忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『旧・新約婦人物語』(18)s-IMG_0051.jpg
   
  ベタニヤのマリヤ
      (ルカによる福音書10章38~42節) 
 
 新約聖書に、マリヤという名の婦人が6人出てまいります。イエス様の母マリヤ、マグダラのマリヤ、クロパの妻マリヤの三人に付きましては、すでに学んでまいりました。それで、ここではベタニヤのマリヤのお話しに移りましょう。
 皆様もご存知と思いますが、ベタニヤという町は、都エルサレムから約3km程離れたオリブ山沿いの小さな町です。このベタニヤの町とイエス様とは関係の深い所で、そこはイエス様を愛し、イエス様と密接な交わりを持った家族が住んでおりました。それが、このマリヤの家族です。
 ルカによる福音書10章38~42節や、マルコによる福音書14章、ヨハネによる福音書11章を見ますと、この家族には3人の兄弟がおりました。姉のマルタと妹のマリヤ、そして弟のラザロの3人でした。
 イエス様がベタニヤの町においでになりました時、マルタはイエス様を喜び迎えて、いろいろとおもてなしのために働きました。けれども、妹のマリヤはイエス様の足もとに座って、じっとイエス様のお口から出るお言葉に聞き入っておりました。弟のラザロにつきましては、ヨハネによる福音書11章によりますと、彼は一度死んだのですが、イエス様によってよみがえらされた青年であることが記されています。また、この二人の姉妹マルタとマリヤの性格を、よく調べてみますと、おもしろいことに、彼女たちは姉妹でありながら、二人の性格は、全然正反対でまったく違ったものでした。マルタは実際的で、活動家であるとしますならば、それに反してマリヤは瞑想的であり、精神的であって、信仰生活を第一としていたと言えるでしょう。
 ルカによる福音書10章39節を見ますと、イエス様がベタニヤの町においでになり、マルタとマリヤの姉妹の家の客となられた時、マリヤはお掃除や食事のことなどに少しも気を配らず、もっぱらイエス様の足もとに座って、イエス様のお言葉に耳を傾け、この機会を逃すまいと努めています。この妹のマリヤの態度は、いろいろと考えさせられ、教えられるところがございます。
 日本の婦人の方々は、家事のことやいろいろな仕事に追われて、精神的な修養の時間がないとよくいわれています。イエス様はそのようにいわれます婦人の方々に、こう言われることでしょう。「あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」(41~42)と。
 グループ活動や、サークルの集いに出る時間は、何とかやり繰りして作りますが、聖書を読む時間とか、真の神を礼拝するため、神のみ言葉を聞くために、教会へ行くための時間を作り出せないようであります。また、ある人たちは、洋裁を学んだり、お茶やお花をたしなむ時間や、レジャーを楽しむ時間が十分ありましても、真の神のことを学ぶ時間は全然なさそうです。
 イエス様は、すべての心ずかいをすてて、真理を追求するマリヤの態度を、何といわれれましたでしょうか。ルカ福音書10章42節によりますと、「マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」とおおせになっています。永遠に続くものは何でございましょうか。それは魂の賜物であります。花は散り、木は枯れます。同様に、この世の物はすべて消え失せてしまいます。けれども、精神的・霊的なものだけは、決して消えません。あなたがたは、この永遠に続く賜物を、今、お持ちになっておりますか。
 ベタニヤのマリヤのお話を読んでいく内に、もう一つ、非常に麗しい出来事に出合います。イエス様が十字架におかかりになる6日前のことでした。イエス様が、今一度、ベタニヤの町においでになり、マルタとマリヤの家の客となられました。ご馳走がならべられ、夕食が始まりました。彼女たちの弟で、先に死からよみがえらされたラザロも加わっておりました(ヨハネ12:12)。その時、マリヤは価の高い純粋なナルド(註1)の香油を300グラムもって、イエス様のみ足にぬり、自分の髪の毛でぬぐい始めました。
 これを見ていたイエス様の弟子で、後にイエス様を裏切ったユダが、「なぜこの香油を300デナリ(註2)に売って、貧しい人たちに施さなかったのか」と咎めました。するとイエス様は、「するままにさせておきなさい。なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。・・・。この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」(マルコ14:6~9)と言われました。
 このイエス様のお言葉で、最も注意をしなければなりませんところは、「この女はできる限りの事をしたのだ」と、おおせいになったところです。わたしたちは、お互いに神様のために、できる限りの奉仕をしているでしょうか。怠けてはおりませんでしょうか。あなたは、教会員で重症の病気の方をお見舞いしたのは、何時のことであったでしょうか。また信仰問題で心に悩みを持っている青年を励まし、語り合って、イエス様のみもとに導こうと努力したのは何時のことでしょうか。
註1・・ナルドはネパール、ブータン、チベット原産、おみなえし科の多年生草木で、根茎の部分から優秀な香料が採れます。
註2・・デナリはイエス様の在世当時のローマの銀貨で、約17セントに当ります。1デナリが農夫1日の賃金に価しました。     
 
 
 
 
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)ーリン・マカルピン著
この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
PR
『旧・新約婦人物語』(17)1a6f8411.jpg
   
  遊女ラハブ 
     ヨシュア記 2章
 
 私たちは、旧約の婦人たちを研究して、遊女ラハブの物語にまで進んできました。
 ある人々は、とかく批判のある遊女の物語などをなぜ学ぶのか、これはそのまま見過ごして出来るだけ隠しておいた方がよいのではないかと言われるかもしれません。しかし、ここに聖書の特徴があり、真実さがあります。
 つまらない遊女も、神様の御用に用いられる時、神様のご計画の一端にたずさわるものであって、私たちは決して見逃してはなりません。
 聖書の中でも、特にヘブル人への手紙11章31節に、「信仰によって遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に、滅びることはなかった」と記して、遊女さえも、いにしえの信仰高いイスラエルの人たちと並べて称讃されており、マタイによる福音者1章5節には「サルモンはラハブによるボアズの父」とあって、その名をとどめるほどです。私たちは、彼女を見過ごすと大きな損失を招くでしょう。
 では一体このラハブはどこでどうして、この信仰を得たのでしょう。聖書はこの点に関して何も記していません。
 彼女の物語は、ヨシュア記2章に、初めて現われています。神様はご自分の計画によって、ヨシュアがエリコに放った二人のスパイのために、町の人々に見つからないような、安全な隠れ家を備えられました。それがこのラハブの家でした。2章全体をよく読んでみますと、ラハブは二人のスパイを見た瞬間、これは悪い目的で来たのではなく、真の神の使いだと見抜いたのでしょう。そしてエリコの王が、この二人を引き渡すよう命じた時、王の命令をも恐れず、二人を隠し、窓から釣り降ろすなどの機知をもって、彼らを他の道から逃れさせ、その危機を救いました。
 よく考えてみますと彼女のこれらの行動は、単に旅人に親切であったという理由だけでなく、真の神とその能力を信じ、二人を神の使者として救ったのです。このことは彼女が二人のスパイに語った言葉の節々によく表れております。ヤコブの手紙2章26節を見ますと「同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出したとき、行いによって義とされたではないか」とある通り、ラハブの特徴は信仰を行いで現わしたことです。
 
 ここで、私たちが特に注意しなければならないことは、彼女のこれらの行為が、彼女の信仰から出ているもので、人の救われるのは、業ではなく、ただ信仰によるということです。
私たちがこのラハブの物語から学びますことは、第一に、罪の恐ろしさです。
神は愛であられますが、それとともに、無限の聖なるお方であります。どんなに小さい罪でも見逃すとか、犯してもよい、というような態度は決してとられません。しかし、ここで考えますことは、人がいかに悲惨な罪のうちにあっても、失望することはありません。神は愛ですから、人を罪から救うために、ひとり子をこの世に送って下さったのです。神は罪あるラハブさえも、御用のためにお用いになったように、私たち罪ある者をも、神は御用のためにお用い下さることを深く教えられます。
 
第二に、神に用いられるには条件があること。神の御用を務めますには、神のみ声を聞いて、自分の罪を懺悔し、告白して、神様に罪を赦され、救いに与るのがその条件です。神は、私たちの過去をもお赦しくださるばかりか、これを潔め御用のためにお用い下さいます。
例えば、蓮池の泥の中に眠る蓮の根も、春とともに暖かい太陽の光を受ける時、地上に可愛い芽を吹き、育っては美しい花をつけ、私たちを慰めてくれます。そのように私たちも、罪の生活から神に帰り、導かれ、救いを受けて信仰に入る時、罪の泥の中に咲きにおう蓮のように、自分の周囲の人々に信仰のゆかしい香を放つことができます。
 
第三に、私たちの絶えず気を付けるべきことは、自分が罪人であるということです。ローマ人への手紙3章10節を見ますと、「義人はいない、ひとりもいない」、また22節を見ますと、「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」とあります。
そのように、世の中には完全な人は、一人もおりません。私たちクリスチャンは罪赦された罪人であり、神の力によって潔められなければ、神の前に立つことのできない者です。私たちの絶えることのない願いと目的は、自分をキリストにくらべて、自らの醜さと、足りなさを自覚し、一層、信仰に励まねばならことです。
「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5:48)。 
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版) この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(16)s-IMG_0082.jpg
   サマリヤの女
     (ヨハネによる福音書4章5~41節)
 
 主イエス・キリストの住んでおられたパレスチナ地方は、まれにみる雨の少ない土地でした。もちろんその当時のことですから、便利な水道などあろうはずがございません。しかも、井戸そのものもこの地方には非常に少なかったのです。ですから、たいていの村の女性たちは、水がめを頭にのせて、遠いところから、水を運ばねばならなかったのであります。
 ヨハネによる福音書4章5節に出て来ます、サマリヤのスカルという町も、やはりそうした水の便の悪い町で、町外れに町の人々のために井戸がありました。それはヤコブの井戸と言って、イスラエルの先祖ヤコブが大昔に、その子ヨセフのために掘りました有名な井戸であります。この井戸は深さが約32mもあるもので、ヨセフも彼らの子孫も、この井戸で生活をしていたのです。
 
 ある日のお昼のこと、イエス様がこのスカルの町においでになりました。旅のお疲れで、イエス様は、この井戸の傍らでお休みになっておりました。たぶん、のどが渇いておられたのでしょう。ちょうどそこへ一人のサマリヤの婦人が、水がめを頭にのせて、井戸水を汲みにやってまいりました。イエス様はその婦人に、水を一杯飲ませてくれるようにと、お求めになりました。
 さて、ここで私たちが不思議に思うことがあります。それはなぜ、このサマリヤの女が一人で、しかも熱い真昼間を選んで、水を汲みに井戸へ出て来たのでしょうかということです。当時の習慣によりますと、たいていの婦人たちは朝早くか、夕方の涼しい時を選んで、大勢が連れ立って来て、しばらく井戸端でいろいろな話に花を咲かせるのが、普通のことでした。いわゆる井戸端会議というものです。
 彼女らにとって、これは一日の最も楽しい一時でもあったにちがいありません。それにもかかわらず、この女性は真昼間にただ一人、なんだか淋しそうにやって来たのです。このことから、この女性は他の村人に嫌われ、非難されていることが分ります。何故、他の女たちがこの女性に対して非難めいた気持ちを持っているのでしょうか。それには、次のような理由がありました。ヨハネによる福音書4章18節を見ますとよく分ります。「あなたには5人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない」とイエス様は強くこの女性の貞操観念の欠けていることを指摘しておられます。
 このことから彼女は正式の結婚もせず、次々と男をかえ、今もまた次の男と一緒に住んでいる様子で、このために村の人たちから冷たい目で見られていたのであります。
 今日という時代にも、この女性と同じような堕落した生活に身を沈めている人が、どんなに多いことでしょう。自らの情欲を満たすために、あるいはまた経済のためと言った理由で、社会人が当然守らなければいけない道徳を乱し、さらに神が守ることを強く求めたもう戒めを破って、そのような人たちは害毒を世間に流し、神様のみ心を痛めているのです。そのような人々の罪にキリストは、どういう態度をとられるでしょうか。
 キリストはそのような人たちに対し、自分のなしつつある罪を自覚して、目覚めることを求めておられます。その上で、自らの犯した罪が、どんなに大きく深いものであるかを、はっきり知り、心に痛みを感じることを求められるのです。ここに救いへの第一歩があるのです。自分の犯した罪を懺悔し、心から深く悔い改めて、神様のお許しをいただかなければ、永久に罪からの脱出・救いはありませんし、心の渇きを癒していただくことは出来ません。
 生けるまことの神様を信ずることについて、このサマリヤの婦人は、他のサマリヤ人と同じような誤った考えを持っておりました。また神様を礼拝することについても、多くの間違ったところがありました。イエス様はその点について、「あなたがたは自分の知らないものを拝んでいる・・・」(22)と、誤りを指摘しておられます。
 このお言葉は、今日の日本の方々の信仰状態に、ピッタリ当てはまると存じます。偶像に満ち溢れた国、様々な怪しげな新興宗教もはびこっています日本、大多数の人々がサマリヤ人のように、自分の知らないものを神のように思いこんで拝むか、または何も拝まない無宗教であります。
 このような人々に、イエス様は、「神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(24)と、はっきり教えておられます。人の魂に満足を与えるのは、人の手で作った像ではありません。また人間の想像で出来た何々教というようなものでもありません。それらは決して、私たちに永久に渇くことのない命の水を与えてはくれません。渇くことのない生ける水を与えるのは唯一の生ける霊の神のみであります。
 聖書によって、神がおつかわし下さった、主イエス・キリストを知りますなら、私たちはキリストを信じる信仰に導かれ、キリストがお与え下さる霊的な生ける水を飲むことによりまして、私たちは何時までも、渇かないばかりか、その水は私たちの内に泉となって湧き出て永遠の命に至らされるのであります。
 このサマリヤの婦人の良いところは、イエス様によって自分の罪が指摘されました時、直ぐに罪を悔い、キリストの与えようとされています、生ける水を喜んで受けたことであります。私たちも、キリストの与えようとされています生ける命の水をいただき、永遠に渇くことのない人となりたいものであります。 
 
 
 
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
『旧・新約婦人物語』(15)s-IMG_0151.jpg
 
モーセの姉ミリアム
 (出エジプト記2章、15章)
 
 今まで、私たちが学んできました旧約の婦人たちの中では、まだ人の指導者となり得る才能を備えた婦人は一人も見当たりません。しかしこれから皆さんに考えていただくモーセの姉ミリアムは、神に選ばれた能力のある預言者であったことに私たちの注目をひきます。
 ミカ書6章4節を見ますと、「モーセ、アロンおよびミリアムをつかわしてあなたに先だたせた」とあります。この言葉こそ、ミリアムが神に選ばれた指導者であった証拠です。このミリアムには指導者としての二つの特質があったようです。
 その1つは、出エジプト記15章20節に、「そのとき、アロンの姉、女預言者ミリアムはタンバリンを手に取り、女たちも皆タンバリンを取って、踊りながらそのあとに従って出てきた。そこでミリアムは彼らに和して歌った。『主にむかって歌え・・・』」とあるのを見ても、彼女は預言者であったと同時に、歌が上手で、現代でいう聖歌隊の指揮者とも言えるほどであったと思われます。ともかく、彼女が多くのヘブル人の内、婦人として一 番初めの指導者として神に選ばれた光栄は特筆すべきでしょう。
 
 貧しい奴隷生活をしていたアブラハムとヨケベデとの間に、このように偉大な指導者が3人もそろって出たことは、実に驚くべきことで、計り知れない神様の摂理です。しかし、振り返ってこの3人がどうして指導者として神様に選ばれるに至ったかを考えてみますと、これは、もちろん神のみ旨ですが、そこに強い信仰による家庭教育が、大きな力を及ぼしていることは否めません。先に言いまたしたように、この親たちは実に立派な信仰の持ち主でして、この親にしてこの子あり、という感を深くいたします。
 全て子供を育てる家庭はいかに家が貧しくても、まことの神を信じる信仰の上に立つ家庭であれば十分なのです。信仰のある両親のもとで育てられた子供たちは、成人しても小さい時に教わった聖書の教えを、決して忘れることはできないでしょう。
 有名なアメリカの大統領リンカーンは、非常に貧しい田舎の家に生まれましたが、その家庭教育であのように強い信仰と正義の人をつくり、奴隷解放問題を解決して、アメリカの一番有名な大統領となりました。 
 ミリアムのお話しは、どこから始まっているかと言いますと小波が押し寄せるナイル河畔、波にもて遊ばれる葦の小舟に隠された赤ちゃんのモーセを見張っていたことから始まります。その時のミリアムの機知は、モーセを拾いあげたパロ王の娘に乳母を世話すると言って、母を連れてくるあたりによく現われています。これは勇気を必要とする行動です。イスラエルの大指導者モーセは、この姉の機知によって救われたと言っても過言ではありません。ミリアムの手によって救われたモーセは少年時代、両親のあつい信仰生活のうちにはぐくまれ、両親や姉ミリアムなどから、宗教教育がなされていたことでしょう。
 
次に、ミリアムが聖書に出てくるのは、イスラエルの民が紅海を徒渉した劇的シィーンです。弟のモーセが神の召しを受けミデアンからエジプトに帰り、イスラエル人を奴隷生活から解放し紅海の海岸に到着した時、彼らは、パロの軍勢の追撃を受け、前は海、後ろは敵と進退きわまった際、神はモーセに不思議な力を与えて、紅海の水を退かせ、イスラエルの人たちは無事に海の中を徒渉しました。しかし、後から追いかけて海に入ったパロの軍勢は、水に覆われて全滅しました。
 この時、神の全能の力に感激したミリアムは、婦人たちを集めて神を讃美させ、祈祷会を指導しています。ここにミリアムの第2の特質が現われています。このあたりが彼女の長い人生のクライマックスなのでしょう。彼女が、このような指導者としての態度を、その後も持ち続けていたならば、幸いであったでしょうに、残念なことにその頃から、彼女の心に驕りと妬みが宿るようになり、ついにそれがシナイの荒野にかかった時、モーセに対する妬みとなって出てきました。
 民数記12章を見ますと、モーセがクシの女を妻としたことについて、ミリアムとアロンはモーセを非難したことがありますが、これはミリアムが、モーセの結婚にことよせてモーセの預言者としての特別な地位に嫉妬心をもって非難しているのです。神の召命によって働くモーセを非難することは、神を非難することです。このことによりミリアムは神の怒りに触れて、ライ病にかかりましたが、モーセの執り成しにより一週間ほどで彼女の病は癒されカナンへの旅を続けることができました。
 これらの話によって、私たちは多くの教訓を与えられます。
1、姉は弟や妹を神へ導く責任があること。
日曜日毎に自分だけでなく、弟や妹も教会へ連れて出席すべきです。日本においても教会学校や日曜学校の生徒は、初めに姉や兄に連れられてきたものが多いと思います。
2、驕り妬みは身を滅ぼすこと。
如何に偉大な指導者であっても、心に驕りと妬みの思いがあっては、自分に与えられた力もむなしくなり、かえって甲斐なきものとなるでしょう。ミリアムの場合、モーセに対する妬みによる不満があってから、彼女は預言者としての力もなくなり、せっかくの彼女の尊い特徴もみな消滅してしまいました。実に心すべきは驕りと妬みです。
3、私たちは、神様のご計画に従って進まないと、必ず罰せられるということ。
            人生の本当の幸福は、自分に与えられた特質を知り、これを有効に神様の栄光のために働かすことで
    です。自分を忘れて、それぞれ十字架を負うて、キリストに従うことです。
4、婦人といえども、神様に選ばれる時大きな仕事ができること。
とかく、日本の婦人方は、せっかく自分に与えられている特徴や能力を軽視して、これを使わないことが謙譲の美徳であると考え違いをしておられるのではいでしょうか。これは、神が与えられた能力を無視することで大きな罪です。ここに日本伝道のふるわない根本原因があるようです。私たちは与えられた賜物をよくわきまえ、これを力の限り発揮してこそ善かつ忠なる僕なのです。 
 
 
                         ポーリン・マカルピン著
                                (つのぶえ社出版)
『旧・新約婦人物語』(14)376aca26.jpg
 
 クロパの妻マリヤ
  (ヨハネによる福音書19章25節)
 
 聖書にはマリヤという名を持った婦人が多く出てまいります。新約聖書には少なくとも6人のマリヤが出てきます。その内すでに、イエスの母マリヤとマグダラのマリヤのことを学びました。今ここで学ぼうとしていますのは、クロパの妻で、イエス様の弟子ヤコブの母に当たる婦人マリヤであります。彼女のことについては、余り聖書に書かれていません。
 マタイによる福音書27章25節を見ますと、このマリヤは、イエス様のあの悲惨な十字架上の死を遠くの方から見つめていた多くの婦人たちの内の一人であったことが分ります。この婦人たちは、イエス様に仕えてガリラヤから従って来た人たちであることが、聖書に記されています。また、56節によりますと、彼女たちの内に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフの母マリヤ、ゼベダイの子らの母などがいたことが明らかに記されています。
 このクロパの妻マリヤと同じように、イエス様の十字架を遠くから見ていました。それのみでなく、彼女はアリマタヤのヨセフが、イエス様のお体を総督ピラトの許しを得まして、十字架から下ろし、きれいな布で包み、岩を掘って作った自分の新しい墓に弔い、その入り口に大石を転がして塞ぐのを見とどけておりました。彼女はお慕いしてきたイエス様の死という、余りにも大きな出来事に、驚きと悲しみが入り混じり、ただ呆然とイエス様のお墓から去りもやらず、お墓に向かって暫くすわっておりました
また、彼女はイエス様のよみがえりの朝早く、マグダラのマリヤと共に、イエス様の骸
に香油を塗って、最後の奉仕をしようと思い、用意しておいた香油を携えてお墓へ行きました。その時、彼女たちは天使からイエス様のよみがえりを、誰よりも早く初めに知らされ、他の弟子たちに先立ってイースター(復活日)の喜びを味わったのです。マタイによる福音書28章8節に記されていますところによりますと、彼女たちは他の弟子たちにイエス様のよみがえりを知らせんものと道を急ぎ走っていました時、よみがえりの主イエス・キリストにお目にかかりました。彼女たちの心には、歓喜と希望が満ち溢れ、喜びと讃美で弟子たちのもとへと走り行きました。
 このように見てまいりますと、クロパの妻マリヤは、非常に恵まれた幸いな婦人であり、良き夫と二人の息子を与えられ、しかもその息子の一人ヤコブはイエス様の弟子に選ばれ、その上、自分もイエス様に仕え、イエス様のみ教えを聞き、イエス様に従って行くことを許され、しかもその上、イエス様を信じる真剣な少数の婦人たちと一緒に、よみがえりのイエス様にお目にかかる最高の喜びを知ることが許されたのであります。
 しかし、聖書に記されていますところによりますと、クロパの妻マリヤには、別に目立つような特徴は何一つなかったようですが、考えようではこの婦人の特徴は、謙遜であったとも言えると思います。アブラハム・カイパー博士が言われていますように、クロパの妻マリヤは決して、桧舞台に立って歌う独唱者的存在ではなく、指揮者でもリーダーでもなく、コーラスの一員として、多くの他の人々と共に、美しい讃美を神様に捧げているのです。五本の糸で奏でられるハープの糸が、もし一本でも切れますと、完全な讃美が天に届かないと詩人ブラウニングも申しておられます。
 クロパの妻マリヤは、マグダラのマリヤや、使徒ペテロのような特徴のある人格者ではなく、一般のごくありふれた普通の婦人でありました。しかし彼女は全身全霊を捧げ尽くして、キリストのためにより良い奉仕に励みましたところに、彼女の特徴があると申せます。さて、このクロパの妻マリヤのお話によって、私たちは何を学ばなければならないでしょうか。
 1・・・キリストに対する誠実さ
 恐ろしい十字架にかかられ、イエス様が死なれた時、墓にイエス様を葬る悲しみの時、主のよみがえりで喜びが溢れ出す時、いずれの時にも、彼女はそこにいて、喜びや悲しみをつぶさになめ、味わいました。そのような彼女を見ます時、キリストを信じ、誠実に真実一路に生きるキリスト者は、苦しみを味わい、悲しみを経験することがありましても、必ずよみがえりの喜びを知ることができますし、また永遠の命を頂くことが出来るのです。
 2・・・クロパの妻マリヤは、日本のキリスト者婦人とよく似ています。
 日本の婦人は非常に謙遜でおとなしく、人目に立つ行動を嫌います(もちろん、最近の若い女性にはこれと違った風潮があるように見受けられますが・・・)。キリスト者婦人も目立つような行動よりも小さい行いと、日々の生活に於けるキリスト者の愛を、世の人々に証しいたしましょう。桧舞台に立って独唱するのではなく、コーラスの一人として、はっきりと口を開いて讃美を歌う責任が、全てのクリスチャンにあるのです。
 あなたは、精一杯、主イエス・キリストのために証し人として、キリスト者としての奉仕の精神に燃えて、お励みになっておりますか。
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
 ::::::::::::
s-IMG_0101.jpg『日の上からの知恵』
  伝道者の書講解
 
   富井悠夫著 
定価 1365円(税込み)
ISBN978-264-02880
-2C0016
キリスト教書店か書店でお求め下さい

(知床五湖)
『旧・新約婦人物語』(13
  モーセの母ヨケベデ
    (出エジプト記2章、ヘブル人への手紙11章)
 
 ユダヤ民族の偉大な指導者であったモーセの母、ヨケベデについて学びましょう。
 ヘブル人への手紙11章を読みますと、ユダヤの偉大な信仰の勇者たちの記録が、簡単な内にも力強い言葉で書かれております。私たち読む者には中秋の夜空に星座の列を仰ぐような感じがいたします。
 12章1節には、これらの人たちが信仰の証人だと書いてあります。これらの信仰の勇者の中でも、特にモーセの信仰と指導力とは、私たちのキリスト者の注目を引きます。
 「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは彼が報いを望み見ていたからである」(ヘブル11:24~26)と、激賞の言葉を放っているほどです。s-IMG_0091.jpg
 皆さんもご存知と思いますが、モーセはユダヤ人の中の第一の指導者であって、ある意味から申して、ユダヤの国における一番最初の代表者であったと言えるでしょう。たしかに、ユダヤ民族の組織化は、彼の手によって成されたのです。
 このモーセの信仰と勇気、決断力と指導力は、どこから来たのでしょうか。もちろん神様からであることに違いありません。けれども、よく調べて見ますと、これらの特徴は、モーセ一人によるのではなく、彼の親たちの信仰による指導が、大きな力を成しているのです。ことに母ヨケベデの生活の内に、モーセと同じ特徴が発見されます。
 モーセの両親について、聖書は沈黙を守っています。ただ出エジプト記6章20節を見ますと父の名は、アムラム、母はヨケベデであることが記されています。また2章を見ますと、二人ともレビ族に属し、代々祭司の家柄であったようです。モーセには兄アロンと妹ミリアムがありました。当時のエジプトの情勢は、ヨセフのいた頃と大変な相違で、王パロはユダヤ人がますます大きな民になるのを見て、恐れを抱き、ユダヤ人を憎むようになってまいりました。聖書には、「ここにヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起こった。彼はその民に言った。見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる」(1:8~9)と記されています。今までのユダヤ人とエジプト人との親善関係を知らない王が現われ、増大するユダヤ人への恐怖心からユダヤ人を圧迫し苦しめ、なるべく彼らの人口を少なくしようと計ったのです。
 
その第一の方法は、ユダヤ民族に無理な労働を強い、これを奴隷化して、2つの有名な町、ピトムとラメセスを建設させました。しかしイスラエル人たちは苦しめられれば苦しめられるほど増し殖え、その方法は失敗であることが分ると、第二の方法として、男の子が生まれたら直ぐに殺すよう助産婦に命令いたしました。しかし、このようは非道が行われるはずがありません。助産婦さんは神を信じていましたから、この残酷は命令を実行しようとなどとはしませんでした。パロ王はこれも失敗と分ると、第三の方法として、今度は直接、ユダヤ人に男の子が生まれたら、直ちにナイル川へ投げ捨てるように命令し、兵隊を遣わし、取締りを厳重にいたしました。
この危険な最中に、モーセが生まれたのです。きっと母のヨケベデは、生まれてくる子が女の子あるよう願ったことでしょう。しかし、神の不思議な摂理とでも申しましょうか、生まれたのは男の子でした。
玉のような男の子を抱いて、彼女の心の中はどうでしたでしょう。喜びと悲しみが一緒のこみ上げてきたと思います。しかし、それからのヨケベデの態度は一変して、彼女の行動には、本当に教えられ、また感動させられるところがあります。
第一に、彼女の勇気です。s-2010081309540000.jpg
ヨケベデは、王の残酷な命令には従うことを拒み、三ヶ月の間、自分の家にモーセを隠しておきました。これは非常に勇気のいることで、いのちがけの仕事でした。もしもエジプトの兵隊に気付かれでもしたらもう終わりです。家族も子供と一緒に殺されるに違いありません。これは真に勇気を必要とすることです。
第二に、彼女の賢さです。
彼女は、このような何の希望も持てず、逃げ道もない悪条件の内に置かれても自暴自棄に陥らず、彼女は静かにモーセを救う道をいろいろと工夫いたしました。兵隊の監視がいよいよ厳しくなり、もはや隠しきれないと思うと、彼女は最後の手段として、葦で船を作って、子供をそれへ入れて川岸の草の間に隠しました。モーセの姉ミリアムが遠くから見張りをしていました。
第三は、彼女の信仰です。
第一の勇気も第二の賢さも、彼女の信仰に基礎付けられております。ヘブル人への手紙11章に記されているように、ヨケベデ夫妻は信仰によって王の命令をも恐れず、命の危険もかえりみず、モーセを三ヶ月の間隠していたのです。この熱い信仰が神に報いられ、パロ王の娘が川岸に水浴びに来た時、この可愛らしい子供を見つけたのです。そして、彼女はその子供を自分の子供として養育し、当時の最高の教育を施したのです。これが後に、イスラレルの指導者としてのモーセの働きに、どんなに役立つことでしょうか。使徒行伝7章20節、22節には「モーセが生まれたのはちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美しい子であった。三ヶ月の間は、父の家で育てられたが、・・・。モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった」とあります。
このような不思議な神様の摂理によって、モーセは救われ、また教育され、本当に立派な指導者と成り得たのです。
神様は、彼女の全ての願いに答えられたのです。日本のお母さん方も、このお話で、いろいろと深く教えられるとところがあったと思います。
一つは、自分の信仰がその家族に大きな影響を及ぼすことです。母ヨケベデの信仰に見られます。そのように、あなたの信仰がお子様方にその通りに現われます。有名なイギリスのウエスレーには、実に信仰深い母があったことを忘れてはなりません。母の信仰の深さで、二人の子ションと、チャールスが育ち、世に言うメソジスト運動の開拓者になり、想像も出来ないほどの大きい影響を、世の多くの人々に与えていることをご記憶下さい。
「信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた」(ヘブル11:24~26)。
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
『旧・新約婦人物語』(⒓)375d0726.jpg
  マグダラのマリヤ
    (ルカ8章2節)
 
新約聖書の中に、マリヤという名の婦人が6人出てま  いります。すでにイエス様の母のマリヤを学びましたが、ここで学びたいのは、ガリラヤ湖の西南にあった町、マグダラに住んでいた婦人のことであります。このマグダラのマリヤはイエス様に従い、お仕えした多くの婦人の内で、一番目立った女性でありました。彼女はイエス様にお仕えした多くの婦人たちの指導者であったといってもよいと思います。4福音書をよく調べてみますと、彼女のことが案外多く記されていることに気付きます。今、それを拾って見ますと、次のような事実が分ります。
1・・・このマリヤは7つの悪霊に憑かれていて、それをイエス様に追い出していただいた女性です(ルカ8:2、マルコ16:9)。彼女がイエス・キリストを知る以前、悪霊に悩まされていた頃の悲惨な状態と、イエス様にいやされて以後の恵まれた状態との相違は、どんなに大きいものであったか、その開きの大きさは、わたくしたちには、想像もつかぬものがあります。また、彼女の喜びと感謝の気持ちは、どんなに大きく、広く、深いものであったかも、わたくしたちにはわかりません。そのような喜びと感謝に満たされて、彼女は主イエス・キリストに従って行く他の婦人たちと共に、自らの持ち物を携え、イエス様に従い行く一行に奉仕したのです(ルカ8:3)。
2・・・マグダラのマリヤは、イエス様がはりつけになっておられます十字架のもとに、イエス様の母マリヤと、母マリヤの姉妹とクロパの妻マリヤたちと共にたたずんでおりました(ヨハネ19:25)。この時、イエス様の弟子ヨハネ一人を残して、他の弟子たちは皆、イエス様を見捨てて逃げ去っており、重苦しく悲惨の極みにイエス様はおられたのです。そのような時に、これらの婦人たちは勇敢にもイエス様の足もとに留まっていたのです。何と言う感銘深い、彼女たちの見上げた態度でありましょう。
 マルコ福音書15章42~47節によりますと、マグダラのマリヤは、ヨセフの母マリヤと共に、その日の夕方までイエス様のみもとを離れず、アリマタヤのヨセフがイエス様の屍を十字架から下ろし、亜麻布で包み、岩を掘って作られた墓に納め、葬った後、墓の入り口に大きな石を転がして、人の出入りは出来なくするのを最後まで見届けているのであります。
3・・・しかし、マグダラのマリヤの話で最も美しく、喜ばしいクライマックスは、何と言ってもイエス様の復活の朝の出来事でございましょう(マルコ16:1以下)。イエス様が死に勝ちよみがえりになったその日の朝早く、まだ暗いうちに、彼女と他の女たちは、イエス様の屍に香料を塗って、最後の奉仕をしようと思い、イエス様の屍の置かれているお墓へまいりました。
 彼女たちは道々、あのお墓の入り口に転がしてある大石を、どうして除けようかと話し合いながら、お墓へと道を急ぎました。ところが、お墓の入り口に転がしてあった大石が、誰かの手で転がされ、お墓の中は空になっています。誰かが、主のお体を取り去って、どこかへ運び去った様子です。どこに主のお体が置かれているのかわかりません(ヨハネ20:2)。彼女たちは驚いて、このことを弟子のペテロとヨハネとに告げ知らせました。二人の弟子は走って墓に行きましたが、確かにイエス様のお体は墓にはありませんでした。
 マグダラのマリヤは一人、墓の外に立って泣いておりました。その時ふと後ろに、彼女は人の立つ気配がするのを感じたのです。彼女は振り向くと、そこによみがえりのイエス様が立っておられます。主イエス・キリストが・・・。しかし、イエス様のお体が無くなっていることに驚き、心が動転して泣きじゃくるマグダラのマリヤには、そこに立つ人が園を守る番人としか写りませんでした。彼女は「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」(15)と、その人に尋ねました。イエス様は彼女に、「マリヤよ」と、やさしく声をかけられました。初めて、そこに立つ人がイエス様だと気付いた彼女は、「ラボニ(先生)」と答えました。この時の彼女の心の内はどんなものであったでしょうか。喜びと感激が彼女の心に溢れたことでしょう。
 イエス様は彼女に、「わたしの兄弟たちの所に行って、『わたし(イエス)は、わたしの父またあなたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」(17b)と、お命じになりました。マグダラのマリヤはすぐに急いで弟子たちの所へ走って行き、自分がイエス様に出会ったことなどを報告したのです。
 7つの悪霊に悩まされたマグダラのマリヤでしたが、イエス様に救われたばかりでなく、主のおよみがえりの最初の伝達者とされる光栄を担うことが許されました。さて、このマグダラのマリヤのお話しから、私たちはいろいろと教えられるところがあります。今ここで2つの教訓を選んで学びたいと思います。
1・・・マグダラのマリヤの忠実さ
7つの悪霊から救い出されたその日から、彼女の第一の目的は、主イエス・キリスト に仕え、主に従い、主のために自らの一生を捧げる覚悟であります。十字架のもとで、共にキリストの死の苦しみを味わったマグダラのマリヤは、当然の報いとして、よみがえりたもうたイエス様に最初にお目にかかる、大いなる喜びを味わう光栄に浴しました。
わたしたちも同じように、主イエス・キリストに忠実でありましょうか? あるいは反対に、些細なちょっとした問題に直面し、ぶつかりました時、また小さい不幸や悩みに出合ったりしました時、すぐにイエス様を見捨てて逃げるようなことをしないでしょうか?
2・・・彼女の熱心な積極的奉仕
イエス様と弟子たちとは、非常に貧しい生活をして暮らしておられました。マグダラのマリヤとその他の女たちの奉仕がありませんでしたら、イエス様の伝道は大変困難なものであったことだろうと想像いたします。
さて、あなたはキリストの教会のために、どれ程の犠牲を払って奉仕に励んでおられることでしょうか。あなたのタレント、あなたの時間、あなたの財産や持ち物のどれだけを、あなたは喜んで、主のためにお捧げ出来たでしょうか。どうか、マグダラのマリヤのように、先ず、主イエス・キリストに従い、喜んで主のために、最上のご奉仕が出来ますように、またこの道は恵みの道であり、天国の門に通じる道であることを、お覚え下さい。
ad35d1e9.jpg   写真:米国南長老教会・宣教師から譲渡された「新緑の雀のお宿キリスト教会館
     (恵那市)」
               
 
      ポーリン・マカルピン著
        (つのぶえ社出版)
『旧・新約婦人物語』(11
 ヨセフの妻アセナテ
   (創世記41章)
 
 「パロはヨセフの名をザフナテ・パネアと呼び、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻として彼に与えた」(創正記41:45)
 この無味乾燥に見えます散文的な聖句の中にも、神様のみ教えは満ちていまして、私たちにひしひしと迫るもののあることを覚えます。旧約聖書の婦人物語を学んでいる私たちは、ここにあまり有名ではなく、また私たちに関心も興味も与えないアセナテという婦人に突き当たります。
 アセナテはヨセフの妻です。だれでもヨセフのことはよく知っておられると思います。彼はヤコブの11番目の子供として生まれましたが、父の偏愛のために、兄たちから嫌われ、苦しみを受け、ついにエジプトへ奴隷として売られたのです。その上、ヨセフは無実の罪で牢獄につながれると言う苦しい経験をなめました。けれども、神様は彼と共にいまし、彼は神様より夢を解く不思議な能力を与えられました。
 ヨセフは王パロの夢を解いたことで、王に認められ、エジプトの宰相にまで抜擢されました。それは彼の30歳の時でした。人の30歳は思想の転換期であるといわれます。彼も思想上、生活上大きな変化が起こりました。30歳までの彼の生活は実に変化に富み、苦しい中にも神の道に進んで感激に満ちた生活でした。しかし、彼が30歳に達し、名誉が与えられ、高い位に付くことになって、かえってその生活は俗化し、感心のできない状態になってまいりました。今、その原因が何かを考えてみますと、初めに書きました聖句が私たちの注意をひきます。3e11a3dd.jpg
 ヨセフの生活が(精神的にも、物理的にも)、だんだんと神様から離れていった重大な原因の一つは、彼が同じ信仰の妻を持たなかったことにあります。その頃の彼の周囲の様子を見ますと、国王パロは、ヨセフの心をイスラエルより離れさせて、エジプトの自分たちの国策に利用しようとしたのです。
 第一に、王はヨセフの名をエジプト流にザフナテ・パネアと変えさせたこと。
 第二に、王は自分たちに都合のよいようにオンの異教の娘を彼の妻としたこと。
 第三に、王は真の神様を礼拝せず、ただヨセフの能力を利用しようとしたのみで、神様を認めなかったこと。
 このように、ヨセフの過去における神様を思う生活との結び付きを断ち切り、エジプト人としての生活をさせようとしたのです。ここで私たちが最も悲しく思いますのは、何故、ヨセフがこの異教の娘との結婚を拒まなかったかということです。
 彼の妻アセナテという人が、どういう人であったのか、聖書には明らかではありませんが、彼女はオンの祭司の娘でした。このオンというのは祭司の町として有名なところで、エジプトにおける太陽崇拝の中心地でした。したがって、彼女は この強烈な偶像崇拝の雰囲気の中に育ったと見ても、彼女の家庭生活の態度が分かると思います。
 日本でも、青年が親元を離れて、他国で結婚いたします時、知らず知らずの中に、自分の父母との関係は薄らいで、妻の里との関係が濃くなり、婿養子同様の関係となるものです。ヨセフの場合も同じで、知らず知らずの中に異教化し、エジプト化し、環境のよくなかったことが、ヨセフの子らの名を見てもわかります。51節を見ますと、「ヨセフの長子の名をマナセと名づけて」自分の今までの苦難と父の家の全てを忘れようとしたとあります。この名前はヨセフの生活態度をよく現わしております。そして第二の子が生まれる頃には、もうこの異教の空気や、エジプトの生活にも同化して、その子をエフライム(多く生まれる)と名づけ(52)、その生活に満足の気持ちを現わしているのです。
 ヨセフが知らず知らずのうちに異教の空気に浸ったことは、彼の一生涯の誤りばかりではなく、彼の罪は彼の子供や孫に影響し、清き神の選民としてのイスラエルの一大汚点となりました。そして彼らの内に偶像崇拝の悪い習慣を伝え、後世のバビロン幽因にまで及んでいることは、聖書が明らかに示すところです。これらは私たちに、ことに、異教の盛んなこの国に住むクリスチャンとして、最も重大な関心事であり、未信者との結婚の失敗が、5千年昔と変ることなく、目の前の日本における現実の問題です。私たちはヨセフとアセナテの話で、次のことを学びます。出来ることなら、クリスチャンはクリスチャン以外の人とは結婚しないこと。やむなく未信者と結婚するクリスチャンは、信者でない夫や妻となる人を教会に導き、真の神を教える責任があること。しかし、夫や妻がそれを聞かない場合は、夫や妻はともかくとして、自分は決して神から離れないこと。そのためには自分だけでも教会に出席し、聖書を読み、常に夫や妻のために祈るべきです。
 「なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか」(Ⅰコリント7:16)。
 
 
 ポーリン・マカルピン著 (写真・鶴見緑地の花博会場にて)
(つのぶえ社出版)
『旧・新約婦人物語』(10)
 
  ヤコブとヨハネの母
   サロメ
  (マタイ20章20~28節)
  (マルコ15章40~41節)
 
 皆さんは、サロメと聞くとすぐに映画などで見た、例のヘロデ王の前で踊りを舞ったサロメと娘サロメに舞をまわせて王の歓心を買い、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて持ってくることを願わせた、残酷なヘロデヤのことを思い起こされると思います。しかし、ここで学びますのはその女性ではなく、イエスの愛弟子ヤコブとヨハネの母であるサロメのことです。
 このサロメは、漁夫ゼベダイの奥さんで、彼らの家族はガリラヤ湖畔に住んでおりました。サロメがどういう人格の婦人であったか、また彼らの家庭はどうであったかをよく見ますと、まず第一に気付くことは、彼らが真に信仰深く、良い家庭婦人であったようであります。そのことは、彼女の二人の息子の様子を見ればよくわかります。昔から、子供はその家庭の鏡と言われます。サロメ自身どんなにか信仰篤く、また家庭での子供の教育を熱心に行い、同時に子供たちを信仰に導くことに彼女が心をそそぎきっていたと思われます。そのことは、イエス様が彼女の二人の息子、ヤコブとヨハネとをご自分の両腕のようにこよなく愛された事実によって、そのことがうなずけましょう。
 ヨハネは、バプテスマのヨハネの説教を聞き、それによって、イエス様に導かれ、紹介されたのです。その後のことです。ガリラヤ湖伴でヤコブとヨハネとが、父ゼベダイと共に網を繕っておりました。そこへイエス様が通りかかられ、ヤコブとヨハネとをお招きになりました。その時、この二人はただちに、お父さんと船とをその場に残して、イエス様に従ったのであります(マタイ4:21~22)。
 もし両親がイエス様の伝道と、イエス様のメッセージに理解がありませんでしたら、きっと一度に働き盛りの息子を二人とも差し出し、伝道のために送り出すようなことなは出来なかったことでしょう。また、この二人の兄弟も小さい時から、家庭で清書の教えを教わり、信仰について母のサロメから、立派な薫陶を受けていなかったなら、きっとイエス様の愛弟子となる資格は持ち合わせなかったことでしょう。このことからしましても、サロメは実に家庭の主婦として偉かったと思います。
 しかし、このサロメにも、また二人の子供にも、一つの大きな欠点がありました。マタイによる福音書20章20節以下をお読み下さい。その欠点が直ぐに分かります。それはある日のこと、彼女がヤコブとヨハネの二人を連れて、イエス様のみもとに来た時のことでした。三人はイエス様の足もとにひざまずきました。イエス様が、「何をしてほしいのか」と問われますと、サロメは、「わたしのこのふたりの息子が、あなたの御国で、一人はあなたの右に、ひとりは左にすわるように、お言葉をください」と、お願いいたしました。
 その時、イエス様は、「あなたがたは、自分が何を求めているか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」と答えながら問うておられます。彼らは高慢にも、「できます」と言い切ったのでした。イエス様は、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせるのは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人びとだけに許されることである」(23)と、おおせになりました。サロメと彼女の二人の息子の、この勝手気ままな願いに、他の10人の弟子たちは憤慨したと聖書に書かれています。さもありなんです。
 ところで、イエス様は彼らの勝手な願いにもとづき、大変有益な教訓をわたしたちクリスチャンにお与えくださっております。それは、「あなたがたの間で偉くなりたいと思う人は、仕える人になり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならなければならない」(26~27)と、お教えになったみ言葉です。
 サロメはここで、一般の母たちが持っているような一大欠点を曝け出しています。自分の子供に対する神様のみむねがどこにあるかも考えず、ただ自分の子供の栄達のみを念願していることです。子供を分不相応に良い学校へ入れたがる親、子供の心や魂の問題を考えようともでず、ただひたすら出来るだけ収入の多い方向へ進ませようとする親、金目当や、立身出世のみに心を奪われて、大切な子供の心のこと、魂の問題を無視し、忘れることは大きな間違いであり、罪であると言われてもしかたがありません。
 もし、サロメがその時、イエス様のみ国がこの世のものでなく、霊の国、神の国であることを知り、認めていましたら、きっとあのような願いはしなかったでしょう。また自分の息子のヤコブが、弟子たちの中で、一番先に殉教の死を遂げると知っていましたら、彼女はきっと、イエス様が「わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」と問われた時、従順に、「その杯を取り除いて下さいませんか」とお願いしたことでしょう。
 サロメのことについては、更にマタイによる福音書と、マルコによる福音書の終わりの方に出てきます。マタイによる福音書27章56節、マルコによる福音書15章40節と16章1節によりますと、彼女は多くの女と、ガリラヤからイエス様に従ってエルサレムに上り、イエス様に仕え、イエス様が十字架におかかりになられた様子や、死なれるみ姿を、遠くから見ていたのです。また、イエス様が死に勝ち、死よりよみがえりになりました朝、彼女は二人のマリヤと共に、日の出前のまだ薄暗い頃、イエス様のみ体に香料を塗って、最後の奉仕をしようとお墓に行っています。
 サロメはそこで天使から、「イエスはよみがえって、ここにはおられない」(マルコ16:6)と、喜ばしい知らせを聞かされた、最初の三人の女性の一人である光栄を得たのです。
 考えてみますと、サロメは大きな失敗もありましたが、深い信仰による幸いな婦人でありました。彼女はキリストの伝道の生涯の初めから最後までの目撃者であり、キリストのよみがえりになった後の、空の墓の目撃者でもあります。サロメがキリストの復活の喜びを最初に知ることが出来たのも、また自分の愛する二人の息子をキリストの弟子として捧げることができたのも、全て彼女の熱心な信仰に対する、主からのお恵みであると申せましょう。
    
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
s-100401_0659~0001.jpg『旧・新約婦人物語』(9)
 
 ヤコブの妻レアとラケル
      (創世記29章)
 
 旧約聖書に登場してまいります婦人もついに、ヤコブの二人の妻、レアとラケルにまでやってまいりました。私たちはここでも、人間の弱さと、それに伴う家庭生活の深刻な苦悩とが身に迫るように感じられます。リベカのところでも記しましたが、「美点も欠点」も持ったリベカを、もう一度思い浮かべてください。リベカと彼女の子ヤコブとは相談しあった結果、老いたイサクを騙して、兄エソウの相続権と祝福を奪いました。そのために、ヤコブは兄の激しい怒りを避けて、パダンアラムにいる叔父のもとに逃げなければならない破目に陥りました。
 叔父のラバンには、二人の娘がありました。姉をレアといい、妹をラケルと申しました。姉は醜く、妹は美しい女性であったようです(29:17)。えてして女性は、自分の美醜に非常な関心を持ちます。自分の美しくないことが、苦しみの一つとなるものです。まして自分の家族にたまたま自分より優れて美しい女性がいるときは、妬み心を起こし、憂鬱となり、彼女の家庭にも波風を立てがちになります。レアとラケルとはそのような関係にあったようです。そのような家庭に飛び込んだのがヤコブです。
 彼は美しい妹のラケルに心引かれて、7年間の労働を条件としてラケルを妻とする約束を叔父ラバンと結びました。彼は叔父のために働きました。約束の期間が満ちて、いざ結婚というとき、ラバンはヤコブを騙して姉のレアを与えます。もちろんヤコブは非常に失望しましたが、美しい妹も妻にしようとして、更に7年間、労働を続けることになりました。先には父や兄を欺いたヤコブは、今は自分が頼って行った叔父に欺かれることになったのです。
 ガラテヤ人への手紙6章7節に「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」とある通りです。人は自分がまいた種子を、良かれ悪しかれ、30倍、60倍にして刈らねばなりません。ヤコブの生涯は、このことをよく示してしております。この二人の女性を比べて見ますと、ラケルは美しく主人に愛され、レアは美しくなかったので、主人に嫌われました。そのために二人の間は親しくなく、この家族の空気は面白くありませんでした。
 しかもレアの方には次々と男の子が生まれました。けれどもラケルの方には、一人の子供も与えられないのです。妹ラケルは姉を妬み、彼女らの間は、一層面白くありませんでした。この焦燥の幾年かの後、ラケルにもヨセフという子供が与えられたのです。すると妹ラケルは増長して、姉や彼女の子供らに辛く当たるようになりました。
 ラケルの欠点は、主人の愛を笠に着て、我がままであり、人の幸いを妬むことです。 注意してみますとラケルの美は外見だけであったのです。彼女が、パダンアラムの父の家からヤコブに連れられて出るとき、父の大切な像を盗んで、自分の馬の鞍の下に隠し、知らぬ顔をしていたことなど、彼女の心のずるさがうかがわれます。彼女は二番目の子ベニヤミンを生む時、非常に苦しみ、その子をベノニ(苦しみの子)と呼びました。父はこれをベニヤミン(右手の子)と名付けたほどで、ラケルは産後が悪くやがて死にました。
 レアも完全な女とは申せませんが、彼女の場合、一つの非常に良いところが見受けられます。それは、29章35節で、彼女は四人目の子ユダが与えられ「わたしは今、主をほめたたえる」と言って名をユダと名付けたと記されています。レアは、長男、次男、三男と子供を与えられた時は、妹にまさって男の子を与えられたのを誇り、高慢となりました。しかし、四人目のユダのときには、彼女は我がままを捨て、謙遜に神をほめたたえています。高慢や自己中心の得意絶頂の時には、神の祝福はありません。
 神は、自分を捨てて、神をたたえたレアから生まれたユダを選び、イスラエルの正統とし、その子孫より救い主を与えられたのです。レアの光栄や思うべしですね。それに引き換えラケルの子ヨセフは、エジプトで奴隷として苦杯をなめ、ベニヤミンも苦しみの子でした。この話より私たちは多くの教訓を学びます。
1 婦人の本当の美しさは、外見よりもその人の心にあることです。
2 二人の妻を持つことは、どんなに大きな罪であるかということです。一人の夫と一人の妻と言う制度は、神様が初めにアダムとエバをお造りになった時からの定めであり、これを破ることは、人生が失敗と苦しみに終わることです。
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
『旧・新約婦人物語』(8)
 シモン・ペテロのしゅうとめ
  (マタイ8:14~15、マルコ1:29~31、ルカ4:38~39)
 
 シモン・ペテロの姑の話は、聖書に僅か三回しか出ていません。しかも、その三ヶ所が、一つの出来事を伝えているだけです。しかし、私たちは、この短い数節を粗末に扱ってはなりません。よく研究しますと教えられることが沢山あります。
 先ず気付く事は、漁夫であったペテロと彼の兄アンデレとが、ガリヤラ湖の北岸の町カぺナウムに家を持っていたということです。彼らの生まれたのは、そのすぐ南のベッサイダでありましたが、何時の間にか、カペナウムに移り住んでいたようです。この家の中心でありますペテロと、働き手であるアンデレとが、突然、イエスに従って家を去ったことは、この家庭にとっては大きな痛手で後に残されたのは、ペテロの妻と彼女の母だけと思われます。
 この二人が、その後どれほど苦労したことでしょうか。しかし彼女らは、ペテロとアンデレの高く大きな使命の遂行に妨げとならなかったばかりか、かえって、これを励ました事実は、まことに美しいことでありました。よく考えて見ますと、これは一般の主婦にも課せられている道ではないでしょうか。
 毎日、家の中で同じような仕事を繰り返しているのは、如何にも平凡で目立たず、時には嫌になるかも知れません。けれども、家庭における主婦の働きによって、外で働く人々が家庭にたいする不安や憂いをなくして、全力で尊い使命に打ち込むことができるのであります。このように考えます時、家庭にある妻や姑が、自からに与えられた家庭内の小さい仕事の一つ一つに熱心なことは、彼女らの一番恵まれる道だと思います。
 ルカによる福音者4章16節以下によりますと、イエス様はユダヤからみ霊の力に満たされガリラヤにお帰りになり、お育ちになったナザレに戻られました。そしてイエス様は故郷の人々に力ある説教をなさいました。けれども、ナザレの人たちは、いろいろの先入観にわざわいされ、イエス様のお言葉も信ずることは出来ませんでした。それのみでなく彼らは、イエス様を殺そうとまでしたのです。
 しかし、イエス様は彼らの真ん中を通り抜け、ナザレを立ち去って行かれました。イエス様はガリラヤの町カペナウムにおいでになり、この町で安息日毎に会堂で多くの人たちに説教をなさり、また悪霊に取り付かれた人々をお癒しになりました。さて、マルコによる福音者によりますと、イエス様は会堂を出られた後、すぐにヤコブとヨハネとをお連れになって、シモン・ペテロの家へ行かれたとあります。
0570975b.jpg お育ちになった故郷ナザレから追い出されたイエス様には、住む家もなく困った思いますが、その時、カペナウムの愛するシモンとアンデレの二人の弟子の家で、あたたかく歓迎されたことは、イエス様の大きな喜びと慰めであったでありましょう。イエス様はその後、ご自身について、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ8:20)と言っておられます。
 ペテロとアンデレの家庭で、彼らの家族の人たちの心からの歓待を受け、あたたかい交わりを持つことがお出来になれたことは、イエス様のお働きに大きな励ましとなったことでありましょう。ともあれ、カペナウムの町が、イエス様のガリラヤ伝道の中心地であり、ペテロの家が伝道の根拠地となったことは、疑う余地のないことと思えます。
 
 お話しを本筋に戻しましょう。イエス様の弟子たちが、ペテロの家に入っていきますと、ペテロの姑が高熱にうなされて、病床に伏しておりました。家族の者が、どうしたらよいのかと心配していたところです。ところで彼らは、お疲れになっているイエス様を煩わしてはいけないと、心に思いましたが、思い余ってやむなく、事の次第をイエス様にお話しし、彼女が高熱で苦しんでいるのを、お癒し下さいとお願いいたしました。
 イエス様はすぐに彼女の寝ているところへ行かれ、彼女の枕元にお立ちになり、彼女の手を取って起こされますと、たちどころに熱が引き、姑は直ぐに立ってお台所に行き、お客様のために食事の準備をいたしました。「これは不思議なことだ」と、お思いですか? 決して不思議ではありません。これはキリストのお力の偉大さの証拠です。このような例が、聖書には沢山あります。今でも、キリストは同じ力をお持ちになって、私たちに力と慰めとを与えてくださっています。
 さて、聖書には、神が信仰ある人の祈りを、必ず、お聞きくださるとの約束が語られています。ところで、私たちは、いろいろな条件を付けずに、すべてを主のみ心に任せるべきです。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」との主の約束のように、どのようなことでも神に祈り求めることは正しい方法であります。私たちの祈り求めたことが、例え希望に反して違った答えが出たとしても、それは神様の愛の摂理であると信じましょう。多くの人々は、この点まことに気まま勝手で、「神様、どうか私の病気を癒して下さい。癒して下さったら、神様を信じてクリスチャンになります」と祈っています。またある人は、キリストの神を試してみようとします。もし病気が癒されたら、商売が繁盛したら、受験に成功したら、そうしたら、信じましょう・・・と神様を試しています。こんな気持ちでどんなに多くの方々が、教会に来たり、聖書研究会に出席されたりしていることでしょう。このような考え方、気持ちでは、何時までたってもキリストを正しく知ることは出来ませんし、本当のキリスト者にされないのです。
 最近はことの外、様々な怪しい偽宗教や新興宗教が流行しています。これらの宗教の中心は御利益主義で、信者たちの病気が必ず治ると高言しています。そして、もし治らなかったら、その人の信心が足りないからだと逃げるのです。このような偽宗教に迷って、莫大なお金を巻き上げられた人たちが、沢山おられると聞きます。
 あなたは、このような間違った宗教に迷い込むことなく、どうか正しい真の神様、キリスト教を熱心にお求め下さるようにお奨めいたします。真の神に祈れば、病気が癒されるとか、癒されないとかを越えて、私たちの心に病気や悩みに打ち勝つ力、信仰が与えられるのです。私たちはシモン・ペテロの家族のあたたかい雰囲気から、いろいろと多くのことを教えられます。ペテロの家族がどうしてあたたかく、キリスト・イエスをお迎えすることが出来たのでしょうか。その根本的な理由は、彼の家族の者が皆、イエス様をよく知り、神様を心から信じていたからであります。
 「聖書を読むこと、そのことが教育なのである」(テニソン)
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
19e9c86c.jpg『旧・新約婦人物語』(7)
 
「美点も欠点も持ったリベカ」
        (創世記24章)
 
創世記24章をご覧いただきますと、そこに旧約聖書の中での偉大な主婦リベカが登場してまいります。このリベカは、私たちによく似た美点と欠点、そして悩みを持っていますので、彼女の生涯は私たちに大きな教訓を与えます。
信仰の父アブラハムは、年頃になった息子イサクのために、嫁を迎えてやろうといたします。そこでアブラハムは、彼の忠実な老僕を、自分の故国メソポタミヤの親戚に遣わし、その地よりイサクに相応しい女性を選び出させました。これは東洋の古い習わしで、嫁を迎えるのに親の仲人を介して選択する日本の習慣にも、どこか似ています。現代の日本の若い人たちは、これを封建的な風習だと批評いたしますが、やはり両親が納得し、満足する者同志が結ばれるのが、子供として選ぶべき道であり、聖書的であると思います。
 
アブラハムがイサクの嫁を選ぶに当り、相手を自分が今住んでいるカナンの異教徒の内より求めようとせず、遠く離れた自分の故郷に求めたことは、信仰を同じくする女性を求め、家庭の純潔を図ろうとするためでした。これはクリスチャン婦人として、大いに学ぶべきことです。
クリスチャンとして、結婚についての重要なことは、何よりも、信仰問題が第一でなくてはなりません。クリスチャンは、クリスチャンと結婚すべきです。ただ今の日本の現状では、クリスチャンの数が少なく、良き配偶者を得るのには困難な事情はありますが、このことが余りにルーズなため、日本の教会が発展しない、一つの原因がここにあることを覚えていただきたく思います。
 
イサクの妻としてのリベカの美点の第一は、何といっても美しい妻であったことです(24:16)。それは彼女のうわべが美しいばかりでなく、心が非常に美しく親切であったことです。彼女は水を汲もうとして井戸にやってまいりました。彼女は見も知らぬ旅人に、求められるままに水を与え、しかもその人のひきいるラクダにまで、水をたっぷり与えたことにもそれがよく現われております。
 
第二は、彼女は直ちに実行に移ったことです。アブラハムの老僕からイサクとの結婚を求められた時、彼女はこれが神様の与えたもう道であると信じ、何の躊躇することなく、これを承諾して出発いたしました。見も知らぬ所へ、身も知らぬ人を夫として、嫁ぐことは勇気と決断がいることです。神様を信じてのみできることです。日本の若い姉妹方、貴女はこの勇気をお持ちでしょうか。
 
しかし、リベカにはそのような美点はありましたが、また多くの欠点も持っておりました。聖書はそれを隠すところなく伝えております。
 
リベカの欠点の第一は、彼女の育児方法が誤っていたことです。イサクとリベカは結婚して間もなく二人の男の子を与えられました。兄をエソウと言い、弟をヤコブと申しました。これは双子です。聖書に「イサクは、しかの肉が好きだったのでエソウを愛したが、リベカはヤコブを愛した」(25:28)とあります通り、リベカは兄よりも弟をより多く愛し、偏愛に陥りました。このことが後日、彼女と家族を苦しめる原因となりました。母として慎むべきは偏愛で、これは兄弟の不和をもたらします。
 
第二は、忍耐して神様のみ旨のなることを待つ、従順さが欠けていたことです。彼女は二人の子供がまだ胎内にあるとき「兄は弟に仕えるであろう」(25:23)との告知を受けていました。それにもかかわらず、そのことが神様によってその通りになることを待つ忍耐もなく、自分でいろいろと工夫や手段をめぐらして、父が兄に与えようとする祝福を弟ヤコブが奪ったのです。この悪の報いは、親子兄弟に不和をもたらし、長く彼女を苦しめました。
 
第三は、主人イサクを欺いたことです。彼女はヤコブにずるがしこい手段を教え、彼を助けて年老いて目の見えないイサクを騙しました。兄に与えようとする祝福を弟は奪いました。これは彼女の一番大きな罪悪です。この行いは当然兄エソウの大きな怒りを買い、創世記27章にありますように、エソウに、「弟ヤコブを殺そう」と決心させてしまいました。そこでリベカは愛するヤコブを自分の実家に逃がしてやりました。
彼らは永遠に逢い見る日のない悲劇の主人公となりました。もちろん兄エソウとの間も面白く行くはずがなく、主人であるイサクとの間にさえも心の溝ができました。その上、姑として一層深刻に苦しまねばなりませんでした。
 
この話は、私たちにいろいろ大切な教訓を与えます。
第一に、神様は私たちお互いには欠点に満ちた者ですが、主の慈しみによって聖別され、主の御用に役立て給うことです。これは実に感謝です。神様はこのような欠点を持つリベカの子孫からイエス様をこの世におつかわしになり人類の救いを完成し給いました。
第二に、家庭において、夫婦兄弟に間に互いに信じ合うことができませんと、平和は望めないと言うことです。お互いの信用がなくなり、不真面目なことが起こりますのは、リベカのような失敗が原因となることが多いものです。
第三に、家庭において子女の育て方がどんなに大切であるかと言うことです。子供たちを分け隔てなく、平等に愛し、良き道に導くことは、主婦の最大の責任です。
「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」(箴言22:6)。 
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
 
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]