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岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第八章 仲保者キリストについて(3)
6 あがないのみわざは、キリストの受肉後までは、彼によって実際にはなされなかったのではあるが、それでもその徳力と効果と祝福とは、世の初めから引き続いて、いつの時代にも、約束・予型・犠牲の中に、またそれらによって選民に伝達された。そこにおいて彼は、蛇の頭を砕くべき女のすえ、世の初めからほふられて、きのうもきょうもいつまでも変わることのない小羊として啓示され、表象されていた(1)。
1 ガラテヤ4:4,5、創世3:15、黙示13:8、ヘブル13:8
六 仲保者キリストの二状態における三職(謙卑と高挙の状態と預言者、祭司、王の職)の期間は、受肉に始まるのであるが、その恵みはすでに旧約時代にも、恵みの契約に基づいて、選民に及んでいたと言う教理は第七章五項とともに、改革派信仰の特異点を形成する一要素である(ウエストミンスター小教理問23~問29、大教理問答問41~問56参照)。
キリストの仲保の祝福が選民に与えられる時期に関しては、ペンテコステを以って始められたと見る人々も多いようであり、キリストの受肉、または死、あるいは復活の時に始まると考える人々も少なくない。わたしたちは信仰義認の建前からも旧約時代の聖徒は「アブラハムは神を信じた。主はこれを彼の義と認められた」(創世記15・6)とある通り、その時からキリストの祝福が与えられたとするのである。ローマ・カトリック教会の煉獄思想、リンブス・パトロムの教理などは、この点の理解の相違から出た誤謬である。
なお、キリストが仲保者として三職を何時から始められたかの問題では、ウエストミンスター大・小教理問答の所説に一見不一致があるように感じられる。
小教理問答が明白に問23において「キリストは、私たちのあがない主として、その低い状態においても、高い状態においても、ともに預言者と祭司と王の職務を果たされる」と答えるのに反して、大教理の方は問43において「キリストは、すべての時代に、彼のみ霊とみ言葉によって、いろいろの施行方法で、教会員の建徳と救いについてのすべての事柄において、神のあますところのないみ旨を教会に示すことによって、預言者の職務を果たされる」と答えており、この「すべての時代」と言う主張の聖句証明は、ヨハネによる福音書1章1節であるところから、旧約時代を含むことは明白である。
本信仰告白の表現は、この点、大教理と一致している。これは契約の観点から説かれているのであって、恵みの契約の当事者として、キリストは贖罪の事業を完成するために受肉されたのであるが、すでに契約的にはその祝福を確保しておられ、これを分け与えられたのである。
従って、旧約時代にも真正なキリストの教会が、不可視教会として実存していた。イスラエルの集いも、ユダヤ教のジナゴグも、新約時代の地上的キリスト教会と同じ役割を不可視教会に対して果たしつつあった。異邦人キリスト教会は、オリーブの木に接ぎ木されたのであり、新約時代以後のユダヤ教会はオリーブの木より切り捨てられた枝である。
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この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
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東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」