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=時々の記=
(93)
11月12日
今日は、母が私が知っている範囲では初めて美容師さんに髪の毛を切っていただきました。いつも長い髪を束ねて一度も美容院という所へは行ったことがありませんでしたから、母がカットしてもらった顔を見て、もうびっくりしました。とてもかわいいお年寄りになっていました。靴も介護に必要ということで、ヘルパーさんにどうしたらこの母に会う靴を購入できるのですかとお尋ねいたしますと、いま履いている靴をお店へ持っていきなさい、と教えてくれたのです。ところが母は靴がありません。アメリカからララ物資(戦後間もない時に外国から支援として送られてきた医療・生活物資)で頂いた靴に何時も中身を詰めて一足だけ持っていました。ヘルパーさんもえー靴がないんですか?と皆さんびっくりされました。
主人が母の足の大きさを測ってくれて、靴を購入いたしました。履かせてみたらピッタリでした。介護用の靴はとても高いのでびっくりいたしました。
初めて自分の足にぴったりの靴が介護用の靴とは、あまりにもかわいそうな気がいたしましたが、本人は何も気にしていませんし、靴が履けてうれしいといって喜んでくれてこちらもほっといたしました。母のように自分に関しては一切無駄使いをせずに生きてきた姿に、娘として誇りに思います。私はとても母のようにはできませんから。
恐るべき十月台風再度来る。
介助して弾む会話や秋深し。
神の愛触るる小説夜流長し。
茶の花に鎮もる峡の日和かな。
冬近し犬を日向につなぎけり。 馬場路哉
11月27日
久しぶりに気持ちのよい、小春日和でした。母の食事の介助にも少し慣れてきました。施設の中で働いておられる方たちの姿が良くうかがえるようにもなってきて、感謝すると同時に、どのような仕事についてもやはり”愛”がなければむなしいものになってしまいますね。信仰が与えられ、神様の大いなる愛を知った者として、残りの人生を自己愛でなく、隣人や貧しい方たちへ愛を抱きつつ歩んで行きたいものと感じるのです。施設ではもうクリスマスの準備で忙しそうにされています。
ヘルパーさんが母に「斉藤さんにクリスマスには独唱してもらいたいわ。」と言われましたら、母は「もうとてもそんなことはできないわ、と言いながらその場で、「諸人こぞりて」を歌いだしました。皆さんびっくりするやら、笑いの渦が広がりました。クリスマスまで頑張って生きてくださいねと言うと、そのようなことは神様の御手の中にあることですから、神様がすべてをお与えになっているのですから、人間がいうことではありません、と言い返されました。
クラシック曲にくつろぐ夜長かな。
別荘の主の植えしピラカンサ。
水車小屋なお残されて山紅葉。
秋草の中に憩える翁かな。
紅葉かつ散る施設にて朗らかに。 馬場路哉
12月4日
12月に入りやはり気忙しくなってきました。その上寒さが例年より厳しいです。毎日の母の食事介助が励みになってはいるのですが、疲れが出てきました。
でも施設の方たちや母が待っていると思うと、少し風邪気味なときもマスクをして出かけています。自分では何も食することができないものですから、施設の方は一回でも家の者が来て食べさせるととても喜んでくださいますし、また、母もやはりとても喜んでくれます。その時間がちょうど11時から12時過ぎまでかかりますので、礼拝にはいくことができないことを牧師や役員の方には伝えてあります。そう長くはない母とともにする大切な時間でもあります。神様がこの時をお与えくださったことと思います。最善を尽くして母のところへは通い続けさせてくださいと祈りつつです。
弓張月(ゆみはりつき)近景並べて(なべて)墨絵とも。
リズム良き、軽音楽に紅葉散る。
草紅葉、うす紫のもの混じる。
禽の声峡に鋭く冬に入る。
椿の実朱色をなせり垣の外。 馬場路哉。
施設の中へ入ってとても感激いたしました。一人一人のお部屋の名前が記されているところへ、手作りのクリスマスリースが飾られているのです。思わず、「わあー素敵なクリスマスプレゼントがとどいていますよ」と母に持って行って見せせてあげると母もとても喜んでいました。クリスマスというお祝いがもうすっかり日本中に溶け込んでいるようでとても驚いています。我が家にはまだ何もクリスマスらしきものが整っていません。
殺風景そのものですが、一鉢ぐらいは明るいお花でも準備してお祝いの気持ちをあらわしたいものです。
母のところへ電気こたつを持って行ってあげました。余りにも冷たい足ですし、その上はれ上がっていますので施設の方が特別にこたつの使用を許してくださいました。母に伝えると、「まあ嬉しい。でもあなたの暖かい手で冷たい足を触ってもらうともっと嬉しいわ」という元気な言葉が返ってきました。
神様を信じ切っている母の人生の最後はとても豪快です。
主人にそのことを伝えると”そうありたいものだ。”としみじみ言っていました。
12月9日
昨日から、母は調子を崩しています。施設の暖房で乾燥しすぎて喉をやられ声がガラガラです。その上今朝は鼻水が出ていました。食事はすべて頂いたのですがそのあと少し痰がからんでいるようでした。施設の方たちにすべてをお任せしてありますので、これが引き金で衰弱していったとしてももう神様のご計画の中にあると信じています。そのように声が出にくい状態でも母は今日は聖書を引用して、悲しみともとに喜ぶものになりなさいと、私に伝えてきました。
食事のあとも母の冷たい手を思い切りこすってあげて私のぬくもりを母に挙げたい思いでいっぱいになりました。すると母はそんなに頑張らなくてもよい、と言うのです。
12月11日
母は少し風邪気味ですが食事が食べられるので、まだ大丈夫かななどと思ったりしながら、でもやはり気になっていつも訪問する時刻より早めに出かけています。介護してくださる方たちのご苦労で日を追って良くなってきます。重労働に携わっておられるのですから、私も感謝の心を絶えず抱いて接しています。
軽そうな母でも自分で起き上がろうとしないのでとても移動させるときには重いのです。そのような大変なお仕事をしてくださっておられる施設の方に感謝しています。
上弦の月朝白く冬に入る。
峡の峯強くかぎろひ冬晴るる。
冬麗や遠くの山に風車見ゆ。
樫のみの良く転がるを掃きにけり。
紅葉す高原に合ふそばえかな。 馬場路哉
12月12日
母の様態が一昨日から急変いたしました。酸素が不足し、栄養分が摂取できない状態が続き、脚がパンパンに張れるほど心臓が弱っているとのこと。最後まで信仰の話ができた3か月の施設での生活に心から感謝いたします。
昨日は何も話すことができませんでしたが、今朝は私たちが行くと目を開けて、”私はあなたたちに信仰という宝物を残しましたよ”私のことは心配しないでよろしい。私はただ神様のことだけをしっかりと考えていますから”といって強めてくれました。
思わず涙がドッとあふれてきました。でも母の言う通りに信仰を与えられたことに私たちは心から感謝しています。
主治医はあと一週間持てばよいのですが、とのことでした。
最後まで、イエス様の愛を伝えてくれ続けている母です。
12月20日
本日、雪がちらつく寒い中、母の葬儀を無事に執り行うことができました。家族葬で、心から母に一人一人が感謝と想い出を述べてお別れすることができ、とても神様に守られてのお別れでした。老衰でしたので、何も苦しんだ様子もなく、語りかけたら何か返答が返ってくるかのようでした。皆がそれぞれに好きな花束を母に捧げ見送ることができました。13人で、最後に405番の「かみともにまして ゆくみちをまもり あめの御糧もて ちからをあたえませ。 また会う日まで また会う日まで かみのまもり 汝が身を離れざれ」を賛美し、その後、母の大好きだったバッハの「主よ人の望みの喜びよ」をCDで流して天へ見送ることができました。
すべてに時があることを知らされた母の最期でした。皆それぞれに感極まって涙しました。今まで本当に母のためにお祈りくださったこと、心から感謝いたします。
牧師先生にもすべてが終わってから電話にてお伝えいたしました。
クリスマスにはまだ礼拝に行く気力が出ませんが、また新しい年から、母の熱い信仰を受け継いで行きたい旨をお伝えいたしました。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」