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ビルマ
戦犯者の獄中記 (32) 遠山良作 著
昭和22年
4月4日
―反省―(1)
東大尉は「もっと反省しろ」と言われる。林大尉は「かつての軍隊も、社会も、道徳的に全く腐敗していた。敗戦の原因はここにある。これからの日本人は、道徳が生活中心でなければならない」と言われる。聖書は、「義人なし、一人だになし」。「罪ある人間は、悔い改めよ」との言葉がくり返して書いている。今までなに一つ間違ったことをしていないと思っていたが、心のどこかで私に問いかける。お前は本当に今日まで大東亜民族のために生命を捧げて働いて来たのか・・・。 貧困にあえぐ、貧しい多くの現地の人々の姿を見て来たのに、優しい言葉や、救いの手を差し伸べたことがあったのか・・・。
酒に溺れ、女遊びに夢中になった。あの自堕落なお前が本当の姿ではないか。支那人やビルマ人に対して、己が出世のために人を人とも思わない行為も平気で行ったではないか・・・。と過去の罪の数々が思い出される。次から次へと、醜い自分の姿が心の鏡に映るようである。
9年前に応召を受けて、熱狂的な国民の歓呼の声で送られて出征した。祖国のため、陛下のために命をささげることが与えられた使命であると考えたこともあったのに。
憲兵を志願して北支那の張店分隊に勤務していた当時のことが思い出される。
「或る部落に共産党の地下組織(非合法であったため)があるとの情報があった。分隊は地区に駐屯している部隊の応援を得て、共産党員と思われる村民30余名を逮捕したことがあった。その取調べを、当時兵長であった私は、宇野伍長と担当した」。
憲兵を拝命して、初めて体験する事件である。連日厳しい取調べを行ったが、どうしても、容疑の事実が浮かんで来ない。首謀者はすでに逃亡したらしい。取調べの責任者である宇野伍長に「逮捕者の中には容疑者はいないようだから釈放する以外に道はない」と言った。宇野伍長は「俺もそう思うけれども長山曹長(仮名・分隊の責任者)は、(1)部隊の応援を得て多数逮捕したことと (2)大庭分隊長(仮名)がこの容疑者を逮捕する際、負傷(本当は病気)したので入院している等の理由があるから、2名でも3名でも軍法会議に事件送致しなければならない」と言う。
戦地ではありがちなことであるが、何一つ物的証拠はないので、どうしても本人の自白によってのみこの事件は出来る。逮捕した容疑者が自白しないので情報にある容疑事項の内容を調書に書いて三人を軍法会議に送致した(三人は死刑になる)。10名の者は上司に申請して、現地処分(死刑)にし、残りは釈放したことがあった。
この事件のことを思い出すとき、今自分が戦犯者としてこの裁判が不当な裁判だと声を大にして叫ぶ資格は私にはない、と気がつく。長い戦争の間に、ただ勝つことのみを考え、戦場で犯した数々の間違った行為があった。何と言うバカな自分であったのか、その恐ろしさに目の前が真暗になり、頭がぎりぎり痛む。
間もなく2回目の裁判を受けなければならない。起訴される理由は「一人のビルマ人を取り調べに際して拷問して死亡せしめた」との、事件である。この事件で死刑になるかも知れない。その時人は、私のことを犠牲者だと言うかも知れないが、既に死刑になった先輩や友の死とは違う。悪の限りを尽くしてきた俺の死は当然の死に値する。
天皇陛下万歳を叫んで死んでいった友の名を汚すことになるのではなかろうか・・・。
不安と焦燥で眠られない一夜は明けた。曙を告げる鳥の声も聞こえて来る。拭っても、拭っても流れる涙は頬に伝わる。
仰みきで、聖書(ふみ)読む独房(ひとや)の 天囲に やもりが二匹 蚊を喰みておる
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この文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」