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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 今月のことば

金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。

     ~へブル13:5~

最近、「タックスヘイブン」という言葉と出来事が世界の富裕層や大企業や政治家の中で、脅威となっています。一般庶民とは別世界の出来事で、何とも言葉がありません。人間の飽くなき貪欲は、醜いものですが、これは富裕層の限られた人たちのことではありません。私たち自身の醜い心です。

神はその私たちに、社会に「自分の持っているもので満足しなさい」と言います。我慢しなさいでもなく、辛抱しなさいでもなく、「満足しなさい」と言うのです。

それは、神は、疲れた者に希望を与え、貧しい者には力を与えられる。それで十分であると言うのです。何という祝福でしょう。しかし、私たちは、「十分」より以上のものを望み、求めるのです。そこにあるもので満足しようとしないのです。世界の富豪と言われる人々も、日々の生活が満ち足りていたとしても、より多くのを渇望し欲求し続けるのです。

 

私たちには「満足しなさい」ということは不可能なことなのでしょうか。あらゆる富を手にすることなどできませんが、より安定を求めて人は小銭を得ようと努力します。小銭より大金の方は安心と思うのが私たちです。不確かな富と教えられても、私たちの心は物を手にできない不安の中にあるのです。

 

しかし、「満足しなさい」の行く場所があるのです。それは、主イエス・キリストのところであります。「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」という約束です。この約束に、ひと足、ひと足近づき、歩を進めることです。イエス・キリストの後に従う「信仰」という生き方です。この約束は銀行の通帳の残高のように見ることはできません。しかし、確かな保障なのです。「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われているからです。

今日も、日ごとの糧を与えて下さるお方に、心から信頼し心の眼を神様に向け、霊の糧をいただく日々でありたいものです。

 

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 今月のことば

 わたしから離れては、あなたがたは何一つできない。

       ~ヨハネ15:5~7

 私たちには、大切な時期があります。それは親元を離れ、自立したいという思いを持つ時期であります。何かが出来るというよりは、未知の自分への挑戦、時には冒険という大それた思いになる思春期から青年期です。これは、経験を積んだ大人でも言えることです。好奇心、向上心、想像への思いでもあります。

人は、イエス様から離れていても、様々なことが出来ると思います。結婚もできる。家庭を築くこともできる。仕事に取り掛かることもでき、事業を起こすこともできる。

 物事を想像し、新たな何かを作り上げることもできる。時には、争いを仕掛け、相手を支配することもできると思うのが私たち人間と言えます。むしろ、神なしに、生きることこそ自由な人間の幸福な姿と思うのも私たちです。

 しかし、聖書は、イエス様なしには何もできないとことを示されました。

日々の生活の中で起きる涙や悲しみ、不安や失望、先の見えない孤独は、自立とともに、私たちの生活や心を支配します。実は、自立は、自分の無力を体験し、知るスタートでもあるのです。指針・目標なしに明日を生きることはできないのです。

 聖書は、イエス様なしには、何一つしたこともない、したいことにすることもできない自分を知ることは、決して愚かなことではないのです。人間的な栄光に対しての神様からの愛の警告と受け止めるとき、この「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」というみ言葉は、真実を見つめさせ、少し腫れています、主イエス・キリストにあって今を、明日を、未来へと導くみ言葉として心に留めたい大切な「聖句」と言えます。

 

 


 
今月のことば

 心に憂いがあればその人をかがませる、しかし親切な言葉はその人を喜ばせる。

 ~箴言12:25~

 私たちの日々は情報や文字・言葉の中で生活しております。しかし、それが有益とは限りません。きれいな言葉であっても毒もありますし、言葉が凶器にもなります。文字を持たない人々もおりますが、情感豊かな言葉で自然を歌い上げ、こころ豊かにさせも致します。

 「親切な言葉は人を喜ばせる」。そのような言葉はあるのでしょうか。自分に問いかける時、言葉を失います。しかし、無言でいることはできません。出来ることなら、親切な言葉、人に希望と勇気と喜びを伝えたいと思います。母親はわが子にかける言葉は美しいもので、誰もが持ち合わせている言葉であり、思いと言えます。

 しがし、人を罵り侮辱し、差別の言葉で償いきれない傷を負わせていることも事実です。主よ、私には償い切れないほどの数で、意識・無意識的な、悪意に満ちた言葉を口にいたしました。どうかお許しください。お導きください、と祈ります。勇気をもって親切な言葉を語れるようにしてください。言葉だけでなく親切な行為へと導いてください、と祈ります。

 

 神様ご自身は、私たちに対して沈黙したままのお方ではありませんでした。神様が私たちに語られる愛、優しさは何と大きいことでしょう。キリストが「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」(マタイ4:4)とお語りになりましたが、この神の口から出るお言葉を言葉としてだけではなく、神様のなさった行為と共に示されたことを知るとき、言葉にならない喜びに満たされるのです。

 神の言葉は愛であり、力なのです。

 

 

   今月のことば

 「自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」。

    ~へブル12:14~

 高校生時代に読んだ民族学の本の中に、その地に住む人々のシンボルとして、いろいろの壁画や木彫りの成り立ちが書かれていて、その時の感動は今も覚えております。美的鑑賞能力に乏しい私にはよくわかりませんが、日々の生活の記録とともに、精神的な意味合いを感じたものです。それが木や石であっても深い精神性と宗教性を持つものであることは理解していたように思います。

 人は、そこに何かを見出さそうとしたのでしょう。「今月のことば」の聖句はそれを明確に私たちに示しているのではないでしょうか。

 私たちは、「自らきよくなるように努めなさい」と言われているのです。そのために戦い、苦慮しなければならないことは確かです。何を願い求めるかは人それぞれでしょうが、聖書が求めていることは私たちに、求めることを明白にしています。それを追い求めることには意味も意義もあります。なぜなら、「自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」からです。

 「主を見る」ためには「きよく」ならなければ見ることはできないとありますから、それに気づくなら、そのために自らの生活の中で役立つと思えることに励むでしょう。しかし、私たちはどこまでも不完全であり、罪人であるという自覚を持ってのことです。この自分を知ることからスタートするのが信仰への求道の道であります。知識や経験で得るものではないことも事実です。自らの努力や修行で得るものでもないのです。

 しかし、そこに神の愛を知るなら、「主を見るのです」。神は私たちのために、神のその御子の贖いをあの十字架のキリストにお示しくださいました。「主を見る」とは、あのみ姿を見、追い求めるもので、ただ、ここにこそあると信じ、認めることです。導き手である聖霊はこの願いにお答えくださいます。ここに望があるのです。 

 

   今月のことば 

 

 あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信に大きな報いが伴っているからである。

        =ヘブル10:35=

 3月は出会いと別れ、新しい可能性をもって4月に向かう時でもあります。ある人には試練、ある人には不安でもあるでしょう。世界を見渡せば終わりのないかのような戦争、失われた命への悲しみ、身近ではいじめや差別・・・。私たちはそういう中で過ごしています。信頼と言う言葉にそれだけの重みと意味があるのでしょうか、と若者に問いかけられ、自分に正直に、自分の言葉で何かを伝えたい、伝えなければいけないのですが、それを持ち合わせていないと素直に答えました。

 「神への信頼」が、青空の下で花を咲かせ、空の小鳥に歌を歌わせ、輝く太陽の光は、明日への希望を約束しているとするなら、そこに何を見るでしょうか。

 

 「神への信頼」を見出すなら、何と幸いなことでしょう。あの十字架に付けられた方のみ姿にそれがあるのです。人に見捨てられ、助けを求めても、答えてくれるものがないと諦めないで下さい。

 イエス様は「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれた神に対して、いささかの信頼も失ってはいませんでした。私たちはどうでしょうか、「神への信頼」を奪い去るものが、沢山あります。その信頼を揺り動かすものがあります。それは巧みな罠です。弱さであり、安易な妥協心、曖昧な信仰です。そうであるなら、今一度、キリスト・イエスにすべての基盤を持つ神信頼をお与えくださる「信仰の恵み」を思い出しましょう。

 

 <主よ、あなたの父としての恵みに対する私の信頼を、どうか強くしてください。あなたが罪の苦しみの中での慰めに、お与えくださった方への視線を、失わないようにしてください。私の心が叫び訴える時、どうか私に神様を信頼する信仰をお与えください>

 

   今月のことば 

 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。

         =ガラテヤ3:26=

 時々、ある日の出来事が、思い出されます。それは、ある朝早く、窓を開けると、その窓枠の上に、一匹のこがね虫が横たわっていました。それは、昨夜群を成して飛んでいたときに、網戸にぶつかって落ちたのでしょうか。今そのこがね虫は、お腹を上にして横たわり、日光に照らされて、こわばっていた体が元気付き、飛ぼうとしているときでした。しかし、その脚は空をつかもうとしても、どうにもならない様子でした。お腹を上にして横たわっている限り、どんなにもがき脚を動かしても、どうにもならないのです。

 何かにつかまるか、支える物が外から手の届くところまで近づくか、移動してきたときに、はじめて、そのこがね虫は立ち上がり、飛び立つことができるからです。

 そっと小枝を添えてやりました。

 

 私たちも、似たような経験を日々繰り返しているように思えるのです。人は様々な努力をします。手足を動かし、知恵を働かせています。しかし、私たちのお腹は上を向いているのです。そこに何かがありそうだと思い、手足を動かしているのですが、私たちの手足は、何とも短すぎるのです。しかし、それに気付いていないのです。

 

 幸いなるかな。上の方から、天の、神様の方からの窓が開かれ、支えのみ手が差し伸べられるのです。小枝ではなく、神様の方から、一つの慈しみ深く力強い手を差し伸べてくださるのです。私たちはその手を確りと握り締める時が今なのです。ですから、今を逃すことなく、大切にしようではありませんか。この神様からみ手こそ、私たちを支えてくれる唯一の手、救いの手なのです。十字架の愛の奥義と恵みを深く、深く知ろうではありませんか。

 「あなたの右の手はわたしをささえられる」(詩篇:8)。そして、この救いの手が永遠のみ國へと導いて下さるのです。この信仰こそ、神の子の証です。

 

   今月のことば 

 神さま、罪びとのわたしをおゆるしください。

        ~ルカ18:13~

 私たちを神より離し、すべてのものの上に災いと悲しみをもたらすものは、何でしょうか。それは、誰もが持つ弱さと罪であると聖書は言います。しかし、生ける者が持つ弱さ、罪を私たちは、心の中では認めても、それを公にすることは日本人の私たちには、とても難しいことです。その理由の一つになるかどうかは別にして、神様との関わり方が異なるからでしょう。弱さは認めても罪としては認められないとするなら、どのように生きるべきなのでしょうか。

 それは、罪を赦し、弱さを愛をもって強め、励ましてくださる神を知ることではないでしょうか。

 弱さも、不完全さも、穢れも全て、受け止めて下さるお方が居られると知ること。罪を罪としてその身に負って下さり、赦しという約束をしてくださるお方を知ることが、とても大切なこととなるなら、それを知ろうではありません。

私たちの中に、心の弱さを克服し、悲しみに打ち勝つ力がないと認めることは、敗者・意気地なしでしょうか。そのように見られ、言われても、いいではないですか。

 罪深い者と認めることは、誇りを傷つけることになるのでしょうか。むしろ、正直に認めることに、希望があるとするなら、認めようではありませんか。偽善者として生きるよりも、罪を認めて生きる者に喜びが約束されているなら、それを信じようではありませんか。

 『神さま、罪びとのわたしをおゆるしください。』という心の叫びは、真実・正直な告白です。

 私たちは、この告白を、人の前では出来ません。しかし、可能にするのが、許すことの出来るお方であると、知り、認め、信じることで可能にするのです。そのお方こそ、私たちの救いを約束し、保証し、確かなものとして示された、十字架のキリストなのです。

 私たちの日々を、捜し求める人生にするか、信じて、その恵みに生きる人生にするかは、神様を信じるか、自分の迷いの中で生きるか二つに一つとするなら、神様を信じる2016年にしようではありませんか。

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 ・・・ 12月号を ありがとうございました。一頁目に干し柿を載せて頂いて、なんだか気恥ずかしいです。 冷えてきました。どうぞお身体大事になさって下さいませ。・・・

 

 

 

 

   今月のことば 

 神を信じた結果。約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるためである。

       =エペソ1:13~14=

 キリスト者の生活を、祈り、讃美する。ほめたたえ、捧げ物をする。説教を聞き、献金をし、聖書研究の集まりに出席し、聖餐にあずかり、食前の祈りをする。このような信仰的行為でなされるのが一般的と言えます。キリスト者の信仰生活を堅苦しいと思われる方もおありでしょう。

 では、自分の思いのままの生活に、真の喜びは生まれるでしょうか。お互いに自己主張し合う社会、人の目を気にしながら、また人を無視し、差別する社会、会話の無い家族、そこに喜びはあるでしょうか。キリスト者は禁欲主義者なのでしょうか。もし、キリスト者の生活がそのように思われているとしたら、それは証の少ない閉ざされた信仰生活と言えましょう。

 キリスト者の信仰生活は、華やかではありません。開放的であっても静かなものでもあります。

 

 社会がめまぐるしく動き、時流の出来事に飲み込まれ、自分を見失うほどの情報に翻弄されて、疲れていないでしょうか。そうであるなら、キリスト者は、批難されても、厳しい傍観者になることが大切ではないでしょうか。一人一人のこころに信仰と救いと約束された証印を受けた者として、勇気を持って「緑の牧場」(詩篇23編)を語り、「いこいのみぎわ」を指し示す信仰の証し(宣教)の時ではないでしょうか。

 

 新しい2016年という歴史を、どのように思い描くかは、キリスト者一人一人の日々の信仰の生活に関わっているとしたら、光栄なことと言えましょう。

 

 「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことはない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。たといわたしは死の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」。(詩篇23:1~4)

 

   今月のことば

 わたしはシオンの糧食を豊かに祝福し、食物をもってその貧しい者を飽かせる。

     =詩篇132:15=

 今は語られない言葉に「飽食の時代」と言うのがありました。それが「格差社会」「貧困社会」と言う言葉に変りました。何がどのように変ったのでしょうか。何も変っていないのではないでしょうか。何時の時代でも、人は、利己主義な心を持ち、やがて邪悪な貪りの行為が生まれて来たのが現実です。神の人類に示された戒めに「あなたは盗んではならない。・・・。あなたは隣人の家をむさぼってはならい。・・・。」と警告しています。

 私たちは、個人的には友人を思いやり、家族を愛し、細やかな思いや優しい心を大切にしたいと願っています。しかし、仕事の計画や職務上の目的達成ということになると、心は一変し、容赦のない競争相手とみなしてしまうのです。目的のためには手段を選ばずが、わたしたちを支配するのもまた現実です。

人の命を奪い、時には戦争と言う手段を選ぶのです。

 しかし、そのような考えや行動は、悲惨を生み出すだけです。憎しみをばら撒くだけです。真の豊かさとは無縁です。祝福とは無縁です。

 

 今、年金で生活している多くの人にとって、その手にする年金が減額することは深刻です。あるご婦人は言いました。「・・・私は悲しいのです。年金が少なくなったこと以上に、いろいろの活動に協力してきた回数を減らさなければならないことです。楽しみにしていた一日のコーヒーを二回から一回にしました。」

 このご婦人は決心したのです。二回が一回になっても、今までの活動を続けることを。

 神様は私たちの心の豊かさを損なわせません。信仰と愛は、貪欲な貧しい心で得た富では手にすることの出来ない、恵み、喜びです。

 

   今月のことば 

 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは十人ではなかったか、ほかの九人は、どこにいるのか」。

           =ルカ17:17=

 10人のらい病人が遠くから悲痛な思いで。イエスさまに呼びかけます。「どうか、わたしたちを憐れんでください」と切実に叫んでいます。この10人のらい病人は願いを叶えていただきました。ところが彼らのうち一人だけが引き返してきて、その愛を証ししています。

 私たちの日々も、神様に己が苦しみや悲しみを叫び、癒しを求めています。癒されたその時の喜びや感謝の思いには偽りはありません。しかし、何時しか感謝を忘れ、また叫び求めています。

  

 私たちが十字架のキリストを知り、その救いの恵みに与りたいと願い、罪許された者とされた喜びに、偽りはありません。しかし、信仰生活にはその人を怠惰と無感覚に落とし入れる危険な罠は何時も待ち構えているのも現実です。順風満帆な日々、人々に囲まれ、物に満たされ、健康に過ごしている時、御子の十字架の苦しみが、愛が、御守りが今を支えているという思いに満ち満ちているでしょうか。

 

 もう一度、祈り求めましょう。主イエス・キリストのあの十字架を!心から主イエス・キリストを信じさせ、永遠の命へと移して下さるという、あの喜びを!愛の御手をもって、頑なで不従順な心をとらえてください。あのイエス様のみもとへ帰ったあの病み人のような、素直な信仰を!

 

 地の塩・世の光とは、キリストを愛し、キリストを証しする日々にあることを心から思い、生きることを願うことです。

 

   今月のことば 

 わたしは知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。あなたが歩くとき、その歩みは妨げられず、走る時にも、つまずくことはない。

        =箴言4:11~12=

 

 この9月、私たちはどのように歩むのでしょうか。先のことは分かりませんが、確実なことがあります。それは、全能の神様が、今も明日も変わらぬ愛をもって守り導いて下さると言う事実です。日々の歩みが厳しくとも、貧しさや病いと闘う日々であっても、年老いて白髪になったとしても、神の御手の業をもって「あなたを、わたしを、恵みをもって支え続けて」くださいます。

 私たちは、よろめき、ころび、迷い、傷つきます。不安や死に怯えます。そのような私たちに与えられる希望は「たましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はお前に、良くしてくださった。私のたましいを死から,私の目を涙から、私の足をつまずきから救い出してくださる主」を仰ぎ望む日々としようではありませんか。

 あなたはもう、主の道が「喜びの道」であり、「平安の道」であることを知っています。ですから、喜びつつ、望みをもって主を愛し、主に仕え、礼拝しましましょう。これこそ「感謝のあらわれ」です。

 

 限りない恵みに与りながらも、己が心のうちに心の汚れを認め、悔い改めて日々歩む者でありたいと願う者でもあります。身も心も低く望みの無い悲惨な時を過ごしたが、今は、キリストの愛に生かされています。

 そうです。心から、ただ主イエスにより頼み、信仰をもって救いの主であるキリストに生きる9月でありたいものです。

 

   今月のことば 

 どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みを賜わるわたしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。

    =Ⅱテサロニケ2:16~17=

 不安と悲しみにある時、人のなにげない言葉に励まされた経験は、誰もがお持ちのことでしょう。暗い心に光と希望を手にできた幸いは言葉にない言葉となって心の中を駆け巡ります。しかし、束の間でもあるのです。瞬時の出来事であるのも事実です。

 この心に、恵みと慰めを下さるのは、主イエス・キリストです。キリストがわたしたちと共にあり、愛し支えて下さるのです。信じられないことです。主がわたしを愛してくださる・・・・?!主が恵みをもって、それも永遠の慰めと、たしかな望みとをくださる・・・?!

 この主の愛は、悩み、迷う者には、信じられない驚きです。

 

 それは、どこにあるのでしょう。手に入れることは出来るのでしょうか。出来ます。確実に出来るのです。どこにあるのでしょうか。遠い彼方でしょうか。違います。わたしの隣にあり、居られるのです。

 神の愛をキリストとの交わりの中で感じ、聖書の中で知ることが出来るのです。神の愛に巡り会い、キリストに愛されていれことを、信じることが出来るなら、何と幸いなことでしょう。信仰とは、神の愛を信じることです。

 今月も、主の御招きを待つ心、神の愛を刻む時となれますように、お祈りいたします。

 

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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
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森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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