[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「キリスト教百話」・・・12
問12 キリスト教でいうところの信仰が聖霊によって与えられるものであるという説明は分かりましたが、聖霊のことについて、もう少し詳しく話して下さい。
答 例えば、君の部屋の中から外を見ていて、電線が揺れたり木の葉が飛んだりするのが見えたら、風が吹いていることが分かります。風は見えないものですが、風以外のものの動きによって風の存在は分かります。身体に感じることによってもそうです。
同様に聖霊そのものも見えるものではありませんが、ある人が「イエスを神の子キリストと信じます」と言い出したら、それはその人に聖霊が働いた結果であることが分かると言うものです。その意味で、キリスト教会が存在していることは、建物や組織のことではなく、それがキリストを信じている人たちの集団でありますから、聖霊が働いている証拠である、ということが出来ます。
人間の場合でも、誰かを信じると言うことは、信じられる何かがあってのことですが、その何かというものは目に見えるものではありません。人格的関係における信頼は、目に見える何かの媒介を通してではありますが、見えない何かがあって、そのしるしとして見える何かが現れてくるという性質のものでありましょう。贈り物をする時に「これはほんのおしるしですが・・・」と言うのは日本人の慣用句でありますが、そこでは、そのしるしを読み取りますから「有り難うございます」というお礼の言葉が発せられるわけです。
同様にして、誰かが「これからキリストを信じて生きてゆきます」と言い出したなら、それは、それを見ているクリスチャンに対して「この人も聖霊という贈り物が届けられましたよ」というしるしを示されたことでありますから、「有り難うございました」という感謝の言葉や、神への讃美が歌われて当然でしょう。
風の力は濁った空気を新しい空気に入れ替えます。植物の種を遠くへ運んで、見ることのなかった人々に美しい花を見せます。また電力へと変えて、闇に光を点じます。聖霊も、人間の内を支配していた濁りを清めます。マザーテレサのように遠くインドへまで運ばれて愛の花を咲かせます。
聖霊と同じ発音で精霊という言葉もあります。森の精霊などといいます。またあらゆるものの中に霊が宿っていると信じる人もいます。日本は多神教といわれるのも、霊と呼ばれるものが沢山あると信じられているからです。
その諸霊の優劣などを比較してみても大して意味はありませんし、採点する基準が無い以上比較のしようもありません。ただ聖霊について言えることは、これを受けることによって、人間が神に対して神の子キリストの持っておられるものを同じように受けることが出来るということです。神に全幅の信頼を持って、祈って神の導きの内に生きることが出来るということです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
12月放送予定
1日 木下 喜也 (日本基督教団金城教会牧師)
8日 木下 喜也 (日本基督教団金城教会牧師)
15日 横山ゆずり (日本基督教団半田教会牧師)
22日 横山ゆずり (日本基督教団半田教会牧師)
29日 田口 博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」