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ビルマ
昭和22年
4月7日
―過去の社会に思う―
敗戦は、大和民族が初めて経験する屈辱と悲しみに満ちた出来事であった。焦土と化した焼け跡の中に立って、国民の一人一人が過去に犯した罪について考えなければならない。
封建的な日本の社会は、地主と小作、金持ちと貧乏人、権力者と被権力者、支配者と被支配者等、秩序正しく保たれていたかのごとくであった。その実は、お互いの心の中は、不満と、不平に満ちた社会でもあった。敗戦の苦しみを通して、お互いが反省する時、敗戦の原因も自然に解明出来ると同時に、新しい日本を創造する鍵でもある。
明治維新から西洋の文明、文化を輸入して、西洋に追従し、西洋の真似による文明を築いて来た。そして富も力も世界の強国の仲間入りするまでになった。この著しい発展を遂げた物質文明は、物が全てであると信じるような風潮に陥り、精神面、心の問題が忘れられていた。
華やかな「アメリカのジャズ、ダンスホール」の隣りに神聖なキリスト教会があることに気付かなかった。金儲けをすることが人生の目的であり、幸福を得る唯一の手段であるとさえ考えていた人々も決して少なくなかった。私もその一人でさえあった。
正直でコツコツ働く奴は馬鹿者のやることだ、一攫千金の夢を見て大陸に渡った人、純粋で勤勉な農民の中にも、苦しい農村の生活を捨てて、華やかな都会にあこがれて堕落していった青年も少なくなかった。
明治政府は素早く、村々に学校を建てて学力の向上に努めた。その学問もいつしか生活の手段となり、能力、知識のみを尊しとして心の問題、人間性が無視された社会が生まれた。
そのように物質的なもの、目で見えるもののみを欧米から学びとり、その背後にあるキリスト教は欧米の宗教であると排斥して受け入れなかった。
中国の教えである儒教の教えを国是とし、国粋的な、排他的思想は間違った愛国主義へと駆り立てて戦争への悲劇の道を辿った。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」