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小閑記
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわされると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
=Ⅱコリント5:1=
聖書の言葉には、私たちの身体を何時かは取り壊される家、幕屋にたとえています。それによって神様は、内なる真の人は、全く独立したものであり、住むべき地上に家はなくなっても存在することが出来るのだと教えられています。
確かに、こんなに美しい建物が土の中に埋められなければならないとは悲しいと思う人もいるでしょう。しかし落胆する理由はありません。なぜなら神は、私たちのために新しい家を建てる備えをして下さったので、誰も変化をくやまなくてもよいのです。
パウロはこのことについては、何の疑いも持っておりません。そしてこの深い確信は、彼が常に勇気を持っていた原因であり、彼が身体を脱け出して、天より賜る住処を着て(Ⅱコリント5:2)、主と共に住むことを望んでいたのです。
最も美しい、最も深いキリスト者の希望は、天国に行き、神と共に住み、救い主にお目にかかることであります。神は信じる者に天国を約束して下さったのですから、キリスト者は一人一人、毎日をこの確信を十分に持って、その慰めの中に生きるべきであります。
それは希望に確かな錨をつなぎ、信仰に悩みつつも、耐える勇気を与えます。これを信じる者にとって、生きるは良く、死ぬるはなお良いであります。
<賛美歌 337番>
1 わが生けるは 主にこそあれ 2 富も知恵も みな主のため
死ぬるもわが益 また幸なり 力もくらいも また主のため
3 迫めも飢えも みな主のため 4 主のためには 十字架をとり
うれいも悩みも また主のため よろこび勇みて 我はすすまん。 アーメン
上河原立雄
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」