2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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解説 ウエストミンスター信仰告白 (15)
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第七章 人間との契約について(2)
4 この恵みの契約は、聖書で、しばしば遺言という名で表わされている。それは遺
言者イエス・キリストの死と、それによって譲渡される永遠の遺産とに、それに
属するすべてのものも含めて関連している(1)。
1 ヘブル9:15-17、ヘブル7:22、ルカ22:20、Ⅰコリント11:25
四 契約という語には、二つの意味または種類を含むところの、相互契約と一方的契約とがあり、一方的契約は特に遺言にその特色がよく現れている。聖書はこの遺言の方の意味で用いている。テスタメントは、この意味である。恵みの契約は、神と子の契約と同時に、キリストと選びの民との契約である。特に後者の観点から、遺言という言葉が適合する。
本告白第八章で学ぶのであるが、キリストは実に、この恵みの契約において、一方、神に対して契約の受益者であると同時に、選びの民に対して契約者の立場に立たれる。恵みの契約は、実に神にして人なるキリストにあって、神と人との間に結ばれているものである。かつ、それが恵みの契約であるのは、実に、キリストの死による血をもって贖われたことによって、遺産付与が一方的約束ごとであるというところにその根拠がある。
5 この契約は、律法の時代と福音の時代とで異なって執行された(1)。律法のもとで
は、それは約束、預言、犠牲、割礼、過越の小羊、その他ユダヤの国民に与えられ
た予型や規定によって執行され、それらはすべて来たるべきキリストを予示(2)して
いて、約束のメシヤヘの信仰に選民を教え育てるのに、その時代にとっては聖霊の
働きによって十分で有効であった(3)。このメシヤによって、彼らは完全な罪のゆる
しと永遠の救いを得ていた。それは旧約と呼ばれる(4)。
1 Ⅱコリント3:6-9
2 ヘブル8-10章、ロマ4:11、コロサイ2:11,12、Ⅰコリント5:7
3 Ⅰコリント10:1-4、ヘブル11:13、ヨハネ8:56
4 ガラテヤ3:7-9,14
五 第二の契約はいつ成立したのだろうか。それはアブラハムの選びと召命の時と見てよいであろう。この契約には、二つの明白な時代の区別がある。わたしたちが旧約時代・新約時代と呼ぶのはそれであるが、ここでは律法の時代・福音の時代と呼ばれている。ここで、律法時代と呼ばれているものを旧約すなわち律法、新約時代すなわち、福音と受け取ってはならない。旧約時代にも福音があり、新約時代にも律法が存在するが、旧約時代を律法の時代と呼ぶのは正しい。ここでは、もっぱら福音の時代との相違点を述べている。
それは主として、契約の執行に関する相違である。執行とは、約束の恵みを与える方法、すなわち、恩恵の手段と呼ばれているものであるが、また同時に、それに与る人間の相違も問題になる。けれども、恵みそのものは別ものではなく、まったく同一のもの、三項で言われたところの(いのちと救い及びそのための唯一の条件である信仰を与えること、また、信仰を生む唯一の有効な力である聖霊を与えること)ものにほかならない。また、旧約時代といえども、すでにキリストによる救いが与えられていて、従って、キリストの教会が地上にも天上にも存在していた。その意味でアブラハムこそ最初のクリスチャンであると言うことがこの告白であり、改革派教会の主張である。
6 本体であるキリスト(1)が現わされた時代である福音のもとでは、この契約が実施される規定は、み言葉の説教と、洗礼並びに主の晩餐の礼典の執行である(2)。それらは数が少なくなり、より簡単に見栄え少なく執行されてはいるが、それでもなお、この契約はそれらの中に、ユダヤ人にも異邦人にもすべての国民に(3)、一層十分に明確に、そして霊的効力をもって提示されている(4)。これが新約と呼ばれる(5)。だから本質上異なった二つの恵みの契約があるのではなくて、違った時代のもとに、同一のものがあるのである(6)。
1 コロサイ2:17
2 マタイ28:19,20、Ⅰコリント11:23-25
3 マタイ28:19、エペソ2:15-19
4 ヘブル12:22-27(*)、エレミヤ31:33,34
*ヘブル12:22-28が正しい
5 ルカ22:20
6 ガラテヤ3:14,16、行伝15:11、ロマ3:21-23,30、
詩32:1、ロマ4:3,6,16,17,23,24(*)、ヘブル13:8
*詩32:1をロマ4:3,6,16,17,23,24と比較
六 聖書には三種の宗教が記されている。偶像教(異教)とユダヤ教とまことの宗教である。異教は悪魔的宗教であり、ユダヤ教は次の二つの点で誤っている。
第一は、恵みの契約の下にあるのに、依然として、業の契約の条件で救いを得ようとしているという点と、第二は、福音の時代であるのに、依然として、律法時代の執行方式に固執している点である。へブル人への手紙やパウロ書簡で言われている旧約時代と新約時代の比較は、決して異教とキリスト教、またキリスト教とユダヤ教の比較ではない。旧約時代が神の啓示の宗教であることを肯定しつつ、新約時代が執行方式に関して勝ることを主張し、律法時代が今や終わったことを教えているのである。
(補注)
恵みの契約の始期については(1)創世記3章15節のいわゆる原福音 (2)律法時代の始期については、モーセによるシナイ契約(出エジプト記)と見ることもできるであろう。けれども、一般には、原福音は予言であって、歴史上アブラハム契約(創世記12章以下)が実際上その最初の発動であり、契約を聖定論の見地からみれば、永遠の契約、摂理論の問題とすればアブラハムから始まり、モーセの律法に対して、これを約束と呼ぶことは使徒行伝7章やガラテヤ人への手紙での呼び方である。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第七章 人間との契約について(2)
4 この恵みの契約は、聖書で、しばしば遺言という名で表わされている。それは遺
言者イエス・キリストの死と、それによって譲渡される永遠の遺産とに、それに
属するすべてのものも含めて関連している(1)。
1 ヘブル9:15-17、ヘブル7:22、ルカ22:20、Ⅰコリント11:25
四 契約という語には、二つの意味または種類を含むところの、相互契約と一方的契約とがあり、一方的契約は特に遺言にその特色がよく現れている。聖書はこの遺言の方の意味で用いている。テスタメントは、この意味である。恵みの契約は、神と子の契約と同時に、キリストと選びの民との契約である。特に後者の観点から、遺言という言葉が適合する。
本告白第八章で学ぶのであるが、キリストは実に、この恵みの契約において、一方、神に対して契約の受益者であると同時に、選びの民に対して契約者の立場に立たれる。恵みの契約は、実に神にして人なるキリストにあって、神と人との間に結ばれているものである。かつ、それが恵みの契約であるのは、実に、キリストの死による血をもって贖われたことによって、遺産付与が一方的約束ごとであるというところにその根拠がある。
5 この契約は、律法の時代と福音の時代とで異なって執行された(1)。律法のもとで
は、それは約束、預言、犠牲、割礼、過越の小羊、その他ユダヤの国民に与えられ
た予型や規定によって執行され、それらはすべて来たるべきキリストを予示(2)して
いて、約束のメシヤヘの信仰に選民を教え育てるのに、その時代にとっては聖霊の
働きによって十分で有効であった(3)。このメシヤによって、彼らは完全な罪のゆる
しと永遠の救いを得ていた。それは旧約と呼ばれる(4)。
1 Ⅱコリント3:6-9
2 ヘブル8-10章、ロマ4:11、コロサイ2:11,12、Ⅰコリント5:7
3 Ⅰコリント10:1-4、ヘブル11:13、ヨハネ8:56
4 ガラテヤ3:7-9,14
五 第二の契約はいつ成立したのだろうか。それはアブラハムの選びと召命の時と見てよいであろう。この契約には、二つの明白な時代の区別がある。わたしたちが旧約時代・新約時代と呼ぶのはそれであるが、ここでは律法の時代・福音の時代と呼ばれている。ここで、律法時代と呼ばれているものを旧約すなわち律法、新約時代すなわち、福音と受け取ってはならない。旧約時代にも福音があり、新約時代にも律法が存在するが、旧約時代を律法の時代と呼ぶのは正しい。ここでは、もっぱら福音の時代との相違点を述べている。
それは主として、契約の執行に関する相違である。執行とは、約束の恵みを与える方法、すなわち、恩恵の手段と呼ばれているものであるが、また同時に、それに与る人間の相違も問題になる。けれども、恵みそのものは別ものではなく、まったく同一のもの、三項で言われたところの(いのちと救い及びそのための唯一の条件である信仰を与えること、また、信仰を生む唯一の有効な力である聖霊を与えること)ものにほかならない。また、旧約時代といえども、すでにキリストによる救いが与えられていて、従って、キリストの教会が地上にも天上にも存在していた。その意味でアブラハムこそ最初のクリスチャンであると言うことがこの告白であり、改革派教会の主張である。
6 本体であるキリスト(1)が現わされた時代である福音のもとでは、この契約が実施される規定は、み言葉の説教と、洗礼並びに主の晩餐の礼典の執行である(2)。それらは数が少なくなり、より簡単に見栄え少なく執行されてはいるが、それでもなお、この契約はそれらの中に、ユダヤ人にも異邦人にもすべての国民に(3)、一層十分に明確に、そして霊的効力をもって提示されている(4)。これが新約と呼ばれる(5)。だから本質上異なった二つの恵みの契約があるのではなくて、違った時代のもとに、同一のものがあるのである(6)。
1 コロサイ2:17
2 マタイ28:19,20、Ⅰコリント11:23-25
3 マタイ28:19、エペソ2:15-19
4 ヘブル12:22-27(*)、エレミヤ31:33,34
*ヘブル12:22-28が正しい
5 ルカ22:20
6 ガラテヤ3:14,16、行伝15:11、ロマ3:21-23,30、
詩32:1、ロマ4:3,6,16,17,23,24(*)、ヘブル13:8
*詩32:1をロマ4:3,6,16,17,23,24と比較
六 聖書には三種の宗教が記されている。偶像教(異教)とユダヤ教とまことの宗教である。異教は悪魔的宗教であり、ユダヤ教は次の二つの点で誤っている。
第一は、恵みの契約の下にあるのに、依然として、業の契約の条件で救いを得ようとしているという点と、第二は、福音の時代であるのに、依然として、律法時代の執行方式に固執している点である。へブル人への手紙やパウロ書簡で言われている旧約時代と新約時代の比較は、決して異教とキリスト教、またキリスト教とユダヤ教の比較ではない。旧約時代が神の啓示の宗教であることを肯定しつつ、新約時代が執行方式に関して勝ることを主張し、律法時代が今や終わったことを教えているのである。
(補注)
恵みの契約の始期については(1)創世記3章15節のいわゆる原福音 (2)律法時代の始期については、モーセによるシナイ契約(出エジプト記)と見ることもできるであろう。けれども、一般には、原福音は予言であって、歴史上アブラハム契約(創世記12章以下)が実際上その最初の発動であり、契約を聖定論の見地からみれば、永遠の契約、摂理論の問題とすればアブラハムから始まり、モーセの律法に対して、これを約束と呼ぶことは使徒行伝7章やガラテヤ人への手紙での呼び方である。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円