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解説 ウエストミンスター信仰告白 (16)
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第八章 仲保者キリストについて(1)
1 神はその永遠のご計画で、ご自身のひとり子主イエスを、神と人との間の仲保者(1)、預言者(2)、祭司(3)、王(4)、神の教会のかしらまた救い主(5)、万物の世嗣(6)、世界の審判者(7)に選びまた任ずることをよしとされた。彼に対して、神は永遠の昔から、ひとつの国民を彼のすえとして与えて(8)、彼により、時至ってあがなわれ、召命され、義とされ、聖とされ、栄光化されるようにされた(9)。
1 イザヤ42:1、Ⅰペテロ1:19,20、ヨハネ3:16、Ⅰテモテ2:5
2 行伝3:22
3 ヘブル5:5,6
4 詩2:6、ルカ1:33
5 エペソ5:23
6 ヘブル1:2
7 行伝17:31
8 ヨハネ17:6、詩22:30(31)、イザヤ53:10
9 Ⅰテモテ2:6、イザヤ55:4,5、Ⅰコリント1:30
一 聖書は厳格に唯一神教の立場を示しているので、神を世界や万物と区別することが、絶対的な第一の主張であり、神と世界を混同することは汎神論であるばかりでなく、一切の偶像教への入り口を開くことである。しかし、キリストを神の側に置くという、第二の絶対的主張を、これに加えることなしには、キリスト教は成立しない。
神は世界の創造者である、というのに対して、キリストは神と世界の仲保者であるといえる。三一神の第二人格である点は、すでに第二章の「神について、また聖三位一体について」で明白に規定されており、また、次項で詳しく論じられるのであるが、本項では、この三位一体の神の永遠の聖定(第三章)についての、み子の持っておられる被造物との関係を問題としており、それは次の4つの分類に従って語られている。① 神と人間一般 ② 神と教会 ③ 神と万物 ④ 神と世界
① 人間は道徳的、宗教的、政治的存在者として、特に神の知と聖と義に関係を持つ。
② 教会は選ばれた者の集いとして、キリストと特別に緊密な関係に置かれている。
③ その万物と④の世界との区別に対応する。世界という語は、聖書では世と訳される場合が多いが、その責任を問われなければならない被造物の総称であって、審判の対象となるものである。
この告白では「神は永遠の昔から」以下で②の点、すなわち、教会との関係を特に詳しく述べている。
2 三位一体の第二人格である神のみ子は、まことの永遠の神でいまし、み父とひとつの本質でまた同等でありながら、時満ちて、自ら人間の性質を(1)、それに属するすべての本質的固有性と共通的弱さもろとも取られ、しかも罪はなかった(2)。彼は、聖霊の力により、処女マリヤの胎に彼女の本質をとって、みごもられた(3)。そこで十全なそして異なった二つの性質、すなわち神たる性質と人たる性質が、移質、合成、混合なしに、ひとつの人格の中に、分離できないように結合されている(4)。この人格はまことの神またまことの人で、しかもなお、ひとりのキリスト、神と人との間の唯一の仲保者である(5)。
1 ヨハネ1:14(*)、Ⅰヨハネ5:20、ピリピ2:6、ガラテヤ4:4
*ヨハネ1:1,14が正しい。
2 ヘブル2:14,16,17、ヘブル4:15
3 ルカ1:27,31,35、ガラテヤ4:4
4 ルカ1:35、コロサイ2:9、ロマ9:5、Ⅰペテロ3:18、Ⅰテモテ3:16
5 ロマ1:3,4、Ⅰテモテ2:5
二 ここではカルケドン信条に告白された二性キリスト論が述べられている。キリストの人格が三一神の第二人格であること。そのために、父と同質、等位であること。その人間性が被造物に固有な有限性と律法の下にある弱さを持ちつつ無罪であること。処女降誕、神性と人性との結合の正しいあり方が、転化、合成、混合、分離という4つの異説に対して弁明され、特に人格的統一が強調されている。
「この人格はまことの神、またまことの人で、・・・」の表現は、誤解されやすい。キリストをその人格について言えば、ロゴス、すなわち、三一神の第二位であられるが、このことは受肉によっても変化しない永遠のロゴスでいます、ということである。しかし、その性質について言えば、このロゴスは受肉以前には、ただ神である性質のみを持っておられたが、受肉によって、その上に人間の性質もおとりになったのである(神である性質を捨てて、その代わりに人間性を取られたのではない)。
そして今や、二性のキリストとなられたのである。しかし、このことはキリストの人格が神的人格と人的人格を備えたという意味にはならない。「ひとりのキリスト」である、といの結びの言葉には、このことを明言するものである。人格と性質とを混同しないようにすべきである。
3 主イエスは、このように神性に結合された彼の人性において、限りなく聖霊をもってきよめられまた油そそがれ(1)、ご自身のうちにすべての知恵と知識の宝があった(2)。み父はすべての満ち足れる徳が彼のうちに宿るのをよしとされた(3)。それは、きよく傷なく汚れなく恵みとまことに満ちて(4)、仲保者と保証人の職務を遂行するために完全に備えられるためであった(5)。この職務は、彼が自らとられたのではなくて、み父の召命によるのであり(6)、み父が彼の手に一切の権能とさばきを委ねて、彼にそれを遂行するように命じられたのである(7)。
1 詩45:7(8)、ヨハネ3:34
2 コロサイ2:3
3 コロサイ1:19
4 ヘブル7:26、ヨハネ1:14
5 行伝10:38、ヘブル12:24、ヘブル7:22
6 ヘブル5:4,5
7 ヨハネ5:22,27、マタイ28:18、行伝2:36
三 これはヨハネによる福音書3章34節などの主張を骨子とする聖書の教えを、体系づけたものであって、キリストが三一神論にあって存在論的には父と同等であるということで、三位一体論での従属説(子を父より下位とみる)は堅く排斥されなければならないのであるが、その仲保者として、メシヤ的職能を果たすことに関しては、その任命、その任務の遂行など、すべて父の命令に従い、父の与える恵みと賜物によって、これを果たすと言うのであって、普通にこれを、メシヤ職能的従属の教理と言っている。この点に関して、キリストは神としてわたしたちの主であるとともに、新人類のかしらとして、わたしたちの長兄であられる。ローマ・カトリック教会が「われらの兄弟なるキリスト」と呼ぶのは、この点に関しては正しい。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
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465-0065
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」