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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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さんびか物語  ・・・51・・・

      (広く愛唱されている50曲)・・・最終回・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

 

讃美530番

 うき世のなげきも

<神様のみ言葉>

「私はいつもあなたを賛美しています。わが神よ。あなたのまことを。イスラエルの聖なる方よ。私は、立琴をもって、あなたにほめ歌を歌います」。

~詩篇716節、22節~

 

この讃美歌は、525番“めぐみふかき、主のほか”と535番の“今日をも送りぬ”と同様に信仰の喜びを歌っている讃美歌であります。

この3つの讃美歌はともに、米国人であるロバート・ローリによって作曲されたものであります。

福音的讃美歌の創作の名人であったロバート・ローリは1826312日、アメリカのフィラデルフィアに生まれ、ルイズバーグ大学を卒業後、バプテスト派の伝道者となりました。その後、1876年(彼50歳)には、6年間、バークネル大学の修辞学の教授となり、その後、再び牧師に返り咲き、プレィンフィルド(ニュージアジー州)のバプテスト教会を彼が亡くなる1899年まで、熱心に牧会を続けました。その間に、彼は多くの讃美歌と日曜学校用の聖歌を作詞作曲し、その編集にも大きな功績を残しています。

ローリは40歳までは聖歌を一つも作っていなかったそうですが、それ以後は多くの讃美歌を作詞作曲しています。その作品は、8冊ほどの讃美歌集に収められて発表されています。

Bright Jewelsによって、世に広められました。この讃美歌の曲の方は、原作者不明と言われていますが、多分、ローリ自身の手になると多くの人々が認めています。

またPure Goldという聖歌集は、1871年に発表されていますが、これも非常にポピュラーで100万冊ほど売れたそうです。

このように、ローリの福音的聖歌は一時アメリカでさかんに歌われましたが、残念なことに、現在ではあまり知られていません。日本では、明治時代から今日まで愛唱されています。アメリカでも、再び多くの人々がこの讃美歌を、心から歌うことを希望してやみません。

 

 

<530>

 1 うき世の嘆きを  心にとめじ、

   常世のたのしみ  身にこそ満つれ。

   み空にきこゆる  たえなる歌に、

   あわせて我らも  いざほめ歌わん。 

 

1節では“うき世の嘆き”と“常世のたのしみ”とを対照にして歌い上げています。

旧約聖書の詩篇71編20節には「あなた(まことの神)は私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ地の深みから、再び私を引き上げてくださいます」と歌っています。

この、うき世には、多くの苦しみ、悲しみ、嘆きがあります。人々は、その暗い嘆きに打ちひしがれて、ただ暗い心に沈んでいるのですが、作者は、この世の荒波にとどまっているのではなく、詩人が歌っていますように唯一の望みである神様に尋ね求めること勧めています。

神様は、私たち一人一人の信頼の源であられます。

神様は、私たちを、悩みと苦しみから救い出してくださいます。

神様は、私たちの岩であり、堅い砦であり、巌となってくださいます。

私たちにとりまして、まことの救い、望みは、ただ、父なる神様にのみあるのであります。この神様の力と救いを、あなたのものとするためには、“あなたの神”として信じることであります。

唯一の神様に信頼してこの世を歩むとき、あなたの前に立ちはだかる障害も、心の嘆きも、苦しみも、決してあなたを一人にはいたしません。むしろ、打ち勝つことが出来るのであります。

作者が歌っていますように、神様のみ国での楽しみが、あなたの心に満ち満ちてくると言っています。私たちが、心から信じなければならないことは、全てに打ち勝つ神様を認めることであります。

私たちは、“すぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれて”いなければなりません。神様は、私たちひとりひとり に、永遠の都を用意しておられるからであります(へブル11:16)。

この都に心を向ける時、“み空にきこゆるたえなる歌に、あわせて我らも  いざほめ歌わん”という喜びが湧いてきます。

 2 うき世の栄えは  消えなばきえね、

  まことの栄えは、 主にこそあれや。

   闇夜にあうとも  主ともにまして、

   み歌をたまえば  いざほめ歌わん。

 

2節では“うき世の栄えは”と“まことの栄え”とを対照にして歌っています。この世の栄えのむなしさ、はかなさを、預言者イザヤは、神様のみ言葉として当時のイスラエルの人々に語っています。

「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:6~7)。

私たちの人生の旅路は限られたものです。「私たちの齢は70年。健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは苦労とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。それゆえ、私たちに知恵の心を得させてください」。(詩篇90:10~12)と神の人モーセが祈ったように、私たちも、祈るべきであります。

作者が歌っていますように、私たちは、この暗い人生に、主イエスが共にいたもうことを願い求め、「主ともにいます」ことを喜びをもって歌い上げたものであります。神様の恵みを心に受けている人は、この恵みのゆえに、声高らかに歌わずにおれないことでしょう。

それは、詩人が「昼には、主が恵みを施し夜にはその歌が私とともにあります。私のいのち、神への祈りが」(詩篇42:8)と歌っていますように、神様を、ほめたたえる者になりたいものであります。

 3 み空をあおげば  うき世の雲は、

   日に日に消えゆき 霧はた晴れぬ。

   行く手にかがやく とこ世のひかり、

   みとめし我らは  いざほめ歌わん。

 

3節では“うき世の雲と霧”と“とこ世の光り”とを対照にして歌っています。私たちは、心に雲が覆いかぶさり、霧に包まれますと、弱々しく頭を下げてしまいます。神様の救いを得ていない人は、たとえば健康であっても、頭を上に上げて歩いているように見えましても、その本当の姿は、うれいに満ちた心と魂なのであります。

神様に対する信仰をもっていない人々は、下を向きますが、神様を信じる人々は輝くみ空をあおぎ見つつ、人生を歩み続けることができるのです。

あなたも、“まことの光り”を求めてください。主イエス・キリストは、当時の人々ばかりでなく、今も、あなたに語りかけています。「私は世の光です」と言うことを。このキリストのみ言葉を信じて、受け入れる人は、決して闇の中を歩みことはありません。

「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことなく、いのちの光を持っているのです」と、ヨハネの福音書8章12節に記されているとおりであります。

今の罪の世には、“まことの光”などありません。あるのは罪によって汚れた闇の世だけであります。このような世界に私たちは生きているのであります。

この世になくてならない大切な光を、私たちは求めなければなりません。主イエス・キリストをあなたも、まことの光として、求めてください。この光に満たされて、神様を讃美し、永遠のみ国への旅路を力強く歩み続けてください。

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さんびか物語  ・・・50・・・

    (広く愛唱されている50曲)

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美529番

 ああうれし わが身も

<神様のみ言葉>

「パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれは、未来のものであれ、すべてはあなたのものです。そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神なのです」。

~コリント人への手紙第1、3章2223節~

 

讃美歌529番“ああうれし、わが身も”の作詞者フランシス(クロスビー)・J・ヴァン・アルスタインは、アメリカでは大変よく知られている福音聖歌の作者であります。また、この讃美歌は、ゴスペルソングの代表的な、そして信仰深いものであります。

彼女は、1820324日ニューヨーク州のサウスエンドという村の貧しい家庭に生まれました。生まれてまだ6週間目に、田舎の医者の誤った手当てによって、盲人となり一生涯、光を知らずに過ごしました。しかし彼女は、自分に起こったことについて、一度も不平を言わず、実に明るい愉快な人であり、他人の同情を拒んで自分の周囲をいつも明るくしていました。そうして、彼女の素晴らしい信仰から、泉のように主イエス・キリストによる救いと喜びを歌った聖歌が清い川のように彼女のペン先から流れて行きました。

彼女は12歳の時、ニューヨーク市にあった盲学校に入学し、そこを卒業後、その学校の教師となりまして、11年間、そこで熱心に目の不自由な子供たちを教えました。彼女は、38歳の時に盲人の音楽家アレキサンダー・ヴァン・アルスタインと結婚しました。それから彼女は教師を辞めて主婦としての生活を95歳の高齢まで続けました。

また彼女は、非常に若い時から詩を書くようになり、その最初のものは讃美歌ではなく普通の物でした。彼女の讃美歌の原作が初めて発表されたのは、彼女の8歳の時でした。アーサ・サリバン(讃美歌483をご参照ください)を思い起こさせます。彼女はその時以来、多くの詩を書きましたが、特に盲学校で教師をしていたときに、いろいろな詩の本を発表しています。

彼女が41歳の時に、初めて有名な音楽家ウイリアム・B・ブラドベリ(讃美歌310番をご参照ください)に紹介されました。その時にブラドベリが、彼女に是非讃美歌を作詞してほしいと依頼したことによって、初めて讃美歌の歌詞を手がけました。そうして、彼女の召される1915年までの長く尊い生涯を用いて、聖歌をおおよそ8000ほど作詞いたしました。

1954版の讃美歌には、彼女の物が8曲収められていますが、495番“イエスよ、この身を”、517番“われに来よと主は今”、524番“イエス君、イエス君”などは、よく歌われる福音唱歌であります。また伝道集会で必ずと言うほど歌われるのが493番“つみの渕におちいりて”であります。そのうえ彼女の曲CROSBYは、讃美歌492番の“かみのめぐみは いとたかし”、210番“きよきところを”に用いられて広く歌われています。

たとい彼女の作品が、文学的には一流のものと認められていなかったとしても、その分かりやすさ、非常に信仰の熱心に満ち溢れている素晴らしさは、何にも代えられません。また、聖書のみ言葉を、いつも讃美歌の背景に用いている彼女のゴスペルソングは、ただ熱心であったというばかりでなく、み言葉にいのちのあるように、いのちがありました。

彼女は幼い時に旧約聖書の最初の4巻と4福音書を暗記していましたから、み言葉に対する熱心さとみ言葉の上に立って書く詩は、その貯えられたみ言葉の財産から自由に引き出し、用いました。これこそ彼女の深い信仰の基となって、今日でも多くの人々に祝福を与えています。

 

讃美歌529番の曲BLESSD ASSURANCEですが、作曲者はやはり作詞者フランシス・J・ヴァン・アルスタインの友人であったアメリカ人の歌手フィービ・P・ナプ(18391908)で1873年のある日、彼女はこの曲を作って、フランシスに聞かせたところ、早速この曲のために歌詞を作ったそうです。彼女は、時々このように曲を聞くと即座に詩を作ったりしました。これも彼女の神様からの才能であり、喜びの一つでもありました。

深い信仰に立つ美しい讃美歌を日本語訳と原作を比較しながら味わいましょう。

<529>

 1 ああうれし わが身も

   主のものとなりけり。

   うき世だにさながら、

   あまつ世のここちす。

    (おりかえし)

   うたわでやあるべき 

   すくわれし身のさち

   たたえでやあるべき

   みすくいのかしこさ。

1節ですが、その前にこの讃美歌のタイトルと曲名が同じであります。これは、めったにないことで、これは、二人の主にある交わりをはっきりとあらわしていると私には思えてなりません。

BLESSD ASSURANCEを訳しますと、“幸なる保証(確信)”と言えましょう。作詞者はこの1節において、何をこの“幸なる保証”としているのでしょうか。それは「キリストは私のものであり、私はキリストのものである」という一体性の中にあることを歌っています。また、この幸いの確信は、神様が与え給う祝福と栄光の先取りであり、私は救いの世継ぎ、神様に買い取られた者、聖霊によって新たに生まれかわらせられた者、キリストの血にきよめられた者であると歌っています。

このように、原作では救いの大黒柱である主イエス・キリストの十字架の贖いの血と聖霊による回心を強調しています。実に強い信仰の告白と言えます。

“おりかえし”は、日本語訳の方が、強いものがあると私には思えます。原作では、一つのことを二度繰り返して歌っています。それは“わたしの思いとわたしの歌はただこれです。一日中わたしの救い主をほめたたえることである”と言うことであります。

日本語訳では、歌わざるを得ないのは、救われた身の喜び、たたえざるを得ないのは、み救いのかしこさである、という神様の救いと恵みを歌っています。実に素晴らしいことと思います。

私たちもここで、自分自身が本当に主にとらえられているかどうか、主イエス・キリストの血によって清められているかどうかを、よく考えてみる必要があると思います。眠った信仰、喜びのない信仰から悔い改めて、この尊い宝をしっかりとつかむことは大切であります。その上に立って、多くの人々に証しして、隣りの人々にも喜びを味わい知っていただくように努力しなければなりません。本当の信仰の喜びを知っている人でありますなら、それを宣べ伝えずにおれないのが、信仰の喜びであります。

2 のこりなくみむねに

  まかせたるこころに

  えもいえずたえなる

  まぼろしを見るかな。

2節の中心の言葉は、まったき服従であります。日本語訳では、“のこりなくみむねに、まかせたるこころに”と歌われています。この服従の模範を主イエス・キリストに見ることができます。イエス様はゲッセマネの園で「父よ。みこころならばこの杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ2242)と祈られた如くであります。あるいはまた「わたしに向かって『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのである」(マタイ721)と群衆にお教えになったとおりであります。

神様に対する全き服従は、クリスチャンにとって逃れられない義務ですが、最大の喜びの義務であります。服従によって、昔、ヤコブがベテルで天の使いが一つの梯子を上り下りしているのを見たように、私たちも幻を見るでしょうと作者は歌っています。

もちろん、これは実際的ではなく、神様が私たちの近くにいたもうことを体験することを意味すると思います。私たちは、このような経験によって、はじめて服従に伴う祝福を味わい、キリストのものであることの確かさを持つことができるものと思います。

 3 むねのなみおさまり、

   こころいとしずけし。

   われもなく、世もなく

   ただ主のみいませり。

3節の中心的なテーマは、主にある全き心の安息であります。日本語では“むねのなみおさまり、こころいとしずけし”と美しく歌っています。すべてをキリストにお任せしたその人の心は、不安や悩みの波は治まり静かになるのであります。原作にありますが、主にある―その人―は祝福されて、キリストの愛にはぐくまれて日々を過ごすのであります。また天を仰ぎみながら、絶えず目を覚ましてキリストの再び来られることを待ち望むのがキリストに一切を委ねた者の心であります。

今のせわしない世の中で、キリストのみが与えることができる心の安息は、本当に大切であり、祝福であります。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるものとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ1427)。

主イエス・キリストのこのみ言葉は、今の私たちにとっても有効であります。あなたもキリストが与えようとしていらっしゃる救いと平安を喜んでいただき、キリストとともに雄々しくあなたの日々の道を歩まれますようにお勧めいたします。

 

さんびか物語 ・・・49・・・

    (広く愛唱されている50曲)

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美527番

 わがよろこび わがのぞみ

<神様のみ言葉>

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」。

~詩篇37編4~5節~

昔ダビデ王が「主をおのれの喜びとせよ」と歌いましたように、讃美歌527番の作詞者ジョゼフ・スウェインも、“主はわが喜び、わが望み、わがいのちの主である”と心から歌っています。

ジョゼフ・スウェイン(17611796)についてですが、あまり詳しいことはわかっていませんが、イギリスのバーミンガムで生まれ、ジョン・フォーセット(讃美歌403番を参照ください)と同じように、幼い時から職人のところに奉公にやられていました。しかし、スウェインはその後ロンドンに戻って信仰に入り、有名なカーターレインバプテスト教会の牧師ジォン・リポンから洗礼を受けました。

非常におもしろいことですが、ジョン・フォーセットは、この教会からの招聘をことわって、ウェインズゲートで貧しい牧会に戻ったことによって、ジョン・リポンがかわりに牧師として一年の約束で臨時として招かれました。しかし、翌年には正式に招かれて63年の長い間、素晴らしい牧会を続けました。また、牧会の他に讃美歌集も数多く出版しました。

讃美歌163番の“あまつみつかいよ”の5節の作詞者であったそうです。この5節は後からペロネットの歌詞に追加されたものだそうです。

ジョゼフ・スウェインは1791年にウォルワスのバプテスト教会で尊い牧会を始めましたが、その働きの期間は、わずか5年という短いものでした。それは1796年、35歳という若さで召されたからです。

彼は生まれながらの天才的詩才の持ち主であったため、いくつかの宗教詩や讃美歌を書き残しました。讃美歌527番はその代表的なものでイギリスばかりでなくアメリカでも広く愛唱されています。特に、福音聖歌、リバイバル聖歌として用いられました。そうして、日本にも渡って来て多くのクリスチャンにこの美しい讃美歌が愛唱されています。讃美歌527番の曲MEDITATIONですが、原曲は明らかではありません。作曲者フリーマン・ルイス(17801859)は、アメリカ人で、1810年に彼はジョゼフ・スウェインの歌詞のために作曲したものであるということ以外には何もわかっていません。それから60年後の1869年にアメリカ人のヒューバト・P・メイン(17801925)が、ルイスの原曲を手にして、それをMEDITATIONという曲に編曲したのであります。

彼は福音唱歌の作詞者シルベスター・メインを父として、コネチカット州のリッチフィールドで1839817日に生まれました。彼は父の影響を受けて、15歳の時から福音唱歌の作曲をはじめました。彼の作品した讃美歌や日曜学校用の歌は、1000曲を越えたほどでした。また、メソジスト教会の讃美歌集をはじめ、数多くのゴスペルソング集を出版しました。

メインは、若い時の数年間、出版関係の仕事は始めましたが、18671868年までは有名なウィエィアム・B・ブラットベリ(讃美歌310番も参照ください)のもとで働きました。そのような関係で音楽についての大切なポイントを学ぶことが出来ました。

その後のメインは父の関係していた楽譜出版会社を継ぎながら、数多くの作曲や讃美歌集を出版しました。

1954年版の讃美歌では、メインの曲が4曲収められていて、527番の編曲の他に一番よく歌われているのが336番の“主イエスよ、十字架を”の編曲ELLESDIEでありましょう。メインは1925107日にニュージャージー州で亡くなりました。

 

<527>

 1 わがよろこび わがのぞみ

    わがいのちの主よ、

   ひるたたえ よるうたいて

    なお足らぬをおもう。

1節では、神様への讃美の尊さを心から歌っているように思います。“ひるたたえ、よるうたいて、なお足らぬをおもう”という言葉は、そのことを意味しているでしょう。

詩篇119164節には「私は日に七度、あなた(主)をほめたたえます」とあります。また、詩篇150編のわずか6節しかないその中に「神をほめたたえよ」という言葉が12回も記されています。

私たちも、本当に“主を、私たちの喜び”とするならば、いつも讃美の歌を口にしなければならないと思います。しかし主は、私たちの喜びであるとともに、消えない望みと永遠のいのちを与え給う主でもあられます。

原作でスウェインが歌っていることは“主は私たちの悩みを聞き入れ給う主であり、昼には私たちの慰めであり、夜には私たちの歌であり、私たちの望み、私たち救い、私たちのすべてであられる”と素晴らしい信仰を持って讃美を歌い上げています。まことに主は、私たちのすべてでなければなりません。また、私たちのすべては、主イエス・キリストのものでなければなりません。

 2 したいまつるかいぬしよ

    いずこの牧場(まきば)に

   その群れを主はみちびき、

    やしないたまえる。

2節では、私たちの牧者、飼い主であられるキリストについて美しい言葉で歌っています。主イエス・キリストはご自分のことについて、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ1011)と言われました。また詩篇231節以下で「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。・・・」とダビデは歌っています。

良い羊飼いのキリストは、その群れをいつも養い、守り、導いてくださいます。しかし、愚かな羊である私たちは、さまようこと多く、羊飼いの愛のみ声には、一向に答えない者のようであります。

原作では“私はなぜこの死の谷で涙を流し、なぜひとりぼっちでこの荒野でパンを捜し求めようとするのでしょうか”と歌っています。私たちは、主イエス・キリストが“失われた一匹の例え話”でお教えになったように、自分の力や知識では、とうてい群れに戻れない弱い愚かな者であります。ですから、良い牧者であられるキリストが、私たちを救ってくださらない限り、決して、私たちには希望もなく、荒野で飢え死にしなければならない者なのであります。

あなたは、いま死の谷をさまよっていると思われますか。霊的には荒野で飢え死にしなければならない状態と思われますか。もし、本当にその事実を神様のみ前に認めるなら、一日も早く安全な囲いの中に身を置いて良き牧者と豊かな憩いを得てください。

 3 シオンの娘、 かたれかし

    わがいのちの主に

   野辺にてか、幕屋にてか

    会いまつらざりし。

3節ですが、“シオンの娘たち”ですが、聖書辞典などによりますと、この言い方は、「新しいエルサレム」、つまり、天国の住民全体を意味すると言われています。聖書の箇所を見ましょう。ゼカリヤ書210節、11節には「シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたがたのただ中に住む。―主の御告げ。― その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり」と記されています。また「しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです」とへブル人への手紙1222節にあります。

いずれの場合でも、その中心になっているのは、“私たちはいつも神様とともにいる生活を送らなければならない”ということであります。遠い昔では、野辺の生活、また天幕の生活でした。今の私たちの生活は、主に都会の生活、団地の生活、そして自己中心の生活であります。このような生活であるからこそ、私たちはいつも祈りをもって、主に交わりを持ち、いつも主とともに歩まなければならない者であります。

 4 主のみかおのやさしさに

    みつかいよろこび

   みことばのうるわしさに

    あめつちうたえり。

4節ですが、英文の原作と日本語訳とは、ほとんど同じで、背景にあるのは、3節で引用したヘブル人への手紙1222節にある「生ける神の都、天にあるエルサレム」また、み顔のやさしさを見て喜ぶ、その「無数の御使いたち」でありましょう。また、主のみ言葉のうるわしさにうたれて「多くの国々が主につき、彼らは主の民となる」とのゼカリヤの預言が成就されるところであります。ここでの大切な点は、あなたがたではなく、私自身は主の民の一人として認められているかどうか、という根本的な問題で、神様に立ちかえる者こそ幸いであります。

 5 ならびもなき愛の主の

    みこえぞうれしき。

   わがのぞみ、わがいのちは

    とわに主にあれや。

5節ですが、まず気がつくことは、“愛の主のみ声”というのは、他とは比較にならない、類をみないみ声であるということであります。この素晴らしい言葉は、原作には見られません。その意味で日本語の歌詞の方が数段素晴らしいと思います。

そのみ声、私たちの牧舎のみ声は、ただうるわしいだけではなく、ならびのないみ声でありますから、このみ声に聞き従って行く私たちでなければならないのであります。“わがのぞみ、わがいのちは、とわに主にあれや”と歌えるのは、ただ、そのみ声に耳を傾け従っていく人だけに限られています。

「良い牧者は自分の羊のその名を呼んで連れ出します。彼は自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます」とヨハネの福音書103節、4節に記されています。

また「わたしは良い牧者です。私は私のものを知っています。また、私のものは、私を知っています」とヨハネの福音書1014節にもあります。これらのことばからでもおわかりのように、私たちは一人残らず、私たちの牧者であられるキリストのみ声を知って、主イエス・キリストについて行く者になりましょう。 

 

さんびか物語 ・・・48・・・

    (広く愛唱されている50曲)

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

 

讃美525番

 めぐみふかき 主のほか

<神様のみ言葉>

「この方(主イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないからです。

~使徒の働き4章12節~

恵み深き主イエス・キリストのほかには、誰によっても、まことの慰めも心の平安もないことを深く信じていたクリスチャンがおりました。その人は讃美歌525番の原作者アニー・シャーウッド・ホークスであります。

彼女は1835年5月28日ニューヨーク州のフースィックという小さな村に生まれ、14歳の時から新聞の懸賞詩に応募するために詩を書きましたし、当選もしていました。アニーは、1857年にチャールズ・H・ホークスと結婚し、その2年後に夫妻はニューヨークのブルックリンに移りました。そこでホークス夫人はハンソンプレス・バプテスト教会の熱心な会員となりました。また、讃美歌の作詞・作曲家であったこの教会の牧師ロバート・ローリ博士の影響を受けて、作詞を始めています。(ロバート・ローリについては讃美歌530番をご参照ください)。

1954年版の讃美歌にはローリの作品が3つ収められていまして、525番と530番、そして535番であります。彼の作品は本来福音唱歌として作詞・作曲されたもので、英米人の間に広く愛唱され、525番の方は、今日でもなお歌い続けられています。日本でも、明治時代からクリスチャンにひろく愛唱されている歌であります。

さて、アニー・ホークスは1868年頃からローリの励ましとすすめによって讃美歌の作詞を始め、その数はおおよそ400種にものぼり、主に日曜学校用讃美歌を作りました。この525番の“めぐみふかき主のほか”は、その数多い作品のうちの一番優れたものであります。

この讃美歌の作詞のきっかけになったのは、彼女の持っていた大きな悩みとか苦しみなどから湧き出たものではなかったそうです。むしろ、彼女はある日、家庭の主婦、また三人の子供の母親としての忙しさの中にあっても、主イエス・キリストが共にいまし給うことを深く感じて、キリストと共に生かされている喜びをしみじみと味わったそうです。忙しい日々の中にあっても、神様の恵みを覚えつつ讃美している彼女の信仰に心打たれると思います。

その時に感じさせられたことは、“主を抜きにしては、人間はいかにして生きて行くことができましょうか”ということでした。そして彼女の心の泉から湧いてきたものがこの讃美歌のタイトルである「Ineed hee every hour」でありました。これを日本語にいたしますなら、「私は一時間たりともキリストを抜きにしては生きて行くことができない」という意味になりましょう。

このneedという言葉は、非常に強い言葉でありまして、普通は「必要である」とか、「要する」とかのように訳します。原作では、この題の「Ineed hee every hour」は、1、2、3、4、5節の一行目として歌われています。また、「おりかえし」もneedという言葉が三回繰り返して歌われています。そのように、このneedという言葉は、意味以上にたくみに用いられていますが、日本語訳にはその言葉や意味の見られないのには、私にとりまして、大変残念に思います。

ついでですが、この「おりかえし」の部分は、ロバート・ローリが作ったもので、曲I NEED THEEを作曲したときに、この讃美歌に付け加えたものであります。また、この讃美歌は1872年のバプテスト日曜学校教会大会用の小歌集に発表され、その後、当時の偉大な伝道者ムーディーやサンキーの大集会に用いられて非常にポピュラーになりました。

 

アニー・ホークスは、この525番の讃美歌を、自分の手で作詞したにもかかわらず、その意味するものが、自分自身にとって予言的であったと言っています。それは、彼女の夫を1888年に亡くした時、はじめて、恵み深き主の慰めを自ら味わうことが出来ました、と証ししたそうです。

このような時には、まことの主のほかに誰も私たちを慰めることは出来ません。ご主人を亡くした彼女は、その後バーモント州のベニントンに住んでいた娘のところに行って、そこで、1918年1月3日、83歳で亡くなりました。

讃美歌525番は日本語訳と原作とでは、いろいろな点で違いがありますから、それを比較しながら共に歌詞を考えてみましょう。

<525>

 1 めぐみふかき 主のほか、

   たれかわれを なぐさめん。

  (おりかえし)

   わが主、わが神 恵みたまえ、

   ただ頼りゆく わが身を。

1節ですが、前に申し述べましたように、この讃美歌の原作の中心点は「Ineed hee 」という言葉にありますが、残念なことにはこの“魂を求め”“神へのあこがれ”といった切迫した心の叫びがみられません。作詞者がここで強調しているのは、どのような状態に陥っても、主イエス・キリストは、私たちクリスチャンにとって、絶対に必要なお方であられるということであります。

原作では非常に明白に歌われています。それは“あなたのやさしい御声だけが平安を与え給う”と歌い、「おりかえし」では、1節にある強い断言に付け加えて、“主よ、今あなたのところにたち帰りますから、どうか、私を祝福してください”とあります。

何と素晴らしい信仰の告白でしょう。

 2 わが主ともに いまさば、

   あくまわれを いかにせん。

2節の日本語訳は実に素晴らしいものと思います。“わが主ともにまさば、あくまわれをいかにせん”はペテロの手紙第一、5勝8節、9節のみ言葉を思い出させます。そこには「・・・あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい」とあります。この悪魔に立ち向かい打ち勝つただ一つの方法は、この讃美歌が歌っていますように、“主とともにいること”なのであります。

次に原作の3節ですが、おしいことに日本語訳には省略されています。この原作の3節で歌われていますことは、“主よ、喜びにも、苦しみにも、共に居給うように”と願うものであります。また、“あなたが速やかにおいでになって共に宿ってくださらなければ人生はむだである”と作者は歌うのであります。神様を知らない人生の虚しさにまさる虚しさはありません。

3 きよきみむね  おしえて、

    はたしたまえ  みちかい。

3節ですが、原作の4節とはよく似ています。また、ここに歌われている言葉は、私たち一人ひとりの祈りでなければならないと思います。神様の“きよき、みむね”の何であるかは、祈りによって教えられ、神様の豊かな“お約束”が私たちのうちに働かれるようにとも祈るべきであるからです。

  4 とうとき主よ、 われおば

    きみのものと  したまえ。

4節ですが、これは原作の5節にあたるもので、歌詞はほとんど同じです。ここで歌われている“とうとき主のもの”となるために、私たちは、何を、どのようにすべきでしょうか。それは、キリストにとどまることによってのみ、実現することであります。しかし、大変難しいことです。ですから、あきらめてはなりません。イエス様が弟子たちに語られたように、私たちはみな“まことのぶどうの木”であられる主イエス・キリストにつながっていなければなりません(ヨハネ15:1~)。

ぶどうの木の枝として、キリストからまことのいのちを得、生き生きとした枝になり得るのは、いのちの木・源につらなっているからであります。このイエス様との深いきずなにあることこそクリスチャンの慰めであり平安であると、私は確信をもってみなさまにおすすめいたします。

 

 

さんびか物語 ・・・47・・・

    (広く愛唱されている50曲)

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美515番

 十字架の血に きよめぬれば

<神様のみ言葉>

「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」。

~ヨハネの手紙第一、1章7節~

この讃美歌は、代表的な福音唱歌の一つであって、歌詞、曲共にルイス・ハートソーの作であります。

讃美歌515番の原作者ルイス・ハートソーは、1828年ニューヨーク州で生まれ、1851年メソジスト派の牧師となり、同教派の慣習に従って各地の教会を歴任しています。1900年(彼72歳)以降は、ニューヨーク市の少し北にあるマウント・バーノンというところに住んでいましたが、191991歳の高齢で亡くなりました。

彼は、牧会のみではなく、宗教音楽の諸雑誌の編集を行ったこともあります。この歌は、1872年に、雑誌Guide to Holinessnに載せられていましたが、英国に住んでいた福音的音楽家サンキーのもとに送られたことによって、この歌は、サンキーの出版したSacre Songs and Solos1878)に収められました。この歌の他にも、ハートソーの歌は収められています。

サンキーは、各地の伝道集会で決心者を招く時に、よくこの讃美歌を用いたそうです。

<515>

  1 「十字架の血に  きよめぬれば

    来よ」との御声を われはきけり。

    (おりかえし)

    主よ、われは いまぞゆく、

    十字架の血にて きよめたまえ。

  2 よわきわれも みちからを得。

    この身の汚れを みな拭われん。

  3 まごころもて せつにいのる

    心にみつるは 主のみめぐみ。

  4 ほむぶきかな  わが主の愛

    ああほむべきかな わが主の愛。

この美しい讃美歌は、神様の愛に満ちたお招きの言葉で始まっています。それは「『十字架の血にきよめぬれば 来よ』との御声を われはきけり」と呼び掛けてくださっているからであります。

聖書の中には、このような神様のお招きのお言葉は、何度となく語られ、記されています。

その一つは、マタイの福音書11章28節で、主イエス・キリストは「すべて、疲れている人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休めせてあげます」とあります。また新約聖書の最後のページでありますヨハネの黙示録22章17節にも「来よ」とのお招きの言葉と共に、次のように記されています。「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをいただいて受けなさい」。しかし、当時も今日でも、人は疲れを覚え、重荷を負って、この世を歩んでいますが、この神様のお招きに、心から従い受け入れることを、せつに求める人は少ないようです。

魂に渇きを覚え、生きる目的を失っている人、持っていない人は、世に満ちています。しかし、本当に悲しいことですが、自分の魂の渇きを認めません。むしろ、富んでいるかのように思い込んでいるのであります。

イザヤ書55章にも、有名な神様の招きの言葉が記されています。

「耳を傾け、わたし(まことの神)のところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたは生きる」。

このみ言葉に中には、特に大切な点がいくつかあります。その一つは「神様のところに出て行くこと」、また「神様を心から求めること」であります。神様が私たちに、「来よ」とお招きになる時「耳を傾け、謙虚になって、そのご命令にしたがうこと」であります。

なぜなら、まごころを持って、神様を求め、神様のみ声に耳を傾ける者には、「生きる」という素晴らしい約束が待っているからであります。「生きる」とは、神様と共に、神様の恵みの中に生きる、と言うことであります。主イエス・キリストは、マタイの福音書7章8節に、はっきりと約束してくださいました。「だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」。

 

私たちは、この恵みの約束をいただくために、何をなすべきでしょうか。それは今の態度を捨てて、神様に立ち返ることであります。神様は、決して、私たちの死を喜ばれません。むしろ、神様と共に永遠に生きることを喜ばれます。神様は、いつも語りかけています。「悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか」(エセキエル33:11)。

この神様のお招きのみ声に聞き従わないのは、どこに理由があるのでしょうか。私たちには、このみ声は必要ないものなのでしょうか。そうではありません。神様のみ声を拒否する、ただ一つの理由は、罪のためであります。私たちの耳が罪によってふさがれていて、み声が入ってこないのです。暗い心が、光をさえぎっているのであります。罪は、私たちのすべてを支配し、死へといざなっているのであります。

このように、罪は目も耳も心もすべてを不自由にして、私たちは全身が罪によって麻痺しているのであります。あなたは、目の悪い人が、この激しい交通戦争の渦の中に迷い込み、道路で行く手をさえぎられているのを見る時、きっと大声で言うでしょう。あぶないですよ。今助けに行きますから!

神様からご覧になった私たちは、死に直面し身動きできない人と同じ者であります。神様のみ声は、あなたへの呼びかけであります。神様は言います。「なぜ、あなたは死のうとするのか」。このみ声が耳に入らないとは、まったく悲しい、情けないことではないでしょうか。

しかし、この暗い闇の中にも光が―喜びの声があります。それは、神様の愛―まったく一方的な愛―と救われた喜びの声―であります。それは、私たちを救って下さる、イエス・キリストの救いの恵みであります。イエスをキリスト(救い主)と信じる信仰によって、あなたも救われます。

讃美歌515番は、この素晴らしい救いの恵みを声高らかに歌っているのであります。特に「おりかえし」には、「主よ、われはいまぞゆく、十字架の血にてきよめたまえ」と歌っています。

主イエス・キリストの十字架の血とは、全人類が罪を犯した結果、流さなければならない刑罰の血を、私たちの身代わりとして、ご自身を十字架(神にのろわれた者)にかけて死んでくださったのであります。罪の罰としての、のろいの死を身に受け、私たちの贖いとなられたのであります。このキリストの贖いによって、父なる神様のところへ立ち返る道が開かれました。

この恵みにあずかるために、自分の弱さと心のけがれを認めること、そうして、神様のみ力と聖霊のお働きによって、きよめられることを心から求めなければなりません。

 

2節には、「よわき我もみちからを得」と歌い、3節では「まごころもて、せつにいのる」と歌っています。この歌声は、神様から頂いた祝福が心に満ち満ちている者、救いにあずかった人々の喜びの声であります。神様のみ力を、またきよめをいただいた人だけが、心から讃美する感謝の声であります。この歌声は、神様の愛の深さ、ひろさ、高さを味わい知った人々だけのものであります。

4節は、その心を歌いあげています。

「ほむべきかな、わが主のあい

 ああほむべきかな、わが主のあい」。

この世が、そして、人生が、どんなに暗く苦しくても、神様の愛に救われた人、きよめられた人の毎日の歩みは、光と喜びの中を神様と共に歩み続けるものであります。

イエス・キリストの血によって、すべての罪からきよめられているが故に、とこしえまでも、神のみ前に生きることが出来ます。あなたも、どうぞ一日も早く、心から「主よ、われはいまぞゆく、十字架の血にて清めたまえ」と歌い、主イエス・キリストを信じてください。

<517>

 1 「われに来よ」と主は今、

   やさしく呼びたもう。

   などて愛のひかりを

   避けてさまよう。

   (おりかえし)

   「かえれや、わが家に

   帰れや」と主は今呼びたもう。

 2 つかれはてしたびびと、

   重荷をおろして、

   きたりいこえ、わが主の

   愛のみもとに。

 3 まよう子らのかえるを

   主はいま待ちたもう、

   つみもとがもあるまま

   きたりひれふせ。 

 

 

さんびか物語 ・・・46・・・

    (広く愛唱されている50曲) ・・・45・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美483番

 主とともならん

<神様のみ言葉>

「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身で天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」

~テサロニケ人への手紙第一、4章16~17節~

讃美歌483番“主とともならん”は、永遠の命についての非常に有名な、そして、大変美しい讃美歌といえます。

この讃美歌の作詞者ジェムズ・モントゴメリ(1771~1854)は、平信徒でしたが、チャールズ・ウェスレーやアイザック・ウオッツに次いで、よく知られているイギリスの五大讃美歌作者の一人であります。

1954年版の讃美歌には、ご承知と思いますが彼の作品は7曲収められています。そのうち169番“きけよや、ひびく”や478番“海ゆくとも、山ゆくとも”などは、よく愛唱されていると思います。

モントゴメリはモラヴィア派の牧師を父として、1771年11月4日にスコットランドのアーヴィンで生まれました。父親は自分の子供をその足跡に従って牧師にさせるために、6歳の時にヨークシャーのブルネックにあったモラヴィア派の男子寄宿学校に入学させました。

そして両親は、まもなく外国伝道のためにモラヴィア派の教会から西インド諸島に派遣されましたが、両親はそこでまもなく亡くなりました。一人ぽっちなったジェムズは14歳で学校を中退し、転々と職を変えましたが、1792年にシェフィードルの新聞編集者ロバート・ゲールズのもとで彼の新聞「シェフィードル・レジスター」の副編集者として勤めるようになりました。

ゲールズは当時の誤れる政治に対して批判的であったため、その2年後にアメリカへ亡命しなければなりませんでした。そのため23歳のモントゴメリはゲールズの仕事を引き継いで、その新聞の名前を「シェフィードル・アイリス」とかえ、編集者として31年間働き続けました。

彼もゲールズと同じように政治的にはリベラルな思想を持っていたため、新聞に発表した記事にために、2回も投獄されましたが、数年後には彼の功績を認めて、時の政府は恩給を支給しています。

モントゴメリは10歳の時から詩を書き、それが一生の間の仕事となりました。そのために、多くの本を出版し、讃美歌だけでも400ほども作詞しています。平信徒でありながら、これほどまでに讃美歌を作って教会のために尽くした人物は、彼を他にして見当たりません。

彼の作品は、年齢が増すと共に信仰の深さ、尊さ、また、神様への全き服従が輝き出し、美しく、そして力強くなっていきまして、彼の信仰の歩みそのもののように思えます。

彼の最後に残した言葉は、祈祷の言葉であったそうです。1854年4月30日、彼はいつものように祈祷を終えて床に入り眠りにつきましたが、その眠りから目が覚めませんでした。それは、彼自身が書いた讃美歌そのものと言え、ましょう。

<308> 

 4 いのりは御民の いのちを得る

   きよけき御霊の 風にぞある。

   いまわの時には 父のいえの

   み門のひらくる 合言葉ぞ。

讃美歌483番の曲NEARER HOMEは有名な音楽家アーサ・S・サリバンの編曲によるものです。サリバンは、1842年5月13日にイギリスのランバスで生まれました。彼は音楽に対しては天才で、イギリスの陸軍音楽長を父としていたため8歳になるまでに、あらゆる楽器が演奏できるようになったばかりでなく、この年齢で最初の作曲をおえています。

サリバンは13歳の時にアンセム“オー・イスラエル”を作曲し、14歳でメンデルスゾーン奨学資金を王立音楽アカデミーから獲得しました。その後、ライプチッヒで音楽の勉強を続けました。サリバンは喜歌劇の作曲家として有名で、シェークスピアのテンペストが出世作となり、その他にも管弦楽、オラトリオ、カンタータや讃美歌の作曲があります。

1874年に発表された讃美歌集Church Hymnsには、彼の作品が26曲ほどと編曲したものが含まれて発表されました。その時に、アイザック・B・ウドベリの原曲をサリバンが編曲してこのNEARER HOMEも発表されました。

サリバンの一番有名な讃美歌の曲は“見よや、十字架の旗たかし”(379番)のために作曲されたSTRTRUDEであります。彼は58歳で1900年11月22日、ウエストミンスターにあった自宅で亡くなりました。

この讃美歌483番の歌詞 Forever with the lord (いつまでも

主とともにいます)は8節あり、当時この歌はたぶんロウエル・メイスンの編曲によって1824年に作曲されたOLMUTZに合わせて歌われたものと思います。しかし、1874年のサリバンの編曲では8小節のものに8小節を追加して16小節にしました。そのために、歌詞もこれに伴って4節に成りましたが、さらに1節が省略されて3節からなる讃美歌として歌われています。

<483>

  1 主とともならん とこしなえに

    あめなる生命ぞ かぎりのなき。

    みむねならば  そのいのちを

    卑しき身にさえ あたえたまえ。

1節で歌われているのは、限りない、とこしえに主とともにいる天なるいのちの素晴らしさであります。神様によって選び出された民の地上での歩みと国籍はどこにあるのでしょうか。ピリピ人への手紙3章20節では「私たちの国籍は天にあります」と言われ、ヘブル人への手紙11章13節では「・・・信仰の人々は、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者である・・・」とあり、「堅い基盤の上に建てられた都を待ち望んでいる」(ヘブル11:10)者でありますから、作詞者がここで“みむねならばそのいのち(とこしえのいのち)を卑しき身にさえあたえたまえ”と、そのことを歌っています。私たちもこのような謙虚な心と信頼をもって、み国への道を歩みたいと思います。

  2 行きぞわずらう 荒野のたび

    夜毎にちかずく あまつわが家。

    かすみのおく  くものあなた

    黄金(こがね)のみかどは ほのかに見ゆ。

2節では、私たちのこの世での歩みが、荒野の旅路にたとえられています。アブラハムが、神様のみ声に従って約束の地に出かけたように、私たちも神様が約束された永遠の家、あまつわが家へ旅立つのが、信仰者であるということです。この旅は非常に厳しいものであります。私たちを待ち受けているものは、苦難、失望、誘惑、試み、迫害でありましょう。しかし、“夜毎にあまつ家に近づいている”ことを知ることは大きな励ましになると思います。

この曲名NEARER HOMEは、原作の2節から引用されていて、“夜毎にあまつ家に近づく”という意味であります。あなたのこの世での旅路の目標は、どこにありますか。永遠のいのちの道の他には、永遠の滅びへの道しかありません。あなたはそれのどちらを選びますか。

2節の終わりの部分は、実に美しい絵のようです。“かすみと雲の彼方に、かすかに天国の黄金の門が見える”と歌っています。きっと、この黄金のみかどは、新しいエルサレムを意味しているかもわかりません(ヨハネの黙示録21:2)。しかし原作にあるのですが、私たちには、信仰の目がなければ、それを見ることができません。この信仰の目こそ大切であります。

 3 つきぬいのち 主よりぞ受けん

   いまわの時には 死にも勝ちて。

   とこしなえに 主とともならん

   知らるる如く われも知りて。

3節では、私たちに尽きないいのちが主イエス・キリストによって確実に保証されていることを歌っています。この「確かさ」は主よりの賜物であり、死が近づく時にも、死に勝利をお与え下さるのは主イエス・キリストご自身であると歌っています。

パウロはこの恵みをコリント人への手紙第一、15章57節で次のように言っています。

「神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」

作者もこの勝利の歌を“とこしなえに 主とともならん 知らるる如くわれも知りて”と歌って終わっています。「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。

今、私たちは一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」(Ⅰコリント13:12)。

私たちも、その時を待ち望んで、そのための心の準備を今からいたしましょう。

 

さんびか物語 ・・・45・・・

    (広く愛唱されている50曲) ・・・44・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美445番

 御神とともに

<神様のみ言葉>

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである」。

~ヨシュア記1章9節~

この讃美歌445番“御神とともに”は活気に満ちた歌で、特に青年たちの間で広く歌われているものの一つであります。しかし、この歌詞の主題は“強くあれ”とありますように、年齢に関係なく歳を重ねたすべてのクリスチャンのための讃美歌としても味わっていただきたいと思っています。

 

作詞者モルトビー・D・バブコックは、1858年8月3日にニューヨーク州のシラキュースで生まれました。彼は多くの才能の持ち主で信仰、音楽、勉学、詩人、競技者とどれをとっても秀でた学生でした。シラキュース大学を卒業してからニューヨークのオーバーン神学校で学びましたが、どちらの大学でも彼は学問の上でも、運動に対しても、また、オルガン、ピアノ、バイオリンのソロリストとしても、あるいは グリークラブの活動にも活躍しました。

それとともに、彼は自分の才能を誇るような人物ではなく、本当に信仰に立つ魅力のある人格の持ち主でした。

神学校を卒業した彼は、長老派教会の牧師として按手礼を受けて牧師となり、まずオンタリオ湖畔の近くにあったロックポートの教会で奉仕いたしました。その後、ボルティモアの有名なブラウン・メモリアル教会に招かれて、そこで特にジョウンズ・ホプキンス大学の学生のために14年間、素晴らしい牧会を続けました。

1899年にはニューヨークの有名なブリック・プレスビテリアン教会でも大きな働きを期待されていたのですが、あいにくのことに、そこでは18ケ月の間の牧会で終わってしまいました。それは、1901年にバブコック夫妻はパレスチナ旅行に出かけましたが、その帰りにイタリアのナポリで43歳の若さで急死してしまったからです。

彼の有名な二つの讃美歌は、どちらも1954年版の讃美歌に収められていまして、この445番の他に讃美歌90番の“ここもかみのみくになれば”であります。

 

讃美歌445番の曲はTAUNTONですが、この曲について、また作曲者のH・J・デイについては何一つわかっておりません。本当に残念に思います。それはともかくとして、このバブコックの歌詞とデイの曲とは本当によく合っていて、元気で活気に満ちた素晴らしい讃美歌と言えます。

私たちも、この歌を元気よく歌いたいと思います。そうして、原作と日本語訳とを比較しながら、そのことばを学んでまいりましょう。

<445>

  1 御神とともにすすめ 死もなやみもおそれず

    ただ御業をはげみて ゆけや、ゆけ。

1節ですが、この讃美歌に共通していることですが、原作で一番目立つBe

Strog(強くあれ)という日本語の“ゆけや、ゆけ”とのコントラストであります。私はやはり原作の“強くあれ、雄々しくあれ”の方が聖書的であり非常に力のあるもので、どちらかと言えば、“ゆけや、ゆけ”は信仰者の雄々しさから少しばかりかけ離れた弱々しさが感じられるように思います。また、原作ではこの讃美歌のいずれの節でもBe Strongという言葉で始まっているが、日本語訳では、いずれの場合も“ゆけや、ゆけ”が結びの言葉にもちいられていることであります。

いかがでしょうか。“強くあれ”という言葉の励ましのお言葉が最初に出てくる場合と、“ゆけや、ゆけ”との場合では讃美歌全体の様子が大きく変わってきましたが、私は“強くあれ”という言葉が訳の上でもう少し有意義に用いられたらと思っています。それは、この讃美歌全体に大きな影響を及ぼすからであります。

この讃美歌の背景にあるのは、神様がヨシュアに語られたお言葉であります。この神様のみ声は、ヨシュアばかりでなくイスラエルの民にとっても大きな励ましになったばかりでなく、警告の言葉でもあります。

長い間、彼らを指導してきたモーセが死んで、彼らは途方にくれていた時に、神様は「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである」(ヨシュア1:5~8)と言われました。

 作詞者のバブコックも、この“強くあれ”という言葉を通して私たちに、「この都の中に置かれている目的は遊ぶためでも、夢を見るためでも、漂うためでもありません。一生懸命に働いて、重荷を負うのは私たちのなすべきことです。戦いを逃れようとせず、それに立ち向かいなさい。それは神様よりの賜物です」と原作で力強く歌っています。

もちろん、ここで作者が言うことは、決して遊んではならないということではなく、いつも、まず第一にすべきことをするという意味であると思います。

主イエス・キリストのみ言葉にもありますように「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)ということであります。私たちの本当の目的、唯一の目的は「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと」とあります(ウエストミンスター小教理問答書・問1の答)。

この第一になすべきことを“勇気をもって雄々しく”なしてまいりましょう。

 

 2 むなしきものによらず ちからの御手にたより

   まことの道をふみて ゆけや、ゆけ。

2節ですが、原作では「強くあれ、今の時代は悪の時代であると言ってはなりません。それはだれの責任でしょうか。あなたは、ただ手を組んで、おとなしく悪に同意するのですか。それは恥です。神のみ名によって立ち上がり、遠慮なく、また勇気をもって、その悪に敵対しなさい」と歌っています。何と素晴しいことでしょう。

私たちは、特に悪魔に試みられた時のイエス様が、荒野でサタンに対してどのようにして退けられたかを覚えなければなりません。イエス様はみ言葉をもって悪魔の誘惑を退け、退散させました。

私たちも、神のすべての武具を身に着けなければなりません。真理の帯、正義の胸当て、信仰の大盾、救いのかぶと、御霊の剣、神のことば、祈り、忍耐であります(エペソ6:11~18)。

この神様の武具を身に着けて雄々しく進みましょう。

 

 3 あだのいきおいつよく たたかいははげしくとも

   勝利(かち)は汝が手にあれば ゆけや、ゆけ。

原作の3節では「強くあれ、あなたに敵対しているその悪は、どんなに強いものであり、ひどいものであったとしても、それに負けてはならない。悪との戦いは、どんなに激しくとも、どんなに長く続いたとしても、臆病になったり疲れ果てたりしてはならない。戦いを続けよ。あしたには勝利の歌を歌えるからです」とあります。

この信仰こそ、勝利者の歌でありましょう。日本語訳では“たたかいははげしくとも勝利は汝が手にある”と美しく歌っています。この勝利は単なる希望ではありません。主イエス・キリストの十字架のみ旗をかざして進む主の民には、確実な勝利であります。それは、主イエス・キリストこそ勝利者だからであります。ですから、この勝利の確かさこそがこの讃美歌の最も素晴らしいクライマックスなのであります。

主イエス・キリストは、すべての王、主であられます。そして、そのみ業への道を歩まれる時、「天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられた」(ルカ9:51)。エルサレムに待つのは十字架の死でした。それは、罪ののろいであり、恥でありました。しかし、それは、メシヤ(救い主)の栄光でもありました。そうして主イエス・キリストはみ顔をまっすぐに向けてのぼられたのであります。

この讃美歌445番は、私たちひとりひとりに、そのような勇気と決断を与えようとしていると思います。私たちも、主とともに顔を天のみ国に向けて雄々しく、勇気をもって歩む決心を、神様のみ前にいたしましょう。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、 雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでください。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(へブル12:1~2).

<90>

  3 ここもかみの みくになれば

    よこしま暫しは ときを待つとも、

    主のみむねの ややに成りて、

    あめつち遂には 一つとならん。

 

さんびか物語 ・・・44・・・

    (広く愛唱されている50曲) ・・・43・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美411番

 すべしらす神よ

<神様のみ言葉>

「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした」。

~使徒の働き26章22節~

 

新しい年を迎える者に素晴らしい力と希望を与える讃美歌の一つは、この“すべしらす神よ”であると言えます。

この讃美歌のストーリーは、新しい年を迎えようとしていた作詞者フィリップ・グッドリッジが、使徒パウロのアグリッパ王の前での大胆な弁明の箇所を読んで、大いに感動させられ、新年のために“神より得たる助けである”と言って讃美歌を書いたそうであります。

彼は、ある商人の20人の子供の末っ子で1702626日にロンドンで生まれました。彼のお母さんは、信仰の迫害のためにヨーロッパからイギリスへ亡命したルーテル教会の牧師の娘でして、信仰の熱心な婦人でした。残念なことにフィリップは、まだ若い時に両親を亡くしました。ヘッドフォドにいた公爵夫人が彼を国教会の神学校へ行くための援助を申し出ましたが、それを断りキプワスの非国教会の神学校を卒業してから同地の教会の牧師となり、素晴らしい働きをいたしました。

1729年ノースハンプトンに移り牧会のかたわら神学校を開き、その学長として22年の間に、彼のところに学びに来る200人以上の学生たちをイギリスやスコットランド、オランダの主に非国教会の牧師として送り出しました。彼は偉い学者でもありましたから多くの著書も出版しています。また、讃美歌も400以上も作詞しましたが、出版のためではなく、説教を強めるために自分の教会だけで歌われていたものでした。ですから、彼の死後の5年後の1755年までは出版されていませんでした。しかし、その一巻に出版された中のあるものは英語讃美歌の傑作中の傑作と言えるものでもあります。

1954年版の讃美歌にも彼の作品は5つありますが、どれも広く愛唱されているものばかりです。その中でも112番の“もろびとこぞりて”は特に有名であります。彼はもともと健康には余り恵まれていませんでしたので、一番活躍できる年齢の時に結核になりひどくなるばかりでした。それで友人たちがポルトガルのリスボンで静養し、気候に恵まれた地で回復を願い同地で過ごされましたが、結果は思わしくなく、1751年10月26日に49歳の若さでリスボンで召されました。

 

この讃美歌の曲LOUVANは、アメリカ人の作曲家ヴァージル・C・ティラーによるもので、“すべしらす神よ”の収められている讃美歌集が出版されたおおよそ70年後の1846年に書かれたものであります。

ティラーは、1817年4月2日にコネチカット州のバーカムステットで生まれました。彼は1620年メーフラワー号で新大陸に渡り、自治体の組織を宣言(Mayflower Covenant)したエルダ・W・ブリュースターの直系の子孫でもありました。

彼は幼少の時から音楽的天分の持ち主であったため、父親はその才能を伸ばしてやるために、大型の教会用パイプオルガンを自宅に備え付けたそうです。彼のオルガンの演奏法は技術をみがきながら、多くの作曲もしておりまして、当時の有名なトマス・ヘィスティングス(讃美歌260番や384番をご参照ください)やロウエル・メイスン(讃美歌62番や320番をご参照ください)の影響を受けて、音楽教育に興味を持ち、方々の学校で音楽を教えました。

さらにコネチカット州、ニューヨーク州の教会のオルガニストや合唱団の指揮者として、最後にはアイオア州のデモインの聖パウロ教会のオルガニストとして74歳の生涯を終わっておりまして、文字通りオルガンと共にの生涯と言えましょう。

ティラーは音楽の本を6巻ほど編纂し、アメリカ讃美歌の発展に貢献しております。曲LOUVANは、トマス・モーア(讃美歌399番をご参照ください)のために作曲されたもので、特に気品のある旋律として、アメリカではいろいろな歌詞に用いられ広く普及しています。

神様のお恵みとみ助けとお導きを願いつつ、この讃美歌を共に味わってみましょう。

 <411>

  1 すべしらす神よ ときわにみちびく

    み手のおおみわざ われらほめたたう。

1節で作詞者は、すべてを治め給い、すべてのことをご存じであられる神様のお導きとみ業をほめたたえています。昔、ダビデは、神様が全知全能であられることを深く知って、次のように歌っています。

「主よ、あなたはわが歩みをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません」(詩篇139:3~6)。

私たちが常に心していなければならないことは、神様のみ前で日々を送っているということ、行ないや言葉が本当に神様をほめたたえ、喜ばしめるものであるかを深く考えることであります。

 2 あたらしき年は 主の愛をしめす

   めぐみはたえせじ 年のおわるまで。

2節では、目を新しい年に向けてさせ“あたらしい年は 主の愛をしめす”ものであると歌っています。主の愛と恵みがなければ、新しいスタートはありえのであります。その真理を、ペテロの手紙第2・3章9~10節が示しています。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きを立てて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」。

罪人なる者には明白でないのですが、神様の忍耐を本当に知って、悔い改めて、審きの日、滅びの日の来ないうちに、神様に立ち帰ることこそ2節の中心的メッセージであると思います。

 3 いえにもたびにも よるひるわかたず

   みめぐみをうけて この年をすごさん。

 4 われらのゆくさき さだかに見えねど

   みちびくひかりに 身を委ねまつらん。

 5 禍幸(まがさち) よしあし ゆきかうなかにも

   われらのよろこび やすきは主にあり。

この讃美歌の後半の3節から5節では、神様に対する絶対的信頼を告白し一日一日を神様に全く委ねまつる信仰者の姿を歌い上げています。特に4節で“われらのゆくさき さだかに見えねど みちびくひかりに 身を委ねまつらん”と実に美しく歌っています。また、3節から5節では、いろいろの言葉の対照をもって、神様の私たちへの愛を示し、共にその愛に答えて信仰を、より一層確かなものになさしめようとしてもいます。

たとえば、“家にも旅にも”“夜昼”“見えねど光”“禍幸(まがさち)”“ゆきかう”などで、どのような状態に置かれても、どのような悩みや失望に襲われ陥っても、神様に身を委ねる信仰者は、気落ちすることなく神様を信頼し神様の導き給うことに確信をもって、従いゆくことを喜びをもって歌っています。

読者の皆様、あなたの喜び、また、あなたの心のやすらぎは、ただ主にのみあるということを心にとめて、主イエス・キリストの十字架に目を留め永遠のみ国を目指す今日であり、明日でありますようにおすすめいたします。

 

 

 

さんびか物語・・・43・・・ 

    (広く愛唱されている50曲)・・・42・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美405番

 神ともにまして

<神様のみ言葉>

「主はご自身の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける」。

~詩篇91編4節~

 

世界中の多くの人々に愛唱されている送別の歌を考えてみましょう。それは、送別の歌であると共に、私たちの人生の歌でもあります。

讃美歌405番の作詞者ジェレマイア・E・ランキンは、1828年アメリカのニューハンプシャー州に生まれ、ミドルベリ・カレッジとアンドヴァー神学校で学び、後にこの地方各地の主だった組合教会の教職として活躍していましたが、その後、首都ワシントンの第一組合教会の牧師となり、多くの人々に福音を宣べ伝えていました。その間、詩や散文を書くと共に何巻かの讃美歌集も編集していました。

“神ともにまして”の讃美歌はランキンが第一組合教会の伝道集会のために1882年に書いたものであります。

この歌は、誰かから頼まれたとか、他の事情に促されて書いたのでもありません。ランキンにとってはGoodbyeの言葉に興味を持ち、この言葉の語源が“

God be with you”(神があなたと共にいましたもうように)であることに、深い考えを持ち、これをヒントに讃美歌を書くことを思いたって、丹念に作ったものである、と作者自身が語っています。

これが、ワシントンの教会で歌われ、後にGospel Bellsに収められて、一般に紹介されました。その後、この送別の讃美歌は広く全世界で愛唱されるようになったのであります。

405番の曲RANKINの方も、同じように広く知られ歌われています。

作曲は、ウイリアム・G・トウマ(1833~1896)で、南北戦争の時の士官でありましたが、その後、学校教師および新聞記者となりました。1882年ランキン博士が讃美歌の1節を書いたとき、その歌詞を二人の作曲者に送り作曲を依頼しました。その一人は、有名な作曲家で、いま一人が素人作曲者トウマでした。二人の作品が送られてきたとき、ランキン博士は無名の作曲家トウマの曲を採用し、更に、自分の教会の有名なオルガニストであったJ・W・ビショッフに意見を求めました。ビショッフが、その曲に少し手を加えて完成したのが、賛美歌405番であります。

トウマは、他にも幾つかの作品を残しましたが、それはほとんど顧みられず、このRANKINという曲だけが、ランキンの名歌と共に、愛唱されるようになったのです。ランキンも、“神ともにまして”の言葉と曲とが余りにもぴったりしているので、この曲のおかげで、この讃美歌は、素晴らしい人気であった、と語っています。

では、讃美歌405番の1節と、折り返しに目を向けましょう。

<405>                                                   1 かみともにまして ゆく道をまもり、

    あめの御糧もて ちからをあたえませ。

    (おりかえし)

    また会う日まで、 また会う日まで、

    かみのまもり 汝が身を離れざれ。

1節では、この讃美歌の中心の言葉をもってはじまります。“神ともにまし

てゆく道をまもり”とは、何と素晴らしい言葉でしょう。愛する友に贈る言葉でこれほどの深い心のこもった言葉があるでしょうか。“また会う日まで、神様がいつもあなたと共にいましたもうように”とも歌っています。

私たちは、なぜこの言葉に心が打たれるのでしょうか。それは、私たち一人

ひとりはみんな弱い者だからであります。人生の道を歩む時、誰一人として、一寸先を見ることなど出来ません。明日はどのように成り、何が起きるかなど少しも分かりません。このような私たちに、神様が共にいたもうならと考えます時、それは素晴らしいことであります。神様が共にいたまい、信仰を持って行くべき道を歩む時、そこには安心と希望が共にあります。それは、神様に守られているがゆえに、全てを神様に委ねまつることが出来るからであります。そればかりではありません。神様は、信じる者には豊かな心の糧をお与え下さり、力も与えられるからであります。

旧約聖書の出エジプト記16章以下に記されていますように、神様は天から

マナを降らせ、40年の間イスラエル人を養ってくださいました。このイスラエル人と同じように神様を求める人にも、その必要に応じて神様は豊かに恵みをお与えくださいます。

  2 荒野をゆくときも あらし吹く時も、

   ゆくてをしめして、 たえずみちびきませ。

2節には、私たちすべての者が、人生の旅路で経験する、悩みと苦しみなど

について、歌っています。その歩みは、荒野を行く時もあり、嵐の吹く時

あり、また、まったくの行き詰まりの時もあります。このような時にこそ私たちは、まことの救い主を尋ね求めるべきであります。暗黒と絶望の淵にある私たちに、その行く手をしめしてくださり、導いてくださるお方こそ主イエス・キリストであります。私たちばかりでなく、全人類の罪を贖うために、悩みと十字架の道を歩まれたお方こそ、主イエス・キリストでありました。またキリストは、私たちの全て悩みと苦しみを知り、それを共に背負ってくださるお方でもあります。このいつくしみ深きキリストと共に人生の旅路を歩む者は、本当に幸いな者であります。

   3 御門に入る日まで、 いつくしみひろき、

     みつばさのかげに たえずはぐくみませ。

 3節では、旧約聖書の美しい言葉をもって、神様の計り知ることの出来ない愛を歌っています。それは、初めにも記しました詩篇91編であります。“主は、ご自分の羽であなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける”と詩人は歌っています。

 親鳥が、その大きな翼を広げて、ひな鳥をいつくしみ、全ての害から守る様に神様はその広きみ翼をもって、神様を愛する者の上を覆われ、たえず私たちを育んでくださるのであります。

 また3節で作者は、天国のことをも歌っています。すべて者に終わりがあるように、私たちの人生にも、”限り”があります。これほど確かなことはありません。大切なことは、この旅路の終着点です。それは、私たちが永遠のみ国、天国に行き着くか否か、ということであります。これは、特に重大な問題であります。この世で永遠のみ国に導いてくださるお方が、いるでしょうか。そのような資格のある方はいるでしょうか。その答えは、“いません”です。では、救い主、導き手はいないのでしょうか。いらっしゃいます。

 神様は、私たちに主イエス・キリストをお与えくださいました。この神の独り子なるキリストが、私たちの頼るべき、導き手、救い主なるお方であります。キリストは、天の門を、私たちのために、お開きになる目的をもって、この世に下りたまい、十字架の上で罪の贖いとなられ、死なれ、甦り、再び天にお昇りになられた唯一の救い主であります。

 この救い主なるキリストのみが、あなたの天国への正しい導き手であられます。愛する友と別れる時、私たちもランキンのように“また会う日まで、神様がたえずあなたを、お守りになるように”と祈りたいものであります。あなたの友と再び天国で会える日を楽しみに、信仰生活を続けましょう。また、キリストへの信仰のない友や、肉親のために祈り、喜んでキリストを受け入れるように、あなたも励んでください。

 

さんびか物語・・・42・・・ 

    (広く愛唱されている50曲)・・・41・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美404番

 山路こえて

<神様のみ言葉>

「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」。「主よ。あなたの道を私に教えてください」。「私をとこしえの道に導いてください」。

~箴言14章12節、詩篇27編11節、139編24節~

 

讃美歌404番の“山路こえて”は、日本の教会で明治時代からもっとも広く愛唱されてきた讃美歌の一つと言えましょう。その理由にはいろいろありましょうが、その一つは、西村清雄によるこの讃美歌の素晴らしい歌詞にあります。

また、曲のGOLDEN HILLは、日本的な讃美歌のメロディで、作詞者の言葉にぴったり合うために愛唱されているのでしょう。とにかく、この讃美歌は、日本のクリスチャンは心から歌えるものの一つであると言えましょう。残念なことですが福音唱歌以前のアメリカ讃美歌初期の曲であったこのGOLDEN HILLについては、あまり詳しいことはわかっていません。

GOLDEN HILLの作曲者エアラン・チャピンは、1768年生まれのアメリカ人です。彼はこの曲を1805年に作曲したそうです、詳しいことはわかっていません。しばらくの間、この曲はよくアメリカのゴスペルソングとして用いられていたようですが、今ではアメリカの主な讃美歌集には見出すことは出来なくなりました。

1954年版の讃美歌には、このメロディは、404番のほかに478番の“海ゆくとも、山ゆくとも”にもこのGOLDEN HILLが用いられています。

作詞者西村清雄は、1871年(明治4年)に松山に生まれ。青年の頃キリスト教を信じるようになりました。彼はしばらく京都の同志社に入学しましたが、間もなく退学して松山市に帰って来ました。たまたま宣教師ジャドソン女史が松山夜間学校(現在の松山城南高等学校)を創立しましたので、彼女の招きを受けて同校の校長に就任し、その後、62年間一生懸命に勤労青年の教育と前進に全力を注いだのであります。

1953年(昭和28年)に老齢になられたために引退し、1964年(昭和37年)12月25日、93歳で召天されました。この歌は、1903年(明治36年)に作られたもので、西村が宇和島教会の伝道の応援を終えて、夜、松山に帰る途中、一人淋しい暗い山路を歩いていた時に、心に浮かんできた歌でありました。

 <404>  

  1 山路こえて  ひとりゆけど、

    主の手にすがれる 身はやすけし。

  2 松のあらし  谷のながれ

    みつかいの歌も かくやありなん。

  3 峯の雪と   こころきよく、

    雲なきみ空と むねは澄みぬ。

  4 みちけわしく ゆくてとおし、

    こころざすかたに いつか着くらん。

  5 されども主よ われいのらじ、

    旅路のおわりの ちかれとは。

  6 日もくれなば 石のまくら、

    かりねの夢にも み国しのばん。

この実に美しい歌詞を読んで心に訴えられるのは、その背景にある自然の美しさであります。

作者が越えようとしている険しい山路、傍らの緑こき松の梢、谷を流れる清流や山の峯をおおう真っ白い雪、あくまでも青く澄み渡る夜空と美しい冬の夕暮れという自然界の美に心打たれ、味わいますなら、作者ならずとも、天と地とを創造なし給うた、唯一の偉大な創造者なる神様を崇め拝さずにはおれないことでしょう。

昔、ダビデ王は「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇19:1)と歌いましたが、私たちもこの讃美歌を歌いながら、神様のみ手のわざを覚えたいと思います。

また、この讃美歌を一つのたとえとして味わってもよいと思います。それは、この山路を私たち一人一人の人生の道とすることが出来るからであります。私たちはみな、この険しく暗い人生を歩まなければならない者であります。途中で出会う嵐、越えなければならない流れ・・・。これらは、私たちに襲ってくる試み、悩み、病気でありましょう。また、日が暮れると真っ暗になります。人生にもこのような希望のない暗闇の時もあります。しかし、このような時にこそ、神様の大いなる導きと限りない愛を、己が手にいただくことが出来る時でもあります。

1節では“山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし”と歌っていますが、この1節の中心は言うまでもなく“主の手にすがれる”というところにあります。キリスト者は主のみ手にすがって、み手にひかれつつ、この世、人生を歩み過ごしている者であります。このことは讃美歌294番の3節でも歌われています。“けわしき山路も、おぐらき谷間も、主の手にすがりてやすけく過ぎまし”とあります。

主が共にいまし給うが故に、神様を信じ信頼する人々にとりまして、この世のどのような人生の嵐にも、暗く険しい道やどのような誘惑にも、失望にも打ち勝つ力が与えられているのであります。

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:20)と主イエス・キリストがお与えくださったお約束を覚えて、雄々しくこの世を歩み旅する者にあなたもなってください。

また私たちの人生の旅路には、目的地のあることを忘れてはなりません。主イエス・キリストが仰せになりましたように、私たちは各自が自分の旅路の終わりの目的地を選ばなければなりません。

滅びに至る広い道を選ぶ者は、永遠の死に定められています。その逆に、いのちに至る狭い道を選ぶ者は、永遠に神とともに住む喜びが約束されています(マタイ7:13~14)。、5節で自分の神様への揺るがぬ信仰を力強く表現しています。すなわち、道が険しくても、行く手が遠くても、目的地にはいつかかならず着くことを信じ、また、祈りをもって旅路の終わりを主なる神様にお任せいたしますと歌っています。

“みちけわしく ゆくてとおし。こころざすかたに いつか着くらん。されども主よわれ祈らじ、旅路のおわりの近かれとは。最後の、日も暮れなば 石のまくら、かりねの夢にも み国しのばん”は、創世記の28章10節以下に記されているヤコブのベテル(神の家)での夢が背景になっています。

「ヤコブはベェルバをたってカランへと旅立った。ある所に着いたとき、ちょうど日は沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向かって立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。『わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。・・・・わたしはあなたがたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守りあなたをこの地に連れ戻そう』」(創世記28:10~15)。

ちょうどヤコブと同じように、作者西村は暗い山路で、神様が彼と共におられ、彼を旅路の目的地まで守ってくださることを知らされて、きっと歌わざるを得なかったのでしょう。

あなたもそして主にある方々も、いつも神様を覚え、神様が共にいまし給うことを心に知って、神様よりの守りと祝福が頂けるように、日々、信仰ある生活を送って頂きたいと願うものであります。

 

さんびか物語・・・41・・・ 

    (広く愛唱されている50曲)・・・40・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美403番

 かみによりて

<神様のみ言葉>

「そして人々に言われた。『どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです』」。 

~ルカの福音書12章15節~

 

神様にあるキリスト者の交わりを、非常に美しく歌っている讃美歌の一つは、この403番“かみによりて”と言えます。

この讃美歌の原作者はジョン・フォーセット(1740~1817)ですが、この讃美歌は自分がある素晴らしい経験をしたことを記念するために、また、長く覚えておくために書いたものであります。

その出来事とは、次のことであります。

時は1772年です。場所はイギリスのヨークシャーで、ジョン・フォーセットと妻のメアリーは、7年の間、ウェインズゲートの村にあったヘブデン・ブリッジのバプテスト教会で非常に貧しい、しかも少数の会員でしたが献身的な牧会を続けていました。

ところが、彼はロンドンにある有名な教会に招かれ、そこで説教をした結果、是非、その大きな教会へ来てもらいたいと言うと招聘がありました。4人の子供を育てなければならないフォーセット夫妻は、ロンドンに移ることを神様のみ旨と信じて、ジョンは別れの説教を済ませました。その2、3日後、彼らが世帯道具を荷台に積んでいるところに、教会員のみなさんがやって来て、涙を流しながら愛する牧師家族を見送ろうとしました。メアリーはこの教会員の愛に“わたしはこの教会の方々と別れるのは、とてもできない”と言ったところ、ジョンも“わたしも同感です”と言って再び世帯道具を下ろしてしまいました。そうして、この夫妻は54年の長い間、経済的には貧しいものでしたが霊的には非常に恵まれた牧会の歩みをいたしました。その後、フォーセットはイギリス中でも知られた牧師、また作詞家、詩人として大きな影響を及ぼしました。

フォーセットはウェインズゲートに残ることを決めたあくる日曜日には、冒頭の聖句の「人のいのちは財産にあるのではない」というところをテキストにして説教しました。そうして、彼の習慣に従って説教後、前の晩に書いたこの讃美歌Blest be the tie that binds(われらの心を結ぶ絆はどんなに尊いことでしょう)を会員に教えて、ともに初めて歌ったのであります。

フォーセットはこのように毎週説教に伴う新しい讃美歌を書いたのであります。本当に素晴らしい才能と牧者としての熱心さでありましょう。

ジョン・フォーセットは幼い時から非常に苦労しなければならない状態に置かれていました。彼は11歳の時に父を亡くし、13歳で故郷のヨークシャーにある仕立て屋の見習いに出されまして、朝は6時から夜の8時まで働かなければなりませんでした。

その時期に有名な伝道者ジョージ・ホイットフィルドの説教によって信仰に導かれて、牧師になる決心をしました。独学で彼は、その後ブラットフィルドのバプテスト教会の会員となり、その教会の牧師の勧めによって、1763年に周りのバプテスト教会で説教するようになりました。そして、1765年にウェインズゲート教会の牧師に任命されました。その教会では1816年まで牧会を続けましたが、2月に脳卒中で倒れ、翌年の7月25日に召されました。

彼は多くの宗教書を発表しましたが、他に1782年には、166曲も収めた讃美歌集を出版しています。この讃美歌集にこのBlest be the tie that bindsが初めて発表されました。1954年版の讃美歌には彼の作品として“みかみよ、めぐみを”(64番)があります。

讃美歌403番の曲DENNISですが、これは1845年にロウエル・メイスンによって編曲されたものです。記録がありませんから、フォーセットの時代に歌われていた曲が、どのようなものであったか分かりませんが、1832年にロウエル・メイスンが、BOLYSTONという曲をフォーセットの作詞に合わせてThe Choirという本に発表しました。また、さらに13年後にメイスンがDENNISという編曲を作りました。

原作者はハンス・ヨーハン・G・ネーゲリというスイス人でした。ネーゲリはチューリッヒで楽譜出版業を営みながら音楽教師をし作曲もする精力家でした。

ロウエル・メイスンは、ヨーロッパにいた間、DENNISの原作の写本をネーゲリから買い、アメリカに戻ってから、これをフイリップ・ダッドリッチの歌“かみにたよりて”(84番)のために編曲したものです(1954年版の84番の曲ではありません)。

そうして、後になってメイスンがこの編曲DENNISBlest be the tie that bindsの曲として発表しました。アメリカの讃美歌集では、両方の曲が用いられていますが、どちらかと申しますとDENNISの方が広く使われているようであります。

<403>

  1 かみによりて いつくしめる

    こころの交わり いともたのし。

この讃美歌は原作では6節からなっているのですが、残念なことに多くのアメリカの讃美歌集では、これを、3節か4節に短くして用い、最後の2節を省略しています。日本語訳の場合は5節ですが、省略されているのは原作の5節であります。

原作の1節と日本語訳を比べますと少し違いがあります。それは「キリストの愛によって、私たちの心が結ばれるその絆は、まことに祝福されています。同じ信仰を持っている人々の交わりは、天にある交わりのようなものであります」と原作では歌われています。ですから、日本語訳よりも具体的で意味がはっきりしているように思います。

  2 ちちのまえに せつに祈らん

    望みも恐れも ともにおなじ。

2節で歌われていますのは、父なる神様のみ前に心から祈る私たちは、「あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられる、父なる神」(マタイ6:8)に悩みも、恐れも、慰めも、重荷についても、そうして、救いも希望もすべての源であられる神様に切に祈り求めるようにすすめています。それは、神様にこそ本当に解決と望みがあるからにほかなりません。

  3 ともにしのぶ うきなやみも

    ゆたけき恵みに やがて消えなん。

3節では、ガラテヤ人への手紙6章2節とローマ人への手紙12章15~16節のみ言葉が背景にあると思います。そこには「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」(ガラテヤ6:2)、また「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心になりなさい」(ローマ12:15)とあります。

お互いの悩みを分かち合い、重荷を負い合うのはクリスチャンの義務でもあり、光栄ある責任でもあります。喜ぶ者とともに喜ぶのは別に難しいことでもないですが、泣く者とともにその重荷を負うことは、なかなか出来ることではありません。しかし、クリスチャンは神様の私たちへの愛を知っているが故に、神様を愛する者でありますから、兄弟を愛し重荷を負うための愛の心を神様に求める者であります。そして、その愛の心を得ている者ですから、この大きな役目を果たしてまいりましょう。

原作にありますように、キリストにある友のために、同情の涙を流すことの出来る者なのです。どうぞヨハネの手紙第一、3章以下を是非お読みください。

 4 わかるるとき かなしけれど

   ふたたび相見る さちやいかに。

4節では、別れる時は悲しいけれども、主イエス・キリストにつらなっているなら、主にあって、心と思いは今も結ばれていて、別れは場所的なことに過ぎないことである。また再び相見るその日を喜びと希望をもって待ち望むことが出来る、と歌っています。

日本語訳にはない原作の5節では、作者は次のように歌っています。

「愛する友人たちを、再び相みることの素晴らしい希望が、私たちに勇気を与え、その日を期待して待ち望みながら、私たちは人生の旅を続けるのであります」と。なんと素晴らしい信仰でしょう。

 5 つみとうれい なきみくにの

   つきせぬ睦びを よろこび待たん。

これは、原作の6節にあたりますが、ここでは、罪、うれい、悩み、苦しみのないみ国について歌っています。

日本語訳では“み国のつきせぬ睦び”を待ち望んでいるというようになっていますが、英文の方では“完全な愛と完全な友情が永遠に続くみ国である”となっていますが、同じような意味を表現していると思います。

ヨハネの黙示録21章3~4節には「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死のなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」と記されています。

この神様にある交わりと喜びを、心から待ち望む歩みでありたいものです。同時に、主にある兄弟姉妹の信仰の交わりをも大切に育ててまいりましょう。

 

 

 

さんびか物語・・・40・・・ 

    (広く愛唱されている50曲)・・・39・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

 

讃美歌399番

 なやむものよ とく立ちて

 

<神様のみ言葉>

「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるためです」。 

~ヨハネの福音書14章16節~

この讃美歌は、試練の中にあっても神様を仰ぎ見、神様が招いておられることを信じて、神様のみもとに立ちかえることの喜びを歌っているものであります。

讃美歌399番の作詞者トーマス・モーアはアイルランドの詩人で1779年5月28日にダブリンで生まれ、同市のトリニティ・カレッジで教育を受けました。1799年にはロンドンに行って法律を学びました。

1804年バーミューダの裁判所の書記係になりましたが、彼の興味と目的はむしろ文学方面にありましたので、その職務を代理人に任せてイギリスに戻りました。そうして、彼がなくなる1852年までの間に、多くの詩歌と散文とを発表し、それらの中には世界中でしられているThe Last Rose of SummerとかBelieve Me,if all Those Endearing Young Chsrmsなどの曲が含まれていました。

彼は有名な民謡や詩歌の他に、32編の讃美歌を作り、それらを1816年にSacred Songs(1816年)にまとめて出版しました。この歌はその中の一編で、彼の讃美歌としてはもっとも広く歌われ、知られているものの一つです。

原作の第3節はヘイステングスとメイースンのSpiritual Songs(1831年)に編入された時トーマス・ヘイステングスによって取り代えられたものでモーア自身の作ではありません。そうして、ヘイステングスの作の方が原作よりも聖書的であり、伝道的であります。

しかし、原作の第1節から用いられていますその美しい折り返しの部分は、モーアの独特なもので、彼の作った文学的讃美歌の素晴らしいものの一つであります。

讃美歌の作曲者はサミュエル・ウェブですが、讃美歌22番をご参照ください。

この曲CONSOLATORは、ウェブが1792年に出版したCoLLection of Motettsに初めて発表し、その後この曲はトーマス・モーアの作品”悩むものよ“(399番)の曲として、独唱および2重唱の形でトーマス・ヘイステングスおよびロウエス・メイスンのSpiritual Songs(1831年)に発表されました。

日本では、昭和6年版の讃美歌に採録されてから、広く一般に普及しました。

<399>

 1 なやむものよ、 とく立ちて

   めぐみの座にきたれや。

   天のちからにいやしえぬ

   かなしみは地にあらじ。

1節で作者は、この讃美歌の実に意義深い感情に満ちたテーマを紹介くださいました。すなわち、“天の力にいやし得ぬ悲しみは地にあらじ”と歌っています。生けるまことの神様は、全知全能の神様であられます。ですから、私たちの全ての悩みや悲しみを知っておられます。また、ただ知っておられるだけでなく、その悩みの苦しみを癒してくださるみ力をも持っておられるお方であられます。

ダビデ王も「主は私の羊飼い。・・・私はわざわいを恐れません。あなた(主)が私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが、私の慰めです」(詩篇23:1、4)と歌っています。またイエス様は「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」と山上の垂訓でお教えになられました(マタイ5:4)。

悩みの中にある人は、自分の悩みの中に閉じこもり沈んでしまうのではなく、いち早くその悩みを解決してくださる神様の恵みのみ座に行くことですと歌っています。

では、恵みのみ座は何を意味するのでしょうか。これは、旧約聖書に記されています「贖罪所」のことであり、神様はこのところでイスラエル人の指導者であったモーセと会見なされ、彼らに、神様に従うための命令をことごとく語られたところです(出エジプト25:22)。

この恵みのみ座について作詞者ヒユー・ストウェルも讃美歌315番で非常に美しく歌っていますので、どうぞご参考になさってください。

 

<315>

1 うき世のあらなみ のがれてやすらう

   しずけきみなとは めぐみのみ座なり。

 2 いともかぐわしき よろこびのあぶら

   かしらに受けまし めぐみのみざにて。

 3 住家をへだつる  主にある御民も

   ともにこそあわめ めぐみのみざにて。

 4 せつなるいのりに 天(あめ)戸ひらけて、

   かがやくみさかえ 御座のうえに見ゆ。

悩める者は、神様のいまし給う恵みのみ座に祈りをもって近づきます時に、慰められいやされるのであります。

 2 さちなき身のなぐさめや

   くやめる身ののぞみや。

   天のちからにいやしえぬ

   かなしみは地にあらじ。

2節では、慰め主なる主イエス・キリストにある、偉大な特徴について歌っています。日本語訳では、それが“さちなき身のなぐさめ”と“くやめる身ののぞみ”の二つの言葉に示されています。原文の方では、その他に、”キリストは悩める者に喜びあり、迷っている者の光である“と歌っています。

キリストは実に喜びのない者の慰め、希望なき者のまことの望みであります。ここで知らなければならないことは、自分の心の乏しい状態ではないでしょうか。本当の喜びを知りたいと思いますなら、キリストに立ち帰らなければなりません。本当に慰めを頂きたいと願いますなら、神と人の前に犯した己が罪を心から悔いて、キリストにより頼む他にありません。

 3 見よ、いのちのましみずの

   み座より湧きいずるを。

   天のちからにいやしえぬ

   かなしみは地にあらじ。

3節での“いのちのましみずの、み座より湧きいずる”はヨハネの黙示録22章1、2節を背景にして書かれたものでしょう。

そこには「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と子羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、12種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした」と記されています。

私たちは、この“いのちのましみずの、み座より湧きいずるを”“見よ”と言う作詞者の呼びかけに、耳を傾けなければなりません。そのためには、神様のみ言葉である聖書を通して、神様の恵みをいただき、恵みのみ座まで引き上げられて、パラダイスにあるいのちのましみずを飲むことに励みたいものです。

その聖く汚れのない水の源は、神と子羊のみ座です。つまり、私たちの全ての祝福と恵みは、父なく神と救い主なるキリストから流れ出てくるものであります。この事実を決して忘れてはなりません。

同時に川の両岸にあるいのちの木から実を食べることもできます。それも、エデンの園の木の実のようにではなく、この木は、永遠のいのちの実を実らすものです。また、その葉は諸国の民をいやし、いこわすものでもあります。

罪の公害のために悩まされている私たちにとりまして、この聖い水と木の実は、どんなにありがたく大切でしょうか。どうぞ、神様のお選びになられる民としてあなたも、いち早くその恵みのみ座に立ち帰ってくださいますように、おすすめいたします。
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東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

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