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『旧・新約婦人物語』(53)
ユウオデヤとスントケ
=ピリピ4:1~3=
「だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい」(1)。この力強い言葉は、ローマの牢獄に閉じ込められている老使徒パウロが、ピリピの町にある教会の、主にある兄弟姉妹たちに書き送った有名な言葉です。
これを読みます時、どんなに使徒パウロがピリピにいる兄弟姉妹を愛していたか、また彼らがどんなにパウロの喜びであったかが分かると存じます。ピリピの教会は、ヨーロッパでの最初の教会でありますし、その教会の信者は、ヨーロッパのクリスチャンの初穂であります。パウロがマケドニヤ人からの招きの夢に応じて、ギリシャに渡りました時、彼が最初に 十字架の福音を宣べ伝えたのは、このピリピの町でした。この町で数人の熱心な婦人たちが川辺に集い、祈りをしていることを聞き知ったパウロは、その場を尋ねてキリストによる救いの説教をして聞かせ、その人たちを真の神に導きました。その中に、テアテラ市の紫布の商人ルデヤと言う婦人がいまして、ヨーロッパでの最初のクリスチャンとなった物語は有名です。
その後のピリピの教会の発展は目覚しいもので、信仰に燃え、救われた証を語り、教会のための奉仕にと、大きな働きをいたしました。パウロは、「あなたがたは、よくわたしと艱難を共にしてくれた。ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣教し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった」(14~14)と、書き記しています。このように、ピリピの教会は、パウロと実に密接な関係を持ち、パウロもまた絶えず彼らのために祈り、手紙をもって教会員一人一人を正しく導き、励ましていたようです。
ここに牧師の本当のあり方を見出すことが出来ると存じます。もちろん、神学を研究することも、力に満ちた説教の準備をすることも、当然、牧師にとって大切な勤めでございます。同時に、一方において、パウロが実行いたしましたように、教会員一人一人の喜びや悩み、あるいは彼らが受けつつある試みを素早く見抜かなければ、牧師はどうしてパウロのように、一人一人を正しく主に導くことが出来るでしょうか。
パウロは絶えず愛する信者の名前も覚え、それぞれの教会内の問題について、自分の責任を強く感じていたことに、大変教えられます。
この信仰と実践に優れたピリピの教会にも、面白くない問題もあったようです。4章2節に、「わたしはユウオデヤに勧め、スントケに勧める。どうか、主にあって一つ思いになってほしい」とあります。このことは何を意味しているのでしょうか。別に難しいことではなく、この二人の婦人たちが、一つ思いになっていないで、意見が合わない、強く言えば争っていたようです。
ではこの二人の婦人は、どういう女性であったのでしょうか。3節によりますと、「真実な協力者よ。あなたにお願いする。このふたりの女を助けてあげなさい。彼らは、『いのちの書』に名を書きとめられているクレメンスや、その他の同労者たちと協力して、福音のためにわたしと共に戦ってくれた女たちである」と、パウロが語っています。彼女たちの教会生活は形式的なものではなく、また中途半端ななまくらなものでもなく、パウロが初めて伝道した頃から、クレメンスや他の同労者の時でも、十字架の福音のために戦ってきた、まことに信仰深い立派な婦人たちであったことを、パウロはここで語っています。
どうして、このような信仰ある婦人たちが、一致協力することが出来なかったのか、その点はっきり致しておりません。彼女たちの争いの原因が聖書には書いてないのです。パウロが記していますところは、この二人の婦人の間がうまく行っていないと言うことと、そのような問題をそのままにしておくのは良くないと言うことなのです。
このような問題は小さい事柄で、どうでもよいと放置されやすいのですが、実はこれが教会の一致と平和を破る問題にまで発展するのです。ですから、このような事柄は一日も早く解決しなければならないのです。
さて、パウロはこの問題をどのように解決しようとしたのでしょうか? 先ず二人の婦人に、自分を忘れ、隣り人を愛する主のみ言葉の精神にもとづき、二人が仲良くしてくれることを、勧めたのでありました。しかし、それはいい得てその実、まことに困難な、たやすい業ではありませんでした。それで、誰か他の人に、この二人の婦人を助け、和解するように依頼しました。「ついては、真実な協力者よ。あなたがたにお願いする。このふたりの女を助けてあげなさい」(3)とございます。この「真実な協力者」とは誰なのか、その名前は、ここに記されていませんが、この手紙を見たピリピの人たちには、それがだれのことなのか、直ぐ分かる人であったと思います。
教会の信者たちの間に生じますいろいろの問題は、このようにして解決するのが、最も良い方法ではないかと思いますが、どうでしょうか。先ず、問題を問題として取り上げ、それを権威ある人に託して、一時も早く解決しなければ、これは教会の一致協力を乱し、発展を妨げる大きな障害となると存じます。
もし、あなたの婦人会の中で、ユウオデヤとスントケのような問題がございましたら、どうか謙虚と悔い改めと祈りとをもって、それを早く解決し、全教会員が力を合わせ、主イエス・キリストによる救いの福音の宣教に努め、教会員として走るべき道のりを、ひたすら走り続けてまいりましょう。そのためにも、わたしたちは、主イエス・キリストにあって、主より送られてくる聖霊の助けを頂くように、祈りつつ、待つように努力しようではありませんか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
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スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」