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今月のことば
罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。
=ローマ6:2=
この世の道徳は、「罪を犯してはならない」と言います。神の律法も「罪を犯してはならない」と言い、あらゆる宗教もそのように言います。しかし、甦られた方の証人パウロは、「君たちは罪に対して死んだ」と言います。罪からの命脈が絶たれ、力が奪われ、罪の息の根がとまり、その脈拍は途絶えたというのです。
パウロがこのように言うのは、ただイエスの十字架での死の働きに目を注ぐことによってだけのことです。あの十字架には、この世の罪がかかっています。あそこには、私たちの罪の身代わりとなられた方が、私たちに代わって、すべての憐れな罪人に代わって死なれたのです。イエスは、私たちの罪を、墓の中に携えて行かれました。それゆえに、パウロは大胆に言うのです。「わたしはキリストと共に十字架につけられた」(ガラテヤ2:19)、また「わたしたちは彼と共に葬られた」(ローマ6:4)と。
私たちが、この救い主の死をそのあらゆる結果・結末に至るまで、真剣に考えなければならないということでもあります。すなわち、そこで死ぬのは、古いアダムであり、神の前に存続できない人間なのであります。ですから、罪に対して死んだ者―もはや罪の中に生きようとすることは出来ないという存在ということです。
罪を憎みキリストと共に生きることを赦された者として、キリストに生きよう! というこの招きの言葉は、なお、罪の残滓を持つ私たちに、生きる希望を与えます。私たちは弱く、貧しく、罪と戦う力のない者であることを認め、それゆえに「キリストと共に生きようではありませんか」。
この信じ難い招きこそ、福音なのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」