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何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げなさい。
=ピリピ4:6=
私たちが神様との和解をいただき、イエス・キリストにあって、罪の許しの宣告を受け、それを信じていることは、本当に感謝そのものです。しかし、私たちは、父なる神としてよりも、救い主としての神を信じる方が安易で信じやすいという人がおりました。また、私たちは救われていることを勇敢に証することもありますが、日々の生活に起こる多くのことのために心重く、いらいらとしてしまう実に弱く愚かな者でもあります。
父親は、自分と家族のための食べ物、着る物の心配をします。母親はキリストにある自由を喜び感謝しつつも、子供の将来を思う時、不安になります。青年は神との平和を見出して幸福を感じつつも、未来への不安に陥るのです。
神は問います。あなたは罪の許しを信じ神に委ねていますか。あなたは生と死とを通って永遠の命へと連れていって下さることを信じていても、食べ物、着る物を神様が備えて下さっていることを信じきっていますか。
そんな時の励ましと希望がこのみ言葉に込められています。
神が私たちに望まれるのは、これをなすことです。主は私たちが祈りによって、すべての小さいことまでお委ねすることです。この神への信頼を新しい年への心備えとしたいものです。
クリスマスになると思い出すことがあります。歳若いときでしたが、ある信仰の先輩が「わたしはイエス様が馬小屋で産まれようが、飼い葉おけに寝かされていても、事実としてああそうでしたか、としか思えないのですが、わたしにとって最大の喜びは、イエスがキリストとして来られたと言う事実そのものに、何とも言いがたい喜びを感じて生きてきました」と言う言葉でした。
上河原立雄
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」