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世田谷通信
(122)
私がぼんやりなのか、物の形や記憶が本当にあいまいなのである。家の外壁の補修をしようと思ってホームセンターで補修パテを買いに行く。毎日見ているのに、さあて、どんな壁?ベージュ、灰色、白?ざらざら、ツルツル?最近、ひび割れを見つけて確認したはずなのに、思い出せないので何も買えずに帰ってくる。家に帰ってよくみたら、ざらざらした黄土色でした。
バッグを忘れて、遺失物係りに問い合わせる。受け取りたい自分、引き渡したい係りの方。さて、ここからが問題。それが自分のであることを立証しなくてはならないのだ。で、「色や素材、大きさや特徴は?」改めて聞かれると、どんどん記憶が不確かになってくる。そういうときは必ず上を見てしまう。脳の中を見られるわけでもないのに。「黒か紺。布製です。たぶん。」「黒か紺で布製ですね。他には?」「ええと、確か雑誌が入ってるはずです。」「どんな雑誌ですか?」「・・表紙が、あの女優さん、ほら大河ドラマに出てる・・。」「綾瀬はるかさん?」「そう、それです!」って遺失物係りの方を連想ゲームにつき合わせるはめになる。
思い出せない、に加えてさらに悪いことに、思い出せたものが間違っていることもままある。記憶は都合よく、或いはゆがんで書き換えられているらしい。なんでだろう?
歯医者の予約を忘れないようにメモする。カレンダーに貼っておく。前日にあっ!と思う。しかしそのメモを書いた記憶はない。確かに自分の字なのに。もう自分を信じられないことこの上ない。ありがとう過去の自分。
でも大丈夫。脳から記憶をとりだせなくても、体は記憶しているのだから。風邪をひけば、免疫系が「あ、このタイプの風邪菌ね。ああなるほど、5年前にかかったやつに似てるわ。あの時は熱出ちゃったけど、今度は大丈夫、敵の型はわかってるから、免疫システム作動させるよ。」と頼もしく正確に機能してくれる。それは別に5年前の風邪を本体である私がすっかり忘れているのに、ちゃんとどっかに保存されている知恵なのだ。
さあ、こんなだけど、なんとか新しい1年もやり過ごしたい!
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」