2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
眸
…。この所涼しく感じられますね。何とか暑い夏を乗り越え、無理かなあと思っていた夏休みの部活も終えることが出来そうです。私にとって体調は一番の悩みですが、いかがでしょうか?私は休みの後半の10日ほど物凄く痛みが酷くて、痛みで眠れず、久しぶりに外にでても座り込んでしまったりと思わしくない状態がありました。家で何となくテレビを見ていたら、みんなのうたで、アンジェラ・アキさんの『手紙』を聞きました。今の私にエールを送ってくれてる歌だなぁと感激しました。受験や将来のことを考えると不安で押し潰されそうでしたが、何か勇気をもらい、また頑張ってみようと思いました。無理をせずお体大切になさって下さい。私には難しいですが、「つのぶえジャーナル」、ところどころ読んでいます。
近況報告です。
近況報告です。
愛媛県 F・Mさん
教会生活は、続いていませんが、心のどこかに、神様の存在を感じていることに感謝しています。
奈良県 A・Rさん
猛暑の後はゲリラ豪雨です。次は何でしょう。お元気でいらっしゃいましたか。私は、もっと足が悪くならない内に、歩くことに挑戦しています。上高地、伊吹山など。しかし、その結果、高低差のあるところは足に負担がかかり痛くなりました。
8月1日にやっと初孫が産まれ、てんやわんやの毎日で自分のリハビリも出来ず振り回されていました。いなくなったので、これまらまた、筋トレ、ストレッチ、プールに頑張ります。お盆休みに娘と赤沢自然休養林と開田高原に行ってきました。
施設生活にも母子共に慣れるまで心配でしたが、娘は、この一年、大きな病気もせず、元気です。ありがたく感謝の毎日です。
愛知県 A・Mさん
PR
眸
こんにちわ、夏休みに大学の友だちと広島、長崎に行きました。原爆や戦争の資料を見ることが出来ました。こんな悲惨な戦争がいまも世界の各地に起こっている現実を受け入れたくありませんでした。有ってはならないことと考えたからです。私は、子供のころから祖父母から戦争の話をきいていました。自分の子供が戦死していたからです。何か今でも悔やんでいるみたいでした。「戦争中は、ほんとうにつらかった。息子を戦地に送り出し、病身のおじいちゃんと年老いた親を支えて、どんなに働いたことか。あの当時は、もう女でなんかなかった。お上の命令ならば、愛する夫やわが子を、笑って戦場へ送っていた」。しかしそれは嘘、でも反対なんか出来なかった、と言っていました。
この悲惨な資料を目にして驚いたのは、同年齢の他の友だちは戦争のことは聞いたことがないというのです。そうでした。私も両親からは聞いたことがなかった。あらためて、戦争、平和を考えることが出来た旅行でした。
千葉県 M・Yさん
救急に妻を背負いて行く道は
別れの旅の門出にとなる
急ぎ来て我が家の前に立ちたれど
待つ人の無いドアの重さよ 2006・1
朝ごとに見上げるルビーぶどう棚
いろの変わりをじっと見つめる
希望もち向かう前途は遠うけれど
歩みし道はほんのつかの間
信仰はふり返らずにひたすらに
おのれを捨てて勝利目指して 2008・
ふるさとを離れ東京に来たのは1959年、戦災復興住宅の建築をしながら、建築士となる。結婚は1959年。6日働いて7日目は主の安息日、神礼拝の日。主の日の礼拝を守る生活50年。主は生きておられることを信じる幸いを喜んでいる。
東京都 O・Nさん
眸
東京の閑静な街に幼友達が居ます。大きな家にBさん、息子夫婦、孫たち家族が一緒に暮らしています。きれいなカーテン、部屋には季節の花があります。時々お邪魔して時を過ごしていましたが、ある時、ぽつりと「寂しくて、寂しくて、大勢の家族と一緒に居ても、独りで居るのと同じ・・・」と言うのです。
Bさんは「誰も私の言うことなど聞いてくれない。息子は仕事で帰りが遅く、嫁や孫に話しかけてもカラ返事で無視されているみたい。夕食もばらばらで独りで食べる」の毎日・・・と言うのです。居間にも、それぞれ自分の部屋にもテレビがあり、居間には何時も私だけ・・・。
私は、Bさんは家族と同居してさぞ幸せだろうと思っていましたので驚いてしまいました。孤独とは何だろうと、離れている娘に電話して聞いてみました。答えなんかありませんが、娘の声や孫たちの声が私にとっての答えでした。私も一人の毎日ですが、寂しい時には娘に電話していますが、娘時代から教会に通い、毎日聖書を読むことを牧師先生から教えられていましたので、時間がある限り、信仰の本や聖書を読む習慣になっていますのでBさんのような寂しさは理解できませんでした。
ふと、私は神様から信仰を賜らなかったら・・・・と思った時、何ともいえない不安と寂しさが襲ってきました。Bさんの寂しさを感じました。そして、信仰が与えられていて本当に良かったと思いました。祈ってくださっている教会の方々や信仰の友人を思う時、つい感謝に涙しています。
私は、若い時から讃美歌の405番が好きで歌っています。下手ですがBさんのお宅に言った時、賛美歌を持って行って、一緒に歌おうと思っています。
「つのぶえジャーナル」をお読みの方の中にBさんのような方が居られたら、信仰のお話をしてあげて下さい。お願いいたします。
東京都 M・Jさん
眸
はじめまして、私は、福島県の農家に嫁いで40年になります。「つのぶえジャーナル」は娘が毎月送ってくれます。毎月の発行ご苦労様です。頑張ってください。「眸」の記事を最初に読んでいます。それは、今は逝き父と母のことを思い出すからです。ある日、元気に母と農業一筋の父が突然、寝たきりになってしまいました。一緒に生きてきた母にも大きなショックでした。父も母も家には沢山の喜びや思い出がありますから、宝物ですから、一家でお世話をすることにしました。父の楽しみは、母の手作りの料理と入浴でした。しかし、昔からの農家ですから、お風呂も昔のままでしたので、その日は、家族総出でお風呂に入れる日でした。母も私たち家族もその日は楽しい日でした。父も母も家族も一つになっていました。
それで、ヘルパーさんやお近くの方が遊びに来やすいように、陽当りの良い部屋を母の部屋にして、声をかけてもらえるようにしました。幼友達が話し相手になってくれましたし、買い物の時間にも留守番をしていただきました。その母も2年後に逝きましたが、父も母も望んでいたように最後まで自分の家で生涯を終えたいと言う希望に添えることが出来ましたのは、本当に嫁として今も感謝しています。
今は、私たち夫婦の年齢も亡き父母に近づいていますが、私たちもこの家で生涯を終えたいと母が過ごした部屋で話し合っています。きっと、近所の人が力になってくれるでしょう。
福島県 I・Kさん
(年金生活の日々大変ですが、頑張っています、と結びの言葉にありました)
眸
…。お久し振りです。Y・Yです。契約社員として働いて来ましたが、この3月末で解雇されました。それでも7年間勤めてきました。厳しい社会、障害者は一番初めに整理されます。もう何度も経験してきました。「つのぶえジャーナル」の案内をいただき開いて見ています。「つのぶえ」と感じが違いますね。聴覚障害者にとってパソコンは本当に便利になりました。今まではFAXでしたですね。私の場合、読むことは出来ても文章にするのが苦手で、なかなか連絡できませんでしたが、仕事の関係でパソコンを勉強したことで、今はいろいろの方と意見交換が出来るようになり便利になりました。時々、近況報告します。
大阪府 Y・Yさん
(お許しを得て、少し文章を手直ししてあります。編集子)
5年前に主人は天に召され、今は思い出いっぱいの住み慣れたところに猫と居ります。結婚を記念して植えた木、子供たちの誕生記念の木が緑の葉を付けた大きな木になって雨風から守ってくれています。狭い畑になりましたがひと仕事を終えては、木々に話しかけるのがわたしの楽しみです。夜、体調のことや一日の出来事を子供や孫たちにメールするのがわたしの日課です。パソコンは便利ですね。村の老人クラブで習いました。役場の方が親切に教えてくれました。もう一つ良いことがあります。村の診療所とつながっていることです。ちょっとした体調の相談事にのってもらえる安心は老人には助かります。…。
兵庫県 B・Kさん
こんにちは。
私は日々、体調を持続させるのに苦労しています。
風邪とかはひかないし見た目には元気そうに見えるんだけどね、なんか昔とは違うんですよ。どこか調子悪いとか、そういうことではなく言葉で表現することは難しいんですが・・・。
この連休は家で過ごしてるけど、この前の「みどりの日」、今は「昭和の日」に用事があって何ヶ月ぶりに名古屋に行ってきたよ。
その日も行く前まで「どうしよう、やっぱり行くのやめようかな」とか悩んでいたの。で、少し頑張って行くことにして、無事に用事を済ませることができました。で、どこにも寄り道もせず一目散に家に帰ってきました(´ヘ`;)ハァ
昔だったら喫茶店とかに入って帰る余裕がありましたが、今はもうそんな余裕も体力もなくなりました。
では。
愛知県 H・Tさん (H・Tさんはお母さんの送迎で作業所に通っている方です)
眸
ある一冊の本に出会いました。
…。この不幸な外観をもつ完全主義は教会にも入り込みます。2年ほど前、私は祈祷会の後で、しばらしく有能な説教者とコーヒーを飲んでいました。この人は非凡です。その説教をきくたびに心を満たされ、またチャレンジを受けてきました。私がその人の説教を聞ける機会はあまり多くありませんが、その人の宣教の働きは、いつも神のみことばによって考え方を新たにしてくれます。40代後半の若さにもかかわらず、大きな役割を果たしている教会に仕えている人です。しかしその晩コーヒーを飲みながら、その人は静かに次のように語り始めたのです。「ドン、実を言うと私はもう疲れているのだ。有能な説教者が50歳で牧会や教役を退く理由が初めてわかったよ。毎週毎週、日曜ごとに、宣教の働きの今のレベルを維持すれば、燃え尽きるしかない。私は疲れている。そして打ち明けるが、私は完全主義者なので、徹底的に準備ができなければ、説教壇に立ちたくない。説教の備えができていると思わなければ、それを語る気になれない。」
それに対して私はわずかばかりの陳腐な言葉を述べ、それから共に祈りました。数ヵ月後、私はオーストラリアで説教と講義をしていましたが、そのときだれかが、ムーア神学校の校長だったプロートン・ノックスの格言の1つを書いて渡してくれました。このメモによると、ノックスは神学生たちに「神は100パーセント主義に関心をお寄せにならない」と語ったと言うことです。(「祈りの力と霊的改革」D・Aカーソン著 今井敦子訳・いのちのことば社)
兵庫県 A・Yさん
眸
はじめまして、私は県立高校の1年生です。来月から2年生になります。父が見ている「つのぶえジャーナル」の「眸」を読んで投稿しようと思いました(父は良いよといってくれました)。私の家は、今は亡くなりましたが祖父母の時からの「みかん農家」です。兄と姉は大学を卒業してそのまま大阪で働き、今は両親と3人家族です。
今でも思い出すと当時の不安と悲しみが襲って来ます。高校受験を控えていた11月、突然母が入院し、7ケ月後に退院したのですが、悲しみと不安で勉強など出来ませんでした。兄たちも、心配しないで勉強に集中しろ! と声をかけてくれました。父は、毎日車で1時間の入院先の病院へ行きます。
それまで何の心配もなく学校に行き、家事の世話をしてくれていた母、将来のことも相談に乗ってくれていた母の入院です。どうしてよいのかわからず、毎日泣いていました。作ったことのない食事、したこともない洗濯や掃除や買い物を父がやり始めました。お前は勉強が第一だ、心配するな…、と言ってくれましたが、疲れと毎日の生活の負担か、元気がなくなり、老人のように変わりました。
…。食事の時には家族そろってが当り前だった私たちでしたが、今はひとりぽっちの食事です。父が作ってくれたものですから、やはりおいしくありません。そんな時、母を思い出して泣いていました。
…。幸い、高校に合格しました。大阪から姉が来てくれた入学式でした。通学用の自転車は兄が買ってくれました。…。母は、約8ケ月の入院生活の後、退院し今は在宅です。最初は、一日中外を眺めている生活のようでしたが、最近、ポータブルトイレが使えるようになり、とても明るくなりました。…。高校に行くようになった時、父にお願いして、掃除と食事、洗濯の手伝いをすることになりました。父が「ありがとう」と言ってくれた時、うれしかった。
私の家は祖父母も両親もクリスチャンです。私たちも子供の時から中学生まで皆で礼拝に出掛けていました。親たちの願いは、子供たちが教会に行くことです。今は兄や姉も教会には行っていません。兄や姉もそうだと思うのですが、クリスチャン家庭に育ったら当然子供たちも…と周囲から見られ、両親も期待します。両親も、何時も信仰が大事、神様第一と言います。それが辛いのです。嫌なのです。
自分で考えたいのです。自分で決めたいのです。その時間が欲しいのです。兄や姉、私も将来、どこかの教会に行くことは確実です。私には夢があります。県内の国公立の大学に行き(経済的理由)、教員か、みかん栽培の勉強をしようと思っています。
母の病気で,私も少し役に立てるようになりました。そうして、家族の大切さ、一人祈っている父の姿を見ました。父が、ありがとう! と言ってくれたことがとても嬉しかったので、書きました。父も母もこの「つのぶえジャーナル」を読むので・・・。
お父さん、お母さんありがとう。私たちを信じて、待っていて下さい。
愛媛県 M・N
(長いメールでしたので、M・Nさんに読んで頂いて掲載しました)編集子
眸
私はこの施設で働いて11年目になります。母がお世話になった関係で何十年振りかで看護婦の資格を活かしてのことです。独り生活の身になり何かしなければ駄目になるという焦りもありました。幸いに同じ街ですが少し離れたところに娘がいますので心強いです。「つのぶえジャーナル」は娘がコピーして届けてくれます。この仕事に就いて改めて家族の絆の大切さ、あたたかさを感じています。
こんなことがありました。2ヶ月ほど前でしたが、Yさんは食事も取らずにハンカチで顔を覆っていました。「どうしたの、具合が悪いの」と聞くと何も変わったことはないと言うのです。
暫くしてポツリと言いました。たどたどしい言い方ですが、息子が手術すると言って、また涙ぐんでしました。ご家族に事情を聞いてみると、息子さんは精密検査を受けるとのことでした。そのことをYさんに伝えるとみるみる表情が明るくなりました。私ばかりでなくスタッフみんなも明るくなりました。
私たちの仕事は、医療ばかりでなく、不十分でもお年寄りの心の部分に係わっています。ここに居られても心の中ではお子さんたちのことを案じておられるのです。
家族や親子の悲しい事件のニュースを聞く度に、事件になるまでの悲惨さがたまらなく悲しくなります。
さあ、元気を出して、笑顔!笑顔!で頑張ります。
山形県 S・Wさんのお便り(掲載のお許しをいただいております)
眸
…。月の半分は仕事で家を空ける生活も19年目になりました。子供たちのことなど一切を妻に任せ、連絡は此方からで、何か変わったことはないか程度、常に一方通行だった。携帯電話になって、少し妻からの言葉が送られて来て様子が分かるようになった。子供との会話など余りない。
最近、妻専用のパソコンを購入した。それは反省からである。ある出来事から用件のみの夫婦であったことが原因であった。家内の気持ち、考えていることなど、全く知らない状態が大きな原因。子供と一緒に家内は変化・成長しているのに、自分は全く関わっていなかったことに気付いたのである。正直、夫失格、父親失格を思い知らされたからである。
不思議なことに、家では会話のない夫婦でも、パソコンでは、自分の気持ちや子供たちの様子も書いて送信してくれるようになりパソコンの恩恵を受けている。学生時代にはよく手紙をお互いに書いていたのが結婚してから、気持ちの伝達は段々消えてしまっていた20余年。
それが、メール交換で復活し、気持ちを伝え合えるようになった。時々、お仕事大変ね、体に気をつけて、愛してます、と言う言葉にほろりとさせられている。そんなある時、妻のメールの中に貴社の「つのぶえジャーナル」のことが書いてあったので見るようになった。今もホテルで読んでメールしたところです。…。
新潟県 H・Hさんからのメール(掲載承諾済)
眸
「つのぶえジャーナル」をお読みの皆さん、新年おめでとうございます。このメールは12月4日に受信したものです。「つのぶえジャーナル」は1号から読んで下さっているそうです。
私は、在宅ベット生活5年目になりました。会社人間の生活を自慢していました。その会社を定年退職したのと同時に突然の入院生活、そして今はベットの上です。ある時まで、外の世界は、家内と子供たち、そして、時々訪ねてくれる元同僚から季節の話を聞いていました。
しかし今は、幸いにも、会社でパソコンを使っていましたので、それを活用しています。ですから、狭いベットの生活ですが、それまでと違って気持ちは明るくなりました。 最近やっと、心に思う友のために祈り、ニュースで知る悲惨な出来事の中におられる世界の人々に平安と平和を祈ることが出来るようになりました。
しかし今は、幸いにも、会社でパソコンを使っていましたので、それを活用しています。ですから、狭いベットの生活ですが、それまでと違って気持ちは明るくなりました。 最近やっと、心に思う友のために祈り、ニュースで知る悲惨な出来事の中におられる世界の人々に平安と平和を祈ることが出来るようになりました。
手術を受けた時のことが、何時も私を神様に戻します。
こんなお祈りをしたように思います。「神様、手術を受けなければならない時が来ました。祈りをもって備えてきましたが、悲しいかな、私の心は不安と恐怖で押し潰されそうです。平安と落ち着きを見い出すために、一体どちらを向けば良いのでしょうか。この世の中で、私はあなたのみ言葉と御許の他に行くべきところがないにも拘らず、行けないのです。どうぞ、お見捨てにならないで下さい。悟らせて下さい。お恵みを下さい。 麻酔で眠りにいる間も見守って下さい。どうか、医師の方々の手を導き、知恵と力をお授け下さい。そして看護する方々に祝福をお与え下さい。今、静かに思う時、今までの人生は本当に罪多きを思い知らされています。そのような今までをお許し下さり、死の恐怖と罪の滅びから解放して下さい。」
術後の祈りは「あなたは医師の手をお導き下さり、あなたのみ恵みにより、安全にこの危機を通り抜けさせていただきました。改めて、あなたのみ言葉は希望であり、力でした。私は再び、病室・ベットに戻っております。ありがとうございます。神様、今のこの感謝と讃美が、一時的な心の高まりではなく、これからも持ち続けさせて下さい。あなたから新しい命を頂いた思いでおります。この思いを忘れることなくこれからの歩みの基とさせて下さい。 あなたこそ、悩みの時の近き助けであり、希望であることを告白し、執り成しの祈り人へと成長させて下さい。」
そうして今5年目のベット生活です。振り返って自分を思う時、人目には明るく笑顔で過ごしておりますが、日増しに不安が募ります。むしろ、苦悩と不安が襲います。苛立つ心、落ち着かない日々を過ごしております。それでも、そのような自分と共に、入院当時のお一人お一人のお顔を思い浮かべ祈っています。希望を失っている病床の友があれば助けて下さい。訪れる人のないHさんに慰めをお与え下さい。難病の幼子のために終日付き添っておられるIさんとそのご族を守って下さい。
病床生活になってから一度も教会の礼拝には出席しておりません。元気な時の心と信仰、教会の礼拝に余り喜びはありませんでした。感謝の伴わない讃美でした。それでも、周りの方々は私をキリスト者として接してくださいました。しかし、今はベットが教会です。日々が礼拝になりました。祈って下さる友の祈りを信じ、訪ねて下さる教会の方々や牧師先生、何度も読み返す週報が支えです。教会には連なってはいませんが、連なっており、あなたとはしっかりと繋がっています。
家族の者、特に家内には本当に感謝しています。最近は腰痛気味です。
在宅生活の皆さん、あなたのベットを在宅教会とし、信仰生活としませんか。
横須賀市 匿名希望者より
眸
この街に来て10年になります。農家の主婦としては新米ですが、地域の方々との交流や、私の子供を含めて4世代家族ですが主人の専業農家の夢に共に働いています。地域の仕来り、習慣、人間関係には違和感を感じました。それまで育った地域は団地の生活で『地域』とか、『仕来り』など無縁でした。慣れるまで息苦しい思いに陥ることが続き逃げ出したい思いにもなりました。それが、ある出来事から変わりました。
何処に行っても病院があるところに育った私には、三代続く診療所が一つにとても不安になったのですが、祖母が倒れた時に、いち早く駆けつけて下さったのが診療所のG先生でした。日ごろから診ていて下さっている先生で、祖母も安心していました。ホームドクターと言う言葉は活字では知っていましたが、初めての体験でした。小さな町ですから当然ですが、ほとんどの人はG先生のお世話になっています。診療所の待合室はお互いの近況確認や楽しい集会所です。作物の出来具合から子供たちの成長具合、夫婦喧嘩のことまで話題になっています。意識してプライバシーを守ろうとか、そのようなことはありませんが、何か知りませんが良いルールがあるようで、深入りしませんし陰口もありません。
私たちは学生時代に教会で知り合いましたから、私たち家族だけが或いはクリスチャン家族かもしれません。最初は冠婚葬祭で悩みましたが、長男の病気の時、この診療所の御かげで、私たちはクリスチャンなのです、とつい話すことになってしまいました。
それまでは、近所の人たちもどのように接してよいのか戸惑っていました。これは親戚、両親、祖父母も同じでした。そんな時、G先生が、私も若い頃教会に行っていたよ。父の仕事を引き継いで、この街に来たが教会はなく、もう30年以上『教会』とか『クリスチャン』とか言う言葉は聞かないままだったね。クリスチャンに悪い人はいないから可愛がってあげてね、と言われたのです。最近は、クリスチャンではどう考えるのなんて、同世代の人に聞かれて困ってしまいます。
幸い、自営農家ですから礼拝には少し離れたところに伝道所がありますのでお弁当持参で、家族5人で夕方ごろまで教会で過ごしています。都会では味わえない主にある交わりと地域の方々に支えられています。夢ですが、私の家で地域の方々をお招きして、この地域にあったクリスマス会をG先生のお元気な内におこないたいね、と主人と祈っています。残念、今年もダメでしたが…。
岡山県 W・S
この街に来て10年になります。農家の主婦としては新米ですが、地域の方々との交流や、私の子供を含めて4世代家族ですが主人の専業農家の夢に共に働いています。地域の仕来り、習慣、人間関係には違和感を感じました。それまで育った地域は団地の生活で『地域』とか、『仕来り』など無縁でした。慣れるまで息苦しい思いに陥ることが続き逃げ出したい思いにもなりました。それが、ある出来事から変わりました。
何処に行っても病院があるところに育った私には、三代続く診療所が一つにとても不安になったのですが、祖母が倒れた時に、いち早く駆けつけて下さったのが診療所のG先生でした。日ごろから診ていて下さっている先生で、祖母も安心していました。ホームドクターと言う言葉は活字では知っていましたが、初めての体験でした。小さな町ですから当然ですが、ほとんどの人はG先生のお世話になっています。診療所の待合室はお互いの近況確認や楽しい集会所です。作物の出来具合から子供たちの成長具合、夫婦喧嘩のことまで話題になっています。意識してプライバシーを守ろうとか、そのようなことはありませんが、何か知りませんが良いルールがあるようで、深入りしませんし陰口もありません。
私たちは学生時代に教会で知り合いましたから、私たち家族だけが或いはクリスチャン家族かもしれません。最初は冠婚葬祭で悩みましたが、長男の病気の時、この診療所の御かげで、私たちはクリスチャンなのです、とつい話すことになってしまいました。
それまでは、近所の人たちもどのように接してよいのか戸惑っていました。これは親戚、両親、祖父母も同じでした。そんな時、G先生が、私も若い頃教会に行っていたよ。父の仕事を引き継いで、この街に来たが教会はなく、もう30年以上『教会』とか『クリスチャン』とか言う言葉は聞かないままだったね。クリスチャンに悪い人はいないから可愛がってあげてね、と言われたのです。最近は、クリスチャンではどう考えるのなんて、同世代の人に聞かれて困ってしまいます。
幸い、自営農家ですから礼拝には少し離れたところに伝道所がありますのでお弁当持参で、家族5人で夕方ごろまで教会で過ごしています。都会では味わえない主にある交わりと地域の方々に支えられています。夢ですが、私の家で地域の方々をお招きして、この地域にあったクリスマス会をG先生のお元気な内におこないたいね、と主人と祈っています。残念、今年もダメでしたが…。
岡山県 W・S
眸
年寄りの手紙で読みにくいでしょうがお許しください。
心のぬくもりは伝わるものです。近所にいる幼友達の斎田さんが椅子に腰掛けようとして転び、太とももの骨折で入院してしまいました。病室を訪れると気弱になって、「こんなになってしまって、もう家に帰れないでしょうね」と心配そうでした。大丈夫、あなたの知っている鈴木さんも、去年骨折して入院したけど、リハビリを一生懸命やったおかげで、ツエで歩けるまでに回復したでしょう、元気を出して頑張って! というと、そうでしたね! と自分に言い聞かせるように言って少し微笑んでくれました。
わたしの住む村は年寄りばかり。狭い村だから皆親戚みたい。しかし、身寄りのない人もいる。先ほどの斎田さんもその一人。手術の日が決まったと電話があった。何かあったら電話をしてねという酒井さんに連絡したらお嫁さんの明るい声がした。
手術について説明すると「まあ、本当ですか。痛がっているでしょうね。うちのおばあちゃんも今は寝たきりになってしまいましたが、悲しむが伝えておきます」と言ってくれました。
手術の当日のことでしたが、酒井さんのお嫁さんが、紙袋に下着やいろいろの身の回りのものを入れて、今日は、主人が義母の世話をするので付き添ってあげなさいと言われたので、と来てくれました。斎田さんのことはおばあちゃんのお茶飲み友達なので、よく知っているので快く来てくれました。おばあちゃんの具合はどうですか、と一刻も早く会いたい様子だっので、病室に行ってもらいました。
昨晩からの気疲れか、斎田さんは寝ていたが、ゆっくり目を開いた。お嫁さんの顔を見て驚いていたが事情を説明したら、目に涙だが溢れていました。そうして、お嫁さんの手をしっかりと握り、頭を何度も下げている様子。
そっと握り合っているあたたかそうな手のぬくもりを見てわたしも一安心して、帰ってきました。わたしたち年寄りには、このぬくもりが一番です。そんなことがありましたので一筆。
神様のお守りで無事に手術が終わりますようにと祈りました。
栃木県 相沢トメ(仮名)
カテゴリー
ブログ内検索
バックナンバー
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
[PR]Samurai Sounds
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円