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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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   今月のことば
   『聞く耳』
 「神からきた者は神の言葉を聞く」(ヨハネ8:47)7fb0e027.jpg
 
 神の言葉を聞くということには、特別な事柄があります。この世の様々な事柄を聞く場合には、耳を持つ者はみな、その耳が健全である限り、聞くことはできます。しかし、神の言葉を聞く場合には、事情は別です。私たちが申し分のない耳を持っていることとは無関係なのです。いろいろの雑音が邪魔をして、神の言葉を聞くのに妨げになることも多々あります。
 
イエス様は「耳のある者は・・・」と言うだけでなく、「聞く耳のある者は聞くがよい」と付け加えています。同時に、「神から来た者」だけが神の言葉を聞くことができるともお語りになっています。
 これは、神の国では、生来の人間のままではなく、第二の誕生と呼んでもよい「霊による誕生」という決定的事実が必要になります。私たちには物を見るための目があり、その器官の働きによって見ることが可能になりますが、神の国で見るためには、私たちの目は「神から来た」目でなければならないのです。すなわち、「霊から生まれた」目でなければならないのです。
 
 「世から来た」者が、神の言葉を聞き、悟り、悔い改め、神の恵みに与るためには、神のみ霊によって変えられなければならないのです。それを可能にするのは、私たちの努力・精進ではありません。神に愛され、神を愛する信仰のみなのです。私たちは、よく信仰が弱いから・・・と言うのですが、信仰の強弱ではなく、神の愛が全てなのです。神の言葉を愛する日々でありたいものです。
     (花をいっぱいつけてくれたクジャクサボテン)
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   今月のことば
 
 「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。」(ヨハネ3:5)825484db.jpg
 
 このみ言葉は高齢のニコデモに語られた主イエスのお言葉です。人は、年齢・性別に関係なく、どのように生きるべきか、幸いとは何かを考えています。ニコデモの生涯も、この謎とも言うべきものを心に抱きながら、歩んできた人物です。おそらく、そのために努力を惜しまず、日々努めてきた人物でした。彼は、ユダヤ人の指導者です。その強い願いは「神の国に入るために、何が必要かを考え続けています。
 ニコデモはイエスに尋ねました。その答えが「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。」でした。イエスはニコデモに、「第二の誕生、新しい誕生、聖霊からの誕生だけが、新しい国に入れるのだ」、と語りかけました。これは、ニコデモだけに限ったことではありません。私たち一人一人に語りかける招きの言葉です。
 イエスを夜訪問したニコデモへのお言葉は、ニコデモに希望を与えたでしょうか?神の国に入るためにニコデモは、「ユダヤ人の指導者」という名誉ある称号を得るために努力に努力を重ねてきましたが、心の中には喜びと確信は得られなかったようです。もっともっと努力するために何が必要なのかをイエスに問うたのです。
 新しく生まれなければ・・・・、私たちが、真に求めなければならないものは、この「水と霊とから生まれる」第二の誕生なのです。
 すべての老人たち・悲しみ悩む人々、望みを探している若者たちが、生きる希望をどこに求めていますか。
 イエス・キリストを捜し求めること以外にありません。イエスのみが、ニコデモに示したように、私たちにも「真の道」を示してくださいます。
  
   今月のことば
 
主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、その怒りはやんで、わたしを慰められたからです。  イザヤ12・1
 
 わたしたちの神は、常に愛とあわれみの主であると考えることは、必ずしも良いとは言えません。わたしたちは、たやすく自分を危惧することを止め、神が焼き尽くさずにはおかぬ火であられることを忘れます。神は聖であって、怒られることを知る時、わたしたちは自分がどのようにあわれな、全く失われた者であるかを悟るのです。そして、神がわたしたちをお打ちにならなければ、わたしたちをおいやしにはなれないのです。主は傷つけ、またいやし、主は殺し、また生かしたもうものです。
 
 
 イエスの名を呼ぶこと
 
イエスの名を呼ぶこと
イエスの像を心に描くこと
イエスについて人に述べること
出来るかぎり人をゆるし人にやさしくし59ea8516.jpg
素直な瞳をもちつづけること
そういうことを趣味にしたい
結局いつもそこへ考えが落ちてゆくようにしたい
ものの尺度がそこへ落ちゆくようにしたい
イエスに近づくために
最後の一銭を支払うことが出来るようになりたい
 
 信仰詩集「貧しき信徒」 八木重吉
 
  
   今月のことば
 
  1f3e6d8d.jpg「望みをいだいて喜び……」
             (ローマ12:12)
 
 聖書が歓喜について語る場合、それは、私たちが歓喜と呼ぶ場合とは根本的に違っていることに気付きます。私たちの普通の喜びは、私たち自身の快適な状態に関っています。自分が悲惨な状態になると、私たちの喜びは、消えてしまいます。私たちは、自分が「ご機嫌」な時にだけ喜ぶのです。
 
しかし、キリスト者の喜びは、その根拠を、第一には、現在の幸福な状態に持ってはいないのです。それは本来、その最も深い本質からいって、「前喜び」、すなわち「希望」に基づく喜びなのです。将来の約束が、大きな光のように、なによりも暗闇を照らす光のように、信仰・教会の上に輝いているものです。ですから、キリスト者の喜びは、現在起こっていることについてではありません。むしろ「苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう」(詩篇34:2)という驚くべき言葉が記されているのです。 
 苦しむ者は、必ず来る助けを期待して喜ぶ、と言うのです。「未来への希望」を内に秘めている聖書の喜びは、苦しみに満ちた現在を支え、この世に勝利する神様からの強大な力のことです。パウロはそのような喜びを「望みをいだいて喜び」と語っています。 
 私たちキリスト者には使命があります。絶望した人々の中にあって、様々な出来事にあって暗く悲しみに沈んでいる人々や、時代にあって、「喜びの叫び」を上げなければなりません。福音に生きる者として、救われた者の喜びの叫びで、悲しむ人々の声を心して受け止める者に変えられたいものです。
 
 こんな美しい朝に
 
霧がしだいに晴れて来て
山々が姿現わす
こんなすばらしい朝に
主は主はよみがえられて
 
空高くひばり鳴き出し
露にぬれてすみれが咲く
こんな美しい朝に
主は主はよみがえられた
 
早起きの人が笑顔で
朝のあいさつかわしあう
こんなうるわしい朝に
主は主はよみがえられた
 
水野源三第二詩集「主にまかせよ汝が身を」
   今月のことば
 
  主のいのりはめぐる33af5caf.jpg
 
主のいのりはめぐる
天と地とにんげんとをつらぬきてめぐる
とつ如としてきたけれども
「天にいますわれらの父よ」とよぶこえは
あらゆるものの種子(たね)なり
この種子は神のまきたまえるはじめのたねなり
「ねがわくば み名をあがめさせたまえ」
種子は水と光とをえてふくらみてゆく
「みこころの天になるごとく 地にもならしめたまえ」
この芽をいださんとねがうこえなり
「われらの日用の糧を 今日もあたえたまえ」
その糧のほかにむさぼらぬこころ
かくて天よりはえいでし芽は地に一葉をしげりたり
「われらに負債(おいめ)あるものを ゆるすごとく
われらの負債をもゆるしたまえ」
かくて地は繁り繁りゆくをみよ
「われらをこころみにあわせず
悪よりすくいだしたまえ」
地の用をなしはてしいのりのこえは
かくて天にかえりゆくなり
ちちのみ名を呼ぶにさまたげあるもの
これのみすなわち悪なればなり
いのりの種子は天にまかれ
さかしまにはえて地にいたりてしげり
しげりしげりてよき実をむすび
またたねとなりて天にかえりゆくなり 
 
     信仰詩集「貧しき信徒」 八木重吉
 
   今月のことば
 
 「最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい」。f6ab5aa1.jpg
                  (エペソ6:10)
 
 私たちの内・外の悪に打ち勝つためには、強くなければなりません。私たちが強くなければ一敗を喫するか、あるいは、私たちの代わりに戦ってくれる、敵よりも強い者を頼まねばなりません。このみ言葉は、「主にあって強くなれ」と言われています。「主にあって」であって、私たちの内にある主によって、ではないことに注意しましょう。
 「主にあって」、ここに秘訣があります。神ご自身が、私たちの力になられるということです。一方、私たちの内に、神の力を持ってさえいれば、確かに私たちは強くなることが出来ます。しかし、ここで意味するものではありません。ここで描かれるものは、強い父の腕に安心している小さい、弱い幼子であります。力が幼子の中に移し入れられるのではありません。幼子を救うものは、父自身の内なる力であります。
 
 聖書の中にあるヨシャパテは、自分の戦いをするためではなく、彼に約束されたことを見るために、敵に立ち向かって行きました。ダニエルはライオンの穴にすわった時、普通人より強かったわけではありません。主が力でした。
 神の力が、私たちの内に入り、その力を信頼することによって、主の中に私たちの力を求めるという、主にあって強くなると言うことと同じではありません。
 「主にあって強くなる」ということは、「無力」を意味し、私たちのために戦ってくださる神ご自身を、信頼して仰ぐことであり、これが私たちの勝利の真に最も深い秘儀であります。
 先が見えない、と言われますが、見えます。私たちの未来に、明日に希望と夢が神によって備えられているからです。
 
      道にして、真理、命にいます主よ、
      その道を知り、
      真理をはなれず、命を得させたまえ。
      そのよろこびをとこしえにあふれしめたまえ。
   今月のことば
  主の2009年、皆様の上に神様の祝福が日々の営みの上に与えられますようにお祈りいたします。
 
 「恐れるな。わたしは初めであり、終わりであり、また生きている者である。」
                  (ヨハネ黙示録1:17~18)
 
 私たちは、クリスマスからやって来た喜びの音信(おとずれ)から新しい年を迎えているのです。イエスの誕生は、希望と喜びと救いのスタートだからです。
そうしてキリストは「初め」であり「終わり」でもあります。この新しい1年、ただの一日もキリストの
「終わり」の向かって進まない日はありません。「終わり」は「完成」の日です。
 この一年が、悲しみの日、不安の日、全てを失う日であるかのように思えても、キリストの日は、
少しも変りません。
 私たちのこの一年、何をもたらすか、少しも分からないとしても、キリストが「始めであり、終わり
である」ことを忘れてはなりません。
 たとえこの一年が私たちにとって最後の年であっても……、たとえ世界が没落しても、キリストが
「終わり」なのです。
 
         聞けよ
      聞けよ 聞けよ 聞けよ        31b3eace.jpg
     1983年1月1日に
     平和の主なる神が
     全世界の人々に向かって
     語りたもう
     聞けよ 聞けよ 聞けよ 
 
      新たにしてください
     シクラメンの花が
     優しいわが部屋で
     二人の姪が 楽しく語る
     新しい年の 希望と夢を 明るく語る
     主よあなたへの 希望と祈りを
     新たにしてください
     新たにしてください
   (水野源三第4詩集 み国をめざして)
   今月のことば
 
 「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」。(ルカ1:48)
 
 その名は「マリア」。この女性が、人の子を9ヶ月の間胎内に宿して生むことを許されたことは、疑いもなく世界史で最も重大なことでした。それ以前にもそれ以後にもこのマリア以外の誰一人として、表現は相応しくないでしょうが、神の道具となり、神のご意志の器となり、神の祝福の担い手であった人はいません。そして、このようなことを許されたのは、「弱い性」を代表する者、一人のおとめでした。同時に、「女の中で祝福されたかた」であり、「恵まれた女」とも呼ばれています。26781f8e.jpg
 世界の救い、死と悪魔に対しての勝利は、この人の母胎にゆだねられていました。そして、「なぜ神は、他の人ではなくこの人を選んだのでしょうか。なぜこのマリアが神のご計画を担うものであったのか」と考える時、一つのことが浮かびます。マリアが持っていた長所ともいうべきものです。それは「卑しさ」という驚くべきことです。
 マリアが全ての人(女性)より卓越した何かを持っていたのではなく、マリアには何の優れたところのない女性であったというのです。
 神のみ子なるイエスは、この「卑しい」ところを通って誕生されたのでした。
 
 神はそのひとり子をつかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
                    (Ⅰヨハネ4:9) 
 
   今月のことば
 
 神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。詩篇71:17
 
 老人にも大切な役割があります。語るべきことがあります。それは若者よりも、人生経験という点でまさっているからです。時に、自慢話になることもあることでしょう。しかし、経験してきたという点では、立派な権利を持っています。老人は若者に対して、全く別の任務を持っているのです。
 その人生の歩みの中での傷跡、卑怯な自分、悪意と共に神様への不徹底な信仰、汚れや信仰に悩んだこと、疑い迷いを主にあって語ることです。そうして今あることをです。老人よ、人生においてどのような神体験をし、神の助けを頂き今あるかを…。
 e89dabd4.jpg人生の中で勝ち得た信仰体験は、多くの勇気と希望になるのです。その人生の中で信じ難い神の方法で今があるのです。それは、奇跡の体験とも言うべきものです。沈黙していては老人の任務を果たしていないことになるのです。
 年老いた婦人が体験した子育てのお話は、若い母親には得難い経験であり、その失敗は大いなる教訓でもあります。
 ある人が次のように言いました。
 「ひとつの村の中で三世代の人たちを見渡せる場合には、いろいろなことについての人々の判断は違っていても、神様の義の支配を疑うというようなことは、次第になくなってゆく」。
 もし主にある何世代もの人々を見渡すことができたらどうでしょうか。その時には、何の妨げもなく神讃美の歌声を上げるでしょう。
 どうか父親たちや母親たちの口を開き、その子供や孫たちにあなたの救いの奇跡を物語る思いをお与えください。
 
   今月のことば
 
 店頭には、来年のカレンダーの販売広告が出ていました。私たちもいろいろな願いと希望をもって、2008年を歩みだしました。反省を込めて振り返る時、自分の弱さや無能力を認め、神様の力に目を注ぎ、神様の助けに望みをおいていたはずですが…。
acec146a.jpg「今月のことば」の聖書の箇所を「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである」(へブル3:14)にいたしました。
自分自身から目を離し、自分の目を、自分の視線を神にもう一度向け直してみたいからです。確信とは、自分の確信ではなく、神に置くことです。
 「キリストにあずかる者」とされるとは、何と幸いなことでしょう。そのためには、自分自身を全面的に信頼し頼るのではなく、貧しく無力な者として神様にこの身を向けるところから始まります。「最後までしったりと持ち続けるならば」は、漠然と残りの今年という意味でないことは確かです。考えてみました。その一日を、ひと月を、その一年を、キリストなしでも過ごすことに、救い主なしで済ませている姿を…。惨めで、虚ろな心に陥っている姿を…。いつの日にかキリストが「汝らは私と何のかかわりのない者」という宣告を受ける自分を…。
 それは、恐ろしいことです。私たちのカレンダーは日々新鮮な日めくりカレンダーなのです。
 
 万物は、神からいで、神によって保たれ、神に向かっているのである。栄光がとこしえに神にあるように、アーメン。(ローマ11:36)
   今月のことば
 
 「頑張る、励む」は大切なことです。しかし「…続ける」という文字がつきますと、私は「頑張る、励む」という言葉に恐怖を覚えます。気付かない内に怯えを感じ、不信仰という思いに陥るのです。信仰のゆえに自虐的になる時、神の言葉が鋭い剣となって心に突き刺さるように覚えます。
17531d86.jpg 信仰の成長は大切です。内なる心の渇きに神の言葉に慰められ、満たされた時、どうしても次を得たくなります。そのような誘いに引き付けられる時、思わぬ落とし穴に落ち込む時があります。
 
 私たちは、渇きを満たしてくれると信じる時、いっそう求めます。ふと、少年時代を思い出します。理想と夢を目指して出発しました。あの山の頂まで上りさえすらばとどくことを信じて・・・。しかし、その頂から周りを見渡した時、そこはまだ小さな丘にすぎませんでした。「頑張る、励む」に価値があるにのにかわりはありません。
 
 ピリピ人への手紙4章19節に「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう」とありました。このみ言葉を知った時から、「頑張る、励む」の自縛から喜びに変わりました。
 
 とても難しいことですが、そこに安らぎがあるならイエスの招きに自分を任せてみようではありませんか。
 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和な心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28~30)。
 「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見意いだすであろう」(マタイ16:24~5)。
 信仰は喜びです。
 
   今月のことば              8118a417.jpg
 
 朝の目覚めを迎える時、たとえ困難が待ち構えていても、そこに「希望と喜び」を見出すことが出来たらどんなに幸いなことでしょう。病の床に「治療」という戦いがあっても、そこに「祈り」があるなら、自分ひとりだけの力で立ち向かうのではありません。
 
毎日だらしなく生活している自分に、生きる価値が有るか無いかという疑問すら忘れてしまう時、また、あの阪神大震災の以降、「孤独死」という言葉が大きな問題の一つとなって来たが、「孤独」の中に時を過ごしている自分を見る時、「希望と喜び」と言う言葉が虚しく通り過ぎて行く。
 声をかけてください!振り向いてください!
 
 暗闇と淋しさが待ち受ける夜。気持ちが悪くなるくらいの不安な夜。「祈り」のあることを伝えたい。目覚めていても、眠っていても、何時もあなたと共にある方の居られることを伝えたい。小鳥が目覚めの声になり、みどりが、風が、人の声が「希望と喜び」になってほしい。
 
 神にのみ「希望と喜び」があります。救いがあります。
 
 あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、あなたの聖なる山と、あなたの住まわれるところに、わたしをいたらせてください。その時わたしは神の祭壇へ行き、わたしの大きな喜びである神へ行きます。神よ、わが神よ、わたしは琴をもってあなたをほめたたえます。(詩篇43:3~4)
****************
「今月号の写真は桒原 茂さん、廣子さん(日キ教団金城教会員・CBC「キリストへの時間」アナウンサー)からの提供です。感謝です」。PCでHPをご覧の方は拡大写真でご覧下さい。尚、皆様も歓迎いたします。 
 
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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
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本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
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「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
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「あとがき」より
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「聖霊とその働き」
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「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
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「十戒と主の祈り」
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著者の言葉
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