[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「キリスト教百話」・・・13
問13 聖霊は祈れば与えられると聞きましたが、どう祈ればよいのでしょうか。(1)
答 誰かに何かを「下さい」と願う場合、その願いの相手が、自分の願っているものを与えてくれる人であると信じているからお願いするのですね。それと、その願う事柄が分かっていてのことですね。聖霊のことが何も分からず、「下さい」と願う相手のことも分からずにお願いするというのは、「下手な鉄砲でも数打てば当たる」とはなりません。「当たる」のは的があってのことですから、的が定まっていないのにむやみやたらに打つのでは何をしているのか分かりません。
ですから、聖霊を求めるには、求める相手が、この求めにちゃんと答えてくださる方であるという信頼がなくてはなりません。それと聖霊というものがどういうものであるかが分かっていなくては「下さい」ということ自体がおかしなことになります。それでは、まるで空中に訳もわからず拳を振り回していることになります。
この点について、イエスは聖霊について、弟子たちに「それはあなたがたを真理に目覚めさせるものであるから、それが与えられるまで待っていなさい」と告げられました。弟子たちはこのイエスが言われたことを信じ、それが実現することを祈りました。その結果、聖霊を与えられました。
それは、十字架につけられて殺されたイエスがキリスト即ち救い主であることを真理として受け止めることが出来たということです。その場合、弟子たちは、イエスが言われた聖霊のことを聞きはしましたが、それが与えられた時の内容体験ではありません。ただ彼らは自分により頼むものを持っていなかったため、イエスの言葉に従って、イエスが約束されたものを待つしかありませんでした。
ここが非常に大切なところですが、自信満々の人は、祈るなんてことはしません。自分の内側は自分のもので詰まっていますから、それ以外のものを必要としません。ことは自分だけで済みます。その自分は動きません。何かを待つということもありません。当然祈るなんてこともしません。ところが、祈って待っている人というのは帆を上げて風が吹いてくるのを待っている人と同じです。
風はいつどのように吹いてくるのか、こちらで思うように操作できるものではありませんが、吹いてくれば、舟は動き出すのは確実です。今まで停泊していたところから、別のところへ動き出すのです。動かなかった自分の位置から、違うところへ動き出すのです。このことが自由を得るということです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
1月放送予定
5日 中村 仁(日本基督教団金城教会員)
12日 中村 仁(日本基督教団金城教会員)
19日 ヨシダ ゴウ(日本基督教団金城教会客員)
26日 ヨシダ ゴウ(日本基督教団金城教会客員)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」