2023年7月号
№193
号
通巻877号
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今月のことば
「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい」。(マルコ7:37)
イエスのところに、一人の「耳が聞こえず口のきけない人」を連れてきました。そしてイエスに、この手を彼の上に置いてやってくださいと頼みました。イエスは魔術師ではありません。人前で何かをしません。イエスのなさったことを注意深く見てみましょう。
先ずイエスは、その人を、同伴者から離れたところに連れて行かれました。そうすることで、その人に特別係わりのあることを知り、悟らせます。それから、その人の耳に指をさし入れました。そのことで、その人の耳に何かをしようとしていることを知らされます。
そのようなことがあってから、イエスは天を仰ぎ、その人に、与えようとする助けを得るであろうと、言われました。
イエス・キリストがこの病人に出会われた時の優しさに充ちた人間らしさに驚き、感動して「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい」と喜びの声を上げたのでした。
何時の時代も福音は届き難いものです。そのために、何か新しい道を求めるべきでしょうか。それは、難しいことです。
難聴とも言うべき今の時代の人々に困難であっても、福音は語られ続けなければなりません。私たちの周りに、一度も教会に行ったことがない、一度も聖書を手にしたことがない方がいる限り、希望と勇気をいただいて、イエスがなさったように、私たちも愛と謙遜を携えて外に出ようではありませんか。
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今月のことば
「パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとにきていった」(ヨハネ3:1~2)。
なぜニコデモは「夜」イエスのもとに来たのでしょうか。ニコデモが夜を選んだのは、人目につかないためであり、人々の前では自尊心が許さなかったのだろうと、言うこともできるでしょう。しかし実際には、ニコデモがなぜ夜来たのか、その日々の生活、家族の有無などについての説明は一切ありません。このような理解も成り立つのではないでしょうか。
ニコデモは老人でした。イエスのお言葉から推察すると、ニコデモの心の中は荒涼とした暗闇そのものと思われます。彼にとっての「夜」はもう憩いや慰めではないでしょう。「夜」は彼に眠りを与えない時であったかもしれません。ニコデモが眠れぬ夜の苦しみをたずさえて主イエスのもとに来たとしても、何ら不思議ではありません。
ニコデモの思いは老人の孤独、夜の不安、死への恐れと考えることもできますが、私たち一人一人は、「ニコデモの夜」を真面目に、真摯に、切実に考える時の大切さを教えているのではないでしょうか。
「夜」は、私たちに「風は思いのままに吹く、あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない」という世界であることに気付いた時、ニコデモのように「夜イエスのもと」を訊ねさせるでしょう。新しい光を求めて…。
今月のことば
桜の花から美しい新緑の季節になりました。私たちの生活も朝の目覚めから1日を営みを終えて静かにあなたにこころを向ける時が何よりの平安でありますように。1日の歩みの中には多くの喜びと共に、思い煩いや悲しい思いや出来事に出会います。そのような中にあって、あなたとの交わり、黙想は平安そのものです。
過ぎた日々もあなたの恵みに守られなかった時はありませんでした。どんな時にも、ひとりぽっちではありませんでした。あなたを忘れていた時も、あなたはお覚えくださいました。
気まぐれで、忘れやすく、あなたに対する思いの弱い愛、肉の欲望に誘われる思いを繰り返すこころを憐れんでください。
日々の中に、あなたを思い、学び、ほめたたえることを喜びとして求めさせてください。小さな愛をもって、悲しみの中にある人、光をさがしている人、こころに痛手を負っている人、禍の中にある人に思いを向けさせてください。
心の貧しい人々は、幸いである、
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
=マタイ5:3~9=
今月のことば
毎日の生活に計画・予定がなければ何と味気ないことでしょう。忙しい人に予定表は大切です。それがなければ混乱してしまい、多くのミスが出るでしょう。こんな話を信仰の先輩からお聞きしたことがあります。
それは、その日に自分が何を祈ったかを日記のように、メモのように書き出して見るということです。そうすることで、まず自分の時間を作り出すことが出来る。自然に一日を振り返るに違いないというのです。また、自己吟味の時間にもなると言うのです。そうして、自分の今の関心事、考え方、傾向を知ることになるというのです。
信仰生活は、祈りの訓練の時でもあります。
わたしたちは祈りの時にあなた方を覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起こしている。=Ⅰテサロニケ1:2~3=
今月のことば
ひと時も休むことなく
山の雪がとけ
谷川も水は美しく光る
ひと時も休むことなく
神様は働き続け給う
蜜蜂の羽は美しく光る
ひと時も休むことなく
神様は働き続け給う
御業を讃美する小鳥たち
その声は美しく光る
ひと時も休むことなく
神様は働き続け給う
水野源三
****************************************
私はイエスにその命を失わせ、イエスに反抗し、不従順でした。そしてなお悪いことには、救われた後でさえ不従順です。そうであるのに、主イエスは、父が主イエスを愛されるように私を愛してくださるのです。信じられない愛・・・。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。(ヨハネ15:9)
今月のことば
今年も1ヶ月が過ぎました。「今年はこうありたい」とか、若い方々なら具体的にいろいろの夢を描いたことでしょう。そうして日々を過ごします。そこに求められるのは目的意識であったり、意志力であったりです。聖書は不思議なことを示します。それは、私たちの価値観とは違います。「最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい」(エペソ6:10)。というみ言葉です。私たちは、人より強くなりたい、人より優れたものを得たいと努力し、励みます。
聖書は「主にあって強くなれ」と言うのです。それは、人は「弱い」と言うのです。私たちには言われたくない言葉、認めたくないものがあります。それは「…の弱い者」という言葉と自分自身です。
今月の言葉として「主にあって強くなれ」を選んでみました。この言葉の意味は、「私たちの内に神の力を取り入れて、その力を信頼することによって、自分を強めなさい」と言うのではありません。
私たちが一番認めたくないこと。自分に信頼する心ではなく無力を認め、知ることです。私たちのために戦ってくださる神ご自身を信頼して仰ぐことであり、これが私たちの心の強さであり、信仰の喜びであると語っています。
主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかに信頼しているならば力を得る」。(イザヤ書30:15)
今月のことば
主の2008年が「平和」でありたいと祈ります。
心の中にある「不信・不和」は「平和」の敵でもあります。その「不信・不和」との戦いは、信仰者の人生そのものでもあります。私たちの心には「罪の命」「死の命」があります。それは、神への憎しみと、悪への愛になってしまう時、『すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない』状態でもあります。
この状態から『平和』への道に至るには、『捨てる』道であるとイエスは示されました。『自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう』。
『おのれを捨てる』道は、主イエス・キリストに従い、倣う道なのです。み言葉の光によってキリストの愛を知り、心の中に宿っている石のようなかたくなな思いが打ち砕かれるためには、『おのれを捨てる』戦いのみです。この戦いに参戦しようではありませんか。そこに唯一新しい希望があり、喜びがあり、平和があるのですから…。
園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒した下さい』。(ルカ13:8~9)
『おのれを捨てる』道は、主イエス・キリストに従い、倣う道なのです。み言葉の光によってキリストの愛を知り、心の中に宿っている石のようなかたくなな思いが打ち砕かれるためには、『おのれを捨てる』戦いのみです。この戦いに参戦しようではありませんか。そこに唯一新しい希望があり、喜びがあり、平和があるのですから…。
園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒した下さい』。(ルカ13:8~9)
今月のことば
信じて、感謝の心を持つ者は、幸いな人です。感謝の心は、落胆や不快さを追い払い、周囲の人々を幸福にします。逆に、常に不平を言い、常に何かを要求している人々は、本人にとっても、他の人々にとっても重荷であります。人生の最後の日まで真の喜びを知らないことは、何と悲しいことでしょう。
キリスト者だから幸いであるとは言えません。暗やみの中をさ迷う人もおります。大きな恩恵を頂いていることに気付かず、感謝する代わりに不平と不満が心に満ちているなら、何と悲しいことでしょう。
東の博士たちは待ち望んでいた救い主の誕生を知り、想像も出来ない苦難と時間の旅を従者と共に希望の星を道しるべに続けました。ただひたすら、幼子を拝するために。想像ですが、幼子に対面した博士たちや従者の帰りの旅は、困難は同じでも喜びと感謝が苦難を克服させたことでしょう。
わが心に
我が心に希望があり
キリストが与えて下さった
悩みの時も変わらない
まだ見ぬものを待つ望みが
我が心に喜びがあり
キリストが与えて下さった
月日がたっても消えない
この世で得られぬ喜びが
我が進み行く道があり
キリストが開いて下さった
暗くあろうと迷わない
御国へ至る嬉しき道
水野源三
今月のことば
絶えることのないに愛に包まれ
知るべき愛の恵みに導かれ
御霊は上より息を吹き込む
あなたがそれを教えてくださった
ああ このまったき平安
ああ この神からの大いなる喜び
やむことのない愛の中で
私は主のもの 主は私のもの
天は心地よい青
地は香りのよい緑
一つ一つの色合いの中に何かがある
キリストを知らない目には見えないものが
喜ばしい歌をさえずる鳥は満ちあふれ
深い美をたたえる花は輝く
それらを知るゆえ 今私は知る
私は主のもの 主は私のもの
主のもの それだけがとこしえに
ああ 何という至福の安らぎ
キリストは忠実な心を満たしてくださる
天と地は消えて過ぎ去り
暗やみの中の最初の光は衰えるだろう
しかし 神と私がいる限り
私は主のもの 主は私のもの
(ジョージ・ウェイド・ロビンソン)
=お詫びとお知らせ=
「甲信伝道と私」8月号、9月号、10月号の文章に対し、事実と異なる内容の箇所が数箇所あり、また実名使用が無断で行われているとのご指摘がありました。記事掲載にあたり、このことに配慮が足りず、関係者各位に大変なご迷惑とご心痛を与えてしまったことを心よりお詫び申しあげます。上記号は全文「削除」とし、ここにお詫びとご報告を申し上げます。
執筆者 飯田幸之助
編集責任者 長村 秀勝
「甲信伝道と私」8月号、9月号、10月号の文章に対し、事実と異なる内容の箇所が数箇所あり、また実名使用が無断で行われているとのご指摘がありました。記事掲載にあたり、このことに配慮が足りず、関係者各位に大変なご迷惑とご心痛を与えてしまったことを心よりお詫び申しあげます。上記号は全文「削除」とし、ここにお詫びとご報告を申し上げます。
執筆者 飯田幸之助
編集責任者 長村 秀勝
このようなメールを頂きました。…。教会の駐車場にキバナコスモスがいっぱい咲いています…。
人は、何度か大きな方向転換を経験します。そこから何かを得る人、また逆もあるでしょう。新たな思いで希望に向かう学びであったり、自分の持ち味を生かした職業の選択、結婚や家族や家庭への思いは夢や希望を与えます。同時に、思いがけない出来事に戸惑うこともあるでしょう。でも、諦めることはありません。
ありのままの生活をもって神と出会う時、こころの中に大きな、深い方向転換が起こります。それは、新たな信仰であり、回心です。神への信頼であり、人々への愛です。どうしてそのようになるのでしょう。どうぞ神様にお聞きください。
まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。
「お前たちは、立ち返って、静かにしているならば救われる。
安らかに信頼していることにこそ力がある」と。しかし、お前たちはそれを望まなかった。
=イザヤ書30:15=
今月のことば
62回目の8月15日が来ました。忘れたくない戦争の記憶、諦めたくない平和への願い、失いたくないこころの笑顔…。
人には若者、老人を問わず忘れることの出来ない深い印象を残す「時や出来事」があります。緊張した小学校の入学式、楽しい想い出のひととき、クラスメートと涙した卒業式、忘れられない人との出会い。長く過ごした職場。或いはこころに残っているセピア色になった風景…。別離、失意、迷いの中に過ごした時もあります。自分の未熟さ、貧しさを知る時の悲しみの涙。取り返しのつかない出来事に自分を失う時もあるでしょう。しかし、どれも大切なものです。どれも生きてきた証しです。
キリスト者の忘れ得ない出会いは、聖書を通して、礼拝の中で、祈りの時のキリストとの出会いです。そこには言い尽くせない喜びがあります。また、何気ない主にある方のひと言もあるでしょう。
厳しい現実に負けてしまっても、明日ではなく今日という日が「世界の国の人々の喜びと感謝の日」であったら…と願うのは、罪と弱さと汚れを知るキリスト者の特権と責務、そして幸いではないでしょうか。
=イザヤ書55:6=
日々の生活が忙しければ人は充実した日々と思い込み、より多忙を追い求めます。それによって或いは多くのものを手にすることができましょう。しかし、大切なものを見失い、捨てているとしたらどうでしょうか。『多忙』で失うもの、支払う代価はいろいろあるでしょう。例えば、美しいものへの感動、静かな時が与えるやすらぎ、家族や友人との絆、人々への感謝の思い、健康など。
「多忙」によって失った信頼、無駄に過ごした時間の中で信仰者ももがいています。「罪」と言う言葉が本当に重い時もあります。
みことばの中には、キリスト者として、また、神の国の働き人としての私たちに大きな慰めと励ましがあります。この事実を知ることで、改めて、キリストへの信仰と信頼が豊かにされ、成長するのだとしたら何と幸いなことでしょう。
わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもあません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
=フィリピの信徒への手紙3:12=
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〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円