[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。
=Ⅱテサロニケ3:16=
人は戦争や醜い争いを願い求めてはいません。しかし、現実には、全世界の中で戦争のない時はなかったでしょう。誰もが平和を願い、様々な仕方で、様々な人が努力してきたのも事実です。しかし、「平和自体」は存在しませんでした。クリスマスの恵みを思う時が与えられて、キリストが世界に平和をもたらされたという事実と切り離された平和は存在しないことを、改めて深く知ってほしいものです。キリストは平和をもたらされたのですが、私たちはそのような平和を受け入れなかったのです。救いをもたらすキリストを十字架にはりつけにしたのです。
私たちは自分だけの平和・平安を求めてはいないでしょうか。私たちは、平和でないことの結果として生み出される現実に対する解消法としての平安を求めていないでしょうか。自分の苦しみから逃れるだけの平和・平安と言う自己愛であるなら、それは偽りの快適さを過ごす方便です。
神は私たちに平和を与えようとされます。神の平和は、神との平和です。私たちの罪深い心の中に、真の平和を与えようとされます。考えて見ましょう。では、私たちは神とどれほど不和の中に生きているでしょうか。この神との不和がある限り、人との平和もないのです。
神が与えて下さる平和は「神との和解」です。その道を神は福音として人類に、歴史の中で示して下さいます。私たちは人との間でイライラし、またそうさせる存在であることを、深く知るべきです。
神は「いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように」とキリストにおいて差し出されています。
主の2014年が平和であるために、主イエス・キリストにあって祈り求めましょう。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」