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「ローマ人への手紙」研究 (106)
第61課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
11章11~36節 (18)
「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう・・・・」(26節)
前課において、26節の「イスラエルはすべて」の意味について種々の見解を見てきました。未来におけるイスラエル民族の回心について、イエスが何も語っておられないと考えられるから、この言葉はイスラエル民族を意味するものではないとする主張をも考察してきました。そのように主張する人たちが挙げている聖句(マタイ19・28、ルカ21・21)は実は、未来におけるイスラエル民族の回心という当面の主題とは無関係か、あるいは大いに疑問視されるべきものです。しかし、マタイ23・39は、決定的にユダヤ人たちのキリストへの回心を預言している聖句なのです。
「文脈から見て、ここのイスラエルはユダヤ人たち、すべてのイスラエル人、ユダヤ民族全体を意味していなくてはなりません。民族としてのユダヤ人は今は拒否されています。しかし、彼らは民族として回復されるのです。彼らの拒否は民族としてであったけれども、それは各個のユダヤ人の拒否を含むものではないように、彼らの回復も同じく民族としてであるが、各個のユダヤ人の救いを含むものととる必要はないのである」(c・ホッジ)。
ホッジはさらに、「イスラエルはすべて」とは、(1)すべての神の真に民を指すのでも、(2)恵みの選びによる残りの民を指すのでもないと主張します。このホッジの見解こそ正当であると考えられています。
未来におけるユダヤ人たちの回心という考えを拒む人たちは、この節の初めにある言葉、すなわち、“And so”(口語訳では「こうして」)を重視します。彼らは、パウロは“And so”といっているのであって、“And then”とは言っていないのだと指摘します。彼らによれば,ここの意味は「異邦人は悉く救われる間に、イスラエル人は救われる」であると言います。私たちは、勿論、“And so”と“And then”との間に相違があることは認めますが、“And so”と訳されている原語は、必ずしもユダヤ人の未来におけるキリストへの回心という考え方を排除するものではありません。
この原語は“And then”と訳することも十分出来るからです(口語訳ではそのように訳して「こうして」としています。アルフオードはこの言葉を、「この条件を満たされた時」、「25節で述べられている条件が完成する時」、すなわち「異邦人がことごとく救われる時」の意味で説明しています。これはこの言葉の最も正当で筋の通った解釈です。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」