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解説 ウエストミンスター信仰告白 (17)
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第八章 仲保者キリストについて(2)
4 主イエスは、最も快くこの職務を請け負われ(1)、それを果たすために律法のもとにおかれ(2)、律法を完全に成就された(3)。その霊魂において、最もひどい苦しみを直接的に忍び(4)、その肉体において、最も苦しい痛みを耐え(5)、十字架にかけられて死に(6)、葬られて死の力のもとに留まられたが、朽ち果てなかった(7)。受難されたのと同一のからだで(8)、三日目に死人の中からよみがえり(9)、そのからだをもって天に昇られ、み父の右に座して(10)、執り成しておられる(11)。そして世の終りに、人間とみ使をさばくために再来される(12)。
1 詩40:8,9(7,8)、ヘブル10:5-10(*)、ヨハネ10:18、ピリピ2:8
*詩40:8,9(7,8)をヘブル10:5-10と比較
2 ガラテヤ4:4
3 マタイ3:15、マタイ5:17
4 マタイ26:37,38、ルカ22:44、マタイ27:46
5 マタイ26,27章
6 ピリピ2:8
7 行伝2:23,24,27、行伝13:37、ロマ6:9
8 ヨハネ20:25,27
9 Ⅰコリント15:3,4
10 マルコ16:19
11 ロマ8:34、ヘブル9:24、ヘブル7:25。
12 ロマ14:9,10、行伝1:11、行伝10:42、マタイ13:40-42、ユダ6、Ⅱペテロ2:4
四 これは謙卑と高挙(栄誉)の二状態についての、仲保者としてのあり方を対照的に語っているところである。「律法のもとに置かれ、律法を完全に成就された」は、積極的服従であり、「最も苦しい痛みに耐え、・・・十字架にかけられて死に、葬られて死の力のもとに留まられたが」までは、消極的服従ともいわれるものである。
積極的服従は、無罪者としてのイエスが業の契約の完全履行者として、その約束の永遠のいのちを受けられることを示し、消極的服従は、アダムとその子孫によって犯された人類の罪の罰として、この世と次の世における肉体と霊魂の双方に対する受苦、すなわち、律法の呪いとなられたことを示し、肉体も霊魂もともに受肉によって、マリヤより得た人間性であって、神性が受難にあわれたのではないのである。神の痛み、などと言う表現は、文学的には許される余地があるかも知れないが、神学的には不適切な表現であると思う。
5 主イエスは永遠のみたまによって、ひとたび神にささげられたその完全な服従と自己犠牲により、み父の義を全く満たされた(1)。そして和解のみならず、天国の永遠の嗣業を、み父が彼に与えられたすべての者のために買いとられた(2)。
1 ロマ5:19、ヘブル9:14,16、ヘブル10:14、エペソ5:2、ロマ3:25,26
2 ダニエル9:24,26、コロサイ1:19,20、エペソ1:11,14、ヨハネ17:2、ヘブル9:12,15
五 前項にある通り、わたしたちはキリストがわたしたちのためになされたみ業を、単に贖罪(和解)、罪の赦しという面に限定せず、もっと積極的な面、すなわち、永遠のいのちの獲得と言う点をも含むものであることを主張している。
罪の赦しが義認によって成立すると考えるなら、永遠のいのちの獲得を子とされること、また、世嗣(相続者)と呼ぶことができるが、改革派神学では、むしろ義認そのもののうちにこの両面を含め、さらに義認とは別に、子とされることの恩恵を教えるのが普通の論じ方のようである。
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この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
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「緑のまきば」
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