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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・14
問13 聖霊は祈れば与えられると聞きましたが、どう祈ればよいのでしょうか。(2)
答 (続き) イエスは聖霊のことを「別の助け主」と言われました。それは、イエスが地上に弟子たちとともにいる間は助け主であるわけですが、この世を去られたら助け主はいなくなります。
それに対して、イエスは「わたしはあなたがたをみなし子にはしない。いつまでもあなたがたと共にいる」と言われました。それは「共にいる」という仕方が、今まではこの地上においての見え触れる仕方であったのが、これから先は見えたり触ったりは出来ないが、別の助け主として、またそうであるだけに永遠の助け主としてあなたがたと共にいると約束されたのです。それが聖霊です。
ですから聖霊を受けるということは、自分の内に、また自分の傍らに、助け主としてのイエス・キリストがおられることが確信出来ると言うことなのです。ですから、聖霊を与えられた人は、目には見えず手で触ることによって確かめなくても、それよりも確かなこととして共におられるイエスを信じて「主よ」「イエス様」と言うことが出来るのです。
この生きておられる主イエスにものを言うことが「祈る」ということです。そういうわけですから、祈るために特別な場所へ行かなくてはならないのとか、祈祷師のように祈れる人間になるために特別な修業をするとか、秘伝を授けられなくてはならないとかいう必要はありません。いつでも、どこでも、どんなことについても、今いるところで、あるがままの自分で、「イエス様」と呼びかけて祈ることが出来るのです。
こういうわけですから、無風状態にいるヨットマンが「風よ吹いてくれ」と願うように、固定化された地上と人間の世界に閉じ込められている者が「聖霊よ来たれ」と願うのは、時間と空間に中にいて、その中だけでしか考えたり行動する以外にない人間が、これを超えた永遠の世界に漕ぎ出し、そこに息づき、または羽ばたくことが出来る秘訣をイエスから、その世界の消息を聞かされているからです。
こうして、風にもなぞらえられる聖霊によって、神の支配される世界へと船出した者は、その船出をしたあとで、停泊中に聞かされていたことの一つ一つが「ああ、聞いていたことはこのことだったんだなあ」と確認するに至るのです。その停泊中に聞かされていたことというのが、聖書に記されている内容なのです。
そういうわけで、聖書に書かれていることは真理だなあと確認されるのです。従って聖霊を求める祈りは「聖書に記されている真理を分からせて下さい」と言う願いでもあるわけです。聖霊の方でも、それをわたしたちに分からせようと願っておられるのですから、われわれの願いが聞かれないはずはありません。目に見えず手で触れなくても、もっと確かに信じるに値する方として、聖霊は、祈りに応じて、われわれに最もふさわしい仕方で、来てくださるのです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
2月放送予定
2日 落合建仁 (金城学院大学宗教主事)
9日 落合建仁 (金城学院大学宗教主事)
16日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
23日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」