[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「ローマ人への手紙」研究 (107)
第61課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
11章11~36節 (19)
「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう・・・・」(26節)
パウロは26節の後半で、今まで述べてきたことを支持するために、旧約の聖句を挙げています。彼がここで引用している旧約の聖句がどこから来ているかについて少しく難解な点があります。パウロの引用文に最も近いと思われるのは、イザヤ書59・20でしょう。C・ホッジは、パウロはいくつかの聖句、すなわち、イザヤ59・20~21、27・9、エレミヤ31・31~34、詩篇14・7などを短く要約したのだと考えています。
「パウロは、古えより約束され、上述の聖句でイザヤが言及していた救いというのは、降臨時のキリストを信じた比較的少数のユダヤ人の回心以上のことを含んでいると教えているのである。この約束、すなわち、ヤコブの家より不信心を取り除くという約束の完全な成就とは、ユダヤ民族全体の主キリストへの回心が考えられているのである」(C・ホッジ)。
私たちはここでユダヤ人たちのパレスチナ帰還の可能性については何も述べられていないことに留意しなければなりません。その理由はパウロがそのことについては何も言っていないからです。この点について、アルフォードは「私たちはこの預言とユダヤ人のパレスチナ帰還の問題とを混同してはならない。ここでの問題は彼らが神の教会に受け入れられることである」と述べています。
「そして、これが、彼らの罪を取り除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」(27節)。
これは明らかにイザヤ59:21と27:29の引用であり、後者は七十人訳(ギリシャ語訳旧約)のままの引用です。これはパウロが述べていることの旧約からの立証です。「パウロが立証しようとしているすべてのことは、預言者たちの言葉によって明らかに立証されているのです。彼の先祖、人々との神の契約は確かなものです。彼らの背教とそれに続くバビロン捕囚、彼らの離散とキリスト拒否の後、彼らの罪の究極的除去とメシヤの王国への民族としての回復が来るのです。彼らの民族的回心の預言はゼカリヤ12:10にも述べられており、そのほかにも多くの旧約聖句の中にもある」(ホッジ)。
私たちが未来におけるユダヤ人たちのキリストへの回心について語る時、それはユダヤ人の個人一人一人が、キリスト信者になるということを意味しているのではないことを、よく認識すべきです。「勿論、今パウロはキリストが来られるとき、ユダヤ人すべてが救われるということを意味してはいない。もしそうなら、彼らはすべての異邦人も救われると考えていると言われても仕方がない。彼が11:12で、イスラエルの罪過が「世の富み」「異邦人の富み」となったと語っているが、そのことはすべての異邦人の回心を意味していないのと同じように、彼は「イスラエル人はすべて」によってすべてのユダヤ人の回心を意味しているのではないのである。とにかく、万人救済という思想は聖書には全くないことを銘記すべきである」(David Freeman:The Bible and Things to come.p69)。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」