[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『旧・新約婦人物語』(50)
誘惑に負けた
ドルシラ
=使徒行伝24・24~25=
エドムの国王ヘロデ・アグリッパには、二人の娘がありました。姉の方は、ベルニケといってあまり美しい方ではありませんでしたが、妹のドルシラは絶世の美人でした。このドルシラは、15、6歳の頃、エメサの王と結婚させられました。その結婚の時に、一つの条件がつけられていました。それは、王がドルシラと同じようにユダヤ教の信者になるということでした。けれども、これを承知の上で結婚したエメサ王は、この約束を無視して妻の宗教を受け入れませんでした。
現在の日本でも、こういう実例は沢山あると思います。信者の女性が未信者と結婚する時、大抵は、結婚後も教会生活をすることを承知してくれるよう約束いたします。がさて、新しい家庭を作られると、だんだん、教会に来なくなってしまうのは、よくある例です。神様のみ前でこういう守れない約束をすることは、本当に懺悔すべきだと存じます。
さて、ユダヤ教の信者でない王と結婚した美しいドルシラは、その後、どうなったでしょう。ある日、ユダヤの総督ペリクスが宮殿の宴会に招かれ、美しい王女ドルシラに会い、その美しさに魅了されました。その時からローマ人であるこの総督は、何とかしてドルシラを自分の妻にしようと、道ならぬ決心を致しました。
一方、ドルシラは、「姦淫してはならない」という自分たちの宗教の大切な十戒の戒めを知っていながら、ペリクスの不道徳な誘惑に負けて、自分の夫であるエメサの王を捨てて、ペリクスのところに行き、彼の内妻となったのです。使徒行伝24章24節にある、「ユダヤ人である妻ドルシラ」というのは、この女性のことであります。
彼女は自分の本当の夫を捨てて、姦夫のもとに走り、自分の宗教をないがしろにして罪の栄華に生涯を送ったのです。神を恐れず、不道徳な生活をほしいままにした女性こそドルシラであります。
ドルシラは、総督から使徒パウロの裁判の模様を聞かされましたとき、彼女はパウロに対し、またその説くキリスト教に対し幾分かの好奇心を持ったようです。彼女は総督である主人に頼んでパウロを牢獄から呼び出してもらい、ペリクスと共に、パウロからキリスト・イエスに対する信仰のことを聞きました(24・24)。そこで総督とドルシラの不倫な関係をよく知っているパウロは、大胆に、正義、節制、未来の審判について語ったのです。
放埓な生活をしているドルシラとペリクスは、パウロの話を聞いているうちに、自分の罪がどんなに深く大きいかが分かってきました。その上、やがて人類の上に来る審判の日の話になりますと、二人は、心の底から恐れおののいたことでありましょう。彼らは余りにも不安に感じたので、「きょうはこれで帰るがよい。よい機会を得たら、呼び出すことにする」(25)と言って、パウロを帰しました。この時のペリクスとドルシラの態度は、人間の弱さをよく現わしており、私たちの中にもよく見られる実例ではありませんか。
自分の罪に耳をふさいで、神のみ言葉を聞かず、悔い改めようともしないで、またいつかよい機会を得たら、このことを考えましょう、と言うような口実で、その日逃れの生活態度を続けておられるのは普通一般の人々のやり方です。
こうしてペリクスとドルシラは、パウロの話を聞いたとき、なるほどと感動させられましたが、その後直ぐに忘れてしまった様です。彼らと同じように、この世の多くの人々もキリスト教の様々なお話を聞いて、一時はなるほどと感動はしますが、直ぐ頭から抜け出してしまうようです。聖書をもっと熱心に学びたいと思っても、その機会が来ないといったり、教会に行って信仰を養われたいと思っても、その機会や暇がないというのです。
何故、その機会が来ないのでしょうか。彼らは、折角与えられている今の機会を逃しているからです。教会の門はいつも、あなたのために開かれています。
パウロの話に感動させられたドルシラは、その時直ちに悔い改めて神に立ち返りましたなら、彼女の生涯は全く変わったものになったと思います。しかし、事実はそうではなく、悲しいことには、神様が差し向けて下さった、このまたとない好機を無駄に逃してしまいました。神が、パウロを通して彼女に与えようとされました救いの福音にも、いのちの言葉にも耳を傾けず、今までの罪の生活を、更に続けたのであります。
歴史によりますと、彼らは20年後に、実に恐ろしい罰を受けています。ドルシラとその一人息子のアグリッパの二人は、イタリヤのポンペイへ行く途中、歴史上に記録されているあの有名なヴェスヴィオ山の大爆発に遭遇して、ポンペイ全市民と同じく、火の河となって流れてくる溶岩の下に埋もれて、あえない最期を遂げてしまいました。
キリストの再臨と審判の日は、聖書が教える真理であります。どうか皆様方一人一人が、この世の最後の日のためによき心の準備をし、今からキリストの再び来たり給う日を喜んでお迎えすることの出来ますよう、主のみ心にかない、キリスト者にふさわしい、神の喜び給う日々を送られるようお勧めいたします。
<ポンペイ>
ヴェスヴィオ火山の大爆発による、ポンペイ市の埋没は紀元79年のことです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」