2023年7月号
№193
号
通巻877号
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解説 ウエストミンスター信仰告白 (13)
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第六章 人間の堕落と罪、および罰について(2)
5 この本性の腐敗は、この世にある間は、再生した者の中にも残存する(1)。それは、キリストによってゆるされまた殺されはするものの、それ自体もそのすべての活動も共に、まことにまさしく罪なのである(2)。
1 Ⅰヨハネ1:8,10、ロマ7:14,17,18,23、ヤコブ3:2、箴20:9、伝道7:20
2 ロマ7:5,7,8,25、ガラテヤ5:17
五 ここでは、聖化の地上での未完成と腐敗そのものが罪である(すなわち、原罪または性質罪)点を告白している。神との交わりより落ちた者が、キリストにつぎ木されて新しいいのちが育成されつつあるけれども、古い性質は死滅してはいないのである。地上の生活は、本来この古いいのちの源より生かされているものである限り、罪人の腐敗性は残存しているのである。
罪はキリストにあって義とされている限り、それは赦させた罪であり、聖化の対象である限り、日々に死につつある罪ではあるが、それ自身が罪であることには変わりはない。そこが罪を行為としてのみ見る現代倫理学(観)と聖書との根本的な相違である。罪とは、罪の行為であるばかりでなく、罪の状態、罪の性質も含むのである。ローマ人への手紙7章20節で言われている「わたしの内に宿っている罪」は、この意味である。
地上のいのちと永遠のいのちとは、同じいのちでも別な源を持つのである。すなわち、ヨハネによる福音書1章4節の「この言葉にいのちがあった」のように、永遠のいのちは、すべてキリストを源とし、聖霊の賦与者としてわたしたちに与えられているけれども、地上のいのちは、創造に起源を発し、一般恩恵に支えられたいのちであって、神の審判に服さざるをえないものである。すなわち、いつかは死ぬのである。
キリストは創造と贖罪と審判の業をなされる。同一のキリストを源とするいのちも、創造の業に発する地上のいのちと贖罪の業に発する復活のいのちとは異なるものである。罪の性質は、その地上のいのちと運命をともにするものであるために、肉体の死、または、キリストの再臨に日まで生きている人間に残存するものである。減少はしても絶滅はしない。
6 原罪も現実罪も、罪はことごとく、神の正しい律法への違反であり、それに反するものであるから(1)、それ自身の性質上、罪人の上にとがをもたらし(2)、罪人はそれによって神の怒り(3)と律法ののろい(4)のもとにおかれ、その結果、霊的(5)、一時的(6)、また永遠的な(7)すべての悲惨を伴う死(8)に服させられている。
1 Ⅰヨハネ3:4
2 ロマ2:15、ロマ3:9,19
3 エペソ2:3
4 ガラテヤ3:10
5 エペソ4:18
6 ロマ8:20、哀3:39
7 マタイ25:41、Ⅱテサロニケ1:9
8 ロマ6:23
六 この項は前述の諸項の要約であり補いである。ウエストミンスター小教理問答では「堕落は人類をどのような状態にしたか」(問い7)の問に対して、「・・・罪と悲惨の状態にした」と答え、罪の方に原義の喪失と性質の腐敗をかぞえ、悲惨の方で交わりと喪失と死とを教えるのみでなく、罪責の転嫁を前者の方に、怒りと呪いを後者の方に記している。この項での告白では、このような二分法を用いず、罪と悲惨とを統一的な事柄として、そのより根源的なものから論理的順序で、より現実的なものへの関連を示そうとしている。
この論理的順序から見ると、死と性質の腐敗とは、同一事の過程と終局と考えられる。しかし、二項で言われている「罪の中に死んだ者」と六項の「すべての悲惨を伴う死」とは、やや意味が異なる。二項の方は、再生において回復されるところの霊的死であり、六項は、最後の審判で復活体としての人間が、捨て置かれる死の状態を指している。従って、それよりの救いは、義とされた者の最後の審判での永遠のいのちへのよみがえり以外にない。
<結び>
この第六章は、ごく簡単であるが、聖書的罪観をよく表現した名文である。罪の責任が人間にあって、神にも悪魔にもないということ(悪魔は彼自身の罪の責任を負う)、罪は人間によって犯された事実でありつつ、神の聖定が混乱したのではなく、神はすべてにおいて絶対的主権者であること、罪は対神、対世界、対自身の三つの面に深い結果を及ぼしていること、アダムの罪が全人類に転嫁と遺伝の両方式で波及していること、行為のみが罪ではなく、罪を生む性質そのものが罪として、罪責、罰にあたいすること、こうして、罪人の救いが如何に重大事であり、従って、自力救済が望みのないことであるかを、また、キリストの贖罪と聖霊の活動がいかに大いなる恩恵であるかを、明瞭にするのである。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第六章 人間の堕落と罪、および罰について(2)
5 この本性の腐敗は、この世にある間は、再生した者の中にも残存する(1)。それは、キリストによってゆるされまた殺されはするものの、それ自体もそのすべての活動も共に、まことにまさしく罪なのである(2)。
1 Ⅰヨハネ1:8,10、ロマ7:14,17,18,23、ヤコブ3:2、箴20:9、伝道7:20
2 ロマ7:5,7,8,25、ガラテヤ5:17
五 ここでは、聖化の地上での未完成と腐敗そのものが罪である(すなわち、原罪または性質罪)点を告白している。神との交わりより落ちた者が、キリストにつぎ木されて新しいいのちが育成されつつあるけれども、古い性質は死滅してはいないのである。地上の生活は、本来この古いいのちの源より生かされているものである限り、罪人の腐敗性は残存しているのである。
罪はキリストにあって義とされている限り、それは赦させた罪であり、聖化の対象である限り、日々に死につつある罪ではあるが、それ自身が罪であることには変わりはない。そこが罪を行為としてのみ見る現代倫理学(観)と聖書との根本的な相違である。罪とは、罪の行為であるばかりでなく、罪の状態、罪の性質も含むのである。ローマ人への手紙7章20節で言われている「わたしの内に宿っている罪」は、この意味である。
地上のいのちと永遠のいのちとは、同じいのちでも別な源を持つのである。すなわち、ヨハネによる福音書1章4節の「この言葉にいのちがあった」のように、永遠のいのちは、すべてキリストを源とし、聖霊の賦与者としてわたしたちに与えられているけれども、地上のいのちは、創造に起源を発し、一般恩恵に支えられたいのちであって、神の審判に服さざるをえないものである。すなわち、いつかは死ぬのである。
キリストは創造と贖罪と審判の業をなされる。同一のキリストを源とするいのちも、創造の業に発する地上のいのちと贖罪の業に発する復活のいのちとは異なるものである。罪の性質は、その地上のいのちと運命をともにするものであるために、肉体の死、または、キリストの再臨に日まで生きている人間に残存するものである。減少はしても絶滅はしない。
6 原罪も現実罪も、罪はことごとく、神の正しい律法への違反であり、それに反するものであるから(1)、それ自身の性質上、罪人の上にとがをもたらし(2)、罪人はそれによって神の怒り(3)と律法ののろい(4)のもとにおかれ、その結果、霊的(5)、一時的(6)、また永遠的な(7)すべての悲惨を伴う死(8)に服させられている。
1 Ⅰヨハネ3:4
2 ロマ2:15、ロマ3:9,19
3 エペソ2:3
4 ガラテヤ3:10
5 エペソ4:18
6 ロマ8:20、哀3:39
7 マタイ25:41、Ⅱテサロニケ1:9
8 ロマ6:23
六 この項は前述の諸項の要約であり補いである。ウエストミンスター小教理問答では「堕落は人類をどのような状態にしたか」(問い7)の問に対して、「・・・罪と悲惨の状態にした」と答え、罪の方に原義の喪失と性質の腐敗をかぞえ、悲惨の方で交わりと喪失と死とを教えるのみでなく、罪責の転嫁を前者の方に、怒りと呪いを後者の方に記している。この項での告白では、このような二分法を用いず、罪と悲惨とを統一的な事柄として、そのより根源的なものから論理的順序で、より現実的なものへの関連を示そうとしている。
この論理的順序から見ると、死と性質の腐敗とは、同一事の過程と終局と考えられる。しかし、二項で言われている「罪の中に死んだ者」と六項の「すべての悲惨を伴う死」とは、やや意味が異なる。二項の方は、再生において回復されるところの霊的死であり、六項は、最後の審判で復活体としての人間が、捨て置かれる死の状態を指している。従って、それよりの救いは、義とされた者の最後の審判での永遠のいのちへのよみがえり以外にない。
<結び>
この第六章は、ごく簡単であるが、聖書的罪観をよく表現した名文である。罪の責任が人間にあって、神にも悪魔にもないということ(悪魔は彼自身の罪の責任を負う)、罪は人間によって犯された事実でありつつ、神の聖定が混乱したのではなく、神はすべてにおいて絶対的主権者であること、罪は対神、対世界、対自身の三つの面に深い結果を及ぼしていること、アダムの罪が全人類に転嫁と遺伝の両方式で波及していること、行為のみが罪ではなく、罪を生む性質そのものが罪として、罪責、罰にあたいすること、こうして、罪人の救いが如何に重大事であり、従って、自力救済が望みのないことであるかを、また、キリストの贖罪と聖霊の活動がいかに大いなる恩恵であるかを、明瞭にするのである。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円