こうして12年もの長い年月を自分の親戚からも、友人や知人からも、冷たい目で見続けられていたのです。ですから、この婦人の生活がどんなに悲しく、孤独なものであった、わたしたちの想像も及ばぬものがあったと存知ます。
そうした寂しい生活のある一日のことです。急に道路の方で群衆が、わいわい騒いでいるので、何事が起こったのだろうと、彼女は群衆の方に近寄ってみました。すると彼女は押し寄せる群衆の真ん中にお立ちになっているイエス様を見つけたのでした。主イエスの足下には一人の人が平伏し、何事かをお願いしているようでした。何事だろうと聞きましたところ、この人は会堂司でヤイロと言い、彼の12歳になる一人娘が危篤だから、先生にいらしていただき、癒してもらおうとお願いしているところだったのです。
長い間、病に苦しんでいるこの女は、はっと胸をときめかせました。いつも病人をお癒し下さると言う噂に聞くお方が、目の前におられるではありませんか。今こそ絶好の機会だと思いました。けれども自分のような者が、イエス様に近付こうとすれば、きっと金持ちのヤイロや、群衆が邪魔をし、妨げることだろう。また、わたしのような世間から見捨てられた病人が、イエス様のみ前に立つ資格はないと彼女は思い込んでしまいました。しかしそうと思いつつも、ただみ衣の裾にでも触ることが出来るなら、必ずわたしの難病も癒されるに違いないと、彼女は信じました。
そこで、密かにイエス様のもとに忍び寄り、こわごわ後ろから手を差し伸べ、主のみ衣の裾に触りました。驚いたことに、ただそれだけで、不思議に長年患っていた長血がその瞬間に止まったのです。その時イエス様は振り返って、「わたしにさわったのはだれか」と問われました。そこにいた人々は驚きながら、顔を見合わせていました。ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えました。
しかしイエス様は、「だれかわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」と言われました。これを聞いたこの女は、隠し切れないと知ったので、おずおずイエス様のみ前に進み寄って、主のみ前にひれ伏して、自分がみ衣に触ったことと、長年の病気がたちまち癒されたことを皆の前で告白いたしました。イエス様はこれをお聞きになり、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と言われました。
「娘よ」とのイエス様のお言葉は、実に美わしい、愛情のこもったお言葉ではありませんか。今までイエス様がお癒しになった多くの人たちの中で、「娘よ」と愛に満ちたお言葉をいただいたのはこの婦人だけです。このお言葉によって学ぶことは、全ての人に見捨てられ、軽蔑されていると世の人から見られていたこの婦人が、見捨てられるどころか、愛される神の子であったとイエス様は主張されるのです。いろいろな悩みや苦しみの問題を持っておられる愛する読者の方々、天の父なる神は決してあなたがたをお忘れになってはおられません。
あなたも神に愛されている子供であります。しかしあなたはこの女の人のように、信仰の手をイエス様に差し伸べておられるでしょうか。手を差し伸べなくては、神が与えようとしておられるお恵みをいただくことは出来ません。この女の人のように、自分を低くして信仰をもってイエス様のところへおいで下さい。精神的に癒され、恵まれ、そして心の満足が与えられるのです。
問題は、ただあなたが本当に信仰をもってイエス様のみ許しに行くか、否かにあるのです。キリストに近付き、信仰の手を差し伸べ、お恵みを豊にいただく者になりたいものです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
エフタの娘
(士師記11:29~40)
ここに登場します一人の女性は、名前の分らない一人の若い娘です。名前が分らないといっても、この乙女は自分の身を犠牲にして、喜んで父の言葉に従った点、歴史上決して忘れてはならない存在です。日本では孝は百行の基といって、孝行と言うことが古くから尊重されていますが、聖書に出てくるこの名前の分らない可憐な一人の乙女の挿話は、孝行の意味をよく現わしていると思います。この娘の親であるエフタは、イスラエルの裁き人(士師)でした。ここで前出のデボラのことを思い起こして下さい。
イスラエルは、おおよそ三百年の間、このような裁き人に指導され、治められていたのです。(この頃にはまだイスラエルには王はなかったからです)。
エフタの時代、イスラエル民族と戦ったのは、アンモン人でした。士師記11章29節以下を読みますと、神はエフタをイスラエルの指導者としてお選びになり、このアンモン人との問題を解決させるために、責任をお持たせなりました。エフタは、今で言う平和主義の人で、戦争の悲惨とその害悪を知って戦いを嫌いましたから、彼はなるべく平和的に事を解決しようといろいろと努力いたしました。けれども、アンモンの王は少しも互譲の精神がなく交渉に応じません。仕方なくエフタは戦争に訴えて勝利を治めました。
ここで問題となるのは、エフタの出陣のとき、「わたしがアンモンの人々に勝って帰る時、わたしの家の戸口から出てきて、わたしを迎える者はだれでも主のものとし、その者を潘祭としてささげましょう」(11:31)と、神に誓ったのです。そして帰ってきた時、真っ先に飛び出して喜び迎えたのは、何と自分の一人娘であったのです。想像しますのに、この娘はお婿さんを迎える年頃で、きっと美しいプリンセスのような娘で、鼓を抱えて舞い踊り、父を迎えた姿が絵のように、目の前に浮かんできます。
父エフタはこの有様を見て、かつての出陣の時の誓いを思い起こし、さぞ胸裂ける思いであったでしょう。楽しいはずの凱旋の庭は、たちまち悲しみの場と変りました。仕方なく彼は誓いのことを詳しく娘に物語りました。この時の娘の驚きと悲しみは察するにあまりがあります。しかし、娘の態度は実に立派なものでした。その悲しみも見せず、父に、「父よ、あなたは主に誓われたのですから、主があなたのために、あなたの敵アンモンの人々に報復された今、あなたが言われたとおりにわたしにしてください」(36)と、はっきり言いました。父はそのけなげな娘の覚悟を見て、衣を裂き、「ああ、娘よ」と泣き叫んだとあります。
娘は、二ヶ月の猶予を求め、友と共の山に入りました。多分、心を静めて神に祈ったことでしょう。二ヵ月後、彼女は父のもとに帰り、父の誓いに従いました。この事から、イスラエルの娘たちは年々その山に行って、4日ほどエフタの娘のために嘆いたと聖書にあります。このけなげなエフタの娘の話によって、私たちは、いろいろの教訓が得られます。
1 エフタの軽々しい誓い。
エフタは、特別に神から選ばれた指導者でありながら、あたかも神と取引するような態度で、軽々しい誓いを立てたことは、いけないと思います。このようなことは、現在の日本にも見かけることです。病気の時、困難にあった場合、これを癒して救って下さったら、これだけのものを捧げますとか、あなたに従いますとか、神と取引する人を見ます。これは偶像信者に特に多いようです。偶像の宮では、千円札が賽銭としてたくさん投げられていますが、このような賽銭の多少によって、家内安全・商売繁盛などと神と商売取引でもする態度は慎むべきことです。
2 神と約束した厳かな誓いは、必ず実行しなければなりません。
教会員はバプテスマを受けて教会に加わる時、神と人との前で、どういう約束をしたか思い起こしていただきたいと思います。その第一は、聖日を厳守しますとの約束です。だのに、ある人々は会社の都合とか、やむをえない用事とか、勝手な理由のもとに、これを守っておられません。これは恐ろしい神との破約の罪です。
3 親の子に対する義務、また子の親に対する義務です。
全ての子供は神より託された神の愛児であることを覚えて下さい。その子は封建的な風習によって、いつまでも親の蔭にあるのではありません。子供は神の子供として自由に成長・発育し、神の御事業に参加するよう教育する義務が、当然、親である者に負わされています。
子供は十戒の、「あなたの父母を敬え」とのお言葉をたえず覚えて、エフタの娘のように親に従う義務があります。父母を敬うことは、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためであると出エジプト記20章12節は教えております。神の愛とお導きによって、お互いに励まし合う時、これらは実行されます。皆さんの神に対する態度、家庭における親子の関係はどうでしょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
ベタニヤのマルタ
(ルカによる福音書10:40)
わたしたちは、神様のことを第一としていたベタニヤのマリヤにつきまして、すでに学びました。今度は、彼女の姉のマルタについて、お話しをいたしましょう。
先にもお話しいたしましたように、マルタとマリヤの姉妹は、彼女たちの性格が全く異なっていましたように、彼女たちの特徴もまた大変違っておりました。妹のマリヤは考え深い精神的なことに関心のある婦人でしたが、姉のマルタは実際的な家庭婦人であったようです。だからといって、わたしは今ここでマルタを批判しようと言うのではありません。
ここで先ず教えられますことは、マリヤやマルタばかりでなく、誰でもこの世の全ての人たちは、神様からそれぞれ異なったタレント(才能・能力)をいただいていることです。神様の不思議な摂理によって、わたしたちは皆、それぞれ違った個人的特質を与えられているのです。それはあたかも、スーツが同じ型に裁断されないで、一人一人のからだに合わせ、裁断されますのと同じです。神様はわたしたち一人一人を知り、一人一人を愛し、一人一人を神様ご自身のみもとに、お招き下さることは、何と有難いことでございましょう。
さて、マルタにはどんな特徴があったのでしょうか。先ず、わたしたちが気付きますことは、マルタがイエス様の不思議なお力、神様としてのお力の持ち主であることを、固く信じていたことです。彼女の弟ラザロが、重い病気で危険な状態に陥った時、真っ先に、イエス様のみもとに使いを走らせ、すぐに来て頂くようにと願ったことでも分ります。また弟ラザロが死んでしまった後でも、マルタのイエス様に対する信仰は少しも変ることがありませんでした。
ヨハネによる福音書11章22節を読みますと、マルタはイエス様に向って「あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」と語っています。さらに27節では、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたキリスト、神の御子であると信じております」と、信仰を告白しています。実に立派な信仰告白ではありませんか。
ルカによる福音書10章38節以下を読んでまいりますと、「一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。・・・。マルタは接待のことで忙しく心をとりみだし、・・・」とあります。ここで、わたしたちが気付くことは、姉マルタも、妹マリヤと同じように、イエス様を心から愛し、イエス様を心から喜び迎えた事実であります。
イエス様が自分たちの家に来て下さったのは、何よりも大喜びでしたが、イエス様が家にお入りになってから、マルタは家のこと、もてなしのことで忙しく、落ち着いてイエス様のお話しを聞くことが出来ませんでした。たぶんマルタは、簡単なお食事をイエス様に差し上げるのは失礼に当たると思ったかも知れません。彼女は一生懸命にご馳走を作り始めました。ところが、妹のマリヤがちっとも手伝ってくれないのが、マルタには気になってしかたがありません。それでマルタは、イエス様のみもとへ行って、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」と、お願いいたしました。
すると、イエス様は、「マルタよ、あなたは多くことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはそのよい方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」とマルタにお答えになりました。イエス様が折角おいでになったのに、マルタは多くのことに心を配り過ぎて、落ち着いてイエス様のお話しも聞けなかったことは、本当に彼女にとって残念なことでした。今日の大部分の人たちの日常生活の有様も、このマルタのような状態ではございませんか。
生活のための複雑な問題や、家計のやり繰りのことなどに心が奪われ、最も根本的な魂の問題については、無関心すぎるほど、何ともお考えになっていないのではありませんか。このようでは、花園に生えている雑草に心をとらわれて、肝心の美しい花を忘れてしまうというのと同じで、そのようでは、ゆかしい花の香も、きれいな花の色も無駄となります。かといって、雑草を抜かなくてもよろしいというのではありません。美しい花を咲かせるには、当然、雑草を抜かなければなりませんが、花園の主人はどこまでも雑草ではなくて美しく咲き誇る花でございます。
イエス様を中心に、マリヤもラザロも、マルタの手作りになる美味しい食事を、喜んでいただいたことでありましょう。しかし、その美しい交わりの中心・主人となるのは、園に並べられたご馳走ではなく、主イエス・キリストであり、イエス様のお口からほとばしり出る生ける言葉でありました。このことと同じように、わたしたちの人生の最大の目的も、飲み食いとか、歓楽といった一時的な喜びではなく、ウエストミンスター小教理の第一問が教えますように、「神の栄光をあらわし、かつ永遠に神をよろこぶ」ことでございます。神を喜ぶためには、真の生ける神、天地宇宙の創造主にいます神について、よく知らなければなりません。そして、常に、神が共にいまして、自分を守り、導いて下さっていることを感謝しなければなりません。
神とのこのような交わりをいただくために、イエス様の尊い血潮によって、罪の赦しをいただき、救いの恵みを受けなければなりません。イエス様がお話しになっています、「良い方」とはこのことです。あなたの生活は一体何が中心であり、主人となっておりますか。雑草ですか。それとも、美しく咲いている花でしょうか。
ウエストミンスター小教理問答
第一問 人のおもな目的は何であるか。
答 人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(19)
イスラエルの母と呼ばれるデボラ
(士師記4章~5章)
士師デボラはイスラエルの母と呼ばれ、女傑といってもよい婦人です。ある人々はこの人を、フランスのジャンヌ・ダルクになぞらえているほどです。
デボラは私たちが、先に学びましたモーセの姉ミリアムと同様、有名な女預言者であったとともに、音楽家でもありました。彼女がミリアム以上の地位を得ていたというのは、彼女がイスラエルの裁き人・士師の中のただ一人の女性であるところを見ても分ります。
デボラの伝記を知るために、当時のイスラエルの国情をかいつまんでながめてみましょう。ヨシュアがカナンの地を治めて暫くの間、イスラエル人は神の律法を守り、唯一の神を崇めて正しい道を歩み、清らかな生活をしていました(士師記2:7)。しかし、その時代の長老たちが、だんだん亡くなりますと、彼らは神を捨てて、その地の偶像を拝むようになりました。これは神に対する反逆であり、大きな罪であり、当然の罰としてイスラエルはいろいろな苦難にさらされました。すなわち、内には民の風紀が乱れ、異教徒の女を妻とし、外には外敵の侵入があり、民の生命財産は危険におちいって、外国の奴隷となることがたびたびでした。
そのような時、神はイスラエル人の叫びに耳を傾けられ、力ある指導者、よき裁き人を送って、迷えるイスラエル人を自らのもとに導き返らせました(2:16)。しかし、その指導者が亡くなると弱いイスラエル人は、またもとの偶像に走るのでした。これらは私たち人間のもろく弱い性質をよく現わしています。このような状態が300年も続いたのです。
士師デボラの時代には、イスラエル人は、カナンの王、ヤビンの奴隷となり、苦しい叫びをあげていた時でした。その王には勇将シセラがおり、その下に鉄の戦車900輌もあって、イスラエルを圧し、彼らを奴隷として酷使していたのです。このように何の希望も持てないイスラエルの暗黒時代に、神から遣わされた預言者デボラは、緑も深いエフライムの彼方、ラマというところで、しゅろの木の下に座って、イスラエルの人々の訴えを聞いていたのです。
彼女は、神の言葉によって、バラクという人を呼び、「イスラエルの神、主はあなたに、こう命じられるではありませんか。『ナフタリの部族とゼブルンの部族から一万人を率い、行って、タボル山に陣をしけ。わたしはヤビンの軍勢の長シセラとその戦車と軍隊とをキション川に引き寄せて、あなたに出あわせ、彼をあなたの手に渡すであろう』」(4:6~7)と告げました。
バラクはその責任のあまりにも大きいことを恐れてか、敵将シセラに怯えてか、しきりにデボラの同行と、彼女の指揮とを求めました。そこでデボラは、バラクの軍に加わり出発いたしました。神はイスラエルを救い、大勝利を得させ、奴隷の苦境から解放されました。
士師記5章の初めを御覧下さい。これはその時、彼らが神に捧げた讃美であり、凱旋歌です。
「もろもろの王よ聞け、
もろもろの君よ、耳を傾けよ。
わたしは主に向って歌おう、
わたしはイスラエルの神、主をほめたたえよう。
主よ、あなたがセイルを出、
エドムの地から進まれたとき、
地は震い天はしたたり
雲は水をしたたらせた。
もろもろの山は主の前に揺り動き、
シナイの主、すなわちイスラエルの神、主の前に動いた。
デボラよ、ついにあなたは立ちあがり、立ってイスラエルの母となった」(士師記5:3~7)と歓びの歌をうたっております。彼らの感激のさまが目に見えるようではありませんか。
私たちは、ここで教えられることがたくさんありますが、主なことは次のことです。
1 偶像崇拝がいかに大きい罪であるか。またこれは必ず神の裁きを受けるということ。イスラエル人が、偶像崇拝に陥るごとに、彼らは外敵の侵入を受け、非常な苦しみをなめているのを見ても分かります。ここで日本の現状を振り返ってみて下さい。30余年前の日本は偶像に頼って、あの大きな戦禍を受けました。戦後、偶像崇拝は衰えたかのように見えたのも束の間、またこの頃、復古調とかいって、国民は元の偶像に心を傾けるようになりました。私たちクリスチャンはこの際、はっきりした態度をとらねばなりません。
2 神は弱い女でも御用のためにお用い下さることです。もちろん、私たちが、このデボラのような目立った特徴を持ってはいませんが、信仰のために勇気を現わすことは、クリスチャン婦人の務めです。
デボラの勇気と、彼女の知識、機を見るに敏であったことに教えられ、私たちはもっと勇気を出して、積極的に家族の人々、周囲の人々を神に導こうではありませんか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
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〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
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書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円