2023年7月号
№193
号
通巻877号
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…キリスト教…
社会福祉活動のあゆみ(8)
キリスト教公認後の貧しい人々への救済(1)
教会の公認と社会福祉施設
社会福祉の救済活動の形態の1つに「施設」「収容」があります。この原形がこの時代から誕生していたのでした。それが、今日までに至っています。しかし、将来の福祉のあり方は、「ノーマリゼーション」へと大きな転換期を迎えたと言えます。その流れは、ここ20余年前に広まった考え方です。その前段としてこれから数回、中世の社会福祉をリポートさせていただきます。
西暦306年、ローマ帝国の副帝に任ぜられ、競争相手を順次破って、324年、帝国の単独支配者になったコンスタンチィヌス(273から337)は、死の直前にエウセビウス(263~339)から洗礼を受けキリスト教徒になりました。皇帝はイタリア征服後5ヶ月してから313年6月のミラノ勅令で、信教の自由を認めました。
コンスタンチィヌス、リキニウス両皇帝の共同声明の形で布告された勅令は以下のようになっています。
「…。われわれはキリスト教徒に対してもあらゆる宗旨の者に対しても、各人が望む宗教に自由を与える。…。すなわち、キリスト教の儀式・礼拝にせよ、あるいは各人が最適と感じている礼拝にせよ、それに帰依した如何なる人々に対してもその許可をこばむものではない。…。」
この内容から明らかなようにカトリック教会が公認されたのです。しかし、キリスト教がローマ帝国の唯一の国教とされたのは、テオドシウス(346~395)の392年でした。コンスタンティヌス皇帝がキリスト教に改宗したその理由については、多くの見解がありました。ある人々は、それは政策的見地からで、キリスト教徒の支持を得る目的であったとし、キリスト教徒の力によって衰微しつつあったローマ帝国の機構を強化しようする政治家的な功利的やり方と言う見解です。しかし、この見解はどうも本当とは思えません。その当時のキリスト教徒はいまだ特に西方では少数派であったし、当時、教会は弱体であって、アタナシウス派とかアリウス派とかに分裂し、抗争していたからです。
コンスタンティヌス皇帝の改宗の動機は、彼の夥しい宗教に関する書簡や布告から最もよく知ることができ、それらの資料によると、「西暦313年から、彼は自分を外敵に対して勝利を与え、最高主権者になるように神が選んで下さった神の奉公人であるとみなしていたようである。そして自分が、その保護を託されている帝国と自らの繁栄は、もしその神への礼拝が適切に行われたならば、増大させられるであろうし、もしそれを怠るならば、神の怒りを招いて、危険になるだろうと信じていたのである」と言われています。
こうした信念は、彼のその後の行動でいろいろ示されています。教会に多額の寄付を惜しみなくするとか、司祭に国家的義務、すなわち経済的義務や軍役の義務免除の特典を与えるとかをしています。彼の制定した法律にもキリスト教の影響が認められます。教会への遺贈を法律で認めるとか、教会で行われている農奴や奴隷の解放に、全面的な効果を与えるとかでした。また、日曜日を教会の慣行に従って、公の休日としました。
コンスタンティヌス皇帝のキリスト教への改宗については、いろいろ考えられますが、彼の生母ヘレン(250~330)は熱心なカトリックであったし、父クロルス(250~306)もキリスト教徒に対して終始寛容政策を採っていましたから、そうした環境から、彼の改宗は何時の間にかキリスト教徒になっていたと理解する方が事実に近いと思われます。
コンスタンティヌス皇帝の治世になって、キリスト教への迫害は中止され、教会は公然と自由に慈善事業を行うことが出来るようになりました。皇帝は、325年にニケア公会議を招集して、三位一体の問題に関してエジプトで起こっていた面倒な議論に究極的決断案が下されるようにしたこの公会議は、「寛容な皇帝の招請に応じて集まった出席者は、司祭だけでも318人、さらにあらゆる階級、あらゆる教派にわたる聖職者までを合わせると2048人に達した」と言う文献がありますような大規模なものでした。
そして約2ヶ月間にわたる会議が続けられ、公会議の下す無謬の決定に対し、カトリック世界は異口同音に服従した、とギボン(1737~1794)の「ローマ帝国衰史」で語っています。コンスタンティヌス皇帝は全会議に出席したが、議事進行的な発言はしなかったと言う。この時の議論の中心は、キリストは本当の神性を持ち、まさに神自身と全く同質であるというアタナシウス(295~373)の説が5人を除いた全員の賛成を得て採択され、キリストは神とは似ているが神と同じではない、すなわち、その本性は神の本性とは異質のものであるというアリウス(?~336)の説が異端とされたことでした。そしてアリウスとその共鳴者は帝国からの追放が決定されたのです。
余り知られていないことですが、ニケア公会議では宗教・教理の事柄ばかりでなく、「各都市に、異国人、障害者、貧者のための家を建てよ。そこにクセノドキウムの名称を与える」との決議もされたと記されています。それにしたがったクセノドキウムは、聖書の「旅をしていたときに宿をかし…」(マタイ25:35)の言葉に従って設けられて旅人や異国人にための宿屋でしたが、信徒の増加に伴い、また時代の要求に応じて、単に宿屋としての役割を果たすだけでなく、救済の必要があるあらゆる種類の人々、すなわち、孤児、寡婦、老人、病人、そして貧しい人々を収容・保護する施設になったのです。
「この施設は普通いずれかの教会に、或いは後に至って修道院に所属しており、主要な交通路に位置していた」のです。後の救済院(Almshouse)の前身です。この混合収容保護施設から遺棄児童を収容する施設を分離したのを、ブレフォトロフィウム(Brephotrphium)と言っていました。これは未婚の母親などによって、その恥を隠すために遺棄された新生児を収容して養育する今日の育児院に当るものでした。また、乳児期を過ぎて乳を失った児童を収容して養育するオルファノトロフィウム(Orphanotrophium)も設立されました。
これはブレフォトロフィウムを補足する施設でもあったのです。中世期を通じて、また、その後16世紀に至るまで、欧中米の児童の施設擁護は、全てカトリック教会と修道院によって行われていたと言っても過言ではありません。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円