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今月のことば
わたしたちは神の同労者である。
=Ⅰコリント3:9=
同労者! 最高の雇用主の同労者! この上もなく尊い事業の同労者!
私たちは、単に、私たちの主にして救い主である方によって、自分の罪と恥と汚辱をあらわにされ、取り除かれるように召されている、というだけではありません。神は、和解を与えられ清められた人間を、神と共に働くようにと召されるのです。そして、私たちを有能に働くことによって、その働きをもって、神様に栄光を帰し、ほめたたえることを、お許しくださるというのです。この神様の召しの事実は、言葉に尽くせないほどの幸いです。
そのことで迫害を受け、侮辱されると共に、自分の汚れに打ちのめされても、神様は、神ご自身の召し(雇い主)のゆえに、助け、支えつつ用い続けて下さるというのです。
私たちはそれぞれ、十タラントなり五タラントなり一タラントなりを与えられています。
そして、それを地の中に埋めておく権利を持っていません。ですから、神の同労者であるか否を選ぶことは、誰にも出来ないことでもあります。
しかし、私たちは、誠実な同労者であることもあれば、また怠惰な僕であることもあります。道具として神に使用される者もいれば、神のみ業の中での有害な者・無能な者もいるのも事実です。しかし私たちは二種類の人間ではありません。第一に、私たちは、事業の支配人ではありません。かつて私たちは自分が支配人だと考えて自分で選んだ重荷のために苦しんでいた時に、次の言葉を聞かなかったのです。お前は支配人ではない。お前は同労者なのだ。静かに自分の本分を務めなさい。自分に与えられたささやかな働きの場にいて、謙虚に仕事に対する心づかいを、すべて支配人に任せなさい、との声を・・・。
しかし私たちは今一つのもの、すなわち雇人ではないのです。放蕩息子が帰宅して、「雇人の一人と同様にしてください」と言った時に、父はその放蕩息子を、子または相続人として扱っている」(ルカ15章)のです。
主よ、今日、子また同労者でありたいと心から思います。 アーメン
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」