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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・15
問14 キリスト教では「三位一体」というそうですが、それはどういうことですか。
答 「位」というのは「位格」ということでして、神は「父、子、聖霊」という三つの位格を持って一体である、ということです。讃美歌の歌詞の中には「父、み子、みたま」という言葉で出てきますが、これは「神は父であり、子(イエス・キリスト)であり、聖霊であるという三つであって一つである」という神様理解を言い表している言葉でありまして、英語ではTRINITY(トゥリニテイ)と言いますが、キリスト教の信仰の独自性といえます。
理屈からいうと「三つが一つ」であり、また「一つが三つ」であるということはあり得ません。また「神様は神様だといっておれば良いのであって、どうして三位一体の神だなんてややこしいことを言うのか」という疑問や批判が出て来て当然です。
結論から言うと、神が三位一体の神であるということは、神が超然としていて人間や世界に関わりを持とうとしない方ではなく、本質的に、交わりの主であられるということです。つまり、神様は、御自分の方から人間に呼びかけ、人間と交わり、人間との関わりを求めておられる、ということです。
クリスマスは神の子の誕生のお祝いです。神の子が生まれたということは、父である神がその子であるイエス・キリストをこの地上の世界に、そして歴史の中に遣わされたということです。ところが人間はこういう事情が分かりません。こういうことを理解する能力を持っていないからです。
そこで神は、以上のことを分からせるために、聖霊を送って下さいました。この聖霊を受けたことによって、人間はキリストが神からこの世に遣わされた神の独り子であることがわかりました。
以上のことは、人間が神を知るのは、父である神が、子である神をこの世に遣わし、そのあと聖霊を送られたことによることを示しています。逆に人間の側から言えば、聖霊によってイエスが神の子であり、そのイエスを遣わされたのがイエスの父であることを知ることが出来るのであって、この「神が三位一体のかみであられること」(これを「神の三一性」といいます)が、神が人間への交わりを求めてやまない「愛」を本質としておられる方であることを表しているのです。
人間の場合でも、親は、生まれたばかりの子どもに、子どもに通じるように言葉づかいや仕草を変えます。子を愛し、子への交わりを求めてやまないからです。三位一体の神ということも、そういうことから理解の糸口が見出せないでしょうか。
=「聖霊に関するメモ」=・・・1
港で帆船を手入れをしている老人に、ある人が「爺さん、舟はどうしたら動くかね?」と尋ねました。爺さんは「わしゃそんなことは知らんよ。ただ風が吹いてくれりゃ動くことは確かだがね」といいました。
イエスは「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆その通りである」と言いました(ヨハネ3:8)。
クリスチャンは、風(へブル語では風も霊も同じ言葉です)に吹かれたので、「よし、それなら船出しよう」と停泊地(この世)から、神の国へと船出したようなものです。あとは、風に逆らわぬよう舵をとることです。
(篠)
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
3月放送予定
2日 辻 幸宏 (日本キリスト改革派大垣教会牧師)
9日 辻 幸宏 (日本キリスト改革派大垣教会牧師)
16日 木下裕也 (日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
23日 木下裕也 (日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
30日 長谷川潤 (日本キリスト改革派四日市教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」