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『旧・新約婦人物語』(49)
エステル =エステル記=
紀元前400年ごろ、ペルシャの国はアハシュエロス王が治めておりました。この時代はペルシャの全盛期で、領土はインドからエチオピアまで127州におよんでいました(1:1)。王の治世3年に、王は各州の大臣、貴族、将軍たちを集め、180日にわたる大宴会を催し、王の大きな富と、盛んな威光を示しました。その後で都シュシャンにいる大小すべての民のために、更に7日間の宴会を開き、王の后ワシテは王宮にいる女たちのために別に宴席を設けました。
当時の習慣によりますと、特にペルシャでは、女性は公の席へ出ることが許されず、外出するにもベールをして顔を見せないようにしておりました。かつてはトルコでも、女性はすべてベールをして外出したそうです。かつての日本でも婦人たちはあまり公の席へ出ないことにおいて同じようです。
さて、この宴会の終わりの日、王は酒に酔って、后に皇后の冠をかぶって宴席に出るように命じました。これは、その美しさを集まっている人たちに示すためでした。しかし、王の后は昔からの習慣を破る行為だとして、命令に従わず、王の前に出ませんでした。王の命令に背いた罪は放っておくわけにはゆきません。
王は怒って、その処置を知者に相談しましたが、彼らは后が王の命に背いたのは、律法を犯したもので(専制の昔は王の命令は何事も法律となりました)、これを許しますなら王は国を治めても、王妃を治めることは出来ないと国民は笑うでしょうと答えました。そのため、ワシテは王の后の地位より退けられ、他に王の后を選ぶことになりました。
ここに、神の摂理により選ばれたのがユダヤ人のエステルでした。彼女は早く父母と死別して従兄のモルデカイに育てられた身も心も大変清い女性でした。彼女は、他のユダヤ人と共にネブカデネザルの時、捕らえられ奴隷にされてジュシャンの都にいたのです。
王の后に推されたエステルが、ユダヤ人であることをモルデカイのほか、誰も知りません。愛するエステルが王の后になったことを、王の門衛をしていたモルデカイは、もちろん喜んでおりましたが、その喜びはしばらくして破れてしまいました。
ここに、王の権力を傘にきた大臣でハマンという人がいました。彼はよくない人で口先がうまく、王に取り入り、王の次の位にありました。彼は心おごり、彼が通行するときは、国民は皆、彼を拝するようにと、王の名をかりて国民に命令いたしました。門衛のモルデカイは、「神のほか何物をも拝むな」という十戒を守って、この命令に従いませんでした。
ハマンは、王門を出入するたびに、自分を拝まないモルデカイを見て非常に怒りましたが、モルデカイ一人を殺すのは小さいことだが、むしろ彼の属しているユダヤ人全部を殺すべきだと決心しました(3:6)。それから、彼は王に対して、「国の各州にいる諸民族のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その律法は他のすべてのものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それゆえ彼らを許しておくことは王のためになりません。もし王がよしとされるならば、彼らを滅ぼせと詔をお書きください」(3:8~9)と、王の命令を願い出ました。その許しを得て、その年の12月13日に国内にいるすべてのユダヤ人を殺すよう各州の知事に命令いたしました。
これを聞いた全国のユダヤ人は、「大いなる悲しみがあり、断食、歎き、叫びが起こり、また荒布をまとい、灰の上に座する者が多かった」(4:3)と聖書にあります。モルデカイも衣服を裂き、麻布をまとい、灰をかぶって王門にて泣き叫びました。
王の后エステルは、モルデカイの嘆きを聞いて驚き、使いの者をつかわし、どうしたのですかと問わせました。モルデカイは事の次第を詳しく語って、ユダヤ人のために王のあわれみを乞うよう頼みました。エステルは、男でも女でも王から召されないのに、王の中庭に入るものは殺されるという法律を恐れて、初めはなかなか承知をいたしませんでした。しかし、「あなたが、もしこのような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救いがユダヤ人のために起こるでしょう。しかし、あなたと、あなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」(4:14)、との二度目の願いを聞いて、エステルは意を決しました。そして、「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください・・・。わたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死ねばならないのなら、死にます」(4:16)とモルデカイに申し送って、彼女は王の前に立ったのです。
これは、王の許しがないのに王の前に立つことで、死にあたる罪です。本当に命がけの仕事で勇気がなくては出来ません。彼女は、モルデカイや全ユダヤ人たちの背後よりの祈りに支えられ、この犠牲的な行為が出来たと思います。祈りの力のいかに偉大なるかを覚えましょう。
王がその夜、寝られないままに家臣に命じて、記録を読ませていましたが、その中に、モルデカイが王を殺そうとする反逆を探知し、これを報告して王の難を救った記事を発見しました。王はこのためにどんな栄誉をモルデカイに与えたかと家臣にたずねました。家臣たちは、何も彼に与えていませんと答えました。そこで夜中にもかかわらず、ハマンを召して、「王が栄誉を与えようと思う人には、どうしたらよかろうか」(6:6)と尋ねました。
ハマンはそれがモルデカイのためであることを知らずに、王が栄誉を与えようとする人物は自分より他にあるはずはないと、うぬぼれて、「王が栄誉を与えようと思われる人のためには、王の着られた衣服を着せ、王の馬に乗せ、王の貴い大臣に手綱をとらせて、王の栄誉を与えようと思う人にはこうするのだと呼ばわせて、町々を通らすがよろしい」(6:7~9)と言いました。
王は、それがよいと、ただちにモルデカイを召し出し、自分の衣を着せ、自分の馬に乗せて、ハマンにその手綱を取らせて町々を廻れと命令しました。ハマンは王の命令にそむくことができませんでしたので、そのとおり行いました。「ハマンは憂い悩み、頭をおおって急いで家に帰った」(6:12)と聖書にあります。彼の憤りのさまが目に見えるようです。
さて、王の后エステルは意を決して王の庭に入り、王とハマンとを自分の宴席に招きました。王は喜んでハマンをつれて宴に臨んだとき、エステルは二人の面前にて、「わたしとわたしの民は売られて減され、殺され、絶やされようとしています」(7:4)と、歎き、王の恵みを願いました。王は驚いてその悪い企てをしたのはだれかと尋ねました。エステルは大胆に、「それはハマンです」と、目の前にいるハマンを指さしました。
ここで、すべては明らかにされました。王は怒って王の命令だといって、ユダヤ人を滅ぼそうとしたハマンは罰せられ、ユダヤ人は助かりました。
このエステルのお話で、私たちは何を学びますか。
1 すべてのことが相働いて益と成となること。
酒に酔った王、王の命令に従わないワシテと、ハマンの悪計などの行いが、相働いてユダヤ人の救いの原因となっていることに注意しましょう。私たちは常に襲う悲しみ、悩みなど、いろいろの問題も神の摂理のうちあると信じます。
2 エステルの犠牲的行動。
自分が王妃という栄誉ある地位にありながら、同胞ユダヤ人を救うために、自分が嫌われ者の奴隷であるユダヤ人の一人であることを、王の前でハッキリ打ち明けることは、到底、普通の女ではできることではありません。
現在、日本のクリスチャンの数は、全人口の1パーセントにも及びません。その数は、ぺルシャに住んでいたユダヤ人の数によく似ています。しかし、この少数のクリスチャンのすべてが、エステルのように自分の信仰を明らかにし、神の軍勢の一人であることを自覚して、神のみ旗のもとに戦って、自分の受けた神の恵みの証を立てましたならば、多くの同胞を救いに導くことが出来ると思います。
<今月号をもって、旧新約婦人物語の旧約のシリースは終わります>
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」