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岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第八章 仲保者キリストについて(4)
7 キリストは、仲保のみわざにおいて、両性に従って行動される。それぞれの性質により、それぞれに固有なことをされる(1)。しかし人格の統一性のゆえに、一方の性質に固有なことが、聖書ではときどき、他方の性質で呼ばれる人格に帰されている(2)。
1 ヘブル9:14、Ⅰペテロ3:18
2 行伝20:28、ヨハネ3:13、Ⅰヨハネ3:16
七 ここは一つの注意書きの性質を帯びた章であり、四項と関連する告白である。神観において神格と三位の人格と神の属性との関係を区別し、混合しないことが必要であるように、キリスト論において、人格と二性との関係を正しく区別することが大切である。
二性一人格のキリストは、人格という点からすれば、どこまでも三位一体の唯一神の第二格、すなわち、み子ロゴスである。人格は受肉によって変化を生じたのではない。ただ、この唯一の神である人格が受肉によって、神性と人性とを完全に自己のものとされた。
つまり、神性の持つ一切の属性と共に人性の持つ一切の属性を自己の属性となされたのである。すなわち、神性と人性とを混同したり、一方が他方に変化したりして一致を保つようになったのではなく、唯一の人格の下に、人格的に統一されたのである。
ペテロの第一の手紙3条18節で「キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。・・・」と言う時、わたしたちは、神の死とか、三位一体の神の第二人格の神の死、ロゴスの死というように考えてはならない。
神は不死である。ただキリストの人間性はその肉体のみでなく、霊魂も十字架によって一度死を経験したのである。「神の痛み」とか「神の死」などと言う表現は正確ではない。
8 キリストがあがないを買いとられたすべての人々に対して、彼はそれを確実有効に適用し、伝達される(1)。それは、彼らのために執成しをし(2)、救いの奥義をみ言葉において、み言葉によって、彼らに啓示し(3)、みたまによって信じ従うように有効に彼らを説得し、み言葉とみたまによって彼らの心を治め(4)、彼の不思議な、きわめがたい配剤に最もよく調和する方途で、彼の全能の力と知恵により、彼らのすべての敵を征服することによってである(5)。
1 ヨハネ6:37,39、ヨハネ10:15,16
2 Ⅰヨハネ2:1,2、ロマ8:34
3 ヨハネ15:13,15、エペソ1:7-9、ヨハネ17:6
4 ヨハネ14:16(*)、ヘブル12:2、Ⅱコリント4:13、ロマ8:9,14、ロマ15:18,19、ヨハネ17:17
*ヨハネ14:26が正しい。
5 詩110:1、Ⅰコリント15:25,26、マラキ3:20,21(4:2,3)、コロサイ2:15
八 この一項は、神学体系上の区別からすると、むしろ、聖霊論、つまり信者がキリストの贖罪の恵みにあずかることに関する議論に入れるべきであり、第十章の「有効召命について」と直接関連し、第十章以下十五章への序論とも見るべきことが出来る。しかし、このことをキリスト論の一部として取り上げていることは、決して不適切なことではなく、むしろ、非常に巧みな、また改革派神学の主張を立派に提示するものである。
すなわち、聖霊の事業は、本来キリストが遣わされる聖霊の事業である。み言葉による救いということが、改革派信仰の大きな主張である。わたしたちが救われるのは、聖霊のみ業であり、恵みであることを十分に正しく認識するには、その聖霊、その恵みが、死にてよみがえり、神の右にいますキリストの聖霊であり、恩恵であることを知るまでは成立しない。
ヨハネの福音書16章7節「しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします」(新改訳)とあるように聖霊を信じる者は、主イエスの復活、昇天、父の右にいますことを信じるのが前提である。
いけるキリストと言う信仰は、こうした意味でのみ正しいのである。聖霊のみ業をそのまま地上のいけるキリストのみ業であると考える時、それは、誤った神秘主義であり、また復活のキリストをあたかも幽霊的存在と考えている誤りでもある。
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この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
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東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」