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「ローマ人への手紙」研究 (111)
第63課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
9章1~36節 (23)
ここでパウロは贖いの計画の論述を終わりに導いています。次の4節(33~36)は神の知恵と知識、善と恵みの荘重な論述です。「神がすべてであり、人間はとるに足りないものであるという思想を述べる力強さと荘重さにおいて、ここの聖句に比肩する節は、全聖書の中に僅かしかない」(C・ホッジ)。H・アルフオードもこれらの4節について、「神の恵みと知識を目の当たり見て力づけられたパウロは、霊感された聖書の中にこの荘重きわまる聖句を語ったのである」と述べています。
ここで当然、一つの問題が起こります。すなわち、ローマ書の中でこれらの4節が占める位置は何であるかということです。これらの節は、9~11章、すなわち、神がユダヤ人を退け、異邦人を招かれたという事柄に特に関係しているのでしょうか。それとも、ここまでのローマ書の全体の教理に関係しているのでしょうか。または、ユダヤ人の未来における回心という特殊な事柄について、この言葉は語られているのでしょうか。ホッジは、直接つなげるべき文脈を指示するどのような指示もないので、これらの素晴らしい讃美と讃美の言葉は、ここまでに述べられたローマ書全体の救いの計画について語られているのであると結論しています。
33~36節で語られる三つの主要な思想は、次のとおりです。
1・・・神は御自身の存在と御業において、無限に偉大で善なる方であるのみでなく、人間の理解を超えた存在であられる。神は人間の理解を超越した方である。
2・・・神は人間から完全かつ絶対的に自立した自存者である。
3・・・神は一切のものを知っておられる全知者である。なぜならば、神は全ての存在の根源、手段、目的であられるからである。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」