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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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(ひとみ)
 
私の楽しみは、町の図書館に行くことです。インターネット検索でいろいろの情報を手に入れることは出来ますが、それは情報であって私の心を満たしてはくれません。ここ一年ほど前から「にほんのこころ」に興味を持ち、改めてそれに類する本を読んでいます。しかし、その数の多さに驚きも禁じ得ません。私は、コーヒー党なのですが、一冊の本に出会い、ある言葉に心打たれました。それは、次の言葉です。
利休七則
 茶は服のよきように
 炭は湯の沸くように
 夏は涼しく、冬は暖かに6ca3e07a.jpg
 花は野にあるように
 刻限は早めに
 降らずとも雨の用意
 相客に心せよ
 
 自分の生活をかえりみる時、心のゆるやかな思い、自然の赴くままにではなく、如何に漫然と時を過ごしていたかに気付かされました。千利休や茶道の奥深さに、日本の精神(こころ)を見る思いでした。自然体のままで季節感を大切にした感性、「もてなし」「しつらえ」という言葉に、ふと自分自身、たちどまることが出来ました。・・・・。
  
                      岩手県  W・Tさん
下露の小はぎがもとや蓼の花(蕪村)

(ウトロの夕日)
 
 
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(ひとみ)
やっと教会生活20年になります。先輩の方々のお話は良きお手本になります。ある時のお茶の会の時でしたが、私の今を代弁して下さったかのように、「・・・・。信仰生活に喜びが持てない・・・・」というような発言をされた方がおられました。それに倣うかのように次々と同様の発言がありました。そんな中、物静かで、余り発言されないT姉が、私もそのような経験をしてきましたが、或る高女の先輩が、日々の信仰生活にみ言葉を読む時間をお作りなさい。礼拝に出席する時には、土曜日の夜には一週間を振り返り、感謝をお探しになって御覧なさい。沢山の喜びや感謝が心に浮かんできます。その気持ちを持って礼拝にのぞむなら、神様に対する感謝と畏れの気持ちに戻されます、と言われたことをお話になりました。
そうして、隣り人を愛し思う心を具体的の持つことがなければ、伝道も証しの生活も実りないものになり、味気ない信仰の生活になってしまうのではないでしょうか。この方の救いを・・・と願う心があり、また肉親の救いを祈り求め続けますなら、神様は必ず力と喜びを与えて下さいますとも言われました。今の自分の信仰の姿勢が神様に問われた思いにさせられました。
礼拝への備え、日々の生活への備え、具体的な事柄へのみ言葉の備えの乏しさに気付かされました。これからは、信仰生活に喜びが持てない、という愚痴の思いを自分の信仰生活の中にあることを祈りの課題として大切にして、次の20年を歩みたいと新たにさせられました。病床にある友とご家族のことを、今までのことを思い出し、真摯に祈らなければと思いました。
                    神奈川県  M・Mさん
 
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白い雲は 母の顔
笑った顔が 泣いた顔に変わり
雨となる
 
雨の音は 私のために
祈り続けてくれた
母の声
 
雨あがりの空は 私の重荷を
になってくれた
母の愛           水野源三「今あるのは 神の恵み」
 
(ひとみs-IMG_0050.jpg)
某月某日・・・楽しみな「つのぶえジャーナル」の封を開くと共に一気に読み終わりました。今日は小糠雨が降ったり止んだり、今も家の外では雨が降っているらしく、ぽとぽとと音がしています今日一日を最高に感謝して終わらせて頂きました。
 某月某日・・・今日と言う日、心静に過ごしたいと思っています。今は14時10分、「つのぶえジャーナル」を読み返しています。透かし織りのカーテンを通して外の景色を眺めています。右の方に顔を向けると金毘羅山に続く山裾になっています。少し家を出てセメント道路の坂を登れば宿毛のお殿様のお墓です。とんだところに話が来てしまいました。裏山は涼しそうに木々が揺れています。夏鶯が啼いています。ケキョケキョーと啼くのは鶯の谷渡りとか。生前、夫が教えてくれました。
某月某日・・・時計を見ますと19時10分です。日没前でしょうか。ほんのりと山の峰あたりは明るく、小鳥の声が聞こえます。何をささやいているのか・・・。夕暮れの家族の集まりでしょうか。今日も「つのぶえジャーナル」と向き合って楽しませて頂きました。今夜も、また一人で食事をします。
某月某日・・・朝起きが苦痛に思いました。聖書はコリント前書の8章を文語訳で読みました。窓の片隅に座ると、やはり今日も良いお天気で小鳥がチッチッと囀っています。
某月某日・・・13時42分です。庭のさつきの花をカメラに撮りたくなりました。もう散りはじめていますが、過日、カメラの撮り方を習ったばかりです。3年前に娘が贈ってくれました。昨夜からの風が今も続いてごうごう唸っていますが、老鶯も今日は逃げ場を探しているように優しい声が悲痛に聞こえます。これはら一人で昼食をとりますが、何時も「お祈りすることを教えて下さい」と思うことから進歩はありませんが、これで良いのかなとも思います。
某月某日・・・風も穏やかな曇りがちの空。17時42分。今朝は家の近くに鳥が来ていました。日も高くなるにつれて鳶が啼きはじめました。鶯は今日はひっそりと、どこへ行ってしまったのだろう?と思っていますと、午後には啼きはじめました。うちの主人は裏山で啼く鶯にこっくりとうなずいて話しかけているのを思い出しました。主人のいた病院まで歩き、その時、窓から見えた荒瀬の山を写真機に収めました。
某月某日・・・18時37分、「つのぶえジャーナル」6月号を読み終えました。日が暮れても家の傍で小鳥がチャッチャッと囀り、もうそろそろ家に帰ろう、と決めたのでしょうか、啼き声が止まりました。今日もいっぱいのお恵みをいただきつつも、感謝もせず、いちばん自分らしい今の言葉としてロマ書1章21節「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである」を開かせて頂きました。そして、素直にありがとうが出てくるのです。「みんなでわいわい・ご意見コーナー」を読み終えると、ほんとうにほんとうに、いっしょに、ごくろうさま、と言わせていただき感謝が溢れてきます。
                    高知県 I・Kさん
s-IMG_0021.jpg(ひとみ)
高校を卒業して4年になりました。憧れていた大学に進学しましたが、将来を夢見て大学に来たのではなく、漠然と都会に憧れ、大学生活を経験したいという思いでしたから、学ぶことを忘れ、友達と買い物したり、青春時代なんて思いながらコンパと称してお酒を飲んだりの日々を過ごしていました。地元に残った友達が、両親の生活を教えてくれました。元気に畑で野菜作りをしているとのことでした。その働きで、毎月10万円ものお金を送ってくれましたが、私は遊びや衣服やお洒落に使っていました。不意に涙が出てきて、自分が情けなくて、悔しくて、両親に申し訳なくて、今までの2年間の生活を手紙に書きました。数日後に、母から、そうだったの・・・と言うメールが来ました。・・・・。
 
今は、両親と畑仕事をしています。地域で仕事を探すつもりで手伝っていた野菜作りが、辛く不安定ですが、やりがいのある大切なことに気付き、毎朝、出荷のために早起きして父の運転する車で大手のスーパーまで届ける内に、働いている大人の方々から、優しい声をかけていただくうちに、自分の仕事にしたいと思うようになりました。
仕事を終えた後は、インターネットでいろいろの情報を得たり、活躍している人との輪に参加して、勉強しています。若い人はみんな都会に憧れ、一度は出て見たいと思うものですが、その流れに流されてしまう前に、母からの、「そうだったの・・・」のひと言で、自分を見つめなおすことが出来ました。都会が悪いのではなく、単なる憧れでは、いけないということを今は思っています。
近所の人は、もうそろそろお婿さんをもらって、両親に孫を見せて上げなさい、と言われて、むっとしている私です。・・・。嫌いだった鳥の声、気にしたことのない川の汚れ、荒れた林を、地域のおじさんたちの手入れ作業に参加しています。楽しいよ!
 
               佐賀県  紫外線を気にしなくなったkです。
 
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(ひとみ)
 一人で生活していた母が倒れて入院して4ケ月になる頃、私は、勤めいた会社を辞めて母と一緒の生活をしています。幸いにも身の回りのことはできる母ですから、今までどうりのことは任せて、過ごしています。離れていた私の方が、地域の人々や行事のことなどに戸惑いながらでしたが、2年目の今は故郷でありながらやっと慣れてきました。振り返れば、私が親元を離れて好きな仕事をしてこれたのは、母という後ろ盾があったからだとこの頃思うことがあります。
 今は、その母と向き会いながらお茶を飲み、笑い、思い出話を聞きながら母の歩んできた日々を一緒にたどっています。仕事で疲れ、コンビニで買い込んで来た缶ビールを飲みながら一人テレビを見ていた時の自分の姿は、何と味気ないことでしょう。言葉では、ぬくもりとか、絆とかに触れていましたが、本当は何もありませんでした。
 しかし今は他愛のない会話が喜びになっています。そんな時、白髪混じりの母の姿に、感謝の思いで涙することがあります。涙もろい自分に、私も年かなぁ!と思いながらまだまだ!とはっぱを掛けています。同僚の友人から、よく決心したね!と言われるのですが、その時は母のためにと決断しましたが、今は、そうではなく、自分にご苦労さんだったと思っているよ返事ができています。
 安心している皺だらけの母の寝顔が、私の誇りです。これからも一緒だね、よろしくねと一人つぶやいています。
 高齢者の孤独死などがニュースに流れる時代ですが、高齢者だけが孤独ではないと思っています。家庭があっても孤独、家族に囲まれていても孤独、大勢の人の中で仕事をしていても孤独なのです。学生時代に開いて以来の聖書に、新しい自分を探しているいることに気付きました。このようなメールを送ることができる自分が不思議です。きっと今が一番幸せな時かもしれませんね。
                  岡山県  S・Kさん 
 
                                                                                    (写真:ウリカエデの花)
 
 
(ひとみ)
二年程前に「眸」にのせていただいた者です。あの頃を振り返ってみて、やはり両親と話しはあまり出来ないのは変っていませんが、それでも少し大人になった気がしています。両親の苦労や周りの人にも目をむけることが出来るようになりました。
その当時の友だちも少し変わりました。それは、自分を考えるようになったことからです。反抗ばかりだった自分から、自分は何がしたいかを少し考えるようになったり、夢を話し合ったり、漠然とですが考えるようになりました。ed875adc.jpg
大好きだったおばあちゃんが亡くなったことも、ショックでしたが、よく、自分のことは、自分で考えなさい!といつも言ってくれていたことを思い出したことから、変ったのだと思います。
おばあちゃんをお世話してくれた優しい看護師さんのお仕事を見て、自分もそうなりたいと思えるようになってから、塾だけでなく、家でも勉強するようになりました。不思議ですね。最近、小言や注意が嬉しく聞けるようになりました。ひとりぽっちと思っていたのは、自分に目標が持てず、人の目を避けていたからだと思いました。Yちゃん最近明るくなったネと先生に言ってもらえて嬉しい気持ちになりました。
「つのぶえジャーナル」さん、ありがとう。わたしと同じ世代の人も、頑張りましょう。今は今しかないんだもの・・・・。 
                        東京都  S・Yさん
(ひとみ)
私たち夫婦は、音楽を職業にしています。10数年前のことでした。妻と演奏会に行った帰り道、路上ライブと言うのでしょうか、二人の若者がギターを演奏しながら一心に歌っていました。華やかなステージ、スポットライト、拍手の演奏会とは違ったものです。数名の若者が聴いています。私たちは少し離れたところで様子を見ていました。
何ヶ月か経ったある日、またコンサートに行った帰りに妻と立ち寄りました。あの時の二人ではありませんが、やはり路上ライブをしていました。帰り道、私たち二人の中に何かの変化が生まれていました。コーヒーを飲みながら演奏会の話をしていた時、思い付きのように、家でホームコンサート出来ないかなと言ってしまったのです。実は、妻もそのことを考えていたと言うのです。妻は声楽家として、私はヴァイオリン奏者としてそれぞれ活動してきました。活動については、お互いに余り干渉しないことがルールで結婚しましたので、お互いに、このようなことを話したことがありませんでした。
意見が一致し準備の話になりましたが、なかなか意見や考えがまとまりません。言い争いになりそうで、気まずくなる時も有りましたが、二人の音楽を志している子供たちが企画してくれて、開くことにしました。家の門のところに、ホームコンサートの小さな案内をいたしました。何度も演奏会に出演した経験はありましたが、そのたびの緊張感は全く異質のものでした。誰も来られませんでした。20ほどの椅子には子供たち夫婦とその子供、子供たちの友人数名の前でプログラムに従って進行して行きました。親が子供たちの演奏を聴くことはあったも、子供たちの前で演奏するのはなんとも表現の仕様がありませんでした。その日のことは、数日口にしませんでしたが、郵便受けに一枚の封筒が入っていました。文面の中に、当日お邪魔したいと思っていたが急用で行けませんでした。主人を亡くし一人家にいる日々でしたので、ちょっとお邪魔したくなっただけですが・・・。次回がありましたら教えてくださいと住所と電話番号が書いてありました。
s-IMG_0029.jpgあれから10数年になり、ホームコンサートも20回以上になりました。あの時の方が、今は企画や運営一切のお世話を下さっています。演奏会後のお茶の会の方が賑やかで、お子様を連れた若い方々が手作りのケーキ持参で参加くださったりで、私たちも楽しんでいます。私の家にはピアノがありますが、子供たちも巣立ち、使っていませんので、わたしの家でホームコンサートをお願いできませんかという希望で何度もいろいろの御宅で催してもいます。
妻とそろそろ次の方にバトンタッチを・・・と話しているところです。あの時の路上ライブは、私たちの生き方を大きく変えた出来事になりました。
 
・・・ところで、「クリスチャン音楽家を支える会」って何だろう、と妻と話したことがあります。クリスチャンが音楽家(文化・芸術活動)を支援することなのだろう考えて妙に納得したものです。ネーミングでいろいろ楽しく想像することを、その時考えました。
                    京都府  Y・Tさん
(長いお便りのため、一部カットして掲載しています)
 
(ひとみ)
結婚して11年目にして、初めて一人家族が増えました。私たちも新米の親、まだまだ物珍しい感じがしてなりません。共に仕事をしていましたから、朝食はばらばら、昼食は職場で、夕食は待ち合わせてか、出来たものを食卓に並べるのが当り前でしたが、今は一変しました。離れていた母が一緒になり、保育園の送り迎えは母の役割。母も生き甲斐に感じてか、病弱な体が元気になり、最近、若返ったみたい!と言ってます。母はもう一人くらいなら、大丈夫だよ。一人っ子は大きくなっても心細いものよ、と言っています。実は母が一人っ子なのです。
まだまだ団欒とまでは行きませんが、イスとテーブルの部屋から、畳になりました。不思議なものですね。見るもの聞くものが変りました。仕事に対してもまだよく整理はつきませんが、感じ方が変りました。一番変ったのは、主人の禁酒・禁煙の不実行が実行に変ったことです。
                      山口県  M・Mさん
 
仕事に追われ、疲れを感じている最近、忘れていた言葉があった。「生き甲斐」である。やりたい仕事であったのに、何のために働いているのか分からなくなっていた。何々のためという目的が何時しか、生活のため、ローンの支払いのために変っている。電車の中に同年代の顔を見る。寂しさと疲れを見て、それが自分であると気付く。「生き甲斐」と言う言葉が眩しく輝いていたのが、今はそれを失っている。このままではいけない。「生き甲斐探し」をしなければこのまま流されてしまう。そうだ、「生きる生き甲斐探し」を始めよう。そのために、無駄な時間と思える時を先ず作ろう。
ふと夜空を見上げて見た。周りの明りで星は見えなかった。
                      東京都   I・Kさん
 
   薔薇の根
はじめて咲いた薔薇は、
紅(あかい)大きな薔薇だ。
  土のなかでは根がおもう。
  「うれしいな、うれしいな。」
 
fa7dffa7.jpg二年めにや 三つ、
紅い大きな薔薇だ。
  土のなかで根がおもう。
  「また咲いた、また咲いた。」
 
三年めにや 七つ、
紅い大きな薔薇だ。
  土のなかで根がおもう。
  「はじめの花は なぜ咲かぬ。」   (金子みすゞ童謡全集)
 
 
(ひとみ)
s-IMG_0023.jpg私の両親は人一倍健康に注意した生活をしてきましたので、大きな病気もせず、父は定年退職を迎え、母は4人の子供を育てながら、好きな朗読会に参加していました。私たち子供たちもそんな両親を、頼もしく、ある種の誇りをもって手本にしていましたが、一昨年、母の入院、昨年は父の入院となり、その後は両親とも病気との闘いになりました。
私たちは、それぞれ親元を離れた生活をしながら、将来の両親のことを心の片隅に置きながら考えてきましたが、現実になると、思いとは裏腹になることが多くなりました。4人の兄妹が分担して連絡を取りながら両親の家を訪ねることにしています。
病との闘いは、日々の生活の戦いでも有ります。三度の食事、掃除、洗濯など几帳面な母には十分に出来ない悔しさを、つい口にしますがそんな姿を私たちは何か安堵感を感じます。手伝わせたことの無い母でしたが、笑顔で受け入れてくれます。しかし、無趣味な父は段々気力が衰えて来ましたが、最近、変んな言い方ですが、病に関する本を読み出しています。
ある時、父は「お母さんも戦っているんだから、戦友だよ」と言って母の姿に元気を貰っているようでした。支え合うとは、お互いの病の身を思いやり精一杯生きることなんだと改めて両親から教えられ、私たち夫婦もそうありたいね、と主人と話し合っています。
庭の小枝に雀が体をまるくして寒さに立ち向かっている姿に勇気と希望を貰っています。
                千葉県  I・Iさん
 
 
s-200912061503000.jpg「つのぶえジャーナル」とたまたま出会って、わたしもメールしたいと思いました。わたしで3代続いている農家の嫁です。3代と言うのは農業だけのことではありません。祖父母も両親もわたしたち夫婦も4Hクラブが出会いです。4Hクラブについては終わりの方でご紹介します。
わたしたちの地域も同様で農業後継者不足は深刻です。不況や定年後に農業を・・・と言う方が多くなりつつありますが、一時的なものにならないために、定年後の第三の人生などと言わないで、農業の夢を語る集まりの活動に参加なさることをお薦めいたします。今はインターネットで多様な種類の形態が創意工夫でなされている情報を手にすることが出来ますが、同時に、その地域の農業従事者・経営者の集まりに参加して直接肌で感じることをお薦めします。商品化の創意工夫、産地直送の経営、価格の変動の研究など、それまでの農協中心型から大きく変りました。
一時期の何でも機械から、手間を掛けても良い物を、収穫増よりも出来るだけ農薬を控える方法、借金農業からの脱出など多くの課題がありますが、それを将来の夢として捉えようと言うのが合言葉になった集まりになりつつあります。わたしたちの仕事は、全て命と関わっていますから、365日が仕事です。日曜日も祝日もありませんが、土の中の微生物、川に棲む生き物、夜忍び込んでくる動物、空を飛ぶ虫たちの恩恵を受けているのが農家です。おじいちゃんやおばあちゃんは農業経営の生きた先生・お手本です。そればかりでなく、地域に住む方々の日々や行事は、わたしたちの心の宝物です。
わたしは都会に出たことはありませんから、都会の良いところはあまり知りませんが、どの種類の農業でも苦労と貧乏はありますが、大きな夢と一緒でもありますよ。主人も収入減を補うために、冬場は家を離れますが、わたしたちヤング??かあちゃんたちは、春の支度に取り掛かっています。正月休みに戻ってくる主人(とうちゃん)のお土産を子供たちとまっています。・・・・。
おじちゃんは酪農家、両親はりんご農家、わたしはヤングかあちゃんたちとハウス野菜を作っています。・・・。
=4Hクラブ=最初は、アメリカ政府の管理下で始まったよりよい農村・農業を創るために組織されたもので、戦後、日本でも「青少年クラブ」とか言う名前で行われたもので、おじいちゃんたちの教科書に載っていたと聞いたことがあります。4Hとは、Hands(手)、Head(頭)、Heart(心)、Health(健康)の頭文字で四葉のクローバーがシンボルマークです。
                宮城県  A・Kさん
 
 
(ひとみ)
s-200910180820000.jpg遠くに見える山々も色づき、土手に咲いていたコスモスも姿を消しました。初冬です。父が他界して6年になります。母ももう直ぐ90になります。子供の頃からの土地、父と耕してきた畑で今も鍬を持って子供や孫に送るのが楽しみで、野菜を作って過ごしています。車で一時間ほどのところに私たちはおりますが、私たちも夫婦だけの生活です。共働きサラリーマンとして働いてきた私たちの方が足腰は心配です。
今の心配事は母のいる地域には病院のないことと、郵便局が無くなったことです。電話で連絡は取れても急病の時が心配です。生活費も郵便局がありませんので、週に一度は買い物を兼ねて母のところに届けます。幸いなことに、地域と言うより昔からのお付き合いの村ですから、電灯の明りで様子を見てくれています。絆なんて難しいことではなく、お隣さん感覚で日々を過ごしている母の生活の方が、何か落ち着いて見えます。私たちも母の家に住もうか・・・とお茶を飲みながら話しています。・・・。
三重県  F・Fさん
 
 教員生活を終えて、念願の農家の空き家を借りて気ままな一人生活をしている。このような我が侭を、長年働いてきたあなたへのプレゼントです、と言ってくれた妻に感謝している。読みたかった本を車に積み込んでここ和歌山に来て3年になる。家事や掃除、洗濯など何も出来ない自分に情けなくなった最初のころから見ると日常の生活も何とか様になってきた。時々来る妻に腕を振るった夕食を楽しんでいる。
 専門が農業経営であったので、地域の方とはこれからの農家のあり方を語り合い、かわりに野菜の作り方や手入れなどを教えてもらいながら日々を過ごしている。学生も時々訪ねて来るので、そのような時はお年寄りの家が宿泊場にさせていただいている。ごつごつした逞しい手のひらに触れ、使い込まれた畑道具には、労働の尊さがある。
 これから電動鋸で冬支度だ。不便さの中に人間の生きる尊さを今体感している。その内に、聖書の勉強会を始めたいと思っているところです。
                    和歌山県 T・Iさん
(ひとみ)
 
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「つのぶえジャーナル」を毎月楽しみにしている一人です。「眸」の中に福祉の仕事に関わっている方のお便りを拝見し、一人悩んでいる自分に勇気をもらうことばかりです。そうして、沢山の笑顔や喜びも頂いて過ごしていることも知らされて、自分の仕事に生意気な言い方ですが誇りに思うことがあります。もう少しで20年になろうとしていますが、何時も失敗ばかりで、だめだ!ばかりです。どんな小さなミスでも絶対に許されませんのに・・・。
 学校で習った知識では追いつかないほどのいろいろの器具や複雑な操作の習得に経験が妨げになることがあります。受け入れる側の問題解決に弁解や時間はありませんが、現実は厳しいものがあります。数年前ですが、救急車のサイレンと共に、青ざめた表情で目をつむったままのご高齢の男性が来ました。何の反応もありません。
 医師をはじめ、私たちは一瞬にして緊張が走ります。隊員の説明では「近くの市の病院の前で倒れていたんですが受け入れてもらえず、あちこちの病院をあたっていたんですが・・・」と教えてくださいました。話を聞けば、発見から一時間以上たっているというのです。そんなに長い時間タライ回しされていたことに、自分に腹だたしさを感じました。
 私たちの側として万全のことをいたしましたが、二日後に息を引き取りました。老いた体で必死に助けを求めてきた病院の前で倒れ、タライ回しにされ、力尽きた男性の無念さを私たちは忘れてならないと思いました。命の重さ、尊さを思う時、改めて、今の仕事に誇りを持っています。・・・。
                 大阪府  O・Sさん
 
星とたんぽぽ
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる。
昼のお星は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。
 
散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。  (金子みすゞ童謡全集)
 
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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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